2016.08.26

★前途多難

 アイスランドを訪れる人の多くは、ブルーラグーン(水色の温泉をたたえた湖)と首都のレイキャビク、それに、ゴールデンサークルと呼ばれる、大地の裂け目(ギャオ)や間欠泉や滝などが見られる地域だけを観光するらしい。

 ぼくたちも、アイスランド観光の実質初日、国際空港近くの宿を出て、ブルーラグーンからレイキャビク近郊を経て、ゴールデンサークルの一部を回った。レイキャビク自体にはまだ足を踏み入れていない。

 この地域は、アイスランドでもっとも観光化されているはずだ。実際、ブルーラグーンやギャオには100人を超えるくらいの観光客がいたと思う。後者には、見渡せるエリアで数百人はいたかもしれない。
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 5か月前、「何もない荒野をお腹を空かせながら延々走り続けることになるんだろうなあ・・・」と書いた。だから、初日に起こった出来事は「想定外」ではない。
 でもまさか、アイスランド最大の観光地を回りながらそんな目に遭うとはさすがに思っていなかった。

 海外を旅行するときにまずすることは、通りがかりにスーパーマーケットを見つけてミネラルウォーターを大量に購入することだった。
 ところが今回は、どれだけ走ってもスーパーなんて見つからなかった。それでも、その時点ではまだ、「天下御免の大観光地に行くんだから」となめていた。

 ところが、ブルーラグーンの周囲にすら、店は一軒もない。そこからギャオに向かう途中、食事ができそうな場所はケンタッキーフライドチキンただ一軒だったが、アクセスがわかりにくくて通過してしまうと、もう一切のレストランもカフェもスーパーもなくなってしまった。
 ほどなく、溶岩原をえんえんと走ることになった。

 もはや、どんな建物も存在しない。

 お腹を空かせているのはまだしも、喉の渇きには閉口する。やっとのことでギャオを擁する国立公園の入口あたり、きれいな湖を見下ろすロードサイドに車を止めた。
 数台の車がいて、韓国人の女の子が4人、ピクニックランチを楽しんでいた。

 しばらく景色を眺めた後、思い切って話しかける。「アンニョンハセヨ。Do you speak English ?」
 その食べ物や飲み物はどこで買ったのかと聞くと、質問の意図がわかったのだろう、苦笑いしながら「レイキャビク」と声を揃えて答えた。こちらも脱力した笑いを浮かべながら「レイキャビク・・・」とつぶやく。
 「カンサハムニダ。アンニョンヒカセヨ。」

 幸いなことに、しばらく走るとギャオに着き、水を買うことができた。ただし、500mlで300円。いつものヨーロッパなら、それで6リットルくらい買えるだろう。

アイスランド一周なんかやめて、レイキャビクから半径100kmくらいだけの範囲でのんびりするのはどうだろう? それなら悲惨な目に遭うことは避けられそうな気もする。
とも書いた。
 だが、レイキャビク近郊でも、こんな目に遭うのだ。

 前途多難である。

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2016.08.24

★Welcome to HEL(L)

 あらゆる障害を乗り越えて、フィンランドのヘルシンキまではたどりついた。

 東日本を襲った台風はむしろ、われわれには味方して、フライトがキャンセルになった乗客でホテル(日航関西空港)があふれたために、望外のアップグレードを得、ワンフロアに1部屋しかないスイートに泊めてもらった。
 台風の被害を受けた方々には申し訳ないが、それはちょっとした僥倖だった。
 しかしその時、すでに「運を使い果たしたのではないか」という不安がまとわりつきはじめていた。

 定時運行率世界一だか欧州一だかを誇るフィンランド航空は、定刻より10分早く出るというので喜んでいたが、関空での離陸許可が遅れ、結局定刻くらいの出発になった。
 順調なフライトで、定刻にヘルシンキに着く。

 着陸前、フライトアテンダントがやってきて、「乗り継ぎ時間が短いので機の前方に移動してください」と配慮してくれた。お蔭で、15分ほどだけではあったが、ビジネスクラスの旅ができた。

 そこまではよかったのだ。

 だが、単にアイスランドのレイキャビクへと乗り継ぐだけなのに、降機後にセキュリティチェック・入国審査・税関と一通りの洗礼を受けなければならなかった。
 (入国審査は、日本人と韓国人だけはVIP扱いの別レーンでスムーズ、税関は申告なしで素通りしたが、セキュリティチェックで人の話を聞かない家人がひっかかり、数分をロスした)。

 当初からわかっていたのだが、乗り継ぎ時間は40分しかないのだ。
 しかも、実際には出発の15分前にゲートが閉め切られたので、25分しかなかった。

 降機後の一連の洗礼に、バスでのターミナルへの移動、遠くのゲートまでの必死の競歩を加え、アイスランド行きのゲートにぎりぎり滑り込んだ(と思った)。

 ゲートの係員は、われわれを待ち受けていて名前を呼ぶ。

 おお、よかった、間に合った!と思ったのも束の間、ゲートは7分前に閉めきったのでもう搭乗できないという。
 その時点でまだ出発時刻まで8分もあった。少しは食い下がったがやはりどうにもならない。

 教えられたフィンランド航空の乗り継ぎ案内窓口の場所も間違っていた。途方に暮れていたとき、降りてきたパイロットに聞くと親切に連れて行ってくれたのは本当にありがたかった。

 関空からヘルシンキまでの飛行機は満席だったのに、そこからアイスランドへ行こうなどという酔狂な物好きはわれわれ3人だけだったらしい。
 乗り継ぎ窓口の係員は親切にいろいろ対策を考えてくれるのだが、結局のところ、

1.コペンハーゲン経由レイキャビク 21時着
2.ベルリン経由レイキャビク真夜中着
の2択になった。
 もちろん1がいいのだが、コペンからレイキャビクへの座席が確約できないという。もしダメだったら、もう次の日のフライトになってしまう。
 最終的に、2番にせざるを得なかった。

 手続きにものすごく時間がかかったので、その間に電話を借り、レンタカー会社に連絡した(「無料のWifiがあるので、公衆電話はもうどこにもないだろう」と言われた)。

 終わってから、今日の宿にメールした。空港近くの宿なのでこういうことには慣れていて、何時になってもセルフチェックインができるシステムのようで、助かった。
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 今ごろは、もうアイスランドに着いているころだ。だが、いまだにヘルシンキの空港にいて、さらに1時間後のベルリン行きのフライトを待っている。
 それにしても、どうしてベルリンなんかに行かなければならないのだ??

 KIX(関西国際空港)からHEL(ヘルシンキ・ヴァンター国際空港)へ。

 Welcome to HEL(L)という声が聞こえてきた。

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2016.08.20

★旅のおとも

 何もかもが初めてだった二十歳のときのヨーロッパひとり旅の際は、「帰国するまで日本食を食べない」という青臭い誓いをたてて出かけた。

 だが、1か月を過ぎてから、最後の街となったパリでちょっとしたホームシックにかかり、もうどうでもよくなって焼き鳥やらラーメンやらを食べ、そのおいしさに身震いしたものだ。

 味覚というのはどうしようもなく体に染みついているんだなあと実感した。

 その後の旅行では日本食云々のこだわりはない。それでも、できるだけ現地の食べ物を食べたいとは思っている。
 だからというわけではないが、海外に出るのに日本から食べ物を持っていったことは一度もない。そもそも、そういう発想がほとんどなかった。

 しかし、今回の旅行では初めて、インスタントラーメンとレトルトカレーを持っていくことにした。

 向こうでそのふたつが恋しくなるからではない。以前ここにも書いたとおり、ホテルから一番近いレストランが50km以上先で、かつ、一人一食3千円以上かかるとか、そういう状況に陥る可能性が非常に高いからだ。

 いわば非常食である。

 以前、アメリカの田舎(今調べたらワイオミング州だった)で恐竜化石の博物館だかに行った際にちょうどランチタイムになり、そこでは何も食べられそうになかったので、学芸員?に「近くにレストランはありませんか」と聞くと、「50km以上走らないとない」と言われて驚いたことがあったが、今回の旅行ではそういうのが毎日のことになりそうで怖い。

 アメリカの砂漠的田舎には行くたびに驚かされているが、アイスランドほど見捨てられた最果ての地を旅した経験はない。まさに deserted island という趣きだ。

 アイスランドの人口がたった30万人ほどだというのは知っていた。だが、旅行の計画をたてはじめるまで、これほどまでに荒涼としたところだとは思っていなかった。
 何といっても北欧なのだというバイアスが、目を曇らせていたのだろうと思う。

 人口密度は日本の100分の1以下。世界でも5本の指に入るほど、人が少ない国なのだ。
 そして、国土のほとんどは火山か溶岩か氷河である。

 なのに、というか、だから、なのか、物価はべらぼうに高い。

 少しでもマシなところに宿泊できるようにがんばるのに必死で、それなりの宿が確保できたら、もうゲームオーバーというか、Mission accomplished という感じだった。
 そのせいで、肝腎の「どこに行きたいか」についてはまだほとんど考えていない。

 まあ、飛行機の中でだって、時間はたっぷりある。滑走路から無事に脚が離れれば。

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2016.08.19

★滑走路から脚が離れるまで

 いちおう仕事を片付け(というか、先送りできるものは先送りし)、やっと旅行モードに入りつつある。

 これまで、「ほんとに行ける日が来るのだろうか」といういつもの感覚がずっとつきまとっていた。
 いつもと違うのは、飛行機とレンタカーを3月に予約してから5か月もの長い期間があったことである。

 病気や怪我から、火山の噴火まで、ありとあらゆる障害が旅を不可能にする。

 一番大きかったのは、複数の身近な人物に問題が生じるかもしれないということだ。
 入退院を繰り返してる老人たちは、今は幸いみんな家にいて、健康とはほど遠い状態ながらもなんとか暮らしている。

 ありがたいことだ。

 だが、今これを書いている右横にも「志村けん 入院し舞台中止に」というニュースが見える。
 まだまだ安心できない。老人たちだけではなく、私たちにだって何が起こるかわからない。
 何も起こらなくても、すでに五十肩で、ふつうに仰向けで寝ることすらできないのだ。

 大した影響があるわけではないが、今日だって、家で旅行のための書類を印刷していると、何の前触れもなく突然プリンタの電源が落ち、二度と入らなくなった。

 台風も近づいている。

 以前は、「何か急な仕事が・・・」ということにまで頭を悩ませていた。しかし、今となっては、そんなことは起こりえないと思える。
 それだけでも恵まれていると言わざるをえない。

 それでも、安心はできない。

 飛行機のチケットを購入した旅行会社からは、「毎年パスポートお忘れによりご出発」「いただけないお客様が多発しております」というメールが届いた。

 多発!

 ほんとうに、何でつまずくかわからない。

 今回は、下手をするとパスポートの切替や国外運転免許証の取得も忘れかねないところだった。
 他に何か忘れてることはないだろうな・・・ そもそも、出発日は合っているのだろうか。

 おそらく、いつものように、関西空港の滑走路から旅客機の脚が離れた瞬間に、やっと、「ほんとうに、行けるんだ」というあの安堵が訪れるに違いない。

 でも、あらゆる障害(今のところ台風がいちばん問題かも)を乗り越えてそこまでたどり着いても、ヘルシンキでの乗り継ぎ時間が40分しかないという事実がおそろしい。

 定時運行率が最高レベルのキャリアだというのだが、それでも9割くらいである。今回は、ヘルシンキの滑走路から脚が離れるまでは安心できない気がする。

 まあとにかく、何ごともなく平和に日々が過ぎてほしい。

 なにも、われわれの旅行のためだけではなく・・・

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2016.08.17

★The Walk

 いやあ・・・ こんなすごい人(Philippe Petit(フィリップ・プティ))が存在した(といってもまだ存命中らしい)なんて、まったく知らなかった。

 必見の映画。

 見終わってから、ロバート・ゼメキスの作品だと知った。それもやっぱりすごい。

(The Walk, 2015 U.S.A.)

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2016.08.14

★早寝早起き

 ふと気がつくと、8月に書いたものが一つもない。もう半ばだというのに。

 理由はおそらく、「早寝早起き」を始めたことだと思う。長い話を省略すると、五十肩がきっかけで通い始めた鍼の先生に言われてそうするようになった。

 前の職場を辞めてから25年以上、早寝早起きとは無縁だった。

 むろん、早起きしなければいけないときはままあるのだが、それが直接早寝には結びつかないし、ふだんはとにかく「不規則な生活」をしていた。

 子どものころからずっと、各方面から「早寝早起き」「規則正しい生活」を言われ続けているのだが、実行できたためしがない。

 ただ、唯一、前の職場に勤務していたころの一時期は、そういう生活に近かったと思う。
 「朝の涼しいうちに勉強しましょう」というのを、言われる方から言わされる方になって初めて、夏休みの午前中は午後より涼しいのが本当だと知って驚いたものだ。

 でも、そのころでさえ、20代半ばの若さで、勤務時間だって長くないのに、ふつうに疲れていた。

 50になって不規則な生活をしていても、当時とそんなに変わっている気がしない。
 つまり、「規則正しい生活」が何かを改善するという実感を持てないのだ。だからやる気が起きない。

 鍼の先生に言われて、コーヒーだって紅茶だって(いただきもののプーアール茶すら)やめている。そして代わりに毎朝、これも指導されたニンジンジュースなんかを飲んでいる。

 これで、体調がよくなったとか、疲れなくなったとかいうのならありがたいのだが、そんな実感はほとんどない。

 ブログが書けなくなっただけである(笑)
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 毎日、なにか一つでも楽しかったことがないと、寝る気がしない。

 だが、楽しみなんか、そう簡単に得られるものではない。仕事で得られればいうことはないのだろうが、そういう日は多くない。
 今のところ、洋もののテレビドラマか映画を見るのがお手軽な楽しみになっている。

 憂き世のつとめを果たして液晶パネルを見たりすると、もう「早寝」の時間になってしまう。いちおう11時なのだが、往々にして12時近くになるし、時には越える。

 まあそれでも、だいたいは早寝早起きをしていると、のんびりブログなんかを書いている時間はない。残念なことだ。

 収穫があるとすれば一つだけ、これまではだれが何と言おうとまず絶対に無理だと思っていた早寝早起きが、案外簡単にできるのを知ったことである。

 まさか、自分にそんなことができるなんて・・・

 要は、やる気になるかどうかだけの問題のようだ。

 でも、だからといって特に体調がよくなったわけでもないし、他のことにやる気がでるかというとそんなこともない。

 なのに、いちおうこの生活が続けられているのが不思議である。きっとそのうちどんどんいいことが起こってくると思いたい。

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2016.07.31

●失われた?ブッポウソウを求めて

 ブッポウソウという鳥がいる。体長がハトより少しだけ小さくて、体つきはスリムな、濃い青色系の美しい鳥だ。
 小鳥としては最大級である(いや、小鳥と言えるかどうかちょっと微妙な大きさかも)。

 好きな鳥の一つだ・・・と言いたいのだが、何しろ実際に見たことすらないので、好きと言えるかどうかわからない。

 自宅周辺では一切お目にかかれない珍しい鳥である。
 ただ、繁殖期に出向くと必ず見ることができる場所があると教えていただいたので、今年は思い切って出かけることにした。
 まあ、岡山県だから「思い切って」というほどのことはない。だが、鳥を求めて旅行をすること自体、私にとってはまずないことで、それだけ情熱が大きいことは間違いないだろう。

 珍しく、家人も息子も行きたいという。3人のスケジュールを合わせると7月末になってしまった。

 ちょっと遅くないかなと思ったものの、ウェブで調べると、「ヒナが巣立って個体数が一番多い時期」みたいに書いてあるので、ダメもとで出かけてみた。一泊ではあるが、家族で旅行するのも久しぶりだし。

 しかし、ダメもととはいえ、これほどダメだとは思っていなかった。個体数が多いかどうか知らないが、たとえ数十羽くらい?いるとしても、広大な山里で見つけるのは至難の業である。

 もともと、あちこちに繁殖用の巣箱がかけてあり、そこで育雛するからこそ確実に見ることができるのだ。ヒナに餌を与えるため、親は一日に150回ほども巣箱を往復するという。

 でも、ヒナが巣立った後は、もぬけの殻。
 ブッポウソウにとっての巣箱は、われわれにとっての家のようなものではなく、巣立ちまでの仮の宿りなので、ヒナが飛べるようになってしまうと、基本的には戻ってこない。

 最初に立ち寄った道の駅で、「もう10日ほど前からどんどん巣立って、今は「カメラマン」もいない」と言われたときには相当脱力した。
 ブッポウソウがいる場所を探したければ、「カメラマン」が集まっている場所を探すのが一番だからである。

 結局、この時期にブッポウソウを見に来た間抜けはわれわれだけだったらしく、次に立ち寄った「ブッポウソウ案内所」はまったくの無人だったし、「カメラマン」やバーダー(バードウォッチャー)にも一人として出会わなかった。

 それでも、つい先日、24日まではまだ巣立ち前のヒナもいたらしい。
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 諦めきれず・・・というわけでもないが、一番いいポイントだと言われている場所に車を駐めて、ブッポウソウを探す。
 人も!鳥も、やはりまったく気配すらない・・・と思っていると、家人が稜線上を飛んでいく2羽の鳥を見つけた。

 双眼鏡を向けるが、遠すぎて何かわからない。黒い鳥に見えるけれど、飛び方がカラスとは違う・・・と見るうち、紛うことなき翼の白斑が目を射た。

 ブッポウソウだ!

 山頂付近にある薄緑のアンテナにとまる。結局、3羽とまった。望遠鏡を向けてみても、黒っぽい鳥がいることしかわからない。

 だが、ともかくも、ブッポウソウ初認。まったくのボウズよりはよほどいい。
 家人と息子は白斑を見ていないので、見えたのは単なる黒っぽい鳥のシルエットだけなんだけれど。
 ___

 それだけが目的ではなかったにせよ、高速道路を走ってホテルに泊まってこの結果。

 うーん。来年こそは、高速道路を使わずに日帰りとかキャンプとかで繁殖まっさかりの時期に来ようと思った。

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2016.07.27

●安くておいしい?ランチ

 このブログのメイン(いや、サブだな、「空と旅と風景と」がメインなんだから ^^;)テーマの一つは、「安くておいしいランチ」である。

 今も常に探している。

 「おいしい」の方をクリアするのは、特に贅沢を言わなければ比較的簡単だ。
 だが、そういうランチは、どうかすると2000円を超えてしまう。とても日常的に食せるものではなく、「安くて」をクリアできない。

 このブログを始めたころには、前菜にデザート・コーヒーまでついて1000円というパスタランチが職場の近くにあり、それがいわば基準になっていたのだが、そんなものはもはや望むべくもない。

 当初は上限1000円だった予算も、下手をすると千円台後半になってしまった。先日のように、時には2千円を超えるランチすら一人で食べる羽目になる。

 そんな中・・・

 今日のランチは378円!であった。

 もちろん、特においしいということはない。だが、日常の昼食として何の問題もない。値段を考えればおいしいと言ってしまってもいいくらいだ。

 「無添 くら寿司」の新製品、「シャリカレーうどん」である。あの北大路欣也が「新作にしてまさに名作」と、(おそらく)食べもせずに宣伝しているアレだ。
 (後記:CMでは、いちおう口にはしてますね。)

 昼時を外したのに、夏休みでもあるせいかやや混んでおり、でてきた料理にも若干の「やさぐれ感」はあるものの、許容範囲内である。

 提供されるまで10分近くかかったので、お腹がすいていたこともあり、目の前を流れるお寿司を一皿つまもうかという誘惑にかられたが、やめておいてよかった。
 「シャリカレーうどん」だけで十分なボリュームだ。

 くら寿司には、カレーやラーメンが各種揃っている。今度はラーメンを食べに行こうと思う。

 (後記:ラーメンは質・量ともに明らかにサイドメニューで、それだけではランチにならなかった。しかも、「旨辛とんこつ」のはずなのに、思いっきりカツオだしの効いた和風の味であった・・・)

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2016.07.23

● Pokémon GO よりバーディング ^^;

 子どもたち、外に出て遊ぶ、自然の中で昆虫を捕まえる──。私たちがつくりたいゲームは、みんなが家の外に出て、もっと歩き、新しい場所へ向かい、友達と楽しむゲームです。そんなゲームで遊ぶことは、人生をより豊かに、そして世界を良い方向へ変えると信じています。(John Hanke:Niantic, Inc. のCEOで Pokémon GO の開発者)(asahi.com)

 うーん、そんなきれい事を言うんだったら、やっぱりほんとに昆虫採集をしたりバーディング(バードウォッチング)をしたりした方が何百倍もいいと思うんだけれど・・・

 だれか、「探鳥 GO」とか作ってくれないかな(笑)

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● "Got it !" 考  ──Pokémon GO(ポケモン GO)を記念して

 Pokémon GO(ポケモン GO)が日本でも利用可能になった。

 これだけ騒ぎになっているものを、「いえ、知りません」というのもアレなので(そうか?)、ダウンロードして早速1匹捕まえたが、何が面白いのかわからない。

 今日は山の中で試してみたが、周囲に一匹もいなかった。
 (後記:夜のウォーキング中には3匹だけ捕まえた ^^;)
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 さて、数日前のことだが、テレビのニュースでこの話題を扱っていて、海外の街の人が "Got it !" と喜んでいたのを、字幕で「ゲットしたわよ」と訳していた。

 なるほど。"got" は「ゲットした」なのだ・・・

 25年?前なら「ゲット」などという日本語はなかったと思うので、これでは訳したことにならなかったはずだ。それに、現在では「ゲット」は日本語になってしまっているが、「ゴット」は日本語になっていないのも面白い。

 もう一つ、「わよ」って何だ?
 "Got it !" をどうひねくり回しても「わよ」は出てこない。

 これはもちろん、女性に特有の(とされる)終助詞で、発話者が女性であることを示すための、いわゆる「役割語」として使われている。

 日本でも、今日は公園や街中で多くの女性たちが「ゲットした!」とか「ゲットォォォ!」とか言ったり思ったりしているかもしれないが、「(ゲットした)わよ」なんて言っている人はおそらく皆無であろう。
 にもかかわらず、英語はわざわざそう訳されるのである。画面を見ればわかることだから、別に発話者が女性であることを強調する必要もないのに。

 そもそも、「つかまえた!」ではダメなのだろうか。

 さらにもう一つ、"it" が訳されていないのも面白い。英語でこの "it" を省略することは不可能だが、日本語にはいらないのだ。あるとむしろ不自然になる。

 「英語は主語を省略できない」という言い方をされることも多いが、この例からもわかるように、主語が省略されることは稀ではない。むしろ、他動詞の目的語の方が省略されにくい(というか、省略される例が少なくともすぐには思い浮かばない)。
 日本語だと、他動詞の目的語はほぼ自由に省略できるのに。

 ・・・"Got it !"(「ゲットしたわよ」)だけで、すぐにこれくらいのことがずらずら出てくる。

 言語や文化の翻訳が困難なことに、あらためて思いを致さざるをえない。

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2016.07.13

●「想定外」その3 ──「天皇陛下、生前退位の意向」

 まさか「その3」を書こうとは思っていなかった。

 家族で外食していたとき、何か調べようと思って iPhone を見ると、前に開いていたニュースアプリの画面が見えて、「天皇陛下、生前退位の意向を示す」とあった。

 ええっ、まさか・・・と思ったが、NHKと共同通信が出したニュースをハフィントンポストが報じているもので、情報源は確かだ。

 びっくりするとともに、「そんなことが可能なのか」という思いがすぐによぎった。

 ハフィントンポストの記事はほんの数行で、「NHKによると、江戸時代後期の光格天皇を最後に約200年間、譲位は行われておらず、実現すれば憲政史上初めてのことになる」で終わっており、現行の皇室典範でそれが可能かどうかにはひと言も触れていない。

 あわてて(何の関係もない一国民が慌てる必要なんてもちろんないんだけれど、心情としてはまさにそんな感じだった)皇室典範を調べてみた(便利な時代だ)。

 それでわかったのは、やはりというか、皇室典範は生前退位や譲位などを想定していないということだ。
 「天皇が崩じたとき」以外に皇位継承は予定されていない。

 まあ、憲法九条の下で新しい安全保障法制なんかを作ってしまうような政府だし、テキトーに解釈を変更してできることにするのかなあとまず思った。

 が、引き続き皇室典範を読んでいると、ものすごいことに気づいてしまった。

 仮に、天皇が譲位すると、天皇は皇族ですらなくなるのだ! 条文を素直に読む限り。

 皇室典範の第五条で、「皇族」は、「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王」のみになっている。
 これでは、どう解釈しても、退位した天皇は皇族にはなれない。そしてもちろん、もはや天皇ではない。

 だとすると、「ただのおじいさん(元天皇)」とせざるを得なくなる。

 皇室典範を隅から隅まで検索しても、「太上天皇」や「上皇」や(衆議院・参議院以外の)「院」などという語は見つからない。
 もともと、生前譲位を想定していないのだから当然のことだ。

 となると、条文の趣旨や天皇の意向にはそぐわないけれど、やはり摂政を置くことになるのだろうか。

 そうではなく、本当に生前譲位を可能にするためには、皇室典範の改正しかないだろう。まあ、今上天皇の意向とあらば、そのくらいは大したことではないのかもしれないけれど。

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2016.07.10

●「想定外」その2

 午後から投票を済ませて六甲山へ。

 理論上は毎月8回以上の休みがあるはずの家人と一緒に遊びに行くのは、今年度に入ってからたぶん2回目だと思う。
 しかも今回は、昼食後に思いついた、ついで程度。

 でもまあ、ともかくも34℃の下界から24℃の山上へ。

 ただ、湿度が高く、双眼鏡を覗くと眼鏡が曇ってしまうようなコンディション。景色も白く霞んでいる。

 ウグイスとホトトギスがやかましいくらいに鳴いている中にホオジロの囀りが混じる。

 家人がまだ見たことのないソウシチョウも、声量豊かに鳴いている。
 エナガコガラの姿。それに、おそらくのサメビタキ。

 と、目の前を左から右に、オレンジ色の鳥が横切り、右前方の枝に止まる。大きさはハトを一回りスリムにした感じ。

 えっ !?

 こんな鳥、見たことない。そもそも日本にいる鳥か ?? すわっ、新種 !? そんなアホな・・・

 双眼鏡の視野に入れた数秒後、ホトトギスであることがわかった。「赤色型」という奴だ。

 望遠のカメラを持ってきていない。

 家を出る前、どうしようかなあ・・・と考えながら、いったんはレンズをつかんで持ち上げたのである。
 でも、だいたいは役立たずだし、別に今日の目的は鳥見じゃないし、家人も「荷物になるよ」というので置いてきたのだ。

 こんな時に、初めて見る赤色型のホトトギス!・・・

 そんなものが見られるなんて、想定していなかった ^^;

 Opportunities are only for the people who are prepared...
 チャンスというものは、きちんと準備している者にしか訪れない...

 まあ、見られただけでもラッキーなんだけど。

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2016.07.08

●「想定外」

 嫌いな言葉がある。

 「想定外」というのもその一つだ。

 いつのころからか、政府や自治体、企業などの言い訳として頻用されるようになった。

 もちろん、「想定はしていましたが予算の関係で対策できませんでした」と正直に言えない場合などもあるだろうから、そういうケースには同情の余地もある。
 だが、だれが考えても当然想定しておくべきだろうし、対策や予防にだってコストもかからない、という時にだって使われている。

 このブログでも、当然想定しておくべきことをしていなかったという人たちに苦言を呈したのは1度や2度ではない。

 今思い出した中でも傑作なのは、最上川の鉄橋上で突風により列車が脱線転覆した際(2005年12月)に、JR東日本の安全運行部長!が発言した「風は一定に吹くというのがわれわれの常識」だというものだ。
 「最大瞬間風速」とか「突風」とか、「つむじ風」や「竜巻」などという言葉を聞いたこともないのだろうか。

 信じられないくらいに愚かなのか、それとも嘘つきなのか。
 ___

 先日、鳥見仲間と金剛山に行った。大阪府の最高地点(といっても1053m)がある山だ。

 天気の心配をしていたのだが、前日までの悪天候がウソのような好天。雨男を自認する先達と一緒なのに、幸運なことだと喜んでいた。

 道中、パラグライダーの経験者で、風に敏感なもう一人の連れが、「今日は風が強いですね」という。言われるまで、私はぜんぜん気づいていなかった。
 なるほど、周囲を見回すと、エアコンの効いた車の中からでも、かなり強い風が吹いているのがわかる。
 しかも、それこそ「一定に吹」いていないような風だ。

 かつての飛行機仲間以外で空を飛ぶ話ができる知り合いは初めてなので、強風時の飛行の話題などを楽しく語り合いながら、順調に車を走らせていた。

 それにしてもいい天気だ・・・

 ところが、いよいよ金剛山にかかるころ、「強風のためロープウェイ運休中」という看板が目についた。

 まさに「想定外」である。

 ロープウェイが運休している可能性なんて、ちらっとも考えていなかった。「風が強いですね」という会話をした後でさえ。

 実際、日本各地はもちろん、ヨーロッパやシンガポールや韓国なんかで何度かロープウェイに乗ったことがあるが、「強風で運休」などということは一度もなかった。
 個人の経験としては。

 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という。

 いや、別に歴史なんて持ち出さなくても、風が強ければロープウェイが止まる可能性があることくらい、子どもでも想像できる。

 ああ、またしても、自身の想像力のなさを思い知らされた。
 まあ、危機管理とかそういう話じゃないので、別に深く考えたわけでもないし・・・と自分に言い訳をする。

 結局、その日ロープウェイは一日中運休し、自力で山上まで往復する羽目になった。

 途中で引き返すことになるかなあ・・・とも考えていたのだが、意外にも当初の目的地をきちんと回ることができ、鳥やその他の動植物を楽しむこともできた。

 ロープウェイに乗れなかったお蔭で出会えた鳥もいた。

 それはともかく・・・

 私は信じられないくらいに愚かだ。たぶん嘘つきではないけれど。

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2016.06.29

◆セラミックのボカリナ

 以前にも書いたが、音楽にはほとんど縁がない。

 No Music, No Life. みたいな人も多い中、私は聞く方すら趣味とも言えないレベルだし、演奏の方はまったくダメである。

 小学生の時にはなぜか(ほんとになぜなんだかわからない)「器楽部」というのに所属していて、音階を奏でる楽器がぜんぜんできないものだから、ティンパニーを叩いたりシンバルを鳴らしたりしていた。
 それくらいなら私にも何とかなったのである(ティンパニー奏者・シンバル奏者の皆さま、申し訳ありません)。

 中学校3年の時だったと思うが、友人の影響でフォークギターなんかも買った。
 Fコードはたぶん何とかクリアした程度だったが、友人の一人が、当時の私から見ると天才とか名人とか呼ぶしかないようなクラシックギター奏者であり、また別の一人は、プロみたいにフォークソングを弾き、歌っていて、私自身は早々に挫折した。

 ろくに練習もせずに、彼我の違いを思い知らされた気になっていたのだ。
 まあだいたい、私は何をやっても続かない。
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 その時代からはるかに飛ぶが、今、リビングの隅にはただの一度も!人の手によってまともな音楽を奏でたことのない電子ピアノが鎮座して20年近くなる。
 息子が興味を示すかと思ったのだが、家族のだれも習いすらしないまま、ほとんどそこにあるだけのオブジェと化している。

 そんな私がかろうじて人並みに鳴らすことができるかもしれないのがリコーダーだ。

 小中学校の音楽の時間に否応なく吹かされたせいもあるだろうが、リコーダーなら、楽譜なんか見なくても、知っている曲はだいたい吹ける。
 それがふつうだと思っていたのだが、できない人も多いみたいなので、ひょっとしたらちょっと才能があるのかもしれない(笑)

 だが、いい年をした男が、リコーダーでは格好がつかない。

 いや、人前で演奏することなんかないのだから、もちろん格好なんかつかなくていいのだが、なぜかそういうふうに考えてしまうのである。
 たぶん、ギターのうまかった友人たちが女の子にもてているような気がして羨ましかったのがトラウマになっているのだろう。
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 バーディングの先輩に音楽好きな方々がいて、そのうちのお一人がオカリナの先生なんかをやっていらっしゃる。
 数年前、そのご縁で、オカリナを購入して吹いたりしてみた。オカリナなら、ちょっと格好がつくんじゃないかと思ったのである ^^;

 しかも、リコーダーに近いので、特に練習というほどのことはしなくても、知っている曲ならそれなりに吹けてしまう。
 もちろん、ひと様に聞かせられるようなレベルではないのだが、向上心というものを持ち合わせていないものだから、なんだかすぐに飽きてしまった。
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 ___

 今度もそうなると思う。でも、今度はちょっと違うような気もする。

 同じ先輩から、鼻笛(ノーズフルート)というものも教えていただいた。鼻から出した空気を口で共鳴させて演奏する、口笛が大きな音で出るような楽器だ。
 音階も、口笛と同じように、口の大きさや形、舌の位置なんかで作る。

 オカリナと前後して、まず木でできたのを買い、次いでプラスティックのを(当時は日本で手に入らなかったので)アメリカの eBay で購入した。

 木製のは、まろやかな低音が出たりして音色は好みなのだが、たぶん構造上の欠点があって、息の利用効率が悪く、息継ぎが大変すぎた。
 それで次に、プラスティックの(「ボカリナ」という登録商標で呼ばれている)を買ったのだが、こちらは音が気に入らなかった。

 というわけで、いつものようにお蔵入りになって数年経つ。

 そんな中、懲りもせずにまた音楽の虫が騒ぎ出し、今度はセラミックのボカリナ(第2世代)を購入した。

 今日来たばかりなのだが、こいつは木製やプラスティック製の欠点を克服したような製品で、息も苦しくならないし、音色も悪くない。

 知っている曲ならすぐに演奏できるのは口笛と同じで、リコーダーやオカリナよりもはるかに楽である。

 もちろん、上手に吹けるわけではないが、これならちょっと練習しようかという気も湧いてくる。

 さて、また同じ轍を踏んですぐにタンスの肥やしとなるか、それとも少しは上達するのか。

 いずれにしても、「鼻笛」では「格好がつかない」んだけれど・・・

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2016.06.22

◆最後のフィルム

 なぜかというか、なんとなくというか、長い間机の引き出しの中で眠っていた撮影済みのフィルムがあったのだが、それを現像に出した。今日出したこと自体も、なぜかというか、なんとなくというか・・・

 フジカラーの36枚撮り。

 10年前が2006年だから、ちょうどそれくらいに撮影したものだと思う。

 長期間放置していたのだが、ダメージは受けていないだろうか。
 戻ってきたら、何枚かをここで公表することにしよう。

 何が飛び出すか、ちょっとタイムカプセル的な楽しみがある。

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2016.06.21

◆向かいは何をする人ぞ

 先日、向かいのお宅の車のスモールライトがついたままになっているのに気づいたので、お知らせすることにした。

 とはいえ、もう着替えて(というより脱いで)しまっていたので、改めて服を着直して出るのも億劫になり、電話番号がわからないものかと、ネットで調べてみた。
 すると、フルネームと住所付きですぐにばっちり見つかったので、「向かいの車のライトがついたままになってるから、電話するわ」と家人に言うと、ご近所なのにそんなことで電話するのはヘンだと言われ、結局、家人が伝えに行った。

 翌日、私も、恐縮するくらい感謝された。
 ___

 今の家に越してきてからもう20年近くになる。にもかかわらず、近所の方々のことなど、ほとんど何も知らない。

 両隣とは、もらい物のおすそ分けなどを人なみにはしているが、たとえば職業も知らないし、下の名前すらわからない。

 向かいのご夫婦とは頻繁に挨拶を交わすものの、それ以上の会話や交際はない。

 今回の件で驚いたのは、お向かいに関しては名字すら間違って認識していたことだ。
 表札の漢字を勝手に読んで、「○△□さんのとこに、またジョウビタキが来てるわ」などと夫婦で会話していたのだが、その読み方は間違っていて、実は○△◇▽さんだったのである。

 家人など、向かいのお葬式にまで出席しているのに、名字も把握していなかったことになる。もっとも、亡くなったのは奥さんのお母さんで、その名字はきちんとわかってはいたのだが。

 お向かいの電話番号も、初めて知った。両隣の電話番号はまだ知らない。

 そして、もう一つの驚きは、向かいのご主人が全国紙の編集委員や系列誌の編集長などをなさっていたことである。
 うちが越してきたのは、新聞社を退職され、大学教授なんかをなさっていたころらしい。

 今は悠々自適のようだが、特に気にもとめていなかった「向かいのご主人」が、そんな経歴の持ち主だとは考えもしなかった。

 隣のご主人は、いったい何をしている人なのだろう?
(奥さんの方は基本的に主婦だということがわかっている。)

 このネット時代、案外、調べてみれば簡単にわかるかもしれない。
 CIAのスパイだったりして。あ、だとすると、それはさすがにわからないか・・・

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2016.06.16

◆魔の第3水曜日

 昨日の水曜日。

 さてお昼に何を食べようとなって、つらつら考えた末、思い切って行ったことのないイタリアンを選んだ。

 ランチの値段を見ると、ふつうは行かないような店なのだが、火曜日は うどん ですませたし、まあちょっと思い切ってという感じだった。

 駐車場が少ないのが気になっていたが、少し遅めの時間だし、空いている可能性もあるだろう、もしダメだったらそのまま通り過ぎてコンビニおにぎりでもいいや、どうせ移動の途中だし・・・とか考えながら向かう。

 一度前を通り過ぎてしまって少し先でUターン。店の前の駐車場は空いていた。

 ラッキーと思ったのも束の間、どうも様子がおかしい。営業していないようなのだ。まだ13時30分にもなっていないのに。

 さっき調べて休みは火曜日だと思い込んでいたのだが、後できちんと調べると、水曜日も第3だけは休みなのだった・・・

 第3水曜日。

 そういえば、この同じパターンで「なんで今日だけ休みやねん、せっかく来たのに」ということがこれまでに2〜3度あった。

 未だに学習していない。お昼は結局コンビニおにぎりになった。

 同じ失敗を繰り返さないために「魔の第3水曜日」を胸に刻むべくこれを記す。

 どうでもいい話ですみません。

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2016.06.11

◆ちょっと見直した Windows

 巷では、Windows が勝手に 10 に更新したがっていて、「それを避ける方法がわからない」「気がつけば 10 になってしまっている」「お蔭で不具合が出た・・・」と不評のようだ。

 個人的に一番ウケたのは、10 への更新を「今すぐ」と「今夜」のどちらか選べというダイアログが出てくるという話。
 「いや、そもそも 10 にしたくないんだよ!」という怨嗟の声がネットに溢れている。
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 私がパソコンを使い始めたのは、NEC の N88-Basic の時代である。その後 MS-DOS になり、ちょうど Windows 95 が出るころに、仕事の関係で Mac を使わざるをえなくなった。

 以来今まで、メインマシンは常に Mac になっている。

 その仕事による年収のおそらく半分以上は自腹で買った Mac 代に消えたが、素晴らしいきっかけを与えていただいたと今でも感謝している。

 もしあの仕事を紹介していただかなければ、これまでずっと、Windows 95, 98, 2000, XP, Vista, 7, 8 と悪夢に悩まされ続けてきたかもしれないことを思うと、ちょうど Windows が普及し始めたタイミングで MS-DOS から Mac に移行したのは、紛れもない僥倖だった。

 いや、食わず嫌いではない。上に挙げた Windows OS を私はすべて経験している。Windows でしかできないこともいくつかあるので、7までは Windows マシンもそれほど途切れることなく使ってきた。
 その上で、Mac だっていろいろアレだったけれど、Windows にはいくら何でもアレなことが多すぎると思うのである。

 まあ、Mac 使いが Windows の悪口を言うと嫌われるので、これくらいにしておこう。
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 父親がパソコンを新しくしたいというので、仕方なく Windows 10 のパソコンを購入した。

 今日まで使っていたのは XP で、私から見れば父親の用途くらいならまだ十分に使えると思うのだが、まあ確かにもう10年以上前の機械だし、「XPはもうサポートしてないからね、何があっても知らんからね」みたいなポップアップが気になって仕方がないというので、適当なのを見繕った。

 これを機会に Mac を・・・と思わないでもなかったが、80代の老人にまったく別のパソコンをあてがっても混乱するだけだろうという気もしたし、Windows 10 のノートパソコンなら、そこそこ使えそうなのがたった4万円!で買えるので、結局それにすることにした。

 それで、セットアップなどのために Windows 10 と付き合うことになったのだが、それなりによくできていて感心した。
 「なんかまた、いろいろ面倒なことが起こるんだろうなあ」という予感はみごとに外れ、まったくといっていいほど何ごとも起こらず、拍子抜けするくらいであった。

 驚いたのは、10年もののプリンタを繫いだのに、ドライバのインストールすら必要なく、すぐに正しく認識されて印刷できたこと。
 無線LANはパスワードを入れるだけ、有線LANもケーブルを繫ぐだけ。

 「ああ、これこそがキカイのあるべき姿だよなあ」と、この30年以上の来し方を振り返ってちょっとセンチメンタルになってしまう。

 他社のアプリケーションを入れると台なしになるけれど、デスクトップや画面のデザインもかなり洗練されている。
 設定画面もわかりやすくすっきりとしていて、ユーザフレンドリーに見える。

 「え、まさかいまだに !?」のギザギザ文字も解消し、見やすいフォントになっている。

 まあ、一皮むくと、Windows 95 から変わっていないようなデザインで訳のわからない設定項目がずらりと並ぶのは相変わらずなのだが、たぶん、ライトユーザが使う分には、あれに付き合う必要はほとんどないのだろう。

 (それにしても、そこそこパソコンやネットに詳しいつもりの私が見ても何のことかわからないような設定項目が死ぬほどてんこ盛りなのは、いったい何のためなんだろう?)
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 いやー、しかし、この素晴らしいパソコンが4万円・・・

 だからいつまでも不況が続くのかとは思うものの、とうとうここまで来たかと感慨深い。

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2016.06.09

◆フィービ・スネツィンジャー生誕85周年

 バーダー(鳥を見るのを趣味とする人)が少し本気になると、自分がそれまでに見た鳥の種類を数え始める。その種名のリストを Life List と言う。

 私なんかはぜんぜん本気ではないのだが、データを整理するのは趣味みたいなものなので、一応数えている。

 ざっと200種。

 外国で見た鳥を入れるともう少し多くなるが、おそらく250には達しない。

 珍鳥を求めて遠征するなど、ある程度本気にならなければ、死ぬまでに300を超えることすらたぶん難しいだろう。
 ___

 今日の Google のロゴがフィービ・スネツィンジャー(Phoebe Snetsinger)の生誕85周年を記念したものになっていてびっくりした。

 1981年、50歳くらいの時に、悪性腫瘍で余命1年の宣告を受け、療養する代わりにアラスカに旅行して鳥見なんかをしていたら、帰ってきたときには寛解(≒治癒)していたというエピソードの持ち主だ。

 よくは知らないのだが、そのころまではまだ、バーディング(≒バードウォッチング)に関して、大したことはなかったらしい。まあ、私とは比べものにならないだろうけれど。

 ところが、それから彼女の Birding on Borrowed Time(『おまけの人生のバーディング』=著書の題名)が始まった。

 1995年には世界で初めて!8000種を超える鳥を観察した人物となり、1999年、マダガスカルを旅行中に交通事故で死ぬまでに8400種ほどの鳥を見たという。

 手元の図鑑によると、世界の鳥の種数は1万弱なので、そのほとんどを見たことになろう。

 50歳から68歳で死ぬまでのたった20年足らずでそれが可能だというのなら、私にだって絶対に無理ということはないかもしれない。

 まあ、比較するつもりもないし、実際は絶対に無理なんだけど。

 ともあれ、Google のロゴにこんな人物が取り上げられたのはめでたい。今日は世界中?の人が、鳥を見るということについて少しは関心を持ったのではないだろうか。

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2016.06.08

◆画竜点睛を欠く

 ・・・というほどのモンダイではないんだけれど。
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 いつも買い物に行くスーパーというのが決まっていない。
 いくつか理由はあるのだが、そのうちの一つは、うちが定期的に購入する商品を揃えているスーパーがないことである。

 ワイン(料理用です)や七味や山椒や中華調味料、それにコーヒー豆や冷凍うどんやパスタなど、いつも買っているのがあるのだが、それが一箇所では揃わないのだ。

 他の理由もあるからまあいいんだけれど、たとえば「山椒がなくなったからあのスーパーに行かなければ・・・」というのは、ちょっと情けない。

 そんな中、最近、比較的近所に新しいスーパーができた。

 先日偵察してきたところ、いつも買うものがだいたい揃っている感じで、ちょっと嬉しかった。

 今日は初めてきちんとした?買い物に行った。
 「香辛料の棚が少し寂しいのを除けばここでほとんど事足りるなあ」と思っていると、近くに別の島陳列があって、そこには近所のすべてのスーパーを凌駕する香辛料が揃えられていた。

 「おお、これでうちがふだん買うものはみんな揃うじゃないか」と喜んでいたところ、買い物の最後になって、いつもの冷凍うどんがないことがわかった。これはかなり重要な欠点だ。

 がっかり。

 でもまあ、このスーパーの前に開店した別のスーパーも、最初は置いていなかったその うどん を最近は置くようになっている。
 しばらく待っても置いてくれる気配がなかったら、要望でも出してみようかと思う。

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2016.06.06

◆ちょっと、これはあかん・・・

 いわゆる五十肩で苦しんでいる。

 5年前に左をやり、今度は右。天災?はやはり、忘れたころにやってくる。

 前回は、初めてということもあり、最初は何が起こっているのかわからず、いっこうに軽快しないでむしろ悪くなる感じだったので、整形外科で診察を受け、その後マッサージに通ったりした。

 その後もよくなる気配が見えず、年配の方とそういう話ができそうな雰囲気になると、片っ端から経験を聞いてみた(とはいっても、私の狭い交友範囲のこと、二桁には達していないかもしれない)。

 その結果、以下の2つのことがわかった。

1.ほとんどの年配者が五十肩(四十肩)を経験している。
2.何をしても治らないが、1年ほど経てば自然に治る。

 なんということだ。それほどありふれた病気で、かなり辛いにもかかわらず、明確な治療法が存在しないのである。

 実際、服の脱ぎ着も困難な月日を1年あまり経ると、いつの間にか治っていた。
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 今回も、日常のありふれた動作ができず、できるつもりで何の気なしに腕を動かすと、叫びたくなるほどの激痛が走ったりするので、当初は難儀した。
 でもまあ、二度目でもあり、どうすればできるだけ痛みやだるさを抑えられるかは早々に体得し、こんな調子でだましだまししんどい1年を過ごすしかないかと諦観していた。

 ぎっくり腰や五十肩など、この手の疾患の治療に西洋医学は無力だ。

 また、私は基本的に、鍼灸・指圧・マッサージ等をそれほど信用していない。それに、少なくとも五十肩(四十肩)には効かないことは多くの先達が証言している。
 いや、効くこともあるのかもしれないが、きちんとした技術を持った人に当たることは稀であろうし、効果があるかないかわからないものに短くない時間と安くないお金を割くことにはかなりの抵抗がある。

 「気持ちいい」という人がいるが、これまで何度かカイロプラクティックやマッサージや指圧などをしてもらった中で、そんな経験は一度もない。

 ところが・・・

 いろんな偶然やきっかけが重なり、今回は、以前から気になっていた整体治療院に通ってみることにした。最後は、Webで見た院長(といっても一人でやっている)の変わった経歴と信頼できそうな顔が背中を押した。

 初回の施術を終え(初診料含め1万円!)、やはり気持ちいいとかいうことはなかったが、いろいろ話をしながら1時間半近く全身を丁寧に診てもらった結果、少し続けてみようと思った。
 その後、右肩に劇的な変化はないものの、自律神経系を含めた体の状態も少しよくなった気もした。自己暗示のようなものも手伝っているのかもしれない。

 だが、問題は2回目の施術後にやってきた。

 右肩は確かに少しよくなったような気がするものの、首が痛くてどうしようもない。じっと座って動かさなければいいのだが、そこから立ち上がるだけで痛みが走り、ほとんど体を動かせない。

 ちょっとこれは、いくら何でも、もうあかん・・・という感じの状態である。

 次の予約は一週間後なのだが、施術のせいでこうなった首の痛みを今すぐにでもなんとかしてくれと再訪すると、どうなるのだろう。

 いや、これは困った・・・と思いながら、まあ週末でもあることだし、一日二日様子を見ようと思って、この週末はまったく無為に(それだけだといつもとあまり変わらないんだけれど、苦しみながら無為に)過ごしてしまった。
 幸い、日曜の夜には座ったり立ったりするのにそれほど支障がないくらいには痛みも治まってきたので、次回の通院まで待つことにした。

 でも、今度行ったときになんて言おう? 珍しくこういうものを信用して通おうと決めた途端にこんな目に遭うなんて・・・

 これは、「もうやめなさい」という啓示なのだろうか、それとも、何か他に意味があるのだろうか。

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2016.06.05

◆敵の敵は味方?

 「イスラム国」が自らの首都としているシリア北部のラッカに、アサド政権軍が南西部から進軍しているという。

 アサド氏がどういう人物であれ、アサド政権がどういう政権であれ、そしてまた、そこで戦闘が起こって死傷者が出ることを想像してすら、これがいいニュースに聞こえてしまう。

 だが、クルド人などで構成するシリア民主軍が既に北方からラッカに向けて進撃しており、今回の進軍はクルド人中心の組織がラッカを制圧してしまうことを避けるためであろう、というのを聞くと、もはややるせなさしか感じられない。

 「イスラム国」を撃破するまでは「敵の敵は味方」なのだろうが、共通の敵がいなくなってしまえば、また敵同士に逆戻りするしかないのか。

We must change our mind-set about war itself.
And perhaps, above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.
(Barack Obama)

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2016.05.23

■歳月

 前回ここに書いてから、はや2週間近く。

 そのことにも驚くが、歳月の主観的短さと客観的長さに気づかされた、別の出来事について。
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 自宅の風呂場には水栓が2つある。洗い場用とバスタブ用だ。前者にはシャワーもついている。

 いずれも混合水栓になっていて、洗い場用は指定した温度のお湯が出るようになっている。

 その2つの水栓の双方から水漏れしていた。

 カランを閉めておけば漏れないので、どうせ風呂場のこと、使用中に漏れても別に大したことはないと、数週間放置していた。

 でもまあ、なんとなく潮時かなと思って、いつものように、バラしてパッキンを替えることにした。

 バスタブの方は、古いパッキンを外すのにちょっと難儀したものの、あり合わせのOリングがちょうどぴったりとはまって、水漏れは簡単に止まった。
 こんなことでも、水道屋さんを呼ぶとたぶん5千円くらいはかかる。いったい、どれくらいの割合の人が頼んでいるのか知りたくなった。

 問題は洗い場用の方だ。「サーモスタット式シャワー混合水栓」とかいうらしい。メーカーなどによって呼び方が違う。

 ロックナットを緩めて吐水口を取り外すと、あるはずのパッキンが見当たらず、黒いカスのようなものが付着していて、その辺に飛び散った。
 まさかとは思ったが、パッキンのゴムが経年劣化で分解してしまっているのかもしれない。

 いい機会だからと、金属磨きで綺麗にしたところ、使用時に目に入る部分は新品のようになった(が、結局は無駄な労力だった)。

 さて、構造自体は単純なので、パッキンがあったはずの場所にOリングをはめて取り付け直す。だが、漏れは改善すらしない。

 理屈からいって、Oリングをはめれば少なくとも漏れは少なくなるはずである。それが、まったく変わったように見えない。

 不思議に思って調べると、自在パイプなので特殊なパッキンが使われているようであった。
 確かに、ふつうのOリングを使うと、吐水口の動きが渋くなる。だが、それはとりもなおさず、隙間がなくなっているということではないのか・・・

 まあ、諦めて本来の「自在パイプ取付パッキン」を購入しようと、再度吐水口を取り外して問題の箇所を子細に見ると、なんと!パイプのくびれた部分が経年劣化して穴が空いているのであった・・・
Img_2851_32_2

 こんなことは初めてだ。

 最初は何か汚れでもついているのではないかと思ったが、部屋を暗くして水の代わりにLEDライトの光を入れると、そこから漏れてくるので間違いない。
Img_2853_32_2

 これはもう、水栓全体を取り替えるしかないかなあ・・・ めんどくさいなあ、お金もかかるなあ・・・ と思いながら調べてみると、吐水口だけを2千円ほどで購入できることがわかった。

 残りの部分だってもうずいぶん長い間使っているんだけれど、今のところ不都合はない。倹約家のわが家のこと、少し思案して、やっぱり2千円ですませることにした。

 それにしても・・・

 この家に越してきてからの短い歳月は、金属パイプに自然に穴を穿つほどの長さなのだ。

 なんかまだ、ちょっと新築みたいな気分でいるのに。

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2016.05.11

■『野に咲く花(山渓ハンディ図鑑)』(物書堂)

 パソコンに入っている、コトバの辞書類の古さが気になってきたので、新しい版のものなんかを入れたいと思ってネットでいろいろ調べていた。

 ところが、いつの間にか時代が変わって、もうパソコンにローカルで辞書を持つというのは流行らなくなっているようで、ほとんど該当する製品がない。EPwing 規格の辞書なんかもなくなってしまったようだ。

 代わって、「会員になればWebで見られる」というのと、iOS 用のものとが目立つ。

 うーん、そうじゃなくてパソコン内に全データを持った辞書を使いたいんだけどなあ・・・と思いながら、気紛れに物書堂のウェブサイトを見てみた。

 やっぱりというか、前からそうだったのだが、パソコン用の辞書は売っていない。

 だが、この際ついでにと、ひととおり何が売っているかをブラウズしていると、なんと!!『野に咲く花(山渓ハンディ図鑑)』が発売記念セールで、3000円のところ、今だけ2000円で売っているのを知り、よく考えもせずにすぐ買ってしまった。

 やっぱり iOS でしか使えないんだけど。

 同じ会社が出している『日本の野鳥(山溪ハンディ図鑑)』の素晴らしさは以前書いたとおりだ。

 アプリに使うお金なんか100円でも惜しいというケチの私が購入して、まったく後悔していない。

 この機会に皆さまもぜひどうぞ。

 『野に咲く花(山渓ハンディ図鑑)』が
 通常3000円のところ2000円

 『日本の野鳥(山溪ハンディ図鑑)』は
 通常3500円のところ2500円

です(ともに2016年5月26日(木)まで)。

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2016.05.09

■渋滞嫌い

 渋滞が嫌いだ。

 「好きな人なんていない」とあなたは言うかもしれない。
 しかし、ふつうの人とは嫌いのレベルが違うと思う。行列なんかも大嫌いで、かなり徹底して避けている。結局は並んだほうがよかったんじゃないかというようなことがあっても、並ばなかったことに後悔はない。時間を無駄にすることよりも、並ぶこと自体が嫌いなのだ。

 5年前に初めて東北に出かけるまで、ゴールデンウィークに遠出した記憶はない。どこへ行っても混んでいるのが必定の時期に出かけるなんて、ありえないと思っていた。

 だが、その後、去年も今年も東北へ行った。大きな理由の一つは渋滞に遭わないことだ。
 今回も、まったく遭遇しなかった。

 もっとも混んでいたところでも、車の行列が進まないなどということはぜんぜんなく、天下御免の観光地(例えば八幡平)の駐車場などでも、寂しくない程度のにぎわいにとどまっていた。
 無料のキャンプ場など、「テントを張るところがなかったらどうしよう」と思っていたのに、むしろがらがらで、2箇所目などは私を含めて2人しかおらず、ゼロでもおかしくなかったくらいだった。

 これが信州だと、たぶんぜんぜん違う。何しろ、関東圏と中京圏の双方からの便が非常にいいのだ。

 東北はやはり、21世紀になっても「道の奥」である。それがしかし、おそらくは未来の展望を描きにくいことに結びついているのは、やるせない。

 まあ、日本全体としてもそうなのかもしれないけれど、少なくとも他の地方は、近年、あれほど広域にわたる大災害を経験していない。

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2016.05.08

■迷惑なキャンパーたち

 テントを張って寝るというのはたぶん30年ぶりくらいだと思うのだが、あんなに快適なものだとは思っていなかった。

 テントがよくなっていること、いい場所を見つけたこと、一人で寝たことなんかが作用しているのかもしれない。

 もっとも、昔のテント泊にも特に悪い思い出はない。
 でも、だったらなぜ、長い間テントを利用しなかったんだろうとも思う。

 今回の旅行で初めてテント泊をしたときには、予報に反してそれなりの雨になったけれど、雨音がする以外にはまったく不都合はなかった。

 「問題は撤収するときだよなあ・・・」と思っていたのだが、翌朝小やみになったときにテントを片付けようとすると、高級カルナバロウのワックスを掛けたばかりのクルマのように雨を弾いており、フライシートはさっと振って折りたたむくらいですんだ。そのフライシートに守られたテント本体もほとんど濡れていない。

 少しでも雨が降りそうな予報ならテントはやめようと思っていたのだが、設営と撤収の時にさえ降っていなければ、ほとんど問題がないことがわかったのは収穫だった。
 ___

 問題は・・・ 周囲のキャンパーたちである。

 1回目の時は、良識ある4人組(でもいびきがけっこうひどかった)と、非常識な数人(5人くらいか)の学生たちと一緒だった。

・広い湖畔に私を含めて3組しかいないのに、一番最後にやってきて私のテントからほんの2mほどのところでバーベキューを始める。
・バーベキューが始まるの自体も20時をかなり回ってからであった。
・とにかく大声でしゃべり、哄笑し、話の内容も下品だった。
・テントの中にいると、それがほとんど枕元で叫んでいるように聞こえた。

 キャンプ場には、「21時以降は静かにしましょう」という趣旨の看板があったのだが、まあ23時くらいまではバーベキューをやっていても我慢しようと思っていた。
 21時半ごろに雨が降り出し、バーベキューをやめてテントの方に行ってくれるかと期待したが、結局22時半ごろまで騒いでいた。
 やっと片付け始めたので、私もテントから出てトイレに行き、戻るときにやさしく「おやすみなさい」と学生たちに挨拶をした。向こうも当然、「おやすみなさい」と挨拶を返す。

 これで、それ以降は静かになってくれるものと期待した。

 ところが、向こうではテントに入ってからも馬鹿騒ぎと哄笑が続く。数メートルは離れていると思うのだが、すぐ隣のように聞こえる。それでも24時前くらいまでは我慢していたけれど、とうとう、「もう少し静かにしてくれませんか」と頼む羽目になった。
 「はあい、すみませーん」と言って一応静かにはなったのだが、相変わらずの会話が小声で続き、笑い声も響く。内容の半分以上は聞き取れる感じだ。中途半端に聞こえるものだからかえって気になる。

 4時になったら明るくなって、鳥の声で目を覚まさせられるというのに、ほんとに困った連中だった。


 2回目の時は、気のいいバイク乗りの青年が一人だけで、まっとうな人物に見えた。

 なるべく迷惑をかけまい(&かけられまい)と、後から着いた私が離れたところに適当なサイトを探していると、奥へ行くと熊が出る可能性もあるし、こちらの方が地面も乾いていて平らだからと、隣に来るよう誘われ、結局お言葉に甘えて2mほど離れてテントを張った。
 バイク乗り同士、それなりに会話もし、かといってたぶん、お互いに邪魔もせず、今度は雨も大丈夫そうだし、良かったなあと思いながら床に就いた。最初に書いたように、テント泊自体はすこぶる快適である。

 だが、このキャンプ場に着いた瞬間によぎった一抹の不安は的中した。私が到着したとき、一人で先に来ていた青年は、かなりの音量でラジオの音楽を聴いていたのである。
 私が来たことでボリュームを下げてくれたので、良識のある人だと思っていたし、実際、寝ようとするときまではそのラジオの音も気にならなかった。

 問題は、おやすみなさいと挨拶をして私が寝る態勢に入って以降も先方は起きていて、結局24時を過ぎてもラジオを消さなかったことである。
 それどころか、自分が寝る態勢に入っても、テントの中でラジオをかけたままにしている。

 音量は下げているものの、先方がテントにラジオを持ち込むまでは、内容が100%把握できる程度に音声が聞こえた。テントの中に入ってからも、半分くらいの内容は理解できた。
 そして、3時と4時の時報もはっきりと聞こえた。結局、一晩中鳴らし続けていたのだ(NHKの「ラジオ深夜便」だった)。

 この青年は私と違って、テントを持ってあちこち旅行しているベテランだということだから、本人が小さいと思っている音でも、他のテントまでよく聞こえることを知らないとは思えない。
 それに、どこに行ってもこうやってお気に入りのラジオで周囲に迷惑をかけているのだろうか。これまで注意されたことはなかったのか。
 私も結局何も言わなかったから、やっぱり誰からも言われたことがないのかなあ・・・

 このラジオの件以外は何の問題もない人だっただけに、とても残念だった。
 ___

 テント泊はすこぶる快適である。周囲に迷惑なキャンパーたちがいなければ。

 でもたぶん、どこへ行ってもいるんだろうなあ・・・ なんかそんな気がする。

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2016.05.05

■「遅々として」

 津波被害に遭った太平洋岸を北上するのはちょうど5年ぶりだ。5年前は震災の2か月後だった。

 5年後になって違うのは、通行止めが減った(それでも多い)ことと信号がすべて点灯していること、それに、瓦礫が片付いたこと(壊れた建築物や構造物は、かなりの数がそのまま放置されていたりする)。
 そして、多くの街に、上部を欠いた巨大ピラミッドのような盛り土の角錐台と、橋桁の載っていない新しい橋脚とが林立していること。

 「復興は遅々として進んでいない」という紋切り型の言葉すら、もはや当事者以外からは忘れ去られているのではないだろうか。私自身、再びここに来るまで、ほとんど意識にのぼっていなかった。

 しかしまさに、遅々として進んでいない。5年経っても、新しい建物はほとんど建っておらず、目につくのは、土木工事のための飯場と、仮設住宅ばかりだ。
 特に、陸前高田や女川など、街が壊滅してしまったところでは、巨大ピラミッドを並べて地面自体をつくる作業を進めている段階である。
 熊本地震からわずか2週間で高速道路も新幹線も復旧させてしまうこの国で、5年も経ってこの状態だというのは、ちょっと理解に苦しまざるをえない。

 まあ、「今後どうするか」を決めるために多くの時間が費やされたのだろうとは思う。結果として多くの自治体が「高台移転」に舵を切ったのが、正しいかどうかはわからない。海と陸とを分断する巨大な防潮堤の建設も。
 だが、方向性は決まったように見える。復興に向けて工事が進み始めていること自体はいいことなのだろう・・・
 ___

 今回訪れたのは、南から 富岡・大熊・双葉・浪江・南相馬・相馬・新地・山元・亘理・岩沼・名取・仙台・七ヶ浜・多賀城・塩竃・松島・東松島(奥松島)・石巻・女川・雄勝(石巻市)・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌・山田 そして宮古・・・ の各地である。名取市以北では、車窓からあるいは徒歩で実際の津波被害の現場と復興の様子を見た。
 宮古からは内陸に向かったが、太平洋岸の被災地はまだまだ続く。岩泉・田野畑・野田・久慈・八戸・・・
 そしてもちろん、ここにあげた市町村がすべてではない。

 これら「津々浦々」の多くが壊滅的な被害を受けた。
 先の大戦で焼け野原になってしまった都市の写真を見たことがあるが、たとえば5年前の陸前高田や奥松島の様子は、それをもしのぐかと思われるほどの壊滅ぶりだった。言葉で表現するのを諦めたほどに。
 絨毯爆撃とそれに続く火災といえども、大津波ほど徹底的にはすべてを飲み込んで破壊したりしない。

 その陸前高田にも、まだまったくといっていいほど恒久的な建築物はなく、あるのは例のピラミッドばかりである。小高い丘の上に仮移転している市庁舎はまるで飯場だ。有名な「奇跡の一本松」の近くには巨大なつり橋が架かっていて、「ああ、道ができるのか」と思っていると、住宅地を造成している山から土を運び出すためのベルトコンベア専用橋だった。「希望のかけ橋」と名づけられている。
 かつてペンションに宿泊したことのある奥松島はさらにひどい。瓦礫は片付いているものの、壊れた建物はおろか、土地そのものさえ忘れ去られたように放置されていて、工事すらほとんどなされていないように見えた。
 そんな中、そのペンションが営業再開している(らしい)のを後に知って仰天した。あの現場ではそんなこと、夢にも期待できそうになかったのだが、もしそれらしき建物を見つけていれば、一泊したのに、と思う。

 救いというものがあるならば、各地の港湾が整備されて漁業が復旧しているらしいことと、その日お昼を食べたカフェを経営する醤油メーカーや上記ペンションのように、それ以外の産業の中にも立ち直りの兆しが見え始めていることだろうか。
 ピラミッドのような盛り土はこれからどうなっていくのか見えにくいが、林立する橋脚の一部には橋桁も載り、さらに一部は供用開始されはじめている。

 だが、鉄道の方は、工事にすら取りかかっておらず、放置されたままのように見えるところが多かった。実際、宮城県登米市の柳津駅から岩手県宮古市までの間で、開通しているのは大船渡−釜石間だけであるらしい。
 「仮復旧」としてBRT(Bus Rapid Transit ≒ 旧鉄道敷「も」利用する高速輸送バス)を走らせているが、それが定着して、結局鉄路は再建しないのではないかという気がする。でもまあ、本数も鉄道時代より増えているようだし、それはそれでいいのかもしれない。鉄道復旧という建前はまだ捨てていないみたいだけれど。

 一番の問題は、はたして人が戻るのかということだろう。

 たとえば、壊滅した陸前高田が新しい街に生まれ変わったとき(いつのことだ?)、生活の基盤を外に移してしまった人々が容易に戻ってこられるとはとても思えない。そして、仮に戻ってこられたとしても、そこは住み慣れた故郷ではなく、見知らぬ新興住宅地のようなところなのだ。

 原発による被災地よりは希望があるものの、大津波による被災地も、別の意味でやはり「帰還困難」なのかと、胸ふたがる思いがした。

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2016.05.04

■リコールに応じるべきかなあ・・・

 iPhone 6 Plus で撮った写真をそのままアップロードしていましたが、明らかにどこにもピントが来ていない写真が複数ありました。
 お目汚し申し訳ありません。

 私のiPhoneは、「ごく一部の iPhone 6 Plus で、iSight カメラのコンポーネントの一部が故障し、撮影した写真がぼやけて見える場合があることが判明」(apple.com)した、リコール該当機種です。
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 何が「ごく一部」だよ、ほんとに。

 やっぱり交換してもらうべきかなあ・・・ めんどくさいけど。

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2016.05.03

■鳥海山と菜の花

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■残雪の岩手山

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