2017.09.21

■ iOS 11 に

 なんとなく手持ち無沙汰な時間があったので、 iPhone 7 Plus の iOS を 11 にアップデートした。

 いつもならこういうメジャーアップデートはしばらく待って、不具合対策に目途がついたあたりでやるのだが、まあ何かあってもいいやという感じ。

 ものの10分か15分ほどで完了し、特に不具合もなし。
(ただ、盛んに言われているように、32bit のアプリが使えなくなるのでご注意。iEijiro(抜群の語彙量を誇る英和和英辞典)が使えなくなったのは痛い。)

 今までほとんど使っていなかったコントロールセンターが便利で、これからは使いそうな気がする。

 これでますます、 iPhone 8 や X を買う理由はなくなった。

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2017.09.19

■ iPhone が気にならない9月

 iPhone が10周年だとかで、iPhone X(テン)が発売される。それとは別に、7の後継機の iPhone 8 も(どうして 7s じゃないんだろう)。

 iPhone X の方はけっこう力の入った新製品だが、ほとんど気にならない。

 思えば、実際に買う前から、毎年9月は iPhone が気になる季節だった。

 最初に買ったのは iPhone 5(2012)で、半年ほど後に息子も5を買い、その後も6、6s、7と買ってきた。個人的には、iPhone 5周年ということになる。
 私は 5→6→7
 息子は5→6s
 家人は6
 だ。5は2つとも下取りに出した。家人の6は私のお下がりである。

 今は3人で6と6sと7を使っていることになるのだが、どれも格安SIMを利用していて、三人合わせて月額5千円以下と、いわゆるキャリアの 1/3 以下の費用で使えている。6sと7は SIM フリーだ。

 8もXもいいのだが、細かいことを除けば、できることも画面もそれほど変わらない。Xのデザインと有機EL画面と顔認証は少しは気になるが、それに十数万円を出す気はしない。まったくの新製品だし、初期不良等も心配だ。
 「7を10万円で下取り」とか言うなら考えるが、ありえないだろうなあ。

 前にも書いたが、7を使い始めてまだ1年経たないというのがちょっと信じられない。もうずいぶん長い間使っているような気がする。

 こんな調子でさらに1年使い続け、改良されて安定したXの新しいのが出たら・・・

 その時はまたそれが欲しくなったりするのだろうか。

 新製品が気にならないよりは、欲しくてわくわくする方が幸せなんだけれど。

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2017.09.17

■解散総選挙??

 twitter には書いたのだが、腹の虫が治まらない。

 「これまでにない深刻かつ重大な脅威」のあとの「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」(いずれも安倍首相)の最中に解散総選挙を行おうとしているとしたら、論理的に考えて、その「脅威」がウソなのか、脅威にさらされている日本よりも自分の都合が大事なのか、のどちらかしかない。

 おそらくは、自分に都合よく使える範囲においての「脅威」であり「日本」なのだろう。

 先月!改造してできた、自称「仕事人内閣」はどんな仕事をしたのか。

 解散総選挙が行われるとしたら、こういう輩を排除する絶好の機会でもあるのだが、選択肢がほとんどないのが残念だ。

 それでも、投票には行かなければならない。
 無関心や棄権は、「自分に都合がよければ脅威も日本もどうでもいい」ような連中を利することにしかならない。

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2017.09.14

■目に余る誤訳

 書き出すとキリがないし面倒くさいと思って今までほとんど書いたことがなかったのだが、直前のエントリに触発されて、つい先日「これはいくら何でも」が2つ続いたことを書く。
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 映画の吹き替えや字幕、特に字幕には制約が多く、元の台詞の1/3も訳せていないみたいなのがよくある。他にも、大胆な意訳や「超訳」もしばしば見受けられる。というより、省略と超訳が基本線みたいなところがあって、それは確かに仕方ない面もあると思う。
 ただ、その制約の中でも「もっとこう訳した方が」というのが非常に多い気はするのだが、それはこの際 問うまい。

 問題は、明らかな誤訳である。

 先日、「ER 緊急救命室」を見ていると、ヘリコプターのパイロットが "I'm gonna shut down for autorotation." と叫ぶ台詞があった。エンジンに異常が生じたので、安全に降下すべく、「オートローテーションを行うために(for autorotation)エンジンを止める(shut down)」、という意味である。

 オートローテーションというのは、ヘリコプターのエンジンを切って動力のない状態にし、自重で地面に近づいていく過程で、ヘリのローター(羽根)が風を受けて自然に回ることを利用して、その抵抗を使って安全に不時着する技術である。

 知り合いによると、大袈裟に言えばヘリの操縦訓練の半分近くはオートローテーションに当てられるというような話であった。
 「半分近く」というのはいくら何でも誇張だと思うけれど、ある程度の高度か速度があれば(両方あるのが理想)、ヘリコプターはエンジンが止まってもそうやって安全に降りられるように設計されており、操縦者もその訓練をしっかりと受けている。

 実際、ER のヘリも、誰も怪我することなく無事地上に降りた。

 その "I'm gonna shut down for autorotation." (「オートローテーションのために(エンジンを)切る」)の字幕が、なんと、

  「オートローテーションを中止する!」

であった。

 どうしてプロの翻訳家がこんな初歩的な誤訳をテレビで放送してしまうのか。

 「"autorotation" という「専門用語」の知識がなかったから」などというのはまったく言い訳にならない。そんなもの、1980年代の『リーダーズ英和辞典』(研究社)にだって載っている。
 さらに、万一その意味がわからないとしても、"shut down for autorotation" なのだから、「オートローテーションのためにシャットダウンする」という構文なのは明らかだ。
 この文型で autorotation を shut down の目的語にして訳すなど、ちょっと気の利いた生徒なら高校生でもやらないような間違いである。
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 「まさか、スクリプト(脚本)を見ないで聞き取りで訳しているとか、意味は何でもいいから雰囲気だけわかればいいとか、そんなことはないだろうなあ」と思って検索すると、まさに ER の翻訳者本人が、いかに苦労して訳しているかという講演をしている記録が見つかった。

 それによると、もちろんスクリプトを手に入れて、数多い制約の中、いかに努力して完璧な翻訳を心がけているかという話が、これでもかというほど述べられていた。特に、医学用語や表現に関しては医学監修者と綿密に打ち合わせて正しくかつ自然な日本語になるよう努力していたそうだ。

 もちろん autorotation は医学用語ではないが、それにしてもあまりにお粗末だし、この間違え方はいわゆるケアレスミスではない。
 字幕や吹き替えの制約も言い訳にならない。

 「オートローテーションを中止する!」と訳せるなら、
 「オートローテーションを開始する!」と正しく意訳できるはずだ。

 もし意味がわからないなら、いっそのこと「不時着する!」とでも訳せば、通常の字幕としてはぎりぎりセーフではないだろうか。
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 このような、「どうしてこんな・・・」と思うレベルの誤訳が、字幕にはしばしばある。冒頭に「書き出すとキリがないし面倒くさい」と書いた所以だ。

 ネットを見ると、字幕の大御所をはじめ、プロの翻訳家のお粗末な誤訳の例がこれでもかというほど指摘されている。
 (大御所を除けば)多くの場合、「忙しすぎて、時間がなくて、やっつけ仕事をしてしまいました」みたいなことなのかもしれないが、「それにしてもひどい」というのがネット世論のようで、私もそれに同調せざるを得ない。
 いったい、どんな人たちが翻訳しているのか、また、それほどの誤訳を積み上げても一線で活躍し続けられる理由は何なのだろうかと考え込んでしまう。
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 映画やドラマの誤訳の話はこれまでほとんど書かなかったし、この件もここに書くつもりはなかった。
 書く気になったのは、次の回の ER の放送で、またとんでもない誤訳を見つけてしまったからである。まあしかし、これはケアレスミスなのだが、

A:レガスピー先生よ
B:写真家の?
A:ええ
B:必要ないわ(※筆者注:←の訳は記憶による)

 見ていて???が頭の中で点滅した。レガスピーが写真家だとかいう話があったっけ? どうして "Psychiatrist?"(「精神科医?」) を「写真家の?」って訳すんだろう?

 (皆さんはすぐわかりましたか? 私は10秒近く???が続きました。その後やっと、「せいしんか」を「しゃしんか」と間違えていることに気づきました。)

 まあ、上にも書いたとおり、これはケアレスミスである。
 ただ、字幕を入力した人の単純ミスかと思ったら違っていた。何と、吹き替えに切り替えて聞いても、声優がばっちり「しゃしんかの?」と発音していたのだ。どうしてこの場面で唐突に「写真家」が出てくるのか? 誰かどこかで気づかなかったのだろうか・・・

 この「連続技」があって、前から溜まっていたフラストレーションをここで一度は晴らしておきたい気分になってしまった・・・
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 翻訳のご苦労は大きいと思う。でも、視聴者はそれを頼りに見ているのだ。もとの言語がわからなければ(ある程度わかる場合ですら)、翻訳した日本語がその映画やドラマ「そのもの」になってしまう。
 その日本語が、まったくの素人から「これでもか」というほど間違いを指摘されるようなものであっては困るのである。私たちは脚本すら見られないのだ。

 「人間のすることだからミスはある」という程度なら、ネットの誤訳騒ぎはあれほど盛り上がらない。

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2017.09.13

■「NYPDよっ!」

 アメリカのドラマの宣伝を見ていると、被疑者のところに突入する刑事が

「NYPDよっ!」

と叫ぶ場面が放映される。

 "NYPD" は "New York city Police Department"(ニューヨーク市警察)の頭文字で、「エヌ・ワイ・ピー・ディー」と発音する。
 吹き替えでなければ、英語の音声はもちろん、"NYPD !" だけだ。

 前から気になっていて、いつかここに書こうと思っていたら、いつも見ている別のドラマでは、その "NYPD !" に、

「NY警察よっ!」という字幕が出た。

 おわかりの通り、いずれの場合も叫んでいるのは女性刑事である。

 しかし考えてみてほしい。「NYPDよっ!」とか「NY警察よっ!」などと言う刑事が存在するだろうか。

 日本語だとふつうは名詞に何かつけないと言い切りにならないので、「警察だ」とか「警察です」と名乗ることになる。被疑者のところに踏み込んだ警察が、「警察!」というのは確かに変だろう(逆に被疑者の側が「(あっ)警察!」などというのはありそうだが)。

 なので通常、"NYPD !" は、「NYPDだっ!」とか「警察だっ!」などと訳される。

 ところが、発話主体が女性だと、実際には言うはずのない「NYPDよっ!」「NY警察よっ!」になるわけだ。
 確かに、そもそもそういう場面で女性が話す適切な形が日本語には存在しない。「主人」や「家内」に代わる適切な語がないのと根は同じだ。

 日本にだって女性刑事はいるのだが、彼女らは同じ場面で何と言ってるんだろう? まさか「警察よっ!」とは言うまい。
 荒っぽく踏み込む場面なんてそうそうないだろうから、実際には「警察です」と言っているんだろうか。
 あるいは、すでに「警察だっ!」を使っていて、それが今後日本語のスタンダードになっていくのかもしれない。
 (後記:そういえば、日本の刑事ドラマでは何と言わせているんだろう。さすがに昨今のドラマだと女刑事もいると思うのだが)
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 (多く)現実とは違う言葉遣いでその発話者がどんな人かを示す言語表現を「役割語」というのだが、いくら何でも女性刑事に「NYPDよっ!」などと言わせるのはやめてほしい。
 小説ならともかく、映像で女性とわかる人物が女性の声で発話しているのだ。わざわざ役割語を使って「この人は女性ですよ」とわからせる必要はない。

 ・・・と思ったのだが、では何と言わせるのか(あるいは字幕をつけるのか)というとハタと困ってしまうのもわかる。さっき書いたように、適切な形が日本語には存在しないのであった。

 でも、ここは過去を取るか未来を取るかだ。

 思い切って「NYPDだっ!」と訳さないと、いつまでたっても未来は来ない。

I skate to where the puck is going to be, not where it has been...(Wayne Gretzky)

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2017.09.10

■スズメ激減??

 バイクに乗って兵庫県明石市の実家に行ってきた。往路は六甲山、復路は有馬経由。往復で4時間くらい。

 山の中以外はかなり暑かったのだが、季節は秋、沿道の田んぼの多くには稲穂がたわわに実り、たまに刈り入れの終わったのが混じっている。そういう風景を眺めながら走るうち、今まで考えていなかったことにふと気づいた。

 私が子どものころの田んぼというのは、この季節になると鳥よけの網が張られ、虹色のテープなんかできらきら光っていた。案山子もあるのがふつうだった。主にスズメの食害から守るためである。

 それが、今日見たたくさんの田んぼのどれ一つ、網もテープもなかったのだ。案山子だって、観光用みたいなのを除けばない。あれで食害は大丈夫なのだろうか。

 美しい田園風景が網やテープで台なしにならないのはいいのだが、あんなに無防備で大丈夫だというなら、スズメはほとんどいなくなったということなのか。
 実際、カラスやハトは目にしたが、スズメは見なかった。もちろん、バイクで走りながら・・・ということはあるのだが。

 2010年ごろだったか、スズメが(1/10に?)激減しているというような話がマスコミで取り沙汰されたりしたが、きちんとした調査があるわけではない(と思う)ので、誰も確かなことはわからない。バードウォッチングなんかをしている限りでは、それほど減ったという印象はない。

 でも、スズメの数を数えなくても、田んぼから案山子や網やテープがなくなったという事実から、その激減は容易に推測される。

 まさかとは思うが、網を張らなくなった理由が他にあるのだろうか。たとえそうだとしても、もしスズメが昔のようにたくさんいるなら、あの無防備な稲穂に群がっていなければおかしいのだが・・・

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2017.09.09

■手軽に行けるアルプス的なところ

 このブログのプロフィールにも書いているとおり、アルプスが好きだ。
 本家のアルプスも日本アルプスも、スロバキアアルプス(っていうのかな、ヴィソケ・タトリ)もカナディアンロッキーも。
 行ったことはないが、サガルマータ/チョモランマ(エベレスト)だってデナリ(マッキンリー)だって好きだ。要は、アルプス的な山ということである。

 一方で、体力も気力もないので、とてもアルピニストにはなれない。自力で(と言えるかどうかわからないが)登った3000m超の山は、たぶん乗鞍岳(3026m)だけだと思う。あとは木曽駒ヶ岳(2956m)手前の乗越浄土(2850m)くらいか。

 しょせん、私の「好き」も情熱も、他と同様、その程度のことである。

 だからこそ、というべきか、その程度の人間でも登れる/歩けるアルプス的なところのリストが欲しい。
 そう言いながら、今まで本気で調べたことはないのだが、少なくとも私の感度の悪いアンテナには引っかかってこなかった。『日本百名山』とかそういう本はベストセラーなのに、『あなたも行けるアルプス』的な本は聞いたことがない。まあ、あんまり簡単に行かれて遭難されたりしても困るんだろうけれど、この際自分が知っている範囲をまとめてみることにした。

 今回の信州旅行でかなり残念だったのは、その「行けるアルプス」に行け(か)なかったことだ。

 バイク乗り用の雑誌の特別増大号に『絶景ロード100』というのがあって、そこに乗っていた「黒菱林道」というのに行ったのだが、行ってみると、その終点からリフトを2つ乗り継げば、往復3時間で八方池を往復してアルプス気分を味わえたのである。
 実際に行ったときには、リフトは途中で雲の中へ消えていたし、時刻も夕方だったので諦めたのだが、次の日の天気予報がよければ、その辺にもう1泊して登ってみたかった。またいずれ行くつもりでいる。

 バイク雑誌だから仕方ないとは言え、車道のことしか書いていないのにはがっかりした。「終点からリフトを乗り継げば、往復3時間のアルプストレッキングも楽しめる」とでも書いてあれば、間違いなく主要な目的地になっていただろう。
 書いていること以上の情報を求めようとしなかった私が悪いのだが、求めたくなるような記述は、たった30字ほどで書けるのだ。そのための紙幅は十分ある。

 さて、前置きが長くなった。私が知っている「初心者のあなたも行けるアルプス的なところ」のリストを以下の《続き》に記す。具体的な情報はご自身で収集願いたい。
 場所が場所なので、シーズンは概ね6月下旬から10月中旬くらいまでだ(もっと短いかもしれない)。(木曽)駒ヶ岳に登ったのは11月初めの連休だったが、いくら遅くてもその辺で終了してしまうのでご注意を。

 また、言うまでもなく、下界とは気温がぜんぜん違うし天気も変わりやすく風も強いことがある。雪が残っていることも多いし降ることすらあるし、滑落や遭難の危険だってないわけではない。2000mを超えると高山病の可能性も出てくる。
 登山届が必要な場合は必ず提出し、十分な情報収集と装備の上、自己責任で気をつけて。

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2017.09.08

■私の文章です

 以下は私がかつてここに書いた文章からの引用です。

 ここに具体的に書くことはできないが、あの新機軸はこうなった、あの改革の副作用は、この改革のせいで・・・と考えていくと、もちろん功罪両面あるだろうとは思うものの、成功か失敗かという二分法を適用するなら、そのほぼすべてが失敗であったと断言できる。つまり、結局は何もしない方がよかったということだ。(2010.10.2)
   ___
 毎年毎年、失敗するのが必定の企画が立てられて実行されている。
 今年もまた、箸にも棒にもかからない「画期的な新構想」がいくつか提案され、上層部とその追従者たちによって嬉々として実行されている(彼らもほんとは「やらされている」のだろうか)。
 その「構想」の提案書たるや、手垢のついた空疎な大言壮語の羅列であり、無駄に饒舌なばかりで大した意味はない。読んでいるこちらが恥ずかしくなってくるほどだ。
 法科大学院と新司法試験の失敗と同様、これも数年後、失敗に終わっているのはおそらく間違いない。ただし、いくぶんかひっそりと。(2011.12.17)
   ___
 失敗することが目に見えているような「新機軸」を矢継ぎ早に打ち出す文科省の方針に次々と面従させられて疲弊し、それでも誰も責任を取らない世界にストレスを溜め込んでいる現場から見ると、「トップまでが「面従腹背」などと言っていたのでは、そりゃこの悪弊は改まらないよなあ」と絶望的になってしまう。(2017.06.03)

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■私の文章ではありません

 こういうことをするのは初めてですが、以下は私の文章ではなく、内田樹氏のブログからの引用です。引用元は
 http://blog.tatsuru.com/2017/08/31_1544.php
です。念のため、内田氏はこういう引用を無条件に許容なさっています。それどころか、「私が書いた」と主張してもかまわないそうです(笑)

 それはさておき、以下引用です。付け加えることはありませんが、是非上記のリンク全文をお読みいただければと思います(ものすごく長いですけど)。

アメリカの外交専門誌Foreign Affairs Magazineは去年の10月号で日本の大学教育の失敗について長い記事を掲載しました。過去30年の日本の教育政策は「全部失敗」という衝撃的な内容でした。続いて今年の3月にはイギリスの科学誌Natureが、日本の自然科学研究の失敗についての記事を掲載しました。半年間の間、英米の世界的な影響力を持つ二つのジャーナルが「日本の大学教育の失敗・科学研究の失敗」を大きく取り上げたわけです。それくらいに日本の学術の劣化は国際的に「有名」な事例になっているのです。21世紀に入ってから学術的生産力がひたすら落ちているのは、先進国で日本だけだからです。

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2017.09.07

■ほんっとにどうでもいいのですが・・・

 珍しくこんな話題ですみません。

 数多の不倫報道が相次ぐ中、元検事の有名女性代議士と、9歳年下の男性弁護士とのW不倫報道がありました。

 いかな代議士といえども、こういうのって純粋に個人的なことだと思いますし、政治家として云々というのはほんっとにどうでもいいのですが・・・

・悪事を糾弾してきた(であろう)元検事が
・日本中から注目されている立場でありながら
・あれほど目立つ形で(たぶん)不倫をしてしまう

という危機管理意識の低さというか、脇の甘さというか、は、とっても気になります。

 また、一般的に、世間の人たちのこういうことに対する倫理観がどれくらい厳しいのか緩いのかも知りたいと思っています。
 自分のことは(だいたい)わかるのですが、他の人がどんなふうに考えているのか、ほとんど知る機会がないので。

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2017.09.06

■それぞれの人生

 今年のゴールデンウィークに東北をぐるっと回ったとき、信州を経由した。
 その時に北アルプスの絶景を見せてくれた峠に、今回も立ち寄った。

 先客の一人と何気なく言葉を交わし始めると、その方が白馬村在住だとわかった。生まれ育ちは大阪なのだが、こちらに住んで「写真やデザイン」の仕事を(おそらく)個人でなさっているという。
 フォルクスワーゲン ゴルフ ヴァリアントの4motion に乗っていらっしゃるので、経済的にも困窮していないのは明らかだ。

 「理想の人生ですねぇ。私なんかサラリーマン以外考えられません」と心底羨ましくて申し上げると、
 「いえいえ、来月の仕事があるかもわかりませんし」とおっしゃる。そう言いながら、もう何十年か写真家を続けているらしい。

 「アルプスなんかにも登って写真をお撮りになるんですか?」
 「撮りますよ。山渓(ヤマケイ)さんの仕事なんかもありますから」
 「いやぁ、ほんとに理想の人生ですねぇ」
 「いえでも、定年がないとはいえ、いつまでも山に登れるわけでもありませんし」

 確かに、60代前半に見える。

 そして、そうだろうなあとは思うものの、やっぱりにわかには納得しがたいのが次の言葉だ。

 「この辺の景色なんかもぜんぶ飽きちゃってて、何とも思いませんからね」

 じゃあどうしてここに車を停めて北アルプスを眺めているんですか、とは訊かなかった。その日はどっちにしても大した景色ではなかったのだが。

 「ご存知かどうかわかりませんが、この下のアルプスがきれいに見えるところに、ポツンとカフェがあるんですよ。ああいうのをやってみたいなと思ったりもするんですが」と私。
 「おやりになるのは自由ですけど、お客さんは来ませんよぉ。たまに来たらラッキーくらいに、趣味でやるんならいいですけど」

 まあ、そんなものだろう。写真とデザインを なりわいにして白馬村で暮らせる人だって、いったい何人いることか。

 別れてすぐ、名刺でももらっておけばよかったと思った。もしかしたら名のある人かもしれないが、名前も知らずに後で検索してみてもわからなかった。
 ___

 その日の夕刻。

 次の日もその次の日も天気はよくなさそうだし、それなりに目的は達した気がしてなんだか面倒くさくなり、1週間ほど続く予定だった信州旅行をたった2泊で切り上げることにした。

 それほどの景色も望めなかったとはいえ、要するに飽きたのである。たった3日で。

 白馬在住の写真家が飽きてしまうのは当然だ。

 先方の人生は羨ましいけれど、飽きることが納得できればまあ、お互いそれぞれの人生なのかと考えざるを得ない。

 でもやっぱり、「白馬在住の写真家」って、絵に描いたような理想の人生だよなあ・・・という思いは拭いきれないんだけれど。
 ___

 何にせよ、明日からまた仕事だ・・・

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2017.09.05

■蕎麦ツーリング?

 休暇も残り少なくなった。

 毎日うだうだしてるのも何なので、バイクでどこかへ出かけようと考える。

 そこら中走り回ってしまって新鮮味がないので、何か目的を作るために「蕎麦」を考えた。それほど蕎麦好きというわけでもないのだが、蕎麦屋というのは田舎に行ってもあるし、あんまり高くはないので目的地にしやすい。
 幸いというか、自宅から北北西に進路をとると、行ってみたいお蕎麦屋さんが少なくともまだ5軒くらいはある。だが、調べてみると、どれも「完全予約制」か「本日休業」。

 まあ、他にもどこかあるだろうと、重い腰を上げてバイクで篠山を目指す。別に蕎麦でなくてもいいし。
 午後3時ごろから雨が降るということだが、出たのは正午。幸い、雲は高く白く、空も明るい。

Img_7294_copy 篠山の「河原町妻入商家群」をトコトコと流していると、石臼挽き十割蕎麦のお店(丹波そば切り 花格子)を見つけたので、女将さん?のお勧めに従って「芝えびのかき揚げと かぼす蕎麦」をいただく。
 そのままバイクを置かせてもらい、商家群を散策。以前来たときに一番気に入った金工細工のお店(應需(おうじゅ)細工所)は土日祝しか開いていないようだ。

 バイクに戻って篠山市街を再びトコトコ。東西の通りを西へ走り、一本北へ上がって東へ走り、また北へ上がって西へ・・・と繰り返す。それで入り損ねた一方通行の道も入口を探して入るなど、主な通りを一通り走っても30分かからない。

 ちょっと山の方にある、前から気になっていたフランス料理の店と蕎麦懐石の店も見るだけ見ておこうと向かい始めたところで、シールドに雨がぽつぽつと当たり始める。ちょうど15時。降り始めの時刻まで当たる最近の天気予報は偉い。

 えっ、こんな雲で雨?と思う間もなく雨脚が強くなっていく感じなので、諦めて帰路につく。

 東へ、そして南に向かうので、すぐに雨は止むかと思いきや、かなりしつこく降る。能勢町に入ってようやくやんだ。
 ほっとしていると、自宅近くになってからまた降り出す。単純に西から雨というわけでもないところが難しい。

 それにしても、雲はあくまでも白く高く、空は明るい。これで雨なんか降るのか・・・と思うのだが、素人の観天望気に何の意味もないことを思い知らされた。

 防水の装備もなしに雨の中をバイク走行なんて何年ぶりだろう。

 茨木の山間部でも気温が21℃と、先日の信州と変わらず、ちょっと寒い。9月の初めって、毎年こんなに涼しかったっけ?

 幸い、首から上はヘルメットのお蔭で濡れず、上半身も風防があるためにそれほど濡れない。土砂降りでもなければ案外走れるかも・・・とわかったのが収穫。これまでは雨中走行なんて考えたくもなかった。

 あ、またオチがない。

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2017.09.03

■シーサイド・コーポラス

 中島みゆきで思い出した。

 今回聞いていて1曲だけ、すごくびっくりさせられたことがあった。
 よく知っている曲なのに、まったく知らない歌詞が流れてきたのだ。

 自分の記憶に支障を来しているのではないかと、ちょっと不安になった。
 今思い出して調べたら、これまで知っていたのは「36.5℃」というアルバムに収録されていたバージョンで、1番しか歌われていないもの。今回聞いたのはシングルバージョンで2番も歌われているものであるらしい。

 けっこう好きな曲なのに、こんなことがある。まあ、私の「好き」はその程度のものだということだけれど。

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■中島みゆき

 信州ドライブの間、ほとんどずっと中島みゆきを聞いていた。

 彼女のだけで40枚近いCDが1枚のSDカードの中に入っている。他にも、さだまさしとか小田和正とか徳永英明とかテレサテンとかが入っているのだが、何しろ数が違うので、ほとんど中島さんが流れていた。

 車のオーディオはSDカードが2枚刺さるので、もう一枚は洋楽にしている。でも、今回そちらは流さなかった。

 今さら、しかもこの年になってこんなことを言うのも恥ずかしいのだが、彼女の20代から60代までの歌をいろいろ聞いて、彼女の世界観は人生そのものだなあと思った。

 素直にそう感じただけなのだが、常人とはまったく異なる人生を歩んできた彼女が、常人の人生をあんなに知っているように見えるのはなぜなんだろうという気がちょっとした。

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■疾走するバキュームカー

 ワインディングロードを車で走るのは遅い方ではない。特に一人で乗っているときはそうだ。
 自分より速そうな車が後ろから来ると必ず譲るのだが、たとえば今回の信州旅行でそういう機会は一度しかなかった。
 (バイクの場合はぜんぜん違う。平均的バイク乗りより明らかに遅く、しょっちゅう道を譲っている。)

 その一度について。

 岐阜・長野県境の安房トンネルを抜け、上高地口を過ぎて松本へ向かっていた。交通量はほとんどない。どこから現れたのか、前をバキュームカーのような白い小型トラック(以下バキュームカー)が走っている。

 これが速い。

 がんばってついていこうとするのだが、かなり真剣にならないと無理だ。必死の一歩手前くらいで、なんとか付かず離れずついていく。
 バキュームカーは、カーブの続く山道を、ものすごく小刻みにピッチングしながら、時にはダダダダダダンッみたいな音をたてて疾走していく。よくもまあ、こんな速度であんなに揺れながら・・・

 そんな感じで十数分くらい走っただろうか、路肩が広くなっているところがあって、そのバキュームカーが道を譲ってくれた。
 振る舞いとしては正しいと思う。私だって、こういう道で付かず離れずついてくる車がいれば必ず道を譲る。前の車についていけるということは、ふつうはまだ余裕をもって走っているということを意味するからだ。

 だが、私にはもちろん、余裕などなかった。「かろうじてちょうどついていける」という速度だった。
 「うわあ、譲られても・・・」というのが正直な感想だ。どうしようかと迷ったが、相手はそこで休憩でもするつもりかもしれないし、とりあえずは厚意を受けることにした。

 私が前に出ると、バキュームカーはそのままついてくる。しかし、私はもうさっきまでの速度では走れない。前を切り開いていってくれる車がいるからついていけたのだ。先頭を安全に走ろうとすると、がくんとスピードが落ちてしまう。相手は「付かず離れず」ではなく、むしろ私を煽り気味だ。

 結局、ものの1〜2分で今度は私が譲ることにした。
 バキュームカーは、水を得たトドのようにあっさりと私を抜き去っていった。そして今度は、もう私が追いつけないスピードで徐々に遠ざかっていってしまった・・・

 FFとはいえ軽量のスポーツセダンに乗っている私が、バキュームカーについていくことすらできないのである。
 車の性能差には、ものすごいものがあるはずだ。それをひっくり返したのは何か。
 道、というか、(たぶん)すべてのカーブを熟知していることは大きいだろう。だがそれでも、あの車であのスピードで走れるものなのか・・・

 まあ、速いといっても「ほんとうに」速いわけではない。しょせんは、公道上の狭いワインディングのことである。あの程度の速度域でどれだけ速く走れるかを決めるのは、結局のところ「度胸」なのではないかと思った。私にはとてもあんな速度で走る度胸はない。

 そういえば去年だったか、家族で四国に行ったときに、びっくりするくらい速い軽トラックに道を譲ったことがあった。ついていく気なんか起きないくらいあっという間に遠ざかっていった。
 あの時も、「あんな車でよくもまあ、あの速度で走る度胸があるよなあ」と思ったものだ。

 いやでもまさか、度胸ではなくてウデなのか・・・ そう思いたくはないけれど。

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2017.08.31

★信州ドライブ

 涼を求めて北海道に行くつもりが、西日本以外はみんな涼しいということらしいので、だったらもう信州でいいやと思って行ってきた。
 例によって孤独な貧乏旅行である。

 1週間くらいかなと考えていたが、結局はたった2泊で帰ってきてしまった。帰宅は真夜中を越えたので、一応2泊4日。

 北海道だとおいそれとは帰れないので続けざるを得ないのだが、それでも2年前に行った時にはフェリーの予約を2日ほど短縮したような記憶がある。走るのにも風景にも飽きてくるのだ。
 それにしても2泊はひどい(今調べると、北海道は出発から帰宅まで13日間もあった)。

 夕方、次の日もその次の日も晴れそうにないし(帰ってくるとこちらは快晴!)、なんだか面倒になって「もう帰ってしまおうか」と思うと、どうかすればその日のうちに帰ってしまえるのだから、やはり「近場」はダメである。

 結局、旅行というよりはドライブになった。まあ、飽きるほど走れて景色も見られたのだからよしとせねばなるまい。

 まだ数日は旅行をしていたはずなので、暇といえば暇だ。ツイートでは書き切れないことを(でもできるだけ短く)ここに書いていきたいと思う。

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2017.08.23

★サファイア

 世の中には知っているようで知らないことが多いもので、昔は調べるのにも手間暇がかかるために知らないままになっていることが多かったが、最近は調べたいと思えばすぐに調べられるようになり、いろいろな無駄知識が少しずつ身についている。

 それでも、世の中のほとんどのことについて何も知らないのは相変わらずで、いったい世の中にはどれくらいの知識・情報があるんだろうと途方に暮れる。

 「メジロの雌雄を鳴き声で判別できるか」という研究を知人がやっているのだが、21世紀になってもまだそんなことすらわかっていないのかとびっくりする。

 まあ、よく言われることだが、わかっていることよりわかっていないことの方が圧倒的に多いのは、どんな分野でも同じかもしれない。

 なんだか話がそれてしまった。
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 昨夜、たまたま時計を見ていて、「サファイアガラス」というのが気になった。大昔から知っている言葉なのだが、あまり気にしたことはない。
 サファイア(のように綺麗な)ガラス
 サファイア(のように硬質な)ガラス
 サファイア(のように透明度の高い)ガラス
なんかのことを指すのだろうかと漠然と思っていた。

 それが実は、サファイアガラスというのはサファイアそのもの!であることを知った。

 私が現在日常的に使っている時計は3つあるが、どれもサファイアガラスである。こんな大きなサファイアの結晶(薄いけど)を毎日のように腕に嵌めているなんて思いもしていなかった。

 シチズンのウェブサイトを見ると、1万円台の時計はふつうのガラスだが、2万円の時計はもうサファイアである。サファイアってそんなに安価に製造できるものなのか。
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 サファイアは単なる酸化アルミニウム(Al2O3)の結晶で、本来は無色透明、不純物のまじり具合で色がつくことは知っていた。
 その中の赤いのをルビーと呼び、サファイアもルビーも実は同じものであることも。

 それでも、まさか自分の時計のガラスが、その無色透明のサファイアだなんて思いもしなかった。

 そんなことなら、サファイアガラスなんて紛らわしい言い方をしないで、「人工サファイア」とかなんとか、サファイアそのものであることがわかるように表記すればいいのにと思う。

 そう、時計のサファイアはもちろん、人工的に製造されたものである。だがそれは、ニセモノとかまがい物とかいうことではない。化学的組成が同一の、同じサファイアである。
 むしろ、変な混じり物が入っていない分、よりピュアな、純粋のサファイアだと言える。

 がぜんサファイアに興味が湧いて調べてみると、宝石的なサファイアですら数百円とか数千円のレベルでたくさん売られていることを知った。
 さすがに高級なものは製造コストも高いのでそういうわけにはいかないが、興味が出てくるとちょっと欲しくなるもので、数千円から十数万円の商品なんかをネットで眺めていた。

 十数万円出せば、夢のような大粒の美しいサファイアが手に入る。数千円のですら立派なものだ。
 人工なんだけれど、くどいようだが天然より完成度は高い。“flawless” ということばを耳元で囁かれている感じがする。

 家人を口実にして買ってしまおうかと(ちらっと)思ったのだが、それとなく水を向けると、「そんなの持ってどうするの? 宝石になんか興味ないもん」と言われてしまう。

 うーん。

 素晴らしい人生のパートナーだと考えるべきなのか、何と味気なく夢のない女だと思うべきなのか・・・

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2017.08.21

★時代の変化

 時代というのはふつう徐々に変化していくので、なかなか気づきにくい。

 その例として適切なのかどうか分からないが、最近、今の iPhone 7 Plus を使い出してからまだ1年も経っていないことにほとんど愕然としたことを思い出した。
 はるか昔から使っているような気がするのだが、昨夏、アイスランドに行ったときにはまだ au 縛りの iPhone 6 Plus を使っていて、現地 SIM を使うことすらできなかったのだ。仕方なく、息子の iPhone 6s Plus を利用した。

 今の家に越してから20年近くなので、そのころから同じような生活をしている気がするのだが、もちろんそんなことはない。初めて携帯電話を持ったのは確かそのころだが、当時はデジカメすら持っていなかった。
 それに、何であれ iPhone という名前のキカイを手に入れてから、まだ5年も経っていないのである。たった5年・・・ うわっ、びっくりした。
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 リビングの蛍光灯が暗くなったり消えたりして不安定なので、新しい蛍光管を買った。まだ2年なのに早いなあと思いつつ交換した。「新しい」ツインPaの100Wなので、けっこう高かった。

 ところが、交換後もまた症状が出る。どうやら本体の故障のようだ。前日、交換時に掃除したので新品同様に見えるのに、本体はさすがに20年選手である。まあ仕方ないから新しいのを買おうと思うと・・・

 なんと、ほとんど LED のしか売っていない!

 まだ十分使えるのと新品と、高い蛍光管を2つも抱えてどうしよう・・・と思っていたのだが、これまでの経験から、時代に逆らってもいいことはないと思い、諦めて LED のシーリングライトを買うことにした。

 幸いというか、家中の電灯を調べてみると、1つだけツインPaの使えるものがあったので、高い蛍光管はたぶん無駄にならないだろうとちょっとほっとした。

 照明がどんどんLED化しているのは、もちろん知っているつもりでいた。でもまさか、(電球ならともかく)蛍光灯の照明器具ががほとんど手に入らなくなっているなんて思いもしなかった。

 時代は(主観的には)一気に、急に、変化するのである。
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 電機メーカーに勤めている知人から、電解コンデンサの寿命の関係で、照明器具の実質的な寿命は20年程度だと教えていただいた。
 ということは、これから家中の照明器具がどんどん寿命を迎えていくわけである。以前住んでいたマンションから持ってきた中にも、まだ延命しているのがあるのだが、それも時間の問題だろう。

 家中に蛍光灯がいったいいくつあるのやら・・・

 それらを今後全部順次交換していくのかと思うと、ちょっとぞっとする。

 まあ、いろいろがたついてきた体の部品はどれも交換できないことを思うと、新調できるだけましなのかもしれないけれど。

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2017.08.06

★3時間でできること

 夏休み(じゃないけど)の日曜日だというのに、家人は仕事、息子は早朝からどこか遠くへ行ってしまった。

 昨日に引き続いて家でうだうだしているだけというのもなんだかなあ・・・という気がして、車で六甲に出かけることにした。
 最高気温の予想は38℃。とてもバイクで出る気にならない。

 途中コンビニに寄り、天狗岩へ。トカゲの写真を撮り、神戸と大阪の街を見下ろしながらおにぎりを食べてお茶を飲み、しばし憩う。
 車に戻る途中、鳥の写真も撮った。

 車にして正解だった。前回とは違い、気温は山上でも28℃。暑くはないが、風が吹けばかろうじて涼しい程度で、とても快適とは言えない。

 帰りに遠い方の職場に寄って紙の束を回収し、帰ってくる家人のためにスイーツを仕入れて帰宅。

 驚いたのは、家を出てから車庫に車を入れるまで、ちょうど3時間しかかかっていなかったこと。

 1日にこの行動を8回も繰り返せるじゃないか!
 いや、24時間はさすがにどうかと思うので、仮に12時間活動できるとすると、それでも4回。

 ふだん、1日どころか2日や3日(72時間!)くらいはすぐ無為に過ごしてしまうことを考えると、3時間でできることの多さに驚いてしまう。

 そういえば、「ハドソン川の奇跡」では、バードストライクから着水まで、3分ちょっとだったのだ。

 まあ、大量の弛緩した時間があるからこそ、その濃密な時間が可能だったのだと思う。
 同じ3分をループで繰り返していたら、1日でストレス死しそうな気がする。

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★世界侵略のススメ

 マイケル・ムーア監督。

 アメリカ「以外」の国々(といっても、ヨーロッパとチュニジア)がいかに素晴らしい面を持っているかを笑いと皮肉たっぷりに紹介するドキュメンタリー。

 例の調子だが、やはり傑作である。日本ももちろん、教えられることが多い。

 紹介される素晴らしさの多くは、アメリカも拠って立つ価値観から導き出されている。しかも、そのうちいくつかはアメリカ発だったりする。

 なのにどうして、アメリカの現実はこうなってしまったのか。
 簡単に指摘するのは憚られるが、それほど難しいことではないような気もする。

(Where to Invade Next, 2015 U.S.A.)

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2017.08.03

★ハドソン川の奇跡

 トム・ハンクス主演、クリント・イーストウッド監督。

 実に久しぶりにほとんど手放しで賞賛できる映画を見ました。

 ぜひ皆さまも予備知識なしでご覧ください。
 とは言っても、ご承知の通り、誰も死にませんし。

 不時着水の時のCGを除けば、ほとんど文句のつけようがありません。それだけに、そのひどさが際立ちますけど。
 もっともっと実際の着水に近く作れたはずなのに、わざとああいうふうに作って大失敗していると思います。

 まあでも、そんなことはともかく、ぜひ。

(Sully, 2016 U.S.A.)

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2017.08.01

★バイク&ハイク(承前)

 バイクに戻り、少し考えてからジャケットなしで昼食に向かうことにした。上半身を守るプロテクターもなくなったということで、なんだか不安である。転倒したことはないんだけれど。
 ヘルメットもなしにしたかったが、さすがにやめておいた。

 汗をかいた体で24℃の空気の中を走り抜けていくと、少し寒いくらいに感じる。

 ほどなく、旧六甲オリエンタルホテルのところに来た。様子が変わっていたので思わず止まる。
 2007年に閉鎖されてから長い間放置されていた(ただし、建物の素晴らしさが惜しまれて、2年前には一時的に「六甲ミーツ・アート」の会場の一つに選ばれたらしい)が、とうとう解体が始まってしまった。諸行無常である。

 手前にある案内看板はそのままで、まだ古びた感じもないことが、かえって哀感を催させる。

 道路沿いは青いアジサイがみごとだ。

 天覧カフェでカレーの昼食後、気紛れで六甲ケーブル山上駅に向かう。
 子どものころ、これに乗って下から上がってくるのは、ハレのお出かけだった。

 大人になって、いつでも自由に1時間あまりで来られるようになったことは、決して福音ではない。
 あのころと同じようなハレの気分を求めるならば、今は少なくとも海外に出る必要がある。

 そういえば・・・

 18の時はヘルメットもかぶらずにTシャツ姿で原付に乗って走り回り、何の不安も感じていなかった(念のため、当時の原付ノーヘルは合法です)。
 40になっても、プロテクターなんて使っていなかった。

 わくわくするハレの気分を味わえるのは、無知で無防備な者の特権なのかとふと思う(今も人よりは無知で無防備ですが)。

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2017.07.30

●バイク&ハイク(たぶんその5:西おたふく山)

 かねての予定が流れた休日、せっかくだからどこかへ行きたいなあと思ったものの、どこへ行っても暑いだろうと考え、久しぶりにバイク&ハイクのために六甲山へ向かった。

 出発は昼前で、逆瀬川までは酷暑だが、川沿いを遡上するころには涼しくなり、山に上がると24℃、温度としては快適である。
 ただ、曇り空で湿度は高く、さわやかというわけにはいかなかった。

 ライダー用ジャケットを脱いで、ときどき訪れる西おたふく山付近を散策。下はライダーズパンツにブーツなので、歩きやすくはない。
 うるさいほどのヒグラシの声に混じって、ホトトギスやソウシチョウやウグイスの囀りが聞こえる。

 いつものように突き当たりまで行って引き返すつもりでいた。
 が、奥の方に、明らかに今までなかった道ができている(と思った)。

 もしかしたら、幻の西おたふく山頂上に行けるかと思い、そちらへと歩を進めた。
 道はほどなく反対方向になり、やはり頂上は幻かと残念だったものの、先がどうなっているか気にかかり、歩き続けることにした。

 猛毒のテングタケを見つけたころだったと思う。人っ子ひとり見当たらないこんなところで、昼食はおろか、チョコレートやキャンディ、さらには一滴の水さえも持っていないということが、ちょっと不安になってきた。
 途中のコンビニで何か調達してから山に上がろうかと迷った挙げ句、最後のコンビニを見送り、「まあ山上でどこかお店に入ればいいや」と思っていたのである。こんな本格的?なハイクをするつもりもなかった。

 幸い、携帯は使えるようだが、「六甲山で遭難」というのは実際たまにあって、その危険性だけではなく、天下に恥をさらすという意味でももっとも避けたい事態である。

 こんなブーツで歩いていて足でもくじいたり、水筒すら持たずに熱中症になったりしたら・・・

 そう思いながらも、昔から「この先はどうなっているのか」が気になる性格なので、引き返すポイントを決められずにずるずると進んでいくうち、大きなカエルを見つけて写真を撮った。

 そろそろ引き返すのか進むのか決断した方がいいと思い、iPhoneのアプリで確認すると、そのうちの一つに今いる道が載っていて、どうも周回して元の場所に戻れるようだった。
 ならばと、ちょっと安心して先に進んでいく。

 ほどなく、古い案内看板が見つかり、やはりここが「周遊歩道」であることを知った。

 何年もの間、少なくとも夏の間はクマザサ?が生い茂って立ち入ることがほとんど不可能になっていたのだが、どうやら道自体は昔からあったようである。ササが刈られて道が現れているのは歩き始めた時にわかったし、そういえば入口に案内看板もあったような気がする。

 看板によると、下に降りて谷筋に入るのは危険だというのだが、バイクの所まで戻らなければならない身、もとより下山するつもりはない。
 遭難の杞憂もやわらぎ、東へと向きを変える。標高にして100m近く下ってきたようだ。ずっと湿気た森の中で今一つぱっとしない「周遊歩道」だったのだが、東側の尾根に出て急に展望が開けた。

 霞んでいてすらみごとな景色である。六甲山に展望ポイントはいくつもあるが、ここはことのほか素晴らしい。
 夜に来てみたいな、と一瞬思った。真っ暗な山道を歩いてきて突然この展望が夜景になって開けたら、きっと感動も大きいに違いない。

 最後はそれなりの急登を経て舗装路へと戻る。急登のところで初めて単独行の登山者を見つけた。

 バイクに戻るまで、歩行時間は1時間あまりか。運動不足の身にはそれなりにきつかったが、また秋になったら来ようかなとちょっと思った。

(つづく)

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2017.07.23

●プルトニウムをポリエチレンの容器に入れて長期保存

 日本原子力研究開発機構(茨城県大洗町)の被曝事故に関して、プルトニウムをポリエチレンの容器に入れて長期間保存していたことが発表された(20170721)。

 「放射線で容器が分解して水素ガスが発生し、事故につながったとみられるという」(朝日新聞)

 具体的にどういう問題が生じるかはわからなくても、だれがプルトニウムをポリ容器で何十年も保管しようなどと考えるだろうか。
(プルトニウムを入れたポリ容器を塩化ビニルの袋にいれ、その袋をステンレスの容器に入れていたそうです。)

 小学生の時に埋めたタイムカプセルですら、10年後でも大丈夫なようにと、どんな容器を使うべきか考えた記憶がある。
 小学生でもポリ容器は「何となく」ダメな気がして使わない。

 日本原子力研究開発機構は小学生以下の知恵でプルトニウムを扱っているのか・・・

 そんな人たちが「原子力研究開発」!の中心にいるのかと思うと、開いた口が とか あきれてものが とか言いたくなる。

 恐ろしいのは、こういうのが氷山の一角に過ぎず、だからこそ馬鹿馬鹿しい事故を繰り返してきたのではないかと考えられることだ。

 われわれはすでに、カタストロフィックな事故を経験してしまった。その大きな原因の一つも、津波来襲が当然に予想される場所で、非常用ディーゼル発電機を地下に設置していたことだと考えられている。

 もちろん、仮に発電機が高台にあったとしても、別の理由であの事故は避けられなかった可能性もある。
 だが、地下に設置していた愚かさがそれで免罪されるわけではない。
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 何かを利用するときには、それに見合った賢明さを持ち合わせておく必要がある。
 間違った利用が破滅的な結果につながる危険があるときは、なおさらそうだ。

 こういうことを繰り返す人たちに、原子力利用に見合った賢明さを持つことが期待できるのだろうか・・・

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2017.07.10

●偉大な秤

 四半世紀以上使い続けているアナログの秤が、場所を取って邪魔なことが以前から気になっていた。

 週に2回くらいしか使わないのに、電子レンジや炊飯ジャーと同じくらい大きな顔をしてキッチンの一画を占めている。もちろん、図体自体は小さいのだが、いかにも邪魔だった。
 私が量るのはパスタの重さくらいだが、使う時には狭いので、カウンターまで移動してから量っていた。だから、いつもの定位置に置いておく必要はないのだが、かといって仕舞っておくにもかさばる。

 というわけで、一枚の板のような電子秤を買うことにした。隅に立てかけておくにしても食器棚に入れておくにしても、邪魔にならない。
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 家にあるのはクボタ(コンバインやら田植え機やらを作っているクボタの関連会社らしい)製で、実家で使っていたのは YAMATO(大和製衡)製なのだが、調べてみると、もはやどちらも消費者向けの製品などまったく作っていないようだ。やたらに大仰な工業用計測機械しか見当たらない。

 利益の出ない市場から撤退したのは賢明な判断かもしれないが、そのせいでこの分野はタニタ(TANITA)の独擅場になっている。

 仕方なく?タニタの「クッキングスケール」を買った。結果として、この7月に発売された新製品を選んだ。
 実売で3000円もしないが、200gまでは0.1g単位、1kgまでは0.5g単位、2kgまでは1g単位で量れる。使い方も簡単で、容器に入れた液体や粉の重さなども手軽に量ることができる。精度もそれなりに高い。
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 さて標題。

 偉大だと思ったのは、タニタの最新式の電子秤ではなく、家で四半世紀以上使っていたアナログ式のほうである。

 どうせ捨てるのだから壊してもいいと思って分解してみると、なんと、重さはたった1本のバネの伸び縮みで量られていた。その変化量をラック&ピニオンで回転する針の動きに変えるだけのシンプルなシステムである。何ということのないバネに見えるが、伸縮と重量とが見事にリニアに対応するように製作されているのだ。
 残念なことに、ピニオンと針と外装はプラスティックだが、内部の秤本体はすべて金属製であった。

 タニタで量った重さと比べてみると、数十gの軽いものから1kg近いものまで、何を量ってみても誤差はせいぜい1g程度しかない。もともと、目盛りが5g刻みなのだから、十分すぎる精度だ。
 その精度をバネ1本で実現し、四半世紀以上維持してきたのである。

 タニタの最新式電子秤は25年以上も使えるだろうか?(ネットの評判を見ると懐疑的にならざるを得ない)。そして、たとえ使えたとしても精度を維持しているだろうか?(もし使えれば精度は大丈夫かも)。
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 この偉大なアナログ秤をオブジェとして職場の部屋にでも置いておこうかと思って綺麗に掃除したところ、おそらくアルコールのせいで目盛り盤が一部ハゲてしまった。

 うーん、やっぱり廃棄かなあ、どうせ外から見ると、安物感丸出しのプラスティックだし・・・

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2017.07.02

●棚からブッポウソウ

 新聞記事か何かで情報を得た家人が、珍しく行きたいところがあると言ってきた。

 岡山県真庭市勝山。
 真庭市? 勝山町だと思っていたのだが、例の平成の大合併でそうなってしまったらしい。

 昔はよく通(とお)ったりすることはあったのだが、そこに「町並み保存地区」みたいなものがあるとは知らなかった。

 興味はあるものの、わざわざそのためだけに出かけるにはちょっと遠すぎる。

 そう考えていると、今まさにブッポウソウが繁殖行動をしている吉備中央町がすぐ近くであることに気づいた。

 これは幸い、棚からブッポウソウである。

 去年は、家族でわざわざ1泊してまで出かけたのに、私の情報収集能力不足と家人の日程の都合とで、遠くを飛んでいく姿をちらっと見られただけに終わっていた。
 こういうことでもなければ、今年は私一人でバイクにでも乗って見に行こうかと考えていた。去年はなかった、分不相応なカメラもある。

 というわけで、多忙で行けなかった息子を残し、ブッポウソウと勝山を目的に、中国自動車道をひたすら往復した。

 案の定というべきか当然というべきか、むしろブッポウソウがメインになったが、お昼もそこそこおいしいイタリアンを食べられたし、勝山も散策できて、ちょっと蒸し暑すぎたことを除けば上出来であった。
 雨も、昼食中と乗車中に限られ、恵まれていた。

030a7139_copy ブッポウソウ

 軽快なシャッター音を奏でながら、都合1000カット以上撮影した。

 撮った写真を取捨選択するのが大変で、まだ第一次廃棄しかしていないが、とりあえず残ったのが半分ほどもある。
 望外といってもいいほどの撮影機会に恵まれ、珍しくちょっとわくわくした。
 写りが悪くないのもそれなりにある。

 このくらいの楽しいことがしょっちゅうあればいいのだが、それはたぶん、望みすぎなのだろう。

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2017.06.30

◆英語の通じる国、通じない国(その2)

 俳優の堤真一がアイスランドを一周しながら現地の人にインタビューして回るというテレビ番組を見た。

 一周したというわりには、ミーヴァトンの次はヴィークとか、びっくりするくらい飛ぶのだが(たとえて言うなら、山手線を一周していて上野の次に取り上げるのは渋谷という感じです)、それはまあいい。

 いくつか興味深い点があった中に、アイスランド語ができる通訳を連れて行っていないというのがあった。

 以前ここでも書いたように、私がアイスランドを旅行していた2週間あまりの間に、英語が通じなかったのは一人だけだった。たまたまその人からセーターを買おうとしなければ、「すべての人と英語が通じた」ということになっただろう。
 アメリカですらそうはいかない。

 だからといって、大々的にテレビ番組の撮影に出かけていくのに、アイスランド語の通訳を用意しないなんてことが考えられるだろうか。
 実際、それをやってしまっているのだが・・・

 こちらもがんばって英語でしゃべっていたせいか、旅行中はほとんど感じなかったが、堤真一の番組を見ていると、出てくるアイスランド人の英語レベルはそれほど高くないことがわかる。
 もちろん、テレビカメラに向かって英語でしゃべって意思疎通しているのだから立派なものなのだが、発言の内容がどうしても「自分が英語で言える範囲」に限られてしまい、深みのない薄っぺらい感じになるのが避けられない。
 何人かの出演者は、一生懸命英語の語彙や表現を探しあぐねているようだった。おそらく母語であるアイスランド語でなら、もう少し的確に言えたのだろうと思う。

 出演者の中に一人だけ、英語をしゃべらない人がいた。代々にわたってスモークサーモンを作り続けているという家の先代だった。といっても、まだ67歳とかだったと思う。
 その人のアイスランド語は、現当主である息子が英語に通訳していた。

 ・・・とまあ、とりとめのない話になったが、アイスランドに取材に行くなら、当然、アイスランド語で意思疎通すべきだったと思う。得られる情報の質も量もそのほうがはるかに上だったろうと思われるからだ。

 同時に、通訳が得にくいからといって、英語の通訳ですませてしまえるというのも、すごいことだと思った。
 どこかの国のテレビが日本に取材に来るとして、ふつうの人にインタビューするのに英語だけですませてしまおうなんて考えるだろうか。

 やはりなんといってもまあ、アイスランドは「英語の通じる国」なのだと再確認した。

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2017.06.22

◆The Gifted

 周知のことだが、将棋の藤井聡太四段(14)が、「永久に破られない」と言われていた30年前の公式戦連勝記録に並んだ(並んだだけだから、まだ破られていないのかもしれないけれど)。
 (後記:2017年6月26日(月)、29連勝して破られました。)

 棋士デビューから公式戦で一度も負けず28連勝した中学生。そんな存在が考えられるだろうか。

 対戦相手との実力が互角(勝率5割)だと仮定すると、こんな「偶然」が起こるのは、約2億6844万分の1である。

 藤井四段の方が圧倒的に強く、勝率9割だとしても、こんなことが起こる確率は5%ほどしかない。統計処理だと棄却されてしまうほどのレベルだ。
 勝率95%に設定してやっと24%と、まあ起こってもそれほど不思議ではない数字になる。

 全員年上の並み居るプロ棋士(アマ2人を含む)相手に、それくらいの勝率をあげられるだけの実力があるということなのだろう。

 ちなみに、勝率を99%(100回に1回しか負けない)に設定しても、28連勝できる確率は75%に過ぎない。もしかすると、それくらい強い可能性もある。
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 英語に gifted という言葉がある。「神様から贈り物(ギフト ≒ 才能)を授かっている(人)」というような意味だが、アメリカなんかには gifted のための学級やら学校やらがあり、それなりの数の子どもたちが通っているそうだ。

 藤井四段は、紛れもなく才能を授かっている。それも、通常の gifted というよりは、The Gifted とでも言うべき、唯一無二の存在ではないだろうか。
 音楽のことなんてまるでわからないけれど、頭に浮かんだのはモーツァルトだった。分野はまったく異なるが、おそらくそのレベルの天才だろう。

 言っても詮のないことだが(ほんとに何の意味もない)、「自分にこの1/10でも1/100でも才能があればなあ」と夢想してしまう。
 どんな分野でもいいから・・・と思うのだが、「そんなことを考えているからダメなんだろうな」とも思う。

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2017.06.20

◆最高の花婿

 引き続き、映画の紹介。

 パリから南西に百数十キロ、お城で有名なロワール川流域に住む保守的なフランス人夫妻。自身も、ちょっとしたお城を思わせる邸宅に住んでいる。

 4人の娘がいるのだが、パリに行かせたばかりに、上の3人が次々と、アラブ人・ユダヤ人・中国人と結婚してしまう(そこまでは冒頭の5分ほどで描かれているので、別にネタバレではありません)。

 当然のように、宗教や文化や習慣の違いに戸惑い、疲れ、怒っている。
 特に父親の嘆きは深い。

 頼みの綱の末娘は、果たしてどんな男と結婚するのか・・・

 まあ予想通りの展開なのだが、わざとらしいまでのドタバタ系コメディが非常に面白かった。

 アメリカなんかでは、危なすぎて現代劇としては作れないのではないかと思うような話を、建前と本音を織り交ぜながら笑いに変えてしまう。

 計算された名作だ。フランスで年間興行収入が1位になったというのも頷ける。
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 全体として面白かったのとは別に、興味深い点が2つあった。

 一つは、なんだかんだ言っても、娘の結婚相手4人の全員が流暢なフランス語を話すことだ。というより、おそらく全員がフランス語のネイティブである。

 この点が、日本におけるいわゆる「国際結婚」とは大きく異なる。

 もちろん日本でも、在日コリアンとの結婚などでは同じことだが、それ以外の国際結婚だと、そもそも子どもの配偶者と言葉が通じるのかがまず問題になることが多い。
 甚だしき場合は、夫婦間ですらあまり言葉が通じないというケースも珍しくはない。

 言葉の壁がないという時点で、しかも、そのことがほとんど意識されていないという点で(一度だけ発音の問題が取り上げられていたようだけれど)、日本で考える国際結婚とはかなり趣を異にするのだが、「移民社会」という切り取り方なので、それで当たり前なのかとも思う。
 それでも、言語に対する問題意識が描かれていないのは、やはり(ある種の)フランスらしいという気がした。

 もう一つは、主人公(のひとり?)である父親が、保守的なド・ゴール主義者だと自ら言明しながら、「人種差別主義者(raciste ラシスト)」だと思われるのを非常に嫌がっていることである。
 人からどう思われるか以前に、自分が raciste であることをどうしても認めたくない( ≒ 自分は raciste であるべきではない ≒ raciste ではない)という心性が厳然と存在するのだ。

 同様に、自分はファシストでもないと(これはフランス人として当然)考えているのだが、この種の建前を大事にすることは悪くないと思う。
 差別感情や偏見が現にあるとすれば、それは間違っているという理想や建前からその解消が始まることも多いと思われるからである。

 建前すら捨てた人間はもはや、テロリストまであと一歩だ。ヘイトスピーチやヘイトクライムを公然と行うような者は、テロリスト同様、断じて許してはならない。
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 ただ、共産主義者(communiste コミュニスト)と呼ばれることも同様に嫌っているように見えたのはちょっと気になった(まあ現実としてそうであることはわかるのだが)。

 これは、末娘の結婚相手の父親が、「アラブ人・ユダヤ人・中国人との結婚を許すような奴は、コミュニストに違いない」と憎悪丸出しで考えているのと表裏一体をなしている(「博愛主義者だから素晴らしい」とは決して思わない)。

 現実の共産主義政府に碌なのはないし(ベトナムやキューバはどう評価すべきなんだろう?)、個人的には、これからも共産主義政権が素晴らしい国家を作るとは思えないのだが、それでも、レイシズムやファシズムと並べられたのでは、コミュニズムが可哀相だ。

 前二者と違い、コミュニズムは少なくとも、根本的な思想としては全人類の幸福を願っているはずである。たとえ現実がまったく違っていたとしても、それとこれとはまた別の話だ。

 (Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu ?, 2014 France)

 (原題はたぶん「(こんなに次々と災難が降りかかってくるなんて)いったい私たちが何をしたと言うんですか、神様?」という感じだと思います。違っていたらすみません。)

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2017.06.19

◆ヘイトフル・エイト

 久しぶりに映画の紹介。

 エンニオ・モリコーネが音楽を担当する、クエンティン・タランティーノらしい凄惨な映画。サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセルほか。

 ミステリー仕立ての西部劇になっている。あ、西部劇仕立てのミステリーと言うべきか。
 いやむしろ、バイオレンスが中心で、あとはそのための道具立てにすぎないのかもしれない。

 (以下は完全なネタバレなので、これからご覧になる方はお読みにならないことをお勧め致します。)

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