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2008.05.31

■「滋賀、奈良もタクシー禁煙 全国24都県に」

 5月31日は世界禁煙デー。「滋賀、奈良もタクシー禁煙 全国24都県に」だそうである(sankei.jp)。

 滋賀と奈良のタクシーが全面禁煙になったのは新聞で読んだが、「全国24都県」には驚いた。

 過半数なのである。

 まだせいぜい、5〜6都県とかだと思ってた。
 待てよ、ここに「都」が入っているということは、東京のタクシーは全面禁煙なのか。知らなかったような・・・

 逆に、北海道と大阪府と京都府はまだなんだな。ふむふむ。

 「やったー、滋賀と奈良という近くの県でタクシーが全面禁煙になった」と喜んだのも束の間、長い?人生の中で、滋賀や奈良でタクシーに乗った経験は(おそらく)皆無なのであった。これから乗る可能性もほとんどない。

 せめて京都ならよかったのにと思う。それでも、京都で最後にタクシーに乗ってから、もう10年以上経つはずだ。

 やっぱり大阪だよな。大阪なら、さすがにたまには乗る。値段にめげて「健康のために」とかつぶやきながら歩いたりもするけど。

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2008.05.30

■偉いぞ、福田首相

 官房長官時代の福田現首相は大嫌いだった。

 特に、自身の年金未納問題を隠すために必死で誤魔化そうとするに及んで、その感情は決定的になった。
 そして結局、その年金問題が直接のきっかけになって官房長官を辞任した(と記憶している)。

 その福田氏がいくらも経たずに首相として復帰するんだから、何のために引責辞任したのかという感覚を持っていた。まあ、政界にはよくあることだ。

 しかしながら、首相になってからの福田氏はそんなに悪くはないと思う。

 確かにぱっとしないが、過去の内閣、とりわけ小泉内閣の残した負の遺産を引き受け、何とか清算しようと努力しているように見える。
 まあ、本人もその官房長官だったので、適役なのかもしれないけれど。

 かつて「いつも人を見下してつまらぬ皮肉を連発し、射竦めるような視線と威圧的反問で記者を黙らせようとする、エラソーな福田官房長官」と書いたが、首相になってからの氏からはそういう態度がほぼ消えたのではないだろうか。
 ただ、相変わらず、世間知らずのKY発言が多くて大丈夫かな?という気はする。

 それはともかく。

 アメリカや中国やロシアの締結・批准が絶望的な中、クラスター爆弾の禁止条約(オスロ・プロセス)へ向けて動く国際社会に歩調を合わせ、日本がこの条約を受け入れる方向になったという。

 受け入れに消極的だった政府の態度が突如180度転換したようだが、その背後には福田首相の決断があったと報道されている。

 もちろん、今回の条約はそれほど素晴らしいものではない。肝心の米中露の参加が見込めないことも、最新型の高性能爆弾はOKなどというのも悲しいことだ。

 だが、現在世界各地で悲惨な現実を引き起こしている不発弾の問題などが少しでも軽減されるのなら、意味がないわけではない。できることから始めるしかないのであれば、意義ある一歩にはなろう。

 対人地雷廃棄の裏には、故小渕首相の決断があったという。クラスター爆弾は福田首相。

 なんだかんだ言っても首相というのはやはり力を発揮できるんだなあ・・・

 ふだん、政治家や政府や官僚機構には不満や文句や愚痴が出るばかりである。だが、敬意や賛意を表すべきことには、きちんとそうすることも必要ではないかと思い、珍しくこんなエントリを作ってしまった。

 私ごときに「偉いぞ」って褒められる首相も可哀想だけれど・・・

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2008.05.28

■自然の造形美?


 マイマイガの幼虫が大発生?しているようです。「戸惑う被写体」にもう1枚あります。

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■17万7777アクセス

 どうせいい加減な数字ではあるのだが、先ほど、このブログが

177777 アクセス

になった。こういう番号を見るのは初めてだし、なんとなく嬉しい。

 みなさま、ありがとうございます。

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2008.05.26

■それはそれとして・・・

 新幹線に乗ると、いつも私は少しだけ哲学者になる。

 みんなそうなのだろうか。

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■可哀想な「ひかり」

 京都から新横浜へ向かうときの話。

 最寄り駅で新幹線の切符を買おうとすると、「京都53分発の「のぞみ」は今からですとぎりぎりになってしまいますので、次の時間の16分発の「のぞみ」でよろしいでしょうか」。

 係員は、作り笑顔に見えない若い女性だ。

 女性職員を駅や列車で見かけるようになったころから、ちょうど電車にほとんど乗らなくなったので、未だに何だか新鮮である。

 新幹線の発車間隔が23分なんてありえない。それぐらい、田舎者の私にもわかる。それとも、新横浜に止まる新幹線が少ないのかな?

 いずれにせよ、京都駅で20何分も待つのは避けたい。

 「あのぅ、その間に出る電車はないんですか?」
 「あ、はい、えっと、あるにはあるんですが、「ひかり」になってしまいます」

 ・・・ひかりになってしまいます・・・

 「えっと、あの、「ひかり」って遅いんですか?」
 「はい。後の「のぞみ」に抜かれてしまいますので」

 新幹線に乗ってしまえば、快適な車内で景色を見るなり本を読むなり眠るなり、好きに過ごすことができる。少々遅くてもかまわない。

 「あ、それはかまいませんので、それで」
 「はい、かしこまりました。では、56分発の「ひかり」でよろしいでしょうか」
 「ええ、お願いします」

 「のぞみ」の3分後には「ひかり」が出るのである。オマエは地下鉄か。

 ギリギリだという「のぞみ」と3分しか違わなくて大丈夫なのだろうかとちょっと思ったが、京都駅では実際、53分に乗ろうと思うとまさにぎりぎりで、56分だとちょうどゆったり向かえるのであった。

 こういう時間管理においては、毎日のように利用していた国鉄時代からよく感銘を受けたものである。それが悪い方に作用して、例の尼崎の事故なんかを起こしたわけだけれど。
 ___

 確かに「ひかり」は遅かった。浜松だの静岡だのに止まったりするし(ちょっと驚いた)、気づいただけで2台の「のぞみ」に抜かれた。少なくとも、16分発のさらに次の「のぞみ」にも抜かれたということになる。

 とはいっても、確か2時間30分はかからなかったと思う。2人席の窓側は満席でとれなかったのだが、この雨ではどうせ富士は望めないし、結果として3人席を一人で利用できてよかった。

 「隣煙車」だったので少々タバコ臭いことを除けば、すこぶる快適で仕事もはかどった。
 ___

 それにしても、「のぞみ」というのは、「「ひかり」より速い特別な新幹線」ではなかったのか。

 いつの間にか、「のぞみ」こそがごくふつうの新幹線になり、「ひかり」は遅い列車の名称になってしまっている。

 可哀想な「ひかり」・・・

 特別急行(特急)ばかりになって急行がほとんどなくなり、新快速がふつうになって快速は各停に毛の生えたような存在に成り下がってしまったのと軌を一にしている。

 まあ、そういう文化だというのはわかる。

 「お前」も「あなた」も「貴様」も、もはや往年の高貴さや婉曲さを完全に失ってしまっているし、「デラックス」というのは、最下級ランクの車を表す名前になり下がった後、姿を消してしまった(と思う)。

 でも、「ひかり」に対しても同様の仕打ちをしたのは失敗だろう。

 まあ、何となれば、最初の時点でこれ以上ない速さを名称にしてしまったのがそもそもの間違いなんだけど、当時の日本の熱狂と将来への期待を思えば、その命名もわからないではない。

 「ひかり」より速い新幹線の登場時、命名には困っただろうとは思う。

 しかしながら、希望というのは、つましい方が麗しい。

 「ひかり」より速いのが「のぞみ」だなんて、高望みもいいところである。
 いっそのこと、「ワープ」にでもすればよかったのに。

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2008.05.25

■田舎者の悲哀

 出張の帰り、新横浜駅の自動券売機で、新幹線の指定席特急券を購入した。

 禁煙/喫煙、窓側/通路側程度しか指定できないのが難だが、わかりやすいインターフェースでクレジットカードを使ってささっと買えるなど、便利ではある。

 だが・・・

 今から乗るのにちょうどいい、2ケタ番号の最初の「のぞみ」の表示は、「禁煙席」の横の「喫煙席」とあるべき場所に、「喫煙ルーム付」(だったと思う)とあって躊躇した。
 行きの「ひかり」に乗ったとき、喫煙車両の隣(いわゆる「隣煙車」)だっために、タバコの臭いが漂っていたのだ。

 幸い、4分後には次ののぞみが出る。3ケタ番号だし、京都着は7分遅れになるものの、そちらはちゃんとした禁煙席が取れそうだったのでそっちにした。

 ところが・・・

 ホームに上がってまもなく入ってきた最初ののぞみに関するアナウンスは、「全席禁煙となっております」

 えっ!?

 全席禁煙だからこそ、ごく一部の車両に喫煙ルームが設置されているだけなのだ。そういえば、全席禁煙の列車が導入されたことは聞いたことがあるような気がする。

 しかも、ホームの時刻表を見ると、まだ乗ったことのない、ウワサの N700 系なのである。

 これに乗ってしまってやろうかと一瞬思ったが、結局、4分後ののぞみの指定券を握りしめ、指をくわえて見送るしかなかった。

 次の列車の指定券を持っていれば、空いている席に座っていいのかどうかも知らないのである。

 今思えば、指定券購入時の判断も、列車が入ってきたときの判断も間違っていたのではないかと思う。
 ものを知らない田舎者であることが少し恨めしくなった。

 結局、先頭を見なかったので何百系かわからないのぞみに乗った(調べたら、N700でも500でもないことはわかった。ということは300系なのか?)。
 行きのひかりもそうだったが、それでも足元は広々としていて揺れもほとんどなく、分厚い紙の束をじっくり読むのに何の支障もなかった。

 これより素晴らしい N700系って・・・

 憧れは募るが、まあそのうち乗れるだろうとは思う。

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■文化果つるところ

 仕事で東京へ出かけた。

 東京郊外というか横浜郊外というか、まあそんなところ。

 JRの快速停車駅で、同時に私鉄のターミナルにもなっている駅のすぐ近くに宿を取った。

 せっかく東京まできたんだから、ちょっとおいしいものを食べたいと思い、フロントで「近くにお勧めの洋食屋とかはありませんか」と聞くと、「ありませんねぇ」という返事。

 隣の係員がにやにや笑っているので一瞬不快感を覚えたが、口を挟んできて理由が判明し、脱力する。
 いわく、「サイゼリヤぐらいしかないんですよね・・・」

 では洋食にはこだわらない、何でもいいからお勧めの店はありませんかと聞き直すと、「うーん」とうなったまま、2人とも困っている。

 こんな質問、しょっちゅうされていると思うのだが、答が全く用意されていないのである。

 近所の食堂が一覧できる地図は用意されていて、結局それはもらった。
 けっこうたくさんの店が載っているのだが、この中にお勧めの店はないということか。

 なんと言っても、かなり大きな駅である。食べ物屋が不要なはずはない。

 今改めて地図を確認すると、ジョナサン・サイゼリヤ・くら寿司・餃子の王将・リンガーハット・ロッテリア・マクドナルド・モスバーガー・ケンタッキー・ミスタードーナツ・つぼ八・笑笑・小僧寿しなど、一通り何でもある。イトーヨーカドーやサティもあるし、コンビニだって各社そろい踏みだ。

 しかし確かに、「ここで食べたい」と思う店は見あたらないのである。

 結局、「駅前ビルの上やサティの上に食堂街のようなものがあるので、そこが一番まともではないか。以前、外国人のお客さんがいらした際にもそう案内した」というフロント係の言葉に、肩を落とすしかなかった。

 外は雨である。

 仕方なく駅方面に向かって歩き出そうとして、もらった地図をあらためて見ると、近くに「中華○△」(匿名)というのがあるではないか。「これでいいや。もうここにしよう」と思って行ってみたが、ちょっと入る勇気が挫かれる店のたたずまいであった。

 ___

 私は大阪の北の外れに住んでいるが、家の近くはともかく、最寄り駅の近くには、人に勧めても問題のない洋食屋の3軒や4軒ぐらいはある。

 この、「東京郊外」は、いったいどうなっているのだ。駅自体を取り上げれば、大阪とは言わないまでも、神戸の中心にあるそれよりもよほど立派に見えるのに。

 ___

 結局、駅前で見つけた、半世紀の歴史があるという鳥料理屋に入った。なあんだ、こんな店がちゃんとあるじゃないか。

 と思ったが間違いだった。入った瞬間、後悔が始まるような店なのである。外から見ると割によかったのに。
 店内はやや小綺麗にしているものの、要するに居酒屋の雰囲気で、店員は若いバイト(だろう)ばかり。玄関を開けた瞬間からタバコの臭いも漂う。

 カウンターに案内されてからも、やっぱり出ようかどうしようか、でも今さら・・・と思っているうちにメニューやらお茶やらが出されてタイミングを失う。

 店員がお盆をひっくり返し、ガッシャーンともの凄い音がして、飲み物とガラスが床に散らばる。

 そして、注文の品を待つうちに来店したカップルがすぐ隣に案内され、あろうことか、席に着くやいなや、2人ともタバコとライターをカウンターの上に置いたのだ・・・

 もう、一刻も早く、食事を終えてここを逃げ出すしかない。

 立田揚げ(という表記だったと思う)をおかずにして、安物の寿司を食べた。確かに、前者の方は悪くない。
 気のおけない友人とテーブルを囲んで鳥肉料理中心に食べるならけっこういけるんじゃないだろうか。ただし、禁煙であれば。

 仕事は東京都内だが、ここは神奈川県のはずだ。ちょうど境なのである。

 神奈川県といえば、現在、「全国初の「屋内禁煙条例」」(sankei.jp)を策定中である。個人的にはもちろんありがたいが、さすがにそこまでするのはどうかとも思っていた。
 だが、すぐ隣にまったくの他人が座って食事しているカウンターで、ぜんぜん遠慮するふうもなく次々とタバコを吹かすカップルを見ていると、やはり強制的に禁煙にするしか方法はないのかとも思う。

 赤の他人が傍若無人に吐く煙は、ことのほかこたえるのだ。
 ___

 食後、空しい気持ちを抱えながら駅前の商業施設に入ると、上の方の階にけっこうまともな食事ができそうな店がいくつかあった。最近のデパートの食堂街のような感じである。

 これならこちらの方が数段マシであったと、後悔の念が募った・・・
 ___

 ホテルを予約するときから、仕事でもなかったら一生来ないような場所だなあとは思っていた。
 まあ、何の変哲もない郊外というのは、もともと最も行かない場所ではある。うちの最寄り駅の両隣の駅ですら、降りたことは一度もない(はずだ)。

 しかし、兄一家は一時、この「東京郊外」に住んでいた。街の良さもなければ田舎の良さもない、こんな文化果つるところで、よく暮らしていたなあと思う。

 東京や横浜へすぐ出られるから、こんなところでもよかったのだろうか。それとも、兄の住んでいた家の最寄り駅近くには、まともな食べ物屋なんかがあったのだろうか?

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2008.05.24

■あの Vallejo 市が・・・

 (承前)

 そういえば、中島みゆきの歌に、

♪新聞に載るほど悪いこともなく
♪賞状をもらうほど偉いこともなく
♪そしてゆっくりと1年は過ぎてゆく

というのがあった。やっぱりここでも、「新聞に載る」=「悪いこと」なのだ。

 私もこの歌詞の最初の2行にはあてはまる。ただし、1年が過ぎてゆくスピードはけっこう早いような気がする。

 「賞状」をもらったのは子どもの時だけだ。それも多くはないし、習字の「佳作」とか、どうでもいいようなものばかりである。
 しかしながら、わが生涯に燦然と輝く ^^; 賞をもらったことがある。

 「Vallejo 市長賞」だ。確か賞状はなく、小さなトロフィーだったけれど。

 ニューヨークやロサンゼルスではなく、デンバーやメンフィスですらない。Vallejo 市? それどこ? というようなものである。

 それでも、昔の田舎の少年にとっては、あの憧れのアメリカの市長の名を冠した賞をもらうというのは、それほど嬉しくはないにせよ、まだ見ぬ海外に思いを馳せさせるできごとではあった。

 当時はまだ、海外旅行なんてたぶん一生縁がないと思っていた・・・

 Vallejo 市長が女性だというのにも驚いた。それまで、日本のすべての歴代都道府県知事は男性だったし(初の女性知事が誕生するのは2000年を迎えてからだ)、おそらくは市町村長にしてもそうだったのではないか。

 女性市長。子ども心にも、さすがアメリカ、と思ったものである。
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 さて、その後、Vallejo 市についてはほとんどどんな場面でも耳にすることはなく、いつかそんな街があることさえ忘れていた。アメリカには3度行ったと思うが、その存在を思い出すことさえなく、したがって、ついでにちょっと訪問してみようかなと思いつくことすらなかった。

 その街がテレビのニュースになっていたので驚いた。その理由はなんと「財政破綻」。

 何でも、破産した自治体は全米で初めてなのだそうだ。

 現在、市のウェブサイトのトップは「Bankruptcy Information」(破産に関する情報)である。
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 なぜ今まで、Vallejo 市と書いてきたかというと、日本語でどう読み、どう表記すればいいのかすら定かではないからである。

 トロフィーには確か、バレオー市長賞とあった。
 賞の関係者は、バレホ市と発音していた。
 破綻報道では、バレーオ市が目につく。バレーホも多い。
 現地では、バレヨと発音する人も多いらしい。

 もちろん、そのそれぞれに、ヴァレホとかヴァレーオとか、「バ」を「ヴァ」に変えた表記も存在する。

 これほど表記が揺れているのは、もちろん、Vallejo 市がそれほどまでに無名だということである。

 アメリカ西海岸、カリフォルニア州北部にある(らしい)人口12万人ほどの無名の市。その市長の名を冠する賞を少年のころにもらった男がここにいて、その市がやっとちょっとだけ有名になったと思ったら、その理由は「破産」・・・

 とても縁起がいいとは言えない。

 でも、こんな目立たないニュースをたまたま知ったのも何かの縁かもしれない。今度西海岸に行く機会があったら、ちょっと寄ってみようかとも思う。 

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2008.05.23

■新聞に載るということ

 先日、かつて親しくさせていただいていた(過去形だろうな、やっぱり)方がお2人、全国紙の一面に大きく取り上げられていた。

 大きなカラーの写真まで載る扱いである。

 そのうち紙面でお目にかかれるだろうな、もし取り上げられないとすれば記者の見識を疑うだけだ、と思って待っていたので驚きはしなかったが、やはり、実際に目にすると格別である。
 ___

 小さいころ、よく親から「新聞に載るようなことだけはするな」と言われて育ったような気がする(気がするだけだ。本当に言われてたのかどうかは、今ひとつ定かではない)。

 新聞に載るのは悪いことをしたとき、という庶民感覚からは、たとえば自分の息子が、今回のような形で新聞に取り上げられることなどは想像できないことなのだろう。

 実際、私は新聞に大きく取り上げられるほど立派なこととは無縁だったし、今後もそうだろうと思う。

 もちろん、親の言いつけ?も守り、それほど悪いこともしない。

 だが、はからずも「恥づかしき」方々の謦咳に触れさせていただく幸運を得て、自分のことではなくても「新聞に載る」ということを少しは身近に感じるようになってきている。
 私の親はそうではない。
 ___

 先のお2人はもちろん、新聞に載るために何かをなさっているのではない。私にしても、それを目的に何かをしたりはしない(しても無理だけど)。

 しかしながら、「新聞に載るようなことだけはするな」と言い続けていた?親に、「ごめん、あんだけ言われとったのに、新聞にこんな大きく載ってもた・・・」と言って、一面に自分のカラー写真が載った記事を見せてみたい気はちょっとする。

 他の誰にも知られなくても。

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2008.05.21

■今日は175円

 今日、看板を見たら、ハイオク1リットルが175円になっていた。

 あれっ!? つい最近、170円ってここに書いたぞ、と思ってさっき見たら、昨日だった。

 昨日と今日で5円も違うなんて、いったい何があったというのだ。

 ニュースでは、「来月から元売り各社が大幅な値上げ」と言っていた。もしそれが本当なら、180円のせは確実な気がする。

 今日もガソリンは入れなかったし、いつももっと安いセルフのスタンドで入れているのだが、今度入れるガソリンはいったいいくらになることやら。

 これまでの最高値、169円突破は確実だろうか・・・

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2008.05.20

■ハイオク170円

 今日、ハイオク170円の看板を見た。ナマでこれほどの金額を見たのはたぶん初めてである。

 今まで私が日本で入れた最も高額のガソリンは、1リットルあたり169円だ。今年3月末ごろ、岐阜県高山市郊外でのことである。
 普段入れてるのより遥かに高額だったので記憶に残っているが、看板だけとはいえ、早くもそれを超えるのを見てしまった。

 実際に170円以上のガソリンを入れる日もそう遠くないだろうと思う。原油価格の上昇から見れば、もっと値上がりしても不思議じゃないのだから。

 アメリカや韓国はもちろん、ヨーロッパでも、200円以上のガソリンを入れた記憶はない。もっとも、今より原油安・ユーロ安の時しか知らないので(ご承知の通り、現在は原油もユーロも史上最高値の水準にある)、今なら200円を超えているところもあるかもしれない。

 日本で200円越えの日はいつ来るのだろう。

 200円というのは単にキリがいいだけで、たいした意味のある数字ではないが、各種調査によると、200円を超えると車の使用をやめるという人がぐっと増えるそうだ。
 人間心理はキリのいい数字に影響されやすいので、そういうこともあるかもしれない。

 もちろん、単に希望をいえば、何でも安いに越したことはないけれど、もし200円を超えたら車の数がぐっと減るというなら、その様子を観察してみたいとも思う。

 その方が環境にもいいのは間違いないだろうし。

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2008.05.19

■アイ・アム・レジェンド

 冒頭、人がいなくなって自然に還りつつあるニューヨークの街を、マスタングで駆け抜けながら鹿狩りをするシーンだけで見た甲斐があった。

 途中からバイオハザードやゾンビの亜流のようになってしまっているのは惜しい。

 自分一人だけ生き残っている男、犬とのつながり、母子との邂逅・・・ そういう精神的な要素を新鮮な映像体験を交えて表現してほしかったと思う。

 冒頭シーンはその可能性を十分に感じさせてくれただけに、やや残念であった。

(I am Legend, 2007 U.S.A.)

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2008.05.18

■パンズ・ラビリンス

 いい映画はけっこう見てるのに、最近書かなくなった。題名だけでも挙げるようにしようかな。

 舞台は1944年のスペイン内戦。すごくまじめに作られた映画だ。

 なのに、主人公の少女が、地下の王国から抜け出した王女様だとかいうファンタジーが交錯する。

 実に不思議な作りだ。こんな映画は初めて見た気がする。スペイン内戦部分を見るだけなら「誰がために鐘は鳴る」だし(もちろん違うけど)、ファンタジー部分だけなら「オズの魔法使い」である。

 そんな組み合わせで一つの映画にしてしまうなんて力業がありうるだろうか。

 私にはファンタジーの部分がちょっとしんどかったが、世間の評価は非常に高いようだ。

 純粋にスペイン内戦を描けばよかったのにと思うのは、もはや頭が柔軟性を欠いているからだろうか・・・

 (相変わらず邦題がひどい。ラビリンスはまだ許すとしても、「パンズ」って何だよ。いくら何でももう少し、調べなくても意味のわかる邦題にしてほしい。「牧神の迷宮」でいいじゃないか)

(El Laberinto del Fauno, 2006 Mexico, Spain, U.S.A.)

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2008.05.17

■忍び寄る老い

 昨日の朝のことである。

 洗面所で歯を磨いていて、左の眉毛の内側の方に1本、白い毛が生えているのを見つけた。

 何だかちょっと、不意を突かれた感じになって、まじまじとそこを見る。両の眉毛を点検してみたが、白いのはその1本だけのようであった。

 今でも、髪の毛にはほとんど白髪がない。いや、もちろん、10年ぐらい前からか、ないわけではないのだが、鏡を見ていて見つけることが稀な程度にしかない。他人がふつうの注意力で見ている分には、現在でも1本の白髪もないように見えるはずである。

 それでも、髪に白いものが見つかるのはまあふつうのことなので、それほど驚きはしない。しかし、想像もしていなかった「眉毛に白髪」には軽いショックを受けた。

 ___

 髪が薄くなったり白髪が増えたりするのは、わかりやすい老いの兆候である。あと、近くのものが見えにくくなるとか。

 そうそう、老眼に関しても、まだはっきり自覚するほどではないが、眼鏡をかけたままだと20cmより手前のものが少し見えにくくなってきたような気がする。
 昨日、すごく小さな字で書かれたナイフとフォークのブランド名を読もうとして顔に近づけると、ぼやけて読めないのに驚いた。30cm近くまで離すとはっきりするのだが、今度は小さすぎて読めない。

 これまで、近くに寄れるものなら、たいていのものは見えた。レンズものが好きで昔買ったニコンの虫眼鏡もツァイスの単眼鏡も、ほとんど使うことはなく、机の引き出しにしまったままである。
 双眼鏡の出番がものすごく多いのは、鳥を見るからばかりではない。これまで、遠くのものは見えにくくても、近くのものを見るのに不便を感じることはほとんどなかったのだ。たとえそれが、(たとえば)小さな花の付け根にある苞の切れ込みとかであったとしても。

 近くに寄っても見えなかったりするから、虫眼鏡なんかが必要になるんだ・・・

 幸い?現在のところ、眼鏡を外せば10cm未満でもしっかりピントは合う。ナイフのブランドもそうやって読めた。
 けれども、小さな読めない文字を、眼鏡を外して読んでいる人は、もはや青年ではあり得ない。これまで自分がそんなことをしたことがあっただろうか?
 そうまでして読んだブランド名が見知ったものではなく、かつ、まだそれから1日も経っていない現在ですらぜんぜん思い出せないことに、何だか淡い寂寥感のようなものが漂うのである。

 ___

 話がふくらんでしまった。もともと、「眉毛に白いものを1本見つけました。ちょっとびっくりしました。終わり」という感じのエントリにするはずだったのである。

 話を戻そう。薄毛・白髪・老眼などはわかりやすい老いの兆候だ。だが、わかりにくい老いも種々忍び寄っているのかと思うと・・・ と書きながら、実は実感がない。

 老いの近づいてくる速度は、私の日常の感覚からすると遅すぎて、気になるほどではないのである。しかし、ある日突然、何かに気がついて愕然とするようなことになるのだろうとも思う。
 おそらくは、今回の眉毛どころではなく。

 老いを「忍び寄る」ものと表現してきた先人たちの思いが、そこはかとなく想像できる年齢になってしまった。

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2008.05.14

■寓居でもホトトギス

 さっき、ホトトギスの声が聞こえた。

 先日、風の強い日に、家の外壁にぶつかるナンキンハゼの枝を切ったときに聞いたのが今年最初だったと思う。
 でも、去年までも鳴いてたっけ?

 ホトトギスが生息できるとは考えにくい住宅地なんだけど、何はともあれめでたい。

 まさか、誰かが飼ってるんじゃないだろうな・・・

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2008.05.13

■冤罪タイムマシン

 新しく購入した MacBook Pro で、アプリケーションがたびたび落ちる原因は、Time Machine ではなかった。

 新しく使い始めた機能はそれぐらいしかなかったので、真っ先に疑ってしまったのだ。冤罪はかくのごとく容易に生まれる。自戒せねば。
 まことに申し訳ない > Time Machine

 ともかく、土日のほとんどをパソコンの環境作りやデータのバックアップなどに費やしてしまった。
 特に、理由のわからぬアプリケーションの強制終了を解決するために、いろいろな実験を強いられた。その過程で、さまざまな初期設定をクリアしたりすると、またアプリごとに設定し直したり、シェアウェアの登録キーを入れ直したり、もう大変である。

 これも仕事には違いないから、土日はすべて仕事に当てたことになる。結局、月曜の夜中まで続き、火曜の夜である先ほど、やっと一応の解決をみた。

 真犯人は ATOK2007 である(わかってみると、もっと早く気づけよという気はした)。

 だが、「じゃあ、使わなければいいじゃないか」というようなソフトではない。おそらくは、現在マックで使える唯一まともな日本語入力システムなのだ(ことえりも最近はよくなったという話も聞くけれど)。

 なので、犯人がわかってからでも、現象を回避する方法を探し求めることになった。

 OSの再インストール、ATOK2007の削除、ATOK2007の再インストール、引き継いだ辞書や諸設定の削除、再度、ATOK2007のクリーンインストール・・・ などを繰り返しても、結局は回避する方法を見つけることができなかった。

 仕方がないので、現在は ATOK2006 にダウングレードして使っている。今のところ問題は起こっていない。

 職場で使っている MacBook Pro ではこんな問題は起こっていないのに、どうしてなんだろう?

 ともかく、やっとパソコンがまともに使えるようになってほっとしている。

 ほとんど使い物にならない高価な最新パソコンを抱えて、一時はどうなることかと思った(まあ、パソコンとのつきあいは長く、ある意味では慣れっこになっているので、そのうち何とかなるだろうという気はしていたけれど・・・)。

 これでやっと、先週末と同じレベルの環境に戻っただけ(さすがにレスポンスはいい)。貴重な人生の3日ほどを、空しい作業に費やしたものである。

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2008.05.10

■気温10℃に温故感傷

 スーパーに買い物に行くと、駐車場で車から降りてきた人が全員といっていいほど「寒い寒い」を連発している。
 そりゃ、昨日と同じ格好だったら寒いだろう。

 中には少し対策をしているような人も見受けられるが、ほとんどは夏の格好をしている。わたしも、久しぶりにウールのベストを引っ張り出してきたものの、それでも寒過ぎるぐらいだ。セーターを着ればちょうどいいのではないかと思う。

 でもまさか、気温が10℃しかないとは思わなかった。1日で15℃ぐらい下がったことになるのではないだろうか。
 この辺を覆う大気が寒気団に入れ替わったのだろう、朝からずっと雨である。幸い、屋内駐車場なので大丈夫だったけれど。

 ___

 この時期にこんな気温って昔からあったっけ・・・ と考えて、もうおそらく25年も前、今は亡き畏友とオフロードバイクで林道を走りにいった時のことを思い出した。
 ゴールデンウィークで天気もよかったのだが、走っていてとにかく寒かった。もちろん、セーターの上に革ジャンとか着て、グローブもつけていたと思う。

 林道に着くと、入口は雪の壁。そこまでは除雪してあったが、林道はまだ、背丈ほどもある雪に埋もれていた。ここまではるばるやってきたのにと、その壁の前でひとしきり大笑いしたことを覚えている。
 兵庫県南部のことだ。

 北アルプスの山間にある清水牧場のブログによると、今年はもう、信州の月夜沢林道すらバイクで通れるという。気合いの入ったジムニーとかなら四輪でも大丈夫だそうだ。

 それをすなわち地球温暖化に結びつけるつもりはないけれど、あのゴールデンウィークに、もし月夜沢林道なんかに出かけていたら、どれほどの雪があったんだろう、今後、それを検証できる初夏がくるんだろうかと、感傷と不安が交錯した気分になってしまう。

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■落とすタイムマシン?

 遠い方の職場で使っているパソコンの画面が見にくく、かつ、スピードに耐えられなくなったので、新しいパソコンを買ってローテーションすることにした。

 一番新しいパソコンは家で使うことにする。仕事で使っている時間も、家のパソコンが最も長いような気がするからだ。

 ちょうど大容量のポータブルハードディスクも手に入ったところだったので、Mac OS X Leopard の目玉機能、全知全能のバックアップシステム?である Time Machine を初めて使っている。

 だが、こうしている間もドキドキものだ。さっきもこの文章のバックアップをとった。大したことは書いてないんだけど。

 何が原因かはわからないのだが、ときどきソフトが落ちるのである。近い方の職場で使っている MacBook Pro はそんなことは全然ないので、この新しいパソコンに何か原因があるに違いない。同じパソコンで、CPU のクロック周波数と GPU 以外ほとんど変わっていないと思うんだけど。

 (あ、ご期待(誰の?)に背いて MacBook Air は買いませんでした。すみません。)

 というわけで、Time Machine を疑っている。今も裏で動いているのだ。

 あるいは別の原因かもしれない。「移行アシスタント」を使って今朝まで使っていたパソコンから中身を全部新しいパソコンに移したのだが、肝腎の自分のアカウント内のファイルが移行できなかったのだ。

 新旧のパソコンのアカウントが同じ名前だったことが原因らしく、途中で、古いパソコンのアカウント名を変えなければならないと言ってきたので変えたのだが、そうすると、新しい方のパソコンにある自分のアカウントに、古い方のパソコンにあるデータがコピーされない。
 同じアカウント名を引き続き使いたいと思う人も多いと思うんだけど。

 名前変更後のアカウントのデータとしてコピーはされているのだが、管理者権限でログインしているにもかかわらず、そのデータは見ることもできないのである。何のためにコピーしたんだよ。

 仕方なく、手動でいろいろコピーしたのだが、それがすべてうまくいったかどうかはわからない。
 最初はさまざまな設定を失ってしまっていたソフトも、手動コピー後はもとの環境に戻ったので、だいたいはそれでいいと思うのだが、こういう手動による環境移行が不安定の原因なのかもしれない。

 でもまあ、ここまで書いてブラウザがまだ落ちていないから、大丈夫なのかな?

 タイムマシンは(あ、また今、Finder が落ちた!)約200万もあるファイルをせっせとコピーしている。しかしまあ200万。何のためにそんな数のファイルが必要なんだろう? 実際に重要なファイルは何%ぐらいなのかな・・・

 なかなか終わりそうもないので、このままにして寝ることにする。

 最近はほとんどなくなったが、寝ている間にパソコンにせっせと仕事をさせているのは気分がいいものだった。朝起きると往々にしてエラーメッセージを拝むハメになるとしても。

 さて、今回はどうだろう?

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2008.05.08

■大峯探鳥

 車でアクセスしやすい魅力的な近辺の山には行き尽くしたみたいに思っていたが、地図を眺めているうちに、ここに行ってみてはどうだろうと気づく場所があった。

 古い地図では東西からピストン林道が来てそれぞれ行き止まりになっている場所だが、ネットで検索するうち、その林道が新しいトンネルでつながっているらしいのを知った。

 ゴールデンウィークの真ん中、快晴の日でも、見かけたクルマは全部で十台程度という感じの道である。こんなところにトンネルを掘って繋ぐか・・・

 恐るべし、道路特定財源。それとも農林何とか財源なのだろうか。

 いずれにせよ、お蔭様で、ほんの1時間半ほど歩くだけで、大峯山系の一つ、大天井ヶ岳に登ることができる。トンネルの東側に大天井滝の眺められる休憩所があり、そこでお昼。

 まだ桜がほぼ満開であった。

 西側のトンネル入口からコルまでは、急登だがほんの20分。途中、カケスの声が聞こえる。コルの南側は大峯山寺本堂がある山上ヶ岳に続く道なので、今も女人禁制だ。

 女人禁制なんていつまでやってるんだよという気はするものの、あえて今ここで禁を破るほどの強い動機はないので、私と息子のみ少しだけ歩を進め、家人は「女人結界門」の手前で記念写真を撮った。

 目指すは反対側、大天井ヶ岳なのだが、歩き出して程なく、カラ類の混群に出会う。行動をともにしているのかどうかはわからないが、まずキビタキのさえずりに気づき、姿も背中側から見ることができた。
 自宅近くで見る混群とは違い、ヒガラやゴジュウカラまで混じっている。ゴジュウカラは5羽ぐらいいただろうか。こんなにゴジュウカラを見たのは初めてである。
 奥にはカケスも2羽、顔を見せる。

 のんびり鳥を見ていると、どんどん時間が経つ。息子も病み上がりだし、ピークハントは早々に中止して、この近辺だけをぶらぶらして戻ることにする。

 尾根筋をもう少し北側に移動して、やはりバードウォッチング。また先ほどの場所に戻る。

 普段なら珍しいゴジュウカラだが、そこここにいるし、美しいさえずりも聞こえる。またゴジュウカラ、と言って息子が双眼鏡を覗き、「ぜんぜん色が違う」という。
 カメラのファインダーを覗いていた私にも、色が違うのは見て取れた。咄嗟に、図鑑でしか見たことのない鳥の名を叫ぶ。「キバシリや!」

 家人は聞いたこともないというが、ゴジュウカラのような動きをするこんな色の鳥と言えば間違いない。キバシリ初認である。写りは悪いが証拠写真も撮れた。

 トンネル前まで下山後、トイレを求めて洞川の方へ下る。予定外だが、車を駐めて街を散策。

 どの商店・宿も、道に向かって開口部が大きく、すこぶる開放的である。戸はほとんど開けっぱなしで中は丸見え、網戸もついていない。
 初めてではないのだが、こんなに異様に開放的な街だった記憶はない。来た季節が違うのだろうか(あとで調べると、戦前は遊郭があったという。だとすれば、あれは飾り窓として建てられた名残なのかもしれない)。

 「陀羅尼助」の看板や暖簾がやたらに目につく。胃腸薬らしい。

 イワツバメが多数飛び交っている。

 お土産用の豆腐は売り切れたというので、こんにゃくとエリンギを買い、その場で豆腐を食べる。
 店先のスツールには先客がいたので、息子と2人、角を曲がったところに座って家人が来るのを待っていた。
 家人はひとつだけ空いたスツールを熱心に勧められ、その際、何度も「お姉ちゃん」と呼ばれたと言って気をよくしていた。単純である。

 そういえば、ここに書こうと思って書いていなかったが、先日、魚屋で「お父さん」と呼ばれてしまった。息子と一緒にいない時にお父さんなんて呼ばれたのは初めてだ。
 ついこの間まで「お兄ちゃん」だったのになあ・・・と、ちょっと遠い目になった。

 帰りはまたトンネルを抜けて東側に戻り、林道を北上して吉野へ向かう。ところどころ落石が落ちていたりはするものの、よく整備された林道だ。

 吉野に入るまで、車とは1台も出会わなかった。
 人間は1人だけ、大きなリュックを背負った、いささかシリアスな表情を浮かべた黒縁眼鏡のおじさんとすれ違った。舗装された林道の右端、谷側を黙々と歩いている。

 もう日が暮れかかろうかという時間だったので、今ごろこんなところを歩いていたんでは、日のあるうちにどこか人里に出ることなど不可能である。まあ、荷物から推して、どこかその辺で野営するつもりなのだろうとは思ったが、何だかちょっと心配になるような感じだった。

 あのまま、世界遺産の大峯奥駈道を2〜3日歩き通して熊野へ出るつもりなのだろうか。真似のできぬ所業である。

 これまで、こんな林道があるとは知らなかったし(新しくできたのかもしれない)、吉野へ車で出かけるほど愚かではなかったので、上千本やら奥千本やらへ車で行けるとは知らなかった。

 快適な林道は、吉野に入ると一変する。

 シーズンの終わった、ほとんど人も車もいない吉野でも、もう一度車で通ろうとは思わないような狭く曲がりくねった道だった。

 吉野から橿原へ向かう国道169号沿いには、まともな食事をできる店がほとんど見あたらない。今度出かける時は、きちんと探しておいてから行こうと思った(が、実行できないだろうなあ)。

 和食を看板にしたレストラン 兼 柿の葉寿司店に車を駐めたが、レストランは4月1日から団体専用にしたとの掲示。立派な看板で誘い込んでおいてそれはないだろうと思ったが、どうなるものでもない。

 仕方なく、二十年近く前だったかに不愉快な思いをして以来、自分からは2度と行かないことに決めていた王将に入ることになった(ということは、息子が王将にはいるのは初めてかもしれない。あ、違った。2〜3年前、実家の両親に連れて行かれた)。

 もちろんというか、今回は特に不愉快なこともなかったし、味はそれなりにおいしいかもと言えるぐらいのレベルに変貌していた。
 これなら、船場吉兆で何万円も出して、誰かが箸をつけなかった料理を食べさせられるよりはいいかもしれない。

 追加でにんにくラーメン(息子の希望)と餃子を注文して、珍しくお腹いっぱいになる。ずっと腹八分目を心がけているので、安物の料理によってもたらされるこの背徳の満腹感が「やってしまった気分」を演出する。

 ともかくも、家族でお出かけらしいお出かけができて嬉しかった。その嬉しさが家族とどれぐらい共有されているのかが心許ないけれど・・・

 (あ、でも、息子はキバシリを自分が見つけたことや、ゴジュウカラをたくさん見られたことや、ツツドリの声を聞けたことに、ほんとに幸せそうだった。手振りつきでツツドリの声を真似たりして、はしゃぎぶりや幼さにちょっとあきれるぐらい。

 熱を出して休んでいた日に出すべきだった課題とかいうのを今日知らされて、今、真面目に一生懸命やっている息子に幸あれと祈りたい。)
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 いつにも増してだらだらとした日記を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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2008.05.07

■私もゴールデンウィーク

 こうしてブログをつけていると、毎年ゴールデンウィークに何をしたかがおぼろげながらわかる。もちろん、大したことはしていない。

 この5年間で最大のイベントは、しまなみ海道に行って、自転車でポタリングしたことのようだ。

 あとはバードウォッチングと映画鑑賞程度。それに葬式。

 今年もそうだったが、あちこちの掃除や修繕、それに、服の入れ替えやちょっとした模様替えなどもあるかもしれない。わざわざ書くほどのこともないので表にはあらわれにくい。

 掃除や洗濯なんかは別にすると、今年は予定通り、網戸の張り替え(小さいのを2枚)と葡萄棚作りをしただけだ。あ、寝室にあるローボード?の位置を変えて、寝る方向も変えた。地震対策の意味もある。

 そういえば、結局、外したタイヤとホイールも洗わずに放置したままだ。修理したかったリビングのドアのヒンジにも手をつけなかった。購入予定の息子のベッドも買っていない。
 ゴールデンウィークにすらできないとすれば、いったいいつできるんだろう?

 楽しかったことの一つは、年下の女友達たちとお昼を食べたりしたこと。
 別々の相手と中一日おいて2回。味はいいがほかはちょっとどうかと思うところも多い寿司屋と、味というよりは建物とか内装がこじゃれたフレンチ(今回は味もよかったような気がする。特にメインの牛肉はおいしかった)。
 いずれにせよ、話の方に神経がいっていて、味はそっちのけになる。1人で食べた方がおいしいのは間違いなくおいしいが、寿司はともかくフレンチを1人で食べることはふつうない。もっとも、食事よりは会話の方が大事である。

 もう一つは、家族でハイキングともバードウォッチングともつかないお出かけをしたこと。これは別エントリにする予定。
 家人が仕事をしなかったのは、結局その日1日だけ。

 ほんとに単なる備忘録だな・・・

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■迷訳・珍訳

 スカーレット・ヨハンソン(Lost in Translation, The Island, Match Point, Scoop, The Black Dahlia, The Prestige, The Horse Whisper, Home Alone 3=以上、確実に見た映画)が結婚するそうだ。

 驚いたのはその報道に使われている日本語。

 「ヨハンソンさんの代理人は「二人は興奮している」と事実関係を認めた」(mainichi.jp)

 毎日だけではない。読売も産経も日刊スポーツもヤフーも「興奮している」だ。


 誰か英語のできる奴はいないのか。いや、日本語のできる奴こそが必要だな。

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2008.05.04

■とりあえず今日の鳥

ホオジロ・ツバメ・ウグイス(声のみ)・センダイムシクイ(声のみ)・ツツドリ(声のみ)・カラスSP・カケス・キビタキ・コゲラ・シジュウカラ・ヤマガラ・ヒガラ・ゴジュウカラ・エナガ・キバシリ・イカル(声のみ)・オオルリ(声のみ)・キセキレイ・イワツバメ・タカSP

 キバシリ!

 息子も何とか元気になったし、今年度初めて、家人が仕事しなかった(と思う)。

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2008.05.01

■まずい蕎麦

 先日、まずい蕎麦を食べた。

 いや、何もグルメを気取るつもりはない。取り立てておいしくもないごく普通の蕎麦でも、文句なんか言わない。
 職場の食堂の蕎麦は冷凍のをお湯で戻すだけだが、特に不平も言わずしばしば食べている。

 だが、こないだ食べたのは、「えっ、これ何 !?」というぐらいひどかった。大袈裟に言えば、ここ20年ぐらい食べたことのないまずさだったのだ。

 これを客に出してお金を取るのか、というレベルである。

 食べたのは駅そば。それでも、立ち食いのスペースはなく、むしろ4人がけでゆっくり座れそうなテーブルが2つあった。あとはカウンター。

 出汁は化学調味料なのかもしれないが、特に悪くはない。ニシンだってまああんなものだ。だが、麺のひどさといったら、ちょっといくら何でも、という感じだった。

 麺だけ、あと10円高いのを使ったら、たぶん見違えるようなまともな蕎麦になると思う。その10円はそっくり販売価格に転嫁すればよい。10円が30円でも同じことだ。250円が260円とか280円とかになるだけである(にしんそばは500円越えになるけど)。

 どうしてあそこまでまずい蕎麦を使って、10円20円の値上げを嫌うのかがわからない。

 働いている人たちに罪がないのはわかるけど、前の客が「ごちそうさま」と言って出ていくのに違和感を禁じ得なかった。

 でも結局、私もそう言って出ていくことになった。習慣化されているのである。
 そのわたしの「ごちそうさま」は、それなりの声で言ったのに、従業員の誰にも気づかれることなく、店の湯気の中に消えていった。

 侘びしさもひとしおだ。

 今度はうどんを食べてみようか。まさか蕎麦ほどひどくはあるまい。

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