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2009.08.22

★知覚と想像力

 今さらカナディアンロッキーでもないだろう、と思っていた。

 いや、もちろん、かつては見果てぬ夢であったし、その後も憧れは持ち続けてきた。
 それでも、20年以上にわたって毎週のように「憧れのカナディアンロッキーとバンフ7日間」みたいな旅行会社の広告を目にし続けていると、憧れだって摩滅する。
 昔好きだった女の子に、いつまでも情熱を持続できるわけではないのだ。

 いや、もともとそれほど憧れていたのではないかもしれない。バンフを唯一の例外として、レイク・ルイーズだってジャスパーだって、アイスフィールドパークウェイだってボウバレーパークウェイだって、見たことも聞いたこともなかった。つまりは、憧れも情熱もその程度のものだったということだ。

 だから、レイク・ルイーズやモレーン・レイクが、エメラルドの湖面の奥に氷河を抱いた山容が望める場所だとも知らなかったし、こんな素晴らしい場所がそれほど有名ではない(=自分が知らなかった)ことに驚きもした。
 あいにくの天気だったが、現地に立つと晴天時の素晴らしさは想像できる。

 中でもすごかったのが、アイスフィールドパークウェイだ。氷河や雪をかぶった3000m級の山々が、永遠に続くのかと思うぐらい連なっている。
 北アルプスから富士山ぐらいの高さの山が、日本にはない氷河を抱いて、走っても走っても、両側に、正面に、背後にもそそり立っているのだ。
 どれ一つとして名前は知らないが、ユングフラウやモンブランやアイガーと比べても遜色はない。

 こんな景色は想像すらしていなかった。

 旅行ガイドには、「スイスを50ばかり一箇所に集めたよう」という先人の感慨が記されていた。しかし、スイスびいきの私には、その言葉が到底信じられず、「白髪三千丈」の類かとたかをくくっていたのだ。
 今ではそれが途方もない表現ではないことはわかる。「でもやっぱり、5つくらいじゃないかな」と考えるにしても。

 たぶん、道路から見えるだけでも3000メートルを超えるピークが200やそこらはあるんじゃないかと思う。これだけあると、(おそらくは)そのすべてにだれかが登頂しているという事実が信じられない。現在観光客が押し寄せている温泉だって滝だって、「発見」されたのはたった100年ほど前だとかいう土地なのだ。
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 出かけてみると想像していたほどではなかった、という場所が世の中には多い。典型的にはナイアガラやグランドキャニオンがそれで、与えられた映像と奔放な想像力が、実物を実際以上に矮小化するんじゃないかと思っている。
 もっとも、特に後者は、あまりにも広大・巨大すぎて、われわれの知覚がその広さを実感できないのではないかという気もしている。

 幸い、というべきか、カナディアンロッキーは、実物が想像を遥かに超えていた。同じ道を往復したアイスフィールドパークウェイでは、当初の驚きが消えた帰り道でも、まだ山の写真を撮り続けていたくらいだ。

 私の乏しい想像力が及ばなかったその山々も、たかだか片道二百数十キロの範囲に過ぎない。「長さ約4500kmにもおよぶ」というその全体は、今回はなかった「4000m以上の高峰」が多いという事実と相まって、いったいどんなところなんだろうと改めて考え込んでしまう。

 実際にその4500kmを見て回ったとしても、果たしてその全体像をイメージすることができるようになるのだろうか。まして、今回の経験から、何となくでも残りの全体像を想像することはできるのだろうか。
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 18年前、初めてアメリカに行ったとき、自分は今まで「広い」という言葉の意味を知らなかった、と思った。われわれの知覚は、生まれ育った風景と等身大の自分を基準にしてしか、まっとうに働かないのかもしれない。

 昨日(これを書いているのはアラスカ沖の太平洋上である)、大平原を貫いて東へまっすぐ地平線まで延びる道を驀進しながら、不思議な感覚にとらわれた。
 パースペクティブというか距離感というか、何だかとにかく、周囲の空間を知覚している自分の感覚が、ぐらっと揺れてわけがわからなくなるような気分になったのだ。
 パイロットが飛行中に上下の区別がつかなくなるバーティゴに少しだけ似ているが、ぜんぜん違うものだった。

 われわれはみんなそれぞれ、空間や時間を違った風に把握してるんだろうな、ということが、改めて少しわかった。能力と環境とが個人個人に異なる知覚を与えているのだが、日常とは違うところに置かれると、それが少し歪んだり修正されたりするのだ。

 大平原を驀進したのは初めてではない。だが、過去の経験は、私の知覚に決定的な変化を起こしはしなかった。
 18年前に抱いた「広い」という感覚を思い出すとともに、同じアメリカで飛行機の免許を取ったときに感じた、「平面的な空が果てしなく広がっている」という感想を、カナダのカルガリー郊外でも改めて抱いただけだ。
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 おそらくは、私とはまったく違うパースペクティブに生きている人も多いのだと思う。
 そして、想像力の幅も奥行きも、異なる世界に住んでいるに違いないと「想像」してみる。

 だが、カナディアンロッキーすら思い描けなかった乏しい想像力は、他人を想像するにはやはり非力に過ぎるのだった。

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