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2010.02.28

◆扉をたたく人

 難民申請を却下された青年と、老教授の交流。

 それぐらいの予備知識で見るのならいいけれど、予告編で何もかも描かれてしまっているみたいなのはかなりどうかと思う。
 もともとマイナーな映画だったらしいので、それぐらい見せなければ見てもらえないと思ったのかもしれないけれど。

 文学作品と社会派の絶妙なバランスの上に立つ傑作。

(The Visitor, 2008 U.S.A.)

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2010.02.27

◆夜会?

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 仕事以外で夜に家を空けることは滅多にない。それが珍しく2夜連続。

 1日目は、妙齢の美女ばかり(なんて書いても問題にならないだろうな?)5人と会食。
 2日目は、そのうちの一人が出演するチェロの演奏会。隣の席には別の一人。

 演奏会に行ったのなんて、たぶん20年ぶりぐらいのことである。そんな人生・・・

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◆人生を蝕むコトバ

 人の商売を助けたくはないのだが・・・

 今朝の朝日新聞、青beに、「勝間和代の人生を変えるコトバ」が載っていた。いわく、「見切りをつけたことに見返りはない」。

 見切りをつけて「逃げたこと、回避したことは100%の失敗であり」「見切りをつけなければ100%よりは失敗の確率が下が」る。また「今回失敗したとしても、そこから学習すれば、次回はうまくいくかもしれ」ないというのだ。

 それはもちろんその通りである。今さら言うまでもないぐらいだ。

 だが、最初から最後まで読んでも、ぜんぜん説得されない。それは、「やってみることのコスト」をゼロだと(もしくは、失敗しても得られるゲインが必ずコストを上回ると)仮定しなければ成り立たない論理だからだ。

 医師なり弁護士なり大学教員なりを目指して、5年10年20年と苦労している(た)人たちを実際に何人か知っている。
 それだけ続けられるのは、もちろん本人の才能も努力もあるし、精進には敬意を覚える。しかし、そうやって見切りをつけずにやってみることのコストはいかばかりか。最後まで目標を達成できなかった場合(いや、達成できた場合ですら)、ゲインはコストに見合うのだろうか。
 ___

 皮肉なことに、次のページには「悩みのるつぼ」という相談コーナーがあって、やってみたけど失敗したことがもとで、「自信を失い、劣等感に落ち込み、何をしてもうまくいかず、時々心理カウンセラーへ通ってもい」る娘のことを心配した両親が「なすすべもなく途方にくれて」いる。

 勝間流の馬車馬理論がそういう人たちを量産しているのを知っているからこそ、香山リカが(たぶん)本気で怒っているのだ(二人とも個人的には好きではないけれど)。
 ___

 勝間のコラムのすぐ下には「やっぱりフジマキに聞け」というコーナーがある。そこにもまた、「つい後回しにして、自分の力を十分に出し切れずに終わり、後悔します」という相談が寄せられている。

 実際に出せた以上の「自分の力」なんてものが存在すると信じ、それを「出し切れ」る可能性を夢見続けて一生を終えそうなこの人(現在40歳)も、勝間理論の犠牲者だ。
 いやもちろん、直接の信奉者(「カツマー」というらしい)であるかどうかは知らない。だが、戦後(少なくとも)私たちの世代が受けてきた日本の教育の言い古された精神を、歯切れのいいコトバで新しそうに表現してネオリベ流に組み替え、一部から支持を得ているのが勝間なのだ。

 こんなことを書いている私自身、この40歳の女性と同じようなことを日々考える。ただ、その考え自体をほんの少しは冷静に見ることができるというだけだ。

 藤巻(兄)氏の答も、「若いころは質問者の方と同じことで悩むことが多かった」が、「あるとき、仕事を前倒しにしようと思うこと自体がかなりのプレッシャーになり、人生のマイナスになることに気がついた」という。
 したがって現在では「「明日出来ることは明日に回そう」と自分に言い聞かせている」そうだ。

 氏の回答自体、今となっては別に新味のないありきたりのものであるかもしれない。だが、元カリスマディーラーにして現在投資顧問会社社長、マスコミでも活躍する大成功者であり、今年還暦を迎える年齢の氏自身、「自分に言い聞かせ」なければそう気楽には構えられないほど、この病の根は深いのである。
 ___

 まあともかく、同じ紙面の上下に配された勝間とフジマキのこの対比は、ちょっとした小粋な偶然を感じさせる。
 次ページの皮肉な偶然とともに読んで、自分の中に巣くって人生を蝕み、後悔ばかり誘発する「清く正しく美しき価値観」の存在に、もしかしたら読者は気づくかもしれない。

 紙面は意図してこういうふうに編集されたのかもしれないし、忌まわしくも正しい価値観の存在に気づいたところでなかなか駆逐はできないんだけれど。

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2010.02.22

◆ミルク

 もう書いたと思ってたのに書いていなかったらしい。

 大学を卒業して十数年も経ってから、当時の同級生の一人がゲイだったことがわかった。

 それも、彼が働くフィールドでゲイに対する理解を広めようとする活動家の一人になっていて、その記事が新聞に大きく載ったので知ったのである。

 それまで、自分にはゲイの知り合いは一人もいないと思っていた。
 だから、さまざまな性的自己認識や性的志向があるのは理屈ではわかるような気がするものの、実際には性的マイノリティが人口の数%以上?いるとかいう言説はどうも信じがたかった。

 だがもちろん、私の知り合いにいないのではなく、カミングアウトしている人がいなかったというに過ぎない。現に、その同級生がゲイかもしれないと思ったことはただの一度もなかった。であれば、他にいてもおかしくない。

 実は、性別とは

・生殖器的性(卵巣があるかとか精巣があるかとか)
・性的自認(自分を男だと思っているか女だと思っているかどちらとも思わないかとか)
・性的志向(男が好きか女が好きか両方好きか両方無関心かとか)

のマトリックスの組み合わせであるという。
 そして、それぞれが2者択一ではないため、ざっと数十種類ぐらいは「性別」があると考えるべきかもしれなくて、それも頭では理解できる。
 ___

 表題は、アメリカで初めて、ゲイであることを公表して選挙による公職についたハーヴィ・ミルクを主人公にした映画の題名である。
 先日、テキサス州ヒューストンで女性の同性愛者が市長になり(2010年1月4日就任)、保守的なアメリカ南部もここまで来たかと騒がれていたが、それでもハーヴィ・ミルクの当選から30年以上を要している。

 関心のある人もない人も、「理解」のある人もない人も、親近感を持つ人も嫌悪感を持つ人も、ぜひ見ておくべき映画だと思う。

(Milk, 2008 U.S.A.)

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2010.02.21

◆「今年は冬のコートも買っていません」

 経営破綻して会社更生法の適用を受け、再建中の日本航空(JAL)の客室乗務員(CA)たちにインタビューした記事が朝日新聞に載っていた。
 記事のリードには、「待遇よりも再生に集中」とか「下を向いていてはダメ」などとあり、いかにも職員たちが苦境にあるかのような書きぶりだ。

 ところが、「夢だったCAになれただけで幸せで、給料は関係ありません」と語るCAの台詞が、このエントリのタイトル。

 「今年は冬のコートも買っていません」

 「おいおい、これまでは毎年買ってたんかいっ」、と突っ込みたくなる。実際、毎年買っていたのだろう。
 しかも、「今年は」冬のコートを買わないことが、世間に対して自身の経済状況の厳しさを表現する手段たり得ると考えているのだ。

 何だか、記者が意地悪で、↑のような世間の反応を引き出すために、わざとこんな台詞を取り出して掲載したのかとすら思う。

 だが、素直に記事を読むと、今年冬のコートを買わないことが異常事態で、それを聞けば世間も自分の苦しさをわかってくれると考える世界に、このCAは住んでいることになる。

 やっかみの激しい世間は、それでは納得しない。
 ___

 わたしがこの25年間に買ったコートはたぶん3着だ。それは異常に少ないし、男と女で違うかもしれないので、念のため家人に聞くと4着だという(他に隠してないよな?)。仮にもう少し多いにしても、まあ4〜5年に1着といったところだ。

 そういえば、日航の来年度の給与は5%カットが予定されているとかいう記事もあったが、私の年収は昨年3%ほど下がった(特別昇給!したのに)。

 うちの夫婦は2人とも安定した職に就いており、現在のところ、経済的には何の不安もない(年を重ねても給与が減っていく不満があるだけだ)。

 それでも「今年は冬のコートも買っていません」に反応してしまうのだから、平均的な世間はいかばかりかと想像する。

 JALを応援することが「毎年冬のコートが買えるCA」に戻してあげることだと思うと、搭乗意欲も失せてしまうのではないだろうか。

(そうそう、心配していた知り合いは、内定取り消しにも遭わず、4月から晴れてJALの正社員となります。それはいいのですが、伝え聞くところによると、本人のみならず友人と一緒に旅行できる国際線無料チケットが支給されているそうで、ほんとにこのご時世にそんなことをしているのだろうかとちょっと信じられない気がします。)

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2010.02.20

◆7つの贈り物

 ウィル・スミスが出ていることと題名以外、まったく何の予備知識もなく見ました。

 皆さんもぜひそうして下さい。

(Seven Pounds, 2008 U.S.A.)

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2010.02.19

◆裸の王様? ——トヨタの危機管理

 出ないと言っていたアメリカ下院の公聴会から招致され、一転、トヨタ自動車の豊田章男社長が出席することになった(朝日新聞)。

 出席しないと言えば批判や反発を招いてこういうことになるとわかっていたのに、どうしてこう、対応がちぐはぐなのだろう。

 プリウスのリコール問題にしても、ずるずると主体性なく対応を変えていくという一番悪いパターンになっていたが、今回も同じだ。

 誰が見ても今後こうなるだろうと思うような情勢を読み違え、対応を誤るのはなぜなのか。

 トヨタの経営陣が無能揃いだとは思えない。

 言うまでもなくまったくの憶測だが、「お家大事」「殿を無傷で」という内輪の論理を優先するあまり、ともかくその場を凌ごうと悪戦苦闘して、結局は屋台骨を揺るがし、殿を傷だらけにしていっているように見える。

 その意味では、豊田氏に責任はなくても、創業家の御曹司だということが負の作用をもたらしているのかもしれない。
 あるいは、何も豊田氏に限らず、上の者に(同僚にも?)意見が言えないといった風土があるのだろうか。

 ここはひとつ、顔色をうかがう周囲の意向は忖度せず、トップとして情勢判断し、果敢な決断を遂行していってほしい。

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◆テロって何?

米テキサス州オースティンで18日午前(日本時間19日未明)、小型飛行機が7階建ての政府ビルに突入、炎上した。操縦していた容疑者は死亡。ビル内にいた1人が死亡し、ほかに13人が負傷した。うち2人が重体。米連邦捜査局(FBI)は、残された遺書などから、税制に不満を抱いた末の犯行と見ている

という(asahi.com)。

 容疑者は、

犯行直前、インターネットに長文の遺書を掲載。「米国の税制は弱者に厳しすぎる。GM(ゼネラル・モーターズ)のような大企業は政府の支援を受けられるのに、自分のような技術者は救いが受けられない」と訴えて

おり(asahi.com)、

「暴力が唯一の答えだ」などと、内国歳入庁と何らかのトラブルがあったことをうかがわせる内容の書き込みをウェブサイトにしていた

そうだ(sankei.jp.msn.com)。

 にもかかわらず、

 ギブズ大統領報道官は、「テロ事件とは関係ないと見られる」と言い、記事の地の文でも「テロの可能性こそないとみられるが」とか書いている(sankei.jp.msn.com)。

 これが「テロ」でないとしたら何なのか?

 アメリカの税システムへの不満から、内国歳入庁に自爆攻撃を仕掛け、関係のない人々を死傷させているのだ。

 私にはほとんど、教科書的定義にぴったりの、「テロ」そのものに見える。
 ___

 いや、アメリカやマスコミがこれを「テロ」と呼ばない理由は私にもたぶんわかる。
 だが、これをテロでないと判断することや、その理由こそが異常なのだ。

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2010.02.15

◆自殺する人の多い集団

 アメリカ陸軍(兵力70万人)で2009年の自殺者が過去最多を記録したという。

 アフガニスタンやイラクなどでの戦闘体験によるPTSDやうつ病などが増え、自殺者は 160 人にのぼったらしい(朝日新聞)。

 だが、その割合を日本の人口に換算してみると、3万人を切る。

 70万:160 ≒ 1億3000万:3万弱

 これが何を意味するかおわかりだろうか。

 そう、戦争による極限状況をくぐり抜けて苦しみ抜いた挙句に自殺する人は、この「平和な」日本で自殺する人より少ないのである。

 2009年の日本の自殺者は3万2753人(警察庁)。

 アメリカ陸軍における自殺者の多さに警鐘を鳴らしているこの記事が、そのことに触れていないのに驚いた。全世界に軍を展開し、2つの戦争を抱える国の軍隊のほうが、日本よりも精神的に「健康」であるということになる。

 まあ、陸軍は若くて屈強な男たちが中心である。日本全体はそうではない。ただ、一方では、圧倒的に自殺率が低い女性が人口の半数以上を占めているのにこの数字である。

 日本で生きていくのは、戦争体験より過酷なのかもしれないのだ。

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2010.02.13

◆ここまで撮れる

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 実験的に写してみただけなので、何ということもない夜景ですが、手持ちでシャッターを押すだけでさらっとここまで撮れるのはやはりすごいと思います。

 SONY の DSC-TX7 です。

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2010.02.12

◆Player たち

 久しぶりに若い人たちと会食する機会があった。

 「若い人たち」なんて書いた瞬間に、年を取ったという実感がぐっと迫ってくる。
 昨日出張先で、ほんとに幼い子ども(4〜5歳ぐらいか)から、「おじさん」と呼ばれてショックを受けているような自己認識なのに、である。

 立ち直ってから、しかしいくら何でも「お兄ちゃん」はないよなあ、と現実に戻る。何せ、相手は息子よりもはるかに幼いのだから。
 「おじいさん」と呼ばれなかったことに感謝せねばならないくらいだ。
 実際、正月の同窓会では、既に複数の孫を持つ同級生がいたりもした(いくら何でも早すぎると思うけど)。

 閑話休題。

 近くに座った女性たちは、純粋な眼をきらきらさせて、将来についてだの、国際協力についてだの、留学についてだのと熱っぽく語る。
 その美しい善意を挫くのもなあと思いながら、食べていくことだの、NGOやNPOの現実だの、援助の現場の悲惨さだの、世にはびこる官僚制だのについて、言わずもがなのことを言ってしまう。

 そうそう、先日、外国人と話していて、われながら気の利いた台詞が口をついて出たので記しておく。

 There are only two kinds of people in the world: those who have to serve for bureaucracy and those who have to fight against it...

 たとえば国連に入っても、加盟各国や国連そのものの官僚制に奉仕するか、それともそれらと戦いながらやるべきことを進めるかしかない。美しい善意にあふれた人たちにとっては、いずれにしても茨の道である。
 そんなことがおぼろげにわかってくると、二十歳前後の夢のある若者を前にして、つい、いらぬことを言ってしまうのだ。

 彼女たちは聡明だ。
 世の中についても将来についてもきちんと考えている。そして、自分が経験不足で無知であることも知っていて、それを補う努力もしようとしている。

 だが、己を振り返ってみて、世の中なんてものが見え始めたのは40歳を迎えるころからではなかったかと考えると、やはりそこには一抹の不安が残るのだ。

 いくら人の話を聞こうが本を読もうが、自分の確かな感触として「システム」がわかりはじめるまでに、成人から20年の歳月とそれなりの経験を必要とした。
 私が特に無能で愚かであるからばかりではあるまい。
 ___

 あ、こんな話を書きたいのではなかった。

 20代後半で高校教師を辞めた理由はさまざまあるが、最も大きなものの1つに、「もう一度 player に戻りたい」というのがあった。

 特に大きな不満のない安定した職に就き、結婚もしてマンションも買い、子どももできそうにないとなると(当時は息子が生まれる可能性は限りなくゼロに近かった)、自分はもう人生というゲームから降りてしまっているような気がしていたのだ。

 目の前の生徒たちは、ゲームを有利に進めようとがんばっている。
 その場を共有している自分の状態は、「人生ゲーム」で早くゴールまで到着してしまい、まだルーレットを回している人たちを横目に見ながら、手持ちぶさたで退屈している状態に似ているなあ・・・なんて思ったりもしていた。

 だから仕事を辞めて、またゲームを始めたのだ。といっても、勝つことが目的ではない。楽しそうにゲームをしている人たちの前で退屈しているぐらいなら、もう一度ゲームに参加してみようと思っただけだ。

 それに、そんな妙な決断をしたのは、世の中のことが分かりはじめる十数年も前のことなのである。
 ___

 今の仕事だって、たぶん5年ぐらいで辞めるだろうと思っていた。だが、その機会は訪れず、もはや十年をいくつか超えている。辞めることは、もうないかもしれない。

 そんなとき、目の前に座った player たちを見て、何だか羨ましいような眩しいような気分になった。

 ほとんどの人にとって、ものごとは思ったようには順調に進まない。
 でも、彼女たちなら、あるいはうまくいくのかもしれないと、ふとそんな気がした。

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2010.02.10

◆氷雨っぽい

 天気予報ほどには気温が下がらなかったような気もするが、今日ははっきりと寒い感じ。

 コートも傘もなしで出かけ、ちょっとだけ後悔した。

 夜には氷雨っぽい霧雨がそぼ降る中を、十数分歩かねばならなかった。つい先ほど、午後11時過ぎ、ホテル帰着。

 今日の最高気温は昨日より7℃ぐらい低く、明日はさらに7℃ぐらい下がるらしい。ざっと、21℃が7℃になる計算だ。持ってきたコートが荷物になるだけで終わらずによかったと考えるべきだろうか。

 いずれにせよ、今日は早めに寝ることにする。といっても、これから風呂に入ったりしていると日付は変わってしまうかなあ・・・

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2010.02.09

◆なんだか「暑い」 または 異郷も故国か

 大阪を出るとき、「なま暖かい日」と題して書こうと思っていたが、そうこうするうちに暑くなってきた。
 ここ神奈川では、セーターを着ているのも辛い。大阪でもおそらく同じだろう。

 にもかかわらず、多くの人は相変わらずのコート姿である。中にはマフラーを巻いている人なんかもいて、ちょっと信じられない思いがした。

 今日暖かいのは予報で聞いていた。でも、これほどとは思わなかったし、3日間ずっと暖かい日が続くとも限らないので、念のためにとコートを持ってきたのだが、大失敗だった。ほんと、煩わしい荷物になるだけである。

 いったい何℃あるんだろう?
 ___

 久しぶりに乗った新幹線は、京都から新横浜まで2時間もかからない。パソコンを広げてのんびり仕事をしようかと思っていたが、断続的に景色を見たり本を読んだりしていただけで着いてしまった。

 あらぬことどもを思った中で、一つの想念だけを記しておく。

 「こんな、どうでもいいような何でもない場所の隈々にまで家が建ち、人が住んでいるんだなあ」ということ。
 そんな家のひとつひとつが、何千万円とかするのだ。

 日本全国、訪れたことのない都道府県は一つだけだが、その一方、ミクロに見ると、ほとんどの場所は訪れたこともなく、今後永久に縁ができることもあるまい。
 新幹線の沿線なんか、その最たるものである。

 まさにその新幹線の沿線に、自分の実家があることがまた、己の卑小性を想起させる。
 ___

 新横浜を降りてすぐ、駅員に尋ねごとをするときに、アクセントを切り替えなかったことに気づいた。
 エスカレータでぼんやりと右に立つと、左にずらっと列ができていた。
 横浜線なんかに乗っていると、ソウルにいるんだか日本にいるんだかわからないなあと思った。

 思えば古人は、2週間歩かなければここへ到達しなかったのである。

 この異郷もまた故国であることが、妙に不思議に感じられる。

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2010.02.06

◆写真もコンピュータ

 思えば、初めて手にした一眼レフ(CANON A-1)だって、既に電子部品の塊だったような気はする。
 だが、レンズを通して入ってきた光がフィルムに塗った薬品を感光させて像をあぶり出す・・・というような、写真本来の姿はかろうじて保っていた。

 デジカメになってからは、文字通り「写真専用コンピュータ」になった。

 だがそれでも、昨日まで使っていた、わずか5年前のデジカメは、まだふつうのカメラらしさを残していたと思う。
(コンパクトデジカメを5年近く買い替えていなかったのだ。われながら、なんて我慢強いんだろうと自分を褒めたくなる。)

 今回は違う。

・逆光の被写体を撮ると、勝手に2枚撮影して内部で合成し、自然な写真に仕上げる。
・夜景を撮ると、瞬時に6枚を合成し、ノイズのほとんどない写真を作る。
・パノラマを撮るときは、最大100枚!の写真をつなぎ合わせる。
・もちろん、手振れ補正・顔認識・笑顔で自動レリーズ・・・
・そして何と、ハイビジョン動画も撮影できる。
・さらに、撮った写真にシャープネスをかけたり文字や絵柄を入力したりできる。

 シャッターを押した瞬間から(あ、押す前からか)、コンピュータフル稼働だ。
 いや、これまでもそうだったのだろうが、明らかに質が違う感じがする。最後の機能なんかは別に必要ないのだが。

 同時に手に入れた Intelligent PanTilter を使うと、その場にいる人の写真を自動で次々と撮影していく。
 後ろから見ていると、構図を次々と変え、ズームインしたりアウトしたりしながら、まるでロボットのように撮影しているのには驚いた。
 こんなふうに使うという発想すらなかったので、できればいいなあとすら思わなかった機能だ。

 こういうカメラを触っていると、同じくコンピュータの塊であるデジタル一眼なんかが、何だか気の利かない朴訥で無骨なメカに見えてくる。

 こういう方向って、今後どうなっていくんだろう?

 まあ、どうなったところで、怪我をしたり命を失ったりすることはないだろうから、写真はコンピュータでもいいんだけれど。

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◆30分で別世界

Img_6147_32 昼過ぎ、ちょうど出かけるころ、雪が降り出してちょっと吹雪めいていた。

 が、天気は晴れ。
 強い風に煽られて山の方から飛んできた風花のようで、すぐにやんでしまった。

 この辺にまったく雪の気配はなくても、いや、箕面の滝近辺まで行っても雪の気配はなくても、すぐ近くの勝尾寺近くでは雪道になっていることがある。
 今日はしかし、ほとんど雪はなかった。

 それでも、引き返して豊能町から妙見山へ抜ける道では、ちょっとした吹雪になり、ところどころ雪道。今降った雪が路面を覆い、私の車がつける轍が最初のそれだったりもした。

 妙見山では場所によっては一面の雪景色。ホオジロとアトリが、駐車場のアスファルトの隙間からわずかに生えた草のところでエサを探している。

 気温はマイナス3℃。時折強い風が吹き、地吹雪が起こる。

 帰り、ちょっと遠回りしてのんびり走っても、39分だった。

 30分で別世界なのだ。もう少しフットワーク軽く、時々出かけてみようと思った。

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2010.02.05

◆コンピュータ制御のブレーキ

 やっとというか、トヨタの社長が出てきて、プリウスのブレーキ問題に対する前向きな対応を確約した。
(後注:2月6日の朝日新聞朝刊によると「豊田社長」は「対応を明言しなかった」ということである。これは、「リコール」「改善対策」「自主改修」のどれにするのか決めていないということらしい。それがまた批判の対象となっている。)

 せっかくの会見も、今日となっては、世間のあまりの反応にうろたえてあわてて対応を変えたようにしか見えない。

 どうせこうなることはわかっていたのに、どうしてたった1〜2日前に、同じ決断ができなかったのだろう? 客観的な状況は何も変わっていないのだ。世間の反応を除いては。

 多くの人の心に残ったのは、「顧客をなめている」「安全を軽視している」という思いだろう。
 ___

 さて、今回の騒動で、プリウスのブレーキシステムについて一つだけ驚いたことがある。それは、

 「ブレーキを踏んでいても、通常のディスクブレーキがまったく作動していないのは普通だ

という点である。これはABSとも今回の問題とも何ら関係なく、「本来、そういうもの」なのだそうだ。

 プリウスが「回生ブレーキ」というシステムで制動時のエネルギーを電力に変えているというのは知っていた。
 だが、それは、アクセルペダルを戻した時の、いわゆるエンジンブレーキ状態の時の話で、ブレーキペダルを足で踏めば、ディスクブレーキが作動するものだと私は勝手に思い込んでいたのだ。

 実際は、ブレーキペダルを踏んだ状態でも、通常のディスクブレーキはまったく作動せず、回生ブレーキだけが作動している状況にあることは、ごく当たり前で正常の動作だというのである。
 ディスクブレーキは必要に応じて作動し、回生ブレーキと協調して車を減速させる。その制御をコンピュータが行っているのだ。

 今回の「欠陥」は、低速でABSが作動した際、回生ブレーキがキャンセルされてからディスクブレーキによる制動が始まるまでに若干のタイムラグがあることだというのは、ほぼ間違いないらしい。
 ___

 今の車がコンピュータの塊だというのは承知しているつもりだ。エンジン制御だってそうである。
 車のメンテナンスは、コンピュータに残ったログを解析することから始まる。そこには、エンジンの動作履歴やABSがいつどのように作動したかなどが詳細に記録されている。

 しかしながら、「ブレーキペダルを踏んでいてもディスクブレーキが作動していないのは普通」なんていうのは、ちょっと「やりすぎ」なんじゃないかと思う。そんなことまでソフトウェア制御に任せていいのだろうか。

 私はアナログでアナクロな人間ではない。むしろ、同世代の中ではその逆の方ではないかと思う。

 でもやっぱり、ブレーキを踏んだ時には必ず、パッドがディスクを物理的に挟んでほしい。
 ブレーキを踏んでもパッドが動いていないのを想像すると、たとえ回生ブレーキがきちんと仕事をしているとしても、不安になってしまう。

 次に買う車としてプリウスやサイは有力候補だったのだが、このブレーキシステムを知って買う気が失せてしまった(今回の騒動は別にしても)。

 やっぱり私は、アナログでアナクロな人間なのだろうか・・・

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2010.02.04

◆安心神話の崩壊

 昨夏、カナダに旅行した折り、待たされた挙げ句に出てきた車がトヨタのカムリで、

カナダにまで来てトヨタの車なんかに乗りたくない。  「さんざん待たされてこれかよ」という落胆と、「でもまあ安心といえば安心だよな」という気分とが交錯した。

と書き(★unimpressive)、その後、アクセルペダルが戻らず暴走するという欠陥が報じられて、「◆実は安心ではなかったカムリ」というエントリを書いた。

 当初、「不適切に敷かれたフロアマットがアクセルペダルに挟まるだけ」だったはずの暴走原因が、実はアクセル部品の欠陥で戻らなくなる場合もあるということが分かり、ちょうどGMやらが倒産した後である間の悪さもあって、アメリカでは政治問題化しそうな雲行きである。

 そこへ持ってきて、今度は新型プリウスのブレーキ問題。

 調べてみると、もう半年も前から、日本でもけっこう話題になっている。マスコミが報道して明るみに出たのは今月に入ってからのことだと思うが、昨年7月には、すでにこの問題に起因すると思われる事故が起こっていて、国土交通省にも報告されていたのは、報道の通りである。

 そして、今年1月からはブレーキ制御のソフトを改善して、新たに製造されているプリウスは対策済みだったことも明らかになった。

 にもかかわらず、トヨタは2月に入ってからも「事実関係を確認中」だとか「調査中」だとか言っている。副社長に至っては、「われわれがつかんでいるのはフィーリングの問題」などと、のんきなものだ。

 ネットにあふれる体験談を読めば、そんなものではないことは一目瞭然だ(ネット上の言説に対するリテラシーは人並み以上にはあるつもりである)し、原因についても理路整然と「推定」している専門家などもいる。

 ことはブレーキである。
 たとえ時速15キロであっても、コンマ5秒空走しただけで、2メートル以上進む。停止線で止まろうとしていて横断歩道上の人をはねるのには十分な距離だ。現に追突事故は起こっている。

 ことここに至ってまだ、「フィーリングの問題」などと言っている副社長をいただく会社は、もはや信用できない。
 ___

 カナダ旅行で1657kmをともにしたカムリについて、かつて

「でもまあ安心といえば安心だよな」
「逆にいえば、これほどよくできた車もない」
「なにもかもをそつなくこなす、ぱっとしないがそこそこ優秀な副委員長のような車」
「他社より(おそらくは)安い価格でこういう車を供給し、しかも(たぶん)トラブルや故障が少ないというのは、やはり大したものである」

と書いた。欲しい車ではないものの、以上のような意味で高く評価していたのは事実だ。

 だが、私の中ではトヨタ車に対する「安心神話」は完全に崩壊した。

 アクセルペダルやブレーキ制御の不具合自体のためではない。それを知ってからの対応のひどさに啞然としたのである。

 プリウスはどうせリコールすることになる。
 それがわかっていてなぜ、この期に及んでリコールを渋るのか。余計に問題を大きくしてさらに自分の首を絞めていることに、「この会社は大丈夫なのか」という危惧すら覚える。

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2010.02.01

◆どうも、喉をやられる風邪が

 メールからうかがい知れる知人の様子や、ネットから漏れ伝わってくる情報によると、どうも喉をやられる風邪が流行っているようだ。

 ネットワーク時代なんだから、こういう情報っていち早く共有できるようになっていてもいいと思うんだけど・・・

 まあ、そうなったからといって喉が治るわけでもない。

 はちみつレモン(いずれも本物)のお湯割りがちょっと効く気がする。

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