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2010.10.02

◆捕まえるためには悪人が必要になるのだ

 昨夕、バースデーケーキと夕食の買い物のために急いで職場を後にしながら、ちょうど敷地外へ出ようとするところで、前田恒彦容疑者(大阪地検特捜部主任検事)がなぜ証拠を改竄してまで厚生労働省の局長を逮捕・起訴したかったのかを卒然と理解した。

 頭の中には直前までやっていた会議のあれこれが渦巻いていて、そんな事件のことなど露ほども考えていなかった。
 それでも、思いもかけずそんな想念が湧き上がってきたのは、もちろん、両者の間に深いつながりがあるからである。脳内の回路の生成は予測できないが、後で分析することはできる。

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 もしかしたら警察も同じようなものかもしれないが、検察の特捜部というところは、「たまたま悪い奴がいたら捕まえる」という組織ではない。

 まあ、世に悪人の種は尽きないわけだけれど、仮に政治家や官僚や大企業幹部たち(以下、「大物」)のモラルが高く、贈収賄事件や脱税なんかが起きていなくても、誰かを血祭りに上げなければならない構造的宿命のうちにあるのである。
 なぜなら、被疑者の地位や金額において「大きな」事件を捜査していかなければ、そのレゾンデートル(存在意義)を問われかねないからだ。

 特捜部が大きな事件を手がけない日々が続くと、人々(というより権力者たち)は、「このごろは大物の犯罪が減ってきてよかったなあ」とは思わない(まあ実際、減っているとは思えないんだけれど)
 むしろ、「特捜は何をやってるんだ? ちゃんと働いてるのか」と考える。少なくとも、特捜部の検事たちは、権力者たちがそう考えているのではなかろうかと考える。そして、「このままではいけない」と焦り始めるのだ。
 それは、現実に大物の悪人がいてもいなくても同じことである。
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 官僚組織は、その維持拡大に腐心する。
 緊縮財政の昨今では拡大は難しくなったが、それでも常に「何かをやってます」ということをアピールして、組織を維持できるように、予算を減らされないように、日々「努力」を重ねている。それがいかにピント外れであっても、やってみないと結果はわからないから、努力して新機軸を打ち出すこと自体が評価される。そして、そのほとんど無意味な「努力」が、個人の出世にも結びつくようになっている。

 そんな中、「係長」の被疑者だけでは、事件が小さすぎて手柄にならないという思いが検事の頭に渦巻き始める。いや、「係長」の逮捕・起訴で終わりそうな事件であれば、そもそも最初から手がけないかもしれない。
 いずれにせよ、何とかして大物をあげないと・・・という、本来の犯罪捜査からはまったく逸脱した「目的」が何よりも優先されてしまうことになるのである。

 悪人がいるから捕まえるのではない。捕まえるためには悪人が必要になるのだ。
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 「正義の味方」のはずの検事が、証拠を改竄してまで無実の人に冤罪をかぶせようとする理由が、これまではまったく理解できなかった。
 相手が暴力団幹部だとかで、何とかして捕まえて刑務所に入れておきたいというのであれば、まだ心情的には理解できる(それだってもちろん、法的には絶対に許されないことだけれど)
 しかし、ふつうに仕事をしているキャリア官僚(しかも本省の局長)に、なぜ罪を着せる必要があるのかは、どう考えても謎だった。

 「東京地検のような恥をかくわけにはいかなかった」とか、「特捜部に焦りがあったんでしょう」とか、評論家たちが言っても、私の抱いた「謎」はまったく解けなかった。「そんなことで無実の人を罪に追いやったりするものだろうか」と。

 だが、上記のように考えてみて(というより、考えもしていないのに突然ひらめいて)、やっと納得がいったのである。
 その意味では、今回の事件は、ひとり前田主任検事の暴走ではない。報道されていることが事実ならばやったことは極悪非道だけれど、その種子は特捜部全体に(そしておそらく検察全体にも)構造的に埋め込まれていたのだ。
 昨夜、大阪地検の前特捜部長と副部長が逮捕されたのは、だから当然と言える。主任検事が証拠を改竄したという、法治国家全体を揺るがしかねないような重大な報告を受けても、「まあそれぐらいのことはあるだろうから、今回は目をつぶっておこう」という土壌があったのだろうと思う(が、念のため、冤罪を産まないように注意はしてほしい)。
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 評論家たちは言うに及ばず、世間の「大人」たちにとっては、以上のようなことはもはや常識なのかもしれない。しかし、私のナイーブな(青臭い)感性と頭とでは、なかなかそれが「腑に落ちる」というところまでは理解できなかったのだ。

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 今の職場に勤め始めて十数年。上部組織から末端に至るまで、同じような論理で動いていることを折に触れて感じてきた。

 特に、上部組織がひどい。「何かしていないと仕事をしていないと思われる」という論理のもと、ほとんど意味のない(というより、むしろ物事を悪くするような)新機軸や改革を次々と打ち出してくる。
 ここに具体的に書くことはできないが、あの新機軸はこうなった、あの改革の副作用は、この改革のせいで・・・と考えていくと、もちろん功罪両面あるだろうとは思うものの、成功か失敗かという二分法を適用するなら、そのほぼすべてが失敗であったと断言できる。つまり、結局は何もしない方がよかったということだ。

 それでも、だれも責任は取らない。せいぜいで、担当した個人が出世の階段を登りつめることはできなくなったかもしれないという程度のものだ。通常はそれすら怪しく、そもそもだれも失敗だと思っていないし、ひそかに思っていても認めない。担当者が懲戒されることなどは絶無である。

 私の職場の上層部は、その愚かな上部組織の意向ばかり気にしながら、実行部隊として「失策」を遂行するのに汲々としている。
 死屍累々となるわけではないから罪は段違いに軽いというものの、根本の構造においては、多くの将兵を死に追いやり辛酸をなめさせた、かのインパール作戦、ひいては太平洋戦争全体と同じなのではないのかと思う。それが大袈裟すぎるというなら、無駄なハコモノやダムを乱立させているのと同じだといってもよい。

 数百万円の賄賂をもらったとかあげたとか、あるいは不正使用したとか脱税したとかで逮捕され、極悪人のレッテルを貼られる人が絶えない。もちろん、やったことの報いは報いとして、公正な裁判の結果下された刑に服すのは当然だ。
 しかし、まったく何の罪にも問われない「失策」による損失は、数百万ではとてもすまない。少なく見積もっても何十億、多ければ何百億何千億の損失を出しているだろうと思われる「失策」を、私は即座に数個は挙げることができる。わかりやすく金額で示したけれど、その失策によって人生を狂わされたという人も数知れない。
 それでももちろん、責任者は何の罪にも問われない。さらには、上の顔色を伺いながら嬉々として遂行していた者も、反発したり嘆いたり馬鹿馬鹿しいとか言いながら嫌々協力させられた者も、同様である。そして、出世を阻まれたり処分されたりする者がもしいるとすれば、それは、その明白な失策を公然と指摘し、協力しない「正義の人」だけだ。
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 このような現象は、日本の官僚組織(軍隊も検察もそうである)にかけられた呪いのようなものなのだろうか。それとも、あらゆる組織や人類全体に共通するような宿命的な権力構造なのだろうか。

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