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2012.03.31

●案ずるより産むが易し2

 夏の旅行のチケットを取った!

 今年の夏は久しぶりに家族でヨーロッパにでも行きたいと思っていた。数えてみると、なんと8年ぶり!になってしまう。

 「ヨーロッパは嫌や」と息子は言うのだが、最後の記憶でも小学生の時なのだ。

 1か月も前から、行きたいなあ、行けるかなあ・・・とうじうじしていたのだが、この1か月は実際に飛行機を取るというような精神的余裕もなく、今日(正確には昨日)年度が終わって、やっと動けるような気がしてきた(まだ積み残している仕事もあるんだけど)

 案の定というか、値段も微妙に上がっている。おそらく、4月になるとまた上がるのだろう。

 この日からこの日まで行けると決まってしまえば(あるいは無理矢理決めてしまえば)、チケットを取るのはネットでさくさくである。

 ・・・と思っていたら、土壇場で画面が真っ暗になってしまい、挙げ句に嫌なメッセージが出て、予約が成立したかどうかわからない。
 電話をしてみるが、月曜にかけ直せという留守電の声、しかも英語だ。評判のいい航空会社のはずなのだが、どんな商売をしてるんだろう。

 いずれにせよ、月曜まで待っていられない。月曜は4月なのだ。もし取れていなかったら、値段も大幅に変わってしまうのではないだろうか。

 ええい、ままよと、今度は Windows 7 に切り替えて Internet Explorer で予約。こういうときはやはり、相手が間違いなく対応しているという安心感がある。

 それでめでたく・・・

 予約成立のメールも1通しか来ないし、二重請求されることはあるまい。

 珍しく、in と out の都市を変えてみた。さて、どんなルートでどこへ行こうか。

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2012.03.27

●案ずるより産むが易し

 長い?人生で初めて、畳の表替えをした。

 大人になって初めて住んだマンションも次のも、表替えをする前に引っ越してしまったからだ。
 いや、「する前に」というよりは、「すべきなのにしないうちに」といったほうが正確かもしれない。

 今回も、すべきだと思ってからゆうに5年は経つと思う。珍しく拙宅を訪れた義母が、畳のあまりの悲惨さに驚いたぐらいだ。

 何となく腰が重く、息子の大学が決まったらということにしていた。2浪していたらもう1年延びたことになる。3浪していたら・・・

 ともあれ替えることにしたのだが、良心的な業者や相場がわからない。義母に聞いても、もう一つぱっとした返事がない。
 よくチラシが入っている大手らしき業者のは、1畳2700円からとか書いてあるので、そんなものかとも思っていたが、良心的な価格でやっているとうたう手書きのチラシの零細業者は最低でも5800円である。
 倍以上ではないか。何でそんなに違うのか。

 ネットで調べると、2700円というのはほとんどおとり広告に近いらしい。まともなものを頼むと、やはり1畳1万円ぐらいかかるという。

 それで結局、零細業者のほうに来てもらった。

 来たのが、80代も半ばに見える親方でびっくりした。私の父親よりもかなり上に見える。もしかしたら90近いのではないだろうか。

 5800円のでも別にいいのだが、ずらずらと出てくるサンプルを見ているうちにやっぱりいいものはいいのがわかる。8000円から1万円ぐらいのがまあ妥当なところで、親方もその辺にあたりをつけているようだった。
 だが、この際、それなりにいいものをと、もう少し高いのに色気を出すと、「ほんまにええのがよろしいんでしたら、もっと上のもありまっせ」と、出していなかったサンプルまで出してきた。

 年齢と風貌にだまされたのかもしれないが、商売人というよりは昔気質の職人といった風情に見える親方が信頼できそうであったことと、最初から高いのを見せなかったことなんかも気に入って、相見積もりを取ったりするのも面倒なので、もうそこに頼むことにした。

 価格を比べたところで、電気製品や車なんかと違い、もともとのモノが違うのだから、素人にはどうせわからない。複数の業者を同時に呼んで目の前にサンプルをならべてもらい、説明を受けながら比べたりすればわかるだろうけど、たかが6枚の表替えにそこまでする勇気もない。

 結局、1万4千円と書いたサンプルで、通常の売値は1万2千円だというものを、1万1千円にしてもらって替えることにした。
 消費税を入れると、6畳でちょうど7万ぐらいになる。ぼったくられていないことを祈るのみだ。

 長々と書いたが、見積もりに20分、畳引き取りに20分、再度入れるのに20分というぐらいだった。もしかするとそれぞれ30分かもしれないが、それにしても、合計1〜2時間のことだ(もちろん、表替えの作業自体は時間がかかるだろうが、それは先方が仕事場でする)。

 新品の畳は目にも鮮やかな緑で、イ草の香りもすがすがしい。

 こんな簡単に入れ替えられるんだったら、何年にもわたってうじうじと考えながら放置しておくんじゃなかった。

 その他たくさんのことと同様、ほとんどがほんとに「案ずるより産むが易し」である(いや、実際の子どもを産むのはさすがに違うと思うけど)。
 それがわかっていて、些細なことをいつもいつも「案じて」ばかりいる。

 人間、いや、少なくとも私は、いつまで経っても成長しない。

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2012.03.18

●季節は進む

 いろんなことに追われているうちにあっというまに1か月が経ってしまった。

 先月、凍結した歩道に注意を促し、山麓の残雪を観賞しながら歩いた鳥見行だったが、今日は暖かい雨の中。
 薄い上着しか羽織っていないにもかかわらず、歩くと汗ばむほどであった。

 明日はまた寒くなるというのだが、もう凍るということもあるまい。

 三寒四温、暑さ寒さも彼岸まで。まもなく春分である。

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2012.03.13

●京都散策

 息子が京都の大学(「の」がなければ言うことはないのだが、あいつなりに地道にがんばっていたのを知っているので、素直に喜んでいる)に進学することが決まったので、先週末、梅見やらを兼ねて一緒に京都に行ってきた。

 家族3人で実家以外に「お出かけ」するのはどのぐらいぶりだろう? もしかすると、2年半ぶりとかかもしれない。
 まあ、いずれにせよ、もう親と一緒に外出する年齢でもなくなってしまった。自分のことを考えれば、親が大学に来たことなど1度もなかったと思う。いや、高校でさえ多分そうだった。

 これまでなぜかまったく縁のなかった大学だし、縁ができるような気もしていなかったので、所在地もろくに知らなかった。ましてやキャンパスに入ったこともない。
 駅からの遠い道のりを、息子が一人で歩き、かなり離れて夫婦もついていく。

 《中略》

 行きは風情のないわかりやすい道を使ったが、帰りは京都らしい小路を使って散歩がてら戻る。
 期待していたビストロの場所がわからなくて電話すると、今年から昼間の営業をやめているというので、まあここでもいいかという感じのカフェで昼食にする。
 これが妙なところで、50代ぐらいの内気そうなおじさんが一人でやっている。

 メニューの中に「12:00から18:00までは間違いなくやってます」と書いてあったのに、出るとき、看板が「準備中」になっているので、だれかがいたずらでもしたのかと思った。
 「いいんですか?」と聞くと、「客が多くなるとドキドキしてしまって焦るので、あまり入ってこないようにしている」という。私たちが出るとまた営業を再開するらしい。

 コストパフォーマンスの高いランチを出していて、ケーキ類とかもおいしそうだった。すぐ近くに長蛇の列の食堂があるのにここは空いていたし、何より、このレベルの店で私たちの後に客が入ってこないのが不思議だったのだが、まさかそんな理由だったとは・・・

 神社をはしごして、満開近い梅を見たり蕾も出ていない桜を見たり。
 最後に、私自身はたぶん40年ぶりぐらいではないかと思う鹿苑禅寺金閣舎利殿を訪れる。恥ずかしいぐらいの世界的観光地だ。
 20世紀半ばの再建とはいえ、やはり圧倒的な存在感である。

 歩き疲れたので駅までタクシーで戻る。日本でタクシーに乗ったのも何年ぶりだろう?

 京都はもちろん嫌いではないのに、もと暗しで滅多に行かない。これから毎日のように通う息子を羨ましく思う。

 楽しい学生生活になることを祈りたい。

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2012.03.06

●不在の感覚

 喪失感とか不在の感覚とかいうことについてつらつら書こうと思ったけれど、いくら何でもいい大人がたかが小鳥のことでどうこう言うのもあれだなと思い直した。

 思い直しつつも、やっぱり簡単には書いておきたくなった。

 たとえば・・・

 夜、風呂に行くとか寝るとかで、リビングの電気を消すことがある。消す前に必ず、文鳥にとって問題ないかを確認するのが癖になっていた。食事中だったり金網につかまっていたりするときに電気を消すと、真っ暗な中で困らないかと思っていたのだ。
 小鳥の方も心得たもので、真っ暗になる雰囲気を察知すると、止まり木やらブランコやらにさっと飛び移って、電気を消せる状態にしてくれる。
 こう書くと複雑なようだが、夜、一人でいるリビングを後にして電気を消すということは、無意識的かつ自動的に、そういう儀式が繰り返されることを意味していた。

 そんな儀式が必要なくなり、何のためらいもなく電気を消せるようになっても、やっぱり消す前には自動的に立ち止まり、視線をカゴに向け、そして初めて、あ、もうあいつはいないんだと思う。
 ___

 朝起きたとき、仕事から帰ったとき、妙にリビングが静かだなあと感じるのも、チュンチュンうるさく出迎える小鳥がいなくなったからだ。

 カゴはまだそこにある。冬場だけかぶせるダンボールの蓋も。
 あわせても1平米にも満たないが、かたづけた後は、狭いリビングががらんとして見えるだろうと思う。

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2012.03.05

●天寿

 珍しく、朝、雨音で起こされた。こんなことはいつ以来だろう?

 リビングへ上がると、小鳥はやはり固くなっていた。息子も朝食のパンに手をつけずに固まっている。
 考えてみれば、彼は人生のほとんど半分をこの鳥と付き合ってきたのだ。

 羽毛のせいか、冷たくはなかった。が、もちろん、あの暖かさも、毎分500回の鼓動も失せていた。

 もしかしたら、朝にはまた元気にチュンチュンバタバタしているのではないかという期待もほんの少しはあったのだが、やはり無理だった。

 家人によると、スリッパの先端に開いた穴からクチバシを出して、穏やかに横たわる感じでこときれていたという。

 一生のほとんどをカゴの中で暮らしたわけだし、家の外へ出たのは数回ぐらいしかないだろう。幸せだったかどうかはわからないけれど、それなりに愛されて天寿を全うしたとは思う。
 ___

 仕事から帰ってから、ちょうど日暮れごろ、3人揃って埋葬した。

 先日、庭の掃除をした際に動かした石がちょうどおあつらえ向きの位置にあったので、それを墓石とすることに決めた。
 私が石を動かし、家人と息子が穴を掘り、北枕に寝かせて花を添えて埋め、石を戻す。

 22g の小鳥にとっては、分不相応なぐらいの立派なお墓になった。

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●最後の飛翔

 9年近く飼っている文鳥が、どうやら最後の時を迎えつつあるようだ。

 3月2日の夜は、カゴに保温のためのダンボールをかぶせようとすると、いつもどおり睡眠の定位置であるブランコに飛び乗ったのだが、3日の夜は、何度そぶりを見せても餌箱の中から動こうとしなかった。
 餌箱から飛び出している止まり木のような部分に乗って餌が食べられなくなってから、餌箱の中に入って食べるようになっていたのだ。そうなってから、半年ぐらい経つだろうか。

 それでもずっと元気で、カゴに手を入れるとすぐ飛び乗ってきていたのだが、4日の夜には、餌箱の下と床に敷いた新聞紙の間にうずくまって動こうとしなかった。

 カゴから出して手の上にくるんでやると、気持ちよさそうにじっとしている。心臓は相変わらず、速い鼓動を続けている
 カゴから出したら手の上でじっとするようになってからも数か月だろうか・・・

 だが、4日夜はもう、足もとがおぼつかず、止まり木に止まると前後左右に揺れて落ちそうになっていたし、掌の上でも立っていられない。

 家人の掌の上にいるとき、私が手を出すと必ずこちらへ移ってきていたのに、動こうとしない。
 掌から掌へ、厚みの分だけ落とすような形で受け渡し、交替で1時間ほど手の中にくるんでいてやると、少し元気を取り戻した。

 そして、なぜか不意に、私の掌を離れ、家人の方へ、たぶん最後になるだろう飛翔をした。

 といっても、ソファから左後ろのテーブルへ、ほんの2メートル足らずの距離である。
 まともに着地できず、よろける。
 その後は家人と息子が手に乗せたまま、心配そうに見守る。

 カゴの中からブランコやハシゴや高い方の止まり木を取り外し、床に置いた皿の上にエサと水を入れる。
 がんばってどこかにつかまったあげく、落ちたりしないための用心だ。

 暖かいところでじっとさせてやるのがいいのではないかといろいろ知恵を絞ったが、結局は、中に潜るのが好きだったふわふわのスリッパの中に入れてやることにした。

 入れてやると喜んで、だが力なく奥の方でうずくまる。つま先に開いた穴から桜色のクチバシがなんとか確認できるが、手前から見ると、もはや脚が地に着いていない。横たわって寝ているようである。

 体はまだ規則正しく動いている。生きてはいるのだが、横になって脚を宙に浮かせて寝転がっているのだ。

 小鳥の姿ではない。

 そのスリッパをカゴの中に入れて小一時間が経ち、日付が変わって5日になった。

 今この瞬間、生きているかどうかはもうわからない。

 たぶん、朝までもつまいと思う。この鳥の1日は人間の10日だ。
 ___

 この鳥に対する思い入れは、おそらく息子が一番深い。

 中学3年の高校入試の時、去年の大学入試の時、そして再度の大学入試の今年、私たちが半ば真面目に心配していたのは、ちょうど受験前に文鳥が死んで、そのショックで息子が失敗することだった。
 幸か不幸か、死ななくても息子は失敗を重ねた(笑)

 幸い、死ぬ前に大学が決まったのは、あるいは、大学が決まってからさほど時をおかずに死にそうなのは・・・ 間違いなく単なる偶然だろう。
 だが、明朝には入学手続き書類の受付が始まるのも、紛れもない事実だ。

 もし死んだら、どうやって弔ってやればいいのだろう? こういう小動物の死に、我々は特定の葬送儀礼をもっていない。

 床に敷いた新聞を替えてやったとき、黒い風切り羽が一本落ちていた。

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2012.03.03

●いつの間にやら雛祭り

 なんかちょっと目まぐるしかった。いつの間にやら雛祭り。まあ、関係ないけど。

 さっき、風呂上がりの洗面所で視界の端を小さな虫が飛び回っているのが見えた。誓って飛蚊症によるものではない。

 急に暖かくなってきたから、どこかから湧いてきたのだろう。

 嫌なことは良いことの伴走者である。あんな小さな虫までも・・・

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