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2012.07.14

●哀しき「お大尽」

 せっかくここでお大尽宣言をした翌日、今月から給与ががくんと下がるのを具体的な数字で知った。

 そもそも、ここ十年ぐらい、給与はずっとジリ貧で、少しずつ下がりこそすれ、上がることはなかったのだ。

 もちろん、私が悪いのではなく、社会の経済状況が悪いからである。年齢に伴ってずっと「昇給」が続いているのに、号俸が上がっても実際は減給が続いているという、不条理の森に迷い込んだみたいな状況になっている。

 それでも、10年間で減った年収は50万円ぐらいだろうと思う。平均すれば1年あたり5万円ぐらいだろうか。
 かつての給与表が変わっていなければ、年収換算で毎年10万円ぐらいずつは定期昇給するはずだったと思うので、今の私の年収は10年前に予想されていた数字と比べると150万円ぐらい少ないということになる。

 150万! 毎年車が買えそうな差である。

 まあしかし、こういう時代だから仕方ないし、特に不満もなかった。

 ところが、ここに来て、一気にがくんと下がったのである。これももちろん、私が悪いのではない。みんな同じだ。手取りベースで一割近く・・・

 いくら小まめな節約を重ねても、到底カバーできるような金額ではない。
 逆にいえば、これまでの給料だったら、1000円の代わりに2500円のランチを毎日!食べてもまだお釣りが来るぐらい裕福だったことになる。そんな状況でも、実際に1000円(以上)のランチを食べるのはせいぜい週2回のことだった。
 給料が元に戻ったら、夢の「ランチ2500円生活」をしてやろうかしら(戻るのかな?)。
 ___

 こんなに給与を減らされて真剣に怒っている人たちも多いみたいだけれど、やっぱり特に不満はない。
 客観的に見れば、一番の理由は、共働きのために直ちに生活に影響がないからだろうが、むしろそれよりも、そもそも、報酬が天から降ってくるもののように感じられることが大きいように思う。

 私たちのような職種の者に与えられる報酬は、決して労働への対価ではない。もしそうなら、労働時間やその内容と報酬との間に相関関係があっていいはずである。
 だが、そのようなものはほぼ一切ない。採用されるまでの経歴と年齢、どういう身分でどこに所属しているかで決まってしまう。いわば、所属への対価なのだ。残業手当等は1円もない。

 考えてみれば、そういう給与システムでほとんどの人がそこそこまともに(あるいはすごく献身的に)働いているのを何だか不思議に思う。
 いや、むしろ不思議ではないのかもしれない。最低限の水準を超え、かつ、劇的な高報酬にもならない場合、給与の多寡は仕事へのモーティベーションとあまり関係がないのである。

 そういう給与が減っても、借金しないと現実に家計が回らないということでもない限り、ある種の無常観というか諦観というか、まあ、与えられた運命のような気がするだけだ。
 また逆に、仮に増えたとしても、そのぶん贅沢しようなどとは思わない。

 だから、やや劇的に給与が減っても、相変わらずこれまでと同じような生活を続けていくと思う。
 ランチの食後にコーヒーが飲める「お大尽路線」はやっぱり諦めざるをえないかもしれないけれど。

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