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2012.09.30

■母はアル中?

 自然を愛する人生の先輩方と喫茶店で語り合っているとき、私がまったく酒を飲めないという話になった。

 「奥さんも飲みはらへんの?」
 「ええ、飲めないことはないんですが、ほとんど飲みません」

などと言っていると、横から息子が、

 「あの人、めっちゃ酒好(す)きやん」

と口を挟んだ。

 「あの人」というのは、むろん家人のことである。マザコンのくせに、一応、照れがあるのだ。

 瞬間、何を言っているのかわからなかった。
 私から見ると、間違いなくほとんど飲まない。もしかして、私に隠れて息子の前では飲んだくれている・・・というようなこともありえない。

 家人が飲む酒というのは、週に2回ほど、夕食時にワインを 50ml ぐらいである。
 外食時には一切飲まない。

 ただ、この夏に旧東ヨーロッパに行ったときは、水よりビールの方が安かったりしたので、数回はグラス一杯飲んだかもしれない。それだって、結婚以来初めてのことである。

 たしかに、ワインを飲むときには「ああ、おいしい」とか言っている。

 しかし、週に2回、50ml 飲む大人を「めっちゃ酒好き」というだろうか。

 数秒の後には理解した。
 息子は、ほんとうに酒好きな人とか酒飲みとかを見たことがないのだ。

 家人の両親と弟もあまり飲まない方だし、私の母親と兄弟2人はまったく飲めない。
 私の父親だけがかろうじて酒は好きだが、それだって、ビールの小瓶で十分というレベルである。わりと最近知ったのだが、会社で営業の仕事に回されるまでは、もともとまったく飲めなかったそうだ。
 そして、だれひとり、酔ったところを息子に見せていない。

 そういう大人を見て育つと、「おいしい」と言ってたまにワインを飲む母親が「めっちゃ酒好き」になってしまうのだ。
 環境とか文化とか教育というのは、実に恐ろしい
 ___

 周囲への誤解を解くべく、息子に「あんなんは酒が好きやとは言わへん。お前は、酒好きとか酒飲みとかがどんな人のことを言うのかわかってへんねん」と言ったのだが、果たして先輩方にはどう聞こえただろうか。

 アル中の妻を隠そうとするけなげな夫?

 いえ、ほんとにほとんど飲まないんですって。別に飲んでもいいんですけど。

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2012.09.29

■蜂に噛まれる

 関西では多くの人が「蚊に噛まれた」という言い方をする。

 わたしもふつうそういうのだが、関東の人に「蚊は噛まないよ。刺すんだよ」といって笑われたことがある。当のご本人は、「蚊に食われた」とよくおっしゃるのだが。

 英語でもよく、mosquito bite という言い方をする。やはり蚊は噛むというイメージがあるのだろう。
 他の言語のことは知らないが、おそらくは似たような表現をする言語も多いはずだ。べつに関西弁が変なわけではない。
 ___

 だが、関西でも蜂にはふつう「刺された」という。これは関東でも同じだろう。
 英語でも bee や wasp や hornet なんかには sting を使うのがふつうだろうから、やっぱり、「刺された」である。

 しかしながら、今日はミツバチに噛まれた。

 最初は息子だった。額を蜂に噛まれたから見てくれという。すごく痛かったとも。

 「刺されたんちゃうんか?」と聞いても、「噛まれた」という。
 刺されるのと噛まれるのって違うのがわかるのだろうか。額だから、自分では見られない。

 半信半疑で額を検分しても、特にどうにもなっていない。近くには人生の先輩方がずらりといらしたのだが、どなたも「蜂に噛まれるというのは聞いたことがない」とおっしゃる。

 信と疑の割合が、後者に大きく傾く。

 ところが、今度は私に蜂が止まった。しかも喉に。見ていた方々の話によると、ミツバチだそうである。

 蜂が周囲に来たときの鉄則はじっとしていることだと、自然を愛する方々からたたき込まれている。実際、そのうちのお一人は、スズメバチが鼻の頭に止まったときにすら、じっと動じなかった。
 喉にミツバチが止まった私も、師の教えにしたがって、じっと我慢する。

 ところが、そいつが噛むのである。

 「あ、今噛まれた。また噛まれた」と実況中継しながら、あくまでも先達の教えにしたがって動かない。しかし、5回ほど噛まれると、さすがにもう、何とかしたくなってきた。
 息子の痛がりようはいつものように少々大袈裟だとは思うが、やっぱりミツバチの大顎に挟まれて痛くないわけがない。

 鏡をお借りして中指ではじき飛ばそうかと思ったが、カメラレンズの袋?を貸していただいたので、それではたくことにした。
 戻ってきて復讐されても、スズメバチじゃないんだから大丈夫だろうと判断した。
 ___

 蜂は噛むのである。

 そして、刺されたか噛まれたかは、まったく見えなくてもわかる。

 息子よ、疑って悪かった。

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2012.09.26

■ゾンビか不死鳥か

 主観的に小さくはない落胆が続くぱっとしない毎日の中、せめてもの慰めにと安くておいしいランチを楽しんだ。
 店を出て車に乗り、ラジオのスイッチを入れたとたん、聞き覚えのある甲高い声が演説しているのが耳に入ってきた。

 瞬間、「まさか」と思って聞いていると、ほどなく、あの人が自民党総裁に返り咲いたということがわかった。
 報道によると、間をおいて2度総裁を務めるのは、自民党史上初めてのことだという。

 それがあの人・・・

 末期症状だとは思うものの、昨今の東アジア情勢から鑑みれば、自民党の国会議員たちが望みを託したのはわからないでもない。
 有能な軍事オタクか無能な張り子の虎か。さぞかし究極の選択であったことだろうとも思う。

 自民党を飛び出して維新と合流みたいなノリの報道もあったように記憶しているが、まだ総裁になれる目があると踏んで残ったのだろうか。
 それにしても、まさかほんとうになってしまうとは・・・

 これで、衆議院解散後の新しい政権は、自民と維新を中心とした連立となることがほぼ確実になったように見える。

 ポピュリズムの旗手になった橋下氏だが、このタイミングで竹島を「共同管理の話に持っていくしかない」と発言するなど、自民党的政治センスには乏しい面もある。

 まあ、2人とも、ほとんど思い込みと思いつきだけの信念で突き進むという共通項はある。

 怖いもの知らずの橋下氏とゾンビ(不死鳥?)のごとく甦った安倍氏。

 そんなコンビに私たちの命運がかかってくるのだろうか・・・

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2012.09.25

■秋晴れというか夏晴れというか

 滅多にないような気持ちのいい晴れ。

 彼岸も過ぎて秋晴れかというと、地平線近くの雲はどちらかといえば夏を示している。

 そうだ、暑くないときのヨーロッパの夏が、こういう感じの「夏晴れ」。

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2012.09.22

■暑さ寒さも?

 今年は今日が秋分の日。
 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったものだと思っていたが、昨今はそうも言えなくなってきている。

 今日だって日中は30℃を軽く超えていただろう。

 ところが、ポーランドのクラクフの最高気温は16℃、最低気温はなんと4℃だという。

 寒さは彼岸からみたいな・・・いや、4℃って、大阪の真冬の最低気温くらいだ。

 早いなあ。あれからたった3週間なんだけど。

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2012.09.20

■サラの鍵 または アウシュビッツ

 観光シーズンのアウシュビッツは、日中、自由な見学を許していない。

 ぼくらも仕方なくという感じで、ガイドツアーの切符を買った。
 その時は正午をいくらか過ぎていたのだが、まだ昼食を食べていなかった。切符を買うと、十数分後には始まってしまい、食事をする時間はない。その次のツアーはさらに1時間後だったと思う。
 ツアーはどのぐらいかかるのかと窓口で聞くと、面倒くさそうに3時間半だと教えてくれた。終わると4時だ。

 「そんなに長いのなら、途中で何か口に入れられるだろう」と、クッキーやらポテトチップやらを売店で慌てて購入していると、サンドイッチが目に入り、それも買ってレシーバーとヘッドホンを借り出し、集合場所に向かった。

 ところが、ツアーは当然のように「ここは神聖な場所ですから、途中の飲食はご遠慮ください」という言葉から始まるのだった・・・
 ___

 アウシュビッツについて、ここで何か語ろうとは思わない。ただ一つ、思いがけないことがあったので、それを記しておきたい。

Dsc04758_169 アウシュビッツIの見学を終え、2キロほど離れたアウシュビッツ II(ビルケナウ)へ移動してからのことだ(どうでもいいことだが、移動前に何とかサンドイッチが食べられた)。

 より「効率的」に目的を達成するために作られた広大な敷地を、Iのときよりも少し減った二十数人ぐらいで見学する。もうヘッドフォンはつけない。歩く時間も長く、その間にガイドといろいろ話す人も出始めた。
 中に一人、熱心に話している人がいる。ガイドの対応もおざなりではないようだ。

 少し興味が出て、聞くともなく聞いていると、その人のおばあさんがここに連れてこられたときの話が聞こえてきた。

 え?

Dsc04833_169 アウシュビッツ II(ビルケナウ)には、大量のユダヤ人たちを収容所内へ直接「輸送」できるよう、敷地内にまで線路が引き込んである。
 だが、おばあさんからはバスで連れてこられたと聞かされているというのだ。

 「それは何年ごろのことかしら?」
 「ええ、鉄道が引かれたのは○年△月のことだから」

といった会話が続いている。

 その後は、聞くともなくではなく、真剣に聞き始めた。

 まだ少女だったおばあさんは、ここから脱走して近くの病院にかくまわれて生きのびたのだという。

 ここから脱走!

 「彼女が生きのびていなかったら、私は今ここにいませんからね」というようなよくある台詞も、アウシュビッツで脱走者の孫から聞くと、迫力が違う。

 「もしおばあさんが生きてらしたら、もっといろいろお話が聞けたでしょうにね」
 「いや、彼女はまだ元気ですよ。アメリカに住んでいます」
 「あらまあ、それは申し訳ありません。今のうちに彼女からいろいろ聞き取って、本にしたらどうかしら」
 「ええ、私もそれは考えているんですが・・・」

 ぼくだって、そのおばあさんは死んだものだと勝手に思っていた。
 さっきから、あまりにもみんながいろんな殺され方、死に方でこの世からいなくなっていったのを見てきたのだ。もちろん多くはガス室だが、それだけではない。
 ガイドはそれを毎日のように解説している。

 ここでは、生きていることが何だか新鮮に思える。

 でももちろん、少女は今、ぼくの母親ぐらいの年齢のはずだ。それより5歳上の父親だってまだ生きている。
 父親も、グラマンの機銃掃射から逃げた過去を持っている。兵隊としてではなく、ただの少年としてだ。「父親が生きのびていなかったら、私は今・・・」というのは、自分自身のことであるにもかかわらず、軽い冗談ぐらいにしか思っていない。
 ___

 この映画『サラの鍵』のサラも、逃げ出して生きのびた。アウシュビッツに送られる前であるが、両親は送られて殺されている。そして弟は・・・

 生きのびたひとりひとりに、彼のおばあさんのような、そしてサラのような人生がある。そして、殺された数百万人にも、それはあった。

(Elle s'appelait Sarah, 2010 France)

(後記:稀にみる傑作だった。アウシュビッツ見学後、時をおかずして偶然見たからだけではない。)

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2012.09.19

■何をやってるんだ、ソフトバンク

 夜、外食と買い物に出かけるついでにauショップに寄って、iPhone 5 を予約してきた。

 決め手の一つは、auだとテザリング(tethering:スマートフォンなどを経由してパソコンからインターネットを使うこと)が少なくとも2年間は無料で使えることだった。
 ソフトバンクはそもそも対応しておらず、いくら大金を積んでも使えない・・・はずだった。

 ところが、ソフトバンクが「緊急」記者会見を開き、来年1月15日からテザリングに対応すると発表したことを、夜中になってから知った。
 その他にも、「お得な」条件をいくつか増やしている。

 だが、今ごろになってそんなことをいわれても、大方の人はもう予約を済ませているだろう。今日行った郊外のauショップには、私が入ってから出るまでの間、他に客は一人もいなかった。
 こんなにおっとりと iPhone を予約するやつなど、ほとんどいないのだ。何しろ、発表から24時間で、200万台売れているのである(世界中で、だけど)。

 発売はもうほとんど1日後に迫っている。

 auをキャンセルして新たにソフトバンクを予約し、購入者の列の一番最後に並び直すようなことをする人がどれだけいるだろうか。既に予約しているような人は、ほとんどが一日でも早く iPhone 5 を手にしたいと思っているのである。

 私はそうでもない・・・が、やっぱり面倒だし、auスマートバリューもあるし、このままにしておこうと思う。
 うちに2台あるソフトバンクのガラパゴス携帯も、そのうちauに MNP するだろう。

 「相手の出方を見ながら」というのもいいが、おそらくはソフトバンクからauに鞍替えする人が多すぎて泡を食ったに違いない。
 うちもたぶん、これから2回線行くからね。

 ほんとにもう、何をやってるんだよ、ソフトバンク。

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2012.09.15

■iPhone 5 または 年貢の納め時?

 iPhone 5 がまもなく発売される。

 携帯だって iPod touch だってほとんど使っていないんだから、両方が合体した iPhone になっても使わないだろうとは思うものの、珍しくちょっと欲しくなる。
 初代が出てからもう5年らしい。よく今まで買わなかったものだ。

 旅行中、外でネットが使えることのありがたさがよくわかったのも背中を押す。

 何しろ、au 版では、iPhone 5 の機能を使ってパソコンからもインターネットが使えるらしいのだ(テザリング(tethering)という)。しかも、少なくとも2年間はその機能が無料。

 携帯はソフトバンクだが、au 版の iPhone を買おうかという機運が、徐々に高まってきた。

 ところが、もうほとんど予約しようと思って au のサイトを見ると、「au Online Shopでのご予約受付は終了いたしました」の文字。
 何だよそれ。昨日の夕方始まったばかりじゃないか。

 店頭へ行けば予約できるというのだが、一気に気分が萎えた。

 まあ、ふだんは家と職場との往復だし、旅行に出るのはせいぜい年に2〜3回だし、やっぱりあんまり使うことはないからもうやめようかなあ・・・

 でも、白か黒か、どっちにしようかなあ ^^;

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2012.09.14

■「車を動かしてください」

 近い方の職場での会議を途中で抜け出し、遠い方の職場への会議に向かう途中、いわゆるゲリラ豪雨に襲われた。

 道路はみるみる冠水、右側の車輪で派手な水しぶきを上げながらゆっくり走る。

 過去の亡霊まで含む愚にもつかない顔ぶれが5人揃って記者会見をしているラジオ(だから間抜けな顔は見えない)を聞いていると、「番組の途中ですが」と、大雨洪水警報が発令された旨、放送があった。

 これだけ降ってからなら、私でも警報が出せる。

 職場に着き、まさかとは思いながら高台を探して車を駐め、トランクに置き傘している自分を呪いながら傘を取り出す間に、もうほぼ全身びしょ濡れになってしまう。
 ___

 会議が終わると、雨は小降りになっていた。

 階段を下りている途中、珍しく館内放送があり、車を移動してくれと言っている。今の職場とは30年以上の縁があるが、館内放送なんて初めて聞いたような気がする。
 だれかが邪魔になる場所にでも駐めたのかなと思っていた。

 建物を出て駐車場に向かうが、道がプールになっていて近づけない。

 ほとんど利用したことのない別ルートからアクセスしようとしてドアを出ると、出たところの駐車場もプールになっていた。
 そこにぽつんと1台だけ残った車のナンバーが、先ほど放送されていたものだった。

 水没の可能性を考え、別の場所に動かすよう促す放送だったらしい。だったらそう言わないと、緊急性が伝わらないと思った。

 それはそれとして、やっぱりこのルートもダメ。3回目はちゃんと考えて、遠回りだが確実に行けるルートをとった。

 われながら先見の明、もちろん、高台に駐めた車は無事である。
 しかしまさか、ほんとにプールになるところがあるとは思っていなかった。

 下にあったさっきの車もいなくなっていたが、あの程度なら車には被害はないと思うものの、乗り込むためにはプールの中を歩いて行かなければならない。
 車止めが完全に水没していたし、水深は25センチぐらいあったのではないか。

 そんな目に遭わなくてほんとによかった。

 職場では数年前、地下が水没した事例があったのは聞いている。だが、自分でプールを目にしたのは初めてだ。

 以前はなかったタイプの大雨が降るようになっているというのは、おそらくは正しいと思う。

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2012.09.13

■陸路の国境越え

 今回の旅行では、つごう8回国境を越えたことになる(ドバイを除く)。

 だが、空港での出入国を除く6回の陸路のうち、国境らしい国境はスロベニアからクロアチアに入るときだけだった。

 スロベニアはシェンゲン条約加盟国で通貨までユーロなのに、隣国のクロアチアはEUにすら入っていない。
 ルーマニアやブルガリアはもちろんのこと、元ソ連であるエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国ですらEUには入っているというのに。

 というわけで、スロベニアからクロアチアに行くときには懐かしい陸路の国境があった。

 パスポートを準備して係官に手渡し、返してもらって特に問題なく進む。
 さあ、クロアチアに入ったと思ってしばらく走ると、またパスポートを見せろと言われる。「え? 何で? さっき見せたんだけど」と思ったのだが、口に出さなくてよかった。
 いったんしまい込んだパスポートを引っ張り出してまた手渡す。

 あたりまえのことだが、一回目はスロベニア出国、二回目はクロアチア入国である。

 日本から外国に行くときは、一回目の出国を日本の空港で行い、数時間から十数時間のフライトを経てから二回目の入国を行う。それに慣れてしまっているので、その2回を1〜2分ほどの間隔で行うことに戸惑ったのだ。
 (クロアチアからハンガリーに入るときも一度だけパスポートを見せたのだが、どちらの国に対して提示したのかすら把握していない ^^;)

 思えば、初めてヨーロッパへ行った1983年には、国境を越えるたびにこれをやっていた。もちろん、一応は検疫も税関もあった。
 それがいまや、大陸側のほとんどの国では出入国管理がなくなってしまっている。

 ミシュランの地図によると、あの孤高のスイスですら、今やシェンゲン条約加盟国で、パスポートコントロールはなくなっているという。
 調べてみると、2008年の終わりから陸路で、2009年春からは空路でも、加盟国間の移動の際、パスポート提示は不要になったという。
 これにはちょっと驚いた。もちろん、まだ?EUには加盟していない。

 にもかかわらず、旧ユーゴスラビア諸国のうち、EU・ユーロ・シェンゲンと3拍子揃ったスロベニアを除くと、他のすべての国は、そのいずれもがまだである。

 なぜ、ひとりスロベニアだけが完全な仲間で、他は完全な他人なのか。

 そんなことも、今回の旅行に行くまで、思いつきもしなかった。

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2012.09.12

■面倒でなければ海外キャッシングは帰国後一括返済を

 先日、海外での支払いのコツとして

1.とにかくできる限りクレジットカードで支払う。
2.現金が必要な場合は、クレジットカードのキャッシング機能を利用して最小限手に入れる。
 (ただし、1回払いで翌月返済する)
 その際、手数料やレートの承認を求めてくる ATM は避ける。

のが一番だ。

と書いた。

 訂正というか追記というか、2に関して、さらに利息を圧縮したければ、帰国後すぐに(というか、面倒でなければ、海外にいても)ネットバンキング等で一括返済してしまうということも可能なので記しておく。

 放っておくと、ふつう、利用日から締め日を経て支払日までの、最小で1か月弱(1.5%弱)、最大で2か月弱(3%弱)程度の利息を取られて口座から引き落とされることになるが、借金だからいつでも返せるわけで、先方に連絡して振り込みますといえば、振込先口座と金額とを教えてくれる。
 その際、利息は振り込む日までの日割り計算になるので、大幅に圧縮することが可能だ。
 朝電話して、「海外キャッシングでお借りした分を今日全額振込でお返ししたい」と言えばよい。

 どうせ少額なので面倒だったのだが、実験を兼ねてやってみた。

 その結果、支払利息は0.9%で済んだ。計算してみると、放っておくのの半分ぐらいになった。

 10万円ぐらいの利用なので、差額はたかだが千円だ。電話して情報を聞くのがちょっと面倒だし、振込手数料はこちら持ちなので、それが必要な場合は放っておいた方が気が楽かもしれない。
 だが、50万なら5千円、100万なら1万円の差になる(私には縁がありませんが)。

 驚いたことに、計算してみると、キャッシング時に適用されているレートは銀行間取引レートそのもののように見える。買い物で使ったときの1.63%上乗せのようなものがないみたいだ。

 だとすれば、冒頭に記した1と2は逆転して、一括ですぐ返済するならば、キャッシングで現金を使った方が若干有利・・・という可能性もある(クレジット利用の明細がまだ来ていないので、まだ厳密には比べられない)。
 しかしながら、その程度の差のために海外で現金を持ち歩くというのはあまり気持ちよくない。

 いずれにせよ、私の場合はそんな細かいところまで気にしても仕方ないぐらいしかお金を使わないので、やはり冒頭のとおりか、気が向いたらキャッシング分は一括返済というところに落ち着きそうだ。

 ただ、これまでよりももっと気楽に海外キャッシングできそうなのは、ちょっとした朗報である。

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2012.09.11

■忘れる動物

 職場へ向かう車の中でカレンダー表示が目に入り、今日が9・11であることを知った。

 ああ、今日がそうなんだと思ったが、朝、新聞をわりと丁寧に読んでいるにもかかわらず、その時には気づかなかった。
 家に帰って調べると、1985年の日航機墜落と同様、今年は朝刊に1行の記事も載っていないのだった。

 夕刊も、記事としてはゼロ。一つだけ、リービ英雄に関するコラムが9・11関連だった。
 (朝夕刊とも、見落としていたとしたらすみません)

 まあ、アメリカ東海岸は、こちらが夜の今ごろ9・11の朝を迎えたわけだし、日本の新聞にそれなりの記事が載るのは明日の朝刊か夕刊ということになろうか。
 ___

 一方、3・11のほうは、1年半という中途半端な日であるにもかかわらず、3ページぜんぶを使ったカラー特集があったほか、個別の記事やコラムもいくつかあった。
 いや、もちろん、文句はない。何といっても9・11は3・11の10年半も前の事件であるし、後者は自国で起こった悲劇でもある。
 ___

 この種のことについて書こうと思ったのは、帰国直後に遡る。

 帰ってきてすぐ、「大震災」とか「原発」とか「放射性物質」とか「節電」とかがどんどん耳目に飛び込んできたのだが、申し訳ないことに、旅行中、それらのことをまったく思い出しもしなかったのだ。
 旅行に出る直前までは、毎日そんなニュースを見たり聞いたりしてそれなりに考えたりもしていたのに。

 ほんとに、まるっきり、ぜんぜん、ちらりとも頭をかすめすらしなかったと思う。

 その他の仕事上や日常のこまごましたことは、旅行中もいろいろ頭から離れず、はなはだしきは夢の中にまで出てきて私を悩ませたにもかかわらず、である。

 震災の影響で、東京電力株で100万円以上の損失を出し(20年以上にわたって株主総会で毎年原発反対の意思表明をしてきたのに)、毎月の給料だって何万円も減っているわけだけれど、結局のところ、自分は震災の当事者でも被害者でもない。

 だから、ほんとに申し訳ないことに、一歩日本を出ると、「思い出しもしない」というようなことになってしまうのである。
 ___

 一方で、誤解を恐れずにいえば、忘れるってすごく素晴らしいことだなあと実感した。忘れてしまえば、なかったことと同じになる。
 旅行の間にすら私を悩ませていたもろもろだって、忘れてしまうことができれば、思い煩うこともなくなるのだ。

 人間は忘れる動物だ。
 だが、忘れたいと思うようなことは、往々にして忘れることができない。

 忘れたいことを意図して忘れることができたらどんなに幸せになれるだろう。

 忘れてはいけないこともあるだろうけれど。

 後記:本日(20120912)朝刊には1面の1/3ぐらいの特集記事がありましたが、その見出しは「色あせる9.11」でした。

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2012.09.07

■ポーランドの田舎

 私の写真では伝わりませんが・・・

Dsc04054_169

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■GPSの旅

 ウィーンを除けば初めて訪れる場所ばかりだったとはいえ、いつも同じようなことをしているだけの旅だが、今回ひとつ新しいことがあるとすれば、それはGPSを利用したことだろう。

 国内の旅行ではカーナビを使っているが、海外で使ったのは初めてである。ほんとうは3年前のカナダで使うはずだったのだが、ハーツのミスで使えなかったことは以前書いたと思う。
 もっとも、カナディアンロッキーをドライブするのにカーナビはほとんど必要なく、レンタル料がかからなくてむしろラッキーだったのだが。

 カーナビだけではない。

 半年ほど前に手に入れた、GPS機能を持つカメラを常に携帯していて、自分の行動の軌跡をほぼ正確にいつでも再現することが可能になった。

 これを書いているのは北京近郊の中国上空だが、こうして空を飛んでいても、カメラを窓際に置いておけば(薄いので、サンシェードを下の方まで降ろせば挟んで固定しておける)、飛行機の軌跡も後で知ることができる(行くときはそのことに気づいていなかった)。
 (機器が熱くなりすぎないように光を遮るため、昼間は紙などを2〜3枚間に挟んでおいた方がよさそうです。)

 思えば、このカメラを手に入れて以来、国内海外を問わず旅行に出るのは今回が初めてだ。だから、旅の軌跡をGPSで記録するのも初めてということになる。
 「日々旅にして旅を栖・・・」と憧れながら、現実にはべったり定住の暮らしを続けてきて、そんな思いを忘れてしまっていることの証左だろう。

 ともかく・・・

 これまでの旅行では、どこへ行ったかは、かろうじて覚えていたりメモや写真をとっていたりはするものの、「どう」行ったかはあまりわからなかった。

 どんなルートをたどり、そこにはどんな風景が展開したのか。

 点の旅ではなく、せめて線の旅をしたい。そして、できればそれを記憶と記録にとどめたい。
 以前から意識はしていたので、道中の風景をときどきカメラにおさめるようにはしていたのだが、さて実際に写真を見ても、それがどこであったかわかることの方が珍しい。「ボローニャとベネチアの間のどこか」みたいな話になってしまう。
 なので、特にデジカメになってからは、道案内の看板を写真に撮ったりして「間」の距離を短くし、なるべく軌跡がたどれるように努力はしていた。

 ところが、GPS付きのカメラで写真を撮ると、ファイルにジオタグが埋め込まれ、その写真が、どこで、どの方向を向いて撮られたかが、一枚一枚わかる仕組みになっている。

 ほんの数年前には考えられなかった夢のような話だ。私のような想像力のない者は、場所がわからないことを不便に感じながらも、そんなことができたらいいなあとすら考えなかった。
 だから、原理的にはそれが可能な時代になっても、実際にだれかが作って使い方を教えてくれるまで、そんなことができるかもしれないことに気づかない。

 今や、インターネットや iPhone(持ってないけど)に代表されるように、実現化した技術や発売された製品を通じて自分が何を求めていたかを教えてもらうような時代になっている。

 「必要は発明の母」というが、これだけ文明が発達してくると、愚か者には何が必要か自体がわからないからである。

 まあ、電話やラジオやテレビだって、似たようなものかもしれないけれど。
 ___

 ネット環境がいいときには、Google Earth と連携させて、その日どこを走ってきたかを地図上に再現して楽しんでいた。

 だがすぐに、その軌跡があまりにも明瞭単純で、ほとんど何の余韻も含みもないことにやや落胆するようになった。

 たとえば、温泉湖のあるハンガリーのヘーヴィーズからブダペストまで、事前には予想もしなかったバラトン湖北岸の一般道ドライブを楽しんだにもかかわらず、地図上に表示されるのは、2つの街を効率的に結ぶ無機質な線だけとなってしまう。カーナビの指示に従って進んでいったのだから当然だ。
 昼食のために丘を登っていったことと、岬の街に寄り道したこととがかろうじて彩りを添えているのが、救いといえば救いである。

 今回の旅行中、「これまでいったいどうやってヨーロッパをドライブしていたんだろう?」と思うことが多かった。
 ケストヘイでもブダペストでもクラクフでもプラハでも、カーナビがなければとてもホテルに辿りつけないような複雑な経路を選んで走っていかねばならなかった(あってもけっこう大変だった)。
 クラクフのアパートメントに至っては、そこに車で乗り付けておいて、「ところで、わたしたちは今どこにいるんでしょうか」と管理人に尋ねる始末である。
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 インターネットを使いつつ進めるヨーロッパの旅も初めてで、前日の夜や当日の朝ホテルで、はなはだしきは当日の午後にサービスエリアでその日の宿を予約して宿泊したりした。
 そうだ、以前は、道中たまたま通りかかったホテルに飛び込みで泊まることがほとんどだったから、「ホテルに辿りつく」こと自体が必要なかったんだ・・・

 偉大な人物たちによるさまざまな発明のお蔭で、旅はどんどん効率的で便利になっていく。
 だが、目の前に引かれた地図上の明瞭な線を見るとき、「あのとき、どこをどう通ってあの風景に巡りあえたんだったっけ?」と、もどかしく思うような経験は失われる。

 これまでずっと、「ああ、あの時、どこを走っていたのか思い出せたらなあ・・・」とか思っていたのだが、今回は逆に、記憶にない道までもが「お前はここを通ったのだ」と主張する。

 だからといって、昔を懐かしんで以前と同じような旅をしようとは思わない。その時点で可能な範囲のテクノロジーを今後も使い続けていくだろう。

 過去も現在も未来も、それぞれに長所短所を持っているのは当然である。

 そして、結局のところ、われわれは少しは未来を選び取ることができるにしても、過去を選び取ることはできないのだ。

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■旧東欧ネット事情

 今回の旅行で泊まったホテルのほとんどで、Wifi が無料で自由に使えた。
 1度だけ高級ホテルに泊まったときは、室内での利用は有料だったが、ロビーなどでは無料だった。

 が、快適に使えたことは稀であった。

 つながらなかったり、つながらなくなったり、とても遅かったり、電波が弱かったり・・・

 いわゆる快適にさくさくと・・・という記憶は一度もない。強いて言えば、上記高級ホテルのロビーだけだろうか。それとて、速いとはいえないスピードだった。

 旧東欧諸国のホテルで、ネット環境は期待しない方がよい。Free Wifi と誇らしげに書いてあっても、使いものになることの方が珍しかった。
 もっとも、われわれの泊まったホテルが安めの宿ばかりだった(基本、朝食付き3人で5000円〜8500円ぐらい)ことが影響しているのかもしれない。

 あ、しかし、2年前に仕事でパリに行ったときの中級?ホテルでは、滞在していた1週間近くの間、結局一度もネットが使えなかった。

 「旧東欧」などと区別しなくても、ヨーロッパのホテルのネット事情はどこも似たようなものなのかもしれない。
 ___

 こういう駄文をものするためではなく、必要に迫られてネットを使うはめになったプラハのアパートメントの環境が最悪だったのは辛かった。

 何とかだましだまし断続的にネットに繋げながら、その昔(15年以上前だろうか)、「調子が悪い」「相性が悪い」「コンフリクトが・・・」「暴走した」「ハングアップ」「フリーズ」などと言いながら、それなりの熱意を持ってコンピュータやインターネットと辛抱強く付き合いつづけてきたことを、ほろ苦く思い出していた。

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■旅慣れてしまったのか旅疲れなのか

 今さら言うまでもなく、飛行機が好きだ。

 旅客機に乗るときは、可能な限り窓側の席に座り、外の風景を小学生のように眺める。
 特に、離陸と着陸の時は特別で、空へ飛び出す瞬間、地面へ戻る瞬間を窓外を見ながら味わう。

 われわれを乗せたエミレーツ航空140便、ボーイング777-200は、定刻の16時にプラハ空港のA6番ゲートからプッシュバックされ、タキシングを始めた。

 離陸滑走を始めたのは覚えている気がする。

 次の記憶は、「なかなか地面から離れないけど大丈夫なのかなあ、いつまで走ってるんだろう?」というものだった。
 ふつう、この手の飛行機は45秒以内には離陸する。

 次の瞬間、窓の外を見ると、どうやら機はかなりの高度を飛んでいるらしく、見えるのは地上の風景ではなく、空と西日のみであった。

 しばらく何のことかわからなかったが、時計を見ると16時15分近くになっている。
 たぶん生まれて初めて、離陸の瞬間に寝てしまっていて、貴重な経験を逃してしまったのだ。

 空からプラハの美しい街並みを見るのが楽しみでもあったのに、知らない間に街から離れてしまうとは・・・

 子どものようにわくわくと離陸の瞬間を楽しむような純粋な気持ちが、やはりそれなりに旅慣れてしまったことで摩滅してしまったのだろうか。

 それとも、初めての旧東欧諸国への、しかも慌ただしい旅に、いつもより疲れていたのか。

 (以上は、プラハ→ドバイの機内で書いて、ドバイでアップしました。)

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2012.09.06

■やっぱり最後は寒かった

 プラハ最終日。まもなくアパートメントを後にせねばならない。

 午前中、露店をひやかしに出たら、やはりかなり寒かった。

 もう時間がない。ネット環境も非常に悪い。

 ではまた後ほど。ドバイから?

 後記:プラハの空港でこれを書いている。インターネットは15分だけなら無料で使えるという。資本主義の原理は、もちろん旧東欧でも威勢がいい。

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■共産主義の残滓?

 気のせいかもしれないが、ときおり、共産主義時代を髣髴とさせるような無愛想な店員などに遭遇することがある。

 最初の体験は、クロアチアに入った初日のことであった。国境を越えてたぶん最初のサービスエリアにある ATM の紙幣が出払っていて、お金を引き出すことができなかった。

 トイレに行きたかったのだが、クロアチアクーナのぴったりのコインを入れないと通れない、機械式のバー改札がトイレの前に立ちふさがっている。
 そもそも、国境を越えてすぐのサービスエリアのトイレがそんな仕組みであることにまず驚いた。

 現金はないし、トイレはそれなりに切迫していたので、同じ建物内ですぐ横の軽食堂のおばさんに、トイレに行きたいのだが、現金がなくて困っている、何とかならないかと聞いてみた。

 ところが、ぶすっとしたままニコリともせず、もちろんすまなそうにもせず、こちらの状況には一片の同情も示さず、無表情に、

 No cash, No toilette.

と繰り返すだけ。

 その瞬間、共産主義の亡霊を見た気がした(共産主義者のみなさま、すみません。主義としての共産には理解がない方ではないと思いますが、現実としての国家とその悪い面の・・・という意味です)。

 この人ではどうにもならないと思い、さっき ATM で助けてくれたおじさんを見つけて事情を話すと、あっという間に鍵を持ち出してトイレを無料で使わせてくれた。
 もちろん入る前には全身で感謝を表したが、出てからもお礼を言おうと探したのに見つからなかったのが心残りである。

 クレジットカードで何か買わせて余分に課金して小銭を渡してくれてもいいし、ユーロの現金なら持っているから多めに払わせて換金してくれてもいい。
 おじさんのように親切にしてくれるのは望みすぎかもしれないとは思うものの、立場が逆なら間違いなく同じようにしただろう。

 少なくとも、ちらっとでも「困りましたね」という表情が出れば救われたのだが、能面のようにと言っては能面に失礼なほどの無表情であった。
 ___

 滞在中、似たような共産国家人物に数回遭遇した。違うタイプの共産国家人物にも1回。

 なんだか、共産主義の悪口を言っているようで後味がよくないが、逆に、自分に利益が入ってくるからこそ愛想よくするのかと思うと、そんな殺伐とした資本主義も願い下げにしたい。

 ふれあいとかまごころとか、思いやりとか助け合いとか、ちょっと恥ずかしいような言葉で表される関係性を基軸とした社会を構築するのは、われわれ人類にはやはり無理なのだろうか。

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2012.09.05

■ユーロネットの ATM でお金を引き出してはならない

 以前、海外旅行へのお金の持って行き方を書いたことがある。そのバージョンアップ版?を。

0.基本的に両替はしない。
1.とにかくできる限りクレジットカードで支払う。
2.現金が必要な場合は、クレジットカードのキャッシング機能を利用して最小限手に入れておく。
 (ただし、1回払いで翌月返済する)
3.新生銀行等に口座を作って、ふつうの円預金口座から現地通貨を引き出すことも可能。

 1が重要だが、各国で何度か試した結果、現金が必要な場合には、キャッシングの利息を支払っても、クレジットカードの方が両替するよりはるかに有利なことがわかった。
 ただし、リボルビング払いによる返済しかできないカードがあったり、海外でのキャッシングに限りリボルビング限定とか、種々あこぎな商売があるので気をつけなければならない。
 MUFG系のカードなら、すべて一回返済に対応しているそうだ(2012.8.20現在。オペレータに確認)。

 これも実験して、3よりも2の方がレートがいいことがわかったので、現在はなるべく1と2で間に合わせるようにしている。
 観光地ならATMを見つけるのは難しくないので、何の問題もない。稀にクレジットカードで現地通貨が引き出せないときは新生銀行の口座から引き出している。

 ただし・・・

 ATMによっては、不当な?手数料を要求してきたり、非常に悪いレートを押しつけてきたりするので注意する必要がある。
 その手のATMは、すぐに現金が出てこないで、「以下の条件を承認して引き出す」のような、他のATMとは違う画面が一つ出てきて、Accept(承認)を押すと、お金が出てくるようになっている。
 条件を承認してしまったのだから、文句は言えない仕組みになっているわけだ。

 今回の旅行でも実験を続けているので、少額でいろいろ試してみたが、以下の2つを経験した。

A.手数料6%を承認するか。
B.画面に表示したレートを承認するか。

 Aはわかりやすく、10000円おろすと600円損する。2000円なら120円なので、まあいいかという気になるかもしれない。

 Bは、レートの相場を知らなければ、有利か不利かがわからない。だが、ATMがレートを表示する時点で、非常に悪いレートであることは明らかだ。

 ユーロネット(EURONET)がやっているATMで引き出そうとするとBの表示が出た。非常に悪いレートだったが、数千円で実験したので、やってみた。

 そのレシートがふるっている。

 要するに、「私はクレジットカード会社が設定したレートではなく、ユーロネットが設定した非常に悪いレートで両替することを承認しました。自分で承認したのだから、一切異議は申し立てません」というような文言が(もちろん「非常に悪いレート」とは書いていない)印刷されていて、文句が言えないようになっている。
 確かに、レートを見て Accept を押したのは事実だから、仕方ない。

 ATM に Citibank の表示があったので、ある種安心したのだが、Citibank グループもあこぎな商売をしているものである。
 (後記:キャッシングの明細が来たので計算してみると、この時だけ、ほかよりも10%も悪いレートだった。1万円ならまるまる千円の損である。)

 本来は「クレジットカード会社が設定したレート」でキャッシングできるのが当然だ。それだって、素晴らしいレートとは言えない(通常、銀行間レートに1.63%が加算されるようだ訂正:買い物の場合と違って、キャッシングの場合はこの加算がなくてその分有利です)し、年利18%とかの利息を請求してくる(ただし、翌月には返すので、実際は最大でも3%未満になるはずだ)。

 なお、プラハでは、中央広場に警察の車両が駐まっていて、両替に注意するように呼びかける大きな看板(と街の地図)だけを設置している。
 ぼったくりやスリが多いなど、ほかに注意喚起することもあるはずだが、実際に一番被害が多いのは両替だからだろう。
 正規の業者だって、あの手この手で利ざやをかすめ取ろうとしている。レートがいいなと思うと手数料が19.8%、Commission(手数料) 0 % と書いてあるとレートが非常に悪いといった具合だ。

 いまだに両替商で現金を両替しようとしている人がけっこういるのは不思議でならない。
(ただし、VIPレートと表示して、日本円で10万円以上交換する場合は非常に有利なレートを提示している両替商が一軒あった。ほんとうにあの通りなら素晴らしいが、レート板の写真を撮ろうとするとやめるよう言われたので、なにかからくりがあるのかもしれない。いずれにせよ、10万円以上の交換など、われわれには関係ない・・・)

1.とにかくできる限りクレジットカードで支払う。
2.現金が必要な場合は、クレジットカードのキャッシング機能を利用して最小限手に入れる。
 (ただし、1回払いで翌月返済する)
 その際、手数料やレートの承認を求めてくる ATM は避ける。

のが一番だ。

 海外へいらっしゃる方の参考になれば。

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2012.09.04

■朝のオロモウツ

 朝、オロモウツを1時間半ほど散歩した。

 昨夜と違って適度な活気もあり、趣ある建物も多く、そこそこ魅力的な街であった。

 それだけなのだが、街の名誉のためにも記しておく。

 あ、でも、市庁舎の仕掛け時計はほんの少ししか動かなかった。まったく動かなかったわけではないので、たぶん故障してるんだと思う。

 後記:あと、中央の広場に車が入ってくるのはどうかと思った。クラクフでは入ってこなかった。

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2012.09.03

■夜のオロモウツ

 チェコのオロモウツに来た。ネット環境が悪いので簡単に。

 オロモウツは、チェコでプラハに次いで2番目に文化財が多い街だというのだが、夜散歩した限りではその素晴らしさが感じられなかった。

 確かに、立派な教会やら市庁舎やら、世界遺産にもなっている三位一体像というのもあるのだが、人通りと明かりに乏しい、やや寂れた街という印象を受けた。
 クラクフの後に来ると、そのギャップは非常に大きい。

 壁のいたる所に落書きも目立ち、補修を必要としている建物も多く、少々荒んでいる気もする。

 一番の中心地である市庁舎前も、9時には多くの店が閉店していて、非常に暗い。
 さすがに三位一体像は下部だけライトアップされてはいるが、噴水は出ていないし、第一、人がいない。

 開いていた中華料理屋を見つけ、この旅行で初めて東洋の料理を食べていると、なんと、9時半になって、DJのようなアナウンスがあり、市庁舎のライトアップが始まった。

 モルダウやら何やら、耳慣れた音楽が流れ、市庁舎が虹色に照らされる。

 しかし、9時半からって、一体何をやってるんだよと思った。
 この時期、もう8時には暗くなる。人がいなくなってからライトアップして音楽で盛り上げても、下手をするとかえって侘びしさが増してしまうばかりだ。

 われわれはたまたま遭遇できたが、観客はぜんぶで10人ほどではなかっただろうか。

 だがまあ、暗く沈んだ街とわれわれの気分を盛り上げる効果はあった。まともに昼食をとれなかった空腹も、久しぶりの中華料理で癒された。
 ___

 いずれにせよ、昼間見たアウシュビッツの囚人たちと比べれば、ずっと天国で暮らしているのと大差ない。

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2012.09.02

■実を言うと・・・

 実を言うと・・・というほどのことでもないのだが、ヨーロッパの街というのはいくつか見ると飽きてくるし、これまでだってあちこち見ているのだから、今回の旅行も、最初はともかく、ウィーンを見てマリボルを見てブダペストを見てまだプラハが残っていると思うと、「もう街はいいや」という気分になっていた。

 クラクフはそれなりに大きな目的地の一つだったのだが、それでも、スロバキアを後にするころには、車で街に入るのもけっこう面倒くさいし、もう飛ばしてしまって郊外のペンションにでも泊まり、近くにあるヴィエリチカ岩塩坑とアウシュビッツだけを訪問しようかとも考えていた。

 「前の夜にやっておけばいいのに」という冷たい視線を背後に感じつつ、スロバキアを発つ朝、ちょっとした気紛れからネットでクラクフの宿を予約したのが今回の僥倖につながった。

 アパートメントも街自体も、まさに僥倖であった。

 もうひとつ。

 教会というのもいくつか見ると飽きてくるし、これまでだってあちこち見ているのだから、もう中に入らなくてもいいやと考えていた。
 実際、ウィーンやマリボルでは入ったが、ブダペストの教会には入らなかった。

 ところが、クラクフの聖マリア教会の内部は、ちょっと覗いてみて仰天した。これまで見た中で間違いなく飛び抜けて一番壮麗だった。

 観光客用の入場券を買おうとして財布をアパートメントに忘れてきたことに気づき、無駄に往復したことは小さな不幸だったが、中に入ってからは、時間が来て追い出されるまで、ため息をつきつつ、ずっと写真を撮っていた。
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 街なんてどこでも同じ、教会なんてどれでも同じというのは、私のような鑑識眼のない者にとっては、それはそれで一面の真実ではある。

 しかしそれでも、クラクフとその教会のように、そんな傲岸な予想を裏切り、「これならお前にも違いがわかるだろう」と叱りつけてくるような存在がある。

 そういうものがあることを忘れていたのは、やはり想像力の欠如によるのだろうか。

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2012.09.01

★夜のクラクフ

 ヴィスケー・タトリ(スロバキアのアルプス)を後にして、スピシュ城を観光してから、ポーランドのクラクフに着いた。
 時間があればヴィエリチカ岩塩坑に行くつもりだったが、無理みたいだったので、途中、スロバキアとポーランドの国境の川沿いを散策した。

 ここポーランドはユーロの導入こそしていないものの、シェンゲン条約加盟国で、スロバキアとの国境は日本の県境ぐらいの意味しかないように見えた。もちろん、パスポートコントロールも税関もなく、車と徒歩で3回半往復したがその痕跡すらわからなかった。

 ポーランドに入ってからしばらくして、その風景の美しいのにほとんど感動した。緑の丘が幾重にも重なり、そこここに赤い屋根の集落が見える。そこに奇跡の夕日がさして、ほんのわずかな時間ながら、絵はがきでもこれほどの光景は・・・というほどの光の芸術が楽しめた。

 ポーランドってこういう国だったのか・・・

 ・・・というようなことも忘れてしまうような広くて綺麗で豪華なアパートメントに宿泊(3人で1泊8000円なのだが、信じられない値段だ)している。

Dsc04124_169 ・・・というようなことがどうでもいいほど、夜のクラクフには感動した。

 私が留保なく「感動した」とここに書くのは、多分初めてではないかと思う。

 ヨーロッパのいろいろな街をそれなりに見てきたつもりだが、ここは最高の部類に属するのではないか。

 冷静になれば、夜のとばりが七難隠し、ライトアップが建物を美しく見せているのだとは思うのだが、「こんな街が現実に存在するのか」と思うほどの空間だった。

 そのクラクフの名前も聞いたことがなかったというのは、やっぱり異常なことだと思う。

 今回、オーストリアを除くと6か国を旅することになるわけだが、首都以外の場所の名前で知っていたのは、クロアチアのドゥブロヴニクだけだったと思う。スロベニアに至っては、首都の名前すら知らなかった。

 もちろん、一番の原因は私の無知なのだが、日本における旧東欧への無関心が情報過疎を産んでいるのは間違いない。

 いつもそうなのだが、旅して初めて、その土地のことを少しは知ることになり、関心も持つようになる。
 それではいけないと思いつつ、その風景の中に身を置いてみないと、興味関心が湧いてこないのだ。

 想像力がない。

 考えもしなかった夜のクラクフの壮麗さに驚嘆し、思うのはそのことである。

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