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2015.10.14

◆Boyhood(少年時代)

 久しぶりに映画の話。

 といっても、芸術は饒舌を嫌うと思うので(と言い訳をして)、どうでもいい話を少し(ネタバレ注意)。

 ある現代アメリカ的「家族」の12年間を描いているのだが、見ていて、子役本人がどんどん大きくなっているとしか思えなかった。

 たとえば、題名から主人公と知れる、映画の最初で6歳の設定だった少年本人が、そのまま大きくなっていく。
 最初、「Boyhood っていう題名なのに、どうして6歳?」とか言っていたのだが、長い映画の間に8歳10歳12歳15歳・・・と成長していき、18歳で大学に入学して寮に入り、ルームメイトやそのガールフレンドなんかとハイキングに行ったところで終わる。

 その間、6歳だった子役その人が、どんどん大きくなっているとしか思えないのだ。

 その子には姉もいて、そちらも同様である。
 父親であるイーサン・ホークも母親役の女優も、12年分年を取っていく。

 まあ、大人の方は「若作り」とか「老けメイク」なんかもあろうが、どう頑張ったって、6歳の子どもにティーンエイジャーは演じられない。

 似た子役を探してくる? まさかのCG?

 いや、これは実際、12年間をかけて撮影された映画なのだという。

 うわあ・・・

 それを知っていたら、「まさかまさか」といらぬことばかり考えながら見ずにすんだのに。

 12年間かけて撮影する価値のあった映画かと言えば、あったと思う。

 フィクションや芸術を信じないわけではないが、12年の実時間を費やさなければ生み出せない、何か重いリアルなものが、この映画では描きだされていた。

(邦題:6才のボクが、大人になるまで。2014 U.S.A.)

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2015.10.06

◆厄日

 日本中?が連日のノーベル賞騒ぎで湧いているときに、ほんとにどうでもいいことで恐縮だが、個人的にはノーベル賞なんかよりよほど気になることがあったので記しておく。

 私の車が当て逃げされた。買ってからまだ1年も経っていないのに。

 どこで、かもわからないし、大した傷でもないのだが、右のフェンダーと前のドアのパネルが凹み、相手の車の白い塗料が着き、黒く擦れたような痕もあった。

 つらつら考えると、日曜日か月曜日に駐車して車を離れている間に、右隣に駐めようとした車の左後ろ(あるいは右前)が私の車に当たったのだろうと推察された。今日火曜日にも2箇所に駐めたが、いずれも右から車が当たってくる可能性のない位置だった。
 たぶん、月曜日の方だろうと思う。

 仮に月曜日のその時だとすると、それから3回乗り降りしても気づかなかった。4回目に乗ってから降りたときになって、初めて当てられているのに気づいた。
 ディーラーの人は、「まだ右だから気づいたんですよ。これが左だったらなかなか気づきませんよ」と言っていた。
 まあ、大した損傷じゃないからだと思えば少しは慰められる。

 こういうことがあるとすごく嫌なので、駐車する区画選びや区画内の駐車位置には常に細心の注意を払っている。

 遠くに駐めて少々歩くのは厭わないので、とにかくガラガラのところに駐める。
 あちこちぶつけているような車の近くには駐めないし、狭いスペースも避ける。
 駐めにくい場所に後から別の車が入ろうとしないように、そういう所には自分が駐め、後の車が楽に駐められるようにする。
 柱や壁があればぎりぎりまで寄せ、他の車のためのスペースを広く取る。
 白線なんかには必ず平行に駐め、斜めにすることはない。
 内輪差で当てられることのないよう、近くを車が通る角は避ける。

 その他、とにかく当てられないように種々注意を払い、与えられた条件の中で最良の区画を選び、その区画の最良の位置に駐める。
 そういう苦心を30年以上続けているが、それでも、ドアパンチを含めて当てられたことが数回ある。
 一度などは、駐車中の私の車の下に横倒しになったバイクが滑り込んできたことがあった(あとでわかった)。もちろん、きちんと駐車場に駐めているのに、である。
 そんなもの、さすがに防ぎようがない。

 今回も、左と後ろをぎりぎり柱と柵に寄せ、下手くそで無神経なドライバーに当てられないように十分気を遣っていた。

 それなのに・・・

 パネル2枚にわたっているので、きちんと修理すれば30万近くかかるだろう。もちろん保険は効くが、免責の5万円は払わなければならないし、さらに次回から保険料も上がってしまう。
 たいした損傷ではないので、保険を使わず最小限の修理をしてもらうことにした。
 ___

 当て逃げに気づく前には気分が塞がるようなメールがいくつか来ており、凹みを見つけた後で職場のプリンタが故障した。

 なんとなく、嫌な感じのする日である。

 でもまあ、たとえばハンガリーの国境で足留めされている難民なんかのことを思えば、ほんとにもう、まったく大したことではない。

 そういう考え方は好きではないが、そうでも考えないと気が滅入ってしまう。

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2015.10.03

◆這えば立て、立てば歩めの・・・

 今日も母親を見舞ってきました。

 半身不随者に特有の、「軽く握った動かない拳をおへその横に置いた状態」だった左腕が動くようになり、まだ力は入らないというものの、手指もその機能を取り戻しはじめていました。

 80歳の老人にも、目に見える進歩があるのです。リハビリ専門病院に転院し、これから毎日かなりのメニューをこなすようにもなります。

 他人事ながらご休心くだされば幸いです。

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◆「こけてん」

 先日、母親を見舞ったとき、左の頬が青黒く腫れているのに気づいた。「どないしたん?」と聞くと、「こけてん」という。転倒した、ということだ。

 立って歩くことも覚束ないのに、転んで頬骨を打つなんて、どうしたらそんなことができるのかと思った。

 聞くと、車椅子から便座やベッドへの移乗時(あるいはその逆)に、座った状態で転倒するのだという。介助者が常についているにもかかわらず。

 「下手な人がおんねん(いるのよ)」というのはその通りなのだろうが、こういう患者を多数扱う病院のスタッフとしてはどうなんだろうと感じてしまう。
 なんでも、「3回ほどこけた」そうだ。

 ただ、どうしてそんなに簡単に転倒するのか、ちょっと不思議な気がした。
 「そやけど、なんでそんなにこけるん?」と母親に聞いた直後、自分で答が見つかった。

 体が左に傾き出すと、麻痺した足も手も、バランスを戻すのにも体を支えるのにも、役に立たないのだ。

 たとえばベッドの端に座っているとき左に転びそうになると、とっさに右手を交差させ、自分の体の左側に手をつかなければならないのだが、脳梗塞を患った80歳の運動神経では、健全な方の腕であってもそう素早く動くものではないらしい。そういう動作に慣れていないというのもあるだろう。

 結局のところ、あれよあれよという間に、人形のようにばたっと倒れてしまうことになるようだ。たとえ座っていても。

 「左半身不随」と聞けば、歩けないとか左手が使えないとかは私でもわかる。だが、だれでもすぐに思いつきそうな、「左側に倒れそうになると何もできずにそのまま物体のように倒れてしまう」ということには気がつかなかった。

 いつもながら、己の想像力のなさを思う。

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