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2016.02.29

◆発想の転換

 発売を待っている新型コンパクトカメラが発表された。

 発売は4月だが、買うとすると8年ぶりのカメラ購入となる。

 何度もモデルチェンジが繰り返されている機種なので、今回も「正常進化」すると思っていたら、びっくりするような仕様変更があった。

 GPSによる位置情報機能がなくなっている!のである。

 今どきそんなバカな・・・ これは明白なスペックダウンじゃないか、と最初は思った。

 ところが、ウェブサイトで製品情報を見ていると、確かにカメラから位置情報機能はなくなっているが、スマートフォンと常時通信して同等(以上?)の機能を実現していることがわかった。
 つまり、GPSに関してはスマートフォンにおんぶ抱っこなのだ。

 これには驚いた。

 スマホを持っていない人はどうするのかとか、常時通信なんかしててカメラもスマホも電池はもつのかとか気にはなるけれど、買う気のなくなるスペックダウンじゃなかったことに、とりあえずほっとする。

 8年前に買ったカメラには、GPS機能がついていない。その後多くのカメラに搭載されるようになったが、それから8年経つと、一周回ってまたGPSがついていないのである。

 10年ふた昔、といったところか。
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 さて、もしあなたがカメラの開発者だったとして、そのカメラが持つべき機能を他の道具に代行させてしまうなんていう発想が生まれるだろうか。

 まあ、カメラの開発なんて考えたこともないので、日夜そんなことばかり考えている人には案外簡単に思いつくアイディアなのかもしれない。

 だが、今カメラが持っているどの機能を他の何かにどうやって代行させるか・・・などとしばし考えてみても、やはり一つも思いつかない。
 あるいは、今カメラにないこんな機能が搭載されれば・・・というのも同様である。

 今回のカメラは、撮影した写真のサムネイル画像(といっても「1920×1080ピクセル相当」で、私がこのブログなんかにアップしている写真よりはるかに高画質)を、撮影したそばからすべてメーカーの用意したクラウド上に自動アップロードする(容量無制限)という機能まで持っている。

 もちろん、アップロードはスマホ任せだ。

 そんなことを思いついて実現してしまうなんて・・・
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 日ごろから、「発想の転換」とか「パラダイムシフト」とか、あるいは「既存の枠組みを疑え」とか「前提を問い直せ」とかいろいろ言ったり聞いたりするけれど、実際には難しいものだ。
 私たちの発想は、なかなか伝統的・因襲的な制約から自由にはなれない。

 そしてまた、仮に自由になれたとしても、それが結果としてよいかどうかもわからない。

 さらにまた、発想だけ自由でも仕方がないし、自分だけ自由でもストレスがたまるばかりだ・・・

 これだけ自由に発想し、実現してしまう個人も組織も大したものだと思う。

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2016.02.25

◆阿波の土柱

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◆うだつの上がっているお宅

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◆光は初夏のよう

五色台展望台
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2016.02.24

◆イサム・ノグチ庭園美術館

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2016.02.23

◆自宅から1時間半で大鳴門橋(ちょっとびっくり)

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2016.02.18

◆びっくりの「スナイパー」

 たぶん、みなさんは「スナイパー」の意味をご存知でしょう。

 そう、「狙撃手・狙撃兵」(わお、『広辞苑』の第四版には載っていない。第六版には載っていた)ですね。

 最近では、『アメリカン・スナイパー』(2014 U.S.A.)という実話をもとにした名作映画もありました。

 でも、Sniper の語源をご存知でしょうか。

 英語の辞書を引けばすぐわかるのですが、私たちはふつう、意味がわかる(と思っている)言葉を辞書で引く習慣はありません。

 これは日本語でも同じで、わかりきった言葉を引くと、びっくりするような発見があったりします。
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 今日たまたま、タシギ(鳥です)の英語名を知ってびっくりしました。
 シンプルに Snipe。

 タマシギは Greater Painted Snipe、チュウシャクシギは Swinhoe's Snipe(Swinhoeは人名です)。

 そう、スナイパーとは、「シギを撃つ人」だったのです。

 いかがでしょう? ご存知でしたか。

 私は知らなかったので、かなり驚くとともに、発見の喜びに震えました・・・というのはウソですが、へぇ、いやあ、そうだったのか、というのは、かなり心地のいい感覚ですね。

 でも、どうしてシギなんだろう?

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2016.02.14

◆「ネイティブ」

 直前のエントリ、「謎の麗人」を書いていて思いだした。

 先日、職場の会議で2人の英語ネイティブと一緒になった。

 うち一人は以前からまあ知っている人で、今まであまり英語で話したことがない。
 もう一人は初対面で、当日、英語も日本語も話すのを聞いた。

 その初対面の人の英語が、なんかもう、絵に描いたような(というのは変だが)イギリス英語で、出身地を聞くまでもなくイギリスであることは明らかだった。

 その後、そこでの仕事が終わって、以前からまあ知っている人の方を車で送ることになり、車中、お互い妙に遠慮しながら話題を探し、日本語で会話していた。

 何の流れだったか、「ご出身はどちらですか」と聞けばいいものを、「アメリカのご出身ですか」と言ってしまった。

 「いえ、イギリスです」と答えられたときの気まずさと言ったら・・・

 その上、あろうことか、焦ってしまって、「[初対面の人]の英語がものすごくイギリス的に聞こえたので」みたいなことを口走った。

 「ああ、あの方の英語は・・・ あの方は私のような庶民とは階級が違いますから。」

 うわっ。

 「いえ、そんな・・・」とか言うしかない。

 これまで漠然とアメリカ人だと思っていたその人は、実はロンドンの出身で、家族は今ケンブリッジ近郊に住んでいるという。

 その人の英語をあんまり聞いたことがなかったとはいえ、今日だってその「階級が違」うアクセントの人と英語で会話しているのは聞いていたのだ。
 なのになぜ、アメリカ人だと思ったんだろう・・・
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 でも確かに、同じイングランドの出身とは思えないほど2人の発音は隔たっていたと思う。
 その一方がイギリス人なら、他方はアメリカ人・・・と安易に想定してしまったようだ。ロンドンの下町やオセアニアなんかのアクセントも感じなかったし。

 私が勝手に思っている典型的なイギリスアクセントというのは、たとえばヒュー・グラントのそれなので、要するにパブリックスクールからオックスブリッジへ行った人の話し方なのかもしれない。

 それに、イギリスは確かに、今もって階級社会が色濃く息づく社会のようだ。その意味では、高校・大学などだけではなく、生まれもまた、重要なのだろう。
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 「謎の麗人」も、やはり「麗人ネイティブ」なのか・・・ そうではないことを願いたい。

 いや、彼女自身は別にそうでもいいんだけど。

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2016.02.13

◆謎の麗人

 友人のようになってきた鮨屋で夕食。

 食べ終わって出ようかというころに入ってきた女性に驚いた。

 立ち居振る舞いというか物腰というか、さらには店の主人と交わす会話の言葉やら声やらが、ちょっと現実離れしているほど美しくて上品なのだ。

 おそらく発声からして違う。

 抑えきれないような華やかさまで身に纏い、こんな人が実際に存在するのかという気がするほどである。

 ちょうどデザート的にチョコレートをいただいていたところへ、その女性が持ってきたバレンタインのチョコレートもお客さんにおすそ分けするという流れになり、一粒いただいた。

 こちらからのお礼に返す会釈がまた優雅だ。

 そもそも、こんな鮨屋に一人で入ってくる女性ってどういう人なんだろう?

 一緒にいた家人も感銘を受けていたようで、店を出るとすぐ彼女の話題になる。

 あんまり気になるので、親しそうだった店主に「あの人は一体ナニモノなのか」と翌朝メールした。

 20年来の常連で、今はCA(キャビンアテンダント)を育てる仕事をしているという。

 なるほど・・・

 30代に見えたが、であれば40代なのだろう。
 ひとりで来ていたのは、連れに急な用事ができたからだそうだ。

 しかしまあ、さすがというしかない。ああいうのって、努力すれば後天的に身につくものなのだろうか。

 それとも、われわれがどうしても別の言語のネイティブスピーカーにはなれないように、あの域にまでは到達できないものなのか。
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 ほとんどの家庭はもちろん、保育所や幼稚園から大学・大学院まで、立ち居振る舞いをきちんと教えないのはとても残念な気がする。
 そもそも、そういうことを教えられる親や教員がほとんどいない。

 教えるどころか、存在自体が教えとなってその背中から学べるような人物もまずいない(いやもちろん、学問的なことならそういうこともあるのでしょうが)。

 あの人が先生なら、それはCAも立派に育つだろうと思わされる。何より、学ぶ者に、心から「ああなりたい」と思わせるはずだ。

 そういう気持ちは、学習へのもっとも大きな動機の一つとなりうる。

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2016.02.08

◆To eat or not to eat, that is the question...

 2年半ほど前に伐採したナンキンハゼの切り株に、びっしりとキノコが生えているのを知った。

 日没後くらいだったので、急いで見に行って写真を撮り、図鑑やらネットやらで調べた。候補は2つ、ツキヨタケとヒラタケである。
 前者なら毒キノコ、後者なら食用でおいしいらしい。

 もう一度庭に出て、一株?取ってくる。縦に裂いて黒い染みがあればツキヨタケだ・・・

 真っ白! 傘の色も、蛍光灯の下で見ると褐色というよりは灰色で、たぶん間違いなく、ヒラタケだろう。
 キノコのいい香りもしている。

Dsc00236_169 一番寒いこの時期に立派に群生しているのも、ツキヨタケではない証拠になるらしい。

 だが・・・

 さすがに食べる勇気が出ない。

 もし万一ツキヨタケでも死ぬことはないらしいが、数日間は嘔吐や下痢に苦しむという。
 嘔吐なんて、もう25年以上経験がないので(前に嘔吐したときは結局入院した)、考えただけでも恐ろしい。

 しかも、この2種以外の毒キノコである可能性もあるわけで、その場合は命の保証もない。

 ものすごく美味しいように書いているサイトもあり、できたら食べてみたいのだが・・・


 いろいろ楽しませてくれたナンキンハゼがまた贈り物をくれたという思いも、食べたい気持ちを後押しする。

 来週になって、仕事を休んでもなんとかなりそうになってから食べてみようか ^^;

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2016.02.04

◆生々流転 ──電力小売り自由化

 正月に実家に帰ったとき、テレビのコマーシャルで電力小売りの自由化を初めて知り、軽い衝撃を受けた。

 東日本大震災後、発送電分離とか電力自由化とかの議論をしていたのは横目に見ていたが、まさか、もう現実になり、正月に知って4月から実際に・・・などとはまったく予想していなかった。
 新聞を読むのが趣味みたいなものなのに、どうして知らなかったんだろう。ちゃんと報道されてたんだろうか。

 それに、より重要な(気がする)発送電分離の方はどうなっているんだろう?
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 それはともかく、手間もお金もかからずに電力会社?を選べるというものだから、ちょっと調べて結局は大阪ガスに変えることにした。検討開始から申込み完了までものの30分ほどである。
 (kakaku.comで調べると、利用可能なすべての会社の料金シミュレーションができるようです。)

 まさか、大阪ガスから電気を買うことになるなんて・・・

 いや、それよりも、関西電力との縁が切れることにちょっとした感慨を覚える。
 生まれてこのかた関西以外に住んだことはなく、必然的にずっと関西電力のお世話になってきた。それがこんな形であっさり終わるとは、予想だにしなかった。

 数年前には、NTTとも縁が切れた。
 前身の電電公社の電話が開通したのは、忘れもしない小学校1年生の夏休みだ。申し込んでから2年も待たされた。日本中の庶民が自宅に電話線を引くタイミングだったのだろう。
 今となっては信じられないが、それまでは家に電話がなかったのである。
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 関西電力や電電公社のような超巨大インフラ企業ですら、同じようには続かない。思えば、大学卒業時に13あった都市銀行は、すべて!その形を変えてしまった。

 あの年には、銀行への就職も少しは考えていて、その時点では、どの銀行もすべてはそのまま、少なくとも自分が死ぬまでは安泰だと(漠然と)思っていたのに。

 祇園精舎の鐘の声、娑羅双樹の花の色、である。

 とはいえまあ、関西電力だってNTTだって、都市銀行だって(北海道拓殖銀行を除けば)みんななんとかやっている。私と縁が切れようが、そんなものは何でもない。

 でもいつか、大阪ガスとも縁の切れる日が来るのだろうか。来るとすれば、それはいったいどういう形になるんだろう?

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