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2016.03.29

●セキュリティホール?

 同僚が新しいパソコンを買い、そのセットアップを頼まれた。

 先日やったはずだが・・・と訝っていると、まだプリンタに繫いでいないから使っていないという。
 そういえば、先方の都合で時間切れになったので、「あとはプリンタに繫いで、ドライバをインストールするだけですから(自分でもできますよ)」と言って終わっていた記憶がある。
 でも、それから少なくとも2か月くらいは経つと思うのだが、せっかく買ったのに死蔵しているのには驚いた。そんなに遠慮しなくてもいいのに。

 プリンタはUSB接続だったので、ドライバだけインストールすればものの数分・・・と思っていたら甘かった。

 なんと!!!

 昨日たまたま別の人が来た折りにドライバのインストールを頼んだところ、ログインパスワードを忘れてしまっていてログインできなかったという。

 「パスワードが通らなかったらどうしようもないですよ」と言いつつ、30分ほどいろいろ試みてもらったり、私もありがちなパスワードを入れたりしてみたが、埒があかない。
 iPhone だったら設定によっては中味がぜんぶ消されてしまうところである。

 でもまあ同じことだ。ログインできないのなら、結局、前回いろいろインストールしたり設定したりしたのをすべて捨てて、ゼロからやり直すしかないかと思いつつ、何とかできないか自分のパソコンで方法を探したところ、あっさりと見つかってしまった。

 まさか、いくら何でも・・・

 こんなに簡単にログインパスワードが破れたら、パスワードの意味がないじゃないか・・・ と思ったものの、書かれたとおりにやってみると、あっさりパスワードを再設定して、ログインできてしまった。

 ログインすると、メールの設定も生きているし、コピーしたというファイルも見られる。

 何のソフトも道具もいらないし、ものの5分もかからない。これって、大問題じゃないんだろうか。

 パソコン関係には疎いほうではないと思うが、まさかこんな恐ろしいことになっているとは夢にも知らなかった。

 「パスワードが破られたら意味がない」
→「簡単には破れないはずだ」

と勝手に思い込んでいたのである。ふつうの人はみんなそう思っているんじゃないだろうか。

 だって、先日来、テロリストの持っていた iPhone のパスコードを破りたいFBIが、その総力を挙げてもできそうにないのでアップルに協力を仰ぎ、断られて裁判所命令まで使ってもアップルは従わず・・・というニュースが世間を賑わせていたではないか。
 結局、FBIは自力で(訂正:第三者の力を借りて)できたみたいだけれど、少なくともそのくらいには難しいものだと漠然と思っていた。

 まったくの素人が、ネットでちゃちゃっと検索するだけで、パスワードのわからないパソコンにすぐログインできてしまうなんて・・・

 みなさんはご存知だっただろうか。私はいまだに信じられないような気分だが、周知の事実のようである。

 その昔、某高機能データベースソフトは、データファイルをダンプする(ファイルの中味をそのまま直接見る)だけで、冒頭の方にパスワードがくっきりと浮かび上がってくるという「仕様」で、腰を抜かしそうになったことがあるが、それ以来の衝撃だった。
 あれからたぶん20年以上・・・まさか今どき、こんなにあっさりとパスワードによるセキュリティを無効化できるのには、ほんとにびっくりした。

 そう思って調べてみると、Word や Excel のパスワードを一瞬で破るツールなんかもすぐ見つかってしまった。「第三者のファイルを解析するなどの行為はしないで下さい」などと書いてあるが、悪意のある人にかかればパスワードなど何の意味もないということになろう。
 2016年を迎えても、こんなレベルなのか・・・


 私の場合、今でも一応、万一ログインされてもデータは見られないように暗号化して別ボリュームにしている。しかし、それ自体破られたりしないのか、改めて確認して対策を考えねばならない。
 ___

 さて、せっかくログインできた同僚のパソコンは、(おそらく私のミスで)キーチェインの初期化に失敗し、結局一からセットアップする羽目になった。
 無駄なパスワード試行から数えて3時間以上かかり、年度末だというのに今日の午後はほとんど仕事にならなかった。

 でもまあ、人に感謝されるのは悪くない。
 それに、お蔭でセキュリティホール(というにはあまりに公然でお粗末だけど)に気づけたのだから、その甲斐はあったと思いたい。

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2016.03.26

●行く前から憂鬱

 夏のアイスランドはとにかく宿泊施設が不足しているそうで、いつものヨーロッパ旅行でやってきたように、行き当たりばったりで当日の宿を見つけることなどほとんど不可能らしい(ほんとかな?)。

 なので仕方なく、暇を見つけて予約を取ろうとしているのだが、これが想像以上に大変だ。

 とにかく数が少なく、高い。
 なんとか安いところを見つけて予約するのだが、それでも1泊2万5千円とかになったりする(3人で素泊まりの価格です)。

 これまでのヨーロッパだと、私が選ぶような安宿は、同じ条件で1泊6千円〜1万2千円というのが相場だった。それでも、清潔で瀟洒なペンションとか、花で飾り立てられたバルコニーがある素敵な宿とかであり、嫌な思いをしたことは一度として思い出せない。

 場合によっては朝食込みで一人あたり2千円から4千円ということになり、逆に安すぎるような気もするが、宿泊費が安いことは、長めの旅行が好きな私にとってヨーロッパに行く大きなモーティベーションの一つになっている。

 思い切って、フランスの豪華なシャトーホテル(お城がホテルになっている)に泊まったときが140ユーロ(今のレートで1万8千円)。見たこともないような豪華な部屋・食器・朝食と、アフタヌーンティーまでついてその価格だった。
 イングランドのマナーハウス(荘園領主の旧邸で、門から建物まで車で2〜3分かかる)を改装したホテルも同じくらいの価格だったと思う。

 それが・・・

 口コミによると、「紙のように薄い壁」「山のようなハエ」「卵の腐ったような匂い」「梯子のような階段」「難しい顔をしたホスト」「窓もなく天井も低い地下室」「荷物を置く場所すらない狭すぎる部屋」というような宿が2万円くらいするのがむしろふつうだ。
 朝食は一人12ユーロが当たり前のようで、3人の朝食だけでプラス5千円ということになってしまう。

 もっといい条件のところもあるのかもしれないが、そういうところは(あったとしても)もはや空いていない。見たところ2/3近い宿がすでに満室という感じである。旅行はまだ5か月も先だというのに。
 ___

 困るのが、「少し郊外に走ればリーズナブルな宿がある」というヨーロッパの常識を裏切る点だ。
 アイスランドでは、少し郊外に走るということがすなわち、「何もない荒野」を意味する。
 実際、ポツンとあるホテルも稀にはあるが、その口コミには、"Nothing, I mean literally NOTHING around the Hotel"とか書いてあったりする。ホテルの周囲には、掛け値なしに「ほんとうに何もない」のだ。

 いったい、朝食とか夕食とかはどうするんだろうと思っていると、あるゲストハウスの説明には、「もっとも近い店まで50キロあるので、食べ物は持参してください」とあった。
 当初、「キッチンがついている」という宿がものすごく多いことに違和感を覚え、「キッチンなんかいらないのに」と思っていたのだが、これは要するに「外食できるところなんかありませんよ」ということを意味するらしい。

 ああ、もう・・・ なんというか、とんでもないところに行くことにしてしまったなあ・・・

 いま急に思いついた!
 アイスランド一周なんかやめて、レイキャビクから半径100kmくらいだけの範囲でのんびりするのはどうだろう? それなら悲惨な目に遭うことは避けられそうな気もする。

 でも結局、何もない荒野をお腹を空かせながら延々走り続けることになるんだろうなあ・・・

 昔、ピレネー(フランス・スペイン国境の山岳地帯)で、いくら走ってもホテルが見つからず、ちょっと困ったことを思い出した。その時も結局、びっくりするくらい安いホステル(スペイン語で70ユーロと聞こえたので「3人だからまあそんなものか」と思っていると、結局ひとり7ユーロ(千円未満!)だった)に泊まれて、近くにはカフェもレストランもあったのだが、アイスランドはそれほど甘くなさそうだ。

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2016.03.21

●シアワセなひとびと

 タイトルだけ思いついて、何をどう書けばいいのかのところで止まってしまった。

 いずれにせよ、いつも考えていることの繰り返しになるんだけれど、それを実感できる機会というのは実はそれほど多くない。
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 たとえば、「野間の大ケヤキ」に行きたいと熱望している女の子がいて、「能勢電鉄の妙見口駅から歩くしかない」と考えている。
 今ネットで調べると、バスが1時間に1本出ていることがわかった。「一日に三本」なんてバスが近場にあることを知った今では、天国のような交通至便だ。
 そこに行きたいはずの彼女は、調べることをしなかったのだろうか。いや、ネット環境を持っていないのかな?と思いあたる。それに、具体的にそこに行こうと決心するまでは、どうやって行くかをきちんと調べるところまでなかなかたどり着けないものである。彼女にとっての大ケヤキは、ぼくにとってのアイスランドと同じなのだ。

 いや違う。

 一つには、ぼくのアイスランド熱よりも彼女の大ケヤキ熱の方が明らかに大きいこと。もう一つは、その願いを口に出しさえすれば、親切な誰かがその友人に伝えたりして、すぐに実現してしまうことだ。ほんのついでのように車を走らせれば、ものの10分もかからずに「夢」は実現する。
 にもかかわらず、その満足感は、アイスランドで間欠泉を見上げるぼくのそれよりおそらく深い。


 また別の場所で、ちょっと尋常ではないお金のかけ方をした趣味の鉄道模型(模型というにはあまりにもスケールが大きすぎるけれど)を見ながら、「やっぱりお金があるって素敵ですね。子どもたちも、お金持ちになったらこんなこともできるようになるんだと思うと、夢がありますよね」というようなことを言う。
 皮肉や嫉妬はもちろん、「格差と貧困」に対する義憤のようなものも微塵もない。
 「いやあ、夢も希望もないよ。こんなことを実現しようと思ってがんばっても絶望するだけだよ」とぼくなんかは思うのだが、それは口に出さない。


 彼女は裕福ではない。一抹の寂しさを纏った「お金がないから無理」感をときどき漂わせる程度に、むしろ貧しい。
 でも、小さなことにもいつもわくわくしていて、「楽しくて仕方がない」感を周囲に撒き散らしているのが彼女だ。彼女を見ていると、お金が(それほど)ないことすらシアワセの原因になっていることがわかる。
 たとえ本人はそれを認めないとしても。
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 その彼女以外にも、シアワセな老若男女と接する機会がたまにある。そういうひとびとは、例外なくいい顔をしている。「笑顔が周囲を幸せにする」というような陳腐な表現はなぜ陳腐なのか、がわかるくらいに、その顔顔顔は説得的だ。

 たまに(あるいはその中でもごく稀に)とはいえ、そういう笑顔を身近に感じられる(た)私自身、もしかしたらシアワセなひとびとの一人になりうるかもしれない。

   Happiness is not a standard of life;
   it is a state of mind...

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2016.03.13

●そうだ、アイスランド行こう!

 何年か前から真面目に気になり始めていたアイスランド。

 去年の夏、北海道に行ったときも、5%くらい、行こうかと考えたが、5%はしょせん5%だった。

 今年の夏は久しぶりに海外旅行に行けるかと思い、行き先はほとんどアイスランドに決めてからも、いつもどおり、のらりくらりと具体的に動き出すのを渋っていた。

 いつまでもそんなことをしていても(というか何もしないでいても)埒があかず、そのうち航空運賃も上がって、不足気味の宿泊施設も埋まってしまう・・・みたいなことになってしまいそうな気もしていた。

 ところが、この週末、一気にアイスランドモードになり、いろいろ不安はあるものの、ええいままよ、と、往復の飛行機、最初と最後の宿、それにレンタカーを予約してしまった。

 もう後には引けない(というほどのことはないんですけど、何しろアイスランドというのは、私にとってはひとつの「壁」というか「はしっこ」なので)。

 例によって、アイスランドについて知っていることといえば、首都の名前とだいたいの人口くらい。首都以外の地名は一つとして知らなかった。

 それが、たった2日で、ちょっとしたアイスランド通になってしまう(ややこしすぎて地名がほとんど覚えられないけど)。

 これだけ情報があふれている時代なので、半ば本気で、もう行く必要もないんじゃないか、という気がしてくる。
 行ってみて、「まあ、本やネットに書いてあった通り、写真で見た通りだった」というのが想像できてしまうのだ。

 これなら、世界のあらゆる場所について、ほんとに行くつもりで計画だけ立てて、行ったつもりになるのが一番ではないかと思う。
 トラブルとかとも無縁でいられるし。

 でも、実際に行くとやはり違うことも知ってしまっている。
 私のような鈍い男は、やはり自分の体をその場所に置いてみないと何もわからない
 置いてみてすら怪しいのだから。

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2016.03.10

●さらぬ別れのなくもがな

 昨夜7時ごろ母親から電話があり、のんびりした声でいきなり

 「お母さんなあ、肝臓ガンやねん」

といった。

 一瞬、「お母さん」ってだれのことなのか、「肝臓ガン」って何のことなのかがわからなかった。

 祖母は2人とも他界しているので、「お母さん」が母親本人であることは一呼吸置いて思いあたったが、「肝臓ガン」の理解にはさらに数秒を要した。

 知る限り、血縁者でガンにかかった者は一人もいない。

 血のつながりのない親戚には何人か(も?)いるが、申し訳ないことに、血縁者にいないことで、やはりガンはどこか「ひとごと」であったのだ。

 「母親が肝臓ガン」という事実を理解した後は、自分の体まで蝕まれはじめているような、不吉でリアルな感触を持てあました。
 ___

 敗血症で死の淵から甦り、脳梗塞による半身不随から立ち直りつつある母親が、今度は肝臓ガン・・・
 糖尿病もインシュリンの自己注射をするくらいの状態なので、もはやこれまでかとも思う。

 やっと自分の足で歩いて、好物の寿司を食べにいけるようになったばかりなのに。

 去年の11月、このブログに

万一元に戻ったとしても所詮は後期高齢者。糖尿病は治らないし、今後待っているのは、また新たな病気とか怪我とか寝たきりとか死とかであって、明るい未来の展望などない
と書いたのだが、こんなに早く「新たな病気」、しかも致命的なそれが襲ってくるとはやはり思っていなかった。

 だがおそらく、現代医療は死期を遅らせる。もしかすると、だれにとってもつらい闘病生活を長引かせるだけかもしれない(というか、その確率は相当高い)にもかかわらず。

 それでもまあ、本人も家族も「できるだけのことはする」というスタンスでことに当たらざるをえない。
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 これが100歳、せめて90歳なら、「もうそろそろ・・・」と思えるのだろうか。

 危ないからやめろというのに、ポケットに両手を突っ込んで階段をスタスタと降りていく父親が85歳、母親はヨチヨチとしか歩けなくなったが、まだ80歳だ。

 この時代、寿命というにはまだ早い気がする。

 本人は、どれくらい覚悟ができているんだろう? そして私は

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2016.03.08

● U

 大学時代の友人、Uの奥さんから突然メールが来た。

 Uの結婚式で新郎の友人として一度会ったきりだ。少なくとも20年以上にはなると思う。
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 引っ込み思案で奥ゆかしく、真面目なUは、アクの強い連中が多かった学生時代の友人の中にあって、不器用ではあるがきわめて真っ当な男だった。

 思慮深すぎるのがわざわいしたのか、卒業は少し遅れたが、結婚して子どももでき、葉書に「子育て」とか「家族サービス」なんて言葉が登場するようになって、「あの奥手だったUがよくぞここまで」と、ちょっとした感慨を覚えたものだ。

 卒業してからは会う機会も数えるほどしかなかったが、今住んでいる家に招いたことのある、たった2人の友人のうちのひとりがUであることは、もちろん偶然ではない。

 年賀状どころか、律儀に暑中見舞いなんかまで送ってきていたそのUからの音信が途絶えて、もう数年が経つ。
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 なあ、U・・・

 お前は知らないだろうし、俺も初めて知ったんだが、お前の息子のKは、俺たちの母校に入学していて、もうすぐ2年生になる。

 お前に似て、おとなしくて真面目で口下手で、取り越し苦労をして悩むところなんかもあるけれど、なんとか元気にやっているみたいだ。

 読んでるはずはないと思うけれど、こんなものでも世界中から見られるんだから、もしかしたら、あるいは・・・

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2016.03.05

●カード社会と巨大財布

 財布に入れておくべきカードがあまりに増えすぎてどうしようもなくなってきた。

 カードを数えてみると、なんと27枚。
 本来はシンプルでスリムなはずの革財布がいびつに膨らんでパンパンになっている。

 「どれだけ無駄なカードをいつも持ちあるいているのか」と思われるだろうか。

 しかし、何かを減らすたびに、「あ、しまった。こないだ追いだしたんだった・・・」と後悔する。
 先日は、りそな銀行からお金を下ろせなかったり郵便局での振込に余計な手数料を取られたりした。

 念のために言うが、ポイントカードやスタンプカードの類は1枚しかない。そんなものは大嫌いだから、なるべく持たないようにしている
 たまに使わざるを得ないものは束にして別のカード入れにまとめ、必要なときにだけ持っていく。

 問題なのはクレジットカードだ。あらゆる企業が自分のところへ消費者を囲い込もうとするため、とにかくカードを作らせようとする。
 最近では、「ららぽーとEXPOCITY」のカードが増えた。持っていると駐車場が1時間無料になる。仕事帰りに寄ったりするので、いつも持っておかざるを得ない。
 車の中に置いておければいいのだが、違う車に乗ることもあり、そういうわけにもいかない。

 27枚のカード以外にも、名刺やら駐車券やらバンドエイド(先日久しぶりに役立った)やらを入れている。

 もはや財布とは呼べない。

 本当は小さくて薄いスタイリッシュ(笑)な財布が理想なのだが、叶わぬ夢である。

 2つ以上に分ければいいのだろうが、持つべきモノが増えるのは好きではないし、使う時に面倒だ。
 ___

 というわけで、二十数枚のカード類を収納しても不格好にならない財布を物色していた。

 これがけっこう難関だった。

 必然的に、ジッパーで閉める小さいポーチみたいな財布にならざるを得ないのだが、そういうものでさえ、カードポケットは十数枚が相場である。
 それに、実際フルにカードを入れるとパンパンに膨らんで不格好になるという話がネット上にあふれていた。
 それを避けるには、コンパートメントが2つあるダブルファスナーを選べばいいのだが、これはあまりに巨大すぎて、もはや大昔の筆箱である。

 4辺のうち3辺がジッパーになっているものが多いのだが(ラウンドファスナーというらしい)、財布を開けるのに手間がかかる。
 2辺ジッパーの「L字ファスナー」という型があることを知り、使用感が良さそうなのでその線でいくことにした。
 その中でも、短辺の一方が開放されていて蛇腹のついていないものが中味を取り出しやすくていいらしい。

 ・・・というような条件で探していくと、なかなか適当なものがない。

 ポーターや土屋鞄、ノマドイ、ノイ、コルボなどが良さそうなので、ラインナップを見てみても、納得できるものがない。
 巧みなネット戦略で売り上げを伸ばしているらしいココマイスターも良さそうだったのだが、その戦略があざとすぎて、かえって信頼できないような気がしたし、条件に合うものもなかった。

 結局、思ったようなものはないのかなあ・・・と諦めつつ、ふと思い立って無印良品を見てみると、機能的にはぴったりのものが見つかって驚いた。
 実は、今使っている財布も、無印良品のヌメ革生成りだったのだが、それはなくなって、長財布はラウンドファスナーとL字ファスナーの2種だけになっている。

 やっぱりみんな、カードの収納に苦労しているのだ・・・

 しかしまさか、あれだけいろいろ探してもなかった、理想に近い形の財布が、2種類しか長財布を扱っていない無印良品にあるなんて・・・
 値段だって、半額くらい、どうかすると1/3である。

 外はヌメのシュリンク革だが、中がナイロンなのはちょっと残念だった。値段は高くなってもいいから、中も革だったらよかったのに・・・と思ったが、他に選択肢はない。

 まあ、中まで革だとさらに重くなるだろうと自分を納得させていると、店員さんが「厚みも増えてしまいます」という。
 若い女性だったが、私が買ったのと同じ財布を使っているそうだ。ほんとかな?

 ともかく、カード類もめでたく全部おさまり、パンパンではあるがいびつではなくなった。

 それにしても、やっぱりちょっと巨大すぎるよなあ・・・ 使いやすそうではあるけれど。

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