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2016.05.05

■「遅々として」

 津波被害に遭った太平洋岸を北上するのはちょうど5年ぶりだ。5年前は震災の2か月後だった。

 5年後になって違うのは、通行止めが減った(それでも多い)ことと信号がすべて点灯していること、それに、瓦礫が片付いたこと(壊れた建築物や構造物は、かなりの数がそのまま放置されていたりする)。
 そして、多くの街に、上部を欠いた巨大ピラミッドのような盛り土の角錐台と、橋桁の載っていない新しい橋脚とが林立していること。

 「復興は遅々として進んでいない」という紋切り型の言葉すら、もはや当事者以外からは忘れ去られているのではないだろうか。私自身、再びここに来るまで、ほとんど意識にのぼっていなかった。

 しかしまさに、遅々として進んでいない。5年経っても、新しい建物はほとんど建っておらず、目につくのは、土木工事のための飯場と、仮設住宅ばかりだ。
 特に、陸前高田や女川など、街が壊滅してしまったところでは、巨大ピラミッドを並べて地面自体をつくる作業を進めている段階である。
 熊本地震からわずか2週間で高速道路も新幹線も復旧させてしまうこの国で、5年も経ってこの状態だというのは、ちょっと理解に苦しまざるをえない。

 まあ、「今後どうするか」を決めるために多くの時間が費やされたのだろうとは思う。結果として多くの自治体が「高台移転」に舵を切ったのが、正しいかどうかはわからない。海と陸とを分断する巨大な防潮堤の建設も。
 だが、方向性は決まったように見える。復興に向けて工事が進み始めていること自体はいいことなのだろう・・・
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 今回訪れたのは、南から 富岡・大熊・双葉・浪江・南相馬・相馬・新地・山元・亘理・岩沼・名取・仙台・七ヶ浜・多賀城・塩竃・松島・東松島(奥松島)・石巻・女川・雄勝(石巻市)・南三陸・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・大槌・山田 そして宮古・・・ の各地である。名取市以北では、車窓からあるいは徒歩で実際の津波被害の現場と復興の様子を見た。
 宮古からは内陸に向かったが、太平洋岸の被災地はまだまだ続く。岩泉・田野畑・野田・久慈・八戸・・・
 そしてもちろん、ここにあげた市町村がすべてではない。

 これら「津々浦々」の多くが壊滅的な被害を受けた。
 先の大戦で焼け野原になってしまった都市の写真を見たことがあるが、たとえば5年前の陸前高田や奥松島の様子は、それをもしのぐかと思われるほどの壊滅ぶりだった。言葉で表現するのを諦めたほどに。
 絨毯爆撃とそれに続く火災といえども、大津波ほど徹底的にはすべてを飲み込んで破壊したりしない。

 その陸前高田にも、まだまったくといっていいほど恒久的な建築物はなく、あるのは例のピラミッドばかりである。小高い丘の上に仮移転している市庁舎はまるで飯場だ。有名な「奇跡の一本松」の近くには巨大なつり橋が架かっていて、「ああ、道ができるのか」と思っていると、住宅地を造成している山から土を運び出すためのベルトコンベア専用橋だった。「希望のかけ橋」と名づけられている。
 かつてペンションに宿泊したことのある奥松島はさらにひどい。瓦礫は片付いているものの、壊れた建物はおろか、土地そのものさえ忘れ去られたように放置されていて、工事すらほとんどなされていないように見えた。
 そんな中、そのペンションが営業再開している(らしい)のを後に知って仰天した。あの現場ではそんなこと、夢にも期待できそうになかったのだが、もしそれらしき建物を見つけていれば、一泊したのに、と思う。

 救いというものがあるならば、各地の港湾が整備されて漁業が復旧しているらしいことと、その日お昼を食べたカフェを経営する醤油メーカーや上記ペンションのように、それ以外の産業の中にも立ち直りの兆しが見え始めていることだろうか。
 ピラミッドのような盛り土はこれからどうなっていくのか見えにくいが、林立する橋脚の一部には橋桁も載り、さらに一部は供用開始されはじめている。

 だが、鉄道の方は、工事にすら取りかかっておらず、放置されたままのように見えるところが多かった。実際、宮城県登米市の柳津駅から岩手県宮古市までの間で、開通しているのは大船渡−釜石間だけであるらしい。
 「仮復旧」としてBRT(Bus Rapid Transit ≒ 旧鉄道敷「も」利用する高速輸送バス)を走らせているが、それが定着して、結局鉄路は再建しないのではないかという気がする。でもまあ、本数も鉄道時代より増えているようだし、それはそれでいいのかもしれない。鉄道復旧という建前はまだ捨てていないみたいだけれど。

 一番の問題は、はたして人が戻るのかということだろう。

 たとえば、壊滅した陸前高田が新しい街に生まれ変わったとき(いつのことだ?)、生活の基盤を外に移してしまった人々が容易に戻ってこられるとはとても思えない。そして、仮に戻ってこられたとしても、そこは住み慣れた故郷ではなく、見知らぬ新興住宅地のようなところなのだ。

 原発による被災地よりは希望があるものの、大津波による被災地も、別の意味でやはり「帰還困難」なのかと、胸ふたがる思いがした。

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