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2017.01.31

■今いる場所で(3)

 アメリカの司法長官代理(長官は現在空席なので司法省のトップ)、サリー・イェイツ(Sally Q. Yates)氏がトランプ大統領によって解任された。

 中東・アフリカ7か国からの入国を禁止する大統領令に従わないよう、イェイツ氏が省内に通知したからである。

 合衆国憲法と法律と良心とにしたがって、大統領令を拒否したのだ。
 文字通り、職を賭して。

 「私には、常に正義を追求し、正しいことを弁護するという我々の機関に与えられた厳粛な責務を果たし続ける責任がある」(朝日新聞夕刊)
 「大統領令を弁護することがこの責務を果たせるとの確信も、大統領令が合法という確信もない」(同)

 せっかくのイェイツ氏の命令は、後任者によってさっそく取り消されてしまったけれど(nytimes.com)、彼女の行動の意義がそれによって無に帰することはない。
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 6年ほど前、「今いる場所で」という2つのエントリを書いたことがある。

 これほどの高官が「今いる場所で」できる役割を果たした意義は大きい。

 それと比べれば、私たちの多くには、ケシ粒ほどの力もない。それでも、各人が今いる場所でできる最低限のことを積み重ねることは、けっして無駄ではないと思う。

 1分でも2分でも、理不尽な権力者への異議申し立てに時間を使いたい。

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2017.01.24

■ドローン・オブ・ウォー

 まだ途中までしか見ていないのにこういうことを言うのもなんだが、現代に生きるだれもが見るべき映画である。

 これが未来のことではなく、むしろ過去のことだというのがまた・・・

 しかも、あのオバマ政権下ですら、こんな戦争が行われていたのだ。
(物語の細部はもちろん創作だろうが、ドローンを利用したこの種の作戦が日常的に行われていた(る)のは周知の事実である)。

 未来はいったいどうなるんだろう?

(Good Kill, 2014 U.S.A.)

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2017.01.22

■縁 あるいは 身の回りの品について

 (いつにも増してとりとめのないだらだらとした文章です。あらかじめお詫び&お礼申し上げます。)

 たかだか椅子くらいのことで縁だのなんだの言うのもどうかと思うのだが、やっぱりこういうのも縁なんだなあと思う。

 昨日午前、なぜか「それなりの安いのでいいや」と思ってニトリやら湯川家具なんか(そうそう、うちのすぐ近所にオフィス家具のリサイクルショップというのがあって、しょっちゅう通る幹線に面しているのに、そういうのがあることを今までまったく知らなくて驚いた)を回り、ニトリなら2万5千円、湯川家具で見つけたイトーキのなら3万5千円という感じで、もうどちらかにしようかと考えていた。
 その値段でも、表(おもて)は一応牛革である。

 また一方で、ぱっと写真で見たところ10万円のと区別しにくいような椅子が、通販で5〜6千円で売っていたりする。「試しにそういうのを買ってみてもいいかな」と思いつつ評判を調べると、案の定というか粗悪品と呼べるようなものが多いらしく、手を出すのはやめることにした。

 そんな中、今日午前、わりと近くにカリモク家具のアウトレットがあるので覗いてきた。

 一目でデザインや質感が気に入った椅子は座り心地がイマイチで、座ってみて「ああ、これならまあいいか」と思った椅子はデザインが論外だった。

 家に帰って昼食後、家人に写真やらカタログやらを見せると、私が論外にした椅子が飛び抜けて気に入ったという。
 美的センスを疑わざるを得ない。

 いやまあ、なんというか、イギリスの古い書斎なんかに置いてありそうな、緑の布張りの椅子で、それ自体のデザインが悪いわけではないのだが、私の好みとはかけ離れているし、うちのリビングダイニングはマナーハウスの書斎ではないのだ。

 座り心地は悪くなかったし、アウトレットだから値段もそれほど高くないので、午後からまた店に出かけ、その椅子に座ったまま「どうしようかなあ」と長時間思案して、結局購入した。

 その時に考えたのが「縁」である。

 アウトレットの現品販売なので、たまたまそこにあるものしか(その価格では)買えない。しかも、書斎用の椅子など、ふだんから扱いが少ない上に、今は特に子供用の学習机のシーズンなので、それに展示スペースを取られて、数点しかない。
 なのに、カリモクの Webカタログにある椅子をぜんぶ見て、家人が断然これが気に入ったという椅子がその中に含まれており、座り心地や機能性の面からいえば、私もそれなりに気に入ったのである。
 さらに、デザインや質感がいいと思った椅子よりも安い。

 これまで、特に指名買いではない(というか、その都度いろいろ探した)のだが、気がつくと、私と家人の机と椅子、書斎のキュリオケース(というらしい)、寝室のローボードなど、なぜかカリモクになっている。
 そして、家人の机と椅子は30年以上、私の椅子と机も20年近く使っている(訂正:机は11年でした)。ローボードもたぶんそれくらいだ。

 椅子は布張りだし、のべつ使っているので、もっと傷みが激しくてもおかしくないはずなのだが、まだ十分使えるレベルなのは、たぶん、モノが悪くないんだろうと思う。

 今回、買うかどうか逡巡しつつ、長い間問題の椅子に座りながら、「これも20年以上使うとすれば、70歳を越えても使っていることになるのかなあ・・・」(生きてるのか?)とちょっとびっくりした。

 そこまでのものを買うのなら、もっといろいろ吟味してから・・・という思いと、何もかも気に入るような椅子がそう簡単に見つかるわけでもないし、これも何かの縁だから・・・という思いとがせめぎ合って、最後は、「なんとなれば家人や息子が使ってもいいや」と、買うことにした。

 もっと余裕が出てきてから椅子を見つくろいに行こうと思っていたのに、一番バタバタしているさなかに見にいって、先週や来週だとなかったかもしれないものを安く買えたんだから、まあよかったのだと思う。

 これをきっかけに、今後は意識してカリモクで統一していこうかという気がちょっとしている。
 数年前に気に入って買った安物のソファーが、やはり価格相応なのかすぐにへたり、ちょっと後悔しているのだ。
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 若いときはお金も暇もないので、なんでも間に合わせで買いがちだ。そうして買った安物の家具だって食器だって、多くは30年以上使うことになっている。どうかするとこのまま50年以上使ったりしかねない。

 どんどん捨てて買い換えるタイプの人ならいいのだが、買った以上は使える間は使うという私たちのようなスタンスだと、歴史を刻んだがらくたが身の回りにあふれ、ますます捨てにくくなる。

 たとえば20代でモノを買うとき、これを50になっても使うなんて想像もしない。しかし、落とせば割れてしまう食器でさえ、30年以上使っている安物が食器棚を占拠しているのが現状だ。
 食器はさすがに処分しようかとも何度か考えたのだが、愛着というか腐れ縁というか、そういうものがまとわりつくと無下に捨てることも難しい。

 今回も結局は高くない品で妥協した私が言うのもなんだが、少し背伸びしてでもいいものを買っておくのが大切なんじゃないかという気がする。
 そうすれば、年を取ってから、安物に埋め尽くされた生活ではなく、年輪を刻んだ味わいのある愛用品に囲まれて暮らすことができるはずだ。

 まあ、たとえば30代で50代を見通すことはむずかしいけれど、50代なら70代を想像できる。
 私自身、もう一歩踏み込んで、少しくらいはいいものに囲まれた暮らしに向かいたい。

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2017.01.18

■カルテット

 今クールのドラマで、2回目(以降?)を見たいのが出てきた。

 「カルテット」
 (出演:松たか子・満島ひかり・松田龍平・高橋一生 脚本:坂元裕二)。

 前クールは「逃げるは恥だが役に立つ」。2クール連続で見たいドラマがあるのは滅多にないことで、ちょっとうれしい。
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 ドラマの中で、年上の女性(松たか子)の配偶者のことを、年下の連中(あとの3人)が「夫さん」と呼んでいた。
 こういうのをきっかけに、この奇妙な日本語も定着するのかもしれない。

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2017.01.16

■物入り

 なんだかいろいろ物入りが続く。

 カメラとレンズはまあ、好きで買ったのだからいいんだけれど、双眼鏡の修理が2万円・腕時計の修理が2万5千円ほどというのは痛かった。どちらも、その値段でそこそこの品が買えてしまう時代だからなおさらである。
 その他にも、なんだかんだと出費があったような気がする。

 なのにまた、椅子が壊れた。

 壊れたというか、ガスが抜けて高さ調節に支障を来すようになったのだが、その他にもあちこちガタがきていて、そろそろ買い換え時かなあと思う。もったいないような気もするけれど、なにしろ20年近く使っているのだ(でも、家人のは30年を経て現役である)。

 ここに何度か書いたことがあると思うのだが、うちのダイニングには、テーブルと仕事机とをL字型に組んでいて、回転椅子を90°回せば、食卓モードと仕事モードが使い分けられるようになっている(並行モードもたまにある)。

 在宅時間も座っている時間もふつうの社会人より長いので、ちょっといいのを買わなければならないんだけれど、同僚が買った有名な椅子をネットで見ると、15万円とか書いてあって、のけぞってしまう。

 しかし、食事の時はまだいいのだが、仕事の時の低い椅子は身体に悪い。余裕ができたら物色しに行こうかと思っているが、このまま一日でも使っていると仕事にならない感じもして困っている。

 とはいえ、一度買うとまた20年なので、適当なのを見繕うわけにも行かず、買うからにはそれなりに吟味して買いたい。

 買えるまでどうしよう? あ、名案! 家で仕事するのをやめようかな?

 仕事なんかしていなくても、こうしてパソコンを叩いていると同じことなんだけれど・・・

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2017.01.15

■どうしてもっと早く切り替えなかったんだろう?

 つたない写真を臆面もなく皆さまに公開している(いえ、謙遜ではありません)

 「戸惑う被写体 ── Out of Focus, Out of Sight
 「Look ! Up in the Sky

ですが、これまでは基本的にココログの機能を使ってきました。

 これが実に扱いにくく、写真ファイルの長辺は 640 pixel 以下、容量は 1MB 以下という今どき信じられないような情けない仕様で、しかも、アップロードに写真を一枚ずつ指定するなど、面倒くさくてかつ時間がかかるというものでした。

 にもかかわらず、生来の辛抱強さ(嘘)がわざわいして、それに耐えながら使い続けてきました。

 それが、新年を迎えたこともあって(というか、今まで何度も迎えてるんですけど)、外部の写真ストレージサービスにリンクすることにしようと思い立ちました。

 ちょっと調べてみると、老舗の flickr(かつて使っていました)を始め、さまざまなサービスが展開されています。ただ、サービスを急に打ち切られても困るので、なるべく持続性のありそうなサイトを探しました。
 ざっと見て回り、名前を聞いたことのある「フォト蔵」にしようかなといったんは決めたのですが、実際に見てみると、広告がうるさくてとても耐えられそうにありませんでした。

 SNS時代でもあるし、この際 Instagram かとも思ったのですが、写真がぜんぶ自動的に正方形にトリミングされるらしく、それだけで論外です。

 結局のところ、灯台もと暗しというか、Google Photos にしました。
 昨年から iPhone 7 Plus で撮った写真を自動で同期していて、その便利さに驚いていたのですが、単にバックアップ目的で同期していただけで、これまでは特に何にも使っていませんでした。

 試しにちょっとやってみると、これがまあ、夢のような使い心地。
 写真は1600万画素までのものなら無制限にアップロードが可能です。大きなファイルは圧縮されて画質が落ちるようですが、見た目にそれほどの違いはありませんし、2048×2048 までなら圧縮もないようです(後記:ネットには圧縮がないという言説が転がっていましたが、実際は相当圧縮されていました)。
 私は、実際に見るパソコンの画面の広さを考えて、長辺 1280 pixel でアップすることにしました。

 アップロードも、複数まとめてブラウザの画面に Drag & Drop するだけで、スピードも速い。これまでの無駄な苦労は一体何だったんだろうという感じです。

 このブログ用の写真をアップロードして、2つに分けて共有アルバムを作るのも簡単でした。

(著作権関係のことがちょっと引っかかるのですが、まあ別にカメラマンになるわけじゃないし、ココログだって他のサービスだって、その辺はけっこういい加減だと思うので、この際目をつぶります。)

 これからもぜひ、

 「戸惑う被写体 ── Out of Focus, Out of Sight
 「Look ! Up in the Sky

をご贔屓にお願い申し上げます。

 この本文の中からもリンクを張っていますが、
←のカラムのリンクをクリックすると、Google photo の共有写真ページにジャンプします。

(後記:愚妻(一度使ってみたかった)は今日まで! このブログの写真集の存在を知らなかったそうです。聡明なる皆さまにおかれましては、ぜひお見知りおきのほどを。)

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2017.01.14

■macOS 環境移行覚え書き(随時更新)

 すみません、自分のための覚え書きです。

 ・・・と言いつつ、

1.同じようなことに悩んでいらっしゃる方のための検索キーワード
MacBook Pro, macOS Sierra, Touch ID, 機能しない, 動かない, 反応しない, 使えない, 指紋, 認証

2.下記に出てくるソフトはけっこうお勧めです ^^

●Touch ID が機能しなくなった後、指紋の再登録やSMCのリセットやNVRAMのリセット含め、何を行っても症状は改善しなかったが、macOSを再インストールしてから、いったん Touch ID 設定のチェックを外してもう一度チェックすると直った。macOSの再インストールは思ったより非常に簡単で、Wi-Fiに接続した状態で Command + R を押しながら再起動するだけ。既存のデータには影響しない。
・SafariのBookmarkやID, Passwordは、iCloudを使って旧環境と同期させると楽。
・ATOK2015の環境は ~/Library/Preferences の中のATOK28フォルダを丸ごとコピーするだけ。
・Adobe Photoshop Elements(購入済)は、ソフト名と「ダウンロード」で検索して該当バージョンをインストールし、シリアルナンバーを入れて使う。
・LogoVista電子辞典の辞書ファイルは、アプリケーションフォルダの中にすべて入っている。
 (訂正:Documents(書類)フォルダの中にも LogoVista フォルダがあるのでコピーする)
・EPWingや電子ブックの辞書ファイルも、EBMacのアプリケーションフォルダの中に入れておくとわかりやすいかも。
・自宅のWi-Fiでも、1GB/minくらいの速度でコピー可能。
・Shrookは設定をコピーしようとしないで(してもできない)、FileメニューからExport OPMLしたものをImportする。
・BathyScapheはいい機会なので整理のためにも手動で選び直した。
・ClipMenuは開発が止まっているので、後継とも言えるClipyに変えた。

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2017.01.08

■超人世代?

 1月6日(金)の朝日新聞(大阪本社版朝刊)トップは「高齢者「75歳から」提言」という記事であった。

 日本老年学会と日本老年医学会が「高齢者の定義について」「75歳以上とすべきだとする提言を発表した」件である。

 高齢者福祉を削りたい政治の側から働きかけでもあったのかと、かなりうさんくさい気はするものの、それはまあ憶測に過ぎないし、今の70代前半がまだまだ若いというのは実感とも合致する。

 だが、以下はいただけなかった。

 「知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当するという報告があり、根拠の一つとされた」(読点を1箇所だけ移動しています)というのだ。

 「この文の通りだとすれば」、その報告は明らかに間違っている。

 なぜなら、「10年前の60代」は現在の70代なのだから。
 この調査は、10年前と現在の同じ集団を調査していることになるはずだ。

 ランダムサンプリングなりなんなりが適切に行われ、きちんとした科学的な調査が行われていれば、こんな結果が出ることはありえない。
 もしこの結果が正しければ、10年前の60代は10年経っても知的能力が同じで、衰えていないということになるからだ。

 実際の報告がどういうものかはわからないが、こんな馬鹿げた内容をそのまま記事にしてしまう記者と校閲の愚かさにはあきれてしまう。

 この部分の直前には、「生物学的に見た年齢は10〜20年前に比べて5〜10歳は若返っていると判断した」とあるのだが、それならまだ理解できる。

 だが、「70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当する」なら、その世代は10年間まったく老化しなかった超人世代ということになってしまう。
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 私が最初の職場に就職した30年ほど前、75歳という年齢は、確かに、仕事ができなくなる境界あたりであったことを、具体例とともにまざまざと覚えている。
 しかしながら、80代半ばの父親を見ていると、まだその境界を越えていないように感じる。

 もしそうだとするならば、30年で10年ほどは「若返っている」のかもしれない。あるいは学会の言うように「10〜20年前に比べて5〜10歳」ということもありえないことではない。

 それでも、「10年で10年」はありえない。人間は不老不死ではないのだ。

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2017.01.04

■阿蘇の陶芸家:工房 ゆう

 2016年12月27日。せっかく阿蘇に来たのに、あいにくの天気。

 震災の復旧が進んでおらず、阿蘇山上には北からしかアクセスできなくなっているということで、とりあえず、道の駅阿蘇まで来てみたものの、さて、この天気ではどうしようかなあというときに、ちょっと気になる焼き物を見つけた。

 もとより、焼き物の趣味も知識もないのだが、ごくたまには、気に入って購うこともある。値段も安いし、これ買って帰ろうかなと思ってから、ふと、それよりもこの陶芸家を訪ねてみて、そこで買おうと思った。

 動機はだから、「天気も悪くて他に行くところもないので」に近い。失礼な話である。

 幸い、工房までは10kmもない。ただ、場所がわかるかどうかという不安を抱えつつ、スマホのナビを頼りに行ってみた。

 近くに、うどん屋さんと季節料理のお店があるので(といってもそういうのがあることが信じられないような田んぼの真ん中です)、それらを目印にしながら進む。特に「手打ちうどん」の看板が役に立った。目指す場所は「季節料理 ふじ川」の向かいである。

20161227 このあたりのはずなのだが本当にあるんだろうか、仮にあるとしても、看板とかは上がっているのだろうかと不安を抱えていると、邸宅といってもいいような立派な門構えのお宅に「工房 ゆう」と書いた木の札がかかっているのを見つけた。

 門は開いていて、中に車を駐める広さが十分あることは、外からでもわかる。行ったはいいが、駐車できるのだろうかという心配もしていたが、杞憂であった。

 工房とおぼしき建物の戸も空いていて、「すみません、こんにちは」と声をかけながらおそるおそる中へ入る。出迎えてくれたのは、30代前半に見える若い陶芸家であった。

 「あのう、ここはご実家なんですか」というのが、好奇心を抑えきれずに出た最初の質問だったと思う。貧しい陶芸家の工房にはとても見えなかったのだ。重ね重ね失礼な話である。

 結論を言えば、大家さんの離れを安く貸していただいているだけということであった。

 どうして道案内の看板を出さないのかと伺うと、「通りすがりに来られてもちょっと困るんです。わざわざここを目指して来てくださる方に来ていただきたいし、そういう方はちゃんと見つけて来てくださるんですよね」とのこと。

 いやいや、諦めて去ってしまった人には会えないからでは・・・とも思うが、それは口に出さない。
 ネットやSNSで広めてくださるのは大歓迎ということなので、お言葉に甘えてこうして記している。

 さて、そこからは作品を見せていただきながら、いろいろとお話を伺うことになった。
 「お邪魔してすみません、どうぞ、お仕事を続けながら」

 だんだんと、職業的なインタビューをする感じになってくる。そうして伺ったことは、とてもここには書き切れない。

 「大学はまあ、一応行ったんですけど、落ちこぼれてついていけなくなって」とおっしゃるので、それ以上詮索しないでいたところ、壁に貼ってあったポスターに「九州大学工学部機械航空工学科に進学した」とあるのに気づいた。

 のちにまた大学の話になったとき、実は大学院にまで進んでいたことがわかる。そういう感じの人である。

 釉薬は、自分で刈り取ったススキを焼いた灰から作る。あるいは、昨秋、36年ぶりに爆発的噴火を起こした阿蘇の火山灰を利用する(←リンク先はインタビュー動画で、音が出ます)。

 作品としては、せっかくなので、阿蘇の荒々しさや溶岩を思わせる焼き物を作りたい。でもやっぱり、焼き物を買ってくださるのは女性が多く、「カワイイ」を求められるので、個性や思いを殺してそういうものも作っている。

 私が買ったのも、結局は溶岩のモチーフとは関係のない、深みのある青を基調とした湯飲み茶碗であった。

 会計をしながら年齢を伺うと、実は不惑をいくつか越えているという。若く見えますねと驚くと、「この世界で若く見えるのは・・・」と苦笑なさる。

 そこにあった、明らかに「作品」と呼ぶにふさわしい花挿しに話題が及ぶと、「これは、壁を表しているんですよ、人種の壁・民族の壁・宗教の壁・・・ それにこういう、風穴を開けているんです」という。

 そしてとうとう、「作品を通して世界平和を訴えたいんですよね」とまで言ってくれた。

 「いや、もちろん、だからなんだ?って話なんですけど」と付け加えるのは忘れない。

 私だって、ふだんそんなことは人に言わないが、やはり仕事を通して訴えているつもりなのはそういうことである。
 それを伝え、薄暗い阿蘇の工房の片隅で、束の間、2人で世界平和に思いを馳せた。
 もとより、だからどうした、という話であることは承知しつつ・・・

 帰り際、途中でも勧めてくれたカフェを、今度は熱心に勧める。私が大阪から来たというと、「大阪から来た夫婦がやってらっしゃるお店があるんです」といって始まった話題だ。
 コーヒーは飲まないようにしているし、その時はまず確実に行かないだろうと思っていたのだが、社交辞令として名前や場所を確かめた。

 だが、ちょうどお昼も近く、そばのうどん屋さんの駐車場で開店を待っていても休みのようだったので(翌日、実は開いていたことがわかったのだが)、結局そのカフェに向かうことにした。調べると、ランチも食べられることがわかったのだ。

 確かに素敵なカフェだったのだが、工房の主とはちょっと方向性が違う感じで、どうして熱心に勧めたのかはわからない。
 カフェについてはまた別の機会に。
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 工房 ゆう:田中耕治さん

 〒869-2613
 熊本県阿蘇市一の宮町中通1707

 駐車場の心配はまず必要ない。

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2017.01.01

■頌春

20170101

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