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2017.09.08

■私の文章です

 以下は私がかつてここに書いた文章からの引用です。

 ここに具体的に書くことはできないが、あの新機軸はこうなった、あの改革の副作用は、この改革のせいで・・・と考えていくと、もちろん功罪両面あるだろうとは思うものの、成功か失敗かという二分法を適用するなら、そのほぼすべてが失敗であったと断言できる。つまり、結局は何もしない方がよかったということだ。(2010.10.2)
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 ある程度偉くなると、すぐに組織や制度をいじりたがる人がいる。
 だが、そういうことをして成功するのは、数少ない visionary だけである。調子乗りや凡人がやると、現場を混乱させて疲弊させるだけに終わってしまう。哀しいかな、偉い人の多くは調子乗りや凡人であり、現在大阪を動かしているのは、頭が古くて固い、調子乗りの凡人である。
 《中 略》
この十数年来、自分の職場やその上部団体(や日本中のお役所的組織)でずっと言われ続けてきた「変えなければ」のほとんどがさまざまな弊害をもたらし、どんどん事態が悪くなっていることを思えば、また同じ轍を踏むのは見えているような気がする。
 しかも、変えるためのコストは実に莫大で、仕事の半分以上が変えるためと変えたための無駄な会議や事務作業に終始してしまっているといっても過言ではない。(2011.11.29)
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 毎年毎年、失敗するのが必定の企画が立てられて実行されている。
 今年もまた、箸にも棒にもかからない「画期的な新構想」がいくつか提案され、上層部とその追従者たちによって嬉々として実行されている(彼らもほんとは「やらされている」のだろうか)。
 その「構想」の提案書たるや、手垢のついた空疎な大言壮語の羅列であり、無駄に饒舌なばかりで大した意味はない。読んでいるこちらが恥ずかしくなってくるほどだ。
 法科大学院と新司法試験の失敗と同様、これも数年後、失敗に終わっているのはおそらく間違いない。ただし、いくぶんかひっそりと。(2011.12.17)
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 この件に限らず、この国の教育行政(特に高等教育)は、やらない方がマシな「改革」を次々と打ち出し、大学はそれに翻弄され、結果は惨憺たるものなのに(法科大学院を見よ)、「だからこそ?また次の改革を」という悪循環を繰り返している。(2017.05.17)
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 失敗することが目に見えているような「新機軸」を矢継ぎ早に打ち出す文科省の方針に次々と面従させられて疲弊し、それでも誰も責任を取らない世界にストレスを溜め込んでいる現場から見ると、「トップまでが「面従腹背」などと言っていたのでは、そりゃこの悪弊は改まらないよなあ」と絶望的になってしまう。(2017.06.03)

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