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2018.04.25

★やはり、魔の水曜日

 先週もランチの話だったが、再びごく短く。

 満を持して、以前から行きたかった蕎麦屋を始めて訪れた。場合によっては「毎月一回はココ」というくらいの定番になる期待があった。

 首尾よく車を駐め、少し歩く。
 ところが、ちゃんと調べて行ったのに、なんと「定休日変更」で水曜日は休みになっている・・・
 臨時休業なら今日だけの落胆ですむが、定休日を水曜にされたのでは手も足も出ない。

 以前もイタリアンでこんなことがあった。

 付近の飲食店を探すも適当なのはなく(おいしそうなイタリアンが一軒あったが、ランチは2200円だったのでもちろんパス)、結局、駐車場に戻るまでにあったファミリーマートでおにぎりとチキンを買う羽目になった。

 北摂の各飲食店の皆さま、水曜定休というのはぜひおやめください。
 あ、こっちが仕事のスケジュールを変えればいいのか。でももちろん、それは簡単ではない。

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2018.04.24

★許せぬ誤訳

 書き出すとキリがないし面倒くさいので書くまいと思いながらも、再び誤訳の話を・・・
 まあ、前に初めて書いてから半年以上経ってるし、お許しくだされば(って誰に言ってるんだろう?)。

 「NCIS ~ネイビー犯罪捜査班」というドラマを見ている。
 NCISというのは、Naval Criminal Investigative Service の頭字語で、アメリカ海軍や海兵隊にかかわる刑事事件を捜査する実在の機関がモデルとなっている。

 捜査に参画するのは「連邦捜査官(Federal Agent)」で、これは FBI(Federal Bureau of Investigation)と同じ呼称だ。

 ところが、見ていると次のような字幕が出た。

 「うちは民間人による機関だ。中将の階級もここでは重みを持たない。」

 NCISが「民間人による機関」??? なんじゃそれは。どう考えてもありえない。

 巻き戻して台詞を聞くと、次のようなものであった。

Do I need to remind you why we're a civilian-run agency? With all due respect, Admiral, those stars on your shoulders don't carry much weight in this building.

 不自然ではない程度に直訳すれば「どうして我々が文民の運営する機関なのか思い出していただく必要がありますか(ないでしょう)。失礼ですが提督、肩の上の星(階級章)はこの建物の中ではそれほどの重みを持ちません」とでもなるだろうか。

 これをごく短く的確に訳さなければならない事情には同情を禁じ得ない。だから、全体として上記のような訳になるのは仕方がない。

 だが、"civilian" を「民間人」と訳したのはひどすぎる。この一点だけで、「この訳者は何もわかっていないのではないか」との思いがよぎり、落ち着いてドラマを見られなくなってしまう。英語だけ聞いてぜんぶわかるのなら字幕はすべて無視すればいいのだが、なかなかそうもいかない。

 この訳にはほとんど腹が立った。
 これはケアレスミスではない。プロの翻訳家として、語学力と常識/知識の両方が欠如していなければ起こりえない、あまりにもひどい訳である。

 そもそも、NCISは純然たる連邦捜査機関であり、連邦捜査官が「民間人」であるはずがない。この訳者だって、しょっちゅう、"Federal Agent" を「連邦捜査官」と訳しているのだ。彼らが現場に踏み込むときのジャンパーの背中にも仰々しく "Federal Agent" と書いてある。

 その彼らを「民間人」だと訳すというのは、「民間人」の意味がわかっていないからなのだろうか。わかっているとすれば、civilian のいくつかの訳語から、どうしてわざわざ、もっともこの文脈にふさわしくない「民間人」という語を選択したのか。また、「シビリアンコントロール(=文民統制)」というような言葉を聞いたことがないのだろうか。

 辞書を引けば(というか翻訳者なら引かなくても)すぐわかるとおり、この civilian は「(軍人ではない)文民」を指している。窮屈な字幕の制約の下でも、「うちは文民による機関だ。中将の階級もここでは重みを持たない。」と訳せば、むしろ1文字減るのである(「文民の運営する機関だ」と訳しても1文字の増加ですむ)

 これほど無知な人がプロとしてアメリカ軍隊ドラマの商業翻訳をしているという事実には、ほとんど愕然とする。
 ___

 調べてみると、当の訳者によるエッセイが見つかった。そこには、

今でこそ軍隊にまつわるドラマを何年も担当していますが、当初はアメリカ海軍と海兵隊の違いすらチンプンカンプン。しかし、必要であればやるしかない。「できます!」と手を上げて仕事を請けたのちに片っ端から資料や辞書を集め、軍事に詳しい友人の知恵を借りて泣きながら訳すことも。幸い、その後も継続的に仕事をいただけたので、最初の関門は突破できたのでしょう。
とあった(2017年2月)。

 訳者は2004年にフリーランスの翻訳者になっているが、「民間人」誤訳は2010年以降のことなので「当初」ではない。「関門は突破」して「継続的に仕事」をした結果がまだこれだとすれば、この業界の翻訳の質の低さに、「ああ、やっぱり」と嘆息するばかりである。

 そもそも「アメリカ海軍と海兵隊の違いすら」わからないのに軍隊ドラマをプロとして翻訳するなど、視聴者に対する裏切り行為である。ほとんどの人は、吹き替えや字幕(だけ)を頼りに映画やドラマを見ているのだ。

 今回は録画を見ていたので確認できたが、映画やテレビを見ていたのではそれさえできず、違和感を抱えながら観賞せざるを得ない。
 さらには、話がサスペンス/ミステリなので、何か引っかかる訳があると、それがヒントなのかとか伏線なのかとか頭を悩ませてしまうことにもなる(今回は当てはまらないけれど)

 この業界の翻訳の質が向上することを願ってやまない。

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2018.04.18

★微妙なイタリアン

 このブログのプロフィールにも書いてあるとおり、安くておいしいランチを常に探している。

 それがますます困難になってきた。

 もうかれこれ20年以上、私の狭い行動範囲で探し続けていると、なかなか新しい発見というのも難しい。
 外食物価も上がり、もはや1000円以内でまともなランチを求めるのも至難の業となってきた。
 また、これは元からなのだが、無料の駐車場のある場所でないと「安いランチ」にならないので、選択の範囲が狭くなる。
 そして、せっかく行きつけになっても、値段が上がったり移転したり閉店したりと、なかなかうまくいかない。
 最後に、もっとも外で食べる機会の多い水曜日を定休日にしている店が実に多い。

 そんな中、たぶんもう半年以上も前から行きたかったイタリアンに初めて行くことができた。
 なかなか行けなかったのは駐車場に不安があったからだが、案ずるより産むが易し、行ってみれば簡単に何とかなってしまった。

 これは行きつけになるかも、と期待に胸を膨らませて扉を開ける。
 その扉をはじめ、店内にもなんだか見覚えがあると思ったら、かつて行ったことのある割烹が出た後に、居抜きで入った店らしい。

 午後1時は過ぎていたが人気店(のはずだ)、かなりの混雑を予想していたのに客は2名で、「あれ?」と思った。
 こころなしか、奥様と思われる女性の愛想もよくない。

 ランチのパスタは常時20種類から選べるという話だったのだが、メニューには2種類しかない。どちらもそれほど好みではなかったので、別の単品を食べることにした。
 そうこうするうち、ぽつぽつと客も入り、13時半のラストオーダーまでに5名増えた。

 夫君と思われるシェフも無表情だ。ネットにあった、「夫婦はいい感じで愛想もいい」というような評判はなんなのだろう?

 ・・・と考えるうち、「あ、これは」と既視感がよぎった。

 夫婦喧嘩をしているのだ!

 いや、既視感はうちの夫婦のことではない。食べ物屋の夫婦が喧嘩してこんな雰囲気になっていたのを、かつて経験したのである。
 もちろん、今日のイタリアン夫婦が喧嘩しているというのは単なる憶測に過ぎないけれど。

 まあそれでもこちらは客なので、支払いの時には「ありがとうございました」と言ってくれるし、奥様にもちらっと笑顔が見えたような気はした。
 ___

 今日の単品は1000円以下だったが、パスタランチは飲み物やデザートなしで1280円だし、今日の雰囲気や料理やその他もろもろを考慮すると、再訪はないかなあ・・・と思いながら店を出た。
 わりとまとまりのない長い髪で料理しているのにも、ちょっと違和感があった。

 店を出て店舗前の黒板を見ると、ランチのパスタは常時20種類から選べるとはっきり書いてあった。
 店内のメニューと黒板では、かなり探したが見つけられなかったのに。

 いろいろ微妙なイタリアンだったが、パスタが選べるならもう一度行ってみてもいいかなと思う。

 今度は夫婦仲良くしているところで気持ちよく食事したい ^^;

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2018.04.15

★三たび美山へ

 特に予定のない土曜日、私としては珍しく朝早く?起きだしてしまったので、どこかへ出かけたくなった。
 幸い、まだ天気もしばらくは持ちそうだ。

 滅多にないことに、家人も同行できるというので、桜を求めて京北・美山に行くことにした。

 とはいえ、私は今春3度目になる。何か目標があったほうがいいと考え、昨初冬に見送った日本一背の高い木、美山の三本杉を見に行くことにした。

 家人は「おいしいものを食べるのだけが楽しみ」と薄情なことを言うのだが、京北にそんなものがそうそうあるわけもない。
 いつぞやのフレンチの線も考えたが、予約が必要なことと高すぎるのとで却下、「蕎麦美庵 物味遊山」を目指すことにする。ここは、1500円または1800円で、前菜・サラダ・メイン付きの十割蕎麦を食べることができる。

Img_0186_copy ちょうどお昼ごろに着いて昼食をすませ(満足感高し)、ウッディ京北でたまたま見かけた「田中店(たなかみせ)」の食パン(山食)を買い(おいしかった!)、黒田の百年桜を横目に見ながら、一路 美山の三本杉を目指す。大悲山峰定寺の駐車場に車を駐め、林道を歩くこと30分で目的の場所に着いた。

 その辺の木もほとんどが杉で、それなりに大木と言えるようなものも散見されるのだが、所詮は植林、三本杉の迫力はまったく別物である。「がっかり名所」を覚悟していた身には、十分すぎる巨木だった。
(高さが日本一だというんだから、そりゃそうですよね・・・)

 車に戻るまで雨が降らなかったのも僥倖である。

030a8824_copy 帰りは、ちょうど満開の黒田の百年桜を傘をさして観賞する。前回は、まだちらほら咲いているだけだった。
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 3度来ても、京北はその度に満開の桜で迎えてくれる。まずはソメイヨシノ、次に枝垂れ桜、さらには百年桜というように。

Img_0189_copy いや、そう単純ではなく、いろんな種類の桜やら桃?やらハナズオウやらがそこここで競うように咲き誇っている。

 私の車で、バイクで、そして家人の車でも、もはや走り飽きた道なのだが、それでもやはり、京北の春は格別だ。

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2018.04.10

★気付かれぬ気遣い

 しばしば昼食を食べる寿司屋で、久しぶりに食事した。

 桜鯛が殊のほか素晴らしかった以外は、おいしいには違いないけれども、まあいつものお寿司である。

 寿司が終わって赤だしが出てきたので、蓋を取って横に置き、立ち上がる湯気で目を愉しませ、軽く香りを吸い込んでから、すぐに口に運ぶ。
 書くとそうなってしまうが、ほとんど何も意識していない一連の動作だ。

 だが、ひと口飲んだ瞬間、なぜか、いつもは気付かぬことに気付いた。

 もしこの赤だしが熱すぎたらどうなるのか。火傷しないまでも、あちち・・・となるはずである。
 なのに、なんの躊躇いもなく、ふーふーしたりすることもなく、そのまますぐに口に運ぶことが習慣になってしまっている。

 では、赤だしは冷めているのか。いやむしろ、熱いくらいだ。しかし、絶妙なバランスで決して熱すぎない。それが毎回同じなのである。

 そのことに初めて気づいた。
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 この店の茶碗蒸しの蓋が常温であることには以前から気がついていた。
 別の店の茶碗蒸しは、おしぼりを鍋つかみ代わりに使わなければならないほど熱い。
 この店ではおそらく、蒸し上げてから蓋だけ取り替えているのだろうとは、以前から想像していた。客が構えずに蓋を外せるように。

 赤だしは、毎回必ず適温で供される。いつもより熱いとかぬるいとか思ったことは一度もない。それはどのくらいの精度なのだろう?

 家でカフェオレを入れるときは、作ってからレンジで暖めることが多いのだが、仕上がり温度が60℃と65℃とではまったく異なる。たぶん、63℃くらいの設定ができれば一番いいと思うのだが、60℃ではぬるすぎ、65℃では熱すぎるのだ。
 とすれば、あの赤だしの温度は、客の前に出されてすぐに蓋が開けられた時点で、(たとえば)63℃±1℃くらいなのではないかと推察する。
 そのくらいになるように、毎回計算されて(というか気遣われて)供されるのだ。

 その気遣いが当たり前すぎて、今日まで気付いていなかったのである。
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 だしを引いたのが誰だかは知らないが、実際に運んでくるのは必ず、この道10年未満と思しき20代の若手である。まだまったく、寿司など握らせてもらえない。
 あとの2人はずっと握っているので、赤だしは若手に任されている。

 「何にもでけへん」「言うてもわからへん」とよく言われている男である。その人が出してくる赤だしの温度に、まったくブレがないとは。

 まあ、もしかしたら、適温に保つ湯煎の機械にかけていて、そこからお玉ですくえば自動的にあの温度になるのかもしれない。
 だがおそらく、それほど簡単なことでもあるまいと思う。
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 相手に気付かれないほどの気遣いが本物の気遣いである。
 私が鈍感だっただけかもしれないが、あっぱれと言うほかない。

 省みてわが身、他人に対してどれだけの「気付かれぬ気遣い」をしているか。

 少なくとも家人には、「あれもしてあげたこれもしてあげたアピール」を欠かさないけれど。

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2018.04.07

★14時から美山を往復

 だいぶ前から「孫の手」が欲しかったのだが、それなりに探しても気に入ったのがなく、まあダメだろうなあと思いながらも、ひいきの銘木工芸店「山匠」にメールすると、なんと孫の手もお作りになっているというのを一週間ほど前に教えていただいていたので、桜のあるうちにと、出かけることにした。

 いずれにせよ、桜が散り果てる前に京北・美山へとは思っていた。

 前日からそのつもりだったのに、新年度で疲れたのか、起き出すともう正午前になっていた。天気も優れなかったのだが、夕食までには何とか帰ってこられそうだし、結局行くことにした。

 出発はなんと14時である。

030a8785_copy 家を出るときは晴れてきていたのに、亀岡からは雨になった。それでも、イワツバメの乱舞に慰められたり、満開に「戻った」桜を楽しんだり、新しい桜を「発見」したりしながら、2時間かからずに山匠に着いた。

 ご主人がお仕事の手を止めていろいろ見学させてくださった。
 その後、予定どおり孫の手を購う。キハダ・欅・一位・タモがあると伺っていて、事前に欅か一位(櫟)をと思っていたのだが、現物を見て色と木目が気に入った一位にした。

030a8789_copy 雨模様の中、違うルートで帰宅する。お気に入りの桜ポイントは時間差でさまざまな桜が咲くのだが、大木はほとんど散り果てていた。
 それでも随所でさまざまな桜を楽しむ。雨なのが残念だ。

 帰りの亀岡では久しぶりの虹を見て、無事18時40分ごろ帰宅。ちょうど夕飯に間に合った。

 14時から動き出してもこれだけ充実した日を過ごせるのだと気づかされた。

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