2017.01.15

■どうしてもっと早く切り替えなかったんだろう?

 つたない写真を臆面もなく皆さまに公開している(いえ、謙遜ではありません)

 「戸惑う被写体 ── Out of Focus, Out of Sight
 「Look ! Up in the Sky

ですが、これまでは基本的にココログの機能を使ってきました。

 これが実に扱いにくく、写真ファイルの長辺は 640 pixel 以下、容量は 1MB 以下という今どき信じられないような情けない仕様で、しかも、アップロードに写真を一枚ずつ指定するなど、面倒くさくてかつ時間がかかるというものでした。

 にもかかわらず、生来の辛抱強さ(嘘)がわざわいして、それに耐えながら使い続けてきました。

 それが、新年を迎えたこともあって(というか、今まで何度も迎えてるんですけど)、外部の写真ストレージサービスにリンクすることにしようと思い立ちました。

 ちょっと調べてみると、老舗の flickr(かつて使っていました)を始め、さまざまなサービスが展開されています。ただ、サービスを急に打ち切られても困るので、なるべく持続性のありそうなサイトを探しました。
 ざっと見て回り、名前を聞いたことのある「フォト蔵」にしようかなといったんは決めたのですが、実際に見てみると、広告がうるさくてとても耐えられそうにありませんでした。

 SNS時代でもあるし、この際 Instagram かとも思ったのですが、写真がぜんぶ自動的に正方形にトリミングされるらしく、それだけで論外です。

 結局のところ、灯台もと暗しというか、Google Photos にしました。
 昨年から iPhone 7 Plus で撮った写真を自動で同期していて、その便利さに驚いていたのですが、単にバックアップ目的で同期していただけで、これまでは特に何にも使っていませんでした。

 試しにちょっとやってみると、これがまあ、夢のような使い心地。
 写真は1600万画素までのものなら無制限にアップロードが可能です。大きなファイルは圧縮されて画質が落ちるようですが、見た目にそれほどの違いはありませんし、2048×2048 までなら圧縮もないようです(後記:ネットには圧縮がないという言説が転がっていましたが、実際は相当圧縮されていました)。
 私は、実際に見るパソコンの画面の広さを考えて、長辺 1280 pixel でアップすることにしました。

 アップロードも、複数まとめてブラウザの画面に Drag & Drop するだけで、スピードも速い。これまでの無駄な苦労は一体何だったんだろうという感じです。

 このブログ用の写真をアップロードして、2つに分けて共有アルバムを作るのも簡単でした。

(著作権関係のことがちょっと引っかかるのですが、まあ別にカメラマンになるわけじゃないし、ココログだって他のサービスだって、その辺はけっこういい加減だと思うので、この際目をつぶります。)

 これからもぜひ、

 「戸惑う被写体 ── Out of Focus, Out of Sight
 「Look ! Up in the Sky

をご贔屓にお願い申し上げます。

 この本文の中からもリンクを張っていますが、
←のカラムのリンクをクリックすると、Google photo の共有写真ページにジャンプします。

(後記:愚妻(一度使ってみたかった)は今日まで! このブログの写真集の存在を知らなかったそうです。聡明なる皆さまにおかれましては、ぜひお見知りおきのほどを。)

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2016.11.15

●生存証明

 気がついたら、ここに何も書かないまま、月の半分が終わりつつある。

 以前から書こうと思っていたのだが、このブログの更新が一か月滞った場合には、私は死んだと思っていただければありがたい(いや、やっぱり一年にしようかな ^^;)

 まあ、今は twitter だの facebook だのもあって、そこには何か書いているということもあるかもしれないが、今のところ、広く外部への積極的な生存証明というのは、やはりこのブログをおいてほかにない。
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 そういえば、昨日だったか、久しぶりに facebook の設定を眺めていると、

       「追悼アカウント管理人」

の設定というのがあり、

 「あなたが亡くなった後にアカウントの管理を任せる家族または親しい友達を選択します」

と書いてあった。

 うわお。

 だが、「個人ホームページ」のころから数えれば、こういうネット発信が始まって20年以上経つのだから、亡くなる人が相次いでいるとしても、なんら怪しむべきことではない。
 実際、敬愛していた仕事仲間のブログも、遺稿となってまだ残っている。無料のサイトではないので、奥様がまだ会費を払い続けていらっしゃるのだろうと拝察する。

 このブログシステム「ココログ」には、(たぶん)「追悼アカウント管理人」を設定する機能はない。しかし、一日も早く導入すべき機能ではないか。なんとなれば、今日亡くなったココログのブロガーも、一人くらいは確実に存在すると思われるのだから。

 一つ疑問に思うのは、facebook の「追悼アカウント管理人」は、どうやってアカウントを引き継ぐのだろうかということである。
 本人が死ぬ前に権限委譲をすればいいわけだが、もちろん、必ずしもそれができるとは限らない。どういう形でいつ死ぬかわからないわけで、facebook のシステムはもちろん、その死を把握できない。
 とすれば、逝去を知った「追悼アカウント管理人」は、その時点で自らアカウントの管理に乗り出すことになる。それが可能であるならば、元の管理者が生きていたってアカウントを乗っ取ることができるはずだ。

 まあ、そんなことをしないような信頼できる「家族または親しい友達」を選ぶべきなのだろう。でも、悲しいことに、人間関係というのはいつどうなるかわからないし、人もどんなふうに豹変するかわからない。

 あ、「追悼アカウント管理人」は、facebook に、「これこれの方が亡くなったので私がアカウントを引き継ぎます」と申し出て、facebook が「これこれの人」に連絡を取り、一か月以内に返事がなければ引き継ぎを認める・・・とかいうシステムになっているのかもしれない。
 死んだ本人に引き継ぎを申し出て、レスポンスがなければ・・・というのでもいい。
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 こんなことを書く予定はなかったのに(タイトルは後からつけました)、よしなしごとをそこはかとなく書き付けてきたが、他人のことはともかく、私の場合にはそんなことをあれこれ考えても仕方がない。しょせんは、取るに足りない戯れ言を虚空に向かって記しているだけなのだ。

 いや、「馬齢を重ねる」などと言うと、少なくとも名馬には失礼なくらいの人生であってみれば、こんなものでも、その人生に見合った生存証明だと言えなくもない。

 「生存したことを証明して何の意味がある?」と言われれば、確かにその通りである。
 しかし、人類が人類として生存し始めてから数万年、その 99.9999・・・%の人々は(子孫を除けば)なんの痕跡も残していないことを思うと、生きた証をだれもが残せる時代になったことは慶賀すべきことなのだろうとも考える。

 どういうかたちでいつまで残るものなのかはわからないけれど。

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2016.08.14

★早寝早起き

 ふと気がつくと、8月に書いたものが一つもない。もう半ばだというのに。

 理由はおそらく、「早寝早起き」を始めたことだと思う。長い話を省略すると、五十肩がきっかけで通い始めた鍼の先生に言われてそうするようになった。

 前の職場を辞めてから25年以上、早寝早起きとは無縁だった。

 むろん、早起きしなければいけないときはままあるのだが、それが直接早寝には結びつかないし、ふだんはとにかく「不規則な生活」をしていた。

 子どものころからずっと、各方面から「早寝早起き」「規則正しい生活」を言われ続けているのだが、実行できたためしがない。

 ただ、唯一、前の職場に勤務していたころの一時期は、そういう生活に近かったと思う。
 「朝の涼しいうちに勉強しましょう」というのを、言われる方から言わされる方になって初めて、夏休みの午前中は午後より涼しいのが本当だと知って驚いたものだ。

 でも、そのころでさえ、20代半ばの若さで、勤務時間だって長くないのに、ふつうに疲れていた。

 50になって不規則な生活をしていても、当時とそんなに変わっている気がしない。
 つまり、「規則正しい生活」が何かを改善するという実感を持てないのだ。だからやる気が起きない。

 鍼の先生に言われて、コーヒーだって紅茶だって(いただきもののプーアール茶すら)やめている。そして代わりに毎朝、これも指導されたニンジンジュースなんかを飲んでいる。

 これで、体調がよくなったとか、疲れなくなったとかいうのならありがたいのだが、そんな実感はほとんどない。

 ブログが書けなくなっただけである(笑)
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 毎日、なにか一つでも楽しかったことがないと、寝る気がしない。

 だが、楽しみなんか、そう簡単に得られるものではない。仕事で得られればいうことはないのだろうが、そういう日は多くない。
 今のところ、洋もののテレビドラマか映画を見るのがお手軽な楽しみになっている。

 憂き世のつとめを果たして液晶パネルを見たりすると、もう「早寝」の時間になってしまう。いちおう11時なのだが、往々にして12時近くになるし、時には越える。

 まあそれでも、だいたいは早寝早起きをしていると、のんびりブログなんかを書いている時間はない。残念なことだ。

 収穫があるとすれば一つだけ、これまではだれが何と言おうとまず絶対に無理だと思っていた早寝早起きが、案外簡単にできるのを知ったことである。

 まさか、自分にそんなことができるなんて・・・

 要は、やる気になるかどうかだけの問題のようだ。

 でも、だからといって特に体調がよくなったわけでもないし、他のことにやる気がでるかというとそんなこともない。

 なのに、いちおうこの生活が続けられているのが不思議である。きっとそのうちどんどんいいことが起こってくると思いたい。

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2016.04.30

★どうして写真が

正方形になるんだろう?
スマホモードで見ると、ちゃんと横長なのに。
(後記:あとで修正しました。)
20160430_153142

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2014.03.21

●Safariのココログ管理画面で表示幅が狭くなってしまう問題

 Safariのココログ管理画面で表示幅が無茶苦茶狭くなってしまい、苦労していた。
 「管理ページ」そのものは時々直ったりもするのだが、新規記事を作成しようとすると、必ず画面の左端5cmほどに文字が重なって表示されてしまう。いろいろ試みてもなかなか解消されなかった。

 備忘を兼ねて解決方法だけを記す。

・Safari を終了する。
・Finder で option を押しながら「移動」メニューから「ライブラリ」を選ぶ。
・「ライブラリ」フォルダの中の「Safari」フォルダを開く。
・「WebpageIcons.db」ファイルを削除する(↓でまたすぐ作成されます)。
・Safari を起動する。

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2013.12.31

★次の10年の扉を

 今、これを書いている画面の右側には「ココログ10周年 10th Anniversary Issue」のロゴがある。

 このブログサービスが始まってから10年と少し、開始まもなく私がブログを始めてから今日でちょうど10年になる。
 管理画面を見ると、その間に書いた数は2220だそうだ。

 最初は、2004年の元旦を寿ぎ、有人動力飛行が新世紀を迎えたことを祝う趣旨の書き込みを行った。
 ライト兄弟が砂浜でわずか36メートルの飛行に成功してから、たった66年で人類は月に降り立っている。
 そして、100年経つと、私のような者でも動力飛行ができるようになった

 それから10年。

 たった66年で、大気中の36メートルから宇宙空間の38万キロ往復へと伸ばされた記録は、ここにきて華々しい成果からは遠ざかっているようにも見える。それでも、はやぶさがイトカワから砂埃を持ち帰ったりボイジャー1号が太陽圏外に出たりと、それなりの進展はあったようだ。

 思えば、10年前は facebook も twitter も LINE も、YouTube すらなかったのである。iPhone は影も形もなかったし、ブルーレイディスクやデジタルカメラすらまだ黎明期を脱していなかった。ほとんどのテレビはまだブラウン管だっただろう。

 その意味では、世の中はちゃんと進んでいる。

 ひるがえって我が身を顧みると、私も家人もまったくもって相変わらずだ。
 10年前と同じ家に住み、同じ車に乗り、同じ仕事をしている。ほとんど何の変化も進歩もない。
 ただ、小学生だった息子は大学生になり、一応元気だった祖母は亡くなった

 祖母だけではない。何人かの惜しい方々を亡くした。しかも、祖母とは違い、まだこれからという年齢で。
 それを思えば、「相変わらず」であることがいかに「ありがたき」ことかわかる。

 ただ、相変わらず進歩はないが、老化の兆しだけはある。身体とともに、家も車もくたびれてきた。家は今年、最低限の外装リニューアルを行ったが、身体を新しくするすべは今のところない。
 そのうち、老化も「兆し」ではなくなってくるだろう。

 ゆっくりと、次の10年の扉を開けようと思う。

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2012.09.04

■朝のオロモウツ

 朝、オロモウツを1時間半ほど散歩した。

 昨夜と違って適度な活気もあり、趣ある建物も多く、そこそこ魅力的な街であった。

 それだけなのだが、街の名誉のためにも記しておく。

 あ、でも、市庁舎の仕掛け時計はほんの少ししか動かなかった。まったく動かなかったわけではないので、たぶん故障してるんだと思う。

 後記:あと、中央の広場に車が入ってくるのはどうかと思った。クラクフでは入ってこなかった。

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2010.06.22

◆低調なブログ

 このブログがいやに低調である。

 いやもちろん、開設当初(2004年1月)からずっと、別に大したことを書いているわけではない。だがたぶん、書いた回数も内容も、今月が一番薄いのではないかと思う。

 前半は体調が悪かったせいもあろう。しかし、後半になっても、こうやってその低調ぶりをネタにして書いたりするまでに落ちぶれている。

 何となく気分がすぐれず、その影響がこんなところにも現れているのかなと思う。Wii Fitも、今月に入ってから数回しかやっていない。
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 さっき、持病に関する情報を集めようとしていたら、情報商材の詐欺的販売のページがやたらにひっかかってきた。素人の思いつき程度の作文を書いた pdf ファイルを数万円で売るアレである。
 そんなものでも100人程度が騙されてくれれば数百万円の収入にはなる。それでいて、たぶん詐欺罪を構成しないようにうまく立ち回っている。

 世の中にそんな輩がはびこっていることが、気分を落ち込ませる。

 車の窓から煙草の吸い殻やゴミなんかを外に捨てている奴を見たりすると、やりきれなくなる。

 それをまた、ボランティアの方々なんかが片付けていたりすると、余計につらい。

 悪人はやりたい放題で、その後始末は善人がするのか。

 昔からずっと続いている、たぶん知らんぷりをするのが一番いいようなことを気にして精神をささくれ立たせても、いいことは何もない。
 そんなことは百も承知なのだが・・・

 最近、やっとわかってきたことがある。人生のあらゆる難問?に対する答は、既に出ているのだ。カントの昔や漱石の昔、いやたぶん、孔子の昔やアリストテレスの昔から。

 問題は、0歳からもう一度生き直さなければ、人間は成長できないということだ。
 凡人も先哲と同じような壁にぶつかっていくのに、凡人には先哲の思想をなぞることすら手に余り、出された答を感得するほど長くは生きられないのである(仮にたとえば300年生きればできるとしても)。
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 数日前、書斎の電灯が切れた。蛍光灯を替えてみて、器具自体が故障していることがわかった。一番気に入っていたやつなのだが、もう20年以上使っているので仕方がない。

 2〜3日前から、口蓋隆起に傷がついて痛み、食事がおいしく食べられない。

 昨日、右手小指の爪が割れた。この前爪が割れたのがいつだったか思い出せない・・・

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2010.01.22

■ twitter 始めました

 今さらながらですが、twitter 始めました

 この程度のブログでも気力が充実していないとなかなか・・・というのもあって。

 でも、すぐやめちゃうかも > twitter

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2009.02.27

◆これだけブログがあふれているのに

 これだけブログがあふれているのに、モナーク X の発売後、それに触れたものは先ほど私が書いたエントリのみのようです(by Google)。

 その私とて、買ったわけではない。

 双眼鏡って、ほんとうにマイナーな存在なんですね・・・

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