2017.06.20

◆最高の花婿

 引き続き、映画の紹介。

 パリから南西に百数十キロ、お城で有名なロワール川流域に住む保守的なフランス人夫妻。自身も、ちょっとしたお城を思わせる邸宅に住んでいる。

 4人の娘がいるのだが、パリに行かせたばかりに、上の3人が次々と、アラブ人・ユダヤ人・中国人と結婚してしまう(そこまでは冒頭の5分ほどで描かれているので、別にネタバレではありません)。

 当然のように、宗教や文化や習慣の違いに戸惑い、疲れ、怒っている。
 特に父親の嘆きは深い。

 頼みの綱の末娘は、果たしてどんな男と結婚するのか・・・

 まあ予想通りの展開なのだが、わざとらしいまでのドタバタ系コメディが非常に面白かった。

 アメリカなんかでは、危なすぎて現代劇としては作れないのではないかと思うような話を、建前と本音を織り交ぜながら笑いに変えてしまう。

 計算された名作だ。フランスで年間興行収入が1位になったというのも頷ける。
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 全体として面白かったのとは別に、興味深い点が2つあった。

 一つは、なんだかんだ言っても、娘の結婚相手4人の全員が流暢なフランス語を話すことだ。というより、おそらく全員がフランス語のネイティブである。

 この点が、日本におけるいわゆる「国際結婚」とは大きく異なる。

 もちろん日本でも、在日コリアンとの結婚などでは同じことだが、それ以外の国際結婚だと、そもそも子どもの配偶者と言葉が通じるのかがまず問題になることが多い。
 甚だしき場合は、夫婦間ですらあまり言葉が通じないというケースも珍しくはない。

 言葉の壁がないという時点で、しかも、そのことがほとんど意識されていないという点で(一度だけ発音の問題が取り上げられていたようだけれど)、日本で考える国際結婚とはかなり趣を異にするのだが、「移民社会」という切り取り方なので、それで当たり前なのかとも思う。
 それでも、言語に対する問題意識が描かれていないのは、やはり(ある種の)フランスらしいという気がした。

 もう一つは、主人公(のひとり?)である父親が、保守的なド・ゴール主義者だと自ら言明しながら、「人種差別主義者(raciste ラシスト)」だと思われるのを非常に嫌がっていることである。
 人からどう思われるか以前に、自分が raciste であることをどうしても認めたくない( ≒ 自分は raciste であるべきではない ≒ raciste ではない)という心性が厳然と存在するのだ。

 同様に、自分はファシストでもないと(これはフランス人として当然)考えているのだが、この種の建前を大事にすることは悪くないと思う。
 差別感情や偏見が現にあるとすれば、それは間違っているという理想や建前からその解消が始まることも多いと思われるからである。

 建前すら捨てた人間はもはや、テロリストまであと一歩だ。ヘイトスピーチやヘイトクライムを公然と行うような者は、テロリスト同様、断じて許してはならない。
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 ただ、共産主義者(communiste コミュニスト)と呼ばれることも同様に嫌っているように見えたのはちょっと気になった(まあ現実としてそうであることはわかるのだが)。

 これは、末娘の結婚相手の父親が、「アラブ人・ユダヤ人・中国人との結婚を許すような奴は、コミュニストに違いない」と憎悪丸出しで考えているのと表裏一体をなしている(「博愛主義者だから素晴らしい」とは決して思わない)。

 現実の共産主義政府に碌なのはないし(ベトナムやキューバはどう評価すべきなんだろう?)、個人的には、これからも共産主義政権が素晴らしい国家を作るとは思えないのだが、それでも、レイシズムやファシズムと並べられたのでは、コミュニズムが可哀相だ。

 前二者と違い、コミュニズムは少なくとも、根本的な思想としては全人類の幸福を願っているはずである。たとえ現実がまったく違っていたとしても、それとこれとはまた別の話だ。

 (Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu ?, 2014 France)

 (原題はたぶん「(こんなに次々と災難が降りかかってくるなんて)いったい私たちが何をしたと言うんですか、神様?」という感じだと思います。違っていたらすみません。)

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2017.06.19

◆ヘイトフル・エイト

 久しぶりに映画の紹介。

 エンニオ・モリコーネが音楽を担当する、クエンティン・タランティーノらしい凄惨な映画。サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセルほか。

 ミステリー仕立ての西部劇になっている。あ、西部劇仕立てのミステリーと言うべきか。
 いやむしろ、バイオレンスが中心で、あとはそのための道具立てにすぎないのかもしれない。

 (以下は完全なネタバレなので、これからご覧になる方はお読みにならないことをお勧め致します。)

続きを読む "◆ヘイトフル・エイト"

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2017.04.13

★「母になる」または 間違った敬語

 なぜか勝手に録画されていたのでとりあえず再生してみたら、沢尻エリカの名前を見てちょっと見る気になった。
 藤木直人も好きな俳優だし、話も悪くないと思う。

 ただ、警察官が「ご確認してください」、産科医が「ご安心してください」と発言する台詞にはげんなりした。
 言うまでもなく、正しくは「ご確認ください」「ご安心ください」である。

 脚本家が敬語の使い方を知らないとしても、だれか気づいて止めなかったのだろうか。

 台本や原稿などをもとに、こうも堂々と明らかな間違いを放送されると、ますますこういう言い方が定着してしまうのではないかと危惧する。

 いや、言葉は移りゆくものだとわかってはいるつもりなのだが、それにしても。
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 後記:調べたら、脚本家は水橋文美江という、私と同年代のベテラン(かつ一流?)の人らしい。それでもあんな台詞を書くのだろうか。まさかそのほうがリアルだから?
 いずれにせよ、もう一度言いたい。だれか気づいて止めなかったのだろうか。

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2017.03.25

●配偶者の呼称(その3)

 配偶者の呼称 配偶者の呼称(その2)の続き。

 以前書いた内容を含むが、標題をつけて改めて。

 2017年新春ドラマで、先日終了した「カルテット」(脚本:坂元裕二)では、年上の女性(松たか子)の配偶者のことを、年下の連中(満島ひかり・松田龍平・高橋一生)が「夫さん」と呼んでいた。

 からあげにレモンをかけるかどうか、かけるならどういう作法で、などについて侃々諤々の議論をする登場人物たちが、この呼称についてはだれもひと言の違和感も表明せず、ごくふつうに使っていた。

 こういうのをきっかけに、この奇妙な日本語も定着するのかもしれない。

 でもまだ「妻さん」は聞いたことがない。

 「ご主人」や「旦那さん」は使いにくいが「奥さん(奥様)」はまだ使えるからだろうか。

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2017.03.23

●レヴェナント:蘇えりし者

 単純なストーリーではあるものの、その壮絶さ・凄絶さは見ている者を引き込むのに十分だ。

 サイドストーリーとしてのネイティブ・アメリカンの描き方も、21世紀らしい視点から彩りと深みを添えている。

 「残酷さ」に耐えられる人はぜひ。
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 以下、どうでもいいようなことで恐縮だが、欠点という意味でもっとも気になったことを記す。

 レンズに水滴や血がついているのが写ったり、果てはディカプリオの息で曇ったりしたのには興ざめした。(モデルが存在するとはいえ)ノンフィクションやドキュメンタリーではないのに、こういうのはどうなんだろう。
 ヒグマとの格闘シーンなんかのことを考えれば、CGなりなんなりで処理することはそう難しくないと思うのだが。

 アカデミー賞の撮影賞も取っているんだけれど、そういう「細工」が少ないことが逆に評価されたりしたのだろうか。

(The Revenant, 2015 U.S.A.)

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2017.01.24

■ドローン・オブ・ウォー

 まだ途中までしか見ていないのにこういうことを言うのもなんだが、現代に生きるだれもが見るべき映画である。

 これが未来のことではなく、むしろ過去のことだというのがまた・・・

 しかも、あのオバマ政権下ですら、こんな戦争が行われていたのだ。
(物語の細部はもちろん創作だろうが、ドローンを利用したこの種の作戦が日常的に行われていた(る)のは周知の事実である)。

 未来はいったいどうなるんだろう?

(Good Kill, 2014 U.S.A.)

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2017.01.18

■カルテット

 今クールのドラマで、2回目(以降?)を見たいのが出てきた。

 「カルテット」
 (出演:松たか子・満島ひかり・松田龍平・高橋一生 脚本:坂元裕二)。

 前クールは「逃げるは恥だが役に立つ」。2クール連続で見たいドラマがあるのは滅多にないことで、ちょっとうれしい。
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 ドラマの中で、年上の女性(松たか子)の配偶者のことを、年下の連中(あとの3人)が「夫さん」と呼んでいた。
 こういうのをきっかけに、この奇妙な日本語も定着するのかもしれない。

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2016.11.19

●顔のないヒトラーたち

 アウシュビッツを訪れたときのことは、以前ここに書いた

 今や、知らぬ者のいないその場所も、フランクフルト・アウシュビッツ裁判(1963-65)がなければ、今とはまったく違った様相を呈していたかもしれない。

 1950年代初頭には独仏英語に訳されていた『アンネの日記』も、ドイツや世界におけるアウシュビッツの認知にはまだ効果を発揮していなかったのだろうか。

 大袈裟ではなく、まさに全人類が見るべき映画だと思う。

 困難な捜査を遂行し、自国の罪を裁き、それを映画にする・・・ それらすべてがドイツ人自身の手によってなされたことは、救いようのないできごとにも、微かな希望の光を与えてくれる。

(Im Labyrinth des Schweigens(沈黙の迷宮の中で), 2014 Deutschland)

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2016.08.17

★The Walk

 いやあ・・・ こんなすごい人(Philippe Petit(フィリップ・プティ))が存在した(といってもまだ存命中らしい)なんて、まったく知らなかった。

 必見の映画。

 見終わってから、ロバート・ゼメキスの作品だと知った。それもやっぱりすごい。

(The Walk, 2015 U.S.A.)

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2016.02.18

◆びっくりの「スナイパー」

 たぶん、みなさんは「スナイパー」の意味をご存知でしょう。

 そう、「狙撃手・狙撃兵」(わお、『広辞苑』の第四版には載っていない。第六版には載っていた)ですね。

 最近では、『アメリカン・スナイパー』(2014 U.S.A.)という実話をもとにした名作映画もありました。

 でも、Sniper の語源をご存知でしょうか。

 英語の辞書を引けばすぐわかるのですが、私たちはふつう、意味がわかる(と思っている)言葉を辞書で引く習慣はありません。

 これは日本語でも同じで、わかりきった言葉を引くと、びっくりするような発見があったりします。
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 今日たまたま、タシギ(鳥です)の英語名を知ってびっくりしました。
 シンプルに Snipe。

 タマシギは Greater Painted Snipe、チュウシャクシギは Swinhoe's Snipe(Swinhoeは人名です)。

 そう、スナイパーとは、「シギを撃つ人」だったのです。

 いかがでしょう? ご存知でしたか。

 私は知らなかったので、かなり驚くとともに、発見の喜びに震えました・・・というのはウソですが、へぇ、いやあ、そうだったのか、というのは、かなり心地のいい感覚ですね。

 でも、どうしてシギなんだろう?

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