2017.09.14

■目に余る誤訳

 書き出すとキリがないし面倒くさいと思って今までほとんど書いたことがなかったのだが、直前のエントリに触発されて、つい先日「これはいくら何でも」が2つ続いたことを書く。
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 映画の吹き替えや字幕、特に字幕には制約が多く、元の台詞の1/3も訳せていないみたいなのがよくある。他にも、大胆な意訳や「超訳」もしばしば見受けられる。というより、省略と超訳が基本線みたいなところがあって、それは確かに仕方ない面もあると思う。
 ただ、その制約の中でも「もっとこう訳した方が」というのが非常に多い気はするのだが、それはこの際 問うまい。

 問題は、明らかな誤訳である。

 先日、「ER 緊急救命室」を見ていると、ヘリコプターのパイロットが "I'm gonna shut down for autorotation." と叫ぶ台詞があった。エンジンに異常が生じたので、安全に降下すべく、「オートローテーションを行うために(for autorotation)エンジンを止める(shut down)」、という意味である。

 オートローテーションというのは、ヘリコプターのエンジンを切って動力のない状態にし、自重で地面に近づいていく過程で、ヘリのローター(羽根)が風を受けて自然に回ることを利用して、その抵抗を使って安全に不時着する技術である。

 知り合いによると、大袈裟に言えばヘリの操縦訓練の半分近くはオートローテーションに当てられるというような話であった。
 「半分近く」というのはいくら何でも誇張だと思うけれど、ある程度の高度か速度があれば(両方あるのが理想)、ヘリコプターはエンジンが止まってもそうやって安全に降りられるように設計されており、操縦者もその訓練をしっかりと受けている。

 実際、ER のヘリも、誰も怪我することなく無事地上に降りた。

 その "I'm gonna shut down for autorotation." (「オートローテーションのために(エンジンを)切る」)の字幕が、なんと、

  「オートローテーションを中止する!」

であった。

 どうしてプロの翻訳家がこんな初歩的な誤訳をテレビで放送してしまうのか。

 「"autorotation" という「専門用語」の知識がなかったから」などというのはまったく言い訳にならない。そんなもの、1980年代の『リーダーズ英和辞典』(研究社)にだって載っている。
 さらに、万一その意味がわからないとしても、"shut down for autorotation" なのだから、「オートローテーションのためにシャットダウンする」という構文なのは明らかだ。
 この文型で autorotation を shut down の目的語にして訳すなど、ちょっと気の利いた生徒なら高校生でもやらないような間違いである。
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 「まさか、スクリプト(脚本)を見ないで聞き取りで訳しているとか、意味は何でもいいから雰囲気だけわかればいいとか、そんなことはないだろうなあ」と思って検索すると、まさに ER の翻訳者本人が、いかに苦労して訳しているかという講演をしている記録が見つかった。

 それによると、もちろんスクリプトを手に入れて、数多い制約の中、いかに努力して完璧な翻訳を心がけているかという話が、これでもかというほど述べられていた。特に、医学用語や表現に関しては医学監修者と綿密に打ち合わせて正しくかつ自然な日本語になるよう努力していたそうだ。

 もちろん autorotation は医学用語ではないが、それにしてもあまりにお粗末だし、この間違え方はいわゆるケアレスミスではない。
 字幕や吹き替えの制約も言い訳にならない。

 「オートローテーションを中止する!」と訳せるなら、
 「オートローテーションを開始する!」と正しく意訳できるはずだ。

 もし意味がわからないなら、いっそのこと「不時着する!」とでも訳せば、通常の字幕としてはぎりぎりセーフではないだろうか。
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 このような、「どうしてこんな・・・」と思うレベルの誤訳が、字幕にはしばしばある。冒頭に「書き出すとキリがないし面倒くさい」と書いた所以だ。

 ネットを見ると、字幕の大御所をはじめ、プロの翻訳家のお粗末な誤訳の例がこれでもかというほど指摘されている。
 (大御所を除けば)多くの場合、「忙しすぎて、時間がなくて、やっつけ仕事をしてしまいました」みたいなことなのかもしれないが、「それにしてもひどい」というのがネット世論のようで、私もそれに同調せざるを得ない。
 いったい、どんな人たちが翻訳しているのか、また、それほどの誤訳を積み上げても一線で活躍し続けられる理由は何なのだろうかと考え込んでしまう。
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 映画やドラマの誤訳の話はこれまでほとんど書かなかったし、この件もここに書くつもりはなかった。
 書く気になったのは、次の回の ER の放送で、またとんでもない誤訳を見つけてしまったからである。まあしかし、これはケアレスミスなのだが、

A:レガスピー先生よ
B:写真家の?
A:ええ
B:必要ないわ(※筆者注:←の訳は記憶による)

 見ていて???が頭の中で点滅した。レガスピーが写真家だとかいう話があったっけ? どうして "Psychiatrist?"(「精神科医?」) を「写真家の?」って訳すんだろう?

 (皆さんはすぐわかりましたか? 私は10秒近く???が続きました。その後やっと、「せいしんか」を「しゃしんか」と間違えていることに気づきました。)

 まあ、上にも書いたとおり、これはケアレスミスである。
 ただ、字幕を入力した人の単純ミスかと思ったら違っていた。何と、吹き替えに切り替えて聞いても、声優がばっちり「しゃしんかの?」と発音していたのだ。どうしてこの場面で唐突に「写真家」が出てくるのか? 誰かどこかで気づかなかったのだろうか・・・

 この「連続技」があって、前から溜まっていたフラストレーションをここで一度は晴らしておきたい気分になってしまった・・・
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 翻訳のご苦労は大きいと思う。でも、視聴者はそれを頼りに見ているのだ。もとの言語がわからなければ(ある程度わかる場合ですら)、翻訳した日本語がその映画やドラマ「そのもの」になってしまう。
 その日本語が、まったくの素人から「これでもか」というほど間違いを指摘されるようなものであっては困るのである。私たちは脚本すら見られないのだ。

 「人間のすることだからミスはある」という程度なら、ネットの誤訳騒ぎはあれほど盛り上がらない。

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2017.09.13

■「NYPDよっ!」

 アメリカのドラマの宣伝を見ていると、被疑者のところに突入する刑事が

「NYPDよっ!」

と叫ぶ場面が放映される。

 "NYPD" は "New York city Police Department"(ニューヨーク市警察)の頭文字で、「エヌ・ワイ・ピー・ディー」と発音する。
 吹き替えでなければ、英語の音声はもちろん、"NYPD !" だけだ。

 前から気になっていて、いつかここに書こうと思っていたら、いつも見ている別のドラマでは、その "NYPD !" に、

「NY警察よっ!」という字幕が出た。

 おわかりの通り、いずれの場合も叫んでいるのは女性刑事である。

 しかし考えてみてほしい。「NYPDよっ!」とか「NY警察よっ!」などと言う刑事が存在するだろうか。

 日本語だとふつうは名詞に何かつけないと言い切りにならないので、「警察だ」とか「警察です」と名乗ることになる。被疑者のところに踏み込んだ警察が、「警察!」というのは確かに変だろう(逆に被疑者の側が「(あっ)警察!」などというのはありそうだが)。

 なので通常、"NYPD !" は、「NYPDだっ!」とか「警察だっ!」などと訳される。

 ところが、発話主体が女性だと、実際には言うはずのない「NYPDよっ!」「NY警察よっ!」になるわけだ。
 確かに、そもそもそういう場面で女性が話す適切な形が日本語には存在しない。「主人」や「家内」に代わる適切な語がないのと根は同じだ。

 日本にだって女性刑事はいるのだが、彼女らは同じ場面で何と言ってるんだろう? まさか「警察よっ!」とは言うまい。
 荒っぽく踏み込む場面なんてそうそうないだろうから、実際には「警察です」と言っているんだろうか。
 あるいは、すでに「警察だっ!」を使っていて、それが今後日本語のスタンダードになっていくのかもしれない。
 (後記:そういえば、日本の刑事ドラマでは何と言わせているんだろう。さすがに昨今のドラマだと女刑事もいると思うのだが)
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 (多く)現実とは違う言葉遣いでその発話者がどんな人かを示す言語表現を「役割語」というのだが、いくら何でも女性刑事に「NYPDよっ!」などと言わせるのはやめてほしい。
 小説ならともかく、映像で女性とわかる人物が女性の声で発話しているのだ。わざわざ役割語を使って「この人は女性ですよ」とわからせる必要はない。

 ・・・と思ったのだが、では何と言わせるのか(あるいは字幕をつけるのか)というとハタと困ってしまうのもわかる。さっき書いたように、適切な形が日本語には存在しないのであった。

 でも、ここは過去を取るか未来を取るかだ。

 思い切って「NYPDだっ!」と訳さないと、いつまでたっても未来は来ない。

I skate to where the puck is going to be, not where it has been...(Wayne Gretzky)

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2017.08.06

★世界侵略のススメ

 マイケル・ムーア監督。

 アメリカ「以外」の国々(といっても、ヨーロッパとチュニジア)がいかに素晴らしい面を持っているかを笑いと皮肉たっぷりに紹介するドキュメンタリー。

 例の調子だが、やはり傑作である。日本ももちろん、教えられることが多い。

 紹介される素晴らしさの多くは、アメリカも拠って立つ価値観から導き出されている。しかも、そのうちいくつかはアメリカ発だったりする。

 なのにどうして、アメリカの現実はこうなってしまったのか。
 簡単に指摘するのは憚られるが、それほど難しいことではないような気もする。

(Where to Invade Next, 2015 U.S.A.)

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2017.08.03

★ハドソン川の奇跡

 トム・ハンクス主演、クリント・イーストウッド監督。

 実に久しぶりにほとんど手放しで賞賛できる映画を見ました。

 ぜひ皆さまも予備知識なしでご覧ください。
 とは言っても、ご承知の通り、誰も死にませんし。

 不時着水の時のCGを除けば、ほとんど文句のつけようがありません。それだけに、そのひどさが際立ちますけど。
 もっともっと実際の着水に近く作れたはずなのに、わざとああいうふうに作って大失敗していると思います。

 まあでも、そんなことはともかく、ぜひ。

(Sully, 2016 U.S.A.)

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2017.06.20

◆最高の花婿

 引き続き、映画の紹介。

 パリから南西に百数十キロ、お城で有名なロワール川流域に住む保守的なフランス人夫妻。自身も、ちょっとしたお城を思わせる邸宅に住んでいる。

 4人の娘がいるのだが、パリに行かせたばかりに、上の3人が次々と、アラブ人・ユダヤ人・中国人と結婚してしまう(そこまでは冒頭の5分ほどで描かれているので、別にネタバレではありません)。

 当然のように、宗教や文化や習慣の違いに戸惑い、疲れ、怒っている。
 特に父親の嘆きは深い。

 頼みの綱の末娘は、果たしてどんな男と結婚するのか・・・

 まあ予想通りの展開なのだが、わざとらしいまでのドタバタ系コメディが非常に面白かった。

 アメリカなんかでは、危なすぎて現代劇としては作れないのではないかと思うような話を、建前と本音を織り交ぜながら笑いに変えてしまう。

 計算された名作だ。フランスで年間興行収入が1位になったというのも頷ける。
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 全体として面白かったのとは別に、興味深い点が2つあった。

 一つは、なんだかんだ言っても、娘の結婚相手4人の全員が流暢なフランス語を話すことだ。というより、おそらく全員がフランス語のネイティブである。

 この点が、日本におけるいわゆる「国際結婚」とは大きく異なる。

 もちろん日本でも、在日コリアンとの結婚などでは同じことだが、それ以外の国際結婚だと、そもそも子どもの配偶者と言葉が通じるのかがまず問題になることが多い。
 甚だしき場合は、夫婦間ですらあまり言葉が通じないというケースも珍しくはない。

 言葉の壁がないという時点で、しかも、そのことがほとんど意識されていないという点で(一度だけ発音の問題が取り上げられていたようだけれど)、日本で考える国際結婚とはかなり趣を異にするのだが、「移民社会」という切り取り方なので、それで当たり前なのかとも思う。
 それでも、言語に対する問題意識が描かれていないのは、やはり(ある種の)フランスらしいという気がした。

 もう一つは、主人公(のひとり?)である父親が、保守的なド・ゴール主義者だと自ら言明しながら、「人種差別主義者(raciste ラシスト)」だと思われるのを非常に嫌がっていることである。
 人からどう思われるか以前に、自分が raciste であることをどうしても認めたくない( ≒ 自分は raciste であるべきではない ≒ raciste ではない)という心性が厳然と存在するのだ。

 同様に、自分はファシストでもないと(これはフランス人として当然)考えているのだが、この種の建前を大事にすることは悪くないと思う。
 差別感情や偏見が現にあるとすれば、それは間違っているという理想や建前からその解消が始まることも多いと思われるからである。

 建前すら捨てた人間はもはや、テロリストまであと一歩だ。ヘイトスピーチやヘイトクライムを公然と行うような者は、テロリスト同様、断じて許してはならない。
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 ただ、共産主義者(communiste コミュニスト)と呼ばれることも同様に嫌っているように見えたのはちょっと気になった(まあ現実としてそうであることはわかるのだが)。

 これは、末娘の結婚相手の父親が、「アラブ人・ユダヤ人・中国人との結婚を許すような奴は、コミュニストに違いない」と憎悪丸出しで考えているのと表裏一体をなしている(「博愛主義者だから素晴らしい」とは決して思わない)。

 現実の共産主義政府に碌なのはないし(ベトナムやキューバはどう評価すべきなんだろう?)、個人的には、これからも共産主義政権が素晴らしい国家を作るとは思えないのだが、それでも、レイシズムやファシズムと並べられたのでは、コミュニズムが可哀相だ。

 前二者と違い、コミュニズムは少なくとも、根本的な思想としては全人類の幸福を願っているはずである。たとえ現実がまったく違っていたとしても、それとこれとはまた別の話だ。

 (Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu ?, 2014 France)

 (原題はたぶん「(こんなに次々と災難が降りかかってくるなんて)いったい私たちが何をしたと言うんですか、神様?」という感じだと思います。違っていたらすみません。)

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2017.06.19

◆ヘイトフル・エイト

 久しぶりに映画の紹介。

 エンニオ・モリコーネが音楽を担当する、クエンティン・タランティーノらしい凄惨な映画。サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセルほか。

 ミステリー仕立ての西部劇になっている。あ、西部劇仕立てのミステリーと言うべきか。
 いやむしろ、バイオレンスが中心で、あとはそのための道具立てにすぎないのかもしれない。

 (以下は完全なネタバレなので、これからご覧になる方はお読みにならないことをお勧め致します。)

続きを読む "◆ヘイトフル・エイト"

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2017.04.13

★「母になる」または 間違った敬語

 なぜか勝手に録画されていたのでとりあえず再生してみたら、沢尻エリカの名前を見てちょっと見る気になった。
 藤木直人も好きな俳優だし、話も悪くないと思う。

 ただ、警察官が「ご確認してください」、産科医が「ご安心してください」と発言する台詞にはげんなりした。
 言うまでもなく、正しくは「ご確認ください」「ご安心ください」である。

 脚本家が敬語の使い方を知らないとしても、だれか気づいて止めなかったのだろうか。

 台本や原稿などをもとに、こうも堂々と明らかな間違いを放送されると、ますますこういう言い方が定着してしまうのではないかと危惧する。

 いや、言葉は移りゆくものだとわかってはいるつもりなのだが、それにしても。
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 後記:調べたら、脚本家は水橋文美江という、私と同年代のベテラン(かつ一流?)の人らしい。それでもあんな台詞を書くのだろうか。まさかそのほうがリアルだから?
 いずれにせよ、もう一度言いたい。だれか気づいて止めなかったのだろうか。

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2017.03.25

●配偶者の呼称(その3)

 配偶者の呼称 配偶者の呼称(その2)の続き。

 以前書いた内容を含むが、標題をつけて改めて。

 2017年新春ドラマで、先日終了した「カルテット」(脚本:坂元裕二)では、年上の女性(松たか子)の配偶者のことを、年下の連中(満島ひかり・松田龍平・高橋一生)が「夫さん」と呼んでいた。

 からあげにレモンをかけるかどうか、かけるならどういう作法で、などについて侃々諤々の議論をする登場人物たちが、この呼称についてはだれもひと言の違和感も表明せず、ごくふつうに使っていた。

 こういうのをきっかけに、この奇妙な日本語も定着するのかもしれない。

 でもまだ「妻さん」は聞いたことがない。

 「ご主人」や「旦那さん」は使いにくいが「奥さん(奥様)」はまだ使えるからだろうか。

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2017.03.23

●レヴェナント:蘇えりし者

 単純なストーリーではあるものの、その壮絶さ・凄絶さは見ている者を引き込むのに十分だ。

 サイドストーリーとしてのネイティブ・アメリカンの描き方も、21世紀らしい視点から彩りと深みを添えている。

 「残酷さ」に耐えられる人はぜひ。
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 以下、どうでもいいようなことで恐縮だが、欠点という意味でもっとも気になったことを記す。

 レンズに水滴や血がついているのが写ったり、果てはディカプリオの息で曇ったりしたのには興ざめした。(モデルが存在するとはいえ)ノンフィクションやドキュメンタリーではないのに、こういうのはどうなんだろう。
 ヒグマとの格闘シーンなんかのことを考えれば、CGなりなんなりで処理することはそう難しくないと思うのだが。

 アカデミー賞の撮影賞も取っているんだけれど、そういう「細工」が少ないことが逆に評価されたりしたのだろうか。

(The Revenant, 2015 U.S.A.)

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2017.01.24

■ドローン・オブ・ウォー

 まだ途中までしか見ていないのにこういうことを言うのもなんだが、現代に生きるだれもが見るべき映画である。

 これが未来のことではなく、むしろ過去のことだというのがまた・・・

 しかも、あのオバマ政権下ですら、こんな戦争が行われていたのだ。
(物語の細部はもちろん創作だろうが、ドローンを利用したこの種の作戦が日常的に行われていた(る)のは周知の事実である)。

 未来はいったいどうなるんだろう?

(Good Kill, 2014 U.S.A.)

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