2017.01.24

■ドローン・オブ・ウォー

 まだ途中までしか見ていないのにこういうことを言うのもなんだが、現代に生きるだれもが見るべき映画である。

 これが未来のことではなく、むしろ過去のことだというのがまた・・・

 しかも、あのオバマ政権下ですら、こんな戦争が行われていたのだ。
(物語の細部はもちろん創作だろうが、ドローンを利用したこの種の作戦が日常的に行われていた(る)のは周知の事実である)。

 未来はいったいどうなるんだろう?

(Good Kill, 2014 U.S.A.)

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2017.01.18

■カルテット

 今クールのドラマで、2回目(以降?)を見たいのが出てきた。

 「カルテット」
 (出演:松たか子・満島ひかり・松田龍平・高橋一生 脚本:坂元裕二)。

 前クールは「逃げるは恥だが役に立つ」。2クール連続で見たいドラマがあるのは滅多にないことで、ちょっとうれしい。
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 ドラマの中で、年上の女性(松たか子)の配偶者のことを、年下の連中(あとの3人)が「夫さん」と呼んでいた。
 こういうのをきっかけに、この奇妙な日本語も定着するのかもしれない。

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2016.11.19

●顔のないヒトラーたち

 アウシュビッツを訪れたときのことは、以前ここに書いた

 今や、知らぬ者のいないその場所も、フランクフルト・アウシュビッツ裁判(1963-65)がなければ、今とはまったく違った様相を呈していたかもしれない。

 1950年代初頭には独仏英語に訳されていた『アンネの日記』も、ドイツや世界におけるアウシュビッツの認知にはまだ効果を発揮していなかったのだろうか。

 大袈裟ではなく、まさに全人類が見るべき映画だと思う。

 困難な捜査を遂行し、自国の罪を裁き、それを映画にする・・・ それらすべてがドイツ人自身の手によってなされたことは、救いようのないできごとにも、微かな希望の光を与えてくれる。

(Im Labyrinth des Schweigens(沈黙の迷宮の中で), 2014 Deutschland)

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2016.08.17

★The Walk

 いやあ・・・ こんなすごい人(Philippe Petit(フィリップ・プティ))が存在した(といってもまだ存命中らしい)なんて、まったく知らなかった。

 必見の映画。

 見終わってから、ロバート・ゼメキスの作品だと知った。それもやっぱりすごい。

(The Walk, 2015 U.S.A.)

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2016.02.18

◆びっくりの「スナイパー」

 たぶん、みなさんは「スナイパー」の意味をご存知でしょう。

 そう、「狙撃手・狙撃兵」(わお、『広辞苑』の第四版には載っていない。第六版には載っていた)ですね。

 最近では、『アメリカン・スナイパー』(2014 U.S.A.)という実話をもとにした名作映画もありました。

 でも、Sniper の語源をご存知でしょうか。

 英語の辞書を引けばすぐわかるのですが、私たちはふつう、意味がわかる(と思っている)言葉を辞書で引く習慣はありません。

 これは日本語でも同じで、わかりきった言葉を引くと、びっくりするような発見があったりします。
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 今日たまたま、タシギ(鳥です)の英語名を知ってびっくりしました。
 シンプルに Snipe。

 タマシギは Greater Painted Snipe、チュウシャクシギは Swinhoe's Snipe(Swinhoeは人名です)。

 そう、スナイパーとは、「シギを撃つ人」だったのです。

 いかがでしょう? ご存知でしたか。

 私は知らなかったので、かなり驚くとともに、発見の喜びに震えました・・・というのはウソですが、へぇ、いやあ、そうだったのか、というのは、かなり心地のいい感覚ですね。

 でも、どうしてシギなんだろう?

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2015.12.25

★才能(ふたたび

 新しいテレビがコンピュータそのものであることは以前書いた

 すぐに自宅の無線ネットワークに繋がり、昔で言うところのビデオ・オン・デマンド(今はなんて言うんだろう・・・ストリーミング配信?)で映画なんかが見られる。

 Netflix, Hulu, U-NEXT, dTV などさまざまある(どうしてぜんぶ横文字なんだろう)。

 もちろん有料(といっても、500円〜2000円/月 程度)なのだが、1か月無料というのが多いので、半年くらいは無料で楽しめそうだ。

 ただ、無料だからといってどんどん映画が見られるわけではない。
 ブルーレイやDVD化されている映画でも、新しいものはほとんどないし(自分の見たいような古い映画はほぼ見尽くしている)、期待していたテレビシリーズ(複数)もなかった。以前パソコンで見ていたものまでなくなっているのは意外だった。

 それに、見るのには時間も必要だ。時間だけではなく、肉体的・精神的な余裕も。

 というわけで、それほど多くの映画を見たわけではないのだが、それでも2度目3度目のを含め、この1か月弱で10本近く見たかもしれない。
 貧乏性なのだ。


 ふぅ、やっと標題。

 昨日、「ワールド・オブ・ライズ」(レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ)を見た。初めてだ。
 なぜ今まで存在に気づかなかったんだろう。

 貸しビデオが普及しだしてから、相当な数の映画を見ているはずだが、制作者や監督や脚本家やカメラマンなどの名前をいっこうに覚えない。覚えない以前に、知ろうともしない。
 俳優ですら、顔はわかっても名前さえ知らない人だらけだ。

 批評家的興味がほとんどなく、要するに面白いかどうかという次元の低い鑑賞の仕方をしているせいだと思う。

 そんな私でも、「ワールド・オブ・ライズ」を見終わって、「これはよかった」とちょっと感動しているところへ流れはじめたエンドクレジットの名前はよく知っていた。

 監督:リドリー・スコット

 「エイリアン」「ブレードランナー」「グラディエーター」「ハンニバル」「ブラックホーク・ダウン」の、あのリドリー・スコットである(調べました)。

 もう亡くなってしまったが、弟は

 「トップ・ガン」「クリムゾン・タイド」「エネミー・オブ・アメリカ」「スパイ・ゲーム」の、あのトニー・スコットだ(同上)。

 「ああ、やっぱり、なるほど、リドリー・スコット・・・」

 才能のない男は、才能ある男の名前を画面に見て、軽くため息をつくだけであった。

(Body of Lies, 2008 U.S.A.)


 追記:

 この際、リドリー・スコット作品で見逃しているものを冬休み中にすべて見ようと思って Netflix で検索すると、彼の作品は上記の「ワールド・オブ・ライズ」だけであった。これでは契約を見送らざるをえない。

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2015.12.22

★シークレットロード

 これが遺作になってしまったこと自体はかえすがえすも残念だけれど、遺作たるにふさわしい、ロビン・ウィリアムズの傑作。
 「名演技」というのはこういうのをいうのだろう。

 原題は Boulevard(大通り)。

 12歳の夏からずっと人生の boulevard を歩けなかった主人公が、あるときふと、大通りで車をUターンさせたことから、本来の自分に戻る新しい道をたどり始め・・・
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 人の書いた感想を探したが、奥さんのことを理解しているものが見つからなかった。奥さんのほうは最後まで自分の生き方を貫くことが暗示されていたけれど、はたしてそれでいいのだろうか?

(Boulevard, 2014 U.S.A.)

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2015.11.27

●何か買うと未来(10年ひと昔 改題)

 新しいテレビを買った。

 今ブログで調べてみると、ちょうど10年で買い換えたことになるようだ。うちとしては例外的に短い寿命だった。

 せっかくテレビが搬入されたというのに、朝から夜中まで缶詰の仕事でほとんど見られなかった。
 今日あらためて見ると、10年の進歩に驚く。価格は半分、性能は数倍?

 テレビ自体がコンピュータそのものだし、画面の美しさはたとえようもない(4Kでもない一番安い生産完了・販売終了のモデルだけど)。
 カラーももちろん鮮やかだが、黒がくっきりと黒なのにも驚く。

 何だかよくわからないまま、テレビの中にあるコンテンツを再生すると、信じられないほどの解像度で華麗な写真が表示される。
 Mac みたいな Retina Display とかではなく、単なるフルハイビジョンなのだが、どうしてこれほどの表示性能があるのだろう?

 動物やら鳥やらが次々と映し出される。それを見た家人が「実物を目で見るよりはるかに綺麗やん。なんで?」と聞く。
 一言でいうと、望遠鏡や双眼鏡を覗いているのと同じだからである。実際より拡大されているし、私たちの視力では合わないピントもばっちり合っている。

 うーん、しかしまあ、これほど違うとは思わなかった。もう2年か3年早く買っておけば、その分早く幸せになれたのにと思う。

 放送されている番組は、さすがにデモ映像?ほど美しくは映らない。
 それでも、いつも見ているアメリカのテレビシリーズを再生すると、あまりに明るくて綺麗すぎ、作品の持つ重さや暗さまでが減殺されてしまうように感じるほどだった。

 作り手はどちらの画面で見てほしいんだろう?

 まだブルーレイを再生していない。
 これまでブルーレイもDVDもそれほど画質が違うとは思えなかったのだが、その蒙も啓かれるにちがいない。
 
 
 まあすぐに慣れて飽きるんだけど・・・ ^^;

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2015.10.14

◆Boyhood(少年時代)

 久しぶりに映画の話。

 といっても、芸術は饒舌を嫌うと思うので(と言い訳をして)、どうでもいい話を少し(ネタバレ注意)。

 ある現代アメリカ的「家族」の12年間を描いているのだが、見ていて、子役本人がどんどん大きくなっているとしか思えなかった。

 たとえば、題名から主人公と知れる、映画の最初で6歳の設定だった少年本人が、そのまま大きくなっていく。
 最初、「Boyhood っていう題名なのに、どうして6歳?」とか言っていたのだが、長い映画の間に8歳10歳12歳15歳・・・と成長していき、18歳で大学に入学して寮に入り、ルームメイトやそのガールフレンドなんかとハイキングに行ったところで終わる。

 その間、6歳だった子役その人が、どんどん大きくなっているとしか思えないのだ。

 その子には姉もいて、そちらも同様である。
 父親であるイーサン・ホークも母親役の女優も、12年分年を取っていく。

 まあ、大人の方は「若作り」とか「老けメイク」なんかもあろうが、どう頑張ったって、6歳の子どもにティーンエイジャーは演じられない。

 似た子役を探してくる? まさかのCG?

 いや、これは実際、12年間をかけて撮影された映画なのだという。

 うわあ・・・

 それを知っていたら、「まさかまさか」といらぬことばかり考えながら見ずにすんだのに。

 12年間かけて撮影する価値のあった映画かと言えば、あったと思う。

 フィクションや芸術を信じないわけではないが、12年の実時間を費やさなければ生み出せない、何か重いリアルなものが、この映画では描きだされていた。

(邦題:6才のボクが、大人になるまで。2014 U.S.A.)

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2015.08.20

★時代の空気

 新日本海フェリーはなかなか素晴らしく、不満はほとんどない。一番安いチケットを買ったのだが、そのベッドさえ十分快適で、今夜(から?)の車中泊と比べれば天国である。

 ただし、運航時刻の設定には疑問がある。
 京都の舞鶴を真夜中の0時30分に出て、北海道の小樽には夜の8時45分に着く。夜中の1時までは放送で寝かせてくれないし、小樽に着いたらすぐどこかに泊まるしかない。

 小樽に朝着くとか昼着くとか、何とでも組めそうなものなのだが、どうしてこういう設定になってるんだろう。せめて、舞鶴発を22時とかにすれば健全に寝ることもできるし、小樽着だって夕方6時過ぎになる。そうすれば現地でおいしいお寿司を食べることもできるだろう。
 あっ、船内で夕食を食べさせるのが目的なのかな・・・

 それはともかく、小樽に着くと、すぐ寝る場所を探さねばならない。寝るためだけにホテルを取るのももったいないので、どこか道の駅で車中泊をしようと考えると、一番近いのは余市町の「スペース・アップルよいち」であった。
 なぜ余市が「スペース」なのかわからなかったが、宇宙飛行士の毛利衛さんの生まれ故郷らしい。「余市宇宙記念館」なんかもあるようだ。

 ・・・と思って地図を見ていると、道の駅のすぐ隣がニッカウヰスキーの余市蒸溜所である。

 北海道に行くと決めたのも偶然だし、そもそも余市に行く予定などなかった。だいたい、その場所すら知らず、なんとなく釧路や帯広のあたりだと思っていた。
 でも、成り行きとはいえこうなった以上、やっぱり蒸溜所は見学するだろう。
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 今年の3月下旬、家人が広島県の鞆の浦へ行きたいというので2人で行った。その際、近くの竹原に古い街並みが残っているというので訪ねると、そこはニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝の故郷で、生家だという酒蔵があったりした。
 折りからの「マッサン」ブームで対応できなくなったため、酒蔵の見学は中断しているというような盛況である。「マッサン」を一度も見たことがないわれわれも興味をそそられ、彼や、その妻リタの生涯をたどる資料なんかをそれなりに熱心に見た。

 5か月後に今度は余市である。
 もともと酒はまったく飲めないし、ウイスキーにもほとんど興味はない。今だに「マッサン」は一話も見たことがない。ただ、プロモーションなどで部分的には目にしたことがあるので、リタ役の女優さんが綺麗なのが気になる程度だ。
 それでも、余市蒸溜所の横で車中泊するのなら、北海道観光のスタートは当然そこにならざるを得ない。

 ニッカウヰスキーとその創業者夫妻がこれほど脚光を浴びた年に、何の興味もなかった者が遠く離れたゆかりの地を2つとも訪れる。
 偶然とはいえそういうことが起こるのが、時代の空気に影響されたということなんだろうと思う。

 導かれた・・・といえば聞こえはいいが、実際は、流されているというところだ。
 そう考えると、「主体的」なはずの自身の行動の多くが、実は他から規定されていることに改めて気づかされる。
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 下船が始まった。

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