2017.03.29

●多忙な人と暇な人と

 中堅旅行会社「てるみくらぶ」が破産して、世間を騒がせている。

 てるみくらぶは、確か以前、グアムだかサイパンだかにダイビングに行ったときに使ったので、まったく他人ごとというわけではない。
 庶民にとっては、やっぱり安さは正義なのだ。

 さて、今回の破産に関して、面白いニュースをネットで知った。
 いや、面白いというと被害にあったご当人には申し訳ないのだが、何とも興味深いので取り上げさせていただく。

 その男性は、「キューバなど5回分の旅行代金、トータル174万円」をてるみくらぶに払い込み済みだというのだ。

 この話を家人にすると「どうしてそんなに先の旅行の分まで予約してるの?」と心底不思議そうである。

 そうなのだ。
 われわれが旅行に行く場合、次の旅行のためには予約してお金を払っても、その次の旅行を計画するのは、最初の旅行から帰ってきてからというのが通例だ。
 帰ってきてからも、しばらくは次の旅行のことなど具体的には考えないだろう。

 だが確かに、次々と旅行に出かける人がもしいるとすると(たとえば帰ってきてまた2週間とか1か月後に出発なら)、帰ってきてから予約して・・・というよりは、最初の旅行の出発前に予約しておくのがむしろふつうかもしれない。

 私自身はたぶん、同時に2つ以上の旅行予約を抱えているという状態は過去になかったのではないかと思う。
 もしかすると仕事関係で1〜2度くらいはあったかもしれないが、とりあえず記憶にない。

 しかし、忙しいビジネスマンなら、出張の予定が5回ぐらい入っていたとしても、別に不思議ではないだろう。

 件の男性は、そんなに忙しい人なのだろうか。

 もちろん逆なのである。

 おそらくは年金生活者(しかも資産家?)で、暇すぎるから5回もの旅行の計画を立て、予約してしまっているのだ(現金一括で払い込むと1%引きとかいうキャンペーンに踊らされてしまったのかもしれない)。

 そうすると、多忙な人と暇な人とが、どちらも複数の旅行予約を同時に抱える可能性が高いということになって面白い。

 あ、要するに、仕事で忙しいか遊ぶのに忙しいかということで、いずれにしても忙しいのか・・・

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2017.03.25

●配偶者の呼称(その3)

 配偶者の呼称 配偶者の呼称(その2)の続き。

 以前書いた内容を含むが、標題をつけて改めて。

 2017年新春ドラマで、先日終了した「カルテット」(脚本:坂元裕二)では、年上の女性(松たか子)の配偶者のことを、年下の連中(満島ひかり・松田龍平・高橋一生)が「夫さん」と呼んでいた。

 からあげにレモンをかけるかどうか、かけるならどういう作法で、などについて侃々諤々の議論をする登場人物たちが、この呼称についてはだれもひと言の違和感も表明せず、ごくふつうに使っていた。

 こういうのをきっかけに、この奇妙な日本語も定着するのかもしれない。

 でもまだ「妻さん」は聞いたことがない。

 「ご主人」や「旦那さん」は使いにくいが「奥さん(奥様)」はまだ使えるからだろうか。

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2017.03.23

●レヴェナント:蘇えりし者

 単純なストーリーではあるものの、その壮絶さ・凄絶さは見ている者を引き込むのに十分だ。

 サイドストーリーとしてのネイティブ・アメリカンの描き方も、21世紀らしい視点から彩りと深みを添えている。

 「残酷さ」に耐えられる人はぜひ。
 ___

 以下、どうでもいいようなことで恐縮だが、欠点という意味でもっとも気になったことを記す。

 レンズに水滴や血がついているのが写ったり、果てはディカプリオの息で曇ったりしたのには興ざめした。(モデルが存在するとはいえ)ノンフィクションやドキュメンタリーではないのに、こういうのはどうなんだろう。
 ヒグマとの格闘シーンなんかのことを考えれば、CGなりなんなりで処理することはそう難しくないと思うのだが。

 アカデミー賞の撮影賞も取っているんだけれど、そういう「細工」が少ないことが逆に評価されたりしたのだろうか。

(The Revenant, 2015 U.S.A.)

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2017.03.15

●令状なしのGPS捜査は違法:最高裁が初判断

 標題の通り、

捜査対象者の車などに全地球測位システム(GPS)端末を付けて居場所を把握する捜査の違法性が争われた刑事裁判の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は15日、GPS捜査は強制捜査に当たり、裁判所の令状を取得せずに行った警察の捜査は刑事訴訟法に違反するとの初判断を示した。(mainichi.jp)

 あまりにも当たり前すぎるのだが、そうではないと言い張って違法な捜査を続けてきた警察はどうなるのか。
 まったく誰も責任を取らず、誰も処分されないんだろうなあ・・・

 「判決は裁判官15人の全員一致」(nikkei.com)である。それくらい当然のことなのだ。

 にもかかわらず、過去、大阪地裁・広島地裁福山支部・福井地裁・広島高裁が、令状なしのGPS捜査を適法とする判決を出している(mainichi.jp)。
 この愚かな裁判官たちは、最高裁判事15人全員!が違法とするような判決をなぜ自分が下したのか、胸に手を当てて考えてみてほしい。

 ばかばかしい主張を繰り広げてきた警察や検察、それにありえない判決を出した裁判官たちはひどいけれど、この国の司法システムが機能したことにはほっとしている。

(「どんな判断を下すんだろう?」とか、懐疑的に考えていてすみませんでした>最高裁判事のみなさま。)
 ___

 後記:

 一夜明けて新聞を読むと、最高裁判所は、私なんかが考えているよりよほど厳格な運用を想定していることがわかった。

 正直、「ほんとうに」悪い奴ならどんどん捕まえてほしいので、そのためにはGPS捜査を(もちろん令状を取って)ひろく活用していってもらいたいとすら、私は考えていたのだ。

 だが、最高裁の判決では「仮に、強制捜査として許容するならば、裁判所が出す令状にさまざまな条件をつける必要が生じる」と判示し、3人の裁判官は補足意見で「ごく限られた、極めて重大な犯罪捜査のための、高度な必要性が要求される。その場合でも、令状請求と発布には、極めて慎重な判断が求められる」とまで述べている。(引用はいずれも朝日新聞)

 実際には、令状すら取らずに窃盗犯の交際相手(被疑者ですらない)にまでGPSを取り付けていたのが警察だ。

 この懸隔・・・

 それにあきれはするものの、最高裁判事の補足意見を一方の極とし、これまでの警察による実際の運用をもう一方の極とするならば、私はむしろ、真ん中よりは少しだけ警察側に近い感覚を持っているような気さえする。

 いつの間にか世間?に慣らされて、人権感覚が鈍磨してきているのかもしれない。監視カメラやNシステムへの疑問もどんどんなくなってきている。
 もう一度原理原則に立ち返りつつ、現実も見据えて考えて行きたい。

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2017.02.20

◆愚かで危険な言葉遊び

 学習指導要領の改訂案が発表された(2月14日)。

小5の社会では、竹島、北方領土、尖閣諸島が「我が国の固有の領土であることに触れること」と初めて明記。中学地理では竹島と尖閣諸島が日本固有の領土であり、尖閣については「領土問題は存在しないことも扱う」とした。(asahi.com)

 どこがどこの領土かや、小中学生にそれを教え込むことの是非はこの際措く。

 一番問題だと思うのは、中学地理で尖閣諸島について「領土問題は存在しないことも扱う」という点である。

 どうして、たとえば北海道や本州や四国や九州について「領土問題は存在しないこと」を「扱」わないのだろうか。
 それはもちろん、実際に(国家間の)領土問題が存在しないからである。

 ではなぜことさら、領土問題が存在しないはずの尖閣諸島について、中学生に「領土問題は存在しない」と教えなければならないのか。
 それはもちろん、実際には領土問題が存在するからである。

 だからこそ、アメリカのマティス国防長官やトランプ大統領に「米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条が沖縄県の尖閣諸島に適用される」などとわざわざ発言させ、それを聞いて大喜びしているのだ。

 もしかすると、こういう論理的思考を養成しようという深謀遠慮でもあるのだろうか(ないよね)。

 「日本政府は「領土問題は存在しない」と主張している」と教えるのなら問題ない。だがそれでは、政権の意向を体した学習指導要領にならないので、そうはなっていないだろう。
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 間違いでも嘘でも事実に反していても、言葉遊びのように言い換えれば誤魔化せるとでも考えているかのような病が蔓延している。
 最近では

「(南スーダンに派遣されている自衛隊の業務日誌には)一般的用語として “戦闘” という言葉が使われているが、法的な意味の戦闘行為ではない」(稲田朋美防衛大臣)
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」(同)

 というような国会答弁が有名だが、日本の行政組織や立法組織はこれまでもずっとそうだった(司法すらそうだと聞く)。

 他の国でどうだったのかは知らないが、近ごろは、post truth とか alternative truth とかいう言葉が世界を席巻している。

 まさか、「優秀な」政治家や官僚を育てるために、小中学校から愚かで危険な言葉遊び(≒詭弁)を教え込もうとしているのではあるまい。

 中学生ともなれば、「領土問題は存在しない」と教えられることの馬鹿らしさに気づく生徒も少なくはないだろう。そんな聡明な生徒たちが、そういう頭の悪い言葉の使い方をしないように導くことこそ、教育の使命である。

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2017.02.07

◆え、そんなに?

 「鳥獣関係統計によると、狩猟や農作物の被害防止などの目的で行政の許可のもと行われる有害鳥獣捕獲などで13年度はシカ約50万頭、イノシシ約45万頭が捕獲された」という記事を朝日新聞で読んだ(引用は asahi.com から)。

 私は即座に「この記事はケタを間違えているのではないか」と思った。

 鹿と猪あわせてほとんど100万頭である。

 野生の鹿や猪を、毎年100万頭も「捕獲」できるものだろうか。いったいどこで、だれがそんなに多数の獣を捕まえているのか。

 確かに近年、シカやイノシシが増えすぎる一方、猟師が減って困っているという記事はたびたび目にするようになった。
 でも逆にいえば、その少ない猟師が年間100万頭も捕まえていることになるわけで、1人あたりいったい何頭になるんだろう?
 毎日欠かさず一頭ずつ捕まえるとしても、365頭。そんな人が2740人もいるというのだろうか(あれ? そのくらいならいそうな気もする。捕獲頭数が1/4くらいとして1万人とかなのかな)。

 それにしても、毎年そんなに殺して大丈夫なんだろうか。いや、むしろ増えすぎて困るというのはよく聞くんだけれど、100万頭というのは、日本で1年間に食肉処理されている牛の頭数とそれほど変わらないはずだ。

 記事によると、捕獲された鹿や猪の9割は廃棄されるのだという。食べられるのは1割ほどだそうだ。

 解体・流通・需要と供給など、いろいろ難しいことがあるようなのだが、生命を奪った以上はやはり食べるに如くはないだろう。
 個人的には鹿肉は好みではないが、猪とともにジビエ料理の材料として優れた素材のはずである。

 尊い命を、そして貴重な生物資源をなんとか生かす方法はないものだろうか。

 それにしても年間100万頭・・・

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2017.02.01

◆もはや正気を疑う

 アメリカの国土安全保障省のジョン・ケリー長官(同姓同名なので「えええぇぇ」となったが、前国務長官は John Kerry で、この人は John Kelly だった)が、記者会見で「ビザ発給の審査を強化し、申請者の電話の通話記録やウェブサイトの閲覧、ソーシャルメディアの使用状況を調査することを検討していることを明らかにした」という(朝日新聞夕刊トップ)。

 最初このニュースに接したのがネットのまとめサイトか何かだったため、あまりのばかばかしさに信憑性を疑い、寝床で iPhone だったこともあり、わざわざ真偽を確かめたりもしなかった。

 それがまさか、記者会見での正式な発言であったとは・・・

 そんなもの、いったいどうやって「調査」するのか。

 それとも、「ビッグ・ブラザー」はふだんから我々の通話やウェブサイトの閲覧、ソーシャルメディアの使用状況を監視していて(スノーデン事件のことを考えれば、可能性は十分ある)、それを個々人と結びつけているのだろうか(まさかそこまで)。

 入国審査にそんな「調査」を考えているとしたら、もはや正気を疑わざるを得ない。
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 いくら何でもそんなバカな・・・と思って英語のニュースを当たってみると、たとえば CNN は以下のように報じていた。

 まだ初期の検討段階だと断りながら、

Miller also noted on Saturday that Trump administration officials are discussing the possibility of asking foreign visitors to disclose all websites and social media sites they visit, and to share the contacts in their cell phones. If the foreign visitor declines to share such information, he or she could be denied entry.
 これだとかなりニュアンスが異なる(冒頭の Miller は、スティーブン・ミラー大統領補佐官(政策担当))。
 アメリカに入国しようとする者は、「閲覧するすべてのウェブサイトとソーシャルメデイアサイト」および「携帯電話に登録されている連絡先」を開示するよう求められ、それを断ると入国を拒否される可能性があるという。

 アメリカが「調査」するのではなく、私たちが「開示」を求められるのだ。
 それならまだ「理解」はできる。

 だがそれでも、「閲覧するすべてのウェブサイト」!!

 そんなものをどうやって開示すればいいのだろう。ビザの申請だとすると、大使館や領事館にパソコンを持参してブラウザの履歴を見せればいいのだろうか。いつからの履歴? ときどきクリアするんですけど。「パソコンは持ってません」では疑われるのかな。
 だいたい、ほぼすべて日本語(あるいは人によって中国語・アラビア語・フィンランド語・アムハラ語・・・)のサイトなんだけど、審査官にどんなサイトか判別できるんだろうか。

 ソーシャルメディアは「使ってません」でおしまいだ。

 スマホの連絡先もみんな日本語なんですがそれは・・・

 いずれにせよ、悪意のある者はそんなものいくらでも偽装できるし、「ほんとうに」どんなサイトを訪れていてだれと連絡を取っているのかをいちいち調べることなど不可能である。

 そして何より、令状もなしにそんなことを要求するのは、合衆国憲法に違反する(はずだ)。

 オバマ前大統領がイリノイ州選出の上院議員候補者だったときの演説に

we can say what we think, write what we think, without hearing a sudden knock on the door
というのがあった。「私たちは、自分の考えていることを言ったり書いたりできる ──突然ドアがノックされる音を聞いたりすることなしに」
 彼の言葉を借りれば、それこそがまさに、アメリカをアメリカたらしめる premise(大前提)なのだ。
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 ショックだったのは、朝刊で「入国禁止 反旗の嵐」と書いた朝日新聞が、同日の夕刊で「米入国禁止49%賛成」と報じていることである。ロイターによる50州の調査で、反対は41%だったという(インターネットによる1201人の成人に対する調査だというのだが、きちんとした統計調査なのかどうかは気になるけれど)。

 「この国民にして、この政府」(国民は自分たちのレベルに見あった政府しか持てない)という(19世紀の歴史家、トーマス・カーライル)。

 21世紀になってもその箴言が通用するとは、ほんとうに情けない。

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2017.01.31

■今いる場所で(3)

 アメリカの司法長官代理(長官は現在空席なので司法省のトップ)、サリー・イェイツ(Sally Q. Yates)氏がトランプ大統領によって解任された。

 中東・アフリカ7か国からの入国を禁止する大統領令に従わないよう、イェイツ氏が省内に通知したからである。

 合衆国憲法と法律と良心とにしたがって、大統領令を拒否したのだ。
 文字通り、職を賭して。

 「私には、常に正義を追求し、正しいことを弁護するという我々の機関に与えられた厳粛な責務を果たし続ける責任がある」(朝日新聞夕刊)
 「大統領令を弁護することがこの責務を果たせるとの確信も、大統領令が合法という確信もない」(同)

 せっかくのイェイツ氏の命令は、後任者によってさっそく取り消されてしまったけれど(nytimes.com)、彼女の行動の意義がそれによって無に帰することはない。
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 6年ほど前、「今いる場所で」という2つのエントリを書いたことがある。

 これほどの高官が「今いる場所で」できる役割を果たした意義は大きい。

 それと比べれば、私たちの多くには、ケシ粒ほどの力もない。それでも、各人が今いる場所でできる最低限のことを積み重ねることは、けっして無駄ではないと思う。

 1分でも2分でも、理不尽な権力者への異議申し立てに時間を使いたい。

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2017.01.24

■ドローン・オブ・ウォー

 まだ途中までしか見ていないのにこういうことを言うのもなんだが、現代に生きるだれもが見るべき映画である。

 これが未来のことではなく、むしろ過去のことだというのがまた・・・

 しかも、あのオバマ政権下ですら、こんな戦争が行われていたのだ。
(物語の細部はもちろん創作だろうが、ドローンを利用したこの種の作戦が日常的に行われていた(る)のは周知の事実である)。

 未来はいったいどうなるんだろう?

(Good Kill, 2014 U.S.A.)

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2017.01.08

■超人世代?

 1月6日(金)の朝日新聞(大阪本社版朝刊)トップは「高齢者「75歳から」提言」という記事であった。

 日本老年学会と日本老年医学会が「高齢者の定義について」「75歳以上とすべきだとする提言を発表した」件である。

 高齢者福祉を削りたい政治の側から働きかけでもあったのかと、かなりうさんくさい気はするものの、それはまあ憶測に過ぎないし、今の70代前半がまだまだ若いというのは実感とも合致する。

 だが、以下はいただけなかった。

 「知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当するという報告があり、根拠の一つとされた」(読点を1箇所だけ移動しています)というのだ。

 「この文の通りだとすれば」、その報告は明らかに間違っている。

 なぜなら、「10年前の60代」は現在の70代なのだから。
 この調査は、10年前と現在の同じ集団を調査していることになるはずだ。

 ランダムサンプリングなりなんなりが適切に行われ、きちんとした科学的な調査が行われていれば、こんな結果が出ることはありえない。
 もしこの結果が正しければ、10年前の60代は10年経っても知的能力が同じで、衰えていないということになるからだ。

 実際の報告がどういうものかはわからないが、こんな馬鹿げた内容をそのまま記事にしてしまう記者と校閲の愚かさにはあきれてしまう。

 この部分の直前には、「生物学的に見た年齢は10〜20年前に比べて5〜10歳は若返っていると判断した」とあるのだが、それならまだ理解できる。

 だが、「70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当する」なら、その世代は10年間まったく老化しなかった超人世代ということになってしまう。
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 私が最初の職場に就職した30年ほど前、75歳という年齢は、確かに、仕事ができなくなる境界あたりであったことを、具体例とともにまざまざと覚えている。
 しかしながら、80代半ばの父親を見ていると、まだその境界を越えていないように感じる。

 もしそうだとするならば、30年で10年ほどは「若返っている」のかもしれない。あるいは学会の言うように「10〜20年前に比べて5〜10歳」ということもありえないことではない。

 それでも、「10年で10年」はありえない。人間は不老不死ではないのだ。

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