2016.01.03

■視点の違い

 久しぶりに会った姪が、15歳、中3になっていた。

 話をしているうちにふと思いついて、もちろん冗談で「AKB48に入ったらええのに」と言ってしまった。

 無意識に期待されている答は、

  ・私なんか、可愛くないから無理や。
  ・ダンスとかできひんし。
  ・歌なんか上手にうたわれへん。

などだったと思う。

 ところが、実際には間髪を入れず、

  ファンの人らがキモいから嫌や

であった。


 新年早々、発想の違いというか文化の違いというか、視点の違いに感心させられた。

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2014.11.18

●高倉健さん逝去の報に接して

 俳優の高倉健さんの訃報に接した。

 特にファンでもないし、映画もいくつかしか見ていない。しかしながら、「国民的俳優」であることは理解している。

 この報が気になったのは、その年齢と病名とによる。
 ちょうど、義父が同じくらいの年齢で、たぶん同じころから悪性リンパ腫と闘っていた。
 ステージIV。Vは存在しないし、年も年なので、「もはやこれまで」感も漂い、医師も「年単位(で生存する可能性)はちょっと・・・」と言っていた。

 それが「寛解」(この病気に全快とか治癒とかはないらしい)し、とりあえず「治った」ということでほっとしていた矢先の、高倉健さんの訃報であった。

 この土曜日に義父の快気祝い?をしたのだが、その時にはもう、健さんは亡くなっていたということになる。

 義父の方は、タイプもステージも最悪に近いものだっただけに、おそらく最高の治療を受けたであろう健さんの方が亡くなったのは何か不思議な感じだ。
 ___

 「治った」義父も、最初に病院に行ってからまだ1年経っていない。次は、「年単位」の壁をクリアするのが当面の目標だ。
 断続的な長い入院生活と抗がん剤治療で弱った体を回復させる必要もある。

 義父の入院中に自分も入院するなど、義母だって決して健康体だとは言えない。
 実父母も同様である。

 なんとかまだ身の回りのことができることに感謝しなければならないのだろうが、それができなくなり、この世に別れを告げるのもそれほど遠いことではないだろう。

 1000年以上経っても、「避らぬ別れのなくもがな」(古今和歌集/伊勢物語)と嘆かなければならないことに変わりはない。

 まあ、それでいいのかもしれないけれど・・・

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2011.10.03

◆夢と難関

 先日、招待を受けてミュージカルを見てきた。

 ホールに出かけて舞台を見るのは2年半ぶり。前回は中島みゆきの「夜会」だった。
 これでもまだ、短いインターバルである。実に非文化的な家庭だ。

 ミュージックスクールやダンススクールで学ぶ学生たちが中心のダンスミュージカルだったのだが、場所は一流施設の大ホール、舞台装置なんかも手間暇のかかった大がかりなもので、(おそらくは)プロの興行と比べてもそれほどの遜色はない。

 だが、100人を超えようかという出演者のほとんどは残念な容姿の人たちだった。
 顔はまあ仕方ないとしても、太い体にだぶついたお腹をさらして踊っている人がいるのを見ていると、一応はプロを目指している身としてどうなのかなあと思わざるを得ない。
 小中学生のお稽古事としての歌やダンスではなく、高校や短大、大学などを卒業した人たちが入学してくる、フルタイムのスクールなのだ。

 歌やダンスに関してはこちらにまったく鑑賞眼がないので何とも言えないが、おそらくはそんなに高いレベルのものではあるまいと察せられた。

 そんな中、集団ダンスの時に、容姿の点からも動きの面からもちょっとだけ目を引く女性が2人いるなあと思っていたら、やはりというか、その2人が後のミュージカルの主役なのであった。

 あれ? もしかして、オレって鑑賞眼があるのかも ^^;
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 読み返してみて、何だか意地の悪い文章だなあと思ったが、もちろん、意地悪を言うのが目的ではない。

 そうではなくて、この世界の厳しさというか難しさについて舞台を見ながら考えさせられていたのだ。

 おそらくは、100人全員が、私とは比べものにならないぐらい上手に歌い、踊る。
 別に私なんかと比べなくても、普通の人たちよりははるかにうまいに違いない。歌や踊りが好きだという情熱だって、人に負けてはいない。
 だからこそ、先の見えない中、学校に通って歌やダンスに打ち込んでいるのだ。

 ミュージカルの中には楽屋落ちみたいな挿話もあって、

 「俺、もうダンスは諦めるよ」
 「どうして? それに、ダンスを辞めてどうするの?」
 「何かアルバイトでも始めるしかないよ」
 「何を言ってるのよ。あなたには才能があるのに」

のような場面が繰り広げられていた。

 そう、私が見たところ、あの100人のうち、歌や踊りで何とか食べていけるのはせいぜい2〜3人。残りはすべて、夢を諦めることになるだろう。まあ、趣味として続けていくぶんにはいいだろうけれど。

 そして「何とか食べていけ」ても、それは文字通りそうなのであって、華々しく活躍できるようになる人はおそらくゼロである。
 あそこでトップでも、バックダンサーになれるかどうかもわからない。

 そもそも、大阪に住んでいる時点でどうなのかなとすら思ってしまう。
 ___

 みんな、宝塚音楽学校には落ちたのだろうか。それとも、受験を考えることすらできないレベルだったのか。まあもちろん、「あそこは合わない」と思ったかもしれない。

 ともかく、その宝塚を出てさえ、スターになれるのはほんの一握りだ。この道の難しさを思うとき、目指している人が多いのにはちょっとした目眩を覚える。

 東京藝術大学が神童の墓場だというのはよく言われる。周囲から天才だ神童だと本気で賞賛され続けてきた者でも、そこではほとんどが平凡な学生に過ぎない。そして、本当に残念なことながら、私の目の前にいた100人は、その「平凡な学生」ですらないのである。

 スポーツや芸術やダンスで身を立てることは、東京大学を出て身を立てることよりもはるかに難しい。
 「あなたも努力すればなれますよ」みたいな顔をしてテレビに出てくる人たちは、神童の中の神童なのだ。途方もない努力も重ねている。

 楽屋落ちの挿話を演じる仲間を横目に見ていても、この人たちはそのことを「ほんとうに」わかっているのだろうかと思ってしまう。

 それに、もし、素朴な少年少女たちに叶わぬ夢を抱かせることで授業料を集めることがスクールの目的になっているとしたら・・・

 いや、それでも、「青春の一時期、私はダンスに打ち込んだ」という確かな体験と思い出が残れば、それはそれで素晴らしいことかもしれない。

 そんな体験を持ち得なかった男の戯れ言に耳を貸す必要はない。

 (それでもまあ、息子がダンサーを目指すとか言い出さなくてよかったとは思うけれど)

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2011.09.07

■「少女時代」のその後

 ソウルを歩いているとき、仕事仲間(女)が「若い娘(こ)は日本人より韓国人の方が総じて美人でスタイルもよい気がする」「脚がきれいなのは小さいときから椅子の生活をしているからかとも考えたが、それは日本も同じだし」などと話していた。

 去年もここに書いたと思うのだが、確かにそういう傾向がありそうに思える。韓国の年配の女性と若い女性との間には、顔にもスタイルにもファッションにも、時代の差がくっきりと刻印されているのだ。

 そんなことを思いながら街行く女性たちを眺めていると、当時はもちろんそんな存在を思いつきもしなかったが、今思えば「少女時代」のような昔の知り合いを思い出した。
 やや苦労したがメールで連絡が取れ、彼女の近況を教えてもらった。たった4年半のうちに「少女」は結婚し、母親にまでなっているという。一方で仕事もし、研鑽も続けている。

 ・・・こちらはその年月分、年を取っただけだというのに。

 「ソウルにいらっしゃるならお会いしたい」「金曜日は一日空いている」と言ってはくれるのだが、連絡が取れたのが遅すぎてもう帰国の日であり、午前も午後も仕事でふさがっている。昨日の午後は余裕があったのだが。
 場合によっては午後の仕事をスキップしてもいいかなと思ったけれど、朝ホテルで返事をしてからは、もうメールできる環境もない。彼女だって忙しいだろうし。

 空港でお茶か食事ぐらいはできるかとも考えたが、縁がなかったのだと思ってすっぱり諦めることにした。彼女だって社交辞令で言ってくれているのかもしれない・・・
 ___

 仕事先に向かう地下鉄のホームで仲間(女)にこの話をすると、連絡を取ってみろと熱心に勧められる。
 メールで番号を教えてもらっていたので携帯を借りて電話してみたが、呼び出し音が鳴る前に地下鉄が来てしまったので取りやめた。「韓国は地下鉄の中で電話してもいいのに」とか言われても、やはり縁がなかったのだと思った。

 目的の駅に着き、タクシーに乗るまでの間に再度電話してみる。長い間呼び出し音が鳴るがつながらない。留守電にも切り替わらないのでもう切ろうと思ったころ、彼女が出た。
 「ヨボセヨ」「ヨボセヨ」「○さんですか」
 そういいながらタクシーの後席に乗り込む。3人の真ん中だ。

 電話のせいでお互い変な声だったみたいだけれど、とにかく話ができてよかったと思っていると、隣の仕事仲間(女)が「「空港で会える」と言え」としきりにそそのかす。別に艶っぽい関係でも何でもないことは知っているはずなのに、何を考えているのか。
 勧められるまま遠慮がちに伝えると、今日はもうベビーシッターの都合がつかないので無理だという。子どもはまだ乳児なのだ。

 「うん、残念だけど、ともかくお元気で」

 かつて彼女(に限らず)が母国へ帰るときに思ったように、そして、これまで出会ったほとんどの人が実際そうであるように、たぶんもう一生会わないかもしれないな、と考えた。
 ___

 仕事が終わって空港に着き、仲間に荷物を託してトイレに行って戻ってくると、例の仲間(女)が「待ち人が来てるで」と冷やかす。まったくもう。
 しかしほぼ同時に、見慣れぬ若い女性が目に入った。

 うわお。まさかこんなサプライズがあるとは。ほんとうにびっくりした。

 子どもを産んだはずなのに幾分やせているように見えたが、紛れもなく「少女時代」のその後である。
 彼女も、「少しお痩せになったんじゃないですか」というのだが、それは「年を取って貧相になった」の婉曲表現かもしれない。何しろ、体に故障が出たりする年齢なのだ

 ゆっくりお茶でも飲みながら積もる話でもと思ったが、子どもを預けてきていて時間がないという。

 お茶の時間すら?

 じゃあ何しにここまで来てくれたのかと訝ったが、お会いできただけでよかったと言う。そんな嬉しいことを言ってもらえるのは何十年に一度ぐらいかもしれない。

 ちょっと中途半端な形で音信が途絶えていたのだが、私がときおり彼女のことを思い出すように、彼女も私のことを思い出すことがあるのだとしたら、それで十分である。

 ルイヴィトンのバッグに加え、デパートの紙袋のようなものを2つ持っている。「買い物のついででもあったのかな」と思ったのは、たとえ思っただけにせよ大失敗だった。
 その2つは2つとも、私のためにわざわざ買ったお土産だったのである。まったく予想もしていなかった。
 (仲間(別の女)にあとで聞いたところによると、大量のお土産を渡すのが韓国の文化なのだという。)

 咄嗟に何かお返しできるものはないかと無意味に自分の体を探り、カバンの中味を思い浮かべるが、もちろん何も思い当たらない。日本に持ち帰る土産すら、いつものように何一つ買っていないのだ。

 そして、ものの3分もしゃべっただろうかというころ、彼女は帰っていった。

 「社交辞令」なんてとんでもない。いや、そうではないと思いつつも、そう仮定しなければならないのがこちらの文化なんだけれど。

 なんだか、二重三重に彼女に申し訳ない気がした。
 ___

 夕方には手の届く距離にいたのに、夜にはもう、国境が互いを隔てている。

 何にせよ、ありがとう、ごめんなさい、おめでとう、お幸せに、そして

당신을 다시 만나세요
or
당신을 다시 보게
(これで合ってるのかどうかわからないけれど)

 けっして社交辞令ではなく。

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2009.04.25

★新垣結衣の『スマイル』

 縁なきものには興味がないのが常だ。

 フェラーリや豪邸などに真剣に憧れることはない。
 宇宙や南極に行きたいとも思わない。

 ガラパゴス諸島とかなら、行ってみたい気はするのだが、縁がなさそうなので現実的な望みは湧いてこない。

 こういうのは、一種の自己防衛反応だと思う。手の届かないものごとを心の底から望んだりすると、叶わぬ渇望ばかりが膨らむことになるからだ。

 同じ理由で、女優や歌手を好きになったりすることはない。これまで、はっきりと誰かのファンであったことすらない。
 中島みゆきがわずかな例外かもしれないが、ファンを名乗るほどのこともないし、特に女性として見ているわけでもない(いや、十分お綺麗ですけど)。

 しかし・・・

 『スマイル』(TBS金曜ドラマ)に出ている新垣結衣には参った。表情や動きが可愛すぎる。

 ある年齢を超えると絶対に自然には出てこないような愛くるしい動きや表情が次々と現れ、それが大人の女性のものだと思うと、見終わった後に録画を消すのが惜しくなる。

 いやもちろん、演技のために表情を作っているのはわかっている。
 でも、だとしたら大した女優である。『コード・ブルー』(フジテレビ)の時には決して(かどうかは時々しか見なかったので知りませんが)見られなかった表情なのだ(あのドラマは彼女の良さを引き出すのに失敗していたのではないか)。
 
 演技派女優とはとても言えないはずなので、もしかしたら、『スマイル』のヒロインが素の新垣結衣ではないのかと思ってしまう・・・

 アホですね。

 もともと、初めてポッキーのCMを見た時から、私は一瞬で新垣結衣の大ブレイクを予想した(笑)

 2年ほど前だったか、畏友にその旨言うと、「ブレイクなんかしていない」と冷笑されたが、今でも同じことを言うだろうか?
 ___

 私はまだ「新垣結衣のファン」を名乗るほどではない。夢中になってもいないし、恋もしていない。CDもグッズもポスターも何も持っていないし、これから買うつもりもない。

 せいぜい、これからは毎週『スマイル』を録画して見るだけである。

 もっと本気になれたら幸せになれるんだろうなとは思うが、縁のないものにはやはりのめり込めない。

 それでも・・・

 物語から言うと、「スマイル」はむしろ松本潤や中井貴一のそれなのかもしれないが、そんなのはまったく眼中になく、ひたすら新垣結衣の笑顔が気になるばかりだ。

 冤罪とか差別とか、一応社会派っぽいドラマではあるんだけれど・・・

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2009.04.23

★家宅捜索はやり過ぎ

 SMAPのメンバー草なぎ剛(「なぎ」は「弓へんに剪」)氏が、公園で全裸になって奇声を発していたとして逮捕されたという。

 褒められたことではないし、泥酔しているからといって全裸で騒いでいる人がそうそういるとも思えないが(いや、もしかしたら、結構いるけれど、保護されるだけでニュースにならないのかもしれない)、ことさら女性に対して裸になって見せたわけでもなく、単に酔っていただけであることを考えれば、いかにも騒ぎすぎである。

 警察も警察だ。

 服を着なさいと言っても聞き入れなかったというのが事実なら、逮捕自体はやむを得ないかもしれない。

 しかし、この件で家宅捜索まで行ったというのはいかにもやりすぎである。ほとんど人権侵害ではないかと思う。

 芸能人だし、麻薬でも持っているのではないかという憶測からのことだろうが、何か口実があれば無理矢理家宅捜索までしてしまう警察のやり方は、いかにも恐ろしい。
 そもそも、尿から薬物反応は出ていないのだ。

 以前にも、勤めていた学校の卒業式で君が代斉唱の際に起立しないように促そうとした元教諭が、開式前に退席したにもかかわらず、威力業務妨害だとかの嫌疑をかけられて家宅捜索までされたことがある

 その時も今回も、もちろん何も出ない(もちろんと書いたが、家宅捜索されて何も出ないというのは、相当に清廉潔白な人たちかもしれない)。

 こういうのは明らかに警察の汚点だ。

 家宅捜索などというものすごい強硬手段に出るためには、それが必要だと誰もが納得できるような犯罪容疑が不可欠である。

 同じ23日で言えば、大阪市の西淀川区で女の子が行方不明になっている事件で自宅の捜索がなされている。
 公開捜査から2週間、何らかの容疑が濃厚になったために、慎重に判断した上で思い切った決断がなされたものと推察される。

 そういうのではなく、酔って全裸になっていたとか、大人しく何かを呼びかけたとか、その程度のことで、まるで悪質な嫌がらせのように家宅捜索をしたりすると、善良な市民の警察への信頼を失う。

 権力の濫用は厳に慎むべきである。

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2008.06.03

◆相変わらずシャラポワ

 3年経っても同じネタで恐縮ですが、マスコミも相変わらずなので・・・

 「シャラポワ逆転負け 全仏オープンテニス」
 「テニス=全仏オープン女子、シャラポワが8強入り逃す」
 「シャラポワ「凡ミス多く…」/全仏テニス 」
 「「チャンス手放した」とシャラポワ」
 「シャラポワ、全仏初優勝かなわず=全仏テニス」
 「シャラポワ 全仏4回戦で敗退」
 「全仏オープンテニス9日目 マリア・シャラポワが4回戦で姿消す」

 で、シャラポワに勝ったのは誰で、8強に入った人は誰なの?

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2007.05.19

■何歳だったの?

 今年は美空ひばりの生誕70周年だそうだ。

 生誕70周年ということは、存命であれば今年70歳を迎えるということだ。あたりまえである。

 だが、えっ!? と思わないだろうか。彼女はもう、ずいぶん前に亡くなっている。「生きていれば・・・」と言われると、85歳ぐらいが相当な気がする。

 調べてみると、亡くなったのは18年も前。その時、52歳になったばかりだったということがわかった。
 「川の流れのように」を歌っていたときはまだ51歳だったのだ。51歳!

 わたしゃ、70ぐらいだと思ってましたよ。

 「細く長いこの道」「はるか遠くふるさとが見える」「いくつも時代は過ぎて」って、たった51歳でいくつも時代が過ぎるだろうか。まあ、歌詞のことだし、彼女の人生は凡人のそれと違って波瀾万丈だったみたいだが。

 これもまた、自分が年を取ったからこんな風に感じるんだろうなあ。美空ひばりの享年までは、まだまだ何年も?あるんだけれど。

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2006.11.15

●藤原紀香、陣内智則と結婚

 えっ!? あーあ。

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2006.07.14

●米倉涼子のすごさ?

 TOKIO?だかのやっているトーク番組?に米倉涼子が出ていた。せいぜい5分ほど見たぐらいでこういうことを言うのも何だが、ちょっと崩れた下品な感じで、顔の作りまでが美しくなく見えた。

 その米倉がドラマに出ているときには、銀座のママ(未見)や魔性の女やかわいい妻を演じていて、その美しさや可愛らしさにため息が出るほどである。

 地のままに振る舞っていれば絵になる美人女優なのかと思っていたが、意外にも?演技派だったということになろうか。

 それにしても、あのトーク番組に出ていた米倉は、ちょっと下品なただのネーチャンに近かった。ありえない話だが、もし付き合ってくれと言われたら、多分断るだろう(笑)

 女優としての才能を褒めるべきなのかもしれないけれど。

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