2017.01.08

■超人世代?

 1月6日(金)の朝日新聞(大阪本社版朝刊)トップは「高齢者「75歳から」提言」という記事であった。

 日本老年学会と日本老年医学会が「高齢者の定義について」「75歳以上とすべきだとする提言を発表した」件である。

 高齢者福祉を削りたい政治の側から働きかけでもあったのかと、かなりうさんくさい気はするものの、それはまあ憶測に過ぎないし、今の70代前半がまだまだ若いというのは実感とも合致する。

 だが、以下はいただけなかった。

 「知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当するという報告があり、根拠の一つとされた」(読点を1箇所だけ移動しています)というのだ。

 「この文の通りだとすれば」、その報告は明らかに間違っている。

 なぜなら、「10年前の60代」は現在の70代なのだから。
 この調査は、10年前と現在の同じ集団を調査していることになるはずだ。

 ランダムサンプリングなりなんなりが適切に行われ、きちんとした科学的な調査が行われていれば、こんな結果が出ることはありえない。
 もしこの結果が正しければ、10年前の60代は10年経っても知的能力が同じで、衰えていないということになるからだ。

 実際の報告がどういうものかはわからないが、こんな馬鹿げた内容をそのまま記事にしてしまう記者と校閲の愚かさにはあきれてしまう。

 この部分の直前には、「生物学的に見た年齢は10〜20年前に比べて5〜10歳は若返っていると判断した」とあるのだが、それならまだ理解できる。

 だが、「70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当する」なら、その世代は10年間まったく老化しなかった超人世代ということになってしまう。
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 私が最初の職場に就職した30年ほど前、75歳という年齢は、確かに、仕事ができなくなる境界あたりであったことを、具体例とともにまざまざと覚えている。
 しかしながら、80代半ばの父親を見ていると、まだその境界を越えていないように感じる。

 もしそうだとするならば、30年で10年ほどは「若返っている」のかもしれない。あるいは学会の言うように「10〜20年前に比べて5〜10歳」ということもありえないことではない。

 それでも、「10年で10年」はありえない。人間は不老不死ではないのだ。

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2016.09.05

■アイスランドダイエット

 ダイエットを始めて十数年になる。

 肝臓や血液に脂質が多すぎることを医者から指摘されて始めた。
 ごく最初のころこそ少しだけがんばったが、その後は日常の食生活そのものが恒常的ダイエットになっている。
 とは言っても、なるべく間食をせず、食事の炭水化物を減らすくらいで、特別なことは何もしていない。お腹いっぱい食べることは少なくなったが、ふだんはそれなりに満足感のある食事をしている。自然に小食になった感じだ。
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 さて、アイスランドに来て、外食の物価が高いことをたびたび tweet してきた。
 ぜんぜん高級ではないふつうの食堂で食べた場合でも、スープが1500円くらい、メインの一皿が3500円から4500円程度かかる。
 パスタ一皿3000円、ケーキが1000円、ハンバーガーセットですら、2500円くらいしたりする。

 メニューには通常、スターターとしてサラダやスープがあがっており、メインコース、デザートとコーヒーみたいに注文するのがふつうなのかもしれないが、そんなことをすると一人で6500円くらいになる。
 実際、今日の夕食で私の前に会計していた男性は一人で食事した旅行者だったが、7000円ほど支払っていた。家族3人だと2万円仕事だ。

 たった一食で。

 食事は日に3度食べない訳にはいかない。
 休日に家でゴロゴロしているのならともかく、朝から動き出すことが多い旅行では、なかなか2食にもできない。

 今回は朝食がついていない宿も多かったので、朝食の心配までさせられた。朝食込みでない宿では、一人EUR10( ≒ ISK1300 ≒ 1200円)が相場で、それはつまり、3人の朝食が3600円になるということを意味する。
 これに昼夜を加えると、恐ろしい金額になってしまう。

 金額はともかく、たとえばスープの量も多くてほとんどは具だくさんなので、とてもそんなには食べられない。今日の夕食のスープはまだ上品なほうだったが、あのスープと、自動的についてくるパンを一人で食べると、それだけでもうお腹いっぱいになってしまう。

 というわけで、お財布にも体にも優しい食事を考えた結果(というほど考えてないけど)、多くの昼食や夕食で、スープとメインを一つずつだけ注文して3人で分けるということをしてきた。
 レストランの人からどんなふうに見られているかはわからない。多くの場合はすぐに理解してくれ、笑顔で OK というのが多かったが、数回は不審なというか怪訝な顔をされた。
 通常の一人分に満たないような料理を3人で食べるのだから当然だ。

 恐るべき窮乏家族である。

 それほどがんばって節約しても、一食5〜6千円。これはわが家の日常の外食予算を超えているし、それが毎日である。
 昼食はさらに節約して、ガソリンスタンド併設の売店でサンドイッチを買ってすませたりしたが、それでも3人で2〜3千円かかった。

 幸い、アイスランドの水道水は日本よりもおいしく、日本と同様、頼まなくても水が出てくるくらいなので、別に飲み物を頼む必要がない。
 4年前に旧東ヨーロッパを旅行していたとき、水より安いからと毎晩のようにグラスワインやビールを飲んでいた家人(お蔭で、酒飲みというのがどういう人種か知らない息子が、自分の母親のことを酒好きだと思ったりした)も、今回の旅行では一度も飲んでいない。

 さて、そうして出てきた一人分にも満たないようなスープとメイン料理を3人で分けて食べる。
 概ね、半分を息子が食べ、残りの半分を家人と2人で分けた。
 パンは自動的についてくるし、多くの場合は3人分出してくれたりしたので、それでもまあ必要十分な量があった。
 さすがに息子は若いので物足りないこともあったようだが、夫婦2人はそれなりにおいしい料理を控えめに食べて、だいたい満足していた。

 とはいえ、やはり絶対的な摂取カロリーがふだんよりは少なかったに違いない。
 それに、ほとんど車で走り続けるような旅だったが、かなり歩いた日も半分くらいあった。今、iPhone の Health アプリで確認すると、歩かなかった日ですら、日本の日常程度かそれ以上に歩いている感じだ。

 というわけで、最近ちょっと気が緩んでウエストがきつくなってきていたズボンが、今朝気づくとけっこう緩くなってきていた。
 帰国して体重を量るのが楽しみである。
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 アイスランドダイエット、お勧めです。体重もお金もぐっと減ること請け合いです。

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2016.08.14

★早寝早起き

 ふと気がつくと、8月に書いたものが一つもない。もう半ばだというのに。

 理由はおそらく、「早寝早起き」を始めたことだと思う。長い話を省略すると、五十肩がきっかけで通い始めた鍼の先生に言われてそうするようになった。

 前の職場を辞めてから25年以上、早寝早起きとは無縁だった。

 むろん、早起きしなければいけないときはままあるのだが、それが直接早寝には結びつかないし、ふだんはとにかく「不規則な生活」をしていた。

 子どものころからずっと、各方面から「早寝早起き」「規則正しい生活」を言われ続けているのだが、実行できたためしがない。

 ただ、唯一、前の職場に勤務していたころの一時期は、そういう生活に近かったと思う。
 「朝の涼しいうちに勉強しましょう」というのを、言われる方から言わされる方になって初めて、夏休みの午前中は午後より涼しいのが本当だと知って驚いたものだ。

 でも、そのころでさえ、20代半ばの若さで、勤務時間だって長くないのに、ふつうに疲れていた。

 50になって不規則な生活をしていても、当時とそんなに変わっている気がしない。
 つまり、「規則正しい生活」が何かを改善するという実感を持てないのだ。だからやる気が起きない。

 鍼の先生に言われて、コーヒーだって紅茶だって(いただきもののプーアール茶すら)やめている。そして代わりに毎朝、これも指導されたニンジンジュースなんかを飲んでいる。

 これで、体調がよくなったとか、疲れなくなったとかいうのならありがたいのだが、そんな実感はほとんどない。

 ブログが書けなくなっただけである(笑)
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 毎日、なにか一つでも楽しかったことがないと、寝る気がしない。

 だが、楽しみなんか、そう簡単に得られるものではない。仕事で得られればいうことはないのだろうが、そういう日は多くない。
 今のところ、洋もののテレビドラマか映画を見るのがお手軽な楽しみになっている。

 憂き世のつとめを果たして液晶パネルを見たりすると、もう「早寝」の時間になってしまう。いちおう11時なのだが、往々にして12時近くになるし、時には越える。

 まあそれでも、だいたいは早寝早起きをしていると、のんびりブログなんかを書いている時間はない。残念なことだ。

 収穫があるとすれば一つだけ、これまではだれが何と言おうとまず絶対に無理だと思っていた早寝早起きが、案外簡単にできるのを知ったことである。

 まさか、自分にそんなことができるなんて・・・

 要は、やる気になるかどうかだけの問題のようだ。

 でも、だからといって特に体調がよくなったわけでもないし、他のことにやる気がでるかというとそんなこともない。

 なのに、いちおうこの生活が続けられているのが不思議である。きっとそのうちどんどんいいことが起こってくると思いたい。

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2016.06.06

◆ちょっと、これはあかん・・・

 いわゆる五十肩で苦しんでいる。

 5年前に左をやり、今度は右。天災?はやはり、忘れたころにやってくる。

 前回は、初めてということもあり、最初は何が起こっているのかわからず、いっこうに軽快しないでむしろ悪くなる感じだったので、整形外科で診察を受け、その後マッサージに通ったりした。

 その後もよくなる気配が見えず、年配の方とそういう話ができそうな雰囲気になると、片っ端から経験を聞いてみた(とはいっても、私の狭い交友範囲のこと、二桁には達していないかもしれない)。

 その結果、以下の2つのことがわかった。

1.ほとんどの年配者が五十肩(四十肩)を経験している。
2.何をしても治らないが、1年ほど経てば自然に治る。

 なんということだ。それほどありふれた病気で、かなり辛いにもかかわらず、明確な治療法が存在しないのである。

 実際、服の脱ぎ着も困難な月日を1年あまり経ると、いつの間にか治っていた。
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 今回も、日常のありふれた動作ができず、できるつもりで何の気なしに腕を動かすと、叫びたくなるほどの激痛が走ったりするので、当初は難儀した。
 でもまあ、二度目でもあり、どうすればできるだけ痛みやだるさを抑えられるかは早々に体得し、こんな調子でだましだまししんどい1年を過ごすしかないかと諦観していた。

 ぎっくり腰や五十肩など、この手の疾患の治療に西洋医学は無力だ。

 また、私は基本的に、鍼灸・指圧・マッサージ等をそれほど信用していない。それに、少なくとも五十肩(四十肩)には効かないことは多くの先達が証言している。
 いや、効くこともあるのかもしれないが、きちんとした技術を持った人に当たることは稀であろうし、効果があるかないかわからないものに短くない時間と安くないお金を割くことにはかなりの抵抗がある。

 「気持ちいい」という人がいるが、これまで何度かカイロプラクティックやマッサージや指圧などをしてもらった中で、そんな経験は一度もない。

 ところが・・・

 いろんな偶然やきっかけが重なり、今回は、以前から気になっていた整体治療院に通ってみることにした。最後は、Webで見た院長(といっても一人でやっている)の変わった経歴と信頼できそうな顔が背中を押した。

 初回の施術を終え(初診料含め1万円!)、やはり気持ちいいとかいうことはなかったが、いろいろ話をしながら1時間半近く全身を丁寧に診てもらった結果、少し続けてみようと思った。
 その後、右肩に劇的な変化はないものの、自律神経系を含めた体の状態も少しよくなった気もした。自己暗示のようなものも手伝っているのかもしれない。

 だが、問題は2回目の施術後にやってきた。

 右肩は確かに少しよくなったような気がするものの、首が痛くてどうしようもない。じっと座って動かさなければいいのだが、そこから立ち上がるだけで痛みが走り、ほとんど体を動かせない。

 ちょっとこれは、いくら何でも、もうあかん・・・という感じの状態である。

 次の予約は一週間後なのだが、施術のせいでこうなった首の痛みを今すぐにでもなんとかしてくれと再訪すると、どうなるのだろう。

 いや、これは困った・・・と思いながら、まあ週末でもあることだし、一日二日様子を見ようと思って、この週末はまったく無為に(それだけだといつもとあまり変わらないんだけれど、苦しみながら無為に)過ごしてしまった。
 幸い、日曜の夜には座ったり立ったりするのにそれほど支障がないくらいには痛みも治まってきたので、次回の通院まで待つことにした。

 でも、今度行ったときになんて言おう? 珍しくこういうものを信用して通おうと決めた途端にこんな目に遭うなんて・・・

 これは、「もうやめなさい」という啓示なのだろうか、それとも、何か他に意味があるのだろうか。

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2016.04.29

★自由な日々が始まる・・・のだが

 肝臓ガンの手術を終えて、ICUから一般病棟に移った母親を見舞ってきた。

 妙な感想だが、「死にそうだけどまあ元気」という感じだった。

 中心静脈栄養を入れ、導尿している。鼻からは酸素を吸い、痛み止めもいつでも静注できるようになっている。
 何だかわからない小さな袋を腰に下げているので、やってきた看護師に聞くと、まだ腹腔からのドレインを外していないということだった。
 ということは、お腹に穴が空いて、内臓と外とがつながっているのである。

 まだ手術の2日後なのだ。
 そんな状態で、歩行訓練を始めている。

 点滴のポールと酸素ボンベを従え、導尿やドレインの袋をぶらさげて、歩行器に寄りかかって歩く。
 指にはパルスオキシメーター。ナースステーションまで歩いただけで酸素飽和度が91に下がり、脈拍が100になる。

 大丈夫なのか?

 それに、以前から不思議だったのだが、お腹を開けて内臓を切り取ったりして、傷を縫っただけですぐにくっつくものなのだろうか。手術の翌日には「歩かなければならない」といって、すぐに訓練が始まるそうなのだが、傷口が開いたりしないのか、ほんとうに不思議である。

 指先をちょっと切ったくらいでも、2〜3日は傷口がふさがった感じがしないのに。

 まあ、大丈夫だからやっているんだろう。もうヤマは越えたし、病院に任せておけばいいようにやってくれるはずだ。
 幸い、父親はすこぶる元気である。
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 私自身はゴールデンウィークで自由の身になった。

 今から海外・・・というのはちょっとアレだが、日本全国ほぼどこにでも行ける。

 去年に引き続いて東北へ行こうかと思っていたのだが、桜も終わりつつあるという情報も入ってきて、それならいっそのこと、九州へと考えていた。

 だがどうも、まだ震災も地震も生々しい。本気でボランティアでもするんでなければ、やっぱりやめておいたほうがいいかなあという気もする。それで、もう東北気分になっていたところへ、「九州は旅行客が激減して大打撃」みたいな記事を読んだ。

 もともと、微力ながらそういう事態を補うために九州を考えていたものだから、また針が九州に振れる。東北は去年も行ったしなあ・・・ でも、太平洋側に限れば、たぶん5年ぶりになるんだけれど。

 以前からどうしようか考えていたテントを、出発に間に合うように急遽アマゾンで買うと、なんと12時間後に届いた。
 宿泊施設、車中泊に、テント泊という選択肢が増えて、去年今年の東北や北海道旅行よりはちょっと楽になりそうかなという気がしている。

 気になるのは、ここ1か月くらい、右肩が痛むことだ。自宅で優雅に寝ていてもつらいときがあるので、テント泊や、まして狭い車中泊でよけいにおかしくならないか、ちょっと心配している。
 でもまあ、好きでそういうことをするのだ。そういう生活を余儀なくされている方々のことを思えば、気楽なものである。

 それともいっそ、旅先にお金を落とすために、豪華温泉旅館をハシゴとかしてみようか(無理だけど)。

 うーん、まだ決まらない。この分だと、車で走り始めてから、やっと気持ちが固まりそうな気がする。

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2016.04.09

★すべてを含んだもろもろの全体的な状況

 つい先日、肝臓ガンの母親に付き添って、専門病院を訪れた。

 何より感慨深いのは、患者であふれていること。
 まあ、病院だから当たり前なのだが、とにかくガンしか扱っていない病院で、他の病院から紹介された患者しか来ないため、病人はすべてガン患者なのだ。中には「疑い」的な人もいるかもしれないが、こんなところに来ている時点で、もはやほぼ確定である。
 ただ、病気が病気だけに、私のように付き添いがついている人も多く、「あふれている」人の半分くらいはべつに患者でもガンでもないのだろうとは思う。

 次にちょっと感動したのは、そこでは、ガンがもはやふつうの病気であること。
 誰も特に悲嘆に暮れているようには見えないし、その辺に悲愴感が漂っているわけでもない。
 医者の方も、「重大な疾患を扱っている感」に乏しく、「ガンを告知するという重々しさ」など微塵もない。

 母親のガンは、幸いにも原発性で、小さいのが一つだけなのだが、「肝臓に予備能(≒余力)がないと、手術で1%切除しただけでも死んでしまうことがあります」とか、「肝臓ガンは特殊で、手術しても再発の可能性が60%くらいあります」とか、「再発しなくても肝硬変で亡くなったりすることもあります」などと平気で言う。

 たまたま、私より年上の偉い医者に診ていただいたのだが、意外なほど丁寧で親切な感じだった。診察が終わって待合に戻り、開口一番出た言葉が、「いい先生でよかったなあ」である。そんな医者でも、ガン患者と家族を前にして、淡々と再発や死を口にする。

 まあ、事実だから仕方ないんだろうけれど。
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 ガンを日常のものとして扱っている医療関係者はともかく、患者や家族の心中は実際のところどうなんだろう?

 もちろん、80になる母親が単純なガンだといういい年をした息子と、40の父親が手に負えないガンだという思春期の娘とでは雲泥の差があるだろう。
 しかも、それぞれに、年齢やら病状やら生活やらに還元できない、さまざまな関係性があるはずだ。

 アメリカの医療ドラマを見るのが好きなのだが、そこにはよく、The patient died on the table. というような台詞が出てくる。「患者は手術台の上で(=手術中に)死んだ」という意味だ。
 さすがに母親には言わないが、たとえば家人には、「died on the table みたいなのが一番ええかもしれへんで(いいかもしれないよ)」みたいなことを言ってみたりする。それなりに本気だ。

 でも、不要品処分のような品々を持たされた帰りの車の中で、「なんだか早めの形見分けみたいだなあ」と思いながら、たとえば、中島みゆき や さだまさし が「いのち」や「愛」について歌っているのを聞いていたりすると、あるいはまた、何かの拍子に桜の花びらが車に降りかかってきたりすると、不意に目の前がぼやけてくる。

 それは、母親の病気や、死の可能性のことを思ってというよりは、何ともいわくいいがたい、すべてを含んだもろもろの全体的な状況のせいのように感じられた。

 その「状況」には、たとえばシリア難民さえ含まれている。

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2016.03.10

●さらぬ別れのなくもがな

 昨夜7時ごろ母親から電話があり、のんびりした声でいきなり

 「お母さんなあ、肝臓ガンやねん」

といった。

 一瞬、「お母さん」ってだれのことなのか、「肝臓ガン」って何のことなのかがわからなかった。

 祖母は2人とも他界しているので、「お母さん」が母親本人であることは一呼吸置いて思いあたったが、「肝臓ガン」の理解にはさらに数秒を要した。

 知る限り、血縁者でガンにかかった者は一人もいない。

 血のつながりのない親戚には何人か(も?)いるが、申し訳ないことに、血縁者にいないことで、やはりガンはどこか「ひとごと」であったのだ。

 「母親が肝臓ガン」という事実を理解した後は、自分の体まで蝕まれはじめているような、不吉でリアルな感触を持てあました。
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 敗血症で死の淵から甦り、脳梗塞による半身不随から立ち直りつつある母親が、今度は肝臓ガン・・・
 糖尿病もインシュリンの自己注射をするくらいの状態なので、もはやこれまでかとも思う。

 やっと自分の足で歩いて、好物の寿司を食べにいけるようになったばかりなのに。

 去年の11月、このブログに

万一元に戻ったとしても所詮は後期高齢者。糖尿病は治らないし、今後待っているのは、また新たな病気とか怪我とか寝たきりとか死とかであって、明るい未来の展望などない
と書いたのだが、こんなに早く「新たな病気」、しかも致命的なそれが襲ってくるとはやはり思っていなかった。

 だがおそらく、現代医療は死期を遅らせる。もしかすると、だれにとってもつらい闘病生活を長引かせるだけかもしれない(というか、その確率は相当高い)にもかかわらず。

 それでもまあ、本人も家族も「できるだけのことはする」というスタンスでことに当たらざるをえない。
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 これが100歳、せめて90歳なら、「もうそろそろ・・・」と思えるのだろうか。

 危ないからやめろというのに、ポケットに両手を突っ込んで階段をスタスタと降りていく父親が85歳、母親はヨチヨチとしか歩けなくなったが、まだ80歳だ。

 この時代、寿命というにはまだ早い気がする。

 本人は、どれくらい覚悟ができているんだろう? そして私は

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2015.11.01

●気がつけば11月

 いつの間にか、鬱々たる気分の中でドタバタし続けた10月が終わった。

 自分にも他人にも、いくつかいいことがあったのだが、全体としての通奏低音というかトーンというかBGMというか・・・が非常に沈んだものであったため、そのありがたみにも鈍感になっていた(考えてみれば、いいことがあるなんて珍しいのに!)。

 特に後半は、ここに何かを書く気力も失せていた。

 そんな中、たぶん確実な「いいこと」が私にもいくつかあったので、その一つをここに記しておきたい。

 半身不随だった(もはや「だった」と言ってもいいと思う)母親が、目に見えて回復しているのだ。数メートルなら杖をついて歩くことができるし、歩行器を使えばいくらでも(というのは大袈裟だが疲れるまで)歩き続けることができそうなくらいだ。
 年が明けてもまだ入院が続く・・・みたいなことを医者は言っているらしいけれど、この回復ぶりはたぶん、手放しで喜んでもいいことなんだろうと思う。

 一方で、そういういいことを目にしても、沈んだ気分の中で受け止めると、たとえば、

・いくら回復しても元に戻るだけ、別にいいことがあったわけではない
・実際には元にまでは戻らない。実家の大改修も必要になりそうだし、今後の生活も思いやられる
・万一元に戻ったとしても所詮は後期高齢者。糖尿病は治らないし、今後待っているのは、また新たな病気とか怪我とか寝たきりとか死とかであって、明るい未来の展望などない
というふうにネガティブな解釈になってしまう。

 その他のいいことに関しても、似たようなものだ。

 まあ、もうしばらく我慢すれば、とりあえずこの鬱々とした状況からは脱出できると思う。
 その後もまた、ぱっとしない日常の中、いろいろとストレスのたまることが重なり続けることに変わりはないだろうが、先月のような(というか今も続いている)「嫌な感じ」からは少しは逃れられるはずだ。

 良いこと悪いことにかかわらず、つねにダウナー気味なのは性格のせいだと思い定めてたぶん二十年以上になるが、たとえば学生のころや最初の職場にいたころもこうだったろうかと最近思う。

 「だから言ったじゃない」と呪いをかける奥さんではなく、「ものごとのいい面を見ようよ」という村上春樹になりたいのだが、なかなか難しい。

 たとえば「認知行動療法」とか言うけれど、そんなもので考え方や性格が実際に変わったりするのだろうか?

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2015.10.03

◆這えば立て、立てば歩めの・・・

 今日も母親を見舞ってきました。

 半身不随者に特有の、「軽く握った動かない拳をおへその横に置いた状態」だった左腕が動くようになり、まだ力は入らないというものの、手指もその機能を取り戻しはじめていました。

 80歳の老人にも、目に見える進歩があるのです。リハビリ専門病院に転院し、これから毎日かなりのメニューをこなすようにもなります。

 他人事ながらご休心くだされば幸いです。

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◆「こけてん」

 先日、母親を見舞ったとき、左の頬が青黒く腫れているのに気づいた。「どないしたん?」と聞くと、「こけてん」という。転倒した、ということだ。

 立って歩くことも覚束ないのに、転んで頬骨を打つなんて、どうしたらそんなことができるのかと思った。

 聞くと、車椅子から便座やベッドへの移乗時(あるいはその逆)に、座った状態で転倒するのだという。介助者が常についているにもかかわらず。

 「下手な人がおんねん(いるのよ)」というのはその通りなのだろうが、こういう患者を多数扱う病院のスタッフとしてはどうなんだろうと感じてしまう。
 なんでも、「3回ほどこけた」そうだ。

 ただ、どうしてそんなに簡単に転倒するのか、ちょっと不思議な気がした。
 「そやけど、なんでそんなにこけるん?」と母親に聞いた直後、自分で答が見つかった。

 体が左に傾き出すと、麻痺した足も手も、バランスを戻すのにも体を支えるのにも、役に立たないのだ。

 たとえばベッドの端に座っているとき左に転びそうになると、とっさに右手を交差させ、自分の体の左側に手をつかなければならないのだが、脳梗塞を患った80歳の運動神経では、健全な方の腕であってもそう素早く動くものではないらしい。そういう動作に慣れていないというのもあるだろう。

 結局のところ、あれよあれよという間に、人形のようにばたっと倒れてしまうことになるようだ。たとえ座っていても。

 「左半身不随」と聞けば、歩けないとか左手が使えないとかは私でもわかる。だが、だれでもすぐに思いつきそうな、「左側に倒れそうになると何もできずにそのまま物体のように倒れてしまう」ということには気がつかなかった。

 いつもながら、己の想像力のなさを思う。

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