2018.10.14

◆行きすぎたPC?

 標題のPCとは、Political Correctness のことで、日本語では「政治的正しさ」などと訳される。

 そう訳してもぜんぜんわかりやすくならないのだが、要するに、「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」(デジタル大辞泉)である。
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 さて、今日は短く。

 Criminal Minds という FBI を題材に取ったドラマを見ていると、"rabies" を字幕で「恐水病」と訳していた。

 恐水病が重要なテーマであるため、それがわからなければ物語が理解できないのだが、その後、話が進まないと、ああ、アレのことか・・・とはなかなか気づけない。

 あまり知られていないと思うのだが、何の病気のことかおわかりだろうか。

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2018.03.22

●帰省のたびに・・・

 仲人をしていただいた恩師の奥様がお亡くなりになって3年近くになる。
 今回、それ以来初めてお目にかかれ、遅まきながら仏壇に手を合わせることができた。

 奥様は、還暦すらお迎えにならないうちに致命的な病に侵され、半年足らずの闘病生活で逝去されている。
 凄絶な闘病生活は、恩師の創作によってお教えいただいた。

 初めてお目にかかったのは、奥様がまだ20代の時である。その時の可愛らしく優しい印象は、50代になられてもそのままであった。
 8つも年上の自分をいつか看取るはずだった素晴らしい人生の伴侶をこれほど早くに失い、ひとり残された恩師の悲嘆は想像にあまりある。
 信仰者、求道者、そして学者としても仏道を追究する在家生活を送っていらっしゃったのに、このような形での奥様のご逝去は、あまりに理不尽である。爾来、なぜそんなことになるのか、その意味を問い続ける日々であるという。
 私なら「やはり神も仏もないではないか」と嘯くだけで終わってしまうであろう。

 ご心中を推し量ることはできないが、お目にかかればいつものように前向きで快活な恩師である。不甲斐ない私たち夫婦を気遣って、遠慮がちにあれこれ示唆をくださるのだが、そのお気持ちをありがたく受け止めることしかできない自分が情けない。
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 さて表題。

 お宅を辞去した後、近くの実家へ顔を出そうかどうしようかと家人と相談する。正月と先月にも顔を合わせたばかりだが、それこそ、もう何度会えるかわからないということもあり、結局行ってみることにした。

 父親の車はなく、家には鍵がかかっており、留守のようである。呼び鈴を鳴らしても携帯に電話をしても出ない。どこか開いていないかと泥棒のようにあちこち試してみるが、感心なことにきちんと戸締まりをしている。
 が、母親の部屋からテレビの音が漏れてくるので、母親はいるのだろうと思った。ただ、雨戸の閉まった窓越しに呼んでも返事がない。近所の手前、あまり大声も出したくない。
 もう一度父親の携帯に電話をすると今度は出て、墓参りに行く途中だという。電話が遠いと言って何度も聞き返すので、こちらが庭先で声を張り上げるうち、母親も気付いて不自由な足で立って窓際に来た。

 何とか家に入れてもらい、父親の帰りを待っている間に、母親がまた新たな病を得ていることを知った。
 なんだかもう、電話や帰省をするたびに、敗血症糖尿病脳梗塞肝臓ガン腰椎の圧迫骨折・また救急車で運ばれた・・・みたいな話題の尽きない母親である。
 今度はパーキンソン

 腰椎の圧迫骨折の後、脳梗塞の後遺症があるにしても、歩行に問題がありすぎるとは思っていた。しかしまあ、病気も病気だし怪我も怪我だし年も年だし、本人も、努力してどんどんリハビリに精を出そうという感じでもなかったので、どこかで「まあこんなものか」という気もしていた。

 それが、パーキンソン症候群のせいだったというのだ。
 病名を聞いてしまえば、なぜ気付かなかったのだろうと後悔させられる。もっと母親のことを考えていれば、私にだって気付けたはずだ。
 だがそれと同時に、今まで気付けなかった医者たちも情けないと思った。「圧迫骨折は治っています」「脳のMRIは綺麗です」「(脳梗塞の後遺症と糖尿病と高血圧はあるけれど)どこも悪いところはありません」と何度も言いながら、じゃあなぜ運動機能がむしろ悪化するのか、思いつかなかったのだろうか。

 一向に歩行が改善せず、むしろ悪くなる。健康なはずの右手でも、箸がうまく使えないときがある(そのことは私は知らなかった)。「どこも悪くない」と医者が言うのに、どうしてそんなことになるのか。
 その理由がわかり、両親はなんと、喜んでいた。近所に同じ病気の人がいて、治療を始めてから運動機能が改善したのを見ているそうで、そうなることを期待しているようだ。

 しかしながら、つい先日、たまたまパーキンソンの専門家の話をラジオで聞いていた私は、もちろん喜べない。
 この文脈で必要な情報だけを簡単にまとめると、以下のような話である。

・平均余命自体は、パーキンソン症候群でない人たちと大きくは変わらない。
・しかしながら、不治の病であり、症状の改善も望みにくく、進行を遅らせることしかできない。
・したがって、QOL(Quality of Life)は著しく低下する。

 まあそれでも、診断がついて服薬すれば、しないよりはマシであろう。遅きに失したとはいえ、わかってよかったには違いない。
 母親は2〜3日前から薬を飲み始めたそうだ。幸いなのは、両親ともそれほど暗くないことである。

 母親は、できた人間ではないが(ぜんぜんない)、夕食のイタリア料理屋で何かの拍子に笑顔になると、菩薩のようないい顔になった。
 病と衰えが筋肉の動きを変えたのだろうが、こういう表情を見るのは初めてのような気がした。

 寿命が来るまで、これ以上悪くならないでほしい。
 そして、あわよくば、改善してほしいとも思う。
 せんのない望みだとは知りつつも。

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2017.06.15

◆「両肺尖部陳旧性胸膜炎」

 家人の健康診断の結果が返ってきて、「両肺尖部陳旧性胸膜炎」という所見が書いてあった。

 本人はまったく気にもせず、そのまま結果をうっちゃっていたのだが、その辺に置いてあったのを開けてみた私は仰天した。
 なにしろ「胸膜炎」なのである(よくわからないけど)。

 気になったのはそれだけではない。
 両肺も尖部も胸膜炎もまあいい、だけど、陳旧性って何なのか。

 そもそも、尖部陳 旧性 かもしれない。せんぶちん?

 調べるとやはり、陳旧性のようだが、中型の国語辞典(広辞苑や大辞林)にも載っていない。
 陳は陳腐の陳、要するに古いということらしい。何でこんな馬鹿げた医学用語をわざわざでっち上げるのか。

 おどろおどろしい病名?のわりには、判定はBで「軽度異常」。「わずかな異常が見受けられますが、日常生活には差し支えありません」。

 ネットで調べても、「気にせず放置」するしかないようだ。精密検査も経過観察も生活改善も必要ないらしい。それらが必要なものはCやDになる。

 何もすることがなくて、気にもせず放置するのが正解なら、何のために告知しているのやら。
 家人のようなノーテンキな人にはいいかもしれないが、私のような心配性の人なら、要らぬことを言われてストレスになるだけだ。

 Bはもう一つあったが、家人はやはりまったく気にもしていない。羨ましい性格である。

 去年までは何もなかったのは確実なので、何か思いあたることがあるはずだと話すうち、年末年始にかけてしつこい咳が続いていたのを思い出した。
 あれが胸膜炎で、それが治った跡がレントゲンに写ったのかもしれない。

 仮にそうだとすると、「陳旧性胸膜炎」はないよね。その伝でいけば、いわゆる盲腸が治った人は「陳旧性虫垂炎」だということになってしまう(まさかそんなふうには言わないだろうな)。
 あ、切除した場合は違うか。

 いずれにせよ、この件に限らず、医学用語の世界には、医学者の国語力を疑わざるを得ない事例が非常に多い。
 誤解を産むような医学用語は修正していってもらいたい。

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2017.05.09

■まだ今のうちは・・・

 連休の終わりごろ、久しぶりに実家に顔を出した。だが、母親が出てこない。

 父親に聞くと、台所で転倒して腰椎を圧迫骨折したのだという。次々とよくもまあ・・・

 入院しているのかと思ったが、隣の部屋で寝ていた。幸いというか、ほとんど寝たきりである以外は元気そうだ。
 トイレに行くときだけはコルセットを装着して父親の介助を受けながらよたよたと歩くが、それ以外はベッドから出ることはできない。

 母親は80代前半、父親は後半、絵に描いたような老老介護である。

 近くには私の弟夫婦も住んでいるのだが、知らせていないという。まあ、何とかなっているみたいだからいいんだけれど、何とも危うい綱渡りのような気がする。
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 もうやめようかと思っていた運転免許の更新をやっぱりすることにしたと父親が言う。病院通いが頻繁で、毎回タクシーというわけにはいかないらしい。
 そういえば、病院で暴走した老人の車がニュースになることが多いが、実際、車が一番必要なのは病院通いのためなんだろう。

 今のところ、手伝わなくてもいいらしいし、何か手伝ってくれと言われても困るのだが、この危うい綱渡りはどういう形で終わりを迎えるのかと、ちょっと考え込んでしまう。

 夕食時、月曜日(昨日)は免許の更新に出かけると言っていたのを何気なく聞いていたのだが、その月曜日になってから、「え? 大丈夫なのか」と思いあたった。相変わらずの想像力のなさだ。
 認知症テストやら高齢者講習やらがあって、家を出てから帰ってくるまで2〜3時間ですむとは思えないのだが、その間、母親はトイレにも行けないはずである。

 何も言っていなかったけれど、どうやってこの問題をクリアしたのだろう。おむつでも当てたのだろうか。

 更新講習がどうだったかも含め、電話してみようかとも思ったが、ふだんからあまり連絡していないし、会ってきたばかりなので見送っている。

 いつまでもそんなことは言っていられないのだが、まあまだ今のうちは・・・

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2017.03.19

●プロフィール?

 髪の毛をカットしてきた後、もみ上げのあたりから少し毛が飛び出している気がしたので、自分で調えていた(超安い散髪屋さんなのである)。

 その際、滅多にやらない合わせ鏡で横から自分を見ていて、もみ上げと耳との間にシワがあるのを見つけてびっくりした。
 家人は年上なのだが、改めて探してもそんなものはない。

 ・・・まあ、ショックだがシワは仕方がない。
 気になったのは、自分の横顔を見ることなんて、ほとんどまったくないということだ。
 他人にしても、思い浮かべるのは基本的に正面からの姿だけである。
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 ところが、バードウォッチングなんかをしていると、鳥は基本的に横から見る。

 いや、自然の中ではどんな角度から見ることができるかわからないのだから、そんなはずはないのだが、イメージとしては横からの姿だし、写真を撮るときもふつうはそれを狙う。
 正面から撮影した鳥の写真というのは、奇を衒ったように見えるし、それを見ても鳥の姿がわからないとすら思ってしまう。

 鳥に限らず、馬でも牛でも象でもキリンでも、基本的には横からの姿がその動物のプロトタイプ(典型的な姿)だ。

 それはなぜなんだろう?

 最初は、人間は両目が揃って前についているために正面からが基本なのかと考えたが、ライオンだってトラだって同じだ。それでもやっぱりプロトタイプは横からである。

 一方で、同じ鳥でも、ペンギンやフクロウは、正面からの姿が基本である。そして、面白いことに、ペンギンの場合、身体は正面でも頭は横向きの写真が好まれているのが、ネットを検索すればわかる。
 フクロウの方は、人間と同じように正面がプロトタイプだ。

 もう一つ、犬や猫は、身体は横を向いていても顔は正面が好まれる。正面だけでも大丈夫だ(おすわりやお手もあるし)。他の動物はその傾向が弱い。ただし、やはり肉食動物は正面からの率が高めで、草食動物は低めだ。

 以上から導いた仮の結論はこうである。

1.投影面積が広い角度がその動物のプロトタイプである。
2.ただし、コミュニケーションを取る意識があるときには正面が好まれる。
3.1と2双方の要請から、高等な動物、特にペットなどは身体は横向き・顔は正面が求められる。

 人間は、横より正面の方が投影面積がはるかに広く、もっともコミュニケーションが密な対象なので、圧倒的に正面なのだ。

 いずれにせよ、自分では自分の正面しか見られない。
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 それにしても、やはり気になる耳の前にシワ・・・

 正面だけでも日々自分の姿を見てげんなりしているのに、横から後ろから上から下から見た私は他にどんな flaw(瑕疵)を抱えているのだろうと思うと、人から見られるのがますますイヤになってしまう。

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2017.03.08

●鰯の頭も・・・

 私はあらゆる宗教を信じていない。
 いやまあ、人並み以下くらいには神社仏閣を訪れるし、一応は柏手を打ったり手を合わせたりもする。よくある日本人の一人と言ったところか。

 あらゆる超常現象も信じない。
 もちろん、現在の科学で説明できないものがすべて超常現象だというつもりはない。現在は超常現象だと思われているものごとでも、現実に存在していて将来的には超常現象でなくなることもあるだろう。
 それでも、幽霊だとかお化けだとか天国だとか地獄だとかは信じない。その存在をあんまりバカにして祟られたりするのは困るけれど ^^;

 UFOも信じない。
 というより、地球外生命体の乗る宇宙船を信じない。文字通りのUFO(Unidentified Flying Object)なら実際に目撃したことがある。複数で見たので、飛行機やヘリコプターではなく、UFOであることは間違いない。あれは何だったんだろう?
 地球外生命体については、むしろその存在を100%近く確信している。その存在が地球まで飛んでくる科学技術力と、わざわざ地球を目指してくる必然性が信じられないだけだ。

 結局のところ、何かを信じているとすれば科学である。
 現在の科学を盲信しているわけではない。将来的に(どのくらいの将来?)この世の事象のすべてが科学で解明されるとも思わない。それでも、あらゆることを説明するのに科学以上のものは存在しないことは確信している。

 いわば、科学教の信者なのだ。

 しかし、だからこそ、擬似科学・似非科学は好きではない。
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 例によって前置きが長くなった。

 先日、三重県の関宿に出かけた折り、面白い石屋さんがあった。墓石屋さんや庭石屋さんではなく、実用性のないいろんなガラスやら化石やら岩石なんかを売っている店だ。アンモナイトや水晶やアメジストなんかを中心に、とえいば、わかりやすいかと思う。

 木工品や金属の小物、岩石なんかが人並みよりはちょっと好きなので、街道の行き帰りに計2度立ち寄った。
 2度目に入ったとき、店のオーナーだという若者(にしか見えない)といろいろ話すことができた。

 店の来歴やアメジストと水晶を中心に遠慮なく教えてもらっているうち、気になる石?を見つけた。

 単にモノとしてちょっと気に入っただけなのだが、その時に初めて知って教えてもらい、後で調べたところによると、その筋ではけっこう有名な「テラヘルツ鉱石」というものだった。
 結論を言うと、擬似ないし似非科学を利用した詐欺的商法によく使われている商品である。

 だが、それまでの話でオーナーが正直なのはある程度わかっていたので、話を聞いてみた。

 一番有名なのは、テラヘルツ鉱石の上では氷がどんどん融(と)けるという現象で、そのせいであたかも何か大きな効用があるかのようにうたうのが通例だ。実は残念なことに、その石屋さんも例外ではないのだが、「パワーストーン」なんかを扱う店として、ぎりぎり踏み外していない感じであった。
 正体不明の「テラヘルツ鉱石」として売るのではなく、純度の高いケイ素だと(当たり前だが)正直に話し、「氷が溶けるのって要するに比熱が低いからですよね」という私の問いに、「というか、熱伝導率が非常に高いからです」と明快である。
 ちなみに、「テラヘルツ鉱石」が発するという「テラヘルツ波」とは、何のことはない、要するに赤外線だ(ただ、3テラヘルツ以下のものは電波と定義されている。また、およそ400〜800テラヘルツはただの可視光線だ)。

 それでも、「科学的理由はわかりませんが、うちの母親が肩の痛みがあったときに使うと、実際に痛みが取れました。血行が良くなるんでしょうか」とか、「生け花の水に入れておけば花が長もちしました」などという。
 「そういうのはまあ、ある程度実験的事実として確かめられるので、もし本当なら可能性はありますね」という私が、そういう「効能」は抜きにして、モノとしてのそれを気に入っていることにつけ込まれ、「気に入っていらっしゃるなら、まあ、だまされたと思って」と買わせるあたりはさすが代々の商売人である。

 最後に背中を押されたのは、買うことに決めていた水晶のツボ押しと両方買えばいくらか値引きしてくれるということであった。
 われながら情けない。
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 さて、五十肩の影響で、これまで経験したことのない局所的な凝り、錐で刺したような痛み(ただし痛さ自体はそれほどではない)が出ることあった。鍼なんかに通っても、その時は軽快したような気もするが、またぶりかえす。
 その時もその凝りがあったので、それこそ「だまされたと思って」購入し、家に帰るまで肩に載せておいた。ケイ素(シリコン)の固まりだが金属質で、ちょっと肌に貼り付く感じがあり、固定していなくても落ちたりしない。

 それで、凝りが取れたのだ。

 載せていた右肩の凝りが取れて、逆に左の凝りが気になり出すくらいになった。
 まさかの「効能」である。

 想像するしかないのだが、短時間で体温と同じ温度になったシリコンの固まりが、肩からの放熱を抑えていただけのことではないかと思う。汗だって蒸発できない。
 その結果、「血行が良くなった」ということなのだろうか。

 だとすると、もっと熱伝導率のよい物質を肩に置いておけば、もっと「効く」はずである。
 そうしてたどり着いたのが銀であった。鍋の材料としては銅が有名だが、銀の方がやや勝る。ケイ素(シリコン)と比べると銀は2.5倍も高い。

 幸い、銀の価格は金のおよそ1/100である。金やプラチナ(やシリコン)と違って錆びるのが欠点だが、まさか金やプラチナの塊を肩の上に置いておくことはできない(し、同じ大きさのものを買うのに莫大な金額を必要とする。それに、金はともかくプラチナの熱伝導率はかなり低い)。

 というわけで、今日は銀を手に入れた。
 やはりというか当たり前だが、氷を置くとみるみる融ける。確かに、ふだん見慣れない現象で、不思議な感じはする。例の痛みはシリコンのお蔭で?なくなっているので実験することはできないが、これで片方ずつではなく両肩に載せておくことができる。

 そんなものが本当に効くのかどうかはわからない。でも、鰯の頭も信心からと言うし、科学的にはプラセボ効果だって認められているのだ ^^;

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2017.01.08

■超人世代?

 1月6日(金)の朝日新聞(大阪本社版朝刊)トップは「高齢者「75歳から」提言」という記事であった。

 日本老年学会と日本老年医学会が「高齢者の定義について」「75歳以上とすべきだとする提言を発表した」件である。

 高齢者福祉を削りたい政治の側から働きかけでもあったのかと、かなりうさんくさい気はするものの、それはまあ憶測に過ぎないし、今の70代前半がまだまだ若いというのは実感とも合致する。

 だが、以下はいただけなかった。

 「知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当するという報告があり、根拠の一つとされた」(読点を1箇所だけ移動しています)というのだ。

 「この文の通りだとすれば」、その報告は明らかに間違っている。

 なぜなら、「10年前の60代」は現在の70代なのだから。
 この調査は、10年前と現在の同じ集団を調査していることになるはずだ。

 ランダムサンプリングなりなんなりが適切に行われ、きちんとした科学的な調査が行われていれば、こんな結果が出ることはありえない。
 もしこの結果が正しければ、10年前の60代は10年経っても知的能力が同じで、衰えていないということになるからだ。

 実際の報告がどういうものかはわからないが、こんな馬鹿げた内容をそのまま記事にしてしまう記者と校閲の愚かさにはあきれてしまう。

 この部分の直前には、「生物学的に見た年齢は10〜20年前に比べて5〜10歳は若返っていると判断した」とあるのだが、それならまだ理解できる。

 だが、「70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当する」なら、その世代は10年間まったく老化しなかった超人世代ということになってしまう。
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 私が最初の職場に就職した30年ほど前、75歳という年齢は、確かに、仕事ができなくなる境界あたりであったことを、具体例とともにまざまざと覚えている。
 しかしながら、80代半ばの父親を見ていると、まだその境界を越えていないように感じる。

 もしそうだとするならば、30年で10年ほどは「若返っている」のかもしれない。あるいは学会の言うように「10〜20年前に比べて5〜10歳」ということもありえないことではない。

 それでも、「10年で10年」はありえない。人間は不老不死ではないのだ。

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2016.09.05

■アイスランドダイエット

 ダイエットを始めて十数年になる。

 肝臓や血液に脂質が多すぎることを医者から指摘されて始めた。
 ごく最初のころこそ少しだけがんばったが、その後は日常の食生活そのものが恒常的ダイエットになっている。
 とは言っても、なるべく間食をせず、食事の炭水化物を減らすくらいで、特別なことは何もしていない。お腹いっぱい食べることは少なくなったが、ふだんはそれなりに満足感のある食事をしている。自然に小食になった感じだ。
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 さて、アイスランドに来て、外食の物価が高いことをたびたび tweet してきた。
 ぜんぜん高級ではないふつうの食堂で食べた場合でも、スープが1500円くらい、メインの一皿が3500円から4500円程度かかる。
 パスタ一皿3000円、ケーキが1000円、ハンバーガーセットですら、2500円くらいしたりする。

 メニューには通常、スターターとしてサラダやスープがあがっており、メインコース、デザートとコーヒーみたいに注文するのがふつうなのかもしれないが、そんなことをすると一人で6500円くらいになる。
 実際、今日の夕食で私の前に会計していた男性は一人で食事した旅行者だったが、7000円ほど支払っていた。家族3人だと2万円仕事だ。

 たった一食で。

 食事は日に3度食べない訳にはいかない。
 休日に家でゴロゴロしているのならともかく、朝から動き出すことが多い旅行では、なかなか2食にもできない。

 今回は朝食がついていない宿も多かったので、朝食の心配までさせられた。朝食込みでない宿では、一人EUR10( ≒ ISK1300 ≒ 1200円)が相場で、それはつまり、3人の朝食が3600円になるということを意味する。
 これに昼夜を加えると、恐ろしい金額になってしまう。

 金額はともかく、たとえばスープの量も多くてほとんどは具だくさんなので、とてもそんなには食べられない。今日の夕食のスープはまだ上品なほうだったが、あのスープと、自動的についてくるパンを一人で食べると、それだけでもうお腹いっぱいになってしまう。

 というわけで、お財布にも体にも優しい食事を考えた結果(というほど考えてないけど)、多くの昼食や夕食で、スープとメインを一つずつだけ注文して3人で分けるということをしてきた。
 レストランの人からどんなふうに見られているかはわからない。多くの場合はすぐに理解してくれ、笑顔で OK というのが多かったが、数回は不審なというか怪訝な顔をされた。
 通常の一人分に満たないような料理を3人で食べるのだから当然だ。

 恐るべき窮乏家族である。

 それほどがんばって節約しても、一食5〜6千円。これはわが家の日常の外食予算を超えているし、それが毎日である。
 昼食はさらに節約して、ガソリンスタンド併設の売店でサンドイッチを買ってすませたりしたが、それでも3人で2〜3千円かかった。

 幸い、アイスランドの水道水は日本よりもおいしく、日本と同様、頼まなくても水が出てくるくらいなので、別に飲み物を頼む必要がない。
 4年前に旧東ヨーロッパを旅行していたとき、水より安いからと毎晩のようにグラスワインやビールを飲んでいた家人(お蔭で、酒飲みというのがどういう人種か知らない息子が、自分の母親のことを酒好きだと思ったりした)も、今回の旅行では一度も飲んでいない。

 さて、そうして出てきた一人分にも満たないようなスープとメイン料理を3人で分けて食べる。
 概ね、半分を息子が食べ、残りの半分を家人と2人で分けた。
 パンは自動的についてくるし、多くの場合は3人分出してくれたりしたので、それでもまあ必要十分な量があった。
 さすがに息子は若いので物足りないこともあったようだが、夫婦2人はそれなりにおいしい料理を控えめに食べて、だいたい満足していた。

 とはいえ、やはり絶対的な摂取カロリーがふだんよりは少なかったに違いない。
 それに、ほとんど車で走り続けるような旅だったが、かなり歩いた日も半分くらいあった。今、iPhone の Health アプリで確認すると、歩かなかった日ですら、日本の日常程度かそれ以上に歩いている感じだ。

 というわけで、最近ちょっと気が緩んでウエストがきつくなってきていたズボンが、今朝気づくとけっこう緩くなってきていた。
 帰国して体重を量るのが楽しみである。
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 アイスランドダイエット、お勧めです。体重もお金もぐっと減ること請け合いです。

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2016.08.14

★早寝早起き

 ふと気がつくと、8月に書いたものが一つもない。もう半ばだというのに。

 理由はおそらく、「早寝早起き」を始めたことだと思う。長い話を省略すると、五十肩がきっかけで通い始めた鍼の先生に言われてそうするようになった。

 前の職場を辞めてから25年以上、早寝早起きとは無縁だった。

 むろん、早起きしなければいけないときはままあるのだが、それが直接早寝には結びつかないし、ふだんはとにかく「不規則な生活」をしていた。

 子どものころからずっと、各方面から「早寝早起き」「規則正しい生活」を言われ続けているのだが、実行できたためしがない。

 ただ、唯一、前の職場に勤務していたころの一時期は、そういう生活に近かったと思う。
 「朝の涼しいうちに勉強しましょう」というのを、言われる方から言わされる方になって初めて、夏休みの午前中は午後より涼しいのが本当だと知って驚いたものだ。

 でも、そのころでさえ、20代半ばの若さで、勤務時間だって長くないのに、ふつうに疲れていた。

 50になって不規則な生活をしていても、当時とそんなに変わっている気がしない。
 つまり、「規則正しい生活」が何かを改善するという実感を持てないのだ。だからやる気が起きない。

 鍼の先生に言われて、コーヒーだって紅茶だって(いただきもののプーアール茶すら)やめている。そして代わりに毎朝、これも指導されたニンジンジュースなんかを飲んでいる。

 これで、体調がよくなったとか、疲れなくなったとかいうのならありがたいのだが、そんな実感はほとんどない。

 ブログが書けなくなっただけである(笑)
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 毎日、なにか一つでも楽しかったことがないと、寝る気がしない。

 だが、楽しみなんか、そう簡単に得られるものではない。仕事で得られればいうことはないのだろうが、そういう日は多くない。
 今のところ、洋もののテレビドラマか映画を見るのがお手軽な楽しみになっている。

 憂き世のつとめを果たして液晶パネルを見たりすると、もう「早寝」の時間になってしまう。いちおう11時なのだが、往々にして12時近くになるし、時には越える。

 まあそれでも、だいたいは早寝早起きをしていると、のんびりブログなんかを書いている時間はない。残念なことだ。

 収穫があるとすれば一つだけ、これまではだれが何と言おうとまず絶対に無理だと思っていた早寝早起きが、案外簡単にできるのを知ったことである。

 まさか、自分にそんなことができるなんて・・・

 要は、やる気になるかどうかだけの問題のようだ。

 でも、だからといって特に体調がよくなったわけでもないし、他のことにやる気がでるかというとそんなこともない。

 なのに、いちおうこの生活が続けられているのが不思議である。きっとそのうちどんどんいいことが起こってくると思いたい。

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2016.06.06

◆ちょっと、これはあかん・・・

 いわゆる五十肩で苦しんでいる。

 5年前に左をやり、今度は右。天災?はやはり、忘れたころにやってくる。

 前回は、初めてということもあり、最初は何が起こっているのかわからず、いっこうに軽快しないでむしろ悪くなる感じだったので、整形外科で診察を受け、その後マッサージに通ったりした。

 その後もよくなる気配が見えず、年配の方とそういう話ができそうな雰囲気になると、片っ端から経験を聞いてみた(とはいっても、私の狭い交友範囲のこと、二桁には達していないかもしれない)。

 その結果、以下の2つのことがわかった。

1.ほとんどの年配者が五十肩(四十肩)を経験している。
2.何をしても治らないが、1年ほど経てば自然に治る。

 なんということだ。それほどありふれた病気で、かなり辛いにもかかわらず、明確な治療法が存在しないのである。

 実際、服の脱ぎ着も困難な月日を1年あまり経ると、いつの間にか治っていた。
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 今回も、日常のありふれた動作ができず、できるつもりで何の気なしに腕を動かすと、叫びたくなるほどの激痛が走ったりするので、当初は難儀した。
 でもまあ、二度目でもあり、どうすればできるだけ痛みやだるさを抑えられるかは早々に体得し、こんな調子でだましだまししんどい1年を過ごすしかないかと諦観していた。

 ぎっくり腰や五十肩など、この手の疾患の治療に西洋医学は無力だ。

 また、私は基本的に、鍼灸・指圧・マッサージ等をそれほど信用していない。それに、少なくとも五十肩(四十肩)には効かないことは多くの先達が証言している。
 いや、効くこともあるのかもしれないが、きちんとした技術を持った人に当たることは稀であろうし、効果があるかないかわからないものに短くない時間と安くないお金を割くことにはかなりの抵抗がある。

 「気持ちいい」という人がいるが、これまで何度かカイロプラクティックやマッサージや指圧などをしてもらった中で、そんな経験は一度もない。

 ところが・・・

 いろんな偶然やきっかけが重なり、今回は、以前から気になっていた整体治療院に通ってみることにした。最後は、Webで見た院長(といっても一人でやっている)の変わった経歴と信頼できそうな顔が背中を押した。

 初回の施術を終え(初診料含め1万円!)、やはり気持ちいいとかいうことはなかったが、いろいろ話をしながら1時間半近く全身を丁寧に診てもらった結果、少し続けてみようと思った。
 その後、右肩に劇的な変化はないものの、自律神経系を含めた体の状態も少しよくなった気もした。自己暗示のようなものも手伝っているのかもしれない。

 だが、問題は2回目の施術後にやってきた。

 右肩は確かに少しよくなったような気がするものの、首が痛くてどうしようもない。じっと座って動かさなければいいのだが、そこから立ち上がるだけで痛みが走り、ほとんど体を動かせない。

 ちょっとこれは、いくら何でも、もうあかん・・・という感じの状態である。

 次の予約は一週間後なのだが、施術のせいでこうなった首の痛みを今すぐにでもなんとかしてくれと再訪すると、どうなるのだろう。

 いや、これは困った・・・と思いながら、まあ週末でもあることだし、一日二日様子を見ようと思って、この週末はまったく無為に(それだけだといつもとあまり変わらないんだけれど、苦しみながら無為に)過ごしてしまった。
 幸い、日曜の夜には座ったり立ったりするのにそれほど支障がないくらいには痛みも治まってきたので、次回の通院まで待つことにした。

 でも、今度行ったときになんて言おう? 珍しくこういうものを信用して通おうと決めた途端にこんな目に遭うなんて・・・

 これは、「もうやめなさい」という啓示なのだろうか、それとも、何か他に意味があるのだろうか。

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