2017.02.20

◆愚かで危険な言葉遊び

 学習指導要領の改訂案が発表された(2月14日)。

小5の社会では、竹島、北方領土、尖閣諸島が「我が国の固有の領土であることに触れること」と初めて明記。中学地理では竹島と尖閣諸島が日本固有の領土であり、尖閣については「領土問題は存在しないことも扱う」とした。(asahi.com)

 どこがどこの領土かや、小中学生にそれを教え込むことの是非はこの際措く。

 一番問題だと思うのは、中学地理で尖閣諸島について「領土問題は存在しないことも扱う」という点である。

 どうして、たとえば北海道や本州や四国や九州について「領土問題は存在しないこと」を「扱」わないのだろうか。
 それはもちろん、実際に(国家間の)領土問題が存在しないからである。

 ではなぜことさら、領土問題が存在しないはずの尖閣諸島について、中学生に「領土問題は存在しない」と教えなければならないのか。
 それはもちろん、実際には領土問題が存在するからである。

 だからこそ、アメリカのマティス国防長官やトランプ大統領に「米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条が沖縄県の尖閣諸島に適用される」などとわざわざ発言させ、それを聞いて大喜びしているのだ。

 もしかすると、こういう論理的思考を養成しようという深謀遠慮でもあるのだろうか(ないよね)。

 「日本政府は「領土問題は存在しない」と主張している」と教えるのなら問題ない。だがそれでは、政権の意向を体した学習指導要領にならないので、そうはなっていないだろう。
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 間違いでも嘘でも事実に反していても、言葉遊びのように言い換えれば誤魔化せるとでも考えているかのような病が蔓延している。
 最近では

「(南スーダンに派遣されている自衛隊の業務日誌には)一般的用語として “戦闘” という言葉が使われているが、法的な意味の戦闘行為ではない」(稲田朋美防衛大臣)
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」(同)

 というような国会答弁が有名だが、日本の行政組織や立法組織はこれまでもずっとそうだった(司法すらそうだと聞く)。

 他の国でどうだったのかは知らないが、近ごろは、post truth とか alternative truth とかいう言葉が世界を席巻している。

 まさか、「優秀な」政治家や官僚を育てるために、小中学校から愚かで危険な言葉遊び(≒詭弁)を教え込もうとしているのではあるまい。

 中学生ともなれば、「領土問題は存在しない」と教えられることの馬鹿らしさに気づく生徒も少なくはないだろう。そんな聡明な生徒たちが、そういう頭の悪い言葉の使い方をしないように導くことこそ、教育の使命である。

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2016.09.20

■英語の通じる国、通じない国

 アイスランドほど誰もが英語を話せる国を他に知らない。

 あ、イギリスとカナダとオーストラリアは除く(ニュージーランドとかには行ったことがない)。
 でも、アメリカではしばしば経験した "No English." は一度もなかった。

 旅行者である私が話す範囲の人で、明らかに英語ができないと思われたのは、自分で編んだセーターを売っていたおばあさんだけであった。何を言っても、"It's very nice." としか言わなかった。それで、ふだん服なんか買わない私に一生で一番高いセーターを買わせたのだからたいしたものだ。
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 旅行者としての個人的な経験からだけだが、アメリカよりもアイスランドの方が英語が通じる率が高いというのはすごいことだと思う。
 年配の人ほど発音に癖があって聞き取りにくい感じはしたが、どこに行っても誰と話しても、"Do you speak English ?" みたいな手続きなしに、いきなり英語で会話を初めてお互いに何の不自然さも不自由もなかった。

 先方も、外国人がアイスランド語を話すことなど、ハナから期待していない。
 「さようなら」だけは何度かアイスランド語で言ったのだが、むしろ戸惑われるのがオチで、軽い驚きとともにアイスランド語で挨拶を返してもらえたのは一度だけだった。旅行者は、その程度のアイスランド語すら話さないのがむしろふつうらしい。

 聞くところによると、北欧は全般にほとんど誰でも英語を話すらしいのだが、どうしてなんだろう。北欧諸語よりは英語に近いと思われるドイツ語地域ですら、こんなにみんなが英語を話すなどということはない。
 以前、スウェーデン人に聞いたところによると、「小さいころからずっと英語のテレビを見ているから」ということだったが、ドイツ人は見ないのだろうか。

 母語の(政治的・経済的・文化的)力が相対的に弱いことが外国語の習得にプラスに働いているのかもしれない。
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 いうまでもなく、日本はもっとも英語が通じにくい国の一つである。その一番の理由は、日本語が英語とはかけ離れた言語であることだろうが、他のアジアの諸言語だってほとんどはそうである。

 にもかかわらず、21世紀になってもダントツに英語ができないのは、習得する必要がないことが大きいだろう。日常生活から芸術や最先端科学まで、すべて自国語でやっていけるという国は多くない。

 「最先端科学まで」と書いたが、最先端科学をやっていて英語ができない人というのは、ほんとうはちょっと想像しがたい。
 だが、ノーベル賞の授賞式が初めての海外渡航で、受賞スピーチでしゃべった英語は "I'm sorry, I can't speak English." だけだという益川敏英さんの例が示すように、日本では英語ができなくてもなんとかやっていけるのである(ノーベル賞まで取ったのだから、「なんとか」ではなく「十分以上に」かもしれない)。

 そう考えれば、「もっとも英語ができない国(の一つ)」というのは、もっとも豊かな母語環境に恵まれた国であることの裏返しでもある。
 明治以来、いくら熱心に英語学習を推進しても、いつまで経ってもできるようにはなっていない。またぞろ、さらに英語教育を促進し・・・と拳を振り上げてみても、英語嫌いを増やすだけではないかと危惧する。

 それとも、「グローバル化」する今後は、できるようになるのだろうか。ならないとは思うけれど、もしなったとしたら、それは母語の衰退と表裏一体のような気がする。

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2016.03.08

● U

 大学時代の友人、Uの奥さんから突然メールが来た。

 Uの結婚式で新郎の友人として一度会ったきりだ。少なくとも20年以上にはなると思う。
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 引っ込み思案で奥ゆかしく、真面目なUは、アクの強い連中が多かった学生時代の友人の中にあって、不器用ではあるがきわめて真っ当な男だった。

 思慮深すぎるのがわざわいしたのか、卒業は少し遅れたが、結婚して子どももでき、葉書に「子育て」とか「家族サービス」なんて言葉が登場するようになって、「あの奥手だったUがよくぞここまで」と、ちょっとした感慨を覚えたものだ。

 卒業してからは会う機会も数えるほどしかなかったが、今住んでいる家に招いたことのある、たった2人の友人のうちのひとりがUであることは、もちろん偶然ではない。

 年賀状どころか、律儀に暑中見舞いなんかまで送ってきていたそのUからの音信が途絶えて、もう数年が経つ。
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 なあ、U・・・

 お前は知らないだろうし、俺も初めて知ったんだが、お前の息子のKは、俺たちの母校に入学していて、もうすぐ2年生になる。

 お前に似て、おとなしくて真面目で口下手で、取り越し苦労をして悩むところなんかもあるけれど、なんとか元気にやっているみたいだ。

 読んでるはずはないと思うけれど、こんなものでも世界中から見られるんだから、もしかしたら、あるいは・・・

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2015.10.14

◆Boyhood(少年時代)

 久しぶりに映画の話。

 といっても、芸術は饒舌を嫌うと思うので(と言い訳をして)、どうでもいい話を少し(ネタバレ注意)。

 ある現代アメリカ的「家族」の12年間を描いているのだが、見ていて、子役本人がどんどん大きくなっているとしか思えなかった。

 たとえば、題名から主人公と知れる、映画の最初で6歳の設定だった少年本人が、そのまま大きくなっていく。
 最初、「Boyhood っていう題名なのに、どうして6歳?」とか言っていたのだが、長い映画の間に8歳10歳12歳15歳・・・と成長していき、18歳で大学に入学して寮に入り、ルームメイトやそのガールフレンドなんかとハイキングに行ったところで終わる。

 その間、6歳だった子役その人が、どんどん大きくなっているとしか思えないのだ。

 その子には姉もいて、そちらも同様である。
 父親であるイーサン・ホークも母親役の女優も、12年分年を取っていく。

 まあ、大人の方は「若作り」とか「老けメイク」なんかもあろうが、どう頑張ったって、6歳の子どもにティーンエイジャーは演じられない。

 似た子役を探してくる? まさかのCG?

 いや、これは実際、12年間をかけて撮影された映画なのだという。

 うわあ・・・

 それを知っていたら、「まさかまさか」といらぬことばかり考えながら見ずにすんだのに。

 12年間かけて撮影する価値のあった映画かと言えば、あったと思う。

 フィクションや芸術を信じないわけではないが、12年の実時間を費やさなければ生み出せない、何か重いリアルなものが、この映画では描きだされていた。

(邦題:6才のボクが、大人になるまで。2014 U.S.A.)

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2013.12.27

★連日の残業

 息子は連日の残業。

 「また残業だ。定時に帰られる日はあるのだろうか。」という LINE が来たが、労働二日目にして「残業」とか「定時」とか言っているのが笑える。

 私も一応は労働者なのでその意味するところは知っているが、家人も私もずっと「定時」のない仕事をしてきているし、残業代は1円も受け取ったことがない。おそらく生涯、もらうことはないだろう。

 その昔、私がまだ幼稚園にも通っていないころ、父親と叔父が「今日も残業か」「いや、今日は定時や」などという意味不明の会話をしていたことを懐かしく思い出した。

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2013.12.26

★働くということ

 赤ちゃんだった息子が、初めて給料をもらえる仕事をしている。年末年始の郵便局でのアルバイトだ。

 11日間連続、一日も休みなし。大晦日も元日も。

 もしかして、何らかの労働法令に触れるんじゃないかとも思ったが、一日4時間だけだから、そんなこともないのだろう。

 だが、たぶん、4時間立ちっぱなしで休憩もなく、ずっと年賀状の仕分けをしているのだと思う。
 家人と2人、自分たちにはとてもできないだろうと言いあっていた。

 間違いなく、意気消沈して帰ってくるに違いない。
 単に疲れるだけではない。慣れない仕事がうまくできず、上司やら先輩やらに怒られて落ち込み、自分の不甲斐なさに情けなくなるはずである。

 それでもまあ、時間が経てば仕事は終わる。そろそろ帰ってくるかなあと思っていたころ、何気なく iPhone を見ると、息子から LINE のメッセージが来ていて

 「残業になりました」

 ああ・・・、世の中は、生まれて初めて働く憐れな子羊に、初日から残業させるのだ。
 お腹だってすいてるだろうに。もう21時過ぎである。

 「アルバイトに行ったら、働くというのがどういうことかわかるわ」などと、ろくに働いたこともないくせに社会人の先輩面をしていたのだが、社会というのがどういうものか、息子は11日間で私の四半世紀分を学ぶのではないかと思う。

 後記:今、「初出勤」から帰宅。22時36分。

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2013.11.29

●国語力の低下??

 ベネッセコーポレーションが発表した赤ちゃんの名前ランキングによると、2011〜2013年の3年連続で「蓮」がトップ3の一角を占めているという。
 また、明治安田生命の調査でも、2011、2012年のいずれも「蓮」が1位だ(2013年の発表はまだらしい)。(いずれも、asahi.com)

 日本に多い名字を組み合わせると、たとえば、佐藤蓮・鈴木蓮・高橋蓮・田中蓮・・・

 さて、みなさんは、この蓮ちゃんたちは男の子だと思うだろうか、女の子だと思うだろうか。
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 実は、上に「トップ3」だの「1位」だのと書いたのは、いずれも「男の子の中で」である。

 だが、「蓮」という名前は、ふつう女の子につけるものではないかと思えて仕方がない。

 いや、もちろん、男女双方に使う名前もあるし、どんな名前をどちらにつけようが自由だ。
 男女平等やジェンダーフリーに関しても、当然、その推進には賛成する。

 しかしながら、現実に男女の名前に歴然とした差がある以上、一般的には男の子には男っぽい名前を、女の子には女っぽい名前をつけるのが多数派だろう。
 現に、ベネッセの発表から女の子の名前ベストテンを見てみると、結菜・陽菜・葵・結愛・結衣・凛・愛莉・心春・愛梨・芽依である。
 この中に「蓮」が混じっても、何の違和感もない。

 ところが、「蓮」は男の子のトップなのだ・・・

 女の子っぽい名前を好んで男の子につける若いカップルもいるだろう(そしてそれは別に悪いことではない)が、それが1位やら2位やらになるほど多数派とは思えない。

 そうすると、彼らは「蓮」が男っぽい名前だと思っているということになる・・・

 うーん、信じがたい。それは、いわゆる「国語力の低下」とは、また別のことなのだろうか。
 あるいは、私の感覚がおかしいのだろうか?

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2013.09.22

■「公募校長」が次々に不祥事を起こす原因は・・・

 大阪市が鳴り物入りで導入した市立小中学校への「民間人公募校長」だが、900人以上の応募者から選び抜いた精鋭11名のうち、すでに6名が悪い意味で新聞沙汰になった。
 まだ半年も経っていないのに、である。

 6/11 の衝撃!

 どこの職場のどんな職種を取りだしてみても、11人のうち6人に新聞に載るような問題があるなどということが起ころうはずもない。
 注目度が高くてマスコミに取り上げられやすいという面はあると思うものの、いくらなんでも、それにしても、である。

 ちなみに、大阪市には430近い市立小中学校があり、400人以上の「非公募」校長がいるはずだが、そのうちのだれかが今年度に入ってから不祥事で新聞報道されたというのは寡聞にして聞かない。
 仮にあったとしても、たとえば 1/40 の10人以上などということすらありえないだろう。

 6/11 には何か原因があるとしか思えない。

 3/11 になったときからつらつらと考えていたのだが、私なりの憶測的結論は以下に落ち着いた。

 公募校長たち(の多く)が、「橋下の威を借る狐」だからだ。

 人間だから、もちろんだれしも聖人君子というわけではない。
 しかし、(6人のうち特に3人が)持ち前の悪いところを臆面もなく発揮しているとすれば、「威を借る狐」の浅ましさ・卑劣さ以外に考えられないと思ったのである(上に書いたように、あくまでも憶測です)。

 そう考えて、他の方々がどう解釈しているのか調べてみると、また違う分析に出くわした。やや長いが引用する。

この人々がある種の「人間的資質」を共有していたのだとすれば、それは任用者自身の「個性的な人間的資質」を反映していると推論して過たないだろう。 これらのケースを見ると、これら「不適格校長」に共通するのは、「威圧的」「強権的」「暴力的」「性差別的」そして「無責任」ということである。 任用者はおそらくそういうタイプの人間につよい共感を感じるのであろう。 (「公募校長」の資質について 内田樹の研究室)

 なるほど。

 そうやって選ばれた人たちが、選んだ人の威を借りて傍若無人に振る舞っているのだとすれば、より納得がいく。

 選考者にも被選考者にも欠けているもの、それはたぶん、decency とか modesty とかいう資質ではなかろうかと思う。
(なかなか訳しにくいのですが、「品位と慎み」という感じでしょうか。)
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 私も新聞に載らないようにしなければ・・・

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2013.05.02

■教育再生実行本部(長)?

 新聞に載っていた「自民党教育再生実行本部長」で衆議院議員(しかも、元文部科学副大臣・自民党国際局長経験者)の発言を読んで目を疑った。

 「まず目標を決め、そこから逆算して教育の中身を決めていくことが確実です」

 なるほど。それは一つの考え方ではあろう。ところが、これは

 「探したら米国にTOEFLというテストがある」《中略》「これを目標にしようというわけです」

と続くのだ。

 「探したら・・・」

 そんな人物が、「教育再生実行本部長」なのだ。

 だから、TOEFLがどんなテストでどんな問題が出されているのかまったくご存じない。

 「まずは、センター試験から英語をやめ、TOEFL一本にする」という。

 「私は受けたことはないです。受けても10点ぐらいでしょうか(筆者注:120点満点)。英会話を習ったこともあります。うまくなりませんでしたが」

 教育にも英語にも何の見識もない人物が、「教育再生実行本部長」として日本全体の(英語)教育を変えようとしているのだ。

 ご存じだろうか。実は、「教育再生実行本部」にも「教育再生実行会議」にも、教育学者が一人も!いないことを。

 今に始まった話ではなく、歴代の教育審議会等のメンバーにも、教育学者はほとんどいない。
 教育学の成果や蓄積を無視して、「有名な」あるいは「優秀な」個人の経験による思い込みによって教育行政を弄んでいるのがこの国だ。
 時には(いや、しばしばか)、優秀とはほど遠い人物すら混じる。

 第一、どうして今ごろになって、教育「再生」なのだ?
 戦後に限っても、何十年にもわたってずっと「改善」「改革」を続けてきているはずなのに、今、教育は死んでしまっているのか。

 そう、今回も「教育再生」などできるはずがない。まして「実行」など。

 ほんとうに教育再生とかそれを実行とかしたいならば、まず、教育についてきちんと研究したことのある人々が中心になって、教育そのものや教育行政を考えなければならない。

 言うまでもなく、大学院から幼稚園まで、ほとんどの教員は個人の経験による思い込みによって教育しているに過ぎず(それはそれで悪くはない面もあるのだが)、教育について研究した経験などない。
 まして、スポーツコメンテーターやら大企業の経営者やら政治家やら作家等においてをや、である。

 「教育再生実行本部」や同「会議」のメンバーには、せめて、教育学の成果をきちんと学習してから教育について語ってもらいたいと(空しく)願うばかりだ。

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2013.03.07

●「ハンドル操作の誤り」

 うわお、いつのまにか3月に入って1週間も経っている。そしてその間、ここに何も書いていない。今気づいた。
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 警察庁なんかが交通事故の原因を説明する際に、「速度超過」「前方不注意」とならんで、よく「ハンドル操作の誤り」という表現を使う。

 あれを見るたびに「「ハンドル操作の誤り」って何のこと?」と思っていた。

 たとえば、カーブを曲がりきれずに事故を起こしたら「ハンドル操作の誤り」なのか。でも、それはむしろ、スピードの出しすぎだと思う。
 まあ、同じスピードでも、F1レーサーとかが「ハンドル操作」をすれば曲がれたのかもしれないが、そういうことを考えても仕方がない。事故の一義的な原因は「速度超過」であるはずだ。

 では、道路の左側の電柱にぶつかったら、「ハンドル操作の誤り」なのか。それはむしろ、「前方不注意」なのではないか。あるいは、電柱までの距離感がうまくつかめなかったのだとしたら「目測の誤り」とでも言うべきだろう。

 いったい、「ハンドル操作の誤り」ってなんなのだろう? それを原因とする事故がどうしてそんなに多いのだろう?
 ・・・もしかして、事故原因を究明するのが面倒なので、ちゃんと前を見ていて速度もそれほど出ていなかったとドライバーが主張したときは、自動的に「ハンドル操作の誤り」にしたりするんだろうか、とか思っていた。

 最近までは。
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 息子が自動車免許を取ってきたのだが、1人で乗せるのは危なっかしいし、本人も1人では乗れそうもないと言っているので、隣に乗って「本免許練習中」をやっている。

 それでたちどころに、「ハンドル操作の誤り」の意味を理解した。

 幸いまだ当てたりこすったりはまったくしていないものの、ハンドル操作は誤りだらけである。

 速度なんかもちろん出ておらず、目測を誤ったりはしていなくても(してないんだろうな?)、切りすぎたり戻すのが遅かったり切り足りなかったり・・・をかなりやる。
 ああ、これがかの有名な「ハンドル操作の誤り」なのか!

 まあ、息子は少しずつ上達しているし、そのうちそんな「誤り」もおかさなくなってくるだろう。

 だがたとえば、そこら中の駐車場の入口や壁なんかにカラフルなペイントがこすりつけられているのを見ると、いつまで経っても「ハンドル操作の誤り」を繰り返している人がいるのかもしれないと思う。

 これまではむしろ「目測の誤り」だと思っていたんだけれど。

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