2018.08.08

★乳児用液体ミルク解禁

 本日8日、乳児用の液体ミルクが解禁された。「厚生労働省が製品の規格基準を定めた改正省令を公布、施行」(朝日新聞)したそうである。

 その裏にどのような検討と手続きがあったのか定かではないが、これまで日本で製造・販売されていなかった製品が省令一本で販売できるようになるというのはおもしろい。そういうことが可能な製品がほかにどれくらいあるのだろう。

 この液体ミルクが話題になりはじめたのは東日本大震災以降だと思うが、「常温で一定期間保存でき、湯で溶かして冷ます必要もない。粉ミルクより使いやすいと海外では広く売られている」(同)のだという。災害時の支援物資としても頼もしい存在だ。
 今まで日本で売られていなかったのは、単なる行政の怠慢なのだろうか。

 解禁されたものの、市販までには一年以上かかかる見通しだそうだ(「ええ? うちの子、それまでに卒乳しちゃうよ・・・」という方は、ぜひ二人目三人目の時に期待してください)

 解禁と同時にとはいかないまでも、なぜもっと早く売り出せるように準備できなかったんだろう。日本乳業協会が規格作りを要望したのは、もう9年も前のことらしいのに。
 こんなことに10年もかかっているようでは、そりゃ世界から取り残されていくよなあ・・・と思ってしまう。モノが乳児用だけに、「念には念を入れて安全を」ということなのかもしれないけれど。
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 息子にミルクを飲ませていたころ、「どうして液体ミルクがないんだろう」なんて思いつきもしなかった。
 紙おむつはすでにあったが、布おむつの時代には使い捨ての紙おむつを思いつかないのと同じだ。

 「必要は発明の母」というが、凡人には何が必要なのかすらわからない。iPhone がなかったときには、だれもそれが必要だとは思わなかったはずである。

 粉ミルクは厄介だ。

 シリコンの乳首や哺乳瓶を洗ってから煮沸消毒しておく。いったん沸騰させた70℃以上のお湯で調乳、さらにそれを40℃程度にさましてから飲ませる。
 温度計を突っ込むわけにもいかないので、手首の内側に出してみて温度を判定し(「あつっ!」)、その後なめとるのがふつうだった。

 そうした作業をしている間、赤ん坊が火のついたように泣き叫んでいることもあるだろう。
 息子は幸い、あまり手のかからない子で助かったけれど。
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 どんな製品が出てくるのかは知らないが、おそらくは煮沸した乳首をネジ蓋に直接取り付けるだけで飲ませられる製品が売り出されるに違いない。適温にするのは電子レンジで自動だ。

 粉ミルクより重くてかさばるのがネックだが、まだかろうじて残っている牛乳配達の業者が宅配すればいい。業界の生き残りにもつながるだろう。
 購入するにしても、紙パックで常温6か月、レトルトや缶なら9〜12か月大丈夫だそうなので、まとめ買いもたやすい。

 となると、問題は価格か。
 少しでも安くなって、減った育児の負担が赤ちゃんへの愛情に転化されることを願う。

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2018.01.19

■ニュージーランドの首相が出産予定

 ツイッターにひと言・・・でもいいのですが、やっぱりここで。

 ニュージーランドのアーダーン首相が6月に出産予定で、6週間の産休を取る方針であることが明らかになったという(朝日夕刊)。

 子どもを産む年齢で首相であることにまず驚く。37歳だそうだ。
 首相だから最小限の産休しか取れないのは気の毒である。日本ですら産前産後の休暇は14週間取れるのに(特に産後の8週間は強制休暇で、使用者が働かせたくても本人が働きたがっても、働くことは許されない)。だがまあおそらく、日本の国会議員や大臣に産休の規程はないと思うけれど。

 個人的に一番気になったのは、「国家元首クラスの人物(世襲の女王などを除く)が出産した例がこれまでにあったのか」ということ。

 大昔のことはいざ知らず、近代国家の大統領や首相としては、もしかしたら世界初ではないのだろうか。そもそも、女性のトップ自体、ほとんどいなかったのだから。

 記事にこの点に関する言及がないのがなんとももどかしい。


 蛇足:

 アーダーン首相は「(妊娠は)予想していなかったが、興奮している」(朝日夕刊)とコメントしたそうだ。
 予想外の妊娠を喜んで「興奮している」というのは、まっとうな日本語であろうか。

 以前もこのことについて書いた気がするのだが、原文は案の定、"excited" のようだ。辞書を引くと確かに「興奮」のオンパレードだが、こういう文脈で適切な訳だとは到底思えない。
 「大喜びしている」とか「わくわくしている」とか「非常に楽しみにしている」とか、もっときちんと訳してほしい。

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2017.05.26

■揚げ足取りによる馬鹿馬鹿しい閣議決定の連発

 共謀罪にからむ答弁の際に安倍首相が「そもそも」と言った件で、今だに政治資源が浪費されている。

 政府は今日、「首相が自ら辞書を引いて意味を調べたものではない」とする答弁書を閣議決定したという(mainichi.jp)。
 問題となった首相答弁は、1月26日の衆議院予算委員会でのものだ。そこで使われた「そもそも」の意味がああだこうだと揚げ足を取られ、首相や政府も頭の悪い不誠実な答弁を4か月も繰り返していることになる。

 首相が最初「辞書で調べたら『基本的に』という意味もある」と答弁したのは嘘だったのだろう(そういう記載のある辞書は見当たらないし)。次には、誰かが調べてきた「どだい」というのを見つけ、だから「基本的に」だと閣議決定した。
 そして今度は、「首相自身は辞書を引いていない」と逃げているのである。
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 頭のいい官僚が山のようにバックについているのに、どうしてこういうことになるのか理解に苦しむ。
 もしかすると、助け船を出さずに、政治家の馬鹿さ加減を陰であざ笑っているのだろうか。

 国会中継を聞いていれば誰でもすぐにわかると思うが、「そもそも」というのは、首相の口癖の一つである。一度数えてみればいいと思うのだが、耳障りなほど「そもそも」を連発している。ちょっと苛立ったときなどにはてきめんに顔を出す。
 それだけのことなのだ。

 もう一つ、ほんの少しの労を厭わず辞書を引けば、「そもそも」の語義として「改めて説き起こすとき、文頭に用いる語」などがあがっている。こういう言葉の「意味」を説明することは非常に難しいし、別の言葉に言い換えることはまず不可能である。
(「どうせ」とか「せっかく」などという言葉の言い換えを考えてみてほしい。あるいは英語などに訳してみようと試みてみてもいい。)

 「改めて説き起こす」「そもそも」の場合、「文頭に用いる」と書かれていることが首相の用法と異なるから答弁に採用されなかったのだろうか。

 首相は、「今回は『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」(asahi.com)と述べたのだが、言いたかったのは、「そもそも、今回は犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない」ということではないだろうか。
 日本語は比較的語順が自由なので、この程度のことは話し言葉ではいくらでもあることである。

 安倍首相を庇うつもりはないが、こういうつまらない言葉尻をとらえて政治資源を浪費している野党も野党だと思う。そして、首相や政府の方も、「口癖が出ただけだ」では格好がつかないのなら、「「改めて説き起こす」ために使ったのだ」と答弁すればそれですんだはずだ。
 マスコミがそういう指摘をしないのも腑に落ちない。

 こんなつまらないことで4か月にもわたって揚げ足を取り続けたり(野党)、見苦しい答弁書を何度も閣議決定したり(首相・政府)するなど、政治資源を浪費するのは是非やめてほしい。

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2017.05.23

■耳をすませば・・・

 車での移動中、時間が合えばラジオで語学教育番組を聞くことがある。とはいっても、ほとんどは英語だ。

 その中に、「ラジオ英会話」というのがあり、学習内容に関係なくよく使われている表現に

  Now everyone, perk up your ears for our next segment.

というのがある(と思っていた)。

  さあみなさん、耳をそばだてて次の部分をよく聞いてください。

くらいの意味であろう。

 それが今日、何の前触れもなしに、聞き流しているだけなのに、perk up が prick up に聞こえた。複数回の発音がどれも。間違いない。

 わお。今まで聞き取れていなかったのか。

 ふつうの中型辞書では、perk up に直接「耳をそばだてる」という意味は載っていないことの方が多いようだ。
 それに対して、prick up なら、ずばり、

  prick up one's ears (1)〈馬・犬などが〉耳をそばだてる.
             (2)〈人が〉聞き耳を立てる; 熱心に聞く.

という記述がある(研究社 英和中辞典)。ずっと perk up だと思っていたのが、実は prick up だったのである。

 どうして今まで聞こえなかったんだろう? そしてまた、どうして急に聞こえ始めたんだろう?
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 ・・・と思ってネットで調べてみると、perk up だと思っている人が多いような感じである。
 「該当部分が聞き取れません」への回答のほとんどが perk up、英語の講師に聞いてもらったら perk up だった・・・などなど。

 だが、prick up もあるにはある。面白いのは、最近の書き込みに prick up が多いように見えることだ。

 もしかすると、以前は perk up と言っていたのに、最近は prick up と言うようになったのかもしれないと思うようになった。でもなぜ?

 perk up を調べると、耳というよりは、「首を立てる」「頭をもたげる」さらには「元気になる」「意気揚々とする」という方向性の言葉なので、何か違和感があり、ほんとに perk up なのかなあとずっと疑問に思いながら、そう思って聞いていても perk up にしか聞こえなかったので、「耳をそばだてる」と書いてある辞書を見つけ、納得していたのだ。

 だが、今日の放送では、どう聞いても perk up には聞こえず、prick up であった。
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 事実はどこにあるのだろう。

1.ずっと prick up である。→ ではなぜ以前は perk up としか聞こえなかったのか。
2.ずっと perk up である。→ いや、今日は間違いなく prick up だった。
3.以前は perk up だったが、今日は prick up だった。→ どうしてそんな面倒なことを。
4.いずれにせよ、私の耳がおかしい。

 3なら嬉しいのだが・・・

 こんなつまらないことがとても気になります。どなたか真相を教えてください。

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2017.05.17

■手間暇とコストをかけて現場を混乱させる改悪

 腹立たしいことや嫌なことは、できるだけ書きたくないんだけれど・・・
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 大学入試センター試験の後継として2020年度から導入する新テスト「大学入学共通テスト」(仮称)の実施方針案を文部科学省が公表した。

 これはいったい何なのか。

 当事者である高校生(実際に影響があるのは今の中三からだが)および高校と大学の教員に賛否を問えば、少なくとも80%以上が「変更しない方がマシ」だと回答するのではないだろうか。

 ものすごい手間暇をかけて多額の予算を使い、別に変えなくてもそれほど問題のないセンター試験を改悪する。

 特に、点数を「段階別で示す」というのは筋が悪い。「1点刻みが良くないから」と言うのだが、その「段階別」の境界は、1点刻みでしかありえない。それを2次試験の出願資格などに使うことを想定すると報道されている。それなら結局、1点刻みで受験資格を奪うことになる。そんな簡単なこともわからないのだろうか。
 しかも、この「段階」は、各大学の入学者選抜の視点から見れば、ほとんど意味がない。どの大学も、その難易度に応じて、段階別としては横並びの受験生が大多数を占めることは自明で、そうすると、結局は2次試験の成績だけでほぼ合否が決まることになる。それでは、単に受験資格獲得のための試験になる「共通テスト」も形骸化せざるをえない。

 その他、英語の試験を民間に丸投げ(しかも複数の民間試験を想定)とか、国語と数学の記述式問題の採点も業者に委託とか、「何を考えているのだ」という内容がずらずら並ぶ。

 こんなことをしてまでセンター試験をやめたいのなら、一次試験はすっきり廃止して、大昔の入試制度である各大学の個別試験だけにしてはどうか。
 その方がコストもかからず、混乱も少なく、「今回の案よりは」歓迎されるのはまず間違いないと思う。

 個人的には、かつて英語のリスニングを試験に加えたように、センター試験の中味をよりよいものにブラッシュアップしていくしかないのかなあと思うけれど。
 (↓に書いたような馬鹿な「改革」圧力にさらされ、実際に何度も中小の「改革」を施されながら、それでも共通一次から数えてセンター試験が40年近く生き残ってきたのには、やはり生き残るだけの理由があったのだろうと思う。それがとうとう、今回の「改革」でとどめを刺されようとしている。)
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 この件に限らず、この国の教育行政(特に高等教育)は、やらない方がマシな「改革」を次々と打ち出し、大学はそれに翻弄され、結果は惨憺たるものなのに(法科大学院を見よ)、「だからこそ?また次の改革を」という悪循環を繰り返している。

 なんだか、戦時中の日本軍を思い起こさせ、それもこれも日本人の(日本の官僚組織の?)メンタリティが変わっていないせいなのかと暗澹たる気持ちになる。

 実際に死屍累々とはならないだけマシなのかもしれないが、ほんとにもう、どうしてこうダメなんだろう?

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2017.04.20

★「今の時代には合わない」のではない

 大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)が「戦前・戦中に使われた教育勅語を教材に使用することについて「今の時代には合わない。個々の価値観まで教育の現場で押しつけるのは変な話だ」と述べた」という(朝日新聞朝刊)。

 率直に申し上げて、日本維新の会も松井知事もほとんどまったく評価していないが、この発言は悪くない。残りの部分を含め、記事を読む限り、筋の通ったことを言っていると思える。
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 ただ、言葉尻をとらえるようで恐縮だが、本質的な問題でもあると思うので、ひと言申し述べたい。

 教育勅語の価値観を教育現場で教えることがダメなのは「今の時代には合わない」からではない。
 そういう言い方を許せば、では合う時代があったのか、将来また合う時代が来る可能性があるのか、という話になってしまう。

 そもそも、「戦前・戦中」なら「時代に」「合」っていたからそれでよかったのか。

 歴史上のさまざまな事象には、それぞれ、その時代時代、地域地域の制約や必然・偶然が作用したことだろう。しかしそれでも、よくないことはよくないのだ。
 奴隷制度・人種差別・独裁制・民族浄化・・・といった極端な例を挙げればわかりやすいだろう。

 教育勅語がダメなのは、「今の時代には合わない」からではない。「人類が目指すべき普遍的な価値に合わない」からダメなのだ。
 それは、「今の時代」であろうと「戦前・戦中」であろうと、そして、将来・未来であろうと変わらない。
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 難しいのは、「人類が目指すべき普遍的な価値」の中味と、それにどれだけ多くの人々が合意できるかなんだけれど、それを見いだして合意形成していく努力こそ、人類にもっとも求められていることである。とりあえず、教育勅語がその価値観と合致しないのは論を俟たない。

(蛇足ながら、念のためもう一つ引用しておきたい。「西原博史・早稲田大教授(憲法)は「教育勅語がいうのは、天皇を頂点とする国家とそれを構成する家族内の秩序維持のため、つまり天皇のために親孝行せよということだ。そこを切り離して『いいところもある』と評価するのは、まずは無知であると言うしかない」と話す」(asahi.com))

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2017.02.20

◆愚かで危険な言葉遊び

 学習指導要領の改訂案が発表された(2月14日)。

小5の社会では、竹島、北方領土、尖閣諸島が「我が国の固有の領土であることに触れること」と初めて明記。中学地理では竹島と尖閣諸島が日本固有の領土であり、尖閣については「領土問題は存在しないことも扱う」とした。(asahi.com)

 どこがどこの領土かや、小中学生にそれを教え込むことの是非はこの際措く。

 一番問題だと思うのは、中学地理で尖閣諸島について「領土問題は存在しないことも扱う」という点である。

 どうして、たとえば北海道や本州や四国や九州について「領土問題は存在しないこと」を「扱」わないのだろうか。
 それはもちろん、実際に(国家間の)領土問題が存在しないからである。

 ではなぜことさら、領土問題が存在しないはずの尖閣諸島について、中学生に「領土問題は存在しない」と教えなければならないのか。
 それはもちろん、実際には領土問題が存在するからである。

 だからこそ、アメリカのマティス国防長官やトランプ大統領に「米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条が沖縄県の尖閣諸島に適用される」などとわざわざ発言させ、それを聞いて大喜びしているのだ。

 もしかすると、こういう論理的思考を養成しようという深謀遠慮でもあるのだろうか(ないよね)。

 「日本政府は「領土問題は存在しない」と主張している」と教えるのなら問題ない。だがそれでは、政権の意向を体した学習指導要領にならないので、そうはなっていないだろう。
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 間違いでも嘘でも事実に反していても、言葉遊びのように言い換えれば誤魔化せるとでも考えているかのような病が蔓延している。
 最近では

「(南スーダンに派遣されている自衛隊の業務日誌には)一般的用語として “戦闘” という言葉が使われているが、法的な意味の戦闘行為ではない」(稲田朋美防衛大臣)
「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」(同)

 というような国会答弁が有名だが、日本の行政組織や立法組織はこれまでもずっとそうだった(司法すらそうだと聞く)。

 他の国でどうだったのかは知らないが、近ごろは、post truth とか alternative truth とかいう言葉が世界を席巻している。

 まさか、「優秀な」政治家や官僚を育てるために、小中学校から愚かで危険な言葉遊び(≒詭弁)を教え込もうとしているのではあるまい。

 中学生ともなれば、「領土問題は存在しない」と教えられることの馬鹿らしさに気づく生徒も少なくはないだろう。そんな聡明な生徒たちが、そういう頭の悪い言葉の使い方をしないように導くことこそ、教育の使命である。

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2016.09.20

■英語の通じる国、通じない国

 アイスランドほど誰もが英語を話せる国を他に知らない。

 あ、イギリスとカナダとオーストラリアは除く(ニュージーランドとかには行ったことがない)。
 でも、アメリカではしばしば経験した "No English." は一度もなかった。

 旅行者である私が話す範囲の人で、明らかに英語ができないと思われたのは、自分で編んだセーターを売っていたおばあさんだけであった。何を言っても、"It's very nice." としか言わなかった。それで、ふだん服なんか買わない私に一生で一番高いセーターを買わせたのだからたいしたものだ。
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 旅行者としての個人的な経験からだけだが、アメリカよりもアイスランドの方が英語が通じる率が高いというのはすごいことだと思う。
 年配の人ほど発音に癖があって聞き取りにくい感じはしたが、どこに行っても誰と話しても、"Do you speak English ?" みたいな手続きなしに、いきなり英語で会話を初めてお互いに何の不自然さも不自由もなかった。

 先方も、外国人がアイスランド語を話すことなど、ハナから期待していない。
 「さようなら」だけは何度かアイスランド語で言ったのだが、むしろ戸惑われるのがオチで、軽い驚きとともにアイスランド語で挨拶を返してもらえたのは一度だけだった。旅行者は、その程度のアイスランド語すら話さないのがむしろふつうらしい。

 聞くところによると、北欧は全般にほとんど誰でも英語を話すらしいのだが、どうしてなんだろう。北欧諸語よりは英語に近いと思われるドイツ語地域ですら、こんなにみんなが英語を話すなどということはない。
 以前、スウェーデン人に聞いたところによると、「小さいころからずっと英語のテレビを見ているから」ということだったが、ドイツ人は見ないのだろうか。

 母語の(政治的・経済的・文化的)力が相対的に弱いことが外国語の習得にプラスに働いているのかもしれない。
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 いうまでもなく、日本はもっとも英語が通じにくい国の一つである。その一番の理由は、日本語が英語とはかけ離れた言語であることだろうが、他のアジアの諸言語だってほとんどはそうである。

 にもかかわらず、21世紀になってもダントツに英語ができないのは、習得する必要がないことが大きいだろう。日常生活から芸術や最先端科学まで、すべて自国語でやっていけるという国は多くない。

 「最先端科学まで」と書いたが、最先端科学をやっていて英語ができない人というのは、ほんとうはちょっと想像しがたい。
 だが、ノーベル賞の授賞式が初めての海外渡航で、受賞スピーチでしゃべった英語は "I'm sorry, I can't speak English." だけだという益川敏英さんの例が示すように、日本では英語ができなくてもなんとかやっていけるのである(ノーベル賞まで取ったのだから、「なんとか」ではなく「十分以上に」かもしれない)。

 そう考えれば、「もっとも英語ができない国(の一つ)」というのは、もっとも豊かな母語環境に恵まれた国であることの裏返しでもある。
 明治以来、いくら熱心に英語学習を推進しても、いつまで経ってもできるようにはなっていない。またぞろ、さらに英語教育を促進し・・・と拳を振り上げてみても、英語嫌いを増やすだけではないかと危惧する。

 それとも、「グローバル化」する今後は、できるようになるのだろうか。ならないとは思うけれど、もしなったとしたら、それは母語の衰退と表裏一体のような気がする。

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2016.03.08

● U

 大学時代の友人、Uの奥さんから突然メールが来た。

 Uの結婚式で新郎の友人として一度会ったきりだ。少なくとも20年以上にはなると思う。
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 引っ込み思案で奥ゆかしく、真面目なUは、アクの強い連中が多かった学生時代の友人の中にあって、不器用ではあるがきわめて真っ当な男だった。

 思慮深すぎるのがわざわいしたのか、卒業は少し遅れたが、結婚して子どももでき、葉書に「子育て」とか「家族サービス」なんて言葉が登場するようになって、「あの奥手だったUがよくぞここまで」と、ちょっとした感慨を覚えたものだ。

 卒業してからは会う機会も数えるほどしかなかったが、今住んでいる家に招いたことのある、たった2人の友人のうちのひとりがUであることは、もちろん偶然ではない。

 年賀状どころか、律儀に暑中見舞いなんかまで送ってきていたそのUからの音信が途絶えて、もう数年が経つ。
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 なあ、U・・・

 お前は知らないだろうし、俺も初めて知ったんだが、お前の息子のKは、俺たちの母校に入学していて、もうすぐ2年生になる。

 お前に似て、おとなしくて真面目で口下手で、取り越し苦労をして悩むところなんかもあるけれど、なんとか元気にやっているみたいだ。

 読んでるはずはないと思うけれど、こんなものでも世界中から見られるんだから、もしかしたら、あるいは・・・

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2015.10.14

◆Boyhood(少年時代)

 久しぶりに映画の話。

 といっても、芸術は饒舌を嫌うと思うので(と言い訳をして)、どうでもいい話を少し(ネタバレ注意)。

 ある現代アメリカ的「家族」の12年間を描いているのだが、見ていて、子役本人がどんどん大きくなっているとしか思えなかった。

 たとえば、題名から主人公と知れる、映画の最初で6歳の設定だった少年本人が、そのまま大きくなっていく。
 最初、「Boyhood っていう題名なのに、どうして6歳?」とか言っていたのだが、長い映画の間に8歳10歳12歳15歳・・・と成長していき、18歳で大学に入学して寮に入り、ルームメイトやそのガールフレンドなんかとハイキングに行ったところで終わる。

 その間、6歳だった子役その人が、どんどん大きくなっているとしか思えないのだ。

 その子には姉もいて、そちらも同様である。
 父親であるイーサン・ホークも母親役の女優も、12年分年を取っていく。

 まあ、大人の方は「若作り」とか「老けメイク」なんかもあろうが、どう頑張ったって、6歳の子どもにティーンエイジャーは演じられない。

 似た子役を探してくる? まさかのCG?

 いや、これは実際、12年間をかけて撮影された映画なのだという。

 うわあ・・・

 それを知っていたら、「まさかまさか」といらぬことばかり考えながら見ずにすんだのに。

 12年間かけて撮影する価値のあった映画かと言えば、あったと思う。

 フィクションや芸術を信じないわけではないが、12年の実時間を費やさなければ生み出せない、何か重いリアルなものが、この映画では描きだされていた。

(邦題:6才のボクが、大人になるまで。2014 U.S.A.)

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