2023.01.27
2022.12.17
★モンゴイカはモンゴウイカ(紋甲烏賊)だと思っていた
先日和食店で食べたイカがもっちりねっとりとしておいしかったので、「お造りのイカは何イカですか?」と伺ったところ、「モンゴイカです」という答だった。
モンゴイカなら子どものころはずっと食べていて、イカと言えばモンゴイカだったので、「ああ、やっぱり」という感じの答え合わせになった。
今日ふと気になってモンゴイカを調べてみると、標準和名がカミナリイカだというので驚いた。そんなイカ、見たことも聞いたことも食べたこともない(のではなくて、正確には「聞いたことがない」だけだが)。
モンゴイカは方言で、モンゴウイカ(紋甲烏賊)が標準和名だと漠然と思っていた。
実際には、後者は西日本の「市場名」であるらしい。
魚介類にはこういうことはよくあって、あるお寿司屋さんで食べたハリイカと別の寿司屋のスミイカがどちらも標準和名コウイカだった・・・という経験もある。
その辺にまで配慮して名前を教えてくれる寿司屋というのは少ないが、ネットで簡単に調べられるようになったのは福音である。
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鳥の世界にも似たようなことがあり、「カラスやハトという鳥(種)はいないが、ツバメやスズメはいる」とか、「シラサギというサギはいない」とか、いろいろある。
カラスやハトというのは種名ではなくグループ名(≒総称)、シラサギというのもそれに近いだろう。
でも、方言や市場名がやたらに豊富な魚介類とは違って、そんなにバリエーションがあるわけではない。
昔からそれぞれの地方でほぼ独立して重要な食糧とされてきた魚介類と、それほどは関心を持たれなかった鳥類との違いであろうか。
そういえば、サルという猿もいなければ、ゴリラというゴリラもいない。チンパンジーはいるが、オランウータンは総称。
キリンもゾウもサイもいないのかと思ったら、キリンだけはいる(アミメキリンやマサイキリンは亜種だそうである)。
そんなどうでもいいことを調べていると、どんどん時間が過ぎていく冬の昼下がり・・・
2022.12.03
★喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます
いつも年始のご挨拶は欠かしていないと思うのですが、喪中につき(と言いつつぜんぜん喪に服している感じではありませんが)年末年始のご挨拶を失礼させていただきます(決まり文句ですが、年始はともかく、年末のご挨拶って何なんでしょうね。お歳暮? それなら毎年失礼してるし、もしかして「よいお年を」のことでしょうか。それなら先日、「ちょっと早いですが」と言いながら、もう言ってしまった気もします😅)。
このブログにも書きましたが、3月に母親を、7月に義姉を、8月に父親を亡くしました。両親は高齢ですが、義姉は同い年でした。
両親も、まだあと数年は・・・という感じもあり、大往生というふうには受け止められていません。
私自身も信じられないような年齢になってしまいましたが、これまでに近しい血縁者を亡くしたのは祖母2人のみで、それも十数年おきくらいでしたので、1年に3人はそれなりにきついものがありました(義姉とは血縁はありませんが、何しろ若いのがこたえます)。
今年はその他にもつらいことがあり、まあ相変わらず平凡な日常を送り続けられてはいるものの、そのことに感謝できるような心境ではありません。
そんな今年もまもなく終わり、新たな年がやってきます。
来年こそはよい年であるようにと、毎年決まり文句のように繰り返していた言葉が、今年は少しだけ実感を伴って身に沁みます。
ウクライナの受難(に限らず世界中でさまざまな戦争・紛争・テロ・飢餓など)やコロナ禍もあり、また、そうでなくとも、今年もさまざまな人々が亡くなりました。ただ、その中に身内が複数含まれていることが例年とは異なり、死や、むしろ生について考えさせられる年でした。
兵士の母に向かってプーチンが「人は誰でもいつかは死ぬものだ。問題はどう生きたかだ」と語ったというのですが、(その非道さは別にして)問題はもう一つ、「いつ死ぬのかだ」と思います。「いつかは死ぬもの」ではあっても、「いや、今じゃない」のではないでしょうか。
母親は、急にものが食べられなくなってきたというので、その対処について話しあうために会いに行くことになっていた日の、前日に亡くなりました。
父親は、病院を退院して高齢者住宅に移った6日後に亡くなりました。
義姉は、おめでたい誕生日を迎えることなく亡くなりました。
自分が「どう生きたか」には自信は持てませんが、もうそれでいいのだと開き直りつつあります。
「いつ死ぬのか」に関しては、「今でしょ」と思えるときが来るのかどうか、わかりません。とりあえず、父親の年齢を超えるまではそれなりに健康で生きられたら・・・と願うばかりです。
長くなってしまいました。
急に冷え込んできましたが、ご自愛の上、よいお年をお迎えください(あ、年末の挨拶をしちゃった😅)。
2022.11.24
●iPadOS 16 で、ネットワーク速度が遅い問題の解決法
iPad の OS を16にしてから、ネットの速度が遅いことが気になっていました。
どうしても何とかしたいというほどではなかったので放置していたのですが、思い立って調べてみました。
なんと、自宅の環境で 10Mbps を切る速度しか出ていなかったことがわかり、対処法を調べると、以下が有効で、100Mbps 近くまで一気に改善しました。
★「設定」>「Safari」>「履歴とWebサイトデータを消去」の順にタップして、履歴とデータを消去する。
それで、Safari とは何の関係もないアプリの通信速度も正常に戻りました。
記憶しているIDとパスワード等は消去されませんが、各サイトには再度ログインの手続きが必要になります。
iPhone の iOS でも有効かもしれません(私は iPhone 7 Plus なので、iOS 16 にできず、検証できません)。
Mac で同様のことをしてみましたが、もともと遅くなかったこともあり、結果は微妙でした。
お役に立てれば幸いです。
2022.11.13
●ひさしぶりに写真を更新いたしました
しょっちゅう同じことを申し上げているような気がしますが「ひさしぶりに写真を更新いたしました」ので、ご笑覧くだされば幸いです。
・Look ! Up in the Sky(リンク先が新しいウィンドウで開きます)
・戸惑う被写体(同上)
これも「ひさしぶり」にドローン撮影をしたものと、あたらしく買ったカメラで撮影したものです。
後者は、EOS R7 というミラーレス一眼と RF100-400mm F5.6-8 IS USM の組み合わせです。
光学系はともかくとして、その他は結局電子回路というかコンピュータなので、この数年の進歩にはすさまじいものがありますね。
特に、動物(中でも眼!)を追従してずっと焦点を合わせつづけてくれるのには驚きました。
だからといって撮れる写真に大きな違いがないのは、撮影者の実力不足によるものです ^^;
400mmのレンズを持つのは初めてですが、これまで使っていた EF70-300mm F4-5.6 IS II USM と比べると、大きさはほぼ変わらず、むしろ75gほど軽量になっています。
カメラ本体は、一眼レフである EOS 7D Mark II よりかなり小型・軽量(マイナス300gほど)になっているので、トータルでの取り回しがすごく楽になりました。
何ごとにも飽きっぽい性格ではありますが、まだ購入して数週間ということもあり、家人に笑われるくらいには楽しんでおります。
2022.09.02
■大阪ガスから「電気料金【青天井値上げ】のお知らせ」が来た
(以下、tweet したのを増補改訂(笑)したものです。)
関西電力よりはましか・・・と思って、大阪ガスから電気を買っていたのだが、「電気供給約款等の改定のお知らせ」というダイレクトメールが来た。
封筒の表には「今回の変更に伴う特段のお手続きは不要です」と朱書きしてある。手続き不要なのであれば・・・と、多くの人は、開封せずに捨てるかもしれない。
しかしその中味は「青天井の値上げのお知らせ」なのである。それならそうと、「青天井の値上げのお知らせ」 と朱書き大書すべきだ。
中味を詳しく読んでも、どこにも「値上げ」の文言はない。
「燃料価格の変動を電気料金に反映させていただく」のみだ。
せめて「変動」ではなく「上昇」と書いてあればまだ良心的だが、あくまでも誤魔化そうという姿勢しか感じられない。
燃料価格が上昇していることは事実だし、それに伴って値上げせざるを得ないのも仕方のないことかもしれない。
「関西電力も同様なら、確かにわざわざ「特段のお手続き」をする必要もないかな・・・」と思いつつ、案内にあった大阪ガスの「お問い合わせ窓口」に電話して聞いたのだが、関西電力が同様の値上げを行うかどうかは「把握していない」という。
そんなバカな。
調べると、既存の大手電力10社は、規制に縛られていて、現状では末端個人消費者に対する同様の値上げができないらしい。
おそらく、関西電力だって、いずれ認められれば同じような「料金改定」(=青天井値上げ)を行うだろう。
だが、少なくとも現状では、大阪ガスと同様の値上げは予定していない。そのことを大阪ガスが知らないはずはないのである。
「把握していない」などとは、まさに政府の国会答弁を髣髴とさせる逃げ口上だ。
「関西電力では、少なくとも現在、同様の値上げは予定しておりません」と正直に答えず、「把握していない」とオペレーターにしゃあしゃあとウソをつかせるとは、悪質極まりない。
もし予定していれば、「把握していない」などとは言わず、「関西電力でも同様の値上げがありますよ」と答えたことだろう。
わざわざ関西電力から乗り換えてくれた顧客を騙すかのような今回の「電気供給約款等の改定のお知らせ」は容認できない。
「今回の変更に伴う特段のお手続きは不要です」との朱書きも悪質だ。
「きちんとお知らせしました」という体裁は整えつつ、契約者が青天井値上げに気づかないことを狙っている。
わかりやすいグラフを添えて説明したりしているのがせめてもの良心か・・・と思っていたが、むしろ体裁を整えることの方に眼目があるのかもしれない。
このやり口が気に入らないため、契約を関西電力に戻すことを考えている。
いや、関西電力はもっと悪質でしょ・・・と言われれば、たぶんそうだろう。
ただ、私個人に悪質さを直接露呈してきたことはない。
でも、どうせいずれは・・・とも思う。
いったいどこから電気を買えばいいんだろう?
2022.08.30
★初めての写経
父母の葬儀や法要を執り行ってくれた(る)僧侶に言われて、般若心経を写経している。
正直、はた迷惑な話だが、「写経をして四十九日に持参しなさい」と言われて、「嫌です」というのも角が立つので、仕方なくだ。
重い腰が上がらず放置していたのだが、以前買った新品の筆ペンがあると家人が言うので、少し書いてみた。
想像より量は少なく、ものの20〜30分で終わりそうではあるが、何しろ字を書くことなどこの30年以上ほとんどないので、なかなかに疲れる。
職場で、「よろしくお願いいたします」と自分の名前とをポストイットに書くのすら面倒なのに、筆ペンで写経というのはハードルが高い。
それでも、なんとか半分くらいは書いた。
「こんなに字を書くことが他にあるかなあ・・・」と考えてみると、唯一、年賀状の表書きだけがあった。
しかし、それも数年前にやめてしまった。
もはや、字を書くことはほとんどない。
気が小さくて「やめたい」と言うことができず、小中高と12年間も仕方なく通っていた書道教室で培った中途半端な腕を、発揮する機会はほぼ絶無だ。
中学に入るときとか高校に入るときとか、やめるきっかけはあったのに(そして実際、そのタイミングでみんなやめていったのに)、ずるずると厭々つづけていたのは、いったいなんのためだったのか。
通っている高校生は、私ただひとりであった。
情けない話だが、大学に入り、通学に時間がかかるからという理由でやめることができたときには、ほんとにほっとした。
もっと真面目に取り組んでいれば・・・というふうにも、ほとんど思わない。
ただまあ、お蔭で、般若心経を写経しても、字が下手すぎて見られない・・・というほどではない。
もとより、薄い文字をなぞるだけなのだから当然なのだが、これとて、書道をやったことがなければ悲惨な文字の羅列になったことだろう。
これが少しでも父母の供養になるというのであれば、せめて厭々ではなく、なんとか最後まで写経したい。
2022.08.09
★生前整理・・・
過日、1か月以上入院していた父親が退院することになり、コロナで面会もできなかったことから、会えるのをそれなりに楽しみにしつつ、実家近くの病院まで迎えに行った。
行けそうなら、退院祝いに寿司でも一緒に食べに行こうかと思っていたのだが、出て来た父親を見ると、すでに立って歩けなくなっていて、呼吸もちょっとままならないような様子であった。
太ももを見ると、痩せ細って小枝のようになっている。
これが自宅なら、救急車を呼ぼうかと思うような状態だし、今すぐ病室に戻してほしいような気もしたが、退院せよというのだから仕方がない。
退院する2週間くらい前に、療養型病院に転院させてくれないかとも頼んだのだが、「病院で診なければならないような状態ではない」という判断であった。
車椅子を押して、弟と一緒に病院の玄関まで連れていき、私は駐車場から車を出して、車寄せへと向かう。
幸い、車椅子から車への移乗(これってテクニカルタームですね)は何とか自力でできる。つまり、とりあえず何かにつかまれば立てるというくらいだ。
4月に母親の四十九日の法要をしたときには、ふつうにとは言わないまでも歩いていたし、場を主宰することもできていたのに、数か月でたいへんな衰えようである。
もちろん口には出さないが、年は越えられそうにないな、とは思った。
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に連れていってからも、たとえば車椅子からベッドに移乗するだけで息が切れ、5分10分と呼吸を整えないと何もできないというような状況だった。
サ高住で待っていたケアマネージャーも心配してくれ、ホーム長にパルスオキシメーターを持ってきてもらって、経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定してもらった。
最初右手でやったときに低かったのでびっくりしていたが、手が冷えているからかもということで左手に変えると正常だったようだ。
「サ高住ではどうにもならないのではないか」と心配したが、受け入れ側はプロなので、私たちほどうろたえていなかったし、そのうち少しは体調も回復してきて、自分で車椅子に乗ってベッドとトイレを往復できることがわかり、ちょっとほっとした。
近くのスーパーで買ってきた巻き寿司も、2つだけだがまあ食べた。聞けば、病院食をずっと完食していたのに、体重が11kgも減ったのだという(あとで弟が16kgだと言っていた。どちらが正しいのかはわからない)。
多くは弟に頼ったが、サ高住とはいえ、人ひとりがそこで暮らすためには、運び込む荷物もけっこう大変である。まず、借りた医療ベッドにマットと布団を敷き、掃き出し窓にカーテンをかけるところから始めなければならなかった。
冷蔵庫や洗濯機は兄弟3人が揃う8月20日に運ぶことにして、それまでの算段やら軽トラの手配やら、ここに書き切れないもろもろがあった。
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入院時や退院時と相前後して、何度か実家に寄り、生前整理をする必要に迫られた。
新聞を休止するのから始まり、いろんなところに解約の連絡等をしていく。
愚にもつかない健康食品やらサプリメントやら野菜ジュースやら青汁やらを、いずれも定期購入しているのに嘆息する。
極めつけはウォーターサーバーで、喜んで元気に使っているときから懐疑的だったのだが、やはりというか、面倒くさそうな会社の商品だった。そもそも、毎月5千円近くを飲み水に費やしているのが信じられない。上記もろもろを含め、毎月いったいいくら支払っていたのやら。
まあ、だから90歳を超えても元気だったのだと言われれば、関係ないとは思うものの、そうではないと断言はできないのだが。
ウォーターサーバーの会社に電話すると、「契約申込時の電話番号と違う」と自動音声に文句をつけられ、一方的に切られてしまってそれ以上進めない。門前払いである。
仕方なく、父親が契約に使ったと思しき固定電話からかけ直し、当時はまだ帰宅する可能性があったので、自動音声相手に次回配送を9月に延ばしてもらう手続きをした。携帯で契約していなくて幸いだった。
この会社、解約しようとすると解約金やら何やら法外な金額を要求してきそうだ・・・と取り越し苦労をしていたが、その後、解約の連絡がメールででき、「長年お使いくださっていたので特別に解約金はなしで・・・」のようなニュアンスで無事解約することができた。
ただ、巨大なウォーターサーバーを回収しないといけないというので、その手続きや費用もばかにならない。比較的近所に住んでいる弟の家にいったん移して、そこから回収してもらうことにした。
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インターネットを解約しようとすると、そこにケーブルテレビとNHKと電話もついていた。さらには電気までネット会社(eo光)で契約していることがわかった。
電話番号に未練はあったのだが(私が小学校1年生の絵日記に書いた電話で、下4桁が7555なのである)、兄弟で相談して電気以外はすべて解約することにした。
それを父親に(LINEで)説明し、了解を得る(電話がかかってきた)のがちょっとした苦労だった。何しろ息も絶え絶えに話すので、電話では何を言っているのかが非常にわかりにくい。ぜんぶ録音されるようになっているので、切ってからそれを聞くと、2度目ということもあってまあわかったのだが、電話している最中は、ほんとに苦労した。
サ高住に入ってから、LINEでの簡単なやり取りのほかに、3回ほど電話があった。
最後の電話は、3食出してくれる食事を、旅行に行くときなど、食べないときはどうすればいいのかと聞いたりするもので、「この期に及んでまだ旅行するつもりか」と、うれしいやら悲しいやら可笑しいやら・・・だったのだが、その翌日には、実際、旅に出ることになった。
もちろん、気楽な温泉旅行などに行けるわけもなく、帰ることのできない永遠の旅となってしまったけれども。
「後を追うように」というには少し長いような気もするが、母親が死んでから5か月足らずであった。
せっかく病院を退院したのに、サ高住に入居してからわずか6日で、92年と2か月あまりの生涯を閉じ、きょうが告別式だった。
2週間前に義姉のそれを終えたばかりだというのに。
「コーヒーが飲みたい」と言っていたので、私が送ったドリップパックが到着する日に、到着を待たずに死んでしまった。
前日の夕方には、弟が組み立て家具を用意し、3つのうち2つを苦労して組み立てたところだった。
通夜の日には、入院直前に父親が購入した宝くじを手に、兄が半ば本気で怒っていた。
あの年齢であの健康状態で、たとえば3億円が当たったとして、いったいどうするつもりだったのか、どういうつもりで1万円近くを無駄に浪費したのか、というのである。
まあもちろん当たらないのだが、仮に高額当選したとしても、それを私たちに残そうとしていたとは思わない。
たぶん、人生はずっと続いていくと漠然と考え、従前の生活習慣を漫然と続けていただけなのではなかろうか。
兄には理解できないようだが、まあ人間、ふつうはそんなものだと私は思う。
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もともとは「生前整理」というブログを書こうとしていたのだが、書く前にこうなってしまい、「・・・」がつくこととなった。
告別式の後、お骨揚げを待つ間に、まだまだ片付かない実家に寄り、ふだんほとんど入らなかった寝室を覗くと、3月に亡くなった母親の衣服が、まだいくつも壁に掛かったままであった。
両親ともに他界して、これから死後整理が始まる。
立秋は過ぎているが、長い夏になりそうである。
2022.07.25
●いつもとは違う通夜
先日、父親が入院したあと、いちど病院と実家へ行ってもろもろの用事を片付けた帰り、兄から電話がかかってきたのを車の中で受けた(ハンズフリーです)。
父親の退院後の生活について相談していると、兄が「○○も末期がんやし、どっちが早いかわからんなあ」というようなことを口走った。
「え? だれが末期がんやて?」
「○○や」
義姉、つまり、兄の配偶者である。私と同い年だ。
10年以上前に乳がんを発症し、その後も完治とはいかないらしいのは知っていたが、まさか末期だとは知らなかった。
その2か月ほど前には、遠方から母の四十九日に元気に?来てくれていたのである。
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きょう、その義姉の通夜を終えた。明日は告別式だ。
こんなに若い身内を見送るのは初めてである。
いつもの(まあ順番だから仕方ないよね)感を伴う親戚の集まりではなく、「もっとええことで会えたらよかったのになあ」という定番の軽口をたたく者もいない。
残された長女が弔辞を読むに至って、葬儀場にはすすり泣きの音がいつにも増して響きわたる。
現役世代なので、親類ではない弔問客も後を絶たない。
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理不尽な死である。なにせ、娘を見送る母親が通夜に来ているのだ。
今年に入って、うちの母親と義姉が亡くなった。父親だって年を越えられるかどうかわからない。
死だとか生だとかについて、以前にも増して考えるようになった。
死生観というような大げさなことではないが、なんかそういうものも変化しつつある。
死者はむろん、何も語らない。
生きている者が、語りかけられたように感じるだけだ。
2022.07.03
●「実行時エラー '53': ファイルが見つかりません」の解決方法
Mac で Office 関連のアップデートをしてからだと思うのだが、Word などで書類を開こうとすると、「Run-time error '53': File not found」というのが出るようになった。
日本語版だと、「実行時エラー '53': ファイルが見つかりません」のようだ。
出ているダイアログに2〜3度「END」を押せば正常に使えるのだが、毎回のことなので非常に鬱陶しい。
調べてみると、みなさんなかなか苦労していらっしゃるようである。他の人が解決していて、「これは正しい」と思う方法でもダメだったのでちょっと手こずった。
結局は解決したので、以下の方法をお試しください。
(そうそう、ツールをダウンロードさせてそれを使わせようとする怪しい?サイトがありますが、いかにも何か悪さをされそうなので、お使いにならないのが吉です。)
要するに「linkCreation.dotm」というファイルを削除するだけなのですが、私の場合、削除しても同じエラーが出つづけました。
・・・と思ったら、同じ名前のファイルがハードディスク内に2つあって、ふたつとも削除すると解決しました。
1.まず、Office 関連のアプリケーション(ワードやエクセルやパワーポイントなど)をすべて終了して
2.Finder か検索ソフトで「linkCreation.dotm」というファイルを探し出し、すべて削除してください。
それで解決すると思います。
私は検索ソフトに EasyFind を使っております。お勧めです。
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後記:PowerPoint でまだ出ました・・・ 「SaveAsAdobePDF」を検索して削除すると解決しました。
削除しても、ファイルをPDF形式で保存するのに支障はありませんでした。
2022.04.22
★追悼:柳生博
柳生博さんが亡くなったそうだ。85歳。俳優・日本野鳥の会名誉会長。
2年前の夏、念願叶って八ヶ岳倶楽部にお邪魔したとき、ちょうど柳生さんがパティオ的なところで仲間と元気に談笑していらっしゃった。
あれから2年も経っていないのに、報道では老衰だという。
うちの母親はまあ、順調に?死に向かっていたので、2年前でもけっこう死の影はちらついていたのだが、あの柳生さんが母親と1か月ほどしか違わずに同じ死因でお亡くなりになるなんて・・・
家人は八ヶ岳倶楽部でスツールを買った。そこに柳生さんがいる。すみません、と話しかけて、スツールにサインしてもらおうかと思ったのだが、さんざん悩んで結局は声をおかけするのを遠慮したのが悔やまれる。
あのときお願いさえしておけば、いま書斎にあるスツールには柳生博のサインがあったはずなのだ。
もはや永遠に叶わない。
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いや、それもそうなのだが、母親の書いたものって何か残ってたっけ?
どうせみんな死に、死んだことすらそのうち忘れさられるとは思うものの、生きている者がいるうちは、思い出すことに努めたい。
たとえ、形あるものは何も残っていないとしても。
2022.04.08
★バグ?連発
新年度で(それなりに)忙しいのに、キカイのいろんな不具合に悩まされている。
何十年もパソコンやネットワークを使っていて、職場では(たぶん)私がいちばん詳しいのでそういう役を引き受けているくらいなのだが、その長い経験を経ても、「こんなことは初めて」というのが多くて辟易する。
まあ、ネットのお蔭で多くは調べれば解決するのだが、それにしても面倒だ。
1.iPhone の機内モードつきっぱなし問題。
機内モードにはしていないのに、iPhone のホーム画面左上に飛行機のマークが出たままになる。
アプリに入ると消えるので、それほど実害はない。いったん電源を切って入れ直す(再起動)だけで直る。
2.Excel の空白セル問題
人からもらったExcelの表。どのセルにも文字列が入っているはずなのに、ほとんど真っ白で、すかすか。
セルをダブルクリックして入力状態にすると文字列が現れる。他のセルに移動すると、いったん現れたデータがまた消える。
隣のセルの影響とか文字色が白とか、そういうよくある原因ではない。
セルをまったく新しいブックのシートにコピペしても白いまま。
結局のところ、原因は、文字列を整形するためにたくさんの空白文字を使っていることだったのだが、それでも、なぜそれが原因でセル全体が真っ白に表示され、データが消えたように見えるかは謎。
いったん、全データをcsvで書き出してテキストエディタで開き、余分な空白を削除してからExcelに戻すことで解決。
・・・ところが、さっき、もとのファイルを開くと、データがちゃんと表示されているではないか!? 謎はますます深まる。
いずれにせよ、(原則として)空白でデータの形を整えようとするのは悪い癖である。
3.メールに添付ファイルが付いていない問題
Thunderbird というメールクライアントソフトを長年使っているのだが、初めて遭遇したバグ。
「添付ファイルをつけて送った」という人が隣にいたので、画面を見せながら「ほら、ついてないでしょ」と言っていたのだが、念のため、ブラウザで開いて見ると、ちゃんとついている。
再度同じものを送ってもらっても、やはり Thunderbird で見るとついていない。
検索するとすぐに原因はわかった。メッセージ本文の表示にプレインテキストを選ぶと、そういうことが(たまに?)起こるバグらしい。
表示形式を Simple HTML にして解決(Original HTML でもいいと思う)。
その他、メーリングリストを作成しようとすると、まったく問題がないはずなのにできない(しかもなぜできないのかが表示されない)とか、他にも複数のエラーやバグに悩まされた。
あ、今日夕刻には同僚のパソコンがWi-Fiにつながらなくて、私ともう一人詳しい人とで診たのだが、まったく原因不明であった。
すべて、ここ1週間以内のことである。
解決しても、ふつうに仕事ができるようになるだけ。何も生産的なことやプラスにはつながらない。
時間だけ奪われて、通常に戻るのみ。
まあ、プロに依頼する修理と違って、お金がかからないだけマシか・・・
2022.03.31
●だれかのいない世界
母親が他界してから2週間になる。
いわゆる?二七日(ふたなぬか)というやつだ。
あと5週間経てば七七日(なななぬか・しじゅうくにち)、満中陰だ。
別に仏教徒ではないのだが、父親は仏教徒っぽいし、今後も死者(=母親)への儀礼は仏教式で続いていく。
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ところで、というか、母親はもちろんもうこの世にいないのだが、仮にいたとしてもそれほど変わらない。
生きていて、もっとも頻繁に会っていたときですら、数か月に1度顔を合わせれば多いほうだっただろう。
別に仲が悪いわけではないし、帰省すればいろいろしゃべって一緒にお寿司を食べたりもするが(あ、たまには旅行にも行った)、手紙類は父親の出す印刷の年賀状だけだし、電話も滅多になかった。
なので、たった2週間の音信不通くらいでは、生きていようが死んでいようが大差ない。
あるとすれば、何かの折りに、「もう会うことも話すこともできなくなってしまった・・・」と考えるということだろうが、今後そういう感慨に耽ることはあるのだろうか。
考えてみると、母親に限らず、例えば小中高大学の同級生や複数の職場の元同僚・教え子など、ふだんから音信不通の人たちは、生きていようが死んでいようが大差はない。
まあ、たぶんほとんどは生きていて、まだこの世界にいるのだろうが、仮にこの世が彼(女)らのいない世界であっても、私にとっては何も変わらない。
少しでも何かが変わるとすれば、少なくとも10年に1度くらいは、会わないまでも何か音信があるとか、そういう人でないと、かつて何らかの縁を結んだことは、私の世界に何の影響も及ぼさない。
___
たまに思い出すのだが、生死や行方のわからない、かつての友人・知人が数名いる。
特にそのうち一人は、こちらが努力して消息を尋ねたり探したりしても手がかりは得られない。
それこそ10年以上音信不通なのだし、別にあいつがこの世に存在しようがしまいが、この世界は何も変わらないのだが、間違いのない死者とは違って、またこの先、突然、この世界があいつのいる世界に変貌する可能性はある。
その点、死者は甦らない。二七日や七七日は輪廻転生の思想と密接に関わっているが、人類史上、実際に転生した者も(たぶん)存在しないし、まして甦った者などいない。
___
この世界は、毎日毎日、というより、毎秒毎秒、だれかのいない世界へと変貌を遂げている。
だが、その変貌は、具体的な自分の生活に関わってこない限り、ほとんど感知されない。
であれば、だれかのいない世界は、いた世界とそれほど変わりがあるわけではない。
たとえそれが、自分の母親であったとしても。
2022.03.27
2022.03.20
●「生きとうもんのほうが大事や」
「生きている者のほうが大切である」
まだ私が20歳にもならないころ、知人の通夜に向かう車の中で、母親が私に言った言葉だ。
翌日に大学のフランス語の試験を控え、一夜漬けで勉強しようという計画?が頓挫した私が、「お通夜に伺ってそそくさと帰るわけにもいかへんし、明日の葬式には出られへんし・・・」とちょっと困っていると、母親が「生きとうもんのほうが大事や」と言ったのである。
幼いころから死に対する感傷を抱えていた私は、もしかするとお通夜なんかに行くのも初めてだったかもしれず、「ものすごい冷酷なことを言うなあ」と内心穏やかではなかった。
と同時に、大人の余裕というか、物事に動じないところにはちょっと感心してもいた。
知人といっても、老人の大往生ではないのである。小さいころにお世話になっていた近所のおばさんの娘さんで、当時たぶん、40歳前後だったのではないかと思う。
夫婦でテニスをしにコートまで出かけたが、忘れ物を取りに帰ろうと娘さんだけで車を運転中、交通事故に遭ったというようなことだったと記憶している。
突然娘に先立たれたおばさんの心中はいかばかりかと思うと、フランス語の試験なんてほんとにどうでもいいことのように思えるのだが、そうはいっても現実問題として、単位を取れずにもう半年か1年同じ科目を履修するというのも確かに避けたかった。
結局、お通夜には出席して、早々に帰宅した。
___
後年、あのときの「生きとうもんのほうが大事や」というのは、太平洋戦争中、幼かった母親に祖母が言っていた言葉をそのまま繰り返していただけなのではないかと思うようになった。
死が周囲にあふれていて、自分にも近々訪れる可能性があり、かつ、毎日食べて生きていくこと自体が困難であるとき、ほとんどの人は死者にかまっている余裕はない。
「生きている者のほうが大切だ」と言い聞かせて、死者を顧みない自分たちを免罪しなければ、生きていくのが辛かった時代の言葉なのだろうと思う。
母親はたぶん、深く考えもせず、戦時中にしょっちゅう聞かされていたフレーズを口にしただけなのだ。
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その母親が他界した。
先日ここに書いたとおり、「敗血症・脳梗塞・肝臓がんをそれぞれ乗り越えてきて、糖尿病ともずっとつきあってい」た母親である。
もう一つ忘れていたが、パーキンソン病とも診断されており、脳梗塞の後遺症とも相まって、歩けなくなっていた。
最後は新型コロナに感染し、せっかくそれを生き延びたのに、後遺症もあったのだろうか、体が弱って食事が取れなくなって亡くなった。
食事が取れなくなってきたというので、その対策を相談しようと、母親にも会うことになっていた、その前日に死んでしまった。
これがその翌日なら、「最後に顔が見られてよかった」と思えたのだが、「明日会えたのに」と、ちょっと無念に感じながら遺体と対面する羽目になったのは、コロナ禍で碌に面会もできないことをそれほど不自由にも感じていなかった罰なのかもしれない。
額に手を置いて、「あんまり会いに行けなくてごめんな」と今さら懺悔しても、死者には何も伝わらない。
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唯一よかったのは、コロナ死ではなかったことである。
専門家が「死体は呼吸しません、死体からは感染しません」と力説しているにもかかわらず、亡骸を袋に入れられて、顔も碌に見られないまま荼毘に付されてしまう理不尽を嘆いた遺族のことを思えば、立派な布団を掛けられて、きれいに死に化粧をしてもらった母親に触れ、眉毛や睫毛まで生きているかのように感じられたのは、僥倖と言ってもいい。
たとえばウクライナやコロナ死や大震災のことを思えば、人なみに通夜を執り行い、葬儀を出せるだけでも幸せだ。
(いまこれを書いているのは母親が没した当日だが、公開日時は葬儀後に設定している。)
いずれにせよ、母親なら、自分が死者の側である今こそ「生きとうもんのほうが大事や」と言ってくれそうな気がする。
やすらかに。
2022.02.28
◆長いお別れ
標題は、レイモンド・チャンドラーの小説とは何の関係もない。
___
もう先々週のことになるが、高齢者施設に入所している母親がコロナに罹ったという知らせを受けた。
調べてみると、クラスタとしてニュースにもなっていた。
まあ、半々くらいで覚悟はしつつ、ふつうに日常生活を送っていたのだが(旅行にすら出かけた)、今夜になってやっと、無事回復したことを知った。
___
母親が現実に死ぬかもと思いはじめてから、もう10年近くになる。
敗血症・脳梗塞・肝臓がんをそれぞれ乗り越えてきて、糖尿病ともずっとつきあっている。まだ他にもいろいろあったような気もするが、もはや思い出せない。
そこへきてコロナである。身内の罹患者は初めてだし、知り合いですらまだ1人しか知らない。
母親に関しては、少なくともこの10年ほどずっと、いつ死ぬかいつ死ぬかと折りに触れては思い出すので、長い間、お別れの精神的準備をしているような気分である。
お蔭で、もはやいつ死んでも大丈夫な気がしている。
もちろん、葬式で涙くらいは流すかもしれないが、それだけのことだ。
しょせん、ひとはみな死ぬのである。
息子に精神的準備期間をくれただけでもありがたい。
伊勢物語に
世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと祈る人の子のため
という歌があるが、「さらぬ別れ」(避けられぬ別れ=死)はいつか必ず来ることがわかっているのだから、「千代もと祈る」ことすら私はしない。
詮のないことだからである。
いつのころからか、「家内安全」を祈るときにも、両親は外している。
どんな神仏であろうが、絶対に無理なことを頼まれても困るだろう。
元気だった父親も、卒寿を越えてしばらくしてからは介護認定を受けるくらいには弱っている。
さらぬ別れを、遠かれと思わないでもない。
だが、遠くなっても、長いお別れがさらに長く続くだけのことだ。
___
生老病死とはよく言ったものである。
この四苦に続くのが愛別離苦であることもやるせない。
2022.01.15
■外壁の補修
本来なら今ごろ、グライダーで大空を舞っているはずだった(陳腐&大げさ)。
なんでも、天気はいいのだが滑走路に積雪があり、今日はどうも無理ではないかという連絡があったので、諦めて家にいることにした。
朝、遅くに来た父親からの年賀状の返事を出しに、歩いて郵便局に出かけた。
年賀状はやめたと伝えていたのに、忘れたのか、今年は来た。もしかすると、去年も来ていたかもしれない。
いずれにせよ、卒寿を過ぎての肺炎(コロナではありません)から回復したことを示すわけで、めでたいことには違いない。
郵便局の帰り、家の外壁をなにげなく見上げると、明白に色がおかしい部分があるのに気づいた。
帰宅して近くから見ると、まん中がひび割れている。
陽のあるうちに歩いて自宅に帰って来るなど(特にコロナ以降は)ほとんどないので、今日まで気づかなかったのだ。
タイルのような外観ではあるがサイディングであり、1枚分相当だけ色が変わっているというのはどう考えてもおかしい。
それに、上下の目地に色を塗ったような痕跡もある。
以前外壁補修をお願いした業者さんに電話すると、仕事の途中で寄り道してさっそく来てくださり、診断してもらった。
その結果・・・
「おそらく、新築の時に異常があったのを糊塗するための塗装が経年劣化で色褪せてきたのではないか」という診断を、ためらいながらも教えてくれた。
それにしても、「糊塗」とはよく言ったものだ。(おそらく)新築時には既にあったひび割れをコーキングで隠し、色合わせした塗料を塗っていたのである。
補修するとなるとどうすればいいのか伺うと、コーキング剤を充填して塗料を塗るという。
要するに、もう一度同じことをするわけだ。
それほど深刻に考えなくてもいいし、たいした手間でもないというのでとりあえずはほっとしたが、いくらくらいかかるのか聞くと、やはり2万円くらいにはなるという。
「もしかして、ホームセンターでコーキング剤を買ってきて、自分でやっても大丈夫ですか?」と聞くと、それでも十分ではないかという雰囲気であった。
業者さんを見送ってから、どうしようか家人と相談しつつ考えた挙げ句、まあ、やってもらおうかという話になりかけた。
ところが、物入れを開けると、セメダインのバスコークN(マスキングテープ付)があり、いつのものだかはわからないものの、防カビ剤入りで防水・耐湯・耐熱・耐寒(-40℃〜120℃)だという。
「浴室・キッチン」というのが気になったが、買いに行くのが面倒だというのも大きかったので、ええい、かまうものか、一気にこれで片付けてしまえ・・・という方に傾いた。
やってしまってから気がついたが、室内用らしいので、もしかすると耐紫外線性能とかが弱いかもしれない😅
ガレージから脚立を持ち出して、ちょっと無理な姿勢ではあったが、なんとか補修できた(と思う)。
今はまだ、マスキングテープを剥がしていない。
転落するとかそういう心配をちょっとしていたが、取り越し苦労であった一方、もしかすると筋肉痛になったりするかもしれない。
これで2万円の節約。今日、飛びに行けなかったこととあわせて4万円くらいの節約になっただろうか。
相変わらずケチである。
2022.01.01
2021.12.17
★「ええこと」3
こんなに「ええこと」が重なるなんて😅
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この秋に知り合った若い人が、グライダーに乗っていることを知った。
実生活では、飛行機の免許を持っていることを基本的には人に言わないのだが、そのときは一瞬のためらいの後、「実はぼく、ペーパーパイロットやねん」という話をしてしまった。
相手も飛んでるんだし、何も隠すことはない。
「ええなあ。グライダーって前から乗りたかってん。うらやましい。とにかく、静かに飛べるのがええと思う」
みたいなことを言うと、
「無線がずっとうるさくて、そうでもありませんよ」
というような話だった。
「ふるさと納税すれば乗れる機会があるのでどうですか」と、なかば冗談で勧められもしたのだが、お客さんとして体験搭乗するのなら、グライダーでもパラグライダーでもハングライダーでもそれなりに機会は作れるだろうと思って、あまり食指は動かなかった。
次の週、「仲間に話したら、「今度(の飛行会に)参加してもらえばええやん」という話になったんですけど、いらっしゃいますか」と聞かれたので、一も二もなく「もちろん行く行く」と返事する。
あんまり前のめりなので、相手は「そんなに?」とちょっと引いていた。
さらに次の週、最終的には教官に確認しなければならないが、仲間はみんな歓迎すると言っているので来てくれという話になり、申し訳なさそうに、現地までの交通費は自己負担であること、飛ぶのに料金や保険料がかかることを伝えられた。
交通費がかかるのは当然だし、飛行にかかる費用も、セスナで飛んでいたときのことを思えば、何というほどの額でもない。
問題は、「上がっても、上昇気流がつかまえられへんかったら、──たいていはつかまえられないんですけどね── すぐ降りてこないといけないんですよ。「バッタ」っていうんですけど」というところだが、動力のない滑空機なので、それも仕方ない。
ともかく、ひさしぶりに飛べる、しかも初めて静かに飛べる・・・というのは朗報だ。
たまには「ええこと」もあるのである。
ほんとにたまにだけど。
2021.12.04
★「ええこと」2
以前、「ええこと」について書いた2年前は、書き出しが
「おお、11月の記事がひとつもなくなるところだった。」
なのだが、今回は11月の記事がひとつもなくなったあとだ。
まあ、twitter は随時更新しているので、生存証明にはなっていると思う。
さて、「ええこと」2。
前回の「ええこと」の趣旨は、「われわれ庶民に「ええこと」なんてそうあるものではない」というものであった。
・・・というのが正しいか、念のため読み返したところ、そうではなくて、息子の就職が(一応)決まったというものであった。上記趣旨は十数年前のものだった。
たまには「ええこと」もあるのである😅
___
さて、今回は人様の話。
かつての同僚にひょんなことから子育て関連で久しぶりに連絡すると、現在ふたりめのお子さんを妊娠中だと教えてもらった。
ふたりめ!!
いやいや、若い夫婦なんだから当然といえば当然のことなのだが、いつの間にか頭の中が、「超少子高齢化・ひとりっ子または子なし・いやそれ以前に結婚しない」というのがふつうの世界・・・という状態になっていたので、他人事ながら、ふたりめ懐妊というのは想定外の驚きだったのだ。
心の底からおめでとうございますと言いたい。
私には甥や姪が8人いるが、だれひとり結婚していない。息子にももちろん、その影すらない。ひとりふたりを除き、全員「適齢期」か、または過ぎているのに、である。
いや、何もここで昭和の価値観を出すつもりはない。別に何歳で結婚してもしなくてもいいし、スウェーデンやフランスみたいに「子どもはいても結婚している方が珍しい」でも、個人的には別にかまわない。
だが、これほど子どもが少なくなると、国民国家の存亡に関わるというのは、まったく民族主義者でも国家主義者でもない私にもひしひしと感じられる。
民族主義者や国家主義者だらけの政治家たちは、いったい何をしているのだろう?
・・・というような意味で、おめでとうございますと言いたいのではもちろんない。
育ってしまうとそうでもなくなるが😅、「子宝に恵まれる」ということばを実感する者のひとりとして、民族や国家のことなんか何の関係もなく、完全に個人的にうれしく、おめでたく感じたのである。
幼子を抱えているところにまた乳児が生まれてくるなんて、想像もできないほどたいへんそうである。二人ともフルタイムで働いているからなおさらだ。
でも、
While motherhood is hard, children are bliss.
である。
いや、私だって十分子育てをしたし、parenthood というべきかもしれないが、元同僚は mother だし、これでいいだろう。
ともかく健康第一で、家族4人!、お幸せに。
2021.10.17
◆「手良乎」の謎
追記:下記に関して、『日本国語大辞典(第2版)』に記載があるとの懇切丁寧なご教示を賜りました。ありがとうございました。
「辞書にないのに」と繰り返しておりましたが、単なる私の見落としでした。お恥ずかしい限りです。
___
本日付の「朝日歌壇」に、
「手良乎」とう『色葉字類抄』にもある言葉今も津軽の地には生き延ぶ
という作品が掲載されていた。選者は馬場あき子である。
馬場によると「手良乎は蝶のこと」だそうだ。
『色葉字類抄』は、平安時代末期、12世紀半ばに成立したと言われる古辞書。
最初は「なるほどなあ。方言周圏論(中央の言葉が同心円状に地方に波及していくという考え方)はここでも有効なのだ」と思っただけだった。
だが、気になって「手良乎」(新聞には「てらこ」と振り仮名がある)を辞書で調べてみても、手元で見られるあらゆる辞書に載っていない。
「手元で見られる」とはいってもネット時代、日本最大の『日本国語大辞典(第2版)』(書籍だと全14巻、23万1000円)まで含むのに、である。
『色葉字類抄』そのものは家で見られないが、そこに載っている語であれば、辞書に載っていてもよさそうなものなのに。
そもそも、馬場はどうして「手良乎は蝶のこと」だと知っているのだろうか。辞書にないのに。
馬場あき子ほどの人であれば、自宅に色葉字類抄くらいは置いているのだろうか。
あるいは、作者がハガキに書いていたのか。
もしかすると、一流の歌人には常識なのか。辞書にないのに(しつこくてすみません)。
辞書にないどころか「手良乎」を漢字でネット検索しても、ヒットするのは朝日歌壇だけなのである。
「"てらこ" "蝶"」で検索しても、関連のありそうなのは「つがる弁」について述べた1つのみ。
諸賢のご教示を賜れれば幸いです。
2021.10.15
◆目指せ! 陸マイラー
ポイントを貯めるとかマイルを貯めるとかにほとんど興味・関心がなかった。
むしろ憎んでいた。
あんまりお金を使わないから大して貯まらないし、何より面倒だと考えていた。
Tポイントカードやポンタカードは持ってはいるが、会計の際にも出さなくなっている。
ローソンで Apple Pay を使うと、ポンタポイントも自動でつくのでそれは使っていたのだが、VISAタッチのほうが便利なので、わざわざポンタカードを出さなくなった。
どうせ月に1000円とか2000円とかしか使わない。それで10円20円のポイントをもらったところでどうしようもない。
ところが・・・
なぜか先日、ふと、「JALカードでマイルを貯めるのはどうだろう?」と思い至った。
(そうだ、屋久島に行こうかと考えて、往復の航空運賃が7万円超なので諦めて信州にしたときに、「6000マイルで行けるのに」と考えたからだった。)
いま思えば、これまでどうして無視していたのか不思議なのだが、おそらくは、どうせたいして貯まらない(と決めつけていた)のに、カードに年会費が必要なのが気に食わなかったのだと思う。
年会費無料のマイル専用カードなら持っている。
ところが、マイル専用カードでは、飛行機に乗らないとマイルが貯まらない。飛行機に乗るのは たまの海外旅行くらいなので、それではなかなか うまみがなかった。
それでも、覚えている限り、これまで3度、無料で国内を往復したことがある。
熊本へ家族3人で。
函館へひとりで。
奄美大島へ夫婦で。
もしかして、「ショッピングマイル」を貯めれば毎年でも夫婦でそういうことができるのではないかと、作ることにしたのだ。
早速、光熱費や通信費、車の保険代など、あらゆる可能な固定費をぜんぶJALカードで払うことにして計算すると、年に約80万円になった(食品の宅配を含む)。それだけで8000マイル!なので、JALの「どこかにマイル」を使えば、ひとりなら国内のどこかを無料で往復することができて、お釣りが来る。
日常の買い物やガソリン代なども支払えば、おそらくは、120万円使って、毎年夫婦でどこかに旅行できるだろう。
いろんなカードに分散してややこしくなっていた支払いを、可能な限りJALカードに一本化してすっきりできるのもメリットである。
残念なのは、水道代と税金をJALカードで払えないことだ。特に、家や車の税金が払えれば、たくさんマイルが貯まるのに・・・と思う。
あわよくば、ヨーロッパに行くときにビジネスクラスに・・・とも考えていたが、いま調べると、2人で片道でも6万6千マイル必要だそうで、これはちょっと夢物語か。
しかし、だとすれば、前回のバルト三国の行きはほんとにラッキーだったなあと思う。
___
早速、Apple Watch Series 7 を注文した。今まで長い間様子見を決めこんでいたので、はじめての Apple Watch である。
1000マイルゲット!
うれしくて無駄遣いしないように注意しなければ、本末転倒だ。
2021.09.30
■久しぶりに写真を更新いたしました
久しぶりに写真を更新いたしました。
ご笑覧くだされば幸いです。
手軽な写真の保存・公開方法がいろいろあって悩ましいのですが、上記2つは今よりはマメに更新しようと思います(できるのか)。
引き続きよろしくお願いいたします。
2021.09.28
■狭い山道では昼間でもヘッドライトをつけましょう
きのう、信州や新潟の狭い山道をえんえんと走りながら、いつものように、ヘッドライトをつけていない車が多いのに閉口していた。
数えてみたが、つけている車は30台に1台くらいだった。実に3%ほどである。
ヘッドライトをつけることは、対向車の視認性を格段にあげる。
昼なお暗い山道では特に有用だ。
また、カーブミラーにライトが反射すれば、対向車が来ることは一目瞭然。
間違いなく、安全にも資する。
私自身は40年!前から実行しているのだが、いっこうに増える気配がない。
「ヘッドライトがついていたから対向車が早くから視認できた」という経験をした人が増えれば、当然自分もそうしよう・・・となって増えてくるはずだが、なぜそうならないのか不思議である。
もしかして、電気代?をケチっているとかそういうことなのだろうか?
狭い山道では、昼間でもヘッドライトを上向きにつけ、前走者に追いついたり対向車が来たりしたら下向きにする。
ぜひこれを、自動車教習所で教えてほしい。そして、免許更新の講習でも取り上げてほしい。
40年経っても変わらないのだから、死ぬまで変わらないかなあ・・・
2021.08.25
★各国はアフガニスタンの人々も救ってほしい
新型コロナはもちろんだが、アフガニスタンの情勢も気になる。
そんなことを私が気にしたところでまったく何が変わるわけでもないのだが、投票行動の一票と同様、みんなが気にすれば少しは変わりうる、そう願うしかない。
アフガニスタン人の知り合いは2人しかいない。
2人とも、女性への教育を否定していた旧タリバン政権崩壊後に、留学生として日本にやってきた女性だ。
来日当初は、何かに怯えるようにいつもびくびくしながら人の顔色をうかがっているように見えたのだが、たぶん思い過ごしではなかったと思う。
その彼女たちも、だんだんと明るくなって笑顔が増えていき、日本での生活になじんでいったように見えた。
数か月会わないで再会したときには、髪の毛を覆うスカーフまでしなくなっていたことに驚いたものだ。
彼女たちも、もう40歳前後になっているだろう。
特に親しいわけでもなく、こういうことになる前から消息はわからなかったので、現在どうしているかは知る由もない。
だが、20年ぶりに政権を奪還しつつあるタリバンは、留学経験者を目の敵にしているという報道もあって、心配している。
彼女たちが国外で幸せに暮らしていることを願う。
そしてもし、いまアフガニスタンにいるのなら、アメリカ軍でもドイツ軍でもフランス軍でも、あるいは自衛隊の飛行機でもいいから、無事に国外に脱出してほしいと思う。
各国は、自国民だけではなく、亡命を希望するアフガニスタンの人々も救ってほしい。
2021.08.01
★建具のメンテナンス
8月がはじまった。しかも日曜日。
ちょっと気分に余裕があったので、2階和室からベランダに出る掃き出しアルミサッシのクレセントを修理することにした。
錠を閉めるときにスカスカで手応えがなく、前から気になっていたのだ。
ちょっと見たところ、分解する手がかりがなさそうだったのでネットで調べてみた。
いちばんのポイントは、ネジを隠している化粧板を外すことであった。ネジさえ見つかれば緩めればいいだけだ。
やってみれば簡単なことだし、そういえば大抵の修理は化粧板やら化粧蓋を外すところから始まるのだが、滅多にやらないのですぐに忘れてしまう。
サッシのクレセントを分解するのなど、生まれてはじめてだ。
マイナスドライバーを隙間に差し込んで・・・みたいな説明を見つけたが、「ああ、これが外れるのか」とわかれば、爪で簡単に外すことができた。
問題は、検索したのがどれも、台座や受けがねの緩みを問題にしていることである。
そうではなく、クレセントに手ごたえがなくてスカスカなのだ。
・・・と、キーワード候補に「バネ」が出てくることに気づいた。
バネって何だよ?
気になって検索すると、なんとクレセント錠の中にバネが仕込まれていることを初めて知った。キーワードのサジェスト機能がこんなに役に立ったのも初めてのような気がする。
いずれにせよ、錠を外してしまえばわかったことなのだが、そのバネが折れて外れていたのだ。
これでは、部品がないと手の出しようがない。とりあえずクレセントを元に戻す。
調べると、スプリングは2本で百数十円とかで手に入るようだ。
___
ついでというか、これも以前から気になっていた、1階の書斎と子ども部屋を隔てる建具も調整する。これは過去に経験があり、わりと簡単に、スムーズに開閉できるようになった。
なんという名前なのか、天井側についている、引き戸が節度を持って閉まるようにするための金具がぐらついているのには、初めて気づいた。これは締め込むだけで修理完了。
___
もう1点、2階リビングに入るドアノブの調子もおかしい。これもどうも、バネの問題であるようだが、ラッチ自体を交換する必要があるかも。交換するとなると5千円近く・・・(訂正:メーカーのパーツリストで1650円でした。4個入りの価格を見ていました。)
昼食後にでも分解してみようと思う。
後記:ドアノブ下側の溝にマイナスドライバーを差し込むだけでノブが外れる構造なのにはちょっと驚いた。
やはりラッチ自体を交換することにして、通販で注文した。
さらに後記:今日(2021.8.3)届いたので交換し、すっきり直った。送料込みで1300円強。
2021.07.31
●小鳥、廉価で預かります?
春から危惧してこのブログのサブタイトルにしていたが、夏になって文字どおり「国破有五輪 都夏病毒深」である。人災の側面も強く、残念でならない。
(後記:今日発表された東京都の新規感染者数は、はじめて4000人を超え、4058人、「直近7日間の感染者は1日平均2920人、最も深刻なステージ4(感染爆発)基準の5.8倍」だそうである。)
それはともかく、明日から8月だなんて、ちょっと信じられない。
仕事が一段落するのはお盆が終わるころ・・・という生活が十数年?続いているが、まだ慣れない。
お盆明けくらいが年度前半の仕事の締切に設定されているので、お盆はそれを片付けるのに使わざるをえないのだ。
まあ、人が多いのは苦手なので、お盆には仕事をしてその後休むというのが定番になっているのは悪くはない。
・・・というわけで、まだ仕事は片付いていないとはいえ、ちょっとひと息ついている。
いつものことだが、やっと休みの計画を具体的に立てはじめた。
海外には行けないので、手軽に涼しいところということで、昨年に引き続き信州になった。
首都圏と大阪・沖縄は、8月いっぱい緊急事態宣言のようで、旅行というのも気が引けないわけではないが、万能ではないにせよ、まあワクチンも接種したことだし、そもそもほとんど人とは接触しないので、問題はないだろう。
あるとすれば、車が大阪ナンバーであることくらいである。「ワクチン接種済」というパネルでも作って貼り付けておこうかと、なかばまじめに考えてしまう。「長野在住」でもいいのだが、ウソはつきたくない。
___
さて、とりあえず宿を2泊分だけおさえたところで、家人が「あ、S(文鳥)はどうするの?」と言った。
すっかり忘れていた。去年はどうしたんだっけ? それより、バルト三国に出かけたときは???
「あの時はRくんがいたから」
「え?」
就職浪人していた息子がずっと家にいたのである。20代後半のニートも、役に立つときがあったのだ。
取るに足りない小鳥だが、そんなものでも飼っていると、短期の旅行にもおちおち行けない。
息子のところに預けるか、旅行中の中日(なかび)あたりに一度来てもらうか・・・
買えば2〜3千円ほどの鳥を、近所のペットショップに3泊4日で預けるだけで5千円近くする。「お預かり、お迎えは」「営業時間内」なので、出発や帰宅時間のことを考えれば7千円だ。シーズン料金の追加もあるようで、それに該当すれば1万円になる。
一日一回エサを足して水をやるだけでいいのだから楽な商売だ。
半額以下で小鳥を預かる商売でも始めようかな?
2021.06.30
2021.05.23
■兵庫県三田市の母子大池は一周できません
兵庫県三田市の母子大池(もうしおおいけ)を一周しながら、「母子大池は一周できますがお勧めしません」という文章を書こうと考えていた。
比較的整備されたハイキング道のような道が池を囲んでいるのだが、倒木をくぐったり跨いだりが20〜30回、川(というかせせらぎ)を渡るのが数回、そして、半分を過ぎて、これなら一周できるまで道が続いているだろうと確信を持てたころに現れたのが、鹿よけのためとおぼしき網であった。
ここまで来て引き返す手はないと思って何とか網を跨いで進むと、その後に同じような網が10回ほど行く手を阻んだ。
歩くのに必死で周囲を見回す余裕はあまりないが、それでもキツツキのドラミングや、センダイムシクイ・ホトトギス・ツツドリの声を聞きながら自然の中を歩くのは悪くはない。
ばさばさっともの凄い音がしたと思ったら、私に驚いたカルガモが飛び上がって逃げていくところだった。
同じように、蛇やトカゲも慌てて池に逃げていくことがあった。
ときおりドボンドボンと音を立てているのはカエルであろうか。
話は戻るが、せせらぎは、どうしても水の中を歩かないと渡れないところが2箇所はあった。そして、プラスティックの筒でできた黒い一本橋を渡る必要にも迫られた。細い丸木橋?を渡ろうとしたら、向こう岸側でボキッと折れたりもした。
極めつきは、鹿よけの?網。お勧めしない所以である。
だが、これほど整備された(ように見える)道があるのだ。しょっちゅうだれかが歩いていないとこうはならない。まあ、これから夏になると、草木が繁ってますますお勧めできない道になりそうではある。
「水源涵養林」や「保安林」の表示があったが、作業の人が頻繁に歩くようなところではない。いったいだれが歩いているんだろう?
困難や苦労から逃げまわり続けている私の人生において、十指に入るくらいの冒険であった。
なにせ、どこまで道が続いているかまったくわからないのだ。倒木や川や柵や崩落や・・・で行く手を阻まれれば、えんえんと元の道を引き返すしかない。
だがまあ幸いなことに、2時間近く四苦八苦して、やっとスタート地点まで戻れた・・・と思った。
「一周できた、引き返さなくてすんだ・・・」という喜びはひとしおである。
ところが、最後の最後に大きな罠が待っていた。
5mほど前にいる親子連れ、10mほど先に見える自分のオートバイとの間には、絶対に誰も通さないぞと頑固に主張する柵があり、それを乗り越えたとしても、またすぐ先に有刺鉄線があるのである。
柵にはこちらからは見えない看板があったので、身を乗り出して裏側を見ると、「立入禁止」とある。
いやいやいや、ここに来るまで、立入禁止はなかったのだ。ここから出られないなら、私が来た方もきちんと立入禁止にしておいてほしい。
そうはいっても、ひと一人くらいならどこかから出られるだろうと高をくくっていたが甘かった。柵はあくまで徹底しており、先に進んで門を見つけても、チェーンに南京錠がかけられていた。その先にも柵は続いている・・・
いやしかし、苦労してやっとここまでたどりついた道を、またこれから2時間かけて引き返すという選択肢はどう考えてもない。
時刻も16時30分になろうとしているし、それよりなにより、オートバイまではたった10m、それと私を隔てる川にも、今日いちばん立派な橋が架かっているのだ。以前は、この橋を渡ってこちら側からも一周散策ができていたのだろう。
しばらくうろうろしたり考えたりしながら、とにかく何とかこの柵と有刺鉄線を超えるしかないと腹をくくった。
結果としてはたいしたことはなかったが、なんとか柵を超えられるところを見つけ、有刺鉄線はくぐることができた。
倒木くぐり(またぎ)や一本橋や渡渉や崩落や網や柵や有刺鉄線を乗り越えて、完全に無事に戻れたのはちょっと奇跡的な気がする。
つい最近、「ため池に落ちると命はない。泳げるとか泳げないとかの問題ではない。岸にたどり着いても陸に上がれないのである」という記事を読んだばかりだ。
このため池も、いかにも上がれなさそうな岸だし、携帯はほぼ圏外である。短い散策路を外れてからは、まったく誰にも会わなかった。
下手をすると、誰にも知られずに、ここでひっそりと死んでいたかもしれない。
___
母子大池は一周できません。ロックフィルダム?の上から少し奥に入って雰囲気を味わい、引き返してくるのが吉です。
2021.05.18
■夫婦同姓の「伝統」
まず、事実確認をしておきたいのだが、法律的なカップルに同姓であることを強制している国は、現在世界中で日本だけであり、それは法務省も内閣も一致して認めているところである。
この「強制的夫婦同姓」が仮に「日本の素晴らしき伝統文化」なのであれば、たとえ世界唯一であろうと、誇りととも続けていってもかまわないかもしれない。
「素晴らしき」かどうかには個々人の価値観が伴うのでここでは扱わない(しかしながら個人の権利を制約する点や利便性から見れば素晴らしくない可能性は高い)が、はたして「強制的夫婦同姓」は「日本の伝統文化」なのだろうか。
もはや周知のことだと思うのだが、それまでふつうは姓を持たなかった日本の住民は、戸籍制度の確立にともない、1875(明治8)年になって姓をもつことを強制された。
そして、翌1876年の太政官指令では、それまでの武家等の「伝統」にしたがい、夫婦は「所生ノ氏」(生家の姓)を用いるべき(=夫婦別姓)と定められた。
夫婦同姓になったのは、明治も半ばを過ぎてから、1898(明治31)年に施行された明治民法以降のことである。たかだか120年ほどの歴史しかないのだ。
今年は「皇紀」2681年であるから、実にその最後の1/20以下の「伝統」ということになる。
だが、こういうことを言っても、夫婦が同姓であることを「伝統」だと言いたがる人たちは、いろいろと理屈をつけてどうしても伝統にしたいとがんばり続けている。
それに対する便利な反論をひとつ思いついたので、この文章を書く気になった。
いま私たちのほぼ全員が日常的に着ているような衣服を、「日本の伝統文化」だという人がいるであろうか。
そう、夫婦同姓は、まさに洋服と同じくらいの伝統しか持たないのである。
そういうものを日本の伝統文化だと言い募るのは、恣意的を通り越して捏造に近い。
まあ、あと100〜300年もすれば、洋服も立派な日本の伝統文化の仲間入りをする可能性はあるかもしれないが、今はまだそのときではない。これは、衆目の一致するところであろう。
強制的夫婦同姓は、日本の伝統文化でもなんでもない。むしろ、伝統文化に反するものと言っても過言ではない。
まあ、そんなことを言えば、全国民が姓を持つこと自体が伝統ではないのだが。
伝統伝統と言いたがる人たちが好きなのが、なぜか近代以降の帝国主義・植民地主義・君主制・家父長制の「伝統」であることは興味深い。
己を大きく見せて他を支配したいという醜い心根の反映でないことを願うばかりである。
___
夫婦同姓や洋服に限らず、日本の多くの「伝統」は、明治までしか遡れない。そして、残りの少数の「伝統」も、多くは江戸時代までしか遡れない。それ以前の「日本古来の伝統」は、ごくわずかである。
たとえば、江戸時代になるまでは、醤油も清酒もなかった。砂糖も貴重品でほとんど使われなかった。
かつおや昆布の出汁はもっと古くからあったようだが、それでも室町時代後期からであるらしい。合わせ出汁が文献に登場するのは、江戸時代になってからだそうだ。
いわゆる日本料理の源流はおそらく茶の湯の懐石からだと思われるが、こう見てくると、現在の日本料理の伝統はせいぜい江戸時代からのものだと言っていいのではないかと思う。
醤油も合わせ出汁も清酒も砂糖も?ない料理が、現在考えるところの「伝統的日本料理」であるはずかない。
なにも料理に限らない。日本の、いや、あらゆる国や地域の伝統は、外来文化の受容と、発見・発明とからなる、ダイナミックな変化の歴史として紡ぎ出されてきたものである。
ごく一時期に歴史の偶然から生み出され、しばらく続いただけのものを墨守することは、伝統を大切にすることでもなんでもない。
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