2024.10.04

◆郵便料金の値上げと「一銭五厘」

 10月1日から郵便料金が値上げされ、はがきが85円、封書が110円になった

 それに関連して書かれた今日4日の天声人語(朝日新聞)を読んで不思議に思った。
 1937(昭和12)年にも官製はがきの料金が大幅値上げされていて、二銭になったというのだ。

 一銭五厘ではないのか?

 若い人は何のことかわからないかもしれない(それでも、歴史の勉強や小説・随筆・ドラマなどを通して知っているのが本来の姿だと思う)が、「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」(日本経済新聞20190119)というのが一般的な理解だ。

 徴兵された兵隊が「「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟をたててやって来る!」と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ」(「輜重兵第五聯隊 隊跡馬碑」由来)たというような話は、いわば常識であり、私自身、直接間接に何度も見聞きした記憶がある。

 だが、はがきの料金は、1937(昭和12)年4月に値上げされ、それまでの一銭五厘から二銭になったという。
 であれば、日中戦争が始まったのは1937年7月だから、日本経済新聞の「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと」というのは、明白な誤りだ(後記:ただし、満州事変から「戦時中」だと考えれば、最初の1/3ほどは実際に一銭五厘だった)ということになる。
 私自身、迂闊にも戦時中のはがき代は一銭五厘だと思っていた。
(まさか、戦時中に値下げされて一銭五厘に戻ったのか?とも一瞬考えたが、調べるともちろんそんなことはなく、むしろ、三銭(1944年4月)、五銭(1945年4月)と値上がりしたらしい。)

 ただ、「召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」というのは誤りではない。戦時中に兵隊たちが(「教育的」効果を狙ってか)「一銭五厘」と呼ばれて軽んじられていたのは、まず間違いのない事実である。
 だとすると、1937年以前の悪しき伝統が受け継がれ、郵便料金が値上げされて(二銭どころか五銭になって)からも、新兵を「一銭五厘」と呼んでいたのだろうと推測できる。

 雑誌『暮しの手帖』の創刊者である花森安治も、徴兵されて実際に一銭五厘呼ばわりされていたことを書いている。特に『一銭五厘の旗』(暮しの手帖社1971)はロングセラーとして有名で、出版から半世紀以上経った今なおすぐに手に入る(本来の表記は『一戔五厘の旗』)。

 花森が召集されたのは1937年秋のことらしく、まさに郵便料金が値上げされて半年後ということになる。ならば、新兵を「一銭五厘」と呼び続けていても不思議ではないし、その後も実際の郵便料金とは関係なく、符牒として継承されたのであろう。
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 ただ、ご存じの向きも多いかと思うが、そもそも召集令状に はがきは利用されていない。戦時中にたくさんの人々が目にした召集令状、いわゆる「赤紙」を検索すればすぐにわかるが、どう見てもはがきではありえない
 実際には、赤紙の送達には郵便は使わず、役場の官吏が対象者(留守の場合は家族)に直接手渡していたという。

 その意味で、「一銭五厘」があくまでも比喩として使われていたということも、いわば常識であった。

 ただ、天下の『日本経済新聞』ですら「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」と書いたりして、後半は誤りとは言えないにしても、そういう言説が繰り返されることによって、

「兵隊は一銭五厘のはがきで召集された」

という二重に誤った風説が定着してしまうことになるのである。
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 この件に限らず、私たちが常識だと信じ込んでいることが、事実とはまったく異なることは多い。

 あらゆる「知識」は、つねに仮のものであり、不断の検証を必要とする。

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2024.09.26

■ "I gave at the office." と生成AI

 その昔、アメリカのテレビドラマの『ER 緊急救命室』で、さんざん働かされた医師のカーターが宿直室に籠もり、ドアに "Do not disturb ! I gave at the office !" という張り紙をした話があった。検索したところ、字幕は「起こすな! もう死んでる!」だったようだ。

 この、"I gave at the office." 、当時はいろいろ調べても納得のいく訳がわからなかった。
 文字どおりに訳せば、「私はオフィスで渡した。」ということだが(何を?)、文脈からは、「もうじゅうぶん働いた。」というニュアンスだと思った。
 さっき、家人が見ていたフィールド・オブ・ドリームス(ケビン・コスナー)で、たまたま同じ台詞が聞こえてきたので、この件を思い出し、少し「巻き戻し」て見せてもらったが、字幕には訳出していなかった。流れからは「私はもうこの分野で十分貢献した(から今さら何かをするつもりはない)」という感じだった。

 あらためて、評価の高いDeepL で "I gave at the office." を翻訳すると、「事務所で渡したよ。」「会社で渡した。」「事務所で授賞式を行った。」と出てきたが、どれもヘンだ。Google 翻訳でも同様に「事務所でお渡ししました。」と出る。

 さて、時代は流れ、いまは生成AIというものが存在する。
 3つほどのAIに尋ねると、どれも的確な答を返してきた。中でも秀逸だったのは、Claude 3.5 Sonnet で、以下のような回答であった。

「I gave at the office.」という英語の表現を日本語に訳すと、以下のようになります:
「もう寄付しました。」または「すでに寄付済みです。」
この表現は、文字通りの意味ではなく、慣用句として使われます。主に以下のような状況で使用されます:
寄付や募金を求められたときに、丁寧に断るための言い訳として使います。
実際に職場で寄付をしたかどうかに関わらず、これ以上の寄付や貢献を求められたくないという意思を示すために使います。
より広い意味で、「もう十分貢献した」「これ以上は勘弁してください」というニュアンスを込めて使うこともあります。
したがって、この表現は直訳ではなく、文脈や状況に応じて適切な日本語表現を選ぶ必要があります。

 ここまで気の利いた解説は、これまではその分野に詳しい人間からしか得られなかった。
 それがこうも簡単に的確な説明が得られるようになったとは・・・

 あとは、しれっと嘘をつかないように、わからないことはわからないときちんと返事するようにAIをチューニングするだけで、ものすごく役に立つツールになると思う。
 現状では、嘘をつかれたときに見抜ける分野でないと、使いものにならない。

 だが、何でもAIに聞けばとりあえずOK・・・まで、そう遠くはない気がする。

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2024.09.09

■ポルトガル ドライブ旅行事情

 ポルトガルのドライブ旅行で心配したのは、高速道路料金の支払い方法と駐車場所の確保とだった。
 案ずるより産むが易し、ほとんどというか、結果としてはまったく問題なかったのだが、これから旅行しようという方のために、簡単に記しておく。

 まず、高速料金についてはまったく心配ない。

 ポルトガルのレンタカーには Via Verde(直訳すれば「緑経由」)というシステムの搭載が義務付けられているそうで(その機器利用料を貸出時に請求される)、料金ゲートのあるところでは左側に1〜3つ程度ある、緑の「V」マークが書かれた車線を60km/h以下で走行すると、自動的に料金が計上され、レンタカー会社に請求されるようになっている。日本のETCにあるようなバーはない。
 また、北部を中心に、ゲートもなく減速の必要もなく、ふつうに本車線上を走っているだけで請求されるシステムもある。
 車を返却したときに、どの地点でいくら払ったかの一覧をレンタカー会社からもらったが、ゲートのあるなしでは区別されずに、ずらっと時系列に並んでいた。その合計額をレンタカー会社にクレジットカードで支払うのだが、返却日に近い請求はまだレンタカー会社に届いておらず、後から別に請求されることになる点には留意する必要がある。

 スペインでは、ふつうの料金所の係員がいる(人の絵のアイコンがある)レーンに向かい、クレジットカードで支払った。無人のブースしかない料金所もあったが、クレカで大丈夫だった。

 次に駐車について。

 これは、「ほとんど」心配ない。

 ポルトガルは、路上駐車天国というか地獄というか、基本的に道路はほとんど駐車場である(笑)
 駐車禁止のところには、比較的わかりやすく黄色の表示があるので駐めてはいけない。
 それ以外に、Pマークがあっても、Residentes(居住者)の単語には注意したい。そこに住んでいる人用で、観光客は駐められない。典型的には、Estacionamento Reservado a Residentes(Parking Reserved for Residents)と表記されている。

 一部にパーキングメーター的な、お金を払って出てきたチケットをダッシュボードに置いておくタイプがある。Pの看板の下に pago とあればそれだ。一度だけ、マフラ宮殿の駐車場で使ったが、1€で1時間半駐めることができた。故障してそうな機械が多いし、コインが必要なのでご注意を。
 また、結果的にどうなるのかは知らないが、どこでも、払っていない車が大多数のようだった。

 ここまで読んで心配になった方も多いかと思うが、基本的には上記に書いた以上に楽だ。
 ポルトガルの観光名所の街は、多く城壁に囲まれていたりして、城壁内は歩いて観光できる程度の大きさがほとんどなのだが、その城壁のすぐ外に、広大な無料の駐車場が確保されている場合が多い。
 狭い村なんかだと、広大とまでは言えなくても、なんとか観光客の駐車を捌けるほどの台数はだいたい確保されている。よほどのトップシーズンでなければ、駐車に苦労することはまずないだろう。
 Google Maps で航空写真を表示させると、観光地の周囲に乗用車が多数駐車している様子を見ることができる。そこをナビの目的地に設定すればいい。

 2週間以上、たぶん20数都市を車で訪れて、駐車にちょっと苦労したかなというのは、コインブラとナザレだけだった。その2つにしても、結局は5分ほどで駐車場所を見つけることができたので、結局、今回の旅行で駐車に苦労したことは1度もなかったということになる。
 スペインを含め、ショッピングモールの駐車場に駐めたことは2回あるが、通常の、お金を払って駐めるような屋内型の駐車場に駐めたのは、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラだけであった。この時だけは駐車料を2200円も払ったが、それ以外で駐車料金を払ったのはマフラ宮殿の1€だけだったと記憶している。

 ただし、ポルトとリスボンには車を乗り入れていない。ポルトでは郊外に宿を取り、中心部へは片道4€ほどのUberで往復した。
 リスボンは、空港近くの営業所にレンタカーを返却してから、地下鉄駅にほど近い宿を取って、地下鉄で中心部へ移動している。
 ポルトやリスボンの市街地を車で走ることはお勧めしない。特にリスボンは大渋滞で大変そうな場面を何度か目撃した。ただ、少し中心地を離れるといくらでも駐める所はあるので、そこから公共交通機関なりUberなりを使えばなんとかなるとは思う。
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 最後に、慣れているつもりではいても、右側通行で左ハンドルのマニュアル車というのは、ときどき落とし穴がある。今回の旅行でも、2〜3度、左側を逆走し(そうになっ)た。1度などは、「なんでこいつ、正面から来るねん」と、自分の逆走を棚に上げる心理に陥ったことすらある。
 一車線ほどの幅しかない交通量の少ない道を走っていて、たまに対向車が来たりした時に譲ろうとすると、とっさに左に寄ろうとしてしまう点にも注意したい。

 また、多くの交差点がロータリー方式になっているのはヨーロッパほぼ共通だが、そうではない交差点では右折と左折のレーンが交差点の手前で分かれていることが多く、どちらに進入すればいいのかたまに戸惑った。ほとんどの場合、前車(右折)は徐行で、後者(左折)は一時停止となっている。
 (後記:そうそう、ロータリー方式でも、右折車だけを先に曲がらせてしまうタイプもあった。ロータリーの手前に右折専用車線があり、ロータリーに進むのは右折車以外、というタイプである。これも少し戸惑った。)

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 細かいことはいろいろありますが、もし何か疑問があればわかる範囲でお答えしますので、コメントをいただければ幸いです。

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2024.09.08

■EUの最貧国?

 Google でポルトガルを検索すると、
「ポルトガルは安全な国ですか?」はいいとして、
「ポルトガルは貧しい国ですか?」
「ポルトガルは先進国ですか?」、はては、
「ポルトガルは最貧国ですか?」のようなものがずらっと並んで辟易する。

 1人あたりGDPでポルトガルを見ると、EU27か国のうち18位と、確かにEUの中では決して金持ちの国ではないようだ。

 しかし、14位から25位を見ると、スペイン・スロベニア・チェコ・エストニア・ポルトガル・リトアニア・スロバキア・ラトビア・ギリシア・ハンガリー・ポーランド・クロアチアと並んでいて(2023年)、この中のギリシア以外は行ったことがあるが、どの国も、決して貧しい感じは受けなかった。

 それもそのはず、この中で最下位のクロアチアですら、世界では55位と、上位1/4くらいには入るのである。ポルトガルは42位、上位1/5だ。

 実際、ポルトガルが「貧しい国」、ましてや「最貧国」という感じはぜんぜんしない。
 高速道路網は日本よりはるかに発達しているし、北部を中心に、日本のETCのようなシステムを超えて、そもそもゲートすらない料金収受システムまで備えている。120km/hの制限速度からまったく減速しないで、自動的に料金を支払えるのだ。

 高速道路料金を徴収する時点で「ちょっとダメな国感」も感じられるが、フランスだってイタリアだってもちろん日本だって有料だ。
 それに料金も安く、今回、反時計回りにほぼ一周して2200kmほどを走り、躊躇なく高速道路を使っていたが、総料金はせいぜい6000円くらいですんだ。日本なら、大阪から長野までの400kmあまりすら走れない金額だ。

 一切減速することなく徴収できる利点の一つに、短い距離で低額を取っても交通の流れを阻害したりしないことがある。見た中で区間最安値は0.15€、日本円で25円ほどだった。

 国の貧しさは道路事情によく表れる。高速道路に限らず、ポルトガルの道路はよく整備されていて、人口が1000万人ほどの国だとはとても思えなかった。

 だいたい、タコのグリルが一皿4000円もする国が、貧しいはずがないのである(笑)

 名所への入場料が高いのにも困った。だいたい1500円〜2000円が相場で、夫婦では3〜4千円にもなってしまう。そんな「貧しい国」があるだろうか。

 プジョーやルノーの車が多いが、メルセデスだってBMWだって、あるいはテスラさえも、高速道路をばんばん走っている。ポルシェも何度も見た。
 さすがにフェラーリやランボルギーニは見なかったが、田舎ばかりを走っていたからかもしれない。

 住宅だって立派だ。広い敷地に綺麗な一戸建てが標準、屋根はすべてオレンジで壁は基本的に白。壁には水色や緑やピンクのパステルカラーを使っているところもあったが、名所でも何でもない街でも建物に統一感があり、街並みが美しい。

 ただまあ、敢えて言えば人々の生活が「質素」かもしれないという気はちょっとする。できるだけ地産地消で、足るを知る生活をしている感はあった。
 その証拠に、というべきか、日本を遥かにしのぐ高速道路網に、トラックがほとんど走っていないのだ。

 いや、ほとんどというのは言い過ぎで、もちろん時々は走っている。だが、日本の高速道路を知る者の目からすると、ほとんどいないも同然であった。日本の高速はトラックだらけだと言っても過言ではないし、夜中は文字どおり、本当にトラックばかりである。
 外国の例だと、たとえばドイツのアウトバーンを走ったのは昼間だけだが、それでもいちばん右(低速)側の車線にはトラックがずらりと並んで整然と走っていたものだ。

 ポルトガルの数少ないトラックを見ていると、いったい流通はどうしているのだろうと思うのだが、あれでやっていけているのだとすれば、むしろそこには「質素で豊かな」生活が地域に根付いているのではないかという気がする。

 泊まった宿の中には、勤め人や農家が家や部屋を貸し出しているところも多かったが、みなさん、何というか、「堅実」という感触を受けた。
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 いま、ふと気になって日本の1人あたりGDPを調べてみると、ポルトガルの1.22倍に過ぎなかった(2023年)。

 ポルトガルが最貧国なら、日本もそう変わらないのである。旅行の費用が懐を直撃するわけだ😢

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2024.09.06

■不機嫌なおばさん

 「働くおじさん」と「不機嫌なおばさん」をならべると、なんだかミソジニーのきついショービニストみたいだが、もちろんそうではない。ただ、こちらに来てからの経験では、不機嫌なおじさん1に対しておばさん5くらいの実感はあった。

 同じ働くんだから、「働くおじさん」のように機嫌よく笑顔で働いていればお互いにハッピーだと思うのだが、なぜか不機嫌な人もそれなりにいる。

 特にアメリカには(男女問わず)多い気がしていて、昔、同僚とアメリカに出張した折りに話題にしてみたことがある。その同僚の夫はアメリカ人なのだが、その夫の見解によると「自分の仕事に満足していないから」だということであった。
 アメリカンドリームなどという、ほとんどの人にとっては幻想に過ぎない夢を抱かされ、それが叶えられない現状に常に不満がある。それで不機嫌なものだから、そのとばっちりを顧客が受けるわけである。

 ここポルトガルでは、おそらくそういう感じではない。
 一部に、客のことを金銭を運んでくるだけの存在だと考えていたり、客と人間的な交流を持ちたくなかったりする人がいるのではないかという気はする。
 あるいは、ただプロフェッショナリズムに欠け、まったく事務的に仕事をこなしているだけかもしれない。

 いま泊まっている宿のご主人と娘さんは、いずれもとても愛想がよくて親切だ。
 でも、思い過ごしかもしれないが、ビジネスをうまく展開するための、営業的な「おもてなし」感がないではない。「働くおじさん」で書いたホテル経営者は、そういう感じがまったくしなかった。
 あるいは逆かもしれない。いや、もしかすると双方ともに営業スマイルか、いずれも心からの笑顔かもしれない。ほんとうのところはわかりようがない。
 だがまあ、事実はどうであれ、一介の客として不満はない。

 問題は、先日ランチを食べたレストランのように、経営者だと思われるおばさんがレジに座っていて、いかにも愛想なく金銭の受け渡しが行われることや、今日の工房兼土産物店のように、精一杯の現地語で挨拶してお店に入っていっても、ニコリともせずに迎えられたりすることがたまにあることだ。
 アジア人への偏見が裏にあるのかと僻みたくもなるが、見ていると、白人客に対しても同じなので、妙に安心してしまう。
 でも、いやしくも客商売をしているのだから、もう少し愛想よくしないのはなぜなのか、ほんとに不思議だ。
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 私自身は客商売の経験はないが、一度だけ、ボランティアで蕎麦屋のウェイター?をしたことがある。
 われながら、愛想もよく、目配りも気配りも行き届いた、いいウェイターだったと思う(笑)
 いきつけの寿司屋の大将は、自分が通う店でそういう気の利いた店員を見つけると声をかけ、自分の店でアルバイトをしてもらうと言っていた(ついでに?、奥さんもそうして見つけていた)。

 あ、いま思い出した。
 オーストラリアに仕事で行った際、ウェイターがあまりにひどかったので、店主に苦情を言ったことがある。そんなことをしたのは人生でその時だけだ。
 店主は苦渋の表情で、「ほんとに申し訳ありません。おっしゃることは十分認識しているのですが、人手不足で困っていて、いい人を雇うことがまったくできないのです。どうかお許しください」ということであった。

 そういうことならまだ仕方がない。でも、経営者までが無愛想なのはぜひやめてほしい。

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2024.09.05

■働くおじさん

 その昔、「はたらくおじさん」という教育番組がNHKで放送されていた。
 今でもやってるのかな?
 似たような番組ならあるかもしれないが、今ならそのタイトルで放送することは不可能だろう。おばさんだって働いていることを度外視してつけられた番組名が時代を感じさせる。

 急に「はたらくおじさん」を思い出したのは、昨日まで2泊したホテルの経営者が、絵に描いたような「働くおじさん」だったからだ。
 とにかく笑顔で細部にまで気を配りつつ、ずっと立ち働いている。近所の人?や泊まり客との会話も、楽しそうに自然にこなしている。もはや、ホテルを運営していくことが生活そのものであるように見えた。

 このホテルが、今回のポルトガル(+スペイン)旅行で泊まる唯一の「ふつうの」ホテルなのだが、その建物の外観や部屋の様子から、ちょっときれいなビジネスホテル的なものを想像していた。フロントには若い男女がひとりずつならび、ビジネスライクにチェックインの手続きをするようなイメージだ。

 ところが、出迎えてくれたのは、英語を話さないおじさんひとり。それが経営者だと後(のち)にわかるのだが、当初は「こんな現代的なホテルで英語を話さないフロントとは・・・」と、驚いたものだ。

 あとで、Google Street View の過去写真とおじさんの話からわかったところによると、もともとは家族経営のホステルで、昔よく大陸ヨーロッパの田舎でわれわれが泊まっていたようなタイプの宿だったらしい。そういうところのご主人や女将は、たしかにたいてい英語を話さなかった。
(ただ、ちょっと違うのは、ホステルの一階で大きなレストランをやっており、地元の結婚式の会場などにも使われていたということであった。)
 その建物を、新築したかのように改築し、現代的なホテルに衣替えしている。隣には伝統を引き継ぐレストランも(たぶん)新築されていたが、残念ながら利用する機会はなかった。

 さて、そのおじさんの姿を見ない時はなく、滞在中、部屋を出て下に降りると常に何かしら働いていた。
 朝食の際の食品補充や清掃のマメさは特筆もので、よくもまあ、こんなに働くなあと感心していた。
 また、車の荷物を取るために夜遅くおりていくと、フロントで何やら事務仕事をしていた。

 3日目の朝、「いつも勤勉にお仕事をなさっているようですが、お休みを取ることはあるのですか?」と、Google の翻訳を使ってフランス語で聞いてみた。
 すると、案の定、Non である。土曜も日曜も含め、だいたい毎日15時間働いているというのだ。おおげさではなく、確かにそんな感じである。人を雇ってシフトを組むこともできそうなものだが、そういうことをしそうなタイプではない。そもそもが働き者だし、細部まで自分でやっておきたい性分も見てとれた。

 そして何より、楽しく仕事をしているのだ。マメに動き回られても、本人が楽しそうだからだろう、せわしなくて落ち着かないような感じをこちらに抱かせない。
 上に「ホテルを運営していくことが生活そのものであるように見えた」と書いたが、もっと言えば、人生そのものであるようにも見えた。
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 今日は世界遺産になっているトマールの修道院を見学した。
 修道女たちがどういう生活をしていたのかは想像するしかないが、彼女たちもまた、修道院での祈りと仕事が生活そのものであり、ひいては人生そのものだったのだろうと思う。

 ひるがえって私は、けっして「働くおじさん」ではなく、ホモ・ルーデンス、つまりは「遊ぶおじさん」でありたいと思っている。間違っても、ホテルのおじさんや修道女のような生活・人生は送れない。

 だが、(内実を知らなすぎる)修道女はともかく、ホテルのおじさんに関しては、あのように働くことがすなわち「遊び」なのかもしれないとも考える。
 毎日15時間も働くのはいったい何のためなのか、と私なんかは考えてしまうのだが、働くこと自体が喜びであり遊びであり、それ自体がまさに生活であり人生なのだと、ほんの少しはわかったような気にもなる。

 近年、学校の教師の仕事がブラックだという話が人口に膾炙している。
 しかし、現在でも一部の教師はそうであるように、彼(女)らはまさに「働くおじさん(おばさん)」なのだと思う。何か別の生活や人生のために教師の仕事をしているのではなく、教師の仕事そのものが生活であり人生なのだ。そういう人たちにとっては、仕事はけっしてブラックではない。

 ややこしいのは、現代ではもはや、自律的に教師の仕事をまっとうできるような環境が滅多にないことであろう。お役所的なやらされ仕事にあふれ、教育を生活や人生にしたいようなタイプの教師すら、それができなくなっている。
 そうなってしまうと、生活であり人生であってもよかったはずの仕事が、ブラック労働に変質してしまうのである。

 まあしかし、仕事は仕事、生活は生活、休暇は休暇、遊びは遊び、人生は人生・・・というのが日本の戦後、というか、ポスト高度成長の時代では主流だろう。私もいつの間にかそういう感覚を身につけてきた。
 でももしかして、何かのきっかけやタイミングで、あの働くおじさんのように、仕事と生活と人生とが一つになっていたかもしれないという気も、ちょっとするのだ。

 それはそれで、いい人生になったかもしれない・・・けれど、やっぱり自分には無理だな😅

(※「ブラック」という形容詞の使い方には問題があると思いますが、世間の表現にあわせて使用しております。)

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2024.09.02

■コルクとの新たな出会い

 ポルトガルに到着して車を走らせると、最初はずっと荒涼とした半砂漠のような風景が続いていた。
 植わっている木はオリーブかブドウだけだと思っていたのだが、ガイドブックを読んでいた家人が「コルク樫も多い」と教えてくれた。

 今でもワインの栓などでなじみ深い、あのコルクを採取する木である。

 コルクには、幼稚園のころにはすでになじみがあった。
 日本酒の瓶の蓋に使われていたコルクを削り取り、金属の蓋をおはじき代わりにして遊んだりしていたのである。
 今でもときどき、ワインの栓のコルクを抜くのには苦労させられている。

 にもかかわらず、今回旅行に来るまで、コルクとかコルク樫とかについては考えたこともなかった。

 なんでも、コルクというのはコルク樫の樹皮を剥いで作るのだそうで、その樹皮は再生するため、昨今 はやりの持続可能性を備えているのだそうだ。
 そして、驚いたことに、そのコルクで作った財布やカバンや帽子!などがそこここで大量に売られているのである。コルクは、ここポルトガルの特産品であるらしい。

 コルクと言えばほとんど栓とかコースターしか知らなかったので、あらためて自分の無知を再確認した。

 最初は、ドン・ルイス一世橋のたもとのドウロ川の岸辺の露店で、綺麗なデザインの小銭入れのようなものが1€で売られているのを見て、軽い気持ちで買った。
 次の日、さまざまなコルクのカバンを見た中で、自分が使えそうなものとしてウエストポーチが気に入り、露店ではなくちょっと高級そうな土産物屋に、わざわざ戻って購入した。

 そのときは別に何も期待していなかったのだが、店員が「皮革と同じくらいの耐久性があるし、皮革とは違って耐水性もある」と説明するので、「まあ、都合のいい売り文句だよな」と思いながら話半分で聞いていた。
 でも、買ってから調べると、どうも実際にそのとおりのようなのだ。

 皮革と同じくらいの耐久性??

 まだ信じられないのだが、実際、ヴィーガンレザーとも呼ばれ、環境意識の高い人々に人気なのだという。

 たまたま気に入って衝動買いしたようなものなので、なんだか得をしたような気分になった。

 ただ、予想もしなかった問題点があった。

 腰に回すベルトが長すぎ、いくら縮めてもフィットしないのだ。結局、これ以上は無理というところまで短くして、やっと何とか使えるくらいにはなった。それでも、まだかなり余裕がある。
 いったい、どんなウエストを基準にしているのか。これが家人や息子だったら、まったく使いものにならなかったところだ。

 ともあれ、皮革と同じ耐久性、皮革にはない耐水性・・・

 信じて長く愛用したいと思う。

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2024.08.30

★GPSとiPhoneの旅

 同じことの繰り返しなので特に新しいことはないのだけれど、2012年の旧東欧の旅からはGPSナビゲーションが、2016年のアイスランドの旅からはiPhoneが必需品になった。
 もっとも、アイスランドではGPSはほとんど必要なかったので、両方必要になったのは2019年のバルト3国からだ。

 昨年のニュージーランドはともかく、今年のポルトガルとスペインは、ナビがなければとてもたどり着けないようなところへ頻繁に案内されている。
 今日のサンティアゴ・デ・コンポステーラの駐車場なんかも、もしナビがなければいったいどうやって行けばいいのか見当もつかない。

 そういえば、昨日まで滞在していた、ヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コアでは、本格的に自分の位置と方角を両方見失うという、不安になるような経験をひさしぶりにした。Google Maps があってすら、位置がずれ、方向がおかしいことがときどきあるので、そういうことも起こる。
 どちらの街も道が入り組んでいる上に、通行不可や一方通行の道が多く、Google がそれを無視して指示を出したりするものだから、余計に混乱した。

 以前も書いたが、昔は通りすがりの宿に当日飛び込むのがデフォルトだった。しかし、今回の旅行では、そもそも「通りすがりの宿」などというものを一度も見たことがない。さすがにコンポステーラくらいになると街の中にはホテルもあるが、車で走っていて宿を見かけたことはついぞなかった。

 ドイツなんかを走っていると、うるさいくらいに Zimmer Frei(空き室あり)という看板があって、選び放題みたいな感じだったのだが、今でもああいう感じなのだろうか。

 今回は、結局すべての宿を予約してから来たのだが、そうしておいてよかったという感じがかなりする。もっとも、iPhoneやWi-Fiがあれば、当日になってから予約することも簡単なんだけれど。

 海外旅行に出ると、到着した空港でまず現地のSIMを購入してiPhoneに入れるのが必須になった(そういえば、関西空港にもSIMを売る店があったが、いったいどんな契約でどういうSIMを取り扱っているんだろう?)。

 おそらく実際にはやらないが、四半世紀前のように、現地でミシュランの道路地図を買い、ナビもiPhoneも使わないで旅をしてみたらどうなるだろうと思う。

 あれはあれで楽しかったのだが、これも「サウダーデ」というのだろうか?

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2024.08.29

★マニュアル車へのサウダーデ?

 ポルトガルが「サウダーデ」で有名だというのを『地球の歩き方』の表紙で知ったというのはどこかに書いた。
 「ノスタルジー」ともちょっと違う、「郷愁」と訳すとまた違う、ポルトガル独特の概念だということであった。
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 さて、話はマニュアルトランスミッションの車についてである。

 車好きの端くれとして、「車はマニュアルに限る」というのもわからないではない。
 購入する車にマニュアルの選択肢があれば、今でもそれを選ぶかどうか、じゅうぶん一考に値すると思っていた。

 だがもはや、日本で販売されている車の99%がオートマチックだということで、この比率は何と世界一だそうである。
 輸入車を買おうとしても、並行輸入でもしなければ、そもそもマニュアルの選択肢がない。仕方なくオートマチックに乗っているという側面があると考えていた。

 しかし、今日まで1週間、1200キロほどをマニュアル車で走ってみて、マニュアルに意味はないという結論に初めて達した。
 身も蓋もない話だが、面倒くさいだけである。どうしてポルトガルでは、車の90%以上もがマニュアルなのか。

 今のオートマチックはよくできていて、いうまでもなく、アクセルだけで0km/hから200km/h超まで、スムーズに加速できる。ブレーキを併用すれば、その間の速度調節も自由自在だ。
 それに、たとえば私の乗っている車は、いわゆるロボタイズドMTと呼ばれるタイプで、メカニズム的にはMTだから、やろうと思えばクラッチ操作なしのマニュアル変速も可能だし、トルクコンバータを介していないので加減速もMTに劣らずダイレクトだ。
 燃費もすこぶるよく、あえてMTを選ぶ理由がない。

 まあ数十キロも走ればそこそこ自動的に体が動くようになってくるとはいえ、停止から90km/h(一般道の制限速度)でも、1→2→3→4→5→6と忙しくスティックをきこきこしつつ、変速のたびにクラッチを踏み込み、丁寧に戻してつなぐのを繰り返す。
 速度が変われば6→4→3→4→5→6なんてザラだ。低速の市街地でも、1→2→3→2→3→4→2→1→2・・・みたいなことをひっきりなしにやっている。
 これが面倒くさくて無駄なだけでなければ何なのか。「マシン」を自在に操る楽しみ? それは上記のとおりATでも得られるし、ほんとにいったい、マニュアルの意味って何なのかと考え込んでしまう。

 それに、いま借りている車は、変速機こそマニュアルだが、現代の車らしくいろいろコンピュータ化されていて、クラッチを踏んでこきこきしなければならないことの意味をよけいに疑わせる。
 スピードが乗ってくると○速にシフトアップせよとインパネに表示してくるし、落ちると逆にシフトダウンせよという。前車の速度に合わせて追従するクルーズコントロールもついているし、車線からはみ出しそうになると勝手にハンドルが動いて戻そうとする。誤動作だったが、前方に障害物を見つけると自動的にブレーキもかかった。パーキングブレーキも電動で、発進しようとすると自動で解除される。

 いったいどうして、変速だけ、クラッチを踏んだり戻したりしながら、しこしことスティックを動かさなければならないのか。「そんなにシフトアップ(ダウン)せよというなら、お前がやれよ」という気になってしまう(笑)
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 もはや、マニュアル車を愛好するというのは、サウダーデにすぎないという結論を得たことが今回の旅行におけるひとつの収穫である。いや、サウダーデだかノスタルジーだか懐古趣味だかわからないけれど。

 実は、次に買うかもしれない車にマニュアルの選択肢があり、少しは考えていたのだが、どんな車を買うにせよ、マニュアルはやめておこうと決めた。
 数年後にこの実感を忘れてしまわないように、ここに明確に記しておく。

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2024.08.20

★「おはよう」の不思議

 ポルトガル語の挨拶を覚えようとしている。「おはようございます」は bom dia だ。

 ただ、それだと、bom(≒good) dia(≒day)(よい日)なので、good morning(よい朝)的な言葉はないのだろうかと思った。
 そもそも、英語で good day というと、どちらかといえばむしろ「(この後)よい一日を(≒さようなら)」という意味になってしまう(オセアニアを除く)。

 待てよ、そういえば、フランス語でも「おはよう」は bon jour、つまり「よい日」である。スペイン語は buenos días、イタリア語は Buon giorno、ぜんぶ「よい日」だ。

 つまり、ラテン系(ロマンス諸語)の言語である仏・西・伊・葡はそうなのだ。

 それに対して、英語は good morning、ドイツ語は Guten Morgen、オランダ語は Goedemorgen、その他、調べてみると、デンマーク語やスウェーデン語なども、ゲルマン系の言語は「よい朝」なのである。

 おそらくは常識に属することなのだろうが、今まで整理してみたことがなかったので、こんなにわかりやすく分かれているとは思っていなかった。

 でもやっぱり、「おはようございます」には、Good morning ! や Guten Morgen ! のほうがしっくりくる。最初に習った外国語が good morning(よい朝)で、bon jour(よい日) ではなかったことが、いまだに尾を引いているのかもしれない。

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2024.08.19

★マイナーなポルトガル

 自分自身が何も知らなかったくせにこういうことを言うのもあれなのだが、ポルトガルって思った以上に観光地としてマイナーなようである。少なくとも、日本からの旅行者にとってはそうらしい。

 楽天マガジンというのを契約しているのだが、「8,000冊以上いろいろなジャンルの雑誌が読み放題!」という謳い文句にもかかわらず、「ポルトガル」で検索すると、観光の記事は1つ!しかない。
 しかもそれは、『航空旅行』という、飛行機オタク向けのマイナーな季刊誌(だと思ったが、今年からは年2回のみ発行らしい)が「国際線フライトを楽しむ!」という特集の中で触れているだけなのである。
 あとは、サッカー・ラグビー・車・バイク・ワイン・猫!、それに、通訳翻訳と経済財政の関連で言及されているに過ぎない。

 昨年行ったニュージーランドなら『るるぶ』が、雑誌丸ごと一冊あったのだが、ポルトガル版の発行は2020年3月が最後のようだ。コロナ以降、復刊されていないのである。いま見ると、ニュージーランドはやはり、2024年3月にも発行されている。

 ポルトガルってそんなにマイナーなのかな?

 いやまあ、私もこれまで行ったことがなかったから今回行くことにしたのだが・・・
 確かに、旧東ヨーロッパや、旧ソ連のバルト三国、それにアイスランドよりもあとになってしまった。

 でも、さすがに『地球の歩き方』はあって、2023年12月に出版されている。ただ、これとて「2024〜2025」をうたっており、毎年は発行されていないようだ。
 「今、世界も注目している”サウダーデ”の国を徹底リサーチ!」と表紙にあるのだが、サウダーデって何だよ・・・と思った。
 しかしなんと、『大辞林』と『大辞泉』には、「サウダージ〖ポルトガル saudade〗」として載っており、それぞれ「昔のことをなつかしく思いだすこと。郷愁。」「遠い昔や失われたものにひかれる気持ち。郷愁。」という語釈がある。「ノスタルジー」とはちょっと違うのだろうか?

 ニュージーランドに行ってちょっと残念だったのは、やはり文化や文明の歴史が浅く見えることだった。言葉にはイギリスを感じるのに、街や文化は基本的にアメリカ的だったように思う(もちろん、マオリは別)。

 日本に生まれ育った私が、ポルトガルに出かけて郷愁(サウダーデ)を感じるというのもヘンなのだが、これまでの経験からすると、確かにヨーロッパにはそういうものを感じさせる古い伝統・文化・文明がある。
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 いま、ふと気づいて調べてみると、かつて栄華を誇った旧西ヨーロッパの国に行くのは、2012年のウィーン(オーストリア)を除けば、なんと20年ぶりだ。えっ!?
 あ、違った、2010年にフランス、2014年にイタリアへ、それぞれ仕事で行っている。それでも10年ぶりなのである。

 いろいろ面倒で杞憂(に終わるはずのこと)も多く、なんとなく憂鬱だったのだが、なんだか少し楽しみになってきた。

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2024.08.17

★今年はポルトガルへ その3 ──関空への道

 去年ニュージーランドに行ったときには、伊丹→成田→オークランドと飛んだ。伊丹にはモノレールだけでアクセスできるので、まあ楽だった。
 ただし、帰りはオークランド→成田→(バス)→羽田→神戸だったので苦労させられた。成田から羽田へのバスも高かったし、神戸からは、ポートライナーとJRを乗り継ぎ、最寄り駅からはタクシーということになった。安い航空券の弊害である。

 今年は関西空港なので、タクシーで最寄り駅まで行き、そこからリムジンバス・・・のはずだった。

 しかしなんと、関空行きのバスが運休中だというのだ。コロナで客がいなくなって運休したまま復旧していないようである。これだけインバウンド客が訪れているのに・・・と思ったが、うちの最寄り駅などに来る外国人客はごく限られている。
 それに、物価高と円安とで、アウトバウンド(って言うのかな)もぐっと減っているらしい。われわれだって、格安の航空券が手に入らなければ行かなかった。

 けれど、それよりなにより、原因は運転手不足ではないかと思いあたった。

 やはりというか、先日、大阪府交野市で京阪バスが路線バスを一部廃止するというニュースがあった。「通勤、通学で利用者も多く、廃止は衝撃的」(交野市議会)というような路線である。
 いつもだいたい空(す)いていた関空リムジンバスなど、走らせている場合ではないのもわかる。
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 さて、バス会社の都合に納得していてもしかたがない。どうやって関空まで行くか。

 最寄り駅まではタクシーを利用して、そこからJR大阪駅に向かい、乗り換えて関空快速というのが通常のコースだ。初めからそうするつもりで行ったことも(たぶん)あるし、渋滞でバスが遅れそうだからとそちらに切り替えたこともある。

 でも、タクシーを呼んで近距離のために大荷物を運んでもらうのは気を遣うし、大阪駅で乗り換えるのも面倒くさい。
 費用だって、往復2人でざっと9000円くらいかかる。

 それくらい払うなら、いっそのこと駐車代に充ててはどうかと思いついた。車で関空(近く)まで行って、旅行中は駐車しておくのである。
 荷物の煩わしさを気にしなくていいのが何よりありがたい。

 かつて2〜3回、午前の便に乗るために前泊した際、旅行の間そのホテルに無料で駐めさせてもらったことがあった。ふつうに宿泊費を払うだけで、2週間とか駐めさせてくれるのはとてもありがたかった。

 今回はその手は使えないし、期間も長すぎる。関空かその周辺に駐める方法を調べると、以下の4つに大別できた。

1.関西空港島の公式駐車場に駐める。
2.空港ターミナル前で担当者に自分の車を預ける。
3.空港対岸に駐車して、関空まで送迎してもらう。
4.空港対岸に駐車して、自力で空港へ向かう。

 1は高い。
 2と3にはいろいろな業者がいて鎬を削っているが、料金面や条件の揃ったピンとくるものがなかった。
 4にしようかと探してみたが、愛用している akippa は2週間以上先は予約できないし、Times などを調べても、どうも食指が動かなかった。24時間500円とかもあるので、仮に20日間駐めても1万円ですむのだが、もともとそういう利用を想定していないようだし、何となく不安がある。駐めた駐車場から最寄り駅までは、スーツケースを転がして歩くことになるし。
 関空近くまで車で来て1週間とか2週間とか駐める需要は確実にあると思うのだが、誰かそれ用の駐車場を作ってくれないだろうか。

 考えた末、結局1にした。決め手になったのは、KIX-ITMカードというのを無料で作れば、駐車代が25%引きになることである。それでも高すぎるのだが、お得感にも惑わされ、ぎりぎり許容範囲かという気がした。

 このKIX-ITMカード、当初はクレジットカードかと思っていて、もう有り余るほど持っているし、今から作ったのでは間に合わないのではないかと気にしていなかった。
 しかし実際は、即日作成可能なポイントカードのようなもので、ネットで申し込んでおいて90日以内に空港で受け取ればいいということなので早速申し込んだ。
 誰でもすぐに作れるそんなカードで駐車料が25%オフになるのなら、最初から25%引いた料金を設定しておけばいいのにと思う。

 ホテル日航関西空港のサービスで関空島に車を駐めさせてもらったことはあるが、青空駐車場だった。自分で高いお金を出して関空の公式駐車場に駐めるのは初めてだが、今回は建物の中なので直射日光はあたらない。

 ただ、予約できないのにはちょっと憤慨した。駐車期間が20日間までの場合しか予約できず、今回はそれを微妙に超えるのである。
 まあ、空(す)いているようなので大丈夫なのだが、どうしてそんなつまらない制限をつけるのだろう? たとえば短期滞在を超える3か月以上はダメとかならまだわかるんだけれど。
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 ・・・薄々?わかっていたのだが、車で行って必要になるのは駐車場代だけではない。ガソリン代はともかく、往復の高速や関空連絡橋の料金がばかにならない。
 でも、今のままだと、生きたお金を使えないまま、お金を払えばしなくてすむ苦労を背負い続けつつ、一生を終えてしまうような気がしはじめたのである(ちょっと大袈裟だが)。

 この40年以上でもっとも安い航空券にこだわっている男の言うことではないのかもしれないけれど。

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★今年はポルトガルへ その2

 いつも言っていることだが、ポルトガルに行こうと思うまで、まったくといっていいほど、何も知らなかった。

 知っている地名は、リスボンとロカ岬、かろうじてポルトのみ。
 それぞれ、首都、ユーラシア大陸の西端、ポートワインの産地(積み出し港)として有名だ。

 他はすべて、初めて聞く。世界遺産も17あるというのだが、一つとして知らなかった。

 いちばん安いチケットを求めて日程を決めたこともあり、滞在日数が長くなったので比較的余裕がある。
 リスボンを起点に、最南部は割愛して反時計回りに一周すると、行こうと思えば、(離島にあるもの以外の)14の世界遺産をすべて訪れることも可能だ。
 宿を予約するときに、この辺かな・・・という感じで適当に場所を決めると、次の日の宿まで車で1〜3時間というのがふつうだった。
 意外と?狭いのである。調べると、日本の1/4程度しかなく、北海道より1割ほど大きいだけだ。

 まだ2度目のヨーロッパだった1999年、小学1年生を連れて同じくらいの日程でドイツ・ルクセンブルク・フランス・モナコ・イタリア・スイス・オーストリアを回ったことを考えれば、そうとう余裕がありそうだ。

 そうそう、人口もわずか1000万人ほど。ポルトガル語を話す人口全体の4%くらいか。ブラジルが80%以上、モザンビークやアンゴラなどのアフリカ諸国、および、東ティモールとマカオで残りを占めているらしい。
 そのせいで、iOS 版の Google翻訳には、ポルトガルのポルトガル語が存在しない。あるのはブラジルのポルトガル語で、Excuse me ひとつとってみても違うらしいのである。しかたなく、ブラウザ版を主に利用することにした。
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 ポルトガルを選んだ理由は、まだ行ったことのないヨーロッパの国であることと、治安がよくて(日本よりいいという)物価が比較的安いことである。

 2022年ごろからか、物価高に関しては恐ろしい話をさんざん聞かされたので、もうヨーロッパやアメリカには行けないんじゃないかという感すらあった。
 だが、ポルトガルの宿を予約してみると、リスボンを除けば、2人で1泊60〜90ユーロ(1万〜1万5000円程度)で、70ユーロ以上の宿は朝食込みである。それなりに広くて快適なところを選んでこれくらいなら、まだ日本よりもかなり安い。円安さえなければ、8千円〜1万2000円といったところだ。

 レンタカーも日本よりは安い。ひさしぶりの左ハンドル右側通行マニュアルトランスミッションだが、まあ何とかなるだろう。
 問題は、水が有料であることも含めて、食事がどうなるかである。
 強烈に物価が高いアイスランドに行くときに、初めてインスタントラーメンやレトルトカレーを持参したが、今回も少しは持っていくつもりだ。

 《続く》

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★今年はポルトガルへ その1

 残暑お見舞い申し上げます。こちらではご無沙汰しております。

 「今年は能登へ」の次が「今年はポルトガルへ」になりました。およそ3か月半ぶりのエントリです。
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 去年のニュージーランドでも物価の高さには辟易したのに、今年はさらなる物価高に加えて強烈な円安、航空運賃を調べてみるとやっぱり高いし、夏の海外はいったん諦めていた。

 そんなことも忘れたころ、何の気まぐれかまた運賃を調べてみると、なんと、それまで見ていた半額以下!でヨーロッパ(ポルトガル)に行けることを知った。
 往復12万5000円。初めて飛行機に乗った40年以上前のヨーロッパから数えても、私史上最安のチケットだと思う。

 だいぶ長い間、信じられなかった。
 エアラインは、聞いたこともないエティハド航空という会社。何か からくりやウラがあるのではないかと疑心暗鬼だったが、そのうちに大丈夫そうだということがわかってきた(まあ、乗ってみるまではわからないのだが)。

 何でも、去年の秋に初めて関西空港に就航したらしく、だから知らなかったのだろうと思う。
 アラブ首長国連邦のアブダビを拠点とする航空会社である。

 同国の航空会社としては、エミレーツが日本での知名度抜群である。2012年に旧東ヨーロッパ諸国を中心に周遊した際に利用したが、豪華で綺麗だった記憶がある。
 どうも、エミレーツがドバイ首長国のナショナルキャリア、エティハドはアブダビ首長国のそれということらしく、世界最高の航空会社ランキング(エアラインレーティング・ドットコム)によると、7位の全日空についで8位に入っている。エミレーツは5位、日本航空は15位だ
 (大したことはないが)悲惨な体験をしたユナイテッド(2011年8月の一連のエントリ「★Over the Pacific」シリーズ
をご参照ください)は24位である。全日空レベルで8位なら何の問題もあるまい。

 別の会社、スカイトラックスというところが発表したランキングでは、ANAが4位、JALが6位になっている。残念ながらエティハド航空はルフトハンザに次ぐ19位だ
 このランキングでは、ユナイテッドは42位になっている。

 ともあれ、8位であろうと19位であろうと、買ってしまったものはしかたがない。
 座席指定をしようと思うと、席によって細かく追加料金を取られることが後でわかったが、搭乗24時間前からのオンラインチェックインの際に指定すれば無料らしいので、そうするつもりである。
 (後日訂正:結局、どの段階でも、座席を指定(変更)しようとすると有料でした。(オンライン)チェックインの際に航空会社が指定する席のみが無料です。不確定要素が多すぎてやりませんでしたが、空港に着いてからカウンターで係員と交渉するのがいちばんいいかもしれません。並びますが)

 ただ、何度か座席指定を促すメールが送られてきていて、昨日来たメールには "this is your last chance"(これが最後のチャンス)とか、"There are only a few seats left, so what are you waiting for?"(残席はあとわずかです。なのに何を待っているのですか(≒何をぐずぐずしているのですか))とか書いてあって、ちょっとカチンときた。

 どんな最悪の座席を指定するのも有料だから、無料になるのを待っているのである。しかも、まだガラガラじゃないか。

 今はロシアの上空を飛べないので、フィンエアー(JALとの共同運行)などで北回りを選んでも、南回りのエティハドを選んでも、所要時間はそう変わらない。
 なのに半額でヨーロッパを往復できるのだから、こんなことにめげていてはいけない。たくましく最安値で渡航するのみである。

 長くなったので、続きは別のエントリで。

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2024.04.30

★今年は能登へ

 ありがたいことに、ゴールデンウィークはいつも○連休という形にできたので、東日本大震災後は毎年のように東北に出かけていた。

 コロナの3年間は行けず、昨年4年ぶりに訪れたときには、ハード的な復興はほぼ終わっていた感があった。
 原発周辺にはまだまだ立ち入れない広い地域が残り、部分的に除染されたところにも人が戻ってなかったりしているし、津波に洗われたかつての生活の場所にはもう戻れない人々も多く、いろいろ困難で複雑な事情や課題は残されたままではあっても、ひとつの区切りは感じられた。

 今年は珍しく、明日(もう今日だが)仕事があり、10連休というわけにはいかない。
 それに、東北もおそらく、昨年と大きくは変わっていないだろう。
 今年は遅かった桜がたぶんこれからあちこちで満開を迎えるのを見られないのは残念だが、東北には行かないつもりだ。

 気になるのは能登である。

 最近はそれほどニュースにも取り上げられなくなってしまったが、明日で発災から4か月になる。

 4か月にもなるのに、能登の背骨(基幹道路)である「のと里山海道」には、派手に通行止めのマークがついたままだ。
 (みなさんも Google Maps で交通状況を表示してみてください。拡大すると、それ以外にもあちこちに通行止めが見られます。)

 初めて大震災後の東北を訪れたときには、地震や津波や原発事故からまだ2か月も経っていなかった。さらに、そう言ってはなんだが、能登半島地震とは比較にならないくらい広範囲で大規模な災害だった。
 しかし、報道から見聞きするかぎり、倍以上の時間が経った能登半島のほうが、当時の東北より、復旧(それどころか片付け!)が進んでいないようなのである。

 とりあえず今年は能登に足を運び、できれば東北と同じように、今後の復興を見届けたいと考えている。

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2024.03.13

●DTP(Desktop Publishing)

 仕事柄というか、若いころからDTP(Desktop Publishing ≒ 机上出版)というものにそれなりに親しんできた。

 それこそ35年以上前、パソコンの性能もプリンタの表現力も今とは比較にならぬほど劣っていた時代から、細く長く付き合ってきた気がする。

 しかしながら、本当の意味での DTP を経験したことはまだない。完成データは渡すものの、結局は印刷所や出版社と打ち合わせをしながら書籍の形にするのが常であった(というほど出版の経験があるわけではないが)。

 そうこうしている間に、Amazon が Kindle Direct Publishing というのを運営するようになり、タブレット端末やスマートフォンで読める電子書籍が個人で簡単に出版できるようになったので、以前、試しにやってみたことがある

 少し労力はかかるが、まさに DTP そのもので、個人の机上(パソコン)で作業が完了する。費用もかからない(どころか、売れれば印税が入る)。

 先日、仕事の本を KDP(Kindle Direct Publishing)から電子書籍(Kindle 版)として出版しようとして、ひさしぶりに KDP にログインしてみると、なんと、紙の書籍も同様に(つまりはちょっとした手間だけで)出せることがわかった。同じように、費用もかからない。

 これにはさすがにびっくりした。たぶん、以前はなかったと思うのだが、どうなんだろう。

 電子書籍として出そうとしていた仕事の本も、とりあえずはやっぱり書籍として出版することにし、さっそく予行演習を兼ねて、かつて Kindle 版を出したものを書籍として出版してみた。

 短編一つだと薄すぎて本にならないので、書きはじめてすぐに挫折していた小説もどきの断章を4つ加え、なんとか体裁を整えた。
 現在審査中だが、うまくいけば2〜3日中には Amazon で購入できるようになる。

 文字どおりの DTP で、やっと時代がここまで来たかと、ちょっとした感慨がある。

 それにしても、ここまで長かったなあ・・・

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 世に「自費出版」というものがある。何十万円か何百万円かを出版社に支払って、数十部から数百部の本を出版してもらうのがふつうだろう。

 しかしながら、KDP(Kindle Direct Publishing)を使えば、一円も使うことなく、一冊からでも出版できる。オンデマンド(注文が入ってから)印刷なので在庫はゼロ、売れ残りの心配もない。
 億万が一、百万部売れても、増刷の手間すらない。
 定価は、印刷費用の1.67倍以上であれば自由に決めることができ、高く設定すればそれだけ自分の収入にもなる。できるだけ安く設定して自分で購入し、友人知人に配ることもできる。

 こんないい話があるだろうか。

 自費出版したい方は、ぜひ KDP の検討をお勧めする。
 もし、「私には難しそう・・・」ということであれば、代わりに私がやってあげてもいい(実際には無理です、すみません)。

 あ、ひとりで出版仲介業が運営できるではないか。けっこうなビジネスチャンスかも(笑)

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2024.02.26

◆「お釣り」雑感

 日曜日の朝日歌壇に

  物買へばお釣りあること知らぬまま幼子育つデジタル社会 (酒田市)朝岡 剛

という歌が掲載されていた。

 身近に幼子はいないが、なるほど、いればそうなるかもしれないと感心させられた。

 息子がまだ幼かったころ、ガレージの前にある水道から水が出せないのを見てびっくりしたことがある。
 カランの栓をひねる旧来のタイプだったのだが、幼いといっても小学校低学年、まさかそんなことができないとは思いもしなかった。
 だが、考えてみると、家のほとんどの水栓はレバーの上げ下げになっていて、ひねるタイプはガレージ前と庭だけだった。保育園の水栓もレバーだったのだろうか?

 昨秋、自宅の水回りをリフォームした際、キッチンの水栓は自動にした。
 これは私自身のことだが、そのせいで、手動の洗面所でも手を突き出して待ってしまうことがある。
 今のところ、1秒以内には気づくものの、あっちもこっちも自動水栓がふつうになれば、手動で水を出す方法を知らぬまま育つ幼子も増えてくるかもしれない。

 さて、お釣りの話。

 最後にお釣りを受け取ったのはいつだろう・・・と考えて、もしかすると昨夏のニュージーランドではないかと思った。
 現金が必要な機会が2度あり、キャッシングで現地通貨を引き出した後、残った10NZDを使って土産物を買ったときに受け取ったお釣りの1NZDがそれで、持っている唯一のニュージーランドドルでもあり、大事に机の引き出しにしまっている。

 それ以降、お釣りをもらった記憶はない。もしほんとうにそうだとすると、半年くらいお釣りを受け取っていないことになる。
 あんまり意識してはいないが、私(たち?)はそういう社会を生きているのだ。

 ニュージーランドのコインが生涯で受け取った最後のお釣り・・・ということになればなかなか楽しいエピソードになるのだが、残念ながらそうはなるまい。
 そうだ!、今後、現金での支払いでお釣りが出そうなときは、家族に支払わせるようにしようか(笑)

 それはともかく、「物買へばお釣りあること知らぬ」「幼子」っていくつくらいなんだろう?

 まだ親がすべての支払いをしている年齢か、それともデジタルデバイスで自ら支払っている年齢か。
 いずれにせよ、その間に、現金で買い物をする数年間があると思うんだけれど・・・

 その際にお釣りの経験を積んでおくことは、意味のあることなのか、それとも、どうでもいいことなのか。

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2024.02.20

◆アンコールワット神殿の向き

 父親が撮影したアンコールワット遺跡(カンボジア)の写真をリビングに飾っている。
 おそらくは、亡父もっともお気に入りの一枚で、パソコンのデスクトップピクチャ(壁紙)にもなっていた。
 朱色の僧衣を着た少年僧が左下に佇んでる。この子も今は高僧になっているかもしれない。

 さて、先日の朝日歌壇に

  クメール朝の石の神殿に印された方位はスマホの磁石とぴったり (東京都)上田 結香

という短歌が掲載されていた。

 「クメール朝の石の神殿」がアンコールワットかどうかは定かではないが、まあその可能性は高いだろう。

 ともあれ、これを読んでまず思ったのは、「そんなバカな」であった。

 ご承知の方も多いと思うが、方位磁石が指す北は「磁北」と呼ばれ、実際の北(「真北(しんぽく)」)とはかなりのズレがある。
 私の住んでいる場所では8°以上西偏している。それだけ違えば、「ぴったり」に見えるはずがない。

 クメール朝の神殿がいつ建てられたのかはわからないが、羅針盤(方位磁石)を利用してそれにあわせたとも思えないので、おそらくは天体の運行から真北を求めて建てられたはずだ。

 ただ、調べてみると、羅針盤は「11世紀に中国で発明され、13世紀末までに全世界に広まった」(wired.jp)とあり、クメール朝は「九世紀から一三世紀にかけてアンコール−ワット、アンコール−トムなどの造営を行な」(日本国語大辞典)ったとあるので、造営にあたって羅針盤を利用した可能性も否定できない。

 でも、せっかく正確に東西南北にあわせて神殿を建てたいときに、たとえば太陽の南中がずれるような建て方をするだろうか。

 そう考えると、たとえ羅針盤を知っていたとしても、真北を基準に建てたのではないかと思える。

 なのに、「スマホの磁石とぴったり」・・・

 と考えて、ハタと思いあたった。もしかして、アンコールワット周辺では、偏角がほとんどないのではないだろうか。

 ネットで調べようとしても、出てくるのは日本の情報ばかり。まあ、日本語で検索するから当然なのだが、信じられないほど細かく調べられていることに感嘆するものの、カンボジアの情報はない。

 しばらくして、世界の偏角を即座に知ることができる便利なサイトがあることを知った。

 そこで調べると、アンコールワット遺跡の西偏は1°未満!
 なるほど、「スマホの磁石とぴったり」になるわけだ。
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 ちょっとした疑問を持ち、これほどすっきり解決するのも珍しくて気持ちが良い。

 あ、でも結局、逆にというか、真北を基準に建てたのか磁北を基準に建てたのかは謎のまま残ってしまった(笑)

 

 追記:

 あとで気づいたのだが、もしかして「スマホの磁石」というのは、実は方位磁石など使っておらず、GPS情報に基づいて方位を示しているのではないか・・・と思いはじめた。
 実際、私の古い iPhone 7 Plus でも、設定に "Use True North"(真北を使う)というのがあり、忘れていたが、私もオンにしていた ^^;
 もしかすると、短歌の作者の上田さんも同様の設定をしていらっしゃるのかもしれない(カンボジアではどちらでも大差ないけれど)。

 ところが、調べてみると、やはり磁石を使っているようだ。Appleのサイト

重要: コンパスの正確さは、磁気的な妨害や環境的な妨害によって悪影響を受けることがあります。iPhoneのEarPodsに含まれる磁石が、ずれの原因になる場合もあります。 

とある。

 それでも、今の iPhone は方角だけではなく、緯度経度や標高まで表示できるらしいので、GPSを使っていることは明らかだ。
 どうして方位には GPS を使わないのだろう? 使えないときだけ磁石に頼るとかでもいいのに(そうなってるのかな?)

 →一箇所に静止している場合、経緯度の変化がなく方位を計算できないため、GPSは方位を示すことができないそうです。

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2024.01.01

■明けまして20周年

 明けましておめでとうございます。

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 昨年(といっても昨日)、ココログにログインしようとすると、ココログ20周年のロゴが出てきた。

 ココログ自体のスタートは2003年12月ということだが、私自身は2004年1月1日から始めているので、今日でちょうど20周年ということになる。

 途中、Twitter やら Instagram やら Facebook やら TikTok やら、いろんな新しいサービスが出てきたが、まだ一応ほそぼそとブログを書き続けている。
 近年は、月に1回くらい、下手をするとそれもない・・・という感じになり果ててしまったが、当初は毎日必ず何か書いていた。
 飽きっぽい私が、まさか20年も続けるとは、我ながら驚きである。
 こうなったら、ブログサービスと命の続く限り、なんとか続けていきたいと思う。

 世界のことは私にはどうしようもないが、せめて今年こそ、個人的にはいい年であったと振り返りつつ終えたいと思っている。

 少なくとも、身近な人が誰もいなくなりませんように。
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 活動の場?は twitter 中心(それもそれほど活発ではありません)になっておりますが、今後ともブログともどもご贔屓をお願い申し上げます。

 そして、何よりも、みなさまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

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2023.12.31

★「酒塩」の謎

 「酒塩」(さかしお)という耳慣れないことばを知った。
 色葉字類抄(平安時代末期の国語辞書)にも載っている古い言葉らしい。

 手元の辞書では、大辞林のみが「調味料として酒だけを用いる場合の酒。少量の塩を加えることもある。」と定義し、幸田露伴の用例「砂糖が無いから酒塩で煮ると仕やう」を引いている。

 他の辞書は概ね「煮物の調味のために、酒を加えること。また、その酒。」(広辞苑)としている。

 この2つは、根本的に意味が異なる。
 つまり、どちらかが「間違い」ということになる。

 新明解国語辞典は明確に「物を煮る時、しょうゆのほかに少量の酒を加えて味を良くすること。また、その酒。」と定義しており、大辞林の定義と真っ向から対立する。

 個人的には「調味料として酒だけを用いる場合の酒」という興味深い定義に魅力を感じるが、さて、どちらが「正しい」のだろう。

 広辞苑の第7版には、6版にない「②少量の塩を加えた酒。調味料とする。」があるので、ここにもし「③調味料として酒だけを用いる場合の酒。」とあれば、多義であるということで決着がつくのだが、そうはなっていない。


 大晦日に調べるほどのことでもないのだが、用例を探してみると、料理研究家・陶芸家として有名な北大路魯山人の「塩蒸しの製法は、酒塩で煮つめる江戸前もあるが」(東京で自慢の鮑)というのが見つかった。

 これだと「しょうゆのほかに少量の酒」という新明解の定義は間違いで、大辞林が正しそうに見える。
 また、どの辞書も、「物を煮るとき」「煮物」と限定しているが、北大路の用例は酒蒸しなので、やはり大辞林の勝利だ・・・と思ったが、「酒塩で煮つめる」と書いてあるではないか。
 「塩蒸し」なのに「煮つめる」とはこれ如何に。一文の内部で矛盾している。

 もしここに「煮つめる」がなければ、大辞林以外の辞書の定義に、かの有名な魯山人の用例がことごとく違背していることになるのだが、話はそう簡単ではなかった。

 いずれにせよ、これだけでは「調味料として酒だけを用いる場合の酒」(大辞林)とまでは言えない。
 「しょうゆのほかに」「煮物」に酒を加えて「も」、「酒塩」と言うかもしれないのだ。

 さらに用例を当たると、「薄タレニカツホ入レテ、能キホドニ認メテ、シホ・酒塩入レテ」(本朝食鑑)というのが見つかった。
 これだと、タレや鰹の出汁が入ったところに塩と酒塩を入れることになるから、酒塩は、あくまでも一つの調味料として機能する酒であり、大辞林の「調味料として酒だけを用いる場合の酒」とは矛盾する。


 もちろん、語の意味も定義も、時代によって地域によって、さらには人によって変わってくる。少なくとも1000年近い歴史のある語であれば尚更だ。

 用例がもっと集まればさらに考察を加えることもできそうだが、大晦日の午前中としては(というより、今後も)ここまでである。

 こういうのをどこまでも追究するような性格だったら、私ももう少しは大成していたかもしれない。

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2023.11.24

●いずこも同じ秋の夕暮れ

 朝日新聞に「TSMC来ても「経済安保は守られない」 半導体政策失敗の本質とは」と題する記事があった(2023.11.24)。
「TSMCの衝撃」と題する連載の最終回である。

 それは、以下のように結ばれる。

 2021年に衆議院で意見陳述する機会がありました。僕は「経産省が出てきた時点でアウトだ」と言いました。経産省が先導した半導体政策は過去、ことごとく失敗してきたからです。
 失敗の本質は何か。官僚は自分が担当の2〜3年の間に実績を上げてステップアップしたい。実績とはいくら予算を使ったかということで、それを勲章と考える。目に見える最も分かりやすい実績です。
 しかし、予算を使った後は異動してしまい、それが競争力に寄与したのか、誰も分析しない。反省もしない。どんちゃん騒ぐだけです。こうしたことは、もう繰り返してはいけないと思います。

 筆者は、日立製作所に長く勤務して、現在は独立し「微細加工研究所所長」を務める湯之上隆氏だ。

 絶望的なのは、上記の「経産省」を「文科省」に置き換えても、まっっったく同じだということである。

 おそらくは、ほとんどどの省庁名に置き換えても同じようなことだと思われる。

 「もう繰り返してはいけない」「どんちゃん騒ぐだけ」の政策?は、私が知るだけでも四半世紀以上にわたって繰り返されており、現在も進行中である。
 そして、これからも繰り返されることはほぼ確実だ。

 「騒ぐだけ」ならまだいい。むしろどんどん悪くなっていることは、半導体の話をとってみても周知の事実であろう。

 はたして、この国に未来はあるのだろうか?

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2023.10.31

◆2023年10月の記事はありません

 2023年10月の記事はありません

 Twitter をごひいきにしていただければ幸いです。

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2023.09.19

■ニュージーランドで見た鳥

 ニュージーランドはけっこう鳥が豊富だった。街場でも公園でも野原でも、その辺の野山に入っても、日本の探鳥地より明らかに鳥影が濃いと感じた。
 朝食時などにも、宿の窓からいろんな鳥を観察することができた。

 ニュージーランドの鳥といえば、なんといってもKiwi(キーウィ)が有名だし、飛べない鳥が多いというような誤った?イメージがある。

 『地球の歩き方』にも、「New Zealand Bird」というページが巻頭特集にあり、飛べない鳥を中心に9種が紹介されている(うち3種はペンギン)。
 「ニュージーランドで見られる珍しい鳥たち」と銘打っているのだが、その中で見られたのは Pukeko(セイケイ)のみであった。

 もうひとつ、見開き2ページで「ティリティリマタンギ島でバードウォッチング」という特集もあるのだが、これは極端に言えば「舳倉島でバードウォッチング」のようなものである。まあ、オークランドからそれほど遠くはないのだが。
 (なんのことかわからないかたのために解説すると、珍しい鳥が集まっている特別な島にわざわざ出かけてバードウォッチングをする、ということです。)

  その計3ページで紹介されている、ほとんど見られない鳥ではなく、実際に旅行者がよく出くわす鳥も(いや、鳥こそ)紹介してくれればいいのにと思う。
 小鳥から猛禽に至るまで、けっこう多種多様な鳥がふつうにいる。

 というわけで、特に鳥を見にいったわけではないのだが、2週間ほどの間に自然と観察できた鳥の一覧を以下に記す(図鑑掲載順)。
 すべて飛べる鳥で、すべて写真も撮れた。
 (後記:すみません、8番のハヤブサだけ写真がありません。お詫びして訂正いたします。)
 28番のカモは、おそらくマガモとGrey Duck(マミジロカルガモ)との交雑種。

 1 Black Swan コクチョウ
 2 Canada Goose カナダガン
 3 Feral Goose ハイイロガン
 4 Paradise Shelduck クロアカツクシガモ
 5 Black Shag カワウ
 6 White-Faced Heron カオジロサギ
 7 Swamp Harrier ミナミチュウヒ
 8 New Zealand Falcon ニュージーランドハヤブサ
 9 Pukeko セイケイ
10 Spur-Winged Plover ツメバゲリ
11 Red-Billed Gull アカハシギンカモメ
12 New Zealand Pigeon/Kereru ニュージーランドバト
13 Rock Pigeon カワラバト
14 Eastern Rosella ナナクサインコ
15 Welcome Swallow リュウキュウツバメ(亜種オーストラリアツバメ)
16 Silvereye ハイムネメジロ
17 Tui エリマキミツスイ
18 Bellbird ニュージーランドミツスイ
19 Fantail オウギビタキ
20 Starling ホシムクドリ
21 Australian Magpie カササギフエガラス
22 Tomtit ニュージーランドヒタキ
23 Blackbird クロウタドリ
24 Song Thrush ウタツグミ
25 House Sparrow イエスズメ
26 Chaffinch ズアオアトリ
27 Yellowhammer キアオジ
28 Wild Duck sp. カモ sp.

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2023.08.29

★ニュージーランドとアイスランドの共通点

 ここを長い間更新していない。最後に書いたのが義母の訃報で、それがずっとトップになっているのもあんまりだ。

 義母の初盆は無事終え、両親と義姉の一周忌も滞りなくすませた。
 お盆には(ついでのようで申し訳ないのだが)誰のあとにも続かずに両親(と父方の祖父母)の墓に参った。

 そろそろ両親の忌も明けたことだし・・・と思ったわけではほとんどないのだが、ニュージーランド旅行に来ている。

 ここは更新していなくても、twitterは随時更新しているので、ぜひご覧いただければ幸いである。
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 ニュージーランドを1週間ほど回って、アイスランドとの共通点が多いことに気づいたので思いつくままに整理しておく(随時追記)。

0.治安が良い。どちらも世界トップ5とかに入っている。日本より安心なくらい?

1.ごくふつうに英語が通じる。まあニュージーランドに関しては当然なのだが。

2.車が少なく、信号がほとんどない。工事中の片側通行を除けば、1週間でせいぜい数か所か。

3.人口密度が圧倒的に低い。アイスランドより高いニュージーランドでも、日本の71%の国土面積に4.2%ほどの人口しかない。

4.土地の多くが牧草地で羊が多い。ニュージーランドは近年牛が増えているそうで、確かに目立つ。

5.火山国であり、温泉がある。

6.レストランに入ると、黙っていてもお水が出てくる。しかもおいしくてもちろん無料。

7.チップの習慣がなく、内税で、完全明朗会計。

8.カード一枚でほぼ出費をまかなえる。アイスランドは完全に、だったが、ニュージーランドでは今までに2回現金が必要だった。

9.道中に何もない道が続くことがある。北島の中心に位置するタウポから東海岸のネイピアまでの130kmあまりの間にカフェは(たぶん)1軒のみ、トイレも1箇所だけで、ガソリンスタンドはゼロ。

10.物価が高い😢 まあ今回のニュージーランドに関しては円安の影響も大きいだろう。

11.制限速度も高い。ニュージーランドでは、郊外に出るとどんな道でも基本は100km/h。かのアイルトン・セナでもその速度で走るのは無理だと思ったりする。アイスランドは未舗装路!の制限速度が80km/hだった。

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2023.04.07

★訃報は突然に・・・

 朝、義母が病院に搬送されたといって家人に起こされた。

 高齢者住宅に入ってはいるものの、ふつうに立って歩けて食事に文句を言い、時々は卓球に興じるくらい元気であった。
(卓球をしている後ろに常に介護士が立っていることの意味を図りかね、「なんでいつも後ろにおるんやろ?」と当初は訝っていたくらいである。)

 「まあ病院に行ったといっても、またすぐ出てくるだろう」くらいの気持ちでいたのだが、朝食も摂らずにかけつけた家人から来た最初のLINEは「心臓マッサージ中」で、ほどなく、亡くなったと連絡があった。

 儚いものである。


 義母が高校時代に卓球をやっていたというのは知っていたのだが、戦後まもなくの国体(国民体育大会)で優勝!したというのを知ったのはほんの数年前だった。
 「え? それならオリンピックにも出られたのでは?」と思って調べると、当時、卓球はオリンピック種目ではなかった。

 今でも半信半疑だが、Webで検索すると、義母の名前が旧姓で出てくる。

 1月に卒寿を迎えたが、コロナのせいで祝えなかったため、義弟が中心になってお祝いの手紙やら色紙やら花束やらを孫たちも巻き込んでプレゼントしていたのはよかったのだが、5月の連休に予約を終えていた祝いの席には間に合わずに逝ってしまった。

 仕事に追われていた家人にも時間ができ、これから一緒においしいものでも・・・と考えていた矢先だった。


 昨年、両親と義姉を相次いで亡くし、今年こそはいい年になりますようにと願っていたのだが、なかなかうまくはいかないものである。
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 今日は旧暦で閏如月17日、満月は昨日の午後2時だ。閏(うるう)とはいえ・・・

  願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ

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2023.04.01

★半分老後

 4月1日、新年度が始まった。

 幸い、今年は最初が土日で、ちょっとほっとしている。

 この新年度は、少し今までとは違う。
 昨年度末(きのう3月31日)で家人が退職して、きょうから晴れて?無職となったのだ。

 3月下旬は実質的にほとんど仕事はなく、職場から持ち帰った大量の荷物を中心に、ずっと家の片付けをしていた(にもかかわらず、まだぜんぜん終わっていない)。
 ただ、別にいつまでに片付けなければならないという期限もないので、仕事をしていたときのように忙しいということはない。

 ある休日、「今からドライブがてら、和菓子でも買いにいけへん?」と誘うと、すぐにOKが出た。
 これまでなら、ほぼ100%、「無理」という返事だった。

Dji_fly_20230329_170110   いつからか恒例になっている年度末の花見旅行も、毎年必ずひとりで出かけていたのだが、今年は初めてふたりで行くことができた。
 かつてひとりで回ったルートを、ガイドしながらもう一度なぞるような旅になった。
 違うのは、ひとり一泊3000円の宿ではなく、7500円くらいのホテルになったことくらいである。

 そうそう、2017年に私が「発見」した(笑)新種のクマノザクラは、今年はもうすっかり散り果てるどころか、葉が青々と生い茂っていて、ちょっと残念だった。

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 土日ですらまず遊びに行けなかった家人だが、今日からはほとんど予定というものがなくなったので、どんな生活になるのか、ちょっと想像しにくい。

 ともあれ、どこかに一緒に行こうと誘えばあっさり行けるというのは、何十年ぶりだか見当もつかないくらいである。

 私自身は、休みの日に仕事が入ることはそう多くないので、家人の老後にあわせて半分老後のような生活ができるのではないかと期待している。

 そんなにうまくいくのかどうかわからないが、ともかくひとつの新しいスタートではある。

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2023.02.27

◆狂犬病か恐水病か

 以前、ERだったかグレイズ・アナトミーだったか、医療系のアメリカドラマで、"rabies" を「恐水病」と訳していて、何のことだかわからなかった経験をどこかに書いた。

 そのときは ポリティカル・コレクトネスの問題かと思っていたが、朝日新聞のbe「サザエさんをさがして」で「狂犬病」が大きく取り上げられていた(2023年2月25日)。

 「サザエさん」(1947年3月7日)では、狂犬病の犬(だと勘違いしたヤギ)に追いかけられて池に飛び込む男性の姿が描かれているのだが、それを解説した記事では、なぜこの男性が池に飛び込むのかにはまったく触れられていないし、恐水病の恐の字も出てこない。ずっと一貫して「狂犬病」である。
 おそらく、狂犬病に罹った犬が水を恐れること自体、記者は知らなかったと思われる。

 「狂犬病」が別に問題のない言葉だとすると、冒頭のアメリカドラマの翻訳は、狂犬病を知らない若い?翻訳者が、特定の辞書を引いただけでそのまま訳語を採用した可能性が高いのだろうか。

 その回の鍵概念・キーワードだったので、「恐水病」がわからなくて興味半減、何のことかと再生停止して調べたりした。

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『ランダムハウス英和大辞典』第2版(小学館)

ra·bies [réibiːz]

n. 〘病理〙 恐水病,狂犬病(hydrophobia):犬や猫,その他の動物のかかる伝染病; ラブドウイルス群のリボ核酸(RNA)ウイルスが病原; 人間は主に感染した犬にかまれて発病する.

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2023.01.27

■寒中お見舞い申し上げます

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寒中お見舞い申し上げます。

水曜日に引き続き、また本日積雪に見舞われるとは思っておりませんでした。
家の中まで冷気がひしひしと伝わってまいります。

年末年始は息子がコロナになり、ひとり自宅療養となりましたが、お蔭さまで無事回復いたしました。

昨年は両親・義姉の他界などいろいろとありましたので、今年からはよい年になるよう祈っております。

みなさまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

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2022.12.17

★モンゴイカはモンゴウイカ(紋甲烏賊)だと思っていた

 先日和食店で食べたイカがもっちりねっとりとしておいしかったので、「お造りのイカは何イカですか?」と伺ったところ、「モンゴイカです」という答だった。
 モンゴイカなら子どものころはずっと食べていて、イカと言えばモンゴイカだったので、「ああ、やっぱり」という感じの答え合わせになった。

 今日ふと気になってモンゴイカを調べてみると、標準和名がカミナリイカだというので驚いた。そんなイカ、見たことも聞いたことも食べたこともない(のではなくて、正確には「聞いたことがない」だけだが)。
 モンゴイカは方言で、モンゴウイカ(紋甲烏賊)が標準和名だと漠然と思っていた。
 実際には、後者は西日本の「市場名」であるらしい。

 魚介類にはこういうことはよくあって、あるお寿司屋さんで食べたハリイカと別の寿司屋のスミイカがどちらも標準和名コウイカだった・・・という経験もある。
 その辺にまで配慮して名前を教えてくれる寿司屋というのは少ないが、ネットで簡単に調べられるようになったのは福音である。
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 鳥の世界にも似たようなことがあり、「カラスやハトという鳥(種)はいないが、ツバメやスズメはいる」とか、「シラサギというサギはいない」とか、いろいろある。
 カラスやハトというのは種名ではなくグループ名(≒総称)、シラサギというのもそれに近いだろう。

 でも、方言や市場名がやたらに豊富な魚介類とは違って、そんなにバリエーションがあるわけではない。
 昔からそれぞれの地方でほぼ独立して重要な食糧とされてきた魚介類と、それほどは関心を持たれなかった鳥類との違いであろうか。

 そういえば、サルという猿もいなければ、ゴリラというゴリラもいない。チンパンジーはいるが、オランウータンは総称。
 キリンもゾウもサイもいないのかと思ったら、キリンだけはいる(アミメキリンやマサイキリンは亜種だそうである)。


 そんなどうでもいいことを調べていると、どんどん時間が過ぎていく冬の昼下がり・・・

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2022.12.03

★喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させていただきます

 いつも年始のご挨拶は欠かしていないと思うのですが、喪中につき(と言いつつぜんぜん喪に服している感じではありませんが)年末年始のご挨拶を失礼させていただきます(決まり文句ですが、年始はともかく、年末のご挨拶って何なんでしょうね。お歳暮? それなら毎年失礼してるし、もしかして「よいお年を」のことでしょうか。それなら先日、「ちょっと早いですが」と言いながら、もう言ってしまった気もします😅)。

 このブログにも書きましたが、3月に母親を、7月に義姉を、8月に父親を亡くしました。両親は高齢ですが、義姉は同い年でした。

 両親も、まだあと数年は・・・という感じもあり、大往生というふうには受け止められていません。
 私自身も信じられないような年齢になってしまいましたが、これまでに近しい血縁者を亡くしたのは祖母2人のみで、それも十数年おきくらいでしたので、1年に3人はそれなりにきついものがありました(義姉とは血縁はありませんが、何しろ若いのがこたえます)。
 今年はその他にもつらいことがあり、まあ相変わらず平凡な日常を送り続けられてはいるものの、そのことに感謝できるような心境ではありません。

 そんな今年もまもなく終わり、新たな年がやってきます。
 来年こそはよい年であるようにと、毎年決まり文句のように繰り返していた言葉が、今年は少しだけ実感を伴って身に沁みます。

 ウクライナの受難(に限らず世界中でさまざまな戦争・紛争・テロ・飢餓など)やコロナ禍もあり、また、そうでなくとも、今年もさまざまな人々が亡くなりました。ただ、その中に身内が複数含まれていることが例年とは異なり、死や、むしろ生について考えさせられる年でした。

 兵士の母に向かってプーチンが「人は誰でもいつかは死ぬものだ。問題はどう生きたかだ」と語ったというのですが、(その非道さは別にして)問題はもう一つ、「いつ死ぬのかだ」と思います。「いつかは死ぬもの」ではあっても、「いや、今じゃない」のではないでしょうか。

 母親は、急にものが食べられなくなってきたというので、その対処について話しあうために会いに行くことになっていた日の、前日に亡くなりました。
 父親は、病院を退院して高齢者住宅に移った6日後に亡くなりました。
 義姉は、おめでたい誕生日を迎えることなく亡くなりました。


 自分が「どう生きたか」には自信は持てませんが、もうそれでいいのだと開き直りつつあります。
 「いつ死ぬのか」に関しては、「今でしょ」と思えるときが来るのかどうか、わかりません。とりあえず、父親の年齢を超えるまではそれなりに健康で生きられたら・・・と願うばかりです。

 長くなってしまいました。
 急に冷え込んできましたが、ご自愛の上、よいお年をお迎えください(あ、年末の挨拶をしちゃった😅)。

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