◆郵便料金の値上げと「一銭五厘」
10月1日から郵便料金が値上げされ、はがきが85円、封書が110円になった。
それに関連して書かれた今日4日の天声人語(朝日新聞)を読んで不思議に思った。
1937(昭和12)年にも官製はがきの料金が大幅値上げされていて、二銭になったというのだ。
一銭五厘ではないのか?
若い人は何のことかわからないかもしれない(それでも、歴史の勉強や小説・随筆・ドラマなどを通して知っているのが本来の姿だと思う)が、「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」(日本経済新聞20190119)というのが一般的な理解だ。
徴兵された兵隊が「「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟をたててやって来る!」と、古年兵に叱られ乍ら鍛えられ」(「輜重兵第五聯隊 隊跡馬碑」由来)たというような話は、いわば常識であり、私自身、直接間接に何度も見聞きした記憶がある。
だが、はがきの料金は、1937(昭和12)年4月に値上げされ、それまでの一銭五厘から二銭になったという。
であれば、日中戦争が始まったのは1937年7月だから、日本経済新聞の「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと」というのは、明白な誤りだ(後記:ただし、満州事変から「戦時中」だと考えれば、最初の1/3ほどは実際に一銭五厘だった)ということになる。
私自身、迂闊にも戦時中のはがき代は一銭五厘だと思っていた。
(まさか、戦時中に値下げされて一銭五厘に戻ったのか?とも一瞬考えたが、調べるともちろんそんなことはなく、むしろ、三銭(1944年4月)、五銭(1945年4月)と値上がりしたらしい。)
ただ、「召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」というのは誤りではない。戦時中に兵隊たちが(「教育的」効果を狙ってか)「一銭五厘」と呼ばれて軽んじられていたのは、まず間違いのない事実である。
だとすると、1937年以前の悪しき伝統が受け継がれ、郵便料金が値上げされて(二銭どころか五銭になって)からも、新兵を「一銭五厘」と呼んでいたのだろうと推測できる。
雑誌『暮しの手帖』の創刊者である花森安治も、徴兵されて実際に一銭五厘呼ばわりされていたことを書いている。特に『一銭五厘の旗』(暮しの手帖社1971)はロングセラーとして有名で、出版から半世紀以上経った今なおすぐに手に入る(本来の表記は『一戔五厘の旗』)。
花森が召集されたのは1937年秋のことらしく、まさに郵便料金が値上げされて半年後ということになる。ならば、新兵を「一銭五厘」と呼び続けていても不思議ではないし、その後も実際の郵便料金とは関係なく、符牒として継承されたのであろう。
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ただ、ご存じの向きも多いかと思うが、そもそも召集令状に はがきは利用されていない。戦時中にたくさんの人々が目にした召集令状、いわゆる「赤紙」を検索すればすぐにわかるが、どう見てもはがきではありえない。
実際には、赤紙の送達には郵便は使わず、役場の官吏が対象者(留守の場合は家族)に直接手渡していたという。
その意味で、「一銭五厘」があくまでも比喩として使われていたということも、いわば常識であった。
ただ、天下の『日本経済新聞』ですら「一銭五厘とは戦時中のはがきの郵便料金のこと。転じて召集令状(赤紙)1枚で戦場に駆り出された兵士たちを指す」と書いたりして、後半は誤りとは言えないにしても、そういう言説が繰り返されることによって、
「兵隊は一銭五厘のはがきで召集された」
という二重に誤った風説が定着してしまうことになるのである。
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この件に限らず、私たちが常識だと信じ込んでいることが、事実とはまったく異なることは多い。
あらゆる「知識」は、つねに仮のものであり、不断の検証を必要とする。
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