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2004.08.31

★iMac G5 発売 !!

 号外です!!

 Apple Computerからもアップルコンピュータからも、iMac G5が発売されました。消費者の期待を、思いっきり素晴らしく裏切ってくれますね。まるで村上春樹のようです。

 一つだけ気になるのは、机の上に置く限り、どう設置してもディスプレイの位置が高すぎるだろうことでしょうか。これはもう、机を下げるしかない(笑)

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★日本人がいない(後編)

 フランスで言えば・・・
 パリ。ヴェルサイユ、シャルトル、ロワール。プロヴァンス、コートダジュール。シャモニ、モンブラン。そしてモンサンミッシェル。
 これらの場所にだけ、集中して日本人観光客がいる。そのほんの隣の有名な観光地にはほとんどいない。ツアーもそうだが、個人観光客でもそうだ。これはどうしてだろう? 簡単そうに見えて、なかなか複雑な問題のような気がする。

 いまどき、世界中で日本人観光客がいない場所をさがすのは難しいとよくいう。エジプトでバスが横転しても、アルメニア(ってどこだ?)で列車事故が起こっても、「日本人観光客」に死傷者が出ることがあるほどだ。
 なのに、上記以外のフランスで、日本人観光客に会うことはほとんどない。

 いや、日本人だけではなく、もっと広くアジア人にも会わないし、さらにいえば、アメリカ人にも(たぶん)会わない。イギリス人にはよく会う。この辺にヒントがあるのだろうか。

 当初は交通が不便だからかと思っていた。クルマでないと行きにくい場所も多い。そして、アジア人のレンタカー利用者は多くないので(田舎のサービスエリアなどでは宇宙人を見るような目でジロジロ見られることも珍しくなかった)それが理由だと思ったのだ。でも、それだと、アメリカ人に会わない理由がわからない。彼らは気軽にレンタカーを借りている。
 同時に、交通至便でもアジア人をほとんど見かけない場所はいくらでもあるし、どんなに交通が不便でも団体バスで押し寄せる旅行者がひきもきらない場所も数多い。

 結論らしきものはこれだ。おそらくは、ユーラシア大陸や大西洋を越えてまで訪れる価値のある場所は、冒頭にあげた場所だけだと思っている人が多いということではないだろうか。ドーバー海峡を越えるぐらいで訪れられるなら、行くべき場所はいくらでもある。

 ややこしいので話を日本人に絞ろう。フランスの上記場所を「制覇」した日本人は、あるいは、制覇していなくても、パリとベルサイユとロワールとモンサンミッシェルに行ってしまえば、もうフランスは「卒業」して、どこかよその国に行く。それは、ヨーロッパに限らず、エジプトだったりメキシコだったりアルメニアだったりケニアだったりする。限られた人生とお金なのだから、当然のことだ。「この目で世界中を見てやろう」。
 あるいは逆に、パリに惚れ込み、何度もパリを訪れる。確かにその価値はある。わたしだってもう少し教養があればそうするかもしれない。

 何の不思議も文句もない。

 ただ、こうも思う。落差が、というか、比率が、というか、あまりにも激しく、偏りすぎてはいまいか。超一級の観光地である、ピレネーに行ってもドルドーニュ渓谷やロット峡谷に行っても、たった一人のアジア人にすら会わなかった。率でいえば、全観光客の0.1%にも達していないことになろうか。
 ロット峡谷の村にあるオーベルジュの老主人に「日本人はロワールには大挙して出かけてくるのに、ここまではぜんぜん来てくれない。君たちがたぶん、今年最初で最後の日本人だ」と言われて驚いた。「フランスでもっとも美しい村の一つ」サン・シルク・ラポピの近くだ。
 いや、そのオーベルジュはともかく、その周辺ということであれば、実際にはけっこうな数の日本人が訪れているとは思う。しかし、やはり、その数が不当に少なすぎることは確かだろう。もっとも、あれ以上観光客が増えてほしくはないけれど・・・

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2004.08.30

★日本人がいない(前編)

 今回の旅のテーマは3つ。その1は、20年前に行き残した超メジャーな場所を押さえておくこと。その2は、フランス西部田舎巡り。その3は、ピレネー(+アンドラ公国)

 20年前には、凱旋門にもノートルダムにもエッフェル塔にも登らなかった(エッフェル塔には行きすらしなかったら、現地で知り合った日本人に「オマエはひねくれすぎている」といって、無理矢理連れて行かれた)。青春時代(笑)のことで、いささか世を拗ねていたのと、長旅のせいで名所旧跡に飽きていたのとが理由である。
 ロワール川沿いの城巡りにも、モンサンミッシェルにも行かなかった。旅行前には「外すまい」と決めていたところである。これは、寂しくなってしまって、早く日本に帰りたかったことによる。いや、フィックスの航空券だから、行かなくても早く帰れるわけではないのだが、パリにとどまっていた方が日本に近いような気がしていたのだ。わざわざ出かける気力もなかった。そのせいで、パリには10日近くいたような記憶がある。もっとも、ホテルで昼前まで寝るような生活だった。

 旅の最後がパリだったので、ヨーロッパの街に飽きていたわたしには、衝撃というほどのものはなかった。でも、当時の日記には、カルーゼル広場に立ったときの感想として「旅の最初がパリだったなら、ここに立ちつくしていただろう」と書いてある。いまでも、「初めての海外」にパリを選ばなかったことを少しだけ後悔している。『地球の歩き方』のせいだ(笑)

 今回は、空港から直接モンサンミッシェルに向かったし、ロワールの城にもいくつか行ったし、パリでは凱旋門にも登った。でも、残念なことに(というべきか)、それ以外の場所で日本人(のみならずアジア人全般)に会うことはほぼ皆無だった。

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2004.08.29

★ヨーロッパの夏は寒い

 ギリシアやイタリア中南部はともかく、ヨーロッパの大部分は夏でも涼しい。summer だの、été だのというのは、「夏」ではないのだ。大阪で言えば、10月も終わろうかというころの気候がちょうどヨーロッパの8月の気候ではないだろうか。
 それに、日本のように7月より8月の方が暑めだというのは大方の温帯国では珍しいことだそうで、たいていは7月の方が明らかに暑いらしい。そうすると、同じ8月で比べれば、暑さがほとんどピークの日本と、だんだん秋色が濃くなってくるヨーロッパということになって、ますますその差は開く。もちろん、たとえばパリの緯度は北海道などはるかに超えて、サハリン中部と同じぐらいである。涼しくないわけがない。

 それでも、8月15日ごろまではバカンス真っ盛り。田舎では、どうかすると半ズボンに上半身裸のオッサンたちが闊歩し、とても泳げそうもない冷たい川に子どもたちがどんどん飛び込んだりしている。
 かつても見たそのイメージと、日本のどうしようもなく暑い夏。出発前には、またもや、涼しさ、まして寒さなど実感できなくなってしまっている。「寒いかもしれないから」などと口では言いながら、脳裏には裸のオッサンと川に飛び込む子どもの姿が浮かんでいて、まともな防寒対策などしない。いや、一応持っては行くのだ。それでもなお、現地で「今日は寒いかも」と思っても着なかったりする。

 8月25日。ナチスドイツからのパリ解放記念日。ちょうど60周年だ。雨模様。寒い。震え上がった。気温は12度ぐらいまでしか上がっていなかったらしい。大阪なら真冬である。さすがに上着を着ている人も多いのだが、われわれは上着を持って出なかった。なんだよこれ。まだ8月だぜ、8月・・・

 帰国すると、皆が口々に「朝夕はめっきり涼しくなってきて」という。すみません、無茶苦茶蒸し暑いんですけど・・・

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★やはりパリから・・・

 フランスはともかく、パリは20年ぶりだ。しかし、何も変わっていなかった。

 いや、もちろん、地下鉄や高速鉄道の路線はやたらに増えているし、TAXI 2 だかに登場した変な観覧車も高速回転しているし、新凱旋門もできた。
 ルーブルの内部は見違えるように整備されて展示方法も改善されたし、印象派美術館の所蔵作品は新たに開館したオルセーにごっそり移された。ピカソ美術館も新たに開館したが、肝腎のオランジュリーは工事で長期閉鎖中だ。
 ほとんどまったくいなかった中国と韓国からの観光客がとても多くなった。
 そこここに散乱する地下鉄の切符や犬の糞、汚いゴミはずいぶん減った。何より?通貨がユーロになった。

 なんだ、ずいぶん変わってるじゃないか、じゃあ、何が変わってないのだ、と言われても、答えるのは難しい。他にも変わった点は多々あるが、旅人に変わっていないという印象を抱かせる点がこの街にとっては重要だ。地下鉄の回数券は変わっていなかったが、もしかするとわざと以前のままに残してあるのではないか(笑)

 常に革新しながら常に変わらないパリ。ローマを知らないが、間違いなくヨーロッパで一番魅力的な大都会だろう。

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2004.08.28

★同じ月

 ルーブル宮に沈んでいった月と、今宵見る月が同じでした・・・ 別の現実から元の現実へ戻っても、現実は現実、同じ惑星上のできごとですね。

 ご無沙汰してすみませんでした。のんびりと再開していきます。

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2004.08.06

★二年間の休暇

 いいなあ、二年間なんて・・・ という話ではない。11歳の息子が、生まれて初めて、まともな本を自分で読んだのだ。8月1日のことである。そのタイトルが『二年間の休暇』(福音館文庫:文庫といっても新書版より大きい)。全訳で上下2冊もあるのに、斜め読み?ながらも半日で読み切ってしまった。私が子どものころ、一番好きだった、ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』である(原題に忠実なのは「休暇」の方)

 自分が子どものころは本ばかり読んでいたように思う。子どもがそうではないのに違和感を覚えていたのだが、これをきっかけに読書を始めるようになるのかもしれない。なにしろ、これまで読んでいたのは、ドラえもんの学習漫画シリーズと、かいけつゾロリシリーズだけといっても過言ではないのだ。あ、江戸川乱歩シリーズも少しあったか。それにしても、何という人生だ・・・

 と思っていると、その翌日には、村上春樹の『レキシントンの幽霊』(単行本)を読んだと嬉しそうに報告してきた。幽霊だのUFOだのが好きなので、勘違いして手に取ったのだろう。何がどこまでわかっているのかは不明だが、ともかく一冊ぜんぶ読んで、「レキシントンの幽霊」(短編)が一番おもしろかったと言っていた。ほんとかよ。

 これが子どもの成長のブレイクスルーであることを祈る。一方で「赤ちゃん」らしさが抜けていき、二度と戻らないのは寂しい。戻ったら戻ったで、悩むだろうけど。

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2004.08.01

★スターバックスの華たち

 いわゆるシアトル系のコーヒーショップのうち、一番足が向くのはスターバックスだ。理由の一つはもちろん、全面禁煙であることだが、もう一つはおそらく、働いている人たちが生き生きしていることだろうと思う。

 他の店だと、よくてマニュアル的な愛想の良さが期待できるだけで、どうかするとアンニュイな表情のまま対応されたり、下手をすれば嫌々コーヒーを淹れているようにしか見えないことすらある。「どうして私がこんなとこでアンタにコーヒーなんて出さなきゃならないのよ」という声が聞こえてきても不思議ではないほどだ。

 スターバックスは違う。なぜなのだろう?

 「きちんと教育しているのだ」という人がいる。では他の店は教育していないのか。ハンバーガーショップやファミレスやコンビニは? 教育すれば店員の対応が劇的に変わるのか? 私は「教育」がそんなに簡単なものではないことを知っている。

 スターバックスの華たち(男はこの際どうでもいいです、すみません)が、マニュアルや教育を越えて生き生きしているように見えるのは、彼女たちがあの仕事に誇りを持ち、どうかするとほんとうに楽しんでさえいるからだと思う。意地悪く言えば、「スターバックスで働いているワタシ」が好きなのだ。そのことが、美醜を越えて(「醜」に入る人はそもそも採用されていないようだが)彼女たちを輝かせている理由だろう。

 アメリカ資本の「オシャレ」なコーヒーチェーンの店員として働くことにいわれのない?誇りを感じているとすれば、そのことに対して何か言いたくならないわけではない。だが、その誇りが私の足をそちらへ向けさせるとすれば、頭でっかちの批評は無力だ。
 いずれにせよ、仕事に対する自分の姿勢を振り返ってみれば、もはや、彼女たちが淹れてくれたコーヒーを黙ってありがたく味わうほかない。

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