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2005.01.24

■パイロット不足

 国内の職業パイロットの需給が逼迫してきて、いよいよパイロット不足が始まったという。あおりで、定年退職した機長の再雇用、自社養成枠の拡大(大型機の機長養成には1人あたり3億円かかるそうだ)、高卒への応募資格拡大、自家用免許所持者の採用などと、「パイロット確保作戦」に「官民で対応に躍起」(いずれも朝日の見出し)らしい。

 数年前、航空身体検査の視力制限が緩和された。お蔭で、私も楽にパスすることができるようになったのだが、あれも、現在や近い将来を見据えた「改革」だったようだ。

 自衛隊の航空学生(将来、戦闘機パイロットになる可能性も高い)の募集でさえ、なんと「遠距離裸眼視力が0.6以上」にまで緩和されている。みんな目が悪くなってしまって、目のいい応募者だけを選んでいたのでは、優秀なパイロット候補者を確保できなくなってきたということらしいが、パイロットの目の大切さが身に染みてわかるだけに、大丈夫かよ、と思わないでもない。

 日本航空などは、なんと、裸眼視力の制限を撤廃している!(もっとも、「+1.75〜−3.0ジオプトリー内のレンズを装用して測定した視力が1.2 以上」(日本採用の場合)などという制限はある)

 あああ・・・ 今ハタチで大学在学中なら、絶対パイロットを目指すだろうに・・・

 話が横道にそれてしまった。だからといって、職業パイロットへの道が容易になったわけではない。高卒まで応募枠を広げた航空会社の競争率は、126倍だったそうだ。まだまだ憧れの職業なのだなあ、と、なぜかほっとする。

 自家用パイロットまですべて含めても、日本には約1万人しかいない。そのうち、主要航空会社の現役職業パイロットだけで約5800人だという。残りの4200人の多くは、既に定年を迎えた職業パイロットや、私のようなサンデーパイロットだろう。これから職業パイロットを目指せる人は、何人いるのだろうか。自費で1500万とか2000万とかかけて職業パイロットに必要な免許を揃え、就職活動をしている人を何人か知っているが、見通しは明るくないようだ。

 だがまあ、何はともあれ、パイロット不足は空に憧れる者にとって願ってもない朗報である。私が追いかけられなかった夢を追いかけている方々の健闘を祈ってやまない。

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2005.01.23

■「国に命令」

 部下が一人もいないので、私は誰にも何も命令することができない。たぶんそれが一生続くと思うと、なんだか情けないような、ほっとするような、複雑な気持ちになる。
 私が何か命令できるとすれば、それは息子に対してだけだ。その「権利」を行使することはそれほど多くないが、行使できるのもあと2〜3年続けばいい方である。

 裁判官は国に命令できる!。日本中で国に命令ができるのは、おそらく裁判官だけだ。国会議員や大臣は言うに及ばず、総理大臣ですら、厳密な意味で「国に命令」することはできないだろう。

 各裁判官におかれては、ぜひ「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(日本国憲法第76条)ということを今一度確認し、最高度に保証されたその特権を行使してほしい。

 なにしろ裁判官は、
・公の弾劾によらなければ罷免されないし、
・行政機関が裁判官の懲戒処分を行うこともできないし、
・在任中減額することができない報酬も保証されている。
 いずれも、憲法に直接はっきりと書いてあるのだ。

 これほど手厚い保護を受けているのだから、「ヒラメ裁判官」(出世を気にして上の顔色ばかり見ている裁判官)にならないことも、原理的には可能なはずである(いや、実際には難しいことは私にもわかりますが・・・)。

 地裁が棄却した韓国人元徴用工の国などに対する賠償請求を、広島高裁が一部認めた(2005.1.19)。あらゆる点において不十分ながら、「在外被爆者対策をめぐり国に賠償命令が出るのは初めて」(Nikkei Net)という点においては、画期的といえるだろう。

 だが、こんな判決が書けるのは、もしかしたら裁判官が定年間近で、これ以上の出世を諦めているからなのかな?と邪推してしまう(実際には、見識の高い立派な裁判官なのだろう)。
 より権力の中枢に近いはずの高裁の判断が画期的で、地裁の判決がどうしようもなく権力にベッタリという例があまりにも多いように感じるからだ。地裁の判事(補)たちは、これから出世しなければならないから、国や上司の顔色ばかり見ているとは思いたくないのだが。

 最高裁長官が「ヒラメ裁判官はいらない」と訓示(2004.10.18)を垂れなくてもいいように、裁判官諸氏におかれては、文字通り「良心に従ひ独立してその職権を行」ってほしい。

 なにしろ、国から私にまで、誰にでも命令を出せるのはあなた方だけなんだから。

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2005.01.22

■まっすぐ進むべきか・・・

 (追記)滋賀県の余呉町を目指して伊吹山にも立ち寄りました。
 写真は余呉町ですが、なんと、世界史上最深の積雪を観測した地点は伊吹山で、ギネスブックにも載っているそうです(朝日新聞 2005.1.23)。

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2005.01.21

■ナインスゲート

 ロマン・ポランスキー監督。ジョニー・デップ。

 ぽつぽつとDVDで映画を見ている。が、ここに書くことはほとんどなくなった。鑑賞眼も批評眼も筆力もないので、わざわざ取り上げても・・・という心境になりつつある。ただ、ある程度自信を持ってお勧めできる映画があれば、たまにこうして取り上げたい。

 3冊の古書に封印された悪魔の力を、そうとは知らずに追いかけさせられる古書ブローカーが・・・

 実は私はオカルトが嫌いだ。サスペンスとかミステリとかはいいのだが、ありえない超自然現象をこれでもかとばかりに見せられるとげんなりする。だが、西洋の悪魔ものにもかかわらず、これは一級のサスペンス・ミステリ・ホラー・スリラー・・・に仕上がっている。

 舞台は現代なのだが、うまい味を出して古びた古書の世界へ見る者をいざなう。最初からぐいぐいと引き込まれる。いつの時点からか悪魔に魅入られた「巻き込まれ型」の主人公が、次第に主体性を獲得していく過程にも興味をひかれる。ミステリなので結末は書けないのだが、最後にオカルトとなっても、もうアレルギーはなくなっていたし、見事にまとめてくれていた。

 私には解けない謎もいくつか残ったままだが、後から映画の各シーンを振り返り、あれはそういう意味だったのかと、伏線を味わい直せる部分も多い。2回(以上?)見るのにも適しているだろう。時間をおいてもう一度見たい。

(疑問の残る部分を解明したくてネットを見たら、映画全体への酷評があふれていた。だが、そのほとんどは「わからない」というものであった。わからないのは別に構わないのだが、それがすなわち酷評に結びつくのが信じられない。わからなければ、「私にはわかりませんでした」でおしまいだ。もちろん、「だれか教えてください」というのはいいだろう(私も教えてほしい)。だが、自分がわからなかったからといって酷評するのは、製作に携わった人々に対してあまりにも失礼だと思う。せっかくの映画の後味が悪くなってしまった。まあ、読まなければいいので、自分のせいなのだが・・・)

(The Ninth Gate, 1999 Spain, France, U.S.A.)

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2005.01.19

■すばやい光電話

 自宅のネットには光ファイバーを利用している。大事なサービスがマッキントッシュに非対応だとか、やたらに遅くて1Mbpsも出ないときもあるとか、あまり感心しないプロバイダなのだが、今回は驚いた。申し込んで2日で光電話が使えるようになったのだ。久しぶりに21世紀を経験した気がする。

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2005.01.17

■10年前は学生だった

 阪神淡路大震災から10年だという。考えてみれば、10年前は学生だったのだ(事情省略)。ついこの間のことのような気がするが、さすがに今はもう、自分が学生だという気はしなくなってきた。

 あの朝、ふとんの中でうつらうつらしていた。と、もの凄い爆発音と衝撃。「な、なんやー!」と叫んだのを覚えている。マンションにミサイルが命中したと考えた。「でも一体、誰が? 何のために?」
 伊丹を狙ったミサイルの誤爆かとまで思った。

 一呼吸おいて、大きな揺れが来た。隣の部屋で本箱が倒れる音、台所で食器類が落下する音。やっと地震だとわかったものの、金縛りになったように動けなかった。揺れがおさまりかけてふと見ると、妻が当時2歳の息子の上に覆い被さっていた。「母は強し」と思ったのは、後にも先にもあのときだけだ。

 大阪北部なので、大した被害はない。だが、テレビをつけてもラジオをつけても、「コンビニで商品が2〜3落ちた」だの「けが人の情報は入っておりません」だのと言っている。
 私のような素人でも、これは大変なことになったということがわかった。テレビで流れている被害よりも、自宅の被害の方が大きいのだ。ふつう、そんなことはありえない。

 妻の実家からは、地震後すぐ電話がかかってきた。とりあえず、お互いの無事を確認する。それで急に自分の実家が気になって、電話してみたが通じない。公衆電話の方が通じやすいということは知っていたので、外に出てかけてみることにした。なんと、ネグリジェ姿のおばさんが、今にも泣きそうになりながら電話しようとしている。「大丈夫でしたか」などの会話になった。
「もうお、家の中がぜんっぶ無茶苦茶! どうしたらええのん?」
 もちろん初対面だが、誰かに話したことで堰が切れたようで、半ば錯乱状態になって金切り声を上げている。
「でも、NHKなんかでは、大したことないみたいに言ってましたよね」
「うちに来て、見て欲しいわ! もう、ぜんっぶ、だめっ!」
 後でわかったことだが、同じマンション群に住んでいても、東西に長い棟と南北に長い棟とで相当被害が違ったらしい。私の住んでいた棟は被害の少ない方だったが、それでも本箱は倒れ、鉄筋コンクリートの壁にXクラックが入ったりはした。

 実家への電話はやはり通じない。愛知県に住んでいた兄に電話をする。義姉が出た。
「朝の忙しいときにごめん。地震が来たんやけど、ちょっと普通じゃないねん。そっちは大丈夫やった?」
「え、地震? ぜんぜん」
 明るい声だ。「ちょっと普通じゃない」は通じただろうか。あるいはオレが騒ぎすぎか?
 ともかくも、向こうからも実家に電話して無事を確認してくれるよう頼んだ。

 妻の実家は近くだ。早速駆けつける途中で、ブロック塀が倒れている。家に着くと、屋根瓦の落ちた玄関先で義母が途方に暮れて震えていたりした。

 2日経っても、神戸に住んでいる親戚たちの誰とも連絡がつかない。連絡のついた実家の父と相談の上、私がバイクに乗って様子を見に行くことにした。

 ・・・その経験を書き始めると終わらない。ただ、親類に関して言えば、家が全壊したのが3世帯、軽い被害だったのが1世帯だったと記憶している。避難所の体育館の入り口で親類の名前を叫んだりもしたが、幸いにも、だれも死んだり大けがをしたりはしていなかった(祖母の妹の家は全壊し、避難してすぐぼけ初め、まもなく亡くなったりはした。

              ・・・・・・・

 ほとんど何の被害もなかった私から見ても、実に理不尽なできごとだった。やはり神はいないのだ。ほんとうに残念だけど。
 ___

 (以下、2009.4.4記)

 すみません!! 祖母の妹は2009年ごろまで存命でした。2008年11月に祖母が亡くなり、「後を追うように」亡くなったというのが事実です。もう本人に謝ることもできませんが、「ごめん、おばちゃん、もう死んだと思とった」とはいずれにせよ言えなかったと思います。生死も誤解するなんて、祖母の妹ぐらいになるとほとんど他人なんだなあと身に沁みます。

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2005.01.16

■遅まきながらキーボード

 息子がキーボードの練習を始めた。いや、楽器ではなくパソコンだ。

 もともと外へ出て遊ばない子だし、目も悪くなるので、あまりパソコンは触らせないできた。だがこのご時世、パソコンなしでは夜も日も明けなくなるのは明白だ。そして、キーを打つ速度が速いか遅いかは、膨大な時間の損得となって返ってくる。

 もしパソコンを日常的に使うつもりなら、1日1〜2時間、ものの1〜2週間も練習すれば、まあ誰でも、タッチタイピングができるようになる。そうすれば、以後死ぬまで?キーを打つ膨大な時間が節約できる。にもかかわらず、そうなっていない人が多いのは驚くばかりだ。最近の若い人は違うのだろうか。

 欧米などだと、ついこないだまでは、スムーズにタイプできないことが逆説的にステータスシンボルになっていたりしたらしい。タイピングはタイピストの仕事だというわけだ。今はどうなんだろう?

 もちろん、人差し指2本で素晴らしい小説を紡げる人と、タイピングは早くてもろくな文章を書けない人がいるとすれば、前者になりたい。だが、後者はなかなか前者になれないが、前者は後者にも簡単になれるのだ。

 私自身は、高校時代、高価なタイプライターを買って本を見ながら練習した。もちろん、上のようなことを考えていたわけではない。昔の愚かな高校生のこと、活字的な英語が打てることがカッコイイような気がしていただけである(笑)。だが、お蔭で、何とか人並みにキーを打つことができるようになった。何が幸いするかわからない。あの頃にきちんとやっていなかったら、今も人差し指だけでパソコンを叩いていたかもしれない。

 息子の目の前には、古いとはいえ高性能のコンピュータがあり、楽しく練習できるフリーソフトもある。いい時代になったなあ。たぶん、すぐに僕より早くなるんだろうなあ・・・ なってほしいよなあ・・・

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2005.01.13

■小型機に横風

 iyotaさんから横風についてのご質問をいただいた。以前にも少し書いたことがある(その1 その2)が、いい機会なので自分なりにまとめてみようと思う。

 飛行機の動きは周囲の空気を基準としている。固定した地面を基準とした車などと大きく違うのはこの点だ。

 安定した空気の固まりがあり、その真ん中に飛行機がいると仮定しよう。仮に飛行機が止まっていても、空気が動けば(風だ)その分だけ動いたことになる。空中に浮かんだ風船の中で止まっている飛行機を思い浮かべてほしい。風船が風に流されれば飛行機も同じだけ動く。
 簡単に言えば、飛行機の地面に対する移動は、空気の移動ベクトルと飛行機自体の移動ベクトルの合成ベクトルによって表されるということだ(すみません、説明が面倒なので逃げました ^^;)

 したがって、時速20キロで移動中の空気の中を、「その空気に対して」時速200キロで飛んでいる飛行機は、空気の移動方向が飛行機の移動方向と同じ(追い風)なら「地面に対して」220キロで、逆方向(向かい風)なら180キロで飛んでいることになる。

 さて、問題の横風だ。ちょっと考えてみると、横風といっても、離着陸時と巡航時、また、コンスタントな横風と突発的なそれとで様子が違ってくることがわかる。

 まず、コンスタントな横風。巡航中であれば、地面を無視すれば!何の問題もない。訓練で飛んでいた夏の南カリフォルニアの午後が、そういう状態だった。強い西風がコンスタントに吹いているが、大気自体は安定しているので、飛行機は揺れない。飛行機自体が移動しようとしている速度・方向と、空気のそれとが合成された動きをするだけだ。真横からの風であれば、直角三角形の斜辺方向へ飛んでいることになる。まっすぐ飛びたければ、機種を風が吹いてくる方向へ向け、合成ベクトルが斜めにならないようにする。
 離着陸時は、これがとても重要だ。機種を滑走路に向けていても、風によって飛行機が斜めに流されたんでは、危険きわまりない。巡航中なら、別に風に流されてもどうということはないのだが、離着陸時は命に関わる。もちろん、巡航中でも意図した方向にまっすぐ飛ぶことは重要には違いないのだが、離着陸時には「絶対に」そうしなければならない。
 実際のところ、離陸時は、上がってしまってから流される分にはどうということはない(操縦が下手だとは言われる)のだが、着陸時は、流された状態のまま滑走路に降りたりするととんでもないことになる。

 次に、突発的な横風。レベルはいろいろあるが、関西の低い空ではコンスタントな風の方が珍しい。つまり、気流が安定していない(ただし海上では比較的安定している)。この場合、iyotaさんへのコメントにも書いたとおり、飛行機ごと取られる。左から風が来れば、機は右に傾く。操縦桿は取られないが、水平に戻すためには左に倒さなければならない。その意味では操作は必要になる。
 実際には、上げられたり下げられたりも加わって、いわゆる「揺れる」状態になる。家族は「気分が悪くなる」といって、あまり乗ってくれなくなった(笑)
 離着陸時は大変だ。そういう気まぐれな風にうまく対処して、常に機を滑走路の中心線上に保つ必要がある。そのためには、意図的に機種を斜めに向けたり、一方の翼を下げたりするのだが、風に合わせて細かい操作が要求される。飛行歴40年のベテランパイロットをして、「やっぱり一番難しいのは着陸ですね」と言わしめる所以だ。

 横風だと操縦も難しくて危険だし、追い風だと滑走距離が伸びるので、管制官やパイロットはできるだけ風上に向かって離着陸させようとする。通常使う滑走路とは別に横風用の滑走路が用意されていたり、同じ滑走路を使っていても逆方向から離着陸したりするのはそれが理由だ。

 機体重量が軽く速度も遅い小型機は、ちょっとした風の動きにも非常に敏感だ。書いていて改めて気分が引き締まった。安全運航を心がけようと思う。

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2005.01.11

■「和食ファーストフードのスタンダード」

 今日は珍しく、決まった時間に急いで昼食を済ませる必要に迫られていた。ちょうどその時間に移動もしなければならないのだが、途中に適当な店が思い浮かばない。コンビニのおにぎりにしようかと考え始めていたとき、「なか卯」が目に入った。そういえば、最近ここにできていたんだった。どういう店かは知らないが、おそらく、手早く昼食を済ませるには適しているに違いない。
 できる範囲で「スローフード」を提唱・実践している身として(笑)、後学のために入ってみることにした。

 入ってまず食券を買うシステムになっていることに驚いた。吉野家には大昔にたぶん2回ぐらい入ったことがあるが、食券ではなかったように記憶している。まあ、合理的だし、問題はない。
 カツ丼とカツカレーを宣伝しているふうだったので、ちょっと迷って後者にした。590円。牛丼騒ぎの時に、確か、280円とか言っていたのを考えると、倍以上である。この種の店で600円も出すのであれば、そう悲惨なものは出てくるまい。

 予想は当たって、ごくリーズナブルなカツカレーだった。だが一方で、「これでは苦しいだろうな」と思った。600円出せば、本格的なおいしいラーメンを食べることも可能だ。780円で立派な定食を食べさせる洋食屋も知っている。別に問題はないのだが、あえて「なか卯」を選ぶ理由がないことになってしまう。豚どんぶりは330円だったが、隣で食べているその豚肉を見た限りでは、かなり悲惨な食べ物に思えた。

 値段に理由を求めず、マクドナルド的店舗におけるファーストフードという形式に価値を認めるのなら、アリかもしれない。繁盛しているとしたらその理由を知りたくなる。

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2005.01.10

■気分は日本アルプス

 空港に向かう高速道路の掲示板に「横風注意」と出ていた。記憶にある限り、初めての経験だ。今日は飛ばない方がいいだろうか・・・
 フライトプランを出してエプロンに出ても、風が強いのはわかる。だが、横風にはならないので問題はないだろう。今年の初フライトに上がることにした。

 あっという間に滑走路から脚を離す。まだ滑走を始めたばかりなのに、もう離陸速度に達しているのだ。ほとんど滑走路は必要ない。これなら、学校のグラウンドからでも離陸できるのではないだろうか(笑)。気温が低くてエンジンの効率がいいのと、向かい風が強いためである。

 上がった瞬間、快哉を叫んだ。ものすごく空気が澄んでいて視程がいい。明石大橋がくっきりと見える。機首を北へ向けただけで、比叡山がはっきり見える。日本の空でこれほど眺めがいい日は数えるほどしか経験がない。

 予定通り、雪景色を見に行くことにする。自分の操縦する飛行機から見るのは初めてだ。
 琵琶湖西岸を北上する。高島町までは平野部に雪はまったくない。ところが、隣の安曇川町は湖岸まで一面の雪景色だ。

 幸い雲も高いので、谷沿いに山越えをして西進、朽木村に入る。山頂の雪が綺麗だ。いつかは日本アルプスの山岳地帯を飛びたいのだが、今の飛行機ではたぶん無理だろう。気分だけが日本アルプスである。

 飛ぶのが億劫だった。風も気になった。だが、考えていても仕方がない。とにかく家を出るのだ。とにかく何か行動を起こすことだ。飛ぶのに限った話ではなく・・・

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2005.01.09

■憧れの圧雪路を行く

20050109asseturo

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2005.01.08

■遅まきながら・・・

 タイヤをスタッドレスに入れ替えた。タイヤ屋さんに着くと、「シーズン最終!」「スタッドレス最終処分」などの看板。人がこれから履き替えようというのに・・・

 到着して、ポーチを忘れたことに気づいた。財布もカードもケイタイも何もない。こんなことは初めてだ。タイヤとボルトを車に積み込むのに必死で、全部積み込んだと思って安心して出てきたら、玄関にポーチを忘れていたのだった。

 幸い、もしもの時のための3千円(セコイな)が車の中にあるのを思い出した。あと、小銭入れも。おそるおそる交換工賃を聞くと2千円だという。家まで戻らずにすんで助かった。

 こういうこともあるのだなと、改めて思った。こんなことをここで発表するとまずいのかもしれないが、もしもの時のために、せめて1万円ぐらいとクレジットカード1枚ぐらいは車に積んでおこうかと思う。

 以下は備忘のために。
 夏ホイールはきれいに洗ってワックスまでかけておいた。前回の教訓があるので、今度はちゃんとダンボールを敷いて傷つけることなく完了した。

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2005.01.07

■真冬の蚊

 実家で蚊を一匹殺したと思ったら、いつものトラットリアにも蚊が飛んでいた。カウンターの向こう側だったので、残念ながら殺せなかった(すみません、蚊に関しては殺生を厭いません)。

 どちらもたぶん、コガタアカイエカだ。もうまもなく、熱帯の伝染病が日本にも上陸するかと危惧されている。マラリアとかデング熱とかの類である。既にアメリカでは西ナイル熱が猛威をふるい始めた。

 真冬の蚊は、不吉な前兆に見えてしまう。

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2005.01.05

■駅前の風景

 大都市近郊にある中都市の駅前ビルの看板だ(右奥が駅)。ここに写っている16のテナントのうち、なんと9つが消費者金融。繰り返すが、駅前ビルである。
 なんという世の中だろう・・・

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2005.01.04

■日常へ復帰

 内臓脂肪が溜まらないようにと、永久ダイエット中なのですが、年末年始はお休みしていました。生まれて初めて、おいしいフグを「もういい」というぐらい食べたり(笑)。結果は正直で、2キロほど太って体脂肪率も3%近く上がりました。

 仕事も生活も日常へ復帰しなければなりません。2キロ減るのはいつのことかな・・・

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2005.01.02

■何を教えるべきか

 タイ北部を旅行していた知人からメールが来た。震源地から遠く離れた現地でも相当揺れたそうだ。「揺れを感じたら海から離れる」というごく単純な常識が人々にあれば、と無念に思う。そういうことをこそ、教育しておかなければならないのに。

 動物たちは、教育されていなくても察知したらしい。今回の津波で甚大な被害を受けたスリランカ南部のヤラ国立公園では、多数の動物がいるにもかかわらず、ウサギ1匹、死骸が確認されていないという。副園長は動物が津波を予測して逃げたと推測しているそうだ。(ロイター)
 その推測が正しいかどうかはわからない。だが、いずれにせよ、そういう能力がないわれわれは、知識として学んでおかねばならない。

 災害への対処方法だけではない。簡単な法律や契約の概念、経済・金融・保険などの基礎知識、病気やけがに関するあれこれ、掃除洗濯料理の仕方、子育ての方法・・・ 要するに、実生活を営む上でのプラクティカルな知識は不可欠だ。ほとんどの人にとっては微分積分よりも間違いなく重要だと思うのだが、これらはほとんど教えられることがない。

 「だれに何を教えるべきか」を抜本的に考え直すべきだとずっと以前から思っているのだが、私が何を思ってもどうにもならないのがもどかしい。

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2005.01.01

■Happy First Anniversary !

 みなさま、明けましておめでとうございます。

 昨年は平凡な年ではありましたが、ココログを通してみなさまと出会えたことは大きな収穫でした。今日は、何といっても、その1周年をお祝いしたいと思います。

 今年も、そしてこれからも、よろしくお願い申し上げます。

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