●サクラサク
朝、自宅前の桜が2つだけ開花してました。
入学式や始業式は満開の下となりそうです。
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職場に、どうにも使えないデッドスペースがある。机の横だ。柱の出っ張りのせいもあって、隙間ができてしまっており、床には埃にまみれたコードが這っている。
幅はほんの30cmほど。四方をモノで囲まれているので、隙間家具すら置けない。
かれこれ3年ほども放っていたのだが、気分に余裕ができたのだろう、ちょっと日曜大工でもしようかという気になって、ぴったりのサイズの机(というより、台)を作ってみた。
幸運にも、ホームセンターで近いサイズの板が見つかり、脚の長さをうまく調節して設置、高さが机と同じになるようにした。
それで隙間が綺麗に埋まり、埃よけとコード隠しができたのみならず、机を狭くしていたレーザプリンタをそこへ移せたので、スペースが広くなった。
ついでにそこいらを片づけると、ほんの少しだが、新年度を迎える新鮮な気持ちも出てきた気がする。
それにしても、何かモノを作るというのは、具体的な喜びがあっていい。所詮、プラモデル以下の組み立てをしただけなんだけれど。
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たぶん恵まれているのだろう。客観的に見て本質的に不愉快になるようなことはほとんどない。いや、もちろん、人並みに?働いていて家庭も持っているのだから、いろいろとストレスの溜まることも少なくはない。体も健康とは言えないし、楽しいことも多くはない。本格的な不幸につながりそうな芽もいくつか出たことはある。
だが、職場の人間関係に深刻に悩んだり、理不尽な仕打ちを受けたり、どうしようもない不幸を経験したりすることとは、今のところほぼ無縁だ。
摩擦を起こすことは全力で回避するので、他人と争うこともほぼ皆無、諍いもない。
でも、だからだろう、たまにちょっとしたイザコザがあると、精神的にとても辛いし、尾を引く。そんなことでなくても、所有物のちょっとした不調や故障で落ち込む。修理に出せば済む程度のことでも、気分が暗くなる。
特に、信頼関係のない相手とのイザコザは最悪だ。早い話が、電車で痴漢を注意して殺された人だっている。こちらはぜんぜん悪くなくても、相手が低レベルの人間だと、逆恨みされたりすれば何をされるかわからない。ああ、また暗くなってきた。
今日の小さなイザコザの相手は、信頼関係のない相手だ。しかも、こちらはぜんぜん悪くない。さらに、その言動から相手が粗暴な人間であることもわかった。日常的に言葉を交わすような相手ではないからいいようなものだが、用心するに越したことはない。
もちろん、こちらも不愉快だった。だが、それよりも、心配が先に立ってしまう。「我ながらいい人だなあ、もっと怒ってもいいのに」と思うと同時に、こんなつまらないことでくよくようじうじするなんて、なんて情けないんだろうなあと思う。
まあ忘れよう。しかし理不尽だ。どうして被害者である私が気に病まなければならないのか。相手は、勝手に怒って私を責めたり逆恨みしたりしているんだろうなあ・・・
だが、ああいう手合いにはそれにふさわしいイザコザが毎日のように降りかかっているに違いない。それが自分のせいだと気づかずに人生の晩年を迎えているのだろう。果たして幸せなのか不幸なのか。たぶん、幸せなんだろうなあ・・・ 自分もああいう恥知らずの単細胞であればよかったと思ってしまう。
・・・・・読み返すと、こちらが嫌な奴みたいでまた落ち込む。
でも、怒っても恨んでもいないのだ。ただ相手の逆恨みを心配しているだけ。こんなことでは、どんな不正を見かけても、声を上げることすらできないだろう。それでいいのかもしれないけれど。
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春はどこにも行けなくなってしまった。
あれはもう、十数年も前、ひと月近くアメリカを旅行したのなんて夢のようだ。旅行するために生きてるつもりなのに(笑)、実際に旅行らしい旅行に行けるのはせいぜい年に1回のみ。「旅行らしい旅行」なんて贅沢を言わなくても、昨夏以来、たった1泊の家族旅行すらしていない。
数年前、「月に1回、1泊旅行をしよう」という目標を立てたこともあったが、その月にすら達成できず、以後、8月を除けばたぶん1度も達成されていない。今や、見果てぬ夢となってしまった感がある。
そんなに忙しいわけでもないのにこの程度の「夢」が実現できないのは、何に問題があるのだろうか。かくまで人を捕まえて離さない「日常」からの脱出は、ハタチ以来のテーマだ(笑)。
今回も、どこかへ行こうかと検討を始めたのだが、いつものように取りかかるのが遅すぎたこともあって、結局挫折した。しかし、何が何でもどこかへは行きたくて、生まれて初めて、家からほとんど離れてない場所に泊まることにした。趣味ではないのだが仕方がない。
遠くへ行くのとはまた違う何かがそこにあるだろうか。あるとは思えないのだが、ともかく少し、日常から離れてみる。
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島根県議会が「竹島の日」という条例を圧倒的多数で可決して自らの愚かさを誇示していると思っていたら、今度は韓国の馬山市が「対馬の日」(対馬島(テマド)の日)という条例を全会一致で可決したという。
愚かさの競い合いでは、馬山市の勝ちかもしれない。だが、歴史的な経緯を考えると、こうまで愚かに突っ走ったことを手放しで嘲笑する気にもなれない。
いずれにせよ、愚かさを笑っているばかりはいられない。歴史上、多くの戦争が、愚か者たちによって引き起こされてきているのは明白なのだから。
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今年の夏は長く休めないなあ・・・と話していると、じゃあどこか1箇所に絞って滞在しようか、ということになった。なぜかいつも流浪の旅となってきたこれまでとは少し趣が違う。
つい先日のことなのに、もはやどうして決めたのか思い出せないのだが、あっさりとイエローストーンに行くことになった。アメリカにある世界最初の(ほんとかよ)国立公園である。間欠泉で有名だ。
十数年前に買ったガイドブックがあったのでちょっと調べてみると、公園内の宿は半年前でも予約でいっぱいとか書いてある。まさかと思いながらネットで見ると、一番泊まりたい宿は残り2部屋!。しかも、ベッドが一つで風呂もない。
しかし、これを逃すと、二十年来憧れているイエローストーンに行くチャンスを逃してしまいそうで、その場で予約を入れてしまった。
新しくガイドブックを買い直し、事前に旅程を考えて、結局、到着日と帰国日を「除く」すべての宿を取ることになった。いつもとはまったく様相が違う。いつもは、航空券を押さえ、到着日と帰国日の宿だけ、先に取るのだ。今回は、そのいずれもまだ取っていない。
圧倒的に供給が不足しているらしいイエローストーン内の宿だから、今からでも(確かに半年を切って5か月前だ。しかし、まだ年度も変わってないのに、誰が夏休みの旅行の計画なんか立てようと思うだろうか)押さえておかざるを得ない。それにしても・・・
海外旅行がどんどん、計画的になってきた気がして寂しいような気がする。だんだんと予約する宿の泊数が増えてきて、ついに全泊予約で出かけることになりそうだ。こんなことは初めてである。まあ、今回は上記の特殊事情があるとはいえ、なぜか毎回、徐々に事前予約する泊数が増えてきているのだ。
放浪とか流浪とか、足の向くまま気の向くままとか、実際には概ね予定のルートをたどりながらでも、そんなロマンの一端を味わいたいセンチメンタリズムが、徐々に失われてしまっている。
青春が終わりつつあるとも、大人の旅になってきたとも言えるのかもしれない。仕事の都合で、トップシーズンのお盆にしか出かけられないという制約もある。
まあ、宿探しの苦労がないのはいいことだ。それに、時期も場所も、事情が事情なのだ・・・
だが、これ以上にフィックスされた旅はもうない(あ、パック旅行は除く)。だとすれば、今度は徐々に、もとの「流浪」に戻っていくことも可能かもしれない。たとえそれが、安っぽい感傷を満たすための方策だとしても。
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いつのころからか、春という季節が好きになってきた。必然的に、その訪れを待つようになる。どういった心境の変化だろう。
一番古い記憶は20代前半のころ、初めて新緑の美しさに気づいて驚いたことだ。宝塚から山の方へ入った道だった。どうしてそのころまで、あの美に心うごかされることがなかったのだろう。
冬の厳しさが好きで、雪景色が好きだ。秋の哀愁が好きで、紅葉が好きだ。
夏はちょっと苦手だけど、海で泳ぐのは好きだし、懐かしい記憶を引き出すトリガーになる強い日射しは嫌いじゃない。
なんだ、どの季節だって好きになってきたっていうことじゃないか。
でも、真冬は好きでも、晩冬になると春を待つ気持ちの方が強くなる。今年は花粉が大変だが、それさえなければ春が待ち遠しい。
今日は、暖かい日射し以外に春を感じることが2つあった。ひとつは悪いニュースで、もう一つはその逆。
ありがたくない方から。職場でも自宅周辺でもかなりの蚊が発生していた。屋内で越冬する蚊は目撃したが、屋外であんなに見たのは今日が初めてだ。何だか早すぎるような気がするのだが、大丈夫だろうか。
さて、素晴らしいニュース。万博公園付近で、キジの鳴き声を聞いた。ウグイスの囀りと同様に早春を告げはするが、囀りというにはあまりにも散文的な、あの「雉も鳴かずば打たれまい」と称される鋭い大声(←クリックすると音が出ます、ご注意)である。万博公園では複数の箇所で見られたキジが絶滅してしまっているようだが、周囲のわずかな緑の中で、まだ生きているのだ。
なんだかほっとして、ちょっとだけ幸せになった早春の夕暮れであった。
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東京電力がフジテレビのTOBに応じた件で、株主の女性が代表訴訟を起こす準備を始めたそうです(asahi.com)。案の定、というか、やっぱり思った通りの展開になってきました。当然ですね。
あまりにも当然なので、東電の役員にしても、「織り込み済み」「想定内」ということであろうとは思うのですが・・・
損害はちょうど1億円ぐらいだったんですね。思ったより少なかったな。
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懲りずに鳥見に行ってきた。今回は奈良公園。生駒山を貫くトンネルが整備されていて、家から片道1500円取られるが、奈良まで45分ほどしかかからない。頭の中は「奈良行きは2時間仕事」のイメージのまま。奈良公園はすぐ近くなのに、生涯で(笑)3〜4回しか行ったことがない。
アイガーとユングフラウの麓、スイスのグリンデルワルドにさえ、3回行ったことがあるのだが・・・
ウグイスの初鳴きが聞けたものの、鳥が少なく感じられる中、ビンズイ・トラツグミ・アオゲラ・アトリが見られたのは収穫だった。探鳥会でないと、自分の力で見つけられる鳥ははるかに少なくなる。上の4種も、誰かが見つけて下さらなければおそらく見られなかっただろう。ありがたいことである。
観光客やシカがあふれている奈良公園に、まさかアオゲラがいるとは思わなかった。以前一度だけ、大台ヶ原で見たことがあるが、まだ2度目だ。堂々たる大きさのきれいなキツツキである。すぐに飛んで逃げたりはしないので、じっくり見ることができ、頭を上にしたまま器用に幹を降りていく様子なども観察することができた。
アオバトがよく見られるらしいのだが、今回もまた、幻のままで終わってしまったのは残念だ。
お昼前に解散。探鳥会の間は、晴れのち曇りとまずまずの天気だったのだが、前日の天気予報で言っていた寒気団が降りてきて、午後は雨模様から雪になり、一時はアラレの猛吹雪となった。みるみる地面が白く染まっていき、鹿の背中に雪が積もるのには驚いた。
そんな中、会の間には見られなかった、キセキレイ・ジョウビタキ・ルリビタキにも遭遇できたのは幸運だった。
たまたま、東大寺二月堂で行われるお水取りのクライマックスの日だったらしいのだが、夜まで待つのも疲れるので、4時前に奈良を後にする。お水取りもテレビ以外では見たことがないのだが、近くで行われる行事にはありがたみを感じられない体質で、困ったものである。
それにしても、花粉症の症状が大爆発だ。目はかゆくて真っ赤になるし、鼻も大変なことになってしまった。先週は大丈夫だったのに、3〜4日暖かい日が続いていたので、一気に花粉が増えたのだろう。こんなことになるようでは、当面鳥見にも行けそうにない。早くとも桜が散るまで、憂鬱な季節が続く。
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なんでも、世の中はライブドアとフジテレビの争いで持ちきりらしい。頑迷固陋な旧世代を代表する夜郎自大なオッサンと、傍若無人な新世代を代表する荒唐無稽なオッサンとの醜い闘いに見えるせいか、あまり興味はない。「支配」しようが「破産」しようが「殺」そうが、そっちで勝手にやってくれ、という感じだ。巻き込まれている人たちには申し訳ないけれど。
それにしても、自分がどちらの世代にも属していないことを再確認したような気がするのはおもしろい。「新人類」と呼ばれた世代ではあるが、何かと影の薄いわが世代を意識してしまう。有名なのは、宗教とか性がらみの変な犯罪者ぐらいで情けない。
まあ、世代といっても人それぞれだが、すくなくとも私自身は明らかにフジサンケイ世代でも、ホリエモン世代でもない。旧秩序を墨守するのにも、それを無礼に破壊するのにも、感覚的になじめない。よくいえば?中庸、悪くいえばどっちつかずなのだろう。
(フジサンケイの戦前懐古趣味は嫌いだけれど。)
今回の騒動で、個人的に一つだけどうでもよくないことがあるとすれば、それは、東京電力や講談社・三菱電機など、ニッポン放送の大株主が、フジテレビのTOBに応じたことだ。
このことがそれほど騒がれていないことには違和感を覚える。
周知のごとく、今回フジのTOBに応じたということは、市場で株を売るのに比べて純粋に損をしたことを意味する。東電の損失は、億単位になっているはずだ。個人で応じた人がいるとすれば、単純にいえばフジテレビに差額を寄付したことになる。まあ、どこかの会社に寄付をするのは個人の勝手だ。
だが、利潤を生むことを目的として成立している株式会社の取締役が、明白な損失を出す行為を意図的に行ったとすれば、商法上の特別背任罪になる。
そうでないというならば、この億を超える損失が、実は会社の利益なのだということを明快に説明できなければならない(おそらく無理だ)。罰則は、10年以下の懲役または8千万円以下の罰金。軽い罪ではない。
また、株主代表訴訟でも起こされれば、取締役たちは個人的にその損失分を会社に対して返還する義務を負うかもしれない。東電の株主にはうるさがたも多いから、おそらくこれは空想次元の話ではない。まあ、億単位の損失ぐらい、いざとなれば取締役がお金を出し合えば何とかなると思ったのかもしれない。なにせ、公表できないぐらいのとんでもない役員報酬を得ているのだから。
だが、特別背任は犯罪だ。親告罪でもない。さて、検察は捜査を始めるだろうか。それとも、旧世代同士の身内?のかばい合いになるのだろうか。あの堤義明氏が逮捕される時代だ。予断を許さない。
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ここ大阪北部では、日曜日は真冬、月曜日と火曜日は春の陽気。
だが今や、多くの人が「春の襲来」を感じるようになってしまっている。花粉症歴25年の私も、もちろん例外ではない。春が襲いかかってくるなんて、なんたる不幸かと思う。
もう一つ、コメントスパムの襲来。軽く100件以上は消したが追いつかない。こんなもの、杉花粉と違って簡単にブロックできると思うんだけど、何やってるんだろう、ニフティ・・・
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このブログのタイトルは「空と旅と風景と」だ。いい年をしてカッコつけてるみたいでみっともないのだが、自分では気に入っている ^^;
その下に、副題としてその時々の気に入ったフレーズを入れるようにしている。唯一、出典を明らかにしていない引用が多い箇所だ。言語(英語)帝国主義には歴然と反対の立場なのに、ここに引くのはほとんど英語になってしまっている。私も英語帝国主義の犠牲者、洗脳されてしまっているということだろう。
それにしても・・・ この副題、時々変わっていることを、どのぐらいの方々が気づいて下さっているのだろうか?
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相変わらず、小型機が落ちる。今回は、残念なことに、両方とも搭乗者は全員死亡した。
日本の機は、和歌山県の南紀白浜空港から佐賀空港に向かっていて高知県の山中に墜落。アメリカの機は、訓練生二人と教官を乗せた、夜間飛行訓練中の事故。
いずれも、現在のところ原因は不明だが、機体や計器の故障でなければ、要するに「見えなかった山に激突した」という可能性が高いだろう。
有視界飛行では、原則としてパイロットの目に頼って飛ぶ。したがって、もちろん、周りが見えないときには飛んではいけない。それでも、刻々と変化する光線や気象の関係で見えにくくなることはある。その時は、コースを変更したり高度を上げたりするのが普通だ。出発空港に引き返すことも厭ってはいけない。
だが、引き返すのが嫌で航行を継続したり、雲から出たくて高度を下げたりして、事故に至ることが少なくない。また、周囲が見えないと、上下の感覚がなくなる空間識失調に陥りやすい。水平飛行しているつもりで急降下しており、気づいたら山が目の前ということもあるのだろう。そのためにパイロットは、自分の感覚を信用せず、計器を信用するように叩き込まれる。
今回の事故ではなぜ「見えなかった」のかはわからない。いや、それ以前に、機体や計器の故障だった可能性もある。航空機の事故調査は徹底的になされるので、それが終われば、ある程度原因はつかめるだろう。つらいことだが、生き残ったものはそれを教訓としていくしかない。
それにしても、佐賀空港。いつかは降りてみたい空港だ。九州へ行くときに旅客機に乗って上空を通りかかり、その美しさに感動したことがある。海上に綺麗に浮かんでいて、見つけやすく降りやすそうに見えた。そのうち行くぞ、と思っている。
(後記:↑佐賀空港と大分空港を勘違いして書いてました。見たのは大分空港です)
アメリカ、カリフォルニア州での夜間訓練。ロサンゼルス空港上空を滑走路に直角に横切ったとき、降りてくる飛行機が真横にたくさん連なっていたこと、ディズニーランドやサンタモニカの上空を、夜景を楽しみながら飛んだことなどをまざまざと思い出す。夜の底から聖母のようにやさしく導いてくれたヴァンナイズ空港の管制官の声も。
楽しいはずの飛行が一瞬で暗転する。だが、飛びたければ、自分だけは墜ちないと信じて飛ぶしかない。
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今使っている携帯電話のバッテリが死にそうになってきたので、電話自体を新しいものに替えた。といっても、多くの人たちとは違ってほとんどケイタイに興味がないので、とんでもない機種である。いまどき、インターネットもメールもできず、カメラもついていないのだ。液晶はTFTではなくSTN。売っているのが奇跡のような存在かもしれない。
でも、シンプルでスッキリしたラインのデザインが気に入っている。待ち受けだけなら3週間!充電しなくていいと書いてあるのも、ものぐさな私にはいい。
ただ、何となく、昔、仲間由紀恵が持っていたauのヒット機種の真似をしたようにも見える。控えめに言って、向こうのコンセプトをヒントにしたと思われる(笑)のが残念だ。
これとは別に、TU-Ka からは高齢者用ケイタイが発売されていて、ヒットしているそうだ。これまでケイタイを持っていなかった層に浸透しているらしい。
パンフに載せられた操作方法の写真では、左手で持ったケイタイのボタンを右手の人差し指で押している。「直接係の者につなが」る「安心ダイヤル」も用意されている(機械が応答して「用件に応じて番号を押せ」というアレではないのだ)。
これからの時代、高齢者をターゲットにするのは正しい選択なのかもしれない。ツーカーステーションでも、このケイタイだけはタダでは手に入らないのである(訂正:私の行った店ではキャンペーン中で無料でした。また、もっと高いのもありました。)。
しかし、まったく何の機能もなく、最悪のデザインである(「グッドデザイン賞」を受賞しているのが笑える。いくら「ユニバーサルデザイン賞」であるにしても)。
これが売れるのなら、他社がもっといいデザインで追随しそうで気がかりだ。ケイタイ会社としてほとんど無視されてきたTU-Ka。私にとっては間違いなく一番料金が安いので、これからもがんばってもらわねば困るのだ。
それにしても、手数料2100円だけで、10分ほどの間に新機種に入れ替わったのには唖然とした。幼いころ、黒電話を引くのに2年間待った記憶を持つ身としては驚きを禁じ得ない。昨日やっと半額になったNTT(当時は電電公社)の「施設負担金」(つい一昨日まで7万2千円だった)も、当時は一財産だったはずだ・・・
学生のころ、彼女に電話するために、夜、家を抜け出したりしたのが懐かしい。だが、せっかくの電話を彼女は居間で受けざるをえず、横には父親やら母親やら弟やらがいて、まともに話すことはできなかった。
簡単に電話が手に入るようになってからは、かける相手がいない。皮肉なものである。
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日本体育協会が会長候補選考委員会を開き、全会一致で森喜朗前首相(現衆議院議員)に会長への就任要請をすることになったという。森前首相は内諾済みだそうだ。(朝日)
・・・まったくもう、何を考えてるんだか。自ら「体育」のイメージを悪くしたいのだろうか。
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