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2005.04.30

★おいしい蕎麦屋

 知る限り、北摂(大阪北部)においしい蕎麦屋は4軒ある。もう1軒、おいしくて有名な蕎麦屋があるのだが、そこは明らかにうどんのほうがおいしい(笑)。冬になると、お客さんの大多数が鍋焼きうどんを頼んでいる。それを入れれば都合5軒になる。

 おいしい蕎麦屋のうち、2軒は既にここで紹介した。もう1軒についても触れた。今日紹介する店で、手持ちの?蕎麦屋すべてである。

 ・・・といいつつ、今日は早めに寝る予定。

 お店は「更科」。場所は阪急の茨木市駅近く(茨木市本町2−16 電話:072-624-2616)。5月11日からは水曜日定休で、昼も夜もやるようになるらしい。現在は土日祝だけ夜もやっている。
 蕎麦もおいしいが、ささめうどんも絶品。うどんは、一時やめていたのを復活なさったらしい。

 詳しくは後日・・・(これで十分かな?)

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2005.04.29

★窓拭き草むしりペンキ塗り・・・

 JR西日本のいう「日勤教育」の内容がさらに明らかになってきました。

 ミスをした運転士に窓拭きや草むしりやペンキ塗りなどをやらせるとか。

 いやもちろん、それも立派な仕事だし、普段からやってるんなら別にいいんです。でも、それが運転技能の向上に結びつかないのは明らかだし、いじめ・しごきの手段となっている点が異様です。

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★不毛な競争と愚かな精神主義

 原因が何も分からないうちから運転士個人を断罪するような報道を繰り返していたマスコミが、掌を返したように 会社としてのJR西日本バッシングをやっている。番組によって違うとはいえ(たとえば27日28日の『ニュース23』には見識を感じた。もしかすると、JRの悪口が言いにくい理由が何かあるのかもしれないが)、それ一色とすら見えるほどだ。
 次は何を槍玉に挙げるつもりだろう。

 とにかく、「無垢な」犠牲者に単一の「悪玉」を対応させて、勧善懲悪をやらなければ気が済まないような単細胞のマスコミを持つことは幸福なことではない。マスコミは水戸黄門であってはいけないのだ。
 そのことについて何か書こうかと思っていた。

 が・・・

 JRバッシングの理由の一つとなっている「日勤教育」に代表される「しごき・いじめ」の話を聞くと、なるほどそういうことはあるのだろうなと納得させられてしまった。

 以前の勤務先で、体調を崩した者を「たるんでいるから」だと切って捨てる先輩?がいた。もちろん、可能性としてはそういうことがないとは言わない。
 だが、その可能性は低いし、そういう診断とそこから導かれる処方箋は、ほとんどの場合、病気を治せず、次の病気の予防にもならない。
 それどころか、無用に相手を傷つけるばかりだ。

 列車の運転士の技術に問題があってオーバーランするのなら、技術の向上に結びつく生産的な研修をすればいい。車掌室で立ったまま居眠りをするようなら、無理な勤務態勢を改めるべきだ。
 「たるんでいるからだ」と集団でいびり、「反省文」を書かせて「教育」と称しているのでは(ほんとにそうなんですよね、報道各社様)、技術の向上は望むべくもない。第一、自尊心なしの技術向上は想像できない。
 一流の技術を持った職人肌のベテラン運転士に冤罪をかぶせ、「教育」と称して自尊心をずたずたにし、自殺にまで追い込んだという(これも、ほんとなんですよね・・・)例が雄弁に物語っている。

 不毛な競争から過酷な勤務を強い、ミスをした者は愚かな精神主義によるしごきで追いつめ処罰をちらつかせて脅す。そしてそれはもちろん事態の改善には結びつかず、むしろ破局へと突き進む下地となってしまう。

 ・・・何だか、先の大戦時を髣髴とさせるような話だ。この国の土壌にそういう伝統があるのかもしれないと思うと、暗澹たる気持ちになる。
 鬼の首を取ったようにこれを糾弾しているマスコミの現場そのものが、愚かな精神主義に基づいたしごきの現場だということはないのだろうか。

 愚かな精神主義の方はともかく、不毛過当な競争自体は近代以降の?われわれの?文化の集積が生み出している気がして残念だ。
 少なくとも個人的には、なんとかそこから抜け出したいと思う。たとえ、いくばくかの後ろめたさを抱えつつであっても。

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2005.04.27

★藤田まこと氏と遭遇

 夕食を取ろうと某所に入ると、奥の隅の席に藤田まこと氏がいらっしゃって、数人でお食事中でした。いや、ただそれだけ。

 田舎暮らしで街にあまり出ないせいか、長い人生?で芸能人と遭遇したのは数回しかありません。それも、大阪の繁華街(難波)とか京都の清水寺とか空港とかだけで、生活圏でお会いしたのは初めてかも。

 帰って新聞を見ると、9時から『はぐれ刑事純情派』というのをやっていて、主演なさっているようです。見たことがなくて申し訳ない。もうすぐ始まるし、今日ぐらい見ようかな・・・

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★秋?

 春なのに枯れ葉がたくさん落ちています。今はこれがクスノキの葉だとわかることがちょっと嬉しい ^^

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2005.04.26

★諸行無常・・・

 先日、日本最初の職業アクロバットパイロット、ロック岩崎(岩崎貴弘氏)の事故死にあたって追悼文を書いた。

 氏の著書を読むと、具体的な他人の死がいつも身近にあり、自己の死への意識も常に頭の片隅にあったことが読み取れる。いくら「敵」とは交戦しないとはいえ、限界に近い困難な飛行を要求される戦闘機パイロットとしては当然のことだったろう。
 エアロバティック(アクロバット飛行)を始めてからも、それは同じことだったに違いない。そして現実に、F15で戦闘訓練をしているときには生き残った彼も、エアロバティックで命を落としている。

 おそらくはふつうの人よりも死の可能性に怯えている私は、自分が操縦する機がごく平和に離陸するときでさえ、脚が滑走路を離れた瞬間から、生きて地面を踏めない可能性を意識する。
 いや、たとえば「明日飛ぼう」と思ったときから、微妙に不安な気持ちが脳裏を掠める。もちろん、その種の「予感」は予定調和的に外れ、何事もなく滑走路に帰ってくるのが常だ。少なくともこれまでは。

 バイクを運転しているとき、自転車に乗っているとき、歩いているときには、この順に、自己の死を意識する。車を運転しているときには、むしろ他人の死を意識する。これら意識が、幸いこれまで事故を起こさなかった理由の一つだろう。
 バイクに乗っていたころは、あわや、という経験も数回あった。若いころ、老人になっても乗り続けようと思っていたバイクを降りた理由はいろいろあるが、恐くなった、というのがもっとも大きいような気がする。
              ・・・・・

 だが、人はふつう、列車に乗っているときには自己の死を意識しない。メールを送ったり本を読んだり居眠りしたりしている。あるいは隣人との会話や車窓の風景を楽しんでいる。
 もちろん、いつ何が起こるかは分からない。しかし、「自分は今、高速で移動中であり、それは本質的に危険を孕んだ行為なのだ」と意識している人はたぶん多くはない。
 列車に乗るとき、たいていは前の方の車両を避けている、変人めいた私でさえ、列車に乗っていて死を意識することは稀だ。

 それでも死は理不尽にわれわれに襲いかかってくる。それは多く、九死に一生を得たと言われる僥倖と紙一重だったりする。

 先ほど日付が変わって昨日となった2005年4月25日には、兵庫県の尼崎駅手前の列車脱線事故以外でも、パリ郊外では観光バスが高速道路から転落して死者が出たし、千葉では発砲事件で2人が死亡しているという。これ以外にも、事件や事故に巻き込まれて亡くなった人は多数いるに違いない。

 入浴中に死亡する人だけで、国内で推計毎日40人程度いるという。交通事故死する人が20人、自殺する人は100人に届こうとしている。繰り返すが、日本国内1日あたりの数字だ。

 1年間なら、そして、理由を問わなければ、死亡する人は国内だけで100人を超えている・・・

 高校の時に、「諸行無常」という言葉を習った。以来、無常観は私の根底を流れ、さまざまな理由とあいまって、人生を楽しむのを邪魔している。だいたい、無常観なんて、生きのいい高校生に教えることかよ。半ば真面目に、それを知らなければ違った人生があるのではないかという気がするぐらいだ。

 だが、たとえ知らなくても、無常は突然、われわれに襲いかかってくる。電車の中で家族にメールを打っているときに。「今日のお昼、何を食べようかなあ」と考えているときに。
 そしておそらく残された誰もが、「きのふけふとは思はざりしを」という古人の嘆きを繰り返すことになってしまうのだ。

 黙祷

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2005.04.24

★ご趣味は?

 お見合いはしたことがない。だが、趣味は? と聞かれることはないではない。これまでは、「いえ、特に・・・」と答えるのが常だった。

 まだそういうふうに答えたことはないと思うが、今聞かれれば、もしかすると「バードウォッチング」と答えてもまんざらウソでもないかもしれない。何しろ、ここのところ、毎週のように鳥見に出かけているのだ。

 今日は大阪城公園。さすがに梅はなくなったが新緑が見事だ。八重桜も満開である。

 春と秋のごく短い期間にしか見られない鳥、キビタキやオオルリ、センダイムシクイやコサメビタキなど、初めて見ることができた鳥を含め、多くの鳥に出会えたのは幸運だった。

 残念だったのは、公認非公認含め、下手な楽器の演奏が激しくて、鳥の声を楽しめる雰囲気ではなかったこと。まあ、都市公園だから我慢するしかないか・・・

 そろそろ葉が邪魔して鳥の姿を隠すことが多くなった。これから種類も減り、ますます葉が茂る季節になる。暑さも日差しも厳しく、鳥見にとっては困った季節が来る。
 これまでなら、意識してバードウォッチングにでかけることはなくなったシーズンだ。

 今年はもう少しがんばってみようかと思っている。

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2005.04.21

★追悼:ロック岩崎

 車の中でラジオをつけると、1時のニュースが終わるところだった。トップニュースの繰り返しのような感じで、兵庫県北部の但馬空港でアクロバット飛行を練習中の飛行機が墜落し、操縦士が重体だと言っていた。

 飛行機乗りの端くれとして、ある種の感慨はあった。でもそれだけ。エアロバティックに事故はつきものでもある。

 久しぶりにいつものトラットリアで前菜を食べるころには、そのニュースを忘れていた。今日のココログにエントリする記事の題名も決めた。「前菜春色」だ・・・

 仕事帰りの車の中で聞いたニュースでは、もう墜落のことには触れていなかった。続報が気になったが、そんなに一般の人の気を引く大きなニュースでもない。

 が、家に帰って何気なくasahi.comを開くと、いきなり墜落したピッツの写真が飛び込んできた。白と赤が目も綾な複葉機。格納庫で、滑走路で、空で、見慣れた機体だ。携帯用の航空無線機にサインしてもらったときにあった、「空へ!!」の文字もある。機番も JA22AR。間違えようもない。まさか、重体の操縦士って・・・

 違う人が操縦していたかも、と思いながら記事を読むと、重体だった岩崎貴弘氏、通称ロック岩崎は、すでに帰らぬ人となっていた。

 氏の飛行を初めて目の当たりにした日のことを思い出す。やはり但馬空港でのことだ。

 イベントのために張られた大型のテントが飛ばされそうな風の中、ロック岩崎の操縦するピッツは、あくまで水平に、あくまで垂直に、まるで風など関係ないかのごとく、神業のような飛行を続けていた。くるくるくるくると落下してきても、風に流されている様子はない。上空に風はないのか? と錯覚させるほどの飛行だ。
 だがもちろん違った。上昇して機を完全失速させ、飛行機を空中で「ただそこにある物体」とする演技の時には、ピッツは大きく風に流されるのだ。

 地上での実況は、娘さんがやっている。上空で僚機に指示を出すロックの声は、無線機から聞こえてくる。2機のフォーメーション飛行も、ソロのアクロバットも、それはそれは見事というほかなく、自分と同じ人間があの飛行機を飛ばしているとはとても信じられなかった。

 演技の合間、地上で見たロックは、小柄な気のいいおじさんだった。もちろん、精悍な顔と体も印象に残っている。
 彼が「さあ、そろそろもう1回上がろうか」と言う前だったか後だったか、周りにファンが誰もいなかったので、おそるおそる、無線機へのサインを頼んだ。
 「すみません、これからまた上がりますんで」と言われた。がっかりすると同時に、そう言っている間にサインぐらいできるだろう、という気持ちがかすめたのも事実だ。だが、たぶん、ぼくの顔は悲しげなものになっていたと記憶する。一瞬の後、彼は無線機にサインしてくれ、例の「空へ!!」を勢いよく添えてくれた。もう掠れて見えなくなってしまった今でも、あの筆跡は鮮明に目蓋に焼き付いている。
 誰か一人にサインすれば、それを見つけたファンの行列ができるかもしれないことを気になさっていただろうことは、後ですぐに気づいた。幸い、そういうことにはならなくてほっとした。
             ・・・
 岩崎氏は、世界最強の戦闘機と言われた F15 の元パイロットだ。

 同じ日に別の機体でアクロバット飛行を見せてくれたジャンボジェットの元機長も、その後、私が飛行訓練をしていた日に、海に墜落して帰らぬ人となった。やはり練習中のことである。
 まだ一人で管制圏も出してもらえなかったころ、ちょうど管制圏の端で引き返そうとしていたときに、捜索のための無線が入った。何度かの管制塔からの呼びかけに、もちろん、答える人はいなかった。そのときには、まさか海に墜ちているなんて思わなかったのだが。

 あの夏の日、但馬で華麗な飛行を披露してくれたパイロットが2人も亡くなった。

 追悼・・・と言うしかない。

 同時に、「ぼくはアクロバットはやりません」とだけ言って、その理由は語らなかった恩師のことを思い出す。
 先生のお気持ちはわかりませんが、とにかくわたしもそうします。もちろん、ロック岩崎氏への敬愛の念は、いささかも減ずるものではないけれど。

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2005.04.19

★ピンクレディー再結成?

 偶然、ピンクレディーが踊っているのをテレビで見た。「懐かしのなんとか」だろうと思っていると、アップに堪えるとは言い難い、現在のピンクレディーだった。なんでも、「再結成」したとか何とか・・・

 彼女たちも、もう50歳!目前である。ここが再結成の限界点なのか、それとも、限界を超えているのに踊っているのか・・・

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2005.04.18

★愛国「有」罪

 中国における反日デモが収まらない。

 日本政府の要人の中に、侵略された人たちの傷口に塩をすり込んで「それが日本の文化だ」などと開き直っている人たちがいるとしても(その代表が小泉首相なのだから始末が悪い)、やはり現在のヒステリックな暴力沙汰は異常である。一部の節度を欠いた人たちにはぜひ冷静になってもらいたい。

 とりわけ気になるのは、「愛国無罪」のスローガンの下に、無茶が許されると思っている人たちがいるということだ。

 彼らには是非、実は、愛国こそ「有」罪なのだ、ということに気づいてほしい。

 日本の中山文部科学大臣が「『愛国無罪』といえば何でも許されるような愛国主義・反日教育の成果が今まさに出ている」と「中国の教育を批判した」という(asahi.com)。

 その中山さんがこの日本において推進したがっているのが、まさに「愛国教育」であるというところが皮肉である。
 中国の「愛国」を「行き過ぎた(あるいは歪んだ)ナショナリズム」と呼び、日本のそれを「健全なナショナリズム」などと呼びたいのだろうが、そんなことを言っても、先方は「その逆だ」と主張するだけである。

 「だれもが自然に抱く、祖国への思い」などという嘘をついて誤魔化さないで、愛「国」心などというものは、近代国家が成立する過程で必要不可欠なものとして人工的に作り上げられてきたという事実を、まず認めるところから始めるべきだ。

 時の為政者に都合がいいように、国家という「想像の共同体」を作り出し維持するためには、たとえば、「宗教」とか「民族」とか「言語」とか「独立宣言」とか「人権宣言」とか「資本主義」とか「社会主義」とか「総統」とか「皇帝」とか「天皇」とか「国旗」とか「国歌」とか・・・、とにかく何らかを「国民」すべてが共有しているのだという幻想を抱かせることが肝要である。為政者は、そのときどきに便利なものを動員して、「愛国」教育をしているに過ぎない。

 もし、「自然に抱く、祖国への思い」というものを持っている人がいるとすれば、まず第一に、それが「自然」なものなのか、次に、それは実は、「祖国」ではなく、「自身」や「家族」や「友人」や「郷土」や「故郷」・・・へのものではないのかと自問してほしい。
 それでもまだ、「自然に抱く、祖国への思い」だ、と考えるなら、「自然に抱く、人類への思い」や、「地球への思い」へと、思いを致してほしい。

 行きすぎであれ、歪んだものであれ、あるいは、「健全」なものであれ、愛国教育や愛国心はすぐれて人工的なものであることを自覚し、必要かもしれないがそれはもしかすると必要悪かもしれないと考える冷静さを持ち、外に向けて発揮されたときには多く「有罪」となる感情であることを知らねばならない。

 かの国でもこの国でも、暴徒から政治家までが無邪気に「愛国」を口にして、それを人に押しつけようとしている現状が、事態をさらなる混迷へと導くのである。

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2005.04.16

★あんた何者?

 今まで触れるのを避けてきたが齋藤孝・・・ あんた一体何者なのですか?

 最初の著書と言っていい『声に出して読みたい日本語』が出たのが2001年9月。以来3年半の間に、80冊に迫る著作を出している(amazon.co.jp)。売れた本の文庫化なども一部あるとはいえ、実に

 2週間余に1冊ずつ!

出した計算になる。

 どんな本であれ、本を書いたことのある人なら誰でも、1冊の本を出すことがどれほど大変なことか身に染みて知っているだろう。いや、「せっかく書いたのにどこも出版してくれない」という話ではない(笑) 書くこと、本を作ること、そのものの大変さだ。編集者との打ち合わせだけでも大仕事のはずだ。

 なのに2週間余に1冊!

 日常に押し流されていると、2週間に1冊、本を「読める」かどうかすら怪しいというのに。

 内容がまたすごい。近刊のタイトルは

『「好きです。」コクるかコクらないか、それが問題だ!』だそうである・・・

 他にも、
『ちょっとお金持ちになってみたい人、全員集合!』
『齋藤式 マトリックス英単語塾中学1500語』
『キミは日本のことを、ちゃんと知っているか!』
『誰でもグングン力が伸びる! 齋藤式 潜在力開発メソッド』
『五輪の身体』
『会議革命』
『理想の国語教科書』
『齋藤孝のアイデア革命』

 ええい、改行するのも面倒だ。さらに、『発想名人』『質問力』『読書力』『段取り力』『説教名人』『恋愛力』・・・

 どんなに万能の天才で女性にももてるのか知らないが、この著書群。

 いや、今さら私なんかが言わなくても、おそらくは日本中で馬鹿にされ、羨ましがられ、嫉妬されていることだろう。

 自分に才能もなく努力もしないのは棚に上げ、それでも、この厚顔無恥さの1/10でも自分にあればと思ってしまう。

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2005.04.15

★ flickr 始めました

 Fotologの後継として?注目を集めているらしい flickr を始めることにした。まだ、何がどうなっているのか、何をどうするのかも分からない。
 とりあえず、ココログに掲載した写真のうちいくつかをアップしたら、支離滅裂になった。そのうち、もう少しまともなものにしたいと思う。

http://www.flickr.com/photos/windcalm/

 flickr の綴りには e がないんですね。最初気づかなかった。

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★また給料が減った

 4月だというのにまた給料が減った。ふつう、昇給とかしないですか?

 といっても、今回は、保険料やらなんやらの負担が微妙に増えたことに伴うもののようで、減り方は大したことはない。
 ついこないだまで「号俸が上がったのに給料は下がった」というような状態が続いていたことからすると、まだ平和かもしれない。

 それにしても、もう何年も、もうちょっとで手取りが切りのいい額に届きそうなのに(100万ではありません(笑))、一向に届かない。もしかして、定年まで届かなかったりするのだろうか・・・

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2005.04.12

★ネイチャーウォッチング

 先日、またバードウォッチングに行ってきた。

 が、春真っ盛り。リーダーの意向もあって、いつもよりはるかに、「植物ウォッチング」の色彩が濃いものになった。

 スズメとカラスとハトぐらいしかわからなかった私も、バードウォッチングを始めたお蔭で、数十種ぐらいの身近な鳥の名は、ほぼわかるようになった。だが、植物となるとお手上げである。正直言って、梅と桃の区別もつかない。それに、テキには種類が多すぎるのだ。

 ケヤキ・クスノキ・コナラ・クヌギなどのなじみ深い木も、名前以外はいつまで経っても覚えられない。まして、この季節にこれらの木が立派に花をつけていることなど考えたこともなかった。木々の緑は「新緑」と総称し、それは葉っぱ(だけ)のことだと思っていた。

 コナラの花は太陽の下で光り輝き、木全体を白く見せている。クヌギは立派な房をたわわに咲かせている。中には、その名もハナノキという、カエデ科の木もあった。見事な紅色の花が裸の木を覆っているのだ。

 考えてみれば、「スギ花粉」なんておかしな話である。何で花の咲かないスギに花粉なんかがあるんだよ、という感じがする。だが、もちろん、スギにも花は咲いているのであった・・・

 それにしても、バードウォッチングのリーダーの、自然に対する造詣の深さと観察眼には舌を巻く。自然の中で実地に学んだのでなければこうはいかないだろう。バードウォッチングの初心者段階からは卒業間近の私だが、ネイチャーウォッチングの初心者になれるのはいつのことだろうか。

 ここ3年ばかり、毎日のように通っている道にある「木」は、この日を境に「欅」と「楠」として立ち現れてきた。見える世界が、ほんの少し変わってくる。

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2005.04.10

★空からお花見

 去年果たせなかった「空からお花見」フライトを試みた。が、期待が大きかったためもあって、やや肩すかしをくらった感じだった。春霞のせいで視程も良くなかった。

 だが、一番の理由は、空から見た桜には意外に迫力がないことだ。

 地上から見上げると天を覆わんばかりに咲き誇っている桜も、空から見ると細いピンクのラインが引かれているに過ぎない。一般に、ソメイヨシノは面ではなく線で植えられる傾向もあり、「広い範囲がぜんぶ桜」のような景色はあまり期待できそうにない。
 田植えの季節、田に水が入れられると、地面全体が鏡になったように見えたりするのとはちょっと違うのだ。

 まあしかし、近場を飛んだだけだし、場所を選べばまた違うかもしれない。吉野山など、山全体が桜に覆われたように見えるのだろうか。

 いずれにせよ、空から桜を眺められるのも、ごく短期間だけ。今年はもうこれで終わりだろう。帰宅したら、花びらが玄関先に堆く積もっていたのだから・・・

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2005.04.08

★はるかなるイエローストーン(その2)

 2週間ほど前、航空運賃を調べたとき、出発するのがピークシーズンということもあってその高さに恐れおののいた。クレジットカード決済などすると、4月末に破産しそうだったのと、まだまだ先のことだったので、調べればもっと安い運賃もあるだろうと、楽観的に構えていた。
 要するに、嫌なことはなんだかんだと理由を付けて先延ばしにする性格だというだけだ。

 その後、年度末と年度初めのごたごたで忘れていたものの、ふと気になって調べ直してみると、

     一番安かったのが4万円も高くなっている!

 家族3人で12万円!の違いだ。じゅ、じゅうにまんえん・・・

 あの時さっと買っておけば、12万円助かったのだ。しばらく立ち直れなかった。

 航空会社に電話して聞いてみても結果は同じ。早期発売のネット枠が売り切れたのだろうという。そ、そんな・・・

 やはりイエローストーンへの道のりは険しいのであった。

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2005.04.06

★スカイプ

 「Skype」というソフトがある。日本語版のスカイプは、あのホリえもんのライブドアが出している。英語版なら、MacOS X でも、Linux でも使える。日本語版は今のところ、Windows版だけのようだ。
 使用法はいたって簡単なので、英語版でもそれほど問題にならないかもしれない。

 あ、ご承知かと思いますが、要するに、「世界中にタダで電話できる」ソフトです。

 タダで電話するためには、相手もスカイプを使っていることが前提だが、一般の電話にも市内料金程度で世界中に電話できるらしい(試していない)。これはもう、ものすごい革命的なできごとである。

 いや、以前から、インターネットを使ってパソコンで音声の交換ができる(つまり電話ですね)というのは知っていた。が、スカイプにいたって、俄然、現実のものとなった気がする。なにしろ、無料のソフトをダウンロードするだけで、何も必要とせずに電話ができるのだ。

 その音質たるや、おそらくあらゆるケイタイを越え、多くのIP電話を越え、たぶん、固定電話さえしのぐほどのクリアさだ。大げさではなく、相手の息づかいが聞こえてくるのである。Macintosh PowerBook 内蔵の、貧弱なマイクとスピーカを通してすら、だ(ただし、エコーをキャンセルする設定にしても、自分の声が小さくエコーとなって返ってくるのはちょっと気になった。相手のスピーカから出たこちらの声を相手のマイクが拾うからかもしれない)

 聞こえた息づかいは、このソフトを教えてくれた morio0101 さんのもの。目の前で話しているような臨場感があったが、相変わらず艶っぽい話でなくて寂しい(笑)

 完全にハンズフリーで、つなぎっぱなしでもタダだから、単身赴任の人(morioさんだ)とその配偶者などは、食卓や居間の机にでもパソコンを置いておけば、テキトーに話をしながら遠く離れた場所でそれぞれの生活ができたりもする。無線LANを組み込んだノートパソコンでも持ち歩けば、どこにいても思いついたときに話しかけられる。
 そんな生活を楽しむために、単身赴任したいぐらいだ ^^;

 唯一の欠点は、今の私には話す相手がいないこと。毎夜毎夜、morioさんとつなぎっぱなしにしても何の意味もない・・・

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2005.04.03

★春・・・

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2005.04.02

★「みどりの日」が「昭和の日」に

 2007年から、4月29日の「みどりの日」が「昭和の日」になりそうだ(asahi.com)

 一連の復古趣味、「愛国」趣味の流れからのことだろうが、問題が山積しているときにこんなことを決めようとするなんて、国会もヒマだなあと思う。

 いくら継続審議になっていたとはいえ、竹島問題で韓国政府の態度がこれほど硬化しているときにこんなことを決めていたら、「ヒマだなあ」では済まなくなることを危惧する。
 是非や理由はどうあれ、相手が真剣に怒っている時に、火に油を注ぐようなことをしなくてもいいと思うんだけど。

 外交センスが最低だ。よほど馬鹿なのか、わかっていてわざとやってるのか。

 ・・・でもこれ、4月1日の記事なんだよな。まさか、エイプリルフールとか言わないよね。

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★わかりやすい季節

 いつ始まるのかわからない夏・秋・冬と違って、春の到来は誰の目にも明快である。
 私にとっては、桜の開花。それまでは冬。桜が咲くと春。
 しかも、ここ関西では、それがほぼ新年度と一致している。これほどわかりやすいことはない。

 もちろん、ウグイスを始めとする鳥もさえずり、桜に限らず多くの花が一斉に咲き始め、木々も芽吹き始める。古来、厳しい冬を乗り越えた後に訪れる春を待ちわびた先人の気持ちが、最近はわかるようになった。

 なのに、春を今一つ好きにならなかった理由は何なのだろう? 今もってわからない。まあ人生、どうせわからないことだらけだ。春の到来を喜べるようになったことを素直に感謝すべきかもしれない。

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