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2005.08.31

★ネイティブスピーカ神話

 数日間、日本語を話す韓国人に囲まれて過ごしてきた。

 もちろん人によって巧拙はあるし、上手でない人ほど話したがらない傾向があることは否めないのだが、全体としては、多くの人がごく普通のことであるかのように異言語である日本語を自由に操っていて、珍しく自分の怠惰を反省したくなった。

 最初は相手に合わせて自分の日本語を調節していたのだが、いつかそれも意識にのぼることが少なくなり、最後のほうでは、それほど「達人」でない人と話すときでさえほとんど気を遣わなくなっていた。

 海外なので、日本語を話さない一般の人との接触もある。また、今回の関係者も、韓国人同士で話すときは多く「韓国語」を使っていた。もちろん、状況や必要に応じてそれを使う日本人や在日の人もいる。

 関係者ではないが、韓国の出入国管理官とけっこう長く話したときも、中心は日本語だった。
 出国するときだが、カードに記された「韓国内住所」に興味を持った係官からいろいろ質問され、最後はほとんど世間話になったのだ。
 これまでけっこうあちこちに行っていて、お茶目な係官にも何度かお目にかかったことはあるが、それでも話すのはものの十数秒、あんなに長く話したのは初めてである(といっても、2分くらいか)。

 国を出るときでよかった。あれが入国の時だったら、入れてもらえないのではないかとおののいたところである。それでも、「じゃあ、仕事でいらしたんですね」とか言われたときにはドキリとした。まさかそれで出国させないと言うこともなかろうが、面倒なのでカードには「観光」と書いていたのである。
 「いえ、半分以上は観光で・・・」とか無理に言い訳しようとしている私に気づいた係官はしかし、あくまでもにこやかに、「日本語の勉強をしているんですが、まだまだ下手ですみません」とかいう。出入国管理官に謝られたのは初めてだ。「いえ、こちらこそ、ほんとにすみません。ぜんぜん話せなくて。アンニョンヒケセヨ」

 フライトアテンダントも、隣の席の男性には韓国語で、私には日本語で、ごく普通に接してくれた。

 そういう状況で日本語(ほとんどいわゆる共通語)と韓国語に囲まれて過ごしてきた。

 長くなった。以上は単なる前口舌である。

 さて、帰国して、無言の検疫官と出入国管理官をクリアすると、税関職員が待っている。
 何か言ったが、何を言ったのかわからない。だが、そこは場面会話、一瞬の後、「どちらへお出かけでしたか」だとわかった。
 意味ではなく、その音が繰り返し頭の中で鳴る。

 もう一言二言言葉を交わしたが、明らかに日本語の(少なくとも)発音が「下手」であることがわかった。もしかすると、今回の旅行で日本語を話した韓国人の誰よりも。
 言語障碍とかそういうのではない(と判断した)。もちろん非難するつもりは毛頭ないが、「よくあれで税関職員をやってるなあ」と驚いたのは事実だ。

 税関職員だから当然日本国籍だろうし、まず間違いなくネイティブスピーカだろう。しかも、そういう職に就くだけのものを持っている人だ。

 だが本当に、その一瞬、自分が外国の税関にいると錯覚したのだ。「えっ!? 帰国したんじゃなかったっけ?」

 日本語学習者のほとんどは「東京生まれ東京育ちの教養あるネイティブスピーカ」のように話すことを目指して学習に励む。しかし、そんな日本人はほとんどおらず、仮にいても褒められるような日本語を話す人は多くない。まして、関西空港の税関職員においてをや、である。

 それでもわれわれは、「標準」語を話す教養あるネイティブスピーカを目指して異言語学習に励むべきなのだろうか。今回お会いした韓国人たちが(たぶん)そうしているように・・・

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2005.08.23

★デトロイトの空港で箸使いを学ぶ

 以前にも書いたが、箸がまともに使えない。何度か練習を試みたことはあるのだが、その度にすぐ挫折している。もちろん、正しい持ち方は知っていて、その格好はできる。だが、実際にそれでモノをつまむ段になるとなかなかうまくいかないのだ。

 我流の使い方で特に不便はない。見る人によっては「どういう躾を受けたのだ」とか「不格好だな」とか思うかもしれないが、それほど本気で気にしたことはない。

 忘れもしない22歳、高校教師1年目の夏休み前、生徒の母親との食事会があった(そういえば、次の年からなかったような気がする。あれは何だったのだろう?)。
 いわゆる進学校の教師として、教育熱心な母親たちの前で箸を使わなければならなくなり、緊張したのを覚えている。なにせ、後に担任したクラスの中に、博士号を持った親が数人いたとかいう学校だったのだ。

 ところが、いざ会食の席に出てみると、テーブルについた数人の母親(おそらく全員当時40代ぐらい)の、誰一人として箸をまともに持てる人がいなかったのだ。これにはほっとするやら拍子抜けするやらだったが、一番大きい感情は「驚き」だった。みんな、これほど箸を使えないとは・・・

 今回、ソルトレークシティに飛ぶにあたって、行きも帰りもデトロイトで乗り継ぎをした。帰りの時、とにかく日本食が恋しくなるタイプの私は、大枚1000円ほどを出して、すべて冷凍食品からなる天婦羅うどんを食べることにした。

 その店に置いてあった割り箸の箸袋に、箸の持ち方が英語で説明してあった。最初は何気なく眺めていたのだが、試みに書いてあるとおりにしてみると、なんと、一気に正しく箸を使えるようになったのだ!
 もちろん、まだ慣れないせいでぎごちない。だが、今までと違って、今度こそ使えるようになるという確信がすぐに芽生えた。その説明でコツをつかんだということだ。

 今まで、持ち方の説明は何度も読んだ。正しい持ち方も知っていた。だがそれは、実際に箸を正しく使うのには役立たなかった。
 それが、デトロイトの空港の片隅で、ついでのように箸袋に印刷された英語を読んだだけで使えるようになるとは・・・
 「人にものを教える」ことのトリッキーな側面がここにある。

 トランジットというのは、空しく次を待つ場所として旅行中ほとんど記憶に残らないところである。だが、デトロイト空港は、この経験もあって、もっとも記憶に残るトランジットになりそうだ。

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2005.08.21

★3人

 最初がこういう話題というのもどうかとは思うのだが、旅行中、国立公園内で見かけた黒人観光客の数はなんと3人だった。前半にはまったく見かけず、後半になると意識して探すようになっていたが、それでやっと見つけだしたのが3人である。

 国民に多くの黒人がいるというのに、フランス語やドイツ語や中国語や日本語や朝鮮(韓国)語を話す人たちよりも圧倒的に少なく、観光中もばりばりの民族衣装を着ていたアラブ系の人より少なかった。

 いうまでもなく、われわれが見た観光客中3人というのは、アメリカの人口構成比とかけ離れている。何せ、年間300万人が訪れるという大観光地なのだ。

 パウエルやライスが国務長官になってきた国の現状はやはりそんなものであったというのは、予想された範囲から少し外れ、妙な落胆を感じさせるものであった。

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2005.08.20

★「ウェブ」は「画面」?

 ほんとにどうでもいいんだけどなあ・・・ でも、こういうのって増えてきたよなあ・・・

 2005年8月19日付『朝日新聞』夕刊(大阪版)に、財務省を辞めて今度の衆議院選に出る候補が、ブログを「唯一の武器」(本人談)にして闘っている様子が紹介されていた。

 その脇にある「キーワード」と題する「ブログ」の説明欄。

 「インターネット上のウェブ(画面)とログ(記録)を組み合わせた造語」

 そうか、「ウェブ」って「画面」だったのか・・・

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★遠ざかる風景

 グランドティートンとイエローストーン、2つの国立公園(アメリカ合衆国)に行ってきました。

 今回も、脳裏にとどめておくべき風景、書き残しておくべき記憶はたくさんあったのですが、そういうものは、こうしている間にもどんどん遠ざかり、彼方へ過ぎ去っていきます。助けとなるべき写真やビデオも、モニタに映った瞬間にはほとんどが色あせています。

 去年のフランスのことも、結局ほとんど書けずに終わってしまいました。玄関を開けた瞬間から「日常」が大きく口を開けて待っている身としては致し方ない面もあるかもしれません。

 でも今回は、少しずつ、短いものを書いていこうと思っています。どうなるか、先のことはわかりませんが。

 もうたぶん、「今朝」起きてから30時間ぐらい経っています。ともかく、まずぐっすり眠ることにします。おやすみなさい。

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2005.08.07

★イエス・ノー枕

 すごーく久しぶりに『新婚さんいらっしゃい』(桂三枝・山瀬まみ)を見た。桂三枝の司会は変わらないが、梓みちよ、ジョーン・シェパード、片平なぎさとアシスタント?が変わる間はよく見ていたと思う。渡辺美奈代はたぶん知らないのでそのころから見なくなったのか。ともかく、断続的に30年ぐらい見ていることになる。

 番組後半に海外旅行や家電製品を始めとする豪華賞品をもらえる神経衰弱のようなゲームがあるのだが、その中の参加賞的な商品に「イエス・ノー枕」というのがある。その Yes, No の意味を、なんと今日まで知らなかった。

 今日の番組で、出演者が「自分たちでイエス・ノー枕を作った」という話を始め、そのやりとりの中でやっと気づいたのだ。

 みなさんは、以前からご存じでしたか?

 世の中には、目の前にあっても見過ごしていることがあるのは知っている。
 それにしても、イエス・ノー枕の意味に30年も経ってから気づくようなことがあるのだから、ほかにいったい、どれだけのことを見逃しながら生きているんだろうと思う。

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2005.08.04

★記念すべき最初の購入曲は

 iTunes ミュージックストアから買った、記念すべき最初の1曲は、

Never Ending Story

となりました・・・

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★アップル、ネット音楽配信を開始

 アップルが日本でもネット音楽配信を開始した。「iTunes・ミュージック・ストア」という名前だそうである。アメリカでは1曲99セントが基本だが、こちらでは150円。ここは一発、100円にしてほしかったがまあそれはいい。

 こうやって少しずつ未来が現在になっていくんだなあという感慨を覚える。

 たとえば、由紀さおりの「夜明けのスキャット」(別に好きな曲ではありません)が今すぐ聞けるのだが、これが昨日だったら1週間かかっても手に入らなかったかも・・・

 まだまだ契約しているレーベルは少ない。中島みゆきもさだまさしもかぐや姫もイルカも1曲も入ってなかった。それにしても、どういう趣味だよ。

 そうそう、浜崎あゆみの曲の題名が「すべて」横文字であることを知った。はあ・・・

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