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2006.09.29

■CANON EOS Kiss digital X

2006:09:24Cake 薄型のデジカメは私にとってのカメラの概念を変えた。ほぼ常に持ち歩いて、どうでもいいものを撮影するようになった。たとえばこんな→

 フィルムカメラ時代に、かかるコストと写り具合を考えながら、緊張してシャッターを切ったのとは大違いである。被写体も人物が多く、そうでなければここ一番の風景だった。
 また、同じフィルムカメラでも、一眼レフを振り回す機会はだんだん減って、そのうち息子の運動会だけぐらいになっていった。海外旅行に持っていくのもコンパクトカメラになった。

 それでも、日常的に持ち歩くような大きさではない。最初に手に入れたデジカメも、いわゆるコンパクトカメラの大きさでそれなりの重さもあったので、何かの折に持って出る程度だった。

 それが、胸ポケットに入るような薄型のデジカメが登場するに及んで一変した。何かあれば(何もなくても)すぐ撮せるように、常に持ち歩くようになった。実際には大したことに遭遇することなどないので、結局は何でもないものを撮っている。せいぜいが、たまたま出会えた綺麗な夕焼け、とかその程度だ。

 ほぼ唯一の欠点は、望遠が効かないことである。もちろん、写真のできなどを気にするようであれば、欠点だらけである。だが、ボケ具合や色再現すらそれほど気にならない程度の素人であってみれば、それも大した問題にはならないのだ。

 なので、進境著しいデジタル一眼レフなど、ほとんど横目にも見ずに来た。もはや息子の運動会にも行かない(というか、平日に開催されるので行けない)。

 ところが・・・

 父親に貸していた New EOS Kiss が返ってきて押し入れで眠っていたところへ、ひょんなことから EOS Kiss digital X が発売されたのを知った。素人目に見ると手振れ補正がついていないことだけが欠点である。

 何より、用がなくて眠っているEFレンズがそのまま使えるというのだ。入門機であるためにCMOSが35ミリよりも小さく、そのせいで焦点距離が1.6倍に延びるという副作用はあるにせよ・・・

 待てよ。ということは、手持ちの300ミリが、480ミリの超望遠になるということだ。

 約500ミリ・・・

 そんな信じられない世界が目の前に開けているのか。キヤノンの500ミリ望遠レンズといえば、4キロ近くある98万円もするシロモノなのに(もっとも、このレンズをつければ800ミリになるわけだが)。
 400ミリの一番安いのでも19万円。

 フィルム一眼レフ時代には考えられなかった超望遠がすぐ目の前にあるのだ。先達の発言を聞いていると、500ミリでも小鳥を撮るには不足らしいのだが、自分にとっての未体験ゾーンであるには違いない。

 これを書き始めた時点では、まだぜんぜん買う気はなかったのだが、もしかすると買うかもしれないぐらいにはテンションがあがってきた。なにせ、ボディだけ買えば、あの小気味よいオートフォーカスが味わえるのだ、480ミリ望遠で・・・

 ネーミングがまた気に入った。MacOS X, PSX, digital X。これでトヨタのマークXでも買えば完璧だ(買わないけど)。

 気になるのは家人の顔色だけかもしれない。

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■パスポートと住基ネット

 パスポートが切れたので取らなければならない。それは仕方ないのだが、驚いたことが2つ。

1.手数料が1万6千円もする。
2.申請に住民票がいらない。

 何でも、以前にも増して偽造防止を必死にやっているしICチップのコストもかかるということらしいのだが、いくら何でも、という気がする。家族4人で取ったりすると、交通費やら含めて8万円にはなる(2回出向かないといけないのだ)。それだけで海外旅行なんか諦めてしまいそうだ。

 住民票がいらないのはありがたい。市役所を往復する無駄な手間暇や手数料が節約できる(相変わらず、戸籍を持ってこいというのには閉口させられる。仕方なく郵送で手に入れた)。

 だが、なぜ住民票がいらないのかというと、例の「住基ネット」を利用するからだそうである。ケッサクなのは「住基ネットの利用を拒否する場合は住民票が必要」だという変則的な取り扱いである。
 わたしももちろん、住基ネットが好きではない。しかし、住民票を持参するような手間をかけるぐらいなら、素直に住基ネットを使ってもらう。
 利用を拒否してわざわざ住民票を持参するような「変わり者」がいったいどのぐらいいるのだろうか。どうせ国家にはがんじがらめに管理されていて、戸籍だって住民票だって提出しなければパスポートがもらえないのだ。

 それでも拒否するという骨のある人をあぶり出す、これは踏絵なのか?

 だいたい、行政がやることに「拒否する」などという選択肢があるのだろうか。拒否してもいいようなものなら、初めからやらなければいい。
 そんなことが可能なら、戸籍の持参だって拒否したいし、2度も出向くことも拒否したいし、高すぎる手数料も拒否したい。これらにはもちろん、代替手段はないのだ(出向くのを1度にはできるが、かえって手間がかかりそうだ)。

 住基ネットの問題点をここで縷々述べようとは思わない。だが、そこにアクセスできる公務員全員を無条件に信頼できない以上、何でもかんでもデータベース化してオンラインで読み出せるようにするのは避けるべきだろう。
 社会保険庁の多数の役人たちが、芸能人や有名人の個人情報を盗み見ていたのも記憶に新しい。この種の例は挙げればきりがないほどだ。

 逆に、そういう濫用を避けるための方策が行き過ぎて、正当な理由があっても情報を引き出すのにものすごく手間暇がかかるのも問題だ。あの自民党政権が、一体なんのために「個人情報保護法」なんか作ったんだろう?

 ・・・

 まあ仕方がない。ともかくパスポートを取らなければ。
 写真の規格もすごくうるさくなって、スピード写真では断られるかもしれないらしい。10年に1度のこととはいえ、何でこうも手間とお金がかかるシステムになっているんだろう。

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2006.09.27

■ブロークバック・マウンテン

 ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール、アン・ハサウェイ。

 ゲイの男性2人の20年以上に及ぶ純愛?物語。

 ヴェネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞している。ゴールデングローブ賞では、主要4部門を独占したそうだ。アカデミー賞も3部門で受賞しているが、監督・脚色・オリジナル音楽で、俳優や脚本では逃したらしい。

 前評判ほどには感心しなかったが、134分の長丁場を退屈せずにつきあえたのは、やはり作品の力か。

 どうしてこの映画がこの時代にこれほど評価が高いのかわからないが、ひとつには、そのリアリズムが評価されたのではないかという気がする。
 マイノリティを「美しいもの」「無垢なもの」「純粋なもの」と描きたがる作品とは、明らかに一線を画していた。

 (以下、これからご覧になる予定の方はお読みにならないでください)

 男2人の相手への愛情にウソはないものの、社会的な差別や偏見といわゆる「遠距離恋愛」とが、余計に気持ちを燃え上がらせていることが見て取れる。
 さらには、2人ともそれぞれ女性と結婚して子どもを育てる。そして、女性と浮気したり離婚したりする。男娼を買ったり別の男性に心を移したりもする。

 マイノリティが美しくなければならないような映画よりは、やはり現代においては評価が高くなるだろう。もちろん、現実に美しいマイノリティもいるだろうけれど。

 高校時代に教えていただいた倫理社会の先生の口癖が懐かしい。「名もなく貧しく美しくもない連中が・・・」(念のため、もちろん、そういう人たちへの讃歌だ)

 あの先生はどうしていらっしゃるだろう?

(Brokeback Mountain, 2005 U.S.A.)

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2006.09.25

■50回目のファースト・キス

 アダム・サンドラー、ドリュー・バリモア。

 主人公の2人とも好きな俳優ではないし魅力も感じないのだが、それでも、これまで見たラブコメの中で1番だと断言できそうなでき。

 下品な部分には目をつぶって、ぜひご覧ください。笑えるし泣けます。

 それにしても、見る気をなくしそうな邦題は何とかしてほしい。原題もイマイチだけど。

(50 First Dates, 2004 U.S.A.)

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2006.09.23

■不思議の島

2006:09:23Narugashima2 久しぶりに飛んで大阪湾を一周した。写真は以前発見?して不思議に思った成ヶ島。淡路島の由良にある。

 身近なところにこんな綺麗で珍しい地形があるのだと思っていたのだが、今日じっくり見るとやっぱり変わった島だった。

2006:09:23Narugashima3 どう見ても船でしか渡れないのに、遊歩道が整備されていたり、休憩所があったり。
 地元の漁師たちの憩いの場になっているのだろうか(まさか)。それとも、釣り人のためだろうか。

 釣り人が遊歩道を散歩したり休憩所でくつろいだりはしないと思うんだけど・・・

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2006.09.21

■意外な共通点

 自民党の新総裁に安倍晋三氏が選ばれた。あまりにも下馬評通りで何の驚きも感慨もない。

 9月26日には総理大臣に就任する予定だという。これは心配だ。無茶はしないで欲しい。

 さて、私とは何の共通点も共感するところもないと思っていた安倍氏だが、意外な共通点があったのを発見してびっくりした。それは・・・

 Mac ユーザ。

 しかも、PowerBook を使っているのだ!

 まあ、まったくどうでもいいんですが、これも、例の「マックはかっこいい」図式によるイメージ作りなのかな? それともほんとにマックユーザなのかな?

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2006.09.19

■ジャーヘッド

 ジャーヘッドとは、アメリカの海兵隊員のこと。ほとんど丸坊主の、頭頂部と前髪だけほんの少し伸ばした平らな頭がジャー(広口びん)を連想させるから。同時にもちろん、中味が空っぽ、という寓意もある。

 大学に行き損ねて海兵隊に志願してしまった主人公が1990年の湾岸戦争に派遣されることになる。無意味で退屈かつキツい半年を砂漠で過ごした後、4日間の地獄の戦争を経験する。

 まったく新しいタイプの戦争映画で、しかも深い。戦争アクションとしてのクライマックスはことごとく肩すかしを食わされるが、それでいて退屈せず、ぐいぐい引き込まれていく。

 哲学系・懐疑系・陰惨系・反戦系・・・戦争映画の系譜に連なるのかもしれないが、それらの中では1番のできではないかと思う。

 主人公の名前と、原作となった本の著者の名前が同じだった。おそらくは実体験に基づいているのだろう。

(Jarhead, 2005 U.S.A.)

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2006.09.16

■家族風呂禁止

 実は(というほどのことでもないのだが)、兵庫県出身だ。

 子どもとしてその狭い世界に育つと何とも思わず、これが日本だ(下手をするとこれが世界だ)と思うのだが、兵庫県というのは(たぶん、どの都道府県も多かれ少なかれ同じようなものだろうが)、ちょっとヘンなところである。特に警察とか役所関係がひどいように思う。

 スピード違反の取り締り、いわゆるネズミ捕りが非常に盛んだ(った)。しかも手段が姑息で、広い下り道の下の方に必死で隠れていたりする。
 以前書いたような気がするが、私が生涯でただ一度、ネズミ捕りに引っかかったのは、「中央分離帯のある」「片側2車線の」「下り坂」を時速53キロで走っていたときであった。制限速度が40キロだったのである。

 まあ、度の過ぎた低速規制が幅を利かせていたころではあった。その後、場所によっては緩和されたようだが、ほとんど誰も守らない現実離れした制限速度の設定を墨守しているのは未だ全国でも有数だと思う。

 阪神高速北神戸線の制限速度は今でも60キロだが、ほとんどのクルマは100キロ近くで走っている。せめて80にすれば守るクルマも出てくると思うのだが、60では、ほぼ全員を犯罪者に、残りの少数を危険な邪魔者にするだけである。
 「北神戸線の制限速度は60キロです!!」と叫ぶ看板を林立させても、「テロ特別対策実施中」同様、単なる税金?の無駄遣いだ。

 姑息と言えば、踏切や一時停止のところで陰に隠れている警官も多かった。あるいは、指定方向外進行禁止の看板を曲がった先で待ち伏せしていたり。
 それも、あまり危険のない(したがって「違反者」が多くなる)ところに限って取り締まっているように見受けられた。こちらは幸い、検挙されたことはない(というか、違反したこともない)。

 兵庫県を中心に車を運転していたのは4年間。その間に無数の姑息な取り締まりを目撃した。それでほとんどまったく捕まらなかったのは、われながら立派だったと思う。

 大阪に来て20年余。この間、ネズミ捕りを目にしたのは数回。兵庫県で経験したようなひどいものは経験がないし、捕まったこともない。また、その他の姑息な取り締まりは見たことがない(「ない」とは思っていないが)。
 (後記:やはりありました。)

 問題は、兵庫県警ががんばって取り締まっていても、大阪と比べて事故や死傷者が少ないわけではないということだ。つまり、取り締まりの効果はないということである。
 わざわざ安全な場所を選んで?捕まえやすい人たちばかり捕まえているのだからそれも当然だろう。

 さて本題。

 兵庫県生活衛生課が、公衆浴場法基準条例を盾に、家族風呂の禁止を徹底し始めたというのである。これに反発しているのが「公営」の浴場だというのがおもしろい。
 貸し切り風呂に家族で入って、何が悪いというのだろうか。そういうのを男女混浴というか?

 「「『家族』には、事実婚や夫婦別姓などさまざまなかたちがある。本当に家族なのかどうか確認が困難で、風紀を保てない」と判断」(asahi.com)したのだという。
 なるほど。
 本当に家族じゃないと、男女で貸し切り風呂に入ってはいけなくて、入ると風紀が乱れるのか・・・

 でも貸し切りなのだ。そんなことを言い出せば、あらゆる宿泊施設で家族じゃない男女が「混浴」している実態は風紀を乱さないのか。
 うーん、公衆宿泊施設と公衆浴場施設は違うのかなあ・・・ なんか一瞬説得されそうになるけれど、日本全国あちこちで、貸し切りの家族風呂に入ったぞ。兵庫県にしたって、「公営」の浴場が県の指導を無視して家族風呂の営業を続けている場合もあるという。

 やっぱり、兵庫県のお役所はちょっとヘンだと思うんだけど・・・

 こういう言い方をするのはちょっとアレだが、兵庫県に生まれ育った人が兵庫県の役人なんかになったりすると、自分のローカルな感覚をジャパニーズスタンダード(下手をするとグローバルスタンダード)だと思ってしまったりする場合もあるんだろうなという気がする。

 そのヘンな感覚に異議を唱えているのが同じ兵庫県人であるところが救いだけど。

(それにしても「風紀」って懐かしい言葉だなあ。久しぶりに聞いた。)

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2006.09.15

■また故障

 コンプリケイティッド・ライフの3ですね。

 給湯器が壊れた。お風呂にお湯が張れない。仕方ないので修理すると iPod shuffle が2つほど買える金額がかかった。だが、それで何が良くなるかというと、何も良くならない。一昨日の状態に戻っただけ。

 修理という行為の生産性のなさにはため息をつきたくなる。

 去年から今年にかけて、家でも職場でも壊れて買い換えたり修理したりする機会がめっきり増えたような気がする。

 嘆いて暗くなっていても仕方ないので、すぱっと頭を切り換えることが大事なんだろう。買い換えたら素直に喜ぶ。修理がすんだらすぐに忘れる・・・

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2006.09.13

■プルーフ・オブ・マイ・ライフ

 グウィネス・パルトロウ、アンソニーホプキンス。

 狂気の天才数学者とその世話をする娘。その娘=妹にも狂気が宿っているのではと疑う姉。

 なぜかわからないが深く物語世界に引き込まれる。少なくとも私にとっては傑作だ。

 このレベルの「芸術作品」をそれなりに鑑賞できるようになった自分に、ほんの少し成長が感じられて、やっと人並みに映画が見られるようになってきたかとちょっとほっとする。

(Proof, 2005 U.S.A.)

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2006.09.10

■30年ぶり?の清水寺

20060912incenseburner 京都方面に用があり、途中時間が空いたので、清水寺を訪ねた。

 いつ以来かはっきりわからないが、確実な記憶と写真があるのは30年以上前である。30年・・・

 だが、境内の看板に中国語や韓国語が増えたこと、水を飲む柄杓の殺菌装置が設置されたこと以外は、何も変わってないような気がする。有名な清水の舞台は1000年を超える歴史があるという。30年など何ほどのこともないのだろう。
 あ、最初の山門が目も綾な朱塗りになっていたが、平安の昔の姿に戻ったと思えばかえって古さを感じさせてくれる。

 三年坂のあたりは去年だかにちょっと散策したことがあるが、ポタリングの途中の寄り道だった。今日は、雨が降ったりやんだりを繰り返す妙な天気にもめげず、ちょっと店を覗きながらのんびり歩いて、思いがけず香炉を買ってしまった。

 そういう趣味は全くなかったのだが、気に入ったのがあったのだ。例の「ひと目ぼれ」である。

 家に帰ってバニラのお香(そういうのがあるのだ)を焚くと、ちょっと抹香くさいバニラの香りが広がり、心なしか気分が落ち着く。
 もらい物の敷物を敷いて玄関に置くと、予想以上にいい感じに落ち着いたのも嬉しい。

 それにしても京都。お香の専門店とか扇子だけ売っている店とか、唐辛子の専門店とか・・・
 面としての広がりに欠ける憾みはあるが、ごく狭い範囲なら「さすが京都」と思わせる街並みもある。
 灯台下暗しを決め込まないで、こまめに通ってみてもいいかもしれない。

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2006.09.09

■天の川

 郊外とはいえ大都市近郊に暮らしていると、星を見ることはほとんどない。条件が良くてさえ、1等星が見えるかどうかという程度だ。日常的に見えるのは、金星だの木星だの土星だの、マイナス等級の惑星だけだ。

 満天の星、というのを見たことは何度かある。それでも、思い出せるのは、大学生のころの兵庫県中部、15年ほど前のアメリカの中西部ぐらいだ。あ、同じく15年前の兵庫県南西部というのがあった。西はりま天文台だ。

 天の川、というのをはっきり見た記憶は、もしかするとないかもしれない。幼いころに見たような気がする程度だ。最近は、天の川なんてほんとにあるんだろうかと思うようになっていた。

 ・・・この夏、知床峠から見た天の川はすごかった。羅臼岳山頂から噴火した煙が大空を真っ二つに割るように、ちょうど天頂を通って反対側の地平線まで続いているように見える。もちろん、煙ではなく星の集まりだ。
 英語で the Milky Way というらしいが、ミルクを流したとも、煙がたなびいているとも、もちろん、川が流れているとも見える壮大な光景だった。

 視力が悪くて、ふだんは眼鏡を外すと星なんて一つも見えないほどだ。驚いたのは、その 0.1 もないような裸眼視力で、天の川がはっきりとわかることだ。眼鏡なしで天の川が見えるなんて・・・
 ただ、寒さにはちょっと参った。8月なんだけど。

 新月の夜、街の明かりをすべて消せば、ここ大阪でも裸眼で天の川が見えるのだろうか。とてもそんな気がしない。だが、たぶん、見えるのだろう。空気は知床ほど澄んではいないにしても。

 いずれにせよ、見えない天の川は、今日も頭上にあるのだ。流れ星も、見えないだけで、今日もいくつも空を流れている。

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■クラッシュ

 サンドラ・ブロック、マット・ディロン、ドン・チードル。

 アメリカはロサンゼルス。人と人とが望まない出会い方をして、複雑に入り組む善悪・差別・情愛を具現化させ、映画は、その愚かさ・哀しさ・可笑しさ・美しさ・・・を描いていく。

 明らかに社会派の作品なのだが、サスペンスタッチの息もつかせぬエンターテイメントに仕上がっている。特に、中心に据えられた差別の問題を説教臭くなく考えさせる手法には脱帽する。

 ぜひご鑑賞を。

(Crash, 2004 U.S.A., Germany)

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2006.09.07

■今回はギンパラ

 恒例の沖縄出張。湿度100%としか思えない、むわっとした生暖かさ(というより生暑さ)が印象的だった。

 だがもちろん、今回も素晴らしい出会いに満たされている。その多くが一期一会かもしれないのは残念だが、それはそれで仕方がない。けっして少なくない立派な人たちと継続的に交流を結ぶのは、私の器を超えている。

 鳥となら、何度か出会えるかもしれない。もっとも、同じ個体にはなかなか出会えないし、見てもそれとはわからないだろうけど。

 今回は初めての鳥を見ることができなかった。これは、と思うとイソヒヨドリのメスとか。
 だが、3月に見たシロガシラは、那覇の街中にもいて、綺麗な声でさえずっていた。

 「これこそ見たことがない。だが、図鑑には載っていた記憶がある・・・」という小鳥の群れを見つけて喜んでいたが、手元の図鑑に記載がない。家に帰って調べると(たぶん)ギンパラ。日本産の野鳥ではない。いわゆるカゴ抜け、飼い鳥が野生化したものである。

 たぶん、多くのバードウォッチャーは両者を厳しく峻別する。だが、現にいるんだし、どっちでもいいじゃないか、とも思う。少なくとも、鳥には罪はない。
 初めてギンパラを見た。嬉しかった。

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2006.09.03

■まさかのタンチョウ

20060830JapaneseCranes バードウォッチングに出かけても、珍しい鳥に出会えることは稀である。振り返ってみてもほとんどない。

 タンチョウが果たして珍しい鳥だと言えるのかどうかはわからないが、北海道に行かなければ出会えないのだから関西に住む者にとってはやはり珍しいと言うべきだろう。

 そもそも、釧路湿原の雪原で求愛ダンスをするイメージばかりが先行していたため、留鳥だとは思っていなかった。だが、北海道を走っていると、真夏でもこうして野生のタンチョウに出会えることがあるのだ。しかも偶然に。

 ほんとに、何でもない場所の通りがかりに見つけた。北海道、おそるべし。

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2006.09.01

■北海道の真ん中でテロ対策を叫ぶ

 息子の希望で北海道に行ってました。海外に行きたかったのに・・・

 まあ、それはそれとして、18年ぶりの北海道は、前回に続き「異常気象による猛暑」なのでした。それでも関西よりは断然涼しかったけど(18年前の夏は、関西とあまり変わらなかった記憶がある)。

 最初の話題がこれなのも気がひけるが、北海道の真ん中の、ほとんど何もないといえるような原野をひた走っていると(「♪石北峠〜」の近くだ)、

 「テロ特別対策実施中」

と朱書きした看板。いったい、どこのだれがこんなところでテロを企てるというのか。あるいはまた、いったい、誰に対して語りかけている看板なのか。
 第一、こんなところでほんとに「テロ特別対策」なんかやっているのか? 長い旅行中、警官を見たのすら2回ぐらいだけだったけど。

 景観を破壊する以外に意味のない、この種の看板はけっこうあちこちで見た。すべて、「テロ」などとは無縁の場所である。そのばかばかしさもさることながら、こういう看板ってもちろん税金で立てられているのだ。
 看板を作ってこんな地の果てみたいなところまで来て立てるとすると、やっぱり一つ3万円ぐらいはかかるんじゃないだろうか? 案外、5千円とかで可能なのかな? いずれにせよ、いったい、全道・全国でいくらになることやら・・・

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