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2007.01.31

■「今日は仕事を休めないんだ」

 ドラマなんかで、主人公が「今日は仕事を休めないんだ」とかいって、病気の体に鞭打って会社に出かける場面が時々ある。

 今日がまさにそうだった。まあふつう、仕事というのは休めないものだが、今日は、滅多にない、ほぼ絶対に休めない日の一つだった。抜けられない重要な会議?が2つ。他の複数の人と日程調整した会議が1つ。
 これを休むには入院するぐらいの心意気が必要だ。

 だいたい、病気で仕事を休んだ記憶がない。健康体からはほど遠い?が、なぜかなかなか休むようなことにはならない。たまになってくれると、休めない日だったりする。

 元々が熱に弱い体なので、高熱が出るとどうしようもなくなる。風邪ってこんなにつらかったっけ?

 車で遠い方の職場を往復する途中、大袈裟に言えば追突しそうなことが2〜3度あった。もちろん、ぎりぎりとかそういうんではないけれど、やはりこんな体で車を運転すべきではないのだろう。
 だが、徒歩と電車で行けるとも思えない。

 ほんとにごくたまのことなんだけど、こんなのがしょっちゅうっていう人もいるんだろうなあ・・・

 明日は冷え込むそうです。お互い体に気をつけましょう。私もこんなことをしていないでもう寝ます。

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2007.01.30

■そして・・・

 去年も一昨年も大丈夫だったのに、今年は息子の風邪をもらったようだ。喉と鼻と頭がおかしく(これはいつもか)、熱もある。

 インフルエンザじゃないだろうからまあ大したことはないけれど、この忙しいときに・・・

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2007.01.29

■子どもの発熱

 息子がまた熱を出した。

 自分のブログを調べてみると、毎年の恒例行事になっている。少なくとも、去年一昨年もこの時期にインフルエンザで医者に行っている。しかも、両方とも、最初は夜間休日診療所である。手間と金のかかる奴だ。

 今回は最高で38.8℃。だが、ラジオのニュースで今年はインフルエンザが非常に少ないことを知っていたので、楽観していた。症状からいっても、ただの風邪のようだ。

 見立ては当たっていたようで、39℃を超えることなく、熱は1日で下がってしまった。やれやれ。

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2007.01.27

■欠陥商品?

 枯れ木と枯れ葉の中に小鳥を探しながら、双眼鏡の左右の視度調整をしていた。まず、左で覗いてピントを合わせ、次に右で覗いて視度調整リングでまたピントを合わせる。これで、左右で視力が違っていても両方きちんとピントが合うようになる。

 が、どうも違和感が残る。もともと左右の視力差は微妙だから、なかなか調整が難しいのだ。でも、今日はそれではない。

 なんと、右目で覗くと景色が緑がかって見え、左目で覗くと茶色がかって見える。ちょうど、画像処理ソフトで色調補正をする前と後の写真のようだ。
 もちろん、双眼鏡というのはあるがままの色を見せてくれるのが理想なのだが、機種によっては黄色みが強く見えたり、青みが強く見えたりすることもある。それが「味」になっているようなものもあるぐらいだ。

 だが、左右で「味」が違っていたのではお話にならない。購入して日が浅いとはいえ、どうして今まで気づかなかったんだろう? 楽しいはずの初めての探鳥地行が一気にブルーになった。

 ややあって、まだ十分に保証期間内だから、これは欠陥品として無償修理してもらえるだろうと思い直した。しかし、また例のコンプリケイティッドライフである。手間暇を考えると沈んだ気分は救われない。

 何度確認しても左右で色が違って見えるのは間違いない。が、ふと思い立って、双眼鏡の左右を逆にして覗いてみた。すると、なんということだ。やはり、右目で覗くと景色が緑がかって見え、左目で覗くと茶色がかって見えるのである。

 ほんの少し混乱する。双眼鏡の上下を逆にしているということは、左右も逆になっているということだ。間違いない。
 なのに、さっき景色を茶色に見せていた同じレンズが、今度は緑に見せている。ありえない。ということは、双眼鏡のせいではないのだ。

 次に疑ったのは眼鏡である。これも双眼鏡に劣らず複雑なコーティングをしているので、色に影響しているという可能性もある。もしかすると、眼鏡と双眼鏡の相互作用によるいたずらかもしれない。それにしても、どうして今まで気づかなかったんだろう?

 だが、眼鏡も犯人でないということがわかった。とすると、残る光学系は「肉眼」のみである。

 眼鏡を外してもちろん双眼鏡も覗かず、ぼやけた景色を前に左右での見え方を確認する。やはり、右が緑、左が茶色だ。
 何のことはない、「わが目を疑う」べきだったのだ。欠陥品だったのは自分の目である。

 こうなってしまうと、いったい「ほんとうの」色はどんな色なのか判断することは不可能だ。もともと、誰がどんな色を見ているのか、誰にも判断することはできない。

 それにしても、この時点でほっとしたのは我ながらおかしかった。買ったばかりの双眼鏡の見え方がおかしい方が、自分の目に欠陥があるよりも心理的負担が重いのである。

 話はここで終わらない。

 その後、左右の見え方を気にしながら、ハイキング道を稜線へ向かって登っていった。上で休憩となり、近くの土手を見ていると、今度はさっきと逆なのだ。右が茶色、左が緑である。

 ない知恵を絞って考える。これは一体どういうことなのだ?
 その時の結論は、「瞳孔が開いているときは右が緑、狭くなったときは右が茶色」だった。下では暗いところを見ていたのだが、今は明るい光の下にいる。
 あるいは、山道を登って汗ばむほどになったので、血流の関係で症状が変わったのかもしれない。

 ・・・そうこうしているうちに、症状がなくなってきた。昼食を取ったころから、左右の色が違うという経験は記憶にない。

 しかし、今こうしていても、モニタの色が、ほんの少し、左の方が緑がかって見える。まあ、「気のせい」と言えないこともないレベルだ。あのときは明らかにそうではなかった。

 ネットで調べても、芳しい結果は得られない。変な病名が付いてもそれはそれで困るんだけど、原因不明というのも気持ち悪いものだ。
 眼科医の作っているウェブサイトにやっと似たような症状を見つけたが、結論は「様子を見ましょう」ということのようである。大したことはなさそうでほっとする反面、何だか物足りないような気もする。

 ノスリを見分ける自信が出てきた。そうか、ノスリ斑って言うんだ。
 ウソを初めて見られた。しかもじっくりと。
 トラツグミが木の枝に止まり、傾きかけた日を浴びて明るい黄色に輝いていた。こんな綺麗な色をした鳥だったんだ。

 自分の目への自信がまた一つなくなったこととあわせ、初めての探鳥地は思い出深いものとなるだろう。

 こんな経験をした日に見たからといって、ウソのピンク色やトラツグミの黄色を疑ったりはしない。もともと、色というもの自体、脳が作り出した幻影であると同時に、個々人の実感に支えられた確信そのものであるのだ。

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2007.01.24

■そんな日々

 先日、職場の会議をすっぽかした。完全に失念していて他のことをやっていた。仕事をするようになって久しいが、おそらくは初めてのことである。

 生来の怠け者なので、たいした仕事はしていない。ここ2〜3週間、忙しかったと言えば忙しかったかもしれないが、そんなことを言ったら普通に仕事をしている世間の皆様に申し訳ない程度の忙しさである。

 それでも、主観的には余裕がなかったのかもしれない。気がつくと、ここの更新が1週間以上止まっていた。これも、旅行期間中などを除けば初めてかも。

 まあ、そんな日々。日記代わりに。

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2007.01.21

■白ゴリラとの再会

 大学入試センター試験の英語の問題を見ていて、思いがけず、バルセロナ動物園の白ゴリラと再会した。ほぼ24年ぶりということになる。

 当時私が感じたことが、おじいさんの思い出話として語られていた。相手の孫は19歳の女の子である。
 わたしには、孫はもちろん、19歳に届きそうな子どもすらいないのに、「オレはおじいさんかよ」という気がちょっとした。
 たぶん、出題者が感じたことをおじいさんの思いとして文章にしたのだろう。出題者の自己規定は「おじいさん」なのだろうか。

 それはともかく・・・

 スペインのバルセロナ動物園にいたアルビノ個体の白いゴリラは、わたしが今まで見た中で一番頭の良さそうな動物である。当時の日記に、「世界で一匹という自覚にあふれたショーマンだった」とある。
 さまざまな行動をして、見ている人間の反応を窺い、それで楽しんでいるのがありありとわかったのだ。センター試験の問題にも、

  For the first time ever, I felt intelligence and awareness in the eyes of another species.

と、動物の目に知性や意識の存在を発見して驚いた話が書いてあった。
 その後、このゴリラが手を叩いて大きな音を出し、観客をびっくりさせたことが描写されている。これもおそらく、出題者が実際に経験したことなのだろうと推測される。

 もちろん、24年前に見たゴリラのことを思い出すことなんてほとんどなかった。が、この問題を読んで、当時の記憶が甦ると同時に、知らなかった情報を得ることができた。

 それによると、このゴリラはおそらく私と同い年で、3歳のときにアフリカで捕えられて動物園に連れてこられたという。4年前に皮膚癌で死んでいる。
 計算すると、私と会ったときは、ちょうど彼の人生の真ん中にいたことになる。ゴリラとしてはかなり長生きだったようだ。

 だが、たった4年前とはいえ、もう死んでいることにかわりはない。この前スペインに行ったときに、バルセロナまでほんの少し足を伸ばしていれば、あるいは会えたかもしれなかった、と一瞬思ったが、あれは死んだ翌年ということになるようだ。

 いずれにせよ、わたしは出題者?が受けたのと同じ衝撃と感銘を受けるほどには賢明ではなかった。
 でも確かに、あれほど賢そうな動物を他に見たことがない。

 そうか、同い年だったんだ・・・

 でも、死んだ者は年を取らない。彼の賢明さに十分に気づかなかった愚か者の方は、今後も馬齢を重ねていくことになる(はずだ・・・)。

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2007.01.13

■エラいところに嫁いでしまった!

 仲間由紀恵が新婚の嫁を演じる木曜ドラマ。

 同じ日本の中でも信じられないほど大きな文化(風習・しきたり)の違いがあることが焦点になっていて、それなりにおもしろい。
 だが、描き方があまりにマンガチックなので、現実のこととして受け取られない可能性を危惧する。実際には、驚くほどの文化的差異は現実なのだが。

 夫の実家がある土地の街並みが素晴らしく、こんなところなら一度行ってみたいと思った。しかし、劇中に出てくる「巌州白松」駅は存在しないようだ。
 ついでに、その両隣の駅、「御殿錦」と「朱鷺ヶ丘」も存在しない。

 ネットで検索して1例としてあがってこないぐらいだから、がんばってそういう名前をひねり出したに違いない。

 だが、街並み自体は実在するはずなので、いつか機会があったら行ってみたいと思う。

 ヨーロッパならけっこうあちこちにあるような美しい「街並み」というのは、日本にはもはやほとんど存在しない。
 もしあれば、それこそいきなり世界遺産級になってしまったりするのだが、ごく小規模なものなら実はないわけではない。それほど有名ではないだけだ。

 ただ、設定としては東京から北に向かった気がするので、行く機会があるかどうか・・・

 それにしても、仲間由紀恵が悪いのか、脚本や演出が悪いのか、何を演じても仲間由紀恵本人にしか見えないし聞こえない。それで人気があるんだから、まあいいんだろうけど。

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2007.01.12

■ハケンの品格、国家の品格

 とうとう、派遣労働の問題点と派遣労働者を正面から取り扱ったドラマが誕生した・・・わけではない。

 だが、知る限り、派遣という雇用形態に明白なスポットを当てたテレビドラマはこれが初めてである。ストーリーはマンガそのものだが、非正規雇用の問題を世間に知らしめるのにテレビドラマほど大きなメディアはない。
 幸い、けっこう見られるドラマに仕上がっていそうなので今後に期待したい。

 登場人物の年収がいちいち出てくるのがリアルでおもしろかった。それにしても、いくら一流企業とはいえ、部長である松方弘樹の年収が1600万円とは、ちょっと多すぎないだろうか。それとも、それぐらいもらっているのが普通なのかな。

 それに、正社員だ派遣だとカテゴライズして語る登場人物ばかりなのには驚いた。ドラマの中のできごとなのか、それとも世間もそうなのか。

 私の職場にも派遣労働者はけっこういる(と聞いている)。だが、ほとんど区別はつかないしつけない。私はいちおう正職員なのだが、一回り以上年下の派遣の人にも「あのう、すみません。ちょ、ちょっとよろしいでしょうか」みたいな感じで接している。もちろん、別に向こうが上司だというわけではない(部下でもないが)。

 まあ、のんびりした職場(私だけ?)だから人間対人間としてきちんと向き合えるのだという面はあるのかもしれない。だがやはり、「派遣は黙って正社員の言うことを聞いてればいいんだよ」みたいな台詞にはびっくりする。一度でいいからそんなことを言ってみたい(ウソです)。

 ・・・

 雇用環境がどんどん悪化していくと思っていたら、当初年収400万からという無茶苦茶な話もあった「ホワイトカラー・エグゼンプション」(=残業代ピンハネ法案(by 菅直人))対象者の基準が900万とかに落ち着きそうな雲行きになってきた。

 選挙を気にしながら、それでも国会審議にかけるためにごまかしの手を打ってきたのだろう。いったん法律を作ってしまえば、後で年収基準を下げたり対象者を広げたりするのは簡単だ。
 1986年にできた労働者派遣法がどんどん改悪され、1999年を画期として、とうとう現在のような悲惨な状況になってしまったのは周知の通りである。

 安定した雇用をできる限り多くの人に用意するのが重要なのは論をまたない。世界一金持ちの多い国アメリカのワーキングプア(4人家族で年収約240万円未満)は 4000 万人に迫る勢いだという。
 ER(緊急救命室)でもよく問題点として描かれているとおり、アメリカには安心できる医療保険制度もない。

 「美しい国」とは、日本をそんな国にすることなのだろうか。
 「うつくしいくに」「にくいしくつう」・・・

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2007.01.10

■iPhone

 1月9日、アップルが iPod 内蔵携帯電話、iPhone を発表した

 1年3か月前、「◆胸ポケットに何を」と題してここに書いた機械が実現したことになる。他社のものは以前からあったのだろうか?

 あの時「3年後のことだろうか、あるいは1年後??」と書いたが、発表が1年3か月後、アメリカでの発売が1年8か月後、日本での発売は未定だが3年後ぐらいだった、ということになる。

 問題はカメラの性能とサイズだが、後者は iPod nano というわけにはいかない。液晶画面は大きい方がいいので、後は薄さでがんばってほしい。

 いずれにせよ、カメラの性能がもう少し上がれば、今から2年後にはこの iPhone だけを胸ポケットに入れておけばとりあえず用は足りるに違いない。ちょっとした近未来への期待である。

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2007.01.09

■ウエディング宣言

 ジェニファー・ロペス、ジェーン・フォンダ。

 どうしてここに書く気になったんだろう。特に強く人に推薦したいような映画ではなかった。

 調べると、なんと日本では劇場未公開だ。その扱いはさすがにちょっと不当な気がするけれど。

 優秀な?外科医と結婚する「派遣社員」(字幕)のジェニファー・ロペス。外科医の母親は著名なテレビキャスターを降ろされたばかりのジェーン・フォンダで、この結婚を快く思っていない。

 そう、「派遣社員」であることも毛嫌いする(大きな)理由の一つという設定に考えさせられた。Temp job という英語が使われていたと思う。

・・・

 昨今の日本の労働市場の異常さは、確かに経済的要因によるところが大きいのだろう。だが、つい数年前までは「違法」だった働かせ方が、関係法案の「改正」によって今やごく当たり前になっていることにも注意を向けるべきである。
 そういう働かせ方を求めた人たちと、それを合法化した人たちが具体的に存在しなければ、いまの歪んだ労働市場はありえなかったのだ。

 そんなことを考えず、単にアメリカンコメディとして楽しむべき映画だとは思うんだけど・・・
 うん、けっこうよくできたコメディです。

 原題は、Mother-in-law(義理の母親)の Mother に、上から Monster が下りてくる形で表現されていた。

(Monster-in-law, 2005 U.S.A.)

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■バカが風邪を・・・

 昨日だったか、喉が痛いと思っていたら、今日午後頭が痛くなり、夜には微熱があった。

 滅多にないことだし、今ごろどうしたんだろう? もしかすると体が仕事を拒否してるのかも。

 先週から仕事は始まってるし、3連休にも仕事はしたし、どっちにしても大した仕事はしないんだけど・・・

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2007.01.07

■暖冬?

 朝6時過ぎ、快晴。

 明けの明星(金星)かと思った明るい星は木星らしい。

 家を出る7時30過ぎには全天曇り。西の空の黒雲は不吉なまでの色である。
 だが、8時30分ごろには穏やかな冬の日となっていた。変わりやすい天気だ。

 箕面ダム付近でウソが見られると聞いて期待が膨らむ。

 枝に止まったツグミの群れに続き、別の木の幹に隠れたカケスを見つけて幸先のいいスタート。最初後半身だけだったが、移動して脇の鮮やかな青が見える。

 しかし、鳥見に集中できたのはほんの1時間足らず。ほどなく本格的な雪になり、見る間に木々が真っ白となる。雪景色の箕面の滝は初めてだと思う。

 探鳥会は途中中止。かじかむ手をなだめながら駅前に戻り、雪道ドライブ。箕面ダムまでの路面は大丈夫だが、そこから五月山ドライブウェイに抜ける道は真っ白である。その雪道を歩いている2人連れがいて感心させられる。

 いったん帰宅して夕刻また出かける。4時半、快晴。ほんとに変わりやすい天気だ。

 それにしても、去年は暖冬だと言われていたのに記録的な雪。今年も暖冬だというのだが、ほんとにそうなのだろうか。この先、どうなるんだろう?

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2007.01.04

■セーターを持ってないって?

 夜11時前、名残の年賀状を出しに家族で近くの郵便局へ。天頂近くにほぼ満月。空は澄み、明るい星がいくつか見える。
 先日の2℃の夜よりは十分暖かかったが、帰り道、息子が寒いという。

「セーター着てへんやん。そら寒いわ。下にセーター着とかな」
「セーターなんか持ってへんもん」
「えっ? ○×△※☆・・・」

 そういえば、息子のセーター姿というのを見たことがない。鳥見の時など、コートというかジャンパーというか、そういうのを2枚重ねて着ているので、変な奴だなとは思っていた。
 家人によると、セーターが嫌いで買わせないのだという。

 ふつうの父親よりは格段に息子とかかわっているつもりでも、息子がセーターを持っていないことを知らないというのはおもしろい。もともと、自分のであれ人のであれ、服装に無頓着だというのもあるのだろうが、それにしても。
 やっぱり、目に入っていても見えていないものっていろいろあるんですね・・・

 理由はともかく、関西に住んでいてセーターを持っていないというのは相当変わっている。気が小さく、まわりの目ばかり気にする癖に、変なところで異様にゴーイングマイウェイだ。そんな点が他にも多々ある。

 そんな揺るがない「自分」を私も持てれば、と思わないでもないけれども。

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■ありがたい読者

 たまたま誰かのブログを知り、つい全部読んでしまうことがある。ブログ黎明期のころは長さもそれほどではなかったが、現在だと数年分を読んだりすることになり、けっこう時間がかかる。私の場合、そんなことが何度かあった。

 同じように私のブログを読んでくれる人がいるのだろうかと考えたことは1度や2度ではない。しかし、そんなことを知ることができるはずもない。私だって、知らない人に「おもしろかったので全部読んでしまいました」なんて知らせたりはしない(あ、最近一度知らせたぞ)。

 さて、新年を迎えて人並みに年賀状をいただくが、その中に、ここを読んでくださる方からのものがある(職場の人間を除き、以前片っ端から知らせたからだ・・・)。おおかたは社交辞令だろうと自戒するものの、具体的なエントリについて何か書いてくれていたり、「楽しみにしています」と言われたりするともちろん悪い気はしない。

 そして、今年とうとう、3年分を一気に読んだというお便りをいただいた。夢にまで見た?コメントで、ありがたいことである。今度ぜひ、ゆっくり語り合いましょう。

 今後も精進して、存在を知るや否や一気読みしたくなるようなブログを書こうと・・・はやっぱり思わない、かな。自分の趣味で書いているのだから、やはりたまたま気に入っていただけるかどうかがすべてだろう。それ以前に存在を知ること自体が難しいし、ごく少数の方にしか気に入っていただけないようだけれど。

 いずれにせよ、もし継続して読んでくださっていたり、少しでもお気に召したことがあったりした場合は、黙ってお読みになっていないでぜひお知らせくだされば幸いです。ご質問等も歓迎します。メールアドレスのリンクは左にあります。あなたからのメールが私を幸せにします ^^;

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2007.01.03

■ジャケット

 借りた記憶がないのだが、TSUTAYA DISCAS から送られてきた映画。内容にふさわしく?ミステリじみた話だが、おそらくは予約リストに登録していたのを忘れていただけだろう。そう思っても、なぜ登録したかがどうしても思い出せない。

 それはともかく・・・

 いいですね。

 陰惨な不条理劇のような話で始まるので、うわっ、これはえらいものを借りてしまった、後味が悪くなければいいが・・・と思って見ていると、どんどん話に引き込まれていく。

 実は、heart-warming な優しい映画。2007年のお正月に見たのもぴったりだった。

 テーマの一つは人生にまつわるお説教なのだが、説教臭さは感じられなかった。必見、と言っていいのではないだろうか。

 『プライドと偏見』のキーラ・ナイトレイ、癖のある顔は忘れもしないのだが、どこで見たのかしばらく思い出せなかった。まったく雰囲気の違う女性をちゃんと演じられるのは、やはり女優ですね。

 こんなところにもジョージ・クルーニーの名前(製作)。活躍してるなあ・・・

(The Jacket, 2005 U.S.A., Germany)

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■探鳥お雑煮新年会

 大阪の南港野鳥園で探鳥会。

 鳥は少なかったが、ミサゴ・スズガモ(雌)・セグロカモメ・イソシギ・ジョウビタキ(雌雄)・ウグイス(笹鳴き)など。

 その後、おいしいお雑煮をいただいて鳥ビンゴ新年会。

 私は関西生まれの関西育ちだが、なぜか生家はおすましのお雑煮だった。何が入っていたかはもう思い出せないが、焼いたお餅は間違いない。そうそう、穴子や三つ葉も欠かせなかったような気がする。

 結婚して、白味噌のお雑煮を初めて知って驚愕した。思えば無知だったものだ。具は、大根や人参に里芋。それも驚きだった。
 しかも甘い。さらなる驚きは、餅を焼かないこと。「ありえない」の連続で、それまでの人生で一番大きなカルチャーショックだったかもしれない。
 極めつけは、餅の中のアンコ(粒餡)。申し訳ないが、結婚後最初の数年は、とても食べられたものではなかった(今年の正月はおいしくいただきました)。

 今日のお雑煮は、やはり白味噌ベースに人参大根なのだが、餅は焼いてから入れる。青のりを振りかけていただく。甘くも辛くもなく、抑え気味の出汁が効いた上品な薄味という風情。

 地方によって、家庭によって、大きな違いから細かい違いまで、実に多様なお雑煮があるに違いない。同じ国といっても、文化はかくのごとく異なっている。「お正月にはお雑煮を食べる」という文化自体は、全国津々浦々(&山々谷々)に存在するのだろうか?

 今はもう、おそらくどんなお雑煮を見ても驚かない。むしろ、さまざまなお雑煮を味わってみたい。多文化こそが悦しみの源泉である。

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2007.01.01

■着物姿なき元日

 近くの神社に初詣でに出かけた。初詣でなんて何年ぶりだろう? 10年ぐらいにはなるかな・・・

 歴史は古いらしいが、特に何ということもない神社。しかし、本殿に参るまで30分も並ぶことになった。行列の見た目はもっと長い。

 その長い行列の中に、着物姿の女の人をついぞ見かけなかった。厳密にいうと、3人ほど見かけたのだが、うち2人は幼女である。大人(顔を見なかったので少女かもしれない)はたった1人だけだった。

 何だかんだ言っても1月1日である。それでもほとんどの人、いやもう、すべての人と言っていいぐらいの人が普段着だ。もちろん、私たちもそうである。

 着物的な文化だの伝統だのに自分はどちらかといえば冷淡だと思っていたが、何のことはない、ごくふつうなだけだということがよくわかった。
 もう10年前になるかもしれないが、前回の初詣では着物姿は決して珍しくなかったのに・・・

 それでも正月の田舎神社に長い行列はできる。伝統文化は形を変えながらも脈々と息づいているということなのだろうか。

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■2007!年

 というわけで、『THE 有頂天ホテル』が終わるのとほとんど同時に新年。5分違っていれば劇中のカウントダウンが一致していたところだ。

 除夜の鐘は聞こえてこない。花火の音が新年を知らせ、南の空を彩っている。

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