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2007.09.30

■ナンキンハゼ「伐採」

 狭い庭にジャングルのように繁茂するナンキンハゼ。今年初めて花を咲かせ、実をつけている可愛い奴なのだが・・・

 とにかく成長の勢いがすごく、去年も今ごろ剪定したのに、もはや隣家の壁まで届いている。

 うちより少し低くなっている隣家の屋根の上にまで枝が伸び、このまま落葉を迎えると、樋を詰まらせてしまうのではないかという心配もある。

 剪定しないといけないのだが、とにかく庭が狭いため、境界をはみ出さないようにしようと考えると、剪定というよりはほとんど伐採になってしまう。

 枝を切りながら、ふと、こんなことをしなくてすむ広ーい家に住みたいなあ、という思いが半ば真面目によぎった。まあ、妄想の域を出ないのだが。

 今日切った枝の中で一番太いのはおそらく直径7cmぐらいあるだろう。ノコギリでないと切断できないし、切断した後、重くて広がりすぎてて運べないほどだ。

 剪定後、ほとんど「こんもり」という形容がふさわしいほどだったナンキンハゼは、すっかりすかすかのハゲチョロピーになってしまった。

 シジュウカラなんかも来て、先日など、窓越しに距離2m以下で対峙したこともあるのだが、こんなにスカスカになってもまだ来てくれるだろうか。

 まあ、隣家に迷惑をかけられないので仕方ないんだけれど。

 ___

 剪定した枝葉を捨てやすいように細かく切る作業で、たぶん1000回以上は剪定ばさみを握った。右手の明日が心配だ。
 それにしても、文字通り山となったあの枝葉、どうやって処分すればいいのだろう?

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2007.09.29

■ありえないブドウ

 夕刻、スーパーで買い物をしていて、驚きの葡萄を発見した。見慣れない大きさで異様な感じのする葡萄だ。

 ちょうど、初めての異国で果物売り場を覗いたときと同じような新鮮さがあった。

 たとえていうなら、スモモが房になっているような感じなのだ。

 もっと小さくて稠密で、おいしそうな房もあったのだが、どうせならいっそのことと、一番大きい粒の房を買ってきた。高かったのに、こんな思い切った買い物をしたのは久しぶりである(といっても数百円です・・・)。

 まだ食べていないので味の方はわからない。家人は「気持ち悪い。果物に見えない」といって敬遠している。

(後記:比較的大きめの粒の横幅を計ったら3.6cmありました。)

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■ようやくの秋

 家の中に裸でいて肌寒さを感じた。夏以来初めてのことである。

 ここ大阪にもやっと秋が来たらしい。

 「暑さ寒さも彼岸まで」というのを子どものころに聞いてから、だいたいはその通りになることが多くて感心していたのだが、最近はそうでもなくなってきた。
 でも、これほど異常気象が騒がれた今年ですら1週間しかずれないのだからたいしたものである。

 今はしとしとと雨が降っている。この後また、秋雨前線が北上して暑くなったりするのだろうか。

(後記:そういえば、2〜3日前、洗濯物を干していると、ジャングルのように繁茂している庭のナンキンハゼの葉が数枚、綺麗に紅葉しているのに初めて気がついた。)

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2007.09.27

■野球音痴

 さっき、ちらっと目に入ってきたスポーツニュースで、井川投手がビールだかシャンパンだかをかけられている映像が流れていたので、

 あれ !?、阪神が優勝したのかな。なんかもう望みないみたいな話を友人のブログで読んでるんだけど・・・と思った。

 ・・・調べてみると、そういうことなんですね。

 でも、井川の顔が認識できて、彼が阪神の投手だったということを知っているだけでも自分では意外です。掛布や田淵や中村ならよくわかるんだけど。

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2007.09.26

■デジャヴ

 デンゼル・ワシントン主演のSFサスペンスロマン。

 というようなまとめもイマイチだし、ネットのあちこちで見られる予告やあらすじなんかでも、どうかなあ、と思ったのだが、何せ1年に100作品以上映画を見ているので(笑)、もう見るものがなくなってきている。
 デンゼル・ワシントンの映画はほとんど見ているし、たぶんハズレはないだろうと、ツタヤ・ディスカスのリストに入れておいた。

 これがよかった。最後は涙さえ出た。

 でも、主人公の無謀な行動で出る犠牲者のことやらタイムパラドクスのことやらをいろいろ考えないで、素直に物語に没入する必要がある。

 監督のトニー・スコットって、いつまで経っても映画通にならない私でも知っているような気がするので調べたら、なるほど、この一連の作品がそうなのかと、妙に納得しました。
 基本的に出演者にしか目がいかない(それすら怪しい)ところが、いつまで経っても映画ファンすら自称できない原因なんですね。

 ツタヤ・ディスカスに「常時20本以上登録しておいてください」とかしつこく言われているのに、さっき見ると、リストに残っているのはたった2つ。一つは貸し出し可能率が低そうだ。

 今月あと2本借りられるはずだし、リスト補充しとかなきゃ・・・

 (今調べたら、すでに8枚(限度いっぱい)借りてました。今月見る映画は15本を超えるな・・・)

(Deja Vu, 2006 U.S.A.)

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2007.09.24

■映画三昧

 別エントリにしよう。

 1週間で5つも映画を見たなあ、とか思っていると(あ、『バブルへGO!!』も見たから6つかな)、ふと気づいた。

 ツタヤ・ディスカスに入会以来、月に8枚のDVDが送られてきて、ほぼ例外なく最後まで見ている。これで、年に96作品ということになる。
 これ以外にもビデオ屋で借りたりして映画を見るので、

 年に軽く100本以上!の映画

を確実に見ていることになる。こう書いても信じられないが、間違いない。

 若かりしころ、年に100本ぐらい映画を見るなどという人の話を聞くと、それは相当な映画フリークだということになり、私から見ると宇宙人であった。

 もちろん、そのほとんどは映画館で見るのだろうし、それには途方もないコストが(といっても、映画代自体は20万円も行かないか。そう考えると大したことはないような・・・)かかっていて、今の私とは事情が違うのだが。

 しかし、DVDで見ても、映画100本は映画100本である。ほんとにそんなに見てるのかな?

 ちっとも「映画通」になってこないし、まだ信じられない。

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■シャレード・卒業など

 ひょんなことから、新しくビデオ屋の会員になり、昔の映画を見ている。とりあえず5つ借りたのは見終わったが、そのうち4つは、1度も見たことのない(たぶん)名作である。

 唯一見たことがあるのが、『卒業』(ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、サイモン&ガーファンクル)。

 今まで気にしてなかったけど、この題名って、The Graduate(=卒業生=ダスティン・ホフマン)なんですね。
 似て非なる題名で、映画の意味がすごく違ってしまうような気がする。

 あまりにも有名な映画なので特に何も書きませんが、ダスティン・ホフマンの同級生の母親という設定のアン・バンクロフト、台詞でも「倍の年齢」とか言ってるんですが、実際の2人は、なんと6歳しか年が違いません。

 ちょっとくらくらしました。

 あとは、

シャレード(オードリー・ヘップバーン、ケイリー・グラント)
レマゲン鉄橋(ジョージ・シーガル)
真夜中のカーボーイ(ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイト)
郵便配達は2度ベルを鳴らす(ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング)

 シャレードや真夜中のカーボーイを見たことがなかったというのが私の若さですね(笑)

 後者が「ニューシネマ」と呼ばれた理由がわかるような気がします。ものすごくシュールな感じで、今でも虚心坦懐に見れば斬新です。文学作品だけど。

(Charade, 1963 U.S.A.)
(The Graduate, 1967 U.S.A.)
(The Bridge at Remagen, 1968 U.S.A.)
(Midnight Cowboy, 1969 U.S.A.)
(The Postman Always Rings Twice, 1981 U.S.A.)

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2007.09.20

■曇りのない眼2

 思い出した。

 世界陸上をニュースか何かで見ていたとき、ハンマー投げの室伏広治が出てきた。

 息子が「この人、なにじん?」と聞くので、何の疑問もなく、「日本人や」と答えた。なんといっても、あの「アジアの鉄人」室伏重信の息子なのである。

 が、息子は「ぜんぜん日本人に見えへん」と言い張る。「そうかあ?」とか「見えるけどなあ」とか言っているうちに、自信がなくなってきた。

 まあ、体型はこういうスポーツをしているのだからと思えるが、それにしても「日本人離れ」している。顔立ちもそういわれれば西洋系だ。

 でも、室伏重信の息子であることに(たぶん)疑問の余地はない。

 とすると・・・

 そんな話、ぜんぜん聞いたことがなかったのだが、なんと、室伏広治の母親(つまり重信の妻)は、「オリンピック槍投げルーマニア代表のSerafina Moritz」(Wikipedia情報:未確認)なんだそうである。

 そういう情報を得ると、顔が急に欧米人に見えてくるから不思議だ。「室伏重信の息子」という情報は、見た目に日本人化のバイアスをかけていたことになる。

 またも、息子の曇りなき眼に教えられた。

 ___

 そういえば、最近、外国人が来ていてもまったく不思議ではない会合に出ていたのだが、初めて見る顔の女性を勝手に日本人だと想定してしまっていた。あれはどういうバイアスによるのだろう?

 知り合いに、しょっちゅう「日本語がお上手ですね」とか「母語は何ですか?」とか言われる男もいる。そのたびに、「ええ、日本人ですから」とか「日本語だよ(怒)」とか答えているという。

 結局のところ、見た目はあてにならない。いや、そんなことは知ってるんだけど、それでも・・・

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2007.09.15

■曇りのない眼

 息子が「これ、どこがおもしろいん?」といって、新聞に載っている笑い話を持ってくる。

 オチは一目瞭然、妻である筆者が買い物に行かず、夫が行くのが日常だという「非常識」である。

 これがわからないとはどういうことか、最初はわからなかった。やっぱりアホだからかな?

 幸い、そうではなさそうだった。息子には「買い物に行くのは母親の役割だ」という「常識」がないのである(やっぱりアホですか?)。

 最近はそんな家庭も増えただろうが、うちの家族はちょっとヘンだ。掃除機を使うのは、99%、夫である私である。別に契約したわけではなく、何となくそうなってきた。
 一度、腰を痛めて掃除ができなかったとき、あんまり部屋が汚くなってきたので、妻に「悪いけど掃除してくれへん?」と頼んだことがある。

 もちろん?気持ちよく掃除にかかろうとしてくれたのだが、第一声は何と、

 「これ、スイッチどこ?」

であった。掃除機購入からその時まで、手を触れたことすらなかったのである。

 ___

 息子に、「買い物にはふつう、だれが行くと思ってるん?」と聞くと、「家族3人で」という答。
 確かに、買い物は95%ぐらい、家族3人で出かける。息子にとってはそれ以外の買い物は例外的な出来事である。そして、その例外にしても、一人で行くときは私だけということが多い。いわゆる「お使い」である。
 そういう家庭に育ってそれが常識だと思うと、冒頭の笑い話のオチはわからない。

 笑い話に限らず、学校で教えてくれることや日常生活の知識を積み重ねていく上で、どうやって身についたのかよくわからない「常識」が前提となることがよくある。
 われわれ大人はふつう、自分は「常識」とは違う行動を取っていても、世間で常識とされているのは何かということを、だいたいは身につけている。

 子どもはそうではない。もしかすると、息子の曇りなき眼から形成された常識は、「掃除はお父さんの仕事、料理はお母さんの仕事、皿洗いは両方の仕事、買い物は家族全員で」なのかもしれない。

 世間というものを知らないのだから、当然といえば当然である。だが、もうすぐ義務教育も終わるのだ。こんなことで社会に出られるのだろうか(とりあえず出ないはずだけど)。

 それにしても、友達とかと話をして形成される「常識」はないのだろうか。友達が少ないからか、ゲームの話ばかりしているからか、それともやっぱりアホだからかな・・・

 ___

 もちろん、息子の目に曇りがないのではない。自分の生まれ育った家庭を基準とするという、非常に歪んだ別の曇りがあるのだ。

 それでも、いつも「常識」という曇りガラスを通してものごとを見ることに慣れてしまっていると、違う曇り方を提示されるだけでも目を見開かれる思いがする。

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2007.09.14

■ブラッド・ダイヤモンド

 サスペンスとしても社会派としてもラブストーリーとしても秀逸。父と息子の物語としても。

 映画的なご都合主義には目をつぶって素直に劇中に身を投じてほしい。

 アフリカの美しい映像の中で繰り広げられる現実・・・

 これぞ映画だ、と思う。

(Blood Diamond, 2006 U.S.A.)

 蛇足:ジェニファー・コネリー、綺麗になったなあ・・・ 別人かと思った。眉毛の立派さは相変わらずだけど。

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2007.09.13

■また白馬(その2)

 サービスエリアの駐車場の片隅で、6時半ごろ目を覚ます。そんな時間に既にやっているSAの食堂でラーメンの朝食。

 松本インターで降りて、白馬方面へ向かう。春に一夜を明かした道の駅白馬に立ち寄る。

 地図で見ると、栂池高原の上の方に、「栂池自然園」という高層湿原があるようだ。標高約2000m。やや季節外れだが、高層湿原好きとしては行かねばなるまい。幸い、湿原近くまで道もついている。

 ところが・・・

 道は一般車通行止め。上がるにはゴンドラとロープウェイを乗り継いで3000円もかかる。自然園の入園料も別に300円。

 遠い昔、はるばる北海道の旭岳の麓まで夫婦で行って、ロープウェイの値段と天候とを考えてすごすごと引き下がってきたのを思い出す(2006年夏に息子も連れて行ったときは、同じような天気だったが、さすがに登った)。

 うん、3300円にめげて登らない手はない。昔ほど貧乏ではないのだ。1人だし。3人いて1万円じゃなくてよかった ^^;

 ゴンドラに乗り込んでから、「しまった、折りたたみ自転車を持って上がるんだった!」と後悔した。
 そうすれば、運賃は片道になり、帰りは長大なダウンヒルを楽しむことができる。

 だが、今日も雲行きが怪しい。雨が降ったらとんでもないことになる、と無理矢理納得する。

 上に着いてから、商売関係の人たちの車がけっこうあるのにげんなりした。それなりに広い駐車場もある。これなら、少なくとも平日は、一般車を上がらせてもいいだろう。あるいは安いバスを往復させるとか。
 環境保護というよりは、ゴンドラとロープウェイで儲けるために通行止めにしているのだ。通行止めにするぐらいなら、道なんかつくらなければいい。

 高層湿原一周は、涼しくてよかった。涼しい風が出てくる風穴前でコンビニおにぎりの昼食。
 が、ほぼ雲と同じ高さにいることになってほとんど展望がきかない。ほんとは白馬連峰がみごとらしいんだけど。
 それに、帰りはかなりの雨になり、ガスがかかって視界もきかなくなってしまった。

 そんな中、何度も聞こえるさえずり。レンジャー?に聞いてもロープウェイの人に聞いてもまったく知らないのだが、ちょっと鳥に詳しい人なら誰でもわかるらしい。メボソムシクイである。
 もう一つ、関西では見ることのできない、胸から上がゴマフアザラシのような模様をしたヒタキ。

 図鑑を端からぜんぶめくっても、該当する鳥はいない。

 これも、わかる人に聞けば、ルリビタキの若鳥だということで、なあんだ、である。
 成長してこの模様がなくなってから、冬鳥として関西にやってくるのだ。鳥見の初級者としては、「こんな鳥、見たことがない!」ということになってしまう。

 いずれにせよ、小さな収穫であった。

 下るころにはまた雨もやみ、「よし、今度は自転車を積んでくるぞ」と決意する。でも、自転車さえも通行止めとか言わないだろうな。

 また懐かしの「道の駅白馬」に戻り、斜め向かいの「素泊まり2500円」に泊まることにする。

 食堂もやっているようだが、「準備中」の看板。人の気配もない。鍵はかかっていなかったので、声をかけつつおそるおそる中にはいる。宿泊施設なら「準備中」もないもんである。

 フロントの呼び鈴を鳴らしても返事はない。ふと見ると、呼び鈴のすぐ先に、「ここに電話してくれ」というA4ぐらいの紙。なるほど、客が少ないときはそうなっているのか。
 電話をすると何と、「勝手に2階へ上がって好きなところを使ってください」とのこと。

 頭の中が???になるが、2階へ上がって納得した。狭い体育館のような空間に、2段ベッドがずらっと並んでいるのだ。2500円という破格の値段の謎もこれで解決する。
 他に客はいなさそうだし、ゆっくり横になれるなら、こんなところでも十分だ。

 白馬の麓の別荘地?で夕食。カーナビで探したお目当てのレストランは休みで、近くの山小屋風イタリアンでペスカトーレを食べる。

 宿に戻ると、人がいた。気持ちのいい応対である。今度から信州に来たときの定宿にしようかな。でも、今日みたいにすごく空いているとき限定か。
 結局、50人ほども泊まれるのに、その夜、泊まったのは私1人だった。

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2007.09.12

■それならボクはやめちゃいます

 第二次安倍内閣発足からわずか2週間あまり。

 臨時国会で所信表明演説を行ってから2日・・・

 その所信をまったく何も実現しないうちに、安倍首相が辞職するという。

 今日から始まるはずだった代表質問を前にしての「敵前逃亡」なのだろうか。

 だれもが、いくら何でもこんなタイミングで・・・と絶句したはずだ。

 最後の最後まで、「美しくない国の恥ずかしい首相」だったということになる。

 「戦後生まれの初めての首相」がこういう人物だったということは、もしかすると「戦後レジームから」は本当に「脱却」すべきなのではないかと、あらぬことを考えてしまったりする。

 ___

 首相が残したのは、憲法改変への道筋と教育基本法の改変、そして、

 簡単になれて、好きなときに投げ出すことができる

という、内閣総理大臣の職に関する悪しき前例のみのような気がする。

(唯一、納得できる理由があるとすれば、所信表明演説と辞意表明までの2日足らずの間に、自身の死に至る病が発見された、ということ以外にはない。
 そうでないとすれば、もともと「内閣総理大臣」などという職にはふさわしくない人物だったことがあらためて確認できる辞職劇だった、といわざるをえない。)

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2007.09.11

■1人で奈良、電車?

 もう少しはどこかへ行きたいと、奈良に行ってきた。

 「ならまち」というのが、古い街並みで有名だというのを最近知ったのだ。

 さすがに近いので、奈良には何度か行ったことがあるものの、奈良町散策なんて考えたこともなかった。

 というわけで、車に自転車を積んで出かける。

 近畿自動車道を降りて阪奈道路経由でと、昔のルートを考えていたのだが、カーナビで見ると阪奈道路にかかるまでのところであちこち渋滞しているようなので、近畿自動車道→阪神高速→第二阪奈有料道路(阪奈トンネル)という、最速ルートを取ることにする。家から奈良まで45分ほど。

 これで何と、有料道路代が計1500円もかかるのだ。往復だと3000円。駐車場代が1000円でガソリン代が約1000円だとすると、1人でぶらっと奈良を往復するだけで5千円もかかることになる。

 それだけあれば、あんなこともできる、こんなこともできると思ってしまう貧乏性なので、おもしろくもない孤独な奈良散策に費やすには大きすぎる費用だ。もちろん、5千円には一切の飲食代などは含んでいない。

 で、案の定、おもしろくもない孤独な奈良散策になった。まあ、「格子の家」という町屋を見学できたのはよかった。
 あと、思いのほか涼しくて、雨にも遭わなかったのは幸運かもしれない。

 猿沢の池のほとりに座って、アクエリアスフリースタイルを飲む。
 けたたましい鳴き声に気づいて双眼鏡を取り出すと、案の定、カイツブリが2羽。それで思いついて、行きにも気になっていた、池中央の噴水横の岩の上にある鶴の彫刻にレンズを向けると、これが何と、生身のアオサギであった。
 私の視力も視力だが、アオサギもアオサギである。
 
 もうじゅうぶん、というほどならまちを縦横無尽に走り回っても、1時間ほどしか経っていない。むしろ歩いてまわるべきなのかな、とも思う。

 これなら時間貸しの駐車場に入れればよかったと後悔しつつ、東大寺の周囲をポタリング。

 帰りは1500円の高速代を惜しんで、木津・四条畷・寝屋川経由で帰宅。1時間40分ぐらいかかった。

 調べてみると、うちから奈良まで、公共交通機関を使うとおよそ1500円かかる。往復3000円。時間も1時間40分ほどかかりそうだ。

 1人でなら、電車で行った方がいいかとも思ったが、1人ですら、高速を使わなければ車の方がよほど安いということになってしまう。時間も変わらない。自転車を電車に積み込むのも一苦労である。

 これは要するに、電車賃やバス代が高すぎるのだ。あるいはもしかすると、ガソリン代が安すぎるのである。
 こんな料金設定にしておいて、クルマに乗らないで電車に乗りましょう、といっても説得力がない。われわれは(見た目の)経済原則からは逃れられないのだ。

 もちろん個人的には歓迎しないけれど、ガソリン代を大幅に上げて、その分を公共交通への補助に回すべきである。経済動機に基づく環境シフト策を採らないで、倫理や道徳に訴えても効果は限られている。

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2007.09.10

■それでもボクはやってない

 前評判や多くの批評の通り、素晴らしい映画だった。

 被疑者や被告人となった経験のある人も、司法関係者も、いずれもが「現実はまさにこの映画の通り」と口を揃える。

 その「現実」がこれ以上ないほどの不条理であるのが日本の司法の現状である。

 すべての人に見てほしい。

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2007.09.09

■また白馬(その1)

 9月に入ってから遅い夏休みを取っている。

 ある日、家でごろごろしてるのも何なので、どこかへ出かけようかと思った。夕方4時ごろである。

 どこへいっても暑そうなので、とにかく涼しいところへ行きたい。今からなら、北海道や東北へ向かうフェリーに間に合うかもしれない。だいたいは夜中に出航するのだ。

 そう思って調べてみると、その日に運行はなし。早い便でも翌日の夜中だ。その船で出発して着くのに丸一日かかっていたのでは、活動できるのは「しあさって」の朝から、ということになってしまう。いくら長い休暇を取っているからといっても、それではさすがに困る。

 夕食時、「どっか出かけてくるわ」と家人に告げると、その計画性のなさにあきれられる。結局、フェリーは諦めたので、車で自走できる範囲で涼しいところとなると、はやり信州になってしまう。
 だが、念のため、そのまま東北まで足を伸ばす可能性を考え、以前行ったときに買っていた東北の地図やガイドなども持っていく。荷物にほとんど制限がないのが車旅行のいいところだ。

 お風呂にも入り、のんびり準備をする。

 折りたたみ自転車とキャリーオンのスーツケースを並べて、ちょうどトランクの横幅に納まる。入るかな?と考えていたのだが、半年前にも同じようにして出かけたことを思い出した。

 家を出たのはちょうど真夜中の0時だった。

 22時ごろには出て、中央高速の駒ヶ岳SAあたりで寝ようかと考えていたのだが、今からだとそこまで行っていては夜が明けそうな感じである。

 結局、恵那峡SAの一番隅っこに車を駐めて寝ることになった。

 この時期にこういう旅行をした記憶がないので気づかなかったのだが、持ってきた寝袋がまったく必要ない。車の中で寝るぶんには、タオル一枚すら不要で、Tシャツ一枚でちょうど暑くもなく寒くもなく、その点に関しては快適に寝られる。

 それでもやはり、寝るように設計されていないシートの寝心地は悪く、いくら快適な気温とはいえ、背中やお尻の方はやはり汗ばんでくるのだった・・・

つづく

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2007.09.03

■ボビー

 死んだ祖母は洋画を見なかった。

 その理由は、「誰が誰やらわからへん」というものだ。

 子供心に「そんなあほな」と思ってバカにしたりもしていたが、おそらくは、50代後半になるまで西洋人の顔を見ることなんてほとんどなかったわけだから、当然かもしれない。

 ちょうど、ぼくたちが犬やら猫やら鳥やらの顔を見分けるのが苦手なのと似ているのだ。西洋人には失礼だけど。

 日本の猿(サル)学が群れのメンバーの顔を見分けて名前をつけることで世界をリードしたのは有名な話だが、鳥の顔だって実は見分けられる。
 もちろんまだまだ修行が足りないけれど、うちで飼っている文鳥が同じ種類の文鳥10羽の中に混じっていても、顔だけで見分ける自信ぐらいはぼくにだってある。

 話が逸れてしまった。

 映画の題名『ボビー』とは、ジョン・F・ケネディの弟で、司法長官・上院議員を歴任し、大統領になるかもしれなかったロバート・F・ケネディの愛称である。

 この映画を見ようと思ったときにぼくが想像していたのは、まったく違う映画だった。ボビーの選挙参謀たちが活躍する政治ドラマのように思っていたのだ。たぶん、新聞の評を読んだだけでそうイメージしたので、責任の幾分かはあの評にあると思う(後記:私の誤解でした。申し訳ありません)。

 実際に映画が描いているのは、当時のアメリカの空気とその中を生きた人々である。

 ボビー本人とはむしろ、ほとんど何の関係もない。もちろん、ボビーがその「空気」の軸になっていて、最後にはそこへと収束していくのかもしれないが、その収束は一気に混迷へと逆転されるし、映画を見ている者の多くはそれを承知している。

 生(なま)の政治が描かれるのは冒頭と中盤と最後のそれぞれ2〜3分ずつだけである。後は要するに、ケネディの選対本部があったロサンジェルスのアンバサダーホテルにいる、ほとんどはケネディとは無縁の人たちの群像劇だ。
 三一致の法則とまではいかないが、場所は動かず、時間が前後したりすることもない。いわゆるグランドホテル形式である。舞台はアンバサダーホテルだけど。

 登場人物は非常に多いのだが、「誰が誰やらわからへん」ということはまったくない。有名な俳優を散りばめているからだけではなく、顔を知らない俳優がたくさんいても、一人一人がくっきりと浮かび上がってくるのだ。
 演技による存在感もさることながら、やはりつくりがうまいのだろう。祖母の血を引いてか、顔を見分ける能力が人に劣る私でも、まったく混乱することはなかった。

 途中、下で仕事をしていた家人が上がってきて「主人公は誰なん?」と聞いた。「主人公っておれへんと思う。いろんな人を並行して描いてるねん。群像劇っていうか・・・」
 実際、最後までそうだった。良くできている。

 この映画で描かれている日に、自分が何をしていたかはもちろん思い出せない。こんなことがあったことすら知りもせず、次の日も元気に?幼稚園に通っていたのだろうか。

 アメリカ人ですらないそんなぼくでも、もしもこんなことがなくて、ロバート・F・ケネディが大統領になっていたら、と夢想してしまう。あるいは、ジョン・F・ケネディが暗殺されていなかったら・・・
 あるいはまた、ジョージ・W・ブッシュではなく、一度は決まったアル・ゴア(『不都合な真実』)が大統領になっていたら、とか。

 もしかすると、このろくでもない世界が少しはマシになっていたのだろうか。せいぜいで、ろくでもなさの起こる場所や時間がずれただけかもしれないけれど。

(Bobby, 2006 U.S.A.)

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2007.09.02

■ブラックブック

 ナチス占領下のオランダでレジスタンスに参加することになったユダヤ人女性・・・

 さりげなくあっさり終わりそうなラストシーンもそうはゆかず・・・

 それ以上何も申しませんので、ぜひご覧ください。もちろん、ドンパチ系の映画ではありません。

 それにしても、これが実話を元にしているなんて・・・

(Zwartboek, 2006 Netherlands, Germany, U.K., Belgium)

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■まだ猛暑

 夜はすっかり過ごしやすくなったし、天気も曇りだというので、久しぶりにバードウォッチングに出かけた。

 それでも、やっぱり山に登ったりするのはやめた方が無難だろうと思って、里山散策の方を選んだのだが・・・

 みごとに暑かった。「やめておけばよかった」という暑さまで紙一重というところだ。

 帰り、車外温度計が40℃を記録。この車を買って6年、初めて見る数値であった。

 そんな日に鳥見。結局、ずっと晴れてたし・・・

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2007.09.01

■長かった夏

 日付が変わって9月1日。

 さきほど、8月末締め切りの仕事を終えたところだ。

 大した仕事ではないのだが、どちらの「才能」もない者にとってはやはりそれなりに大変だし、半年以上前からちょっとした心の重荷であり続けていた。

 このまま何事もなく素直に進んでくれるといいんだけど。

 去年の夏に六甲山で購った、賞味期限切れのちょっと高級?な葡萄ジュースで一人祝杯をあげる。最後の1本だ。

 ・・・セイベル種の葡萄のストレート果汁だが、けっこうきつい味で今も咳き込んでいる。

 間の抜けたお祝い。

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