●ソファーも
ソファーもどうしようもなくなっていて、買い換えなければならないんだった。
冬のボーナスかなあ・・・
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「マンション分譲大手の日本綜合地所(東京)は4月から、管理職を対象に部下との会食や冠婚葬祭の費用として「部下手当」を導入する」(朝日新聞)のだそうだ。
その金額が、部長級で部下20人以上の人が30万円。「副課長」でも10〜15万円・・・
この記事を読んだ時、当然のことながら年額だと思った。だが何と、「月額」なのだという。
毎月30万円を「通常の給与の一部として支給する」のだそうだ。
どれだけ儲けてんねん。
その30万円を使って、これからは思う存分部下と飲みに行ったりできるわけだが、これまではいったいどうしていたんだろう?
まさか、いくら何でも、毎月部下に30万円自腹で奢っていた上司がいるとは思えないんだけど・・・
してみれば、接待費などの名目で経費として違法に落としていたか、それほど使う必要はなかったか、その両方だったかのどれかだろう。
これからは毎月、30万円も使うのだろうか?
経費で落とすとか接待で飲むとかタクシーチケットで帰るとか、そういうのとはまったく無縁の生活をしている者にとっては、何にせよ、別世界の出来事である。
それにしても、部下に奢るために本来の給与とは別にもらうお金が年額360万円。
それだけの年収すらない人が、勤労者の半数以上だと思うんだけど・・・
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昨日、給湯器交換完了、34万円也。振り込みついでに双方の実家に春の仕送りもしたので、出費が1日で計70万円・・・
給湯器、細かい点では改良されているらしいが、要は復旧しただけ。しかも、床暖房リモコンの一つが故障していて、これは復旧すらしていない。交換にまた1万円以上かかるという。
今の家に住んで10年。息子も高校進学。区切りのいいこの春以降、悲惨な状態になっている和室の畳を入れ替えたり、家の外壁周りのコーキングや防水処理をやったりしたかったのだが、出費続きで、もはや畳を替える気力もない。
まして、外壁の手当なんかすると、また100万以上はかかるだろう。
少なくとも夏のボーナスが出るまでは、そういう生産性のない出費ができる気分にはならない。
夏の暑い盛りに外壁修繕というのも何なので、やっぱり秋以降かなあ・・・
畳は?
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さっき、これを書きながら見るともなくニュースを見ていたら、聴覚に障碍を抱えた女性が、医師国家試験に合格したという報に接した。日本では初めてのことだそうである。
アメリカなんかでは既に、Deaf で口のきけない人たちも医師になっている。ああいうのはいつからなんだろう?(今回の女性は、問題なく聞き取れるぐらいの日本語をしゃべっていらした。)
日本では、2001年に医師法が改正されて、視覚や聴覚に障碍があっても医師になれる可能性が開かれたという。
可能性が閉ざされている人たちは受験の時点で医学部を見送るだろうし、大学もそういう人たちの入学を許さないだろうから、今回国家試験に通った女性は、法改正後最初の入試にめでたく合格して、ストレートで卒業したとおぼしい。
(後記:29日付朝日新聞朝刊によると、専門課程に進んでから「難しい専門用語が聞き取れなくなり、授業についていけなくなっ」て、「大学からも足が遠のき、留年」しているという)
門戸さえ開かれていれば、すぐにでもこういう人が出てくるということである。
おそらくはこの社会にまだまだ存在するであろう「門前払い」は、できるかぎりなくしていくべきだと強く思う。
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今朝、息子を祖父母宅に送っていく途中、桜が咲き誇っているのに驚いた。木によってはもはや満開である。
確か、昨日までは桜が咲いているという認識がなかった。一晩で急に咲いたのだろうか。
あるいはそういうこともあるのかもしれない。だが、昨日までは気づかなかったという方が蓋然性は高いと思う。
でも、こんなに桜が咲いていて気づかないなんてことがあるんだろうか。家の前は桜並木(大袈裟)なのである。
今、家族に確認してみたところ、家の前の道の桜はまだあまり咲いておらず、ほころんでいる程度なのだそうだ。してみれば、昨日は咲いた桜の前を通らなかっただけのことなのか? 桜の木も多い2つの職場を往復したり、けっこうあちこち走りまわったんだけれど。
珍しく忙しくて、周りの風景が目に入っていなかった可能性はある。いや違うな。職場の(たぶん)梅の木が咲き誇っているのに気づいて写真を撮ったのは昨日だ。だとすればやはり、昨日通りがかった場所の桜がまだ咲いていなかっただけのことなのか。
(今日になって、同じ木にカメラを向けていた女性に「この木は梅ですよね」と聞くと、「桃ですよ」と教えていただいた。ただし、現在のプロフィール写真はミツマタです。念のため。)
でもやっぱり、家族に聞かなければ家の前の桜並木が咲いているのかどうかすらわからないというのも事実だ。余裕のない日々だった。
昔教師をしていたころは、3月(特に後半)は比較的暇だったような記憶があるのだが、今の職場に就職してから十年あまり、3月が暇だった記憶は一度もない。
むしろ雑用に追われて「本来の仕事」がまったく何もできなかったという記憶ならいくらでもある。今年もまさにそうだった。
キカイの故障と遠い方の職場の引っ越しにも追い回された。
春なのに、個人的にもろくなことはなかった。久しぶりの家族旅行が唯一の救いだったが、何だか、すでに遠い昔のような気すらする。
そうそう、家の前の桜と言えば、自宅前のかなり立派な桜の木が枯死しているのではないかという話を、家人が隣家の奥さんから聞いてきた。
もちろん、うちの桜ではなく市の管理している木だと思うのだが、その木の存在が、数少ないうちの長所だったのに、である。
春なのに、もはや桜も咲かない。
が、何といっても年度末。今日でほぼ年度内の仕事を終え、同じく仕事に追われて夕食を作る元気のない家人と、もちろん息子も連れて、いつもの(というほど行ってない)トラットリアに行ってきた。
通い始めた、たぶん十数年前からずっといる料理人が今月で辞めるというので、久しぶりに夜に出かけたのだ。アマトリチャーナや手長エビやカキのパスタは、その料理人の手になるものだった。おそらくこれで食べ納めとなるだろう。マスターが作ったものとの違いがわかるほどの客ではないけれど。
話は戻るが、職場でも、重要な人物が何人もいなくなる。あまりの変化に現実感が追いつかないせいか、感傷もない。
所詮は組織なので、これからも同じように回っていくのだろうとは思うのだが、これまでの異動・退職とはちょっと違う。まあ、新年度になってみなければどうなるのかはわからない。
あ、夕方、遠い方の職場で年下の女友達と偶然会った。会ってもおかしくはない場所だとはいえ、誰かとこういう会い方をするのは2〜3年に一度しかない。
もう、少なくともしばらくは会えなくなることもわかっていたし、向こうも一応、こういう偶然を嫌がってはいないようだったので、頭の中ではお茶でも飲めるかと可能性をいろいろ考えていたのだが、2人だけでというのも気がひけるし、仕事を片付けておかねばという気分も強く、ものの30秒で別れた。
まあ、「お茶でも」と誘って「時間がないので」とか言われるよりはよかったかもしれない。
___
別れの季節は終わり、出会いの季節が始まる。同じ春だけれど。
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先日、息子の高校入学手続き(入学金を振り込んだ証拠を見せるだけ)をした。その入学金が20万円。
次の日、制服だの体操服だの制靴だの教科書だの参考書だのを一括で購入させられた。
3万4万1万2万5万と(順序も金額もでたらめだが総額はそんな感じ)と支払いが続く。もはやお金を支払っているという感覚はない。
強いていえば、ままごとなんかの「子ども銀行」で使うオモチャのお札を配っている気分になってきた。
この後、80万ほどの学費の支払いが待っている(10回分割にしてもらった)。
別に通学費もかかる。
まあ、何とか払えるからいいようなものの、これでは私立への進学を諦めざるを得ない人もいるだろう。あるいは、諦めるまではいかなくても、そのために生活が苦しくなったり、それ以前に、学資の預金に心を砕いてきたりしたかもしれない。
子どもが3人もいた日には目も当てられない。
___
イギリスを除き、ヨーロッパの多くの国では学費が無料かごく低額である。確か、現在、ドイツの大学では年間数万円の学費を取っていると思うが、そうなったのもごく2〜3年前のことで、それ以前は無料だったこともあり、有料にする際にけっこうな騒ぎになったと記憶している。
ヨーロッパは税金が高いからだという人もいる。それも一理あるだろう。
だが、例えば、日本のすべての国立大学に対して使われている税金の総額は、近年のトヨタ自動車1社の利益と同程度なのだと聞く(念のため、売り上げではなく「利益」です)。
つまり、トヨタ1社が日本の国立大学をすべて運営しても赤字にはならないということだ。
教育にかかるお金など、所詮その程度のものなのである。
折しも、道路特定財源の話題がかまびすしい。そこで言われている金額は、10年分で、すべての国立大学を60年間運営できる金額に相当するそうだ。
マッサージチェアを買ったとか温泉旅行に行ったとか、例によって無駄遣いを指摘されているが、その程度の無駄遣いなど、誤差にすらならないホコリ程度の金額なのである(弁護するつもりはないが)。
無駄な橋、トンネル、ダム、道路・・・ おそらくはその建設をやめるだけで、幼稚園から大学まで、全国すべての国公立学校の学費を無料にできるのではないだろうか。
OECD加盟国の中で、最も教育にお金をかけない国の一つが日本である。
言うまでもなく、個々人に莫大な学費負担を強いたり、保育所に入るのが難しかったりするなど、子育て支援策に乏しいことが少子化の一因ともなっている。
言い古されたことだが、教育にお金をかけない(すなわち力を入れない)国家は衰退の道を辿る。
過ちを改めるのに遅すぎることはない。今からでもいいから、教育にもっと税金を回して、安心して子どもに教育を与えられるようにして欲しい。
(そういえば、先日岡山県職員をプラットフォームから突き落とした少年は、学費が工面できなくて大学進学を諦めざるをえなかったと報道されている。たとえばフィンランド人が聞いたら何のことかわからないと言うだろう。)
___
さっそく来年からでも私学助成金を3倍ぐらいにしてくれないだろうか。そうすればうちの子の学費もぐっと安くなると思うのだが・・・
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1週間あまり更新していない(気にしている人はほとんどいないと思うけど)。
先週の前半は、職場で大事なキカイが故障して、その対応だけでほぼつぶれてしまった。水曜の午後に打ち合わせと会議があった他は、連日、夜まで作業や連絡に追われていた。
その間に予定していた仕事はまったくできなかった。
にもかかわらず・・・
後半は、飛騨と信州に旅行し、郡上八幡・新平湯温泉・新穂高・飛騨高山を訪れるとともに、移転した清水牧場に初めて出かけた。
前日の夜も更けてからネットで宿の予約を取ったのだが、到着時の若おかみの反応から推して、そんな客は滅多にいないらしい。どこに行くか決めたのも前日の夜なのだから仕方がない。いつものようにいきあたりばったりである。
「清水牧場チーズ工房」は、以前仕事関係でお世話になった清水さんご夫妻がやっているフランス風の牧場&チーズ工房である(残念ながら、雪に覆われていてほんとにフランス風かどうかはわからなかった)。そこには当日の朝電話した。
日本で1〜2を争うというおいしいチーズを真剣に追究していらっしゃるのだが、残念なことに、チーズがだめな私にはその良さがわからない。だが、牛乳やヨーグルトは確かに本物ですこぶるおいしい。
冬には人が入ったことがないとかいう山奥に移転したので、いろんな意味で大丈夫なのかと心配していたのだが、まったくの杞憂だったようである。特に心配していた「経営的にやっていけるのか」というのは、とっても失礼な話で、春から秋にかけてはむしろお客さんが多すぎて困っているほどだそうだ。
誰がこんな山奥(女工哀史で有名な『あゝ野麦峠』の信州側)まで、わざわざチーズを買いに来るのか。
はるか山裾の方から「この先冬期通行止(清水牧場には行けます)」と書いた看板があり、次に「ここから通行止(清水牧場には行けます)」を過ぎて、いよいよ雪の壁で道がデッドエンドになるところから、「←清水牧場」の看板を頼りに、雪の残る未舗装の脇道を数キロ走っていくと辿り着けるというような場所だ。
実際、その2つ目の看板以降は、冬期には誰も足を踏み入れたことがなかったとかいう世界なのである。
(ただし、ウェブサイトから想像するよりははるかに行きやすいです。雪さえなければスポーティカーでも十分行けます。フェラーリとかはやめた方がいいかもしれません)
(後記:完全に舗装されてフェラーリOKになりました。雪のあるときはご注意ください。)
だが、わずか1時間あまりの滞在の間にも2組の客があった。ホンモノの力、恐るべし。
念のため、主力はあくまでも通販にする予定で移転しており、もちろん今でも通販をやってます。チーズ等がお好きな方はぜひどうぞ。
あ、いつの間にか清水牧場の話になってしまった。これについては、またいつか改めて書きたい。いずれにせよ、清水夫妻が「はづかしき」人であるのは確かである。
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新穂高はすごかった。これ以上望めないほどの完璧な快晴で、遠く白山までがくっきりと見える。西穂や焼岳、槍ヶ岳などは双眼鏡で手に取るように見え、西穂山頂付近を歩く人の服とリュックの色までわかる。
ここへ来るのは二度目なのだが、前回は樹林帯を歩いてコルまで行った記憶しかない。天気はよかったと思うのだが(コルから上高地が見下ろせて絶景だった)、こんな大パノラマはまったく覚えていない。もしかすると、ハイキングに気を取られていて、ロープウェイの駅屋上の展望台に行かなかったのだろうか。なにぶん、昔のことで思い出せない。
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帰ってきた次の日、日曜日は探鳥会。カワセミをじっくり観察。また、久しぶりにアオバトを見た。
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さて、「春なのに」。
職場のとっても大事な機械の故障は「電源が入らない」。
買ったばかりの私の携帯の故障も「電源が入らない」。
給湯器(特に床暖房)も「電源が入らない」。
同じ時によくもこれだけ重なるものである。
給湯器はそろそろ寿命だそうで、この際買い換えようと思うと35万ぐらいはかかるという。
そんなことより、息子が第一志望の高校を落ちて、あの雪の日に受験した私学に進学することになった。その精神的ダメージもさることながら、学費が年100万超。
あと、ここには書けない事情で(いや、べつに、家人に言えないことではありません)それどころではないものすごいことに・・・
なんかもう、いっそのことすっきりしたという感じがするほどだ。
私も息子も心機一転、身辺を整理して(比喩的な意味ではなく、モノを処分したり片付けたりするということです、念のため)4月から新たなスタートを切りたい。
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公園を散歩中、チンピラに婚約者を惨殺され、自身も重体に陥った被害者の女性(ジョディ・フォスター)が、回復後、そのトラウマ的恐怖におびえ、護身のための銃を手に入れて・・・
毀誉褒貶さまざまあろうが、個人的には気に入った。ジョディ・フォスターの演技で、直接には語られない内面も十分に描かれていたように思う。
ラストもあれでいい。
評論家的な映画評を並べてみたり、自分の好みの問題を言っても仕方がない。
(The Brave One, 2007 U.S.A., Australia)
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ハンセン病の元患者数百人が暮らしている瀬戸内の島を案内してもらっているとき、ウグイスのさえずりを何度も聞いた。
今年初めてである。
特に、日没に向かうころにはひっきりなしに鳴いていた。あれは時間の関係なのだろうか、それとも、生息域の問題かな?
もちろん偶然なのだが、ちょうど水子地蔵(強制堕胎が行われていた)や納骨堂(遺骨の引き取り手もなく偽名のまま納骨されていることも多い)、監房跡(院長の権限で独房などに拘束できた)や収容所跡(新着患者をここで「消毒」「選別」した)、そして、患者収容桟橋跡(夕日がみごとだった)などを歩いていたときだ。
「これからは、ウグイスのさえずりを聞くたびに、今日のこの見学と、「強制収容所」へ連れてこられた人たちのことを思うことになるんだろうな」と考えながら歩いていた。
香りや日射しなんかと違い、春告鳥の声は記憶のトリガーにはならないかもしれない。
現に今、頭の中でホーホケキョと呟いてみても、つい数日前の記憶が vivid には甦ってこない。
だが、本物のさえずりを聞いた時にはまた違う可能性もある。
いずれにせよ、「忘れない」ことが、私でもできる最低限の行為である。たとえ、春告鳥のさえずりが悲しく聞こえるようになってしまうとしても。
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明るい春の日射し。快晴で気温もぐんぐん上がり、うららかな春の一日・・・だったらしい。
一歩も外に出なかったので実感がない。かろうじてそれを感じたのは、夕方に洗濯物を取り込んだとき。でも、花粉を払い落とすのに必死で、春宵の一刻を味わうという風情はなかった。
新聞によると、梅が満開になっているという。私の知らぬ間に。
そういえば、1本2本の梅が咲いているのは見たかな? 桃と区別はつかないけれど。
今年こそ、花見らしい花見をしたいと思う。あ、桜の話。
この際、梅でもいいかな。でも、間に合うんだろうか。
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ふたたび、駆け足で「はづかしき」人々のところを3箇所ほど回ってきた。
そのうちの一つが、瀬戸内の島にある国立療養所。
ハンセン病の元患者数百人(「現役」の患者は1人もいない)が今も暮らす、旧「強制隔離」施設である。
居住棟のすぐ横に外来者用の宿泊施設があり、そこに1泊した。食事も入所者と同じものをいただいた。
午後いっぱい、入所者のAさんに島内を歩いて案内していただき(ちょっとしたハイキングだった)、夕食を挟んで、夜遅くまでお話を伺った。焼酎やら酒の肴やらをご馳走になったのだが、まったく酒が飲めないことが恨めしく思えたのは珍しい経験だ。
ここに何かを記すほど、何事もまだ消化されていない。それに、書くべきことがあまりに多すぎて何から手をつけていいかわからない。
すごく疲れてるし(笑)
ただ一つ、今書けるのは、「まだ終わっていない」ということだ。
「らい予防法」廃止に伴う強制隔離政策の終焉(1996年)、および、「『らい予防法』違憲 国家賠償請求訴訟」熊本地裁判決に対する国側の控訴断念と「ハンセン病補償法」の成立(ともに2001年)によって、世間一般はこの問題を「もう終わったもの」ととらえ、ほとんど関心を持たなくなってしまっている。
中学生の時に療養所に入所以来、60年間この島で暮らしているというAさんは、「薬害肝炎訴訟に決着がついた形になって、もうみんな終わったものと考えて、忘れ始めてるでしょ」と言って、C型肝炎の患者たちのことを思いやるのだった。
悲惨、としかいいようのないような経験をいくつも積んで、今なお、陰湿な差別を受けることがある身である。
だが、自身が受けた「人体実験」や形成手術の失敗などまでジョークにしながら、視線は常に、さまざまな差別を受ける人たち全般や、政策の誤りによる被害者たちに広く向けられている。
神や仏や、国や人やを恨む言葉はなかった。怒りの感情すらお見せにならなかった。むしろただ淡々と、しかし生き生きと、時にはおもしろおかしく、経験した事実を語ってくださった。
___
「ハンセン病問題基本法」を国会に上程すべく、100万人署名運動が現在進行中だ。しかし、申し訳ないことに、私自身、そんなことはぜんぜん知らなかった。
自分のことを棚に上げて言えば、ハンセン病問題にはもはやニュース価値がないと判断した報道機関がこの運動をほとんど伝えていないことに大きな原因がある。それは、世間が「終わったこと」と考えている(あるいは考えることすらしていない)ことと、鶏と卵の関係にある。
世界中の憂いであふれかえっている報道と、多事多端な毎日・・・
だが、無関心こそが最大の問題点の一つである。
ハンセン病をめぐるあれこれや、それに象徴されるこれかれも、もちろん、まだ終わってはいない。
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21世紀の戦争映画だ。舞台は第二次世界大戦だけど。
フランス軍として「祖国」解放のために闘ったアルジェリア人部隊の物語。
「デイズ・オブ・グローリー」(栄光の日々)なんて邦題がついているが、そんな馬鹿げたタイトルはどこにも出てこなかったと思う。もちろん、そんなものとは無縁の映画だ。
ネットで調べてみると、英語国で公開された時のタイトルも「Days of Glory」らしいのだが、そんなアホな、としか言いようがない。
原題はフランス語で「INDIGENES」。直訳すれば「原住民たち」という日本語が当たるだろう。辞書によると「現在では植民地時代の蔑称として避け」ている語だという。そういう言葉をあえて映画の題名にしているところに、この映画の意味がある。
最初の戦闘後あたりが少し退屈で、「これは外したかな」と思ったのだが、その後ぐんぐん盛り上がっていく。もちろん、戦闘シーンを楽しむ映画ではないので、そういう意味ではないが、その戦闘自体も、後半に行くにしたがってより深い孤独と哀切を帯びていく。
いくつか、よくわからないエピソードや、納得できないストーリー運びもあった。だが、そのことも含め、誰かと語り合いたくなる映画である。おそらくは意味のある展開なのだろう。
でもまさか、サイードまでがあんなことになるとは・・・
日本が植民地を持っていた時代や、世界大戦を闘っていた事実、そして、戦後の旧「植民地人」への処遇など、類似点や相違点を比べながらフランスと合わせ鏡に映してみたい気がする。
お勧めです。
(INDIGENES, 2006 France, Belgique)
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仕事で出張すると、たいていの場合、「はづかしき」人々にお目にかかることになる。
昔、古典で習ったあの意味、「相手が立派で、自分が劣っていることを感じて気おくれするような」人という意味である。
毎回毎回そんな思いを新たにするので、ほんとにもう、自分はどうしようもないダメな奴だなあと思うのだが、考えてみれば、そんな人たちだからこそ訪問してお話を伺っているという面があって、そんなふうに感じるのは当然だとも言える。
まあ、私と比べれば、ふつうの人でも、勤勉で才能溢れる、人間愛に満ちた人たちだと思うのだが、ふつうの人とは比較にならぬくらい立派な方々にお会いするのだから、自分の情けなさに落ち込んでも不思議ではないだろう。
「自分も見習おう」とは思えぬぐらいの高みにいらっしゃる上に、もっと低い位置にいらしたとしても、それを見習う能力のない自分をよく知っている以上、落ち込むか開き直るかしか処方箋はないのである。
今回お会いしたのは、多言語で用語辞典を作るなど、人に役立つ仕事を無償でこつこつとなさっている元会社員、アジアの楽器の腕はプロ級という、人助けには労を厭わない哲学者、それに、世界選手権に出場するほどのヨットの名手、である。
ヨットの名手に会いに行ったのではない。地域に根ざしたボランティア活動をサポートするコーディネータを仕事としていらっしゃる女性が、お話しするうちに一流の選手だということがわかったのである。
もちろん、こちらが聞き出すまではそんな話はおくびにも出さなかった。
小柄で色白、細面の美人、といった風情の女性だ。私よりいくつかはお若いと思うが、まだ現役だとおっしゃっていた。
ヨット競技を長年続けていて、どうして色白でなんかいられるんだろう?
___
来週もまた、別のところへ出張して、「はづかしき」人々にお目にかかることになる。
私自身は再度落ち込んで開き直ることになるのは自明なのだが、「はづかしき」人たちが決して少なくはないというのを知ることは、この世の中に明るさをもたらす救いには違いない。
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予想通り、予想を裏切って物語が展開する。
それにしても、久しぶりに再会していきなり刃物で刺したと思わせ、実は固い握手を交わしているという今日のエンディングはわざとらしすぎる。
「俺たちが信じているのは世界で俺たちだけ」っていうほどの仲なのに、なぜ「非通知」で電話をかけてくるんだという謎解きがなければアンフェアにもなる(あ、ミステリじゃないのかな?)。
電話があってもぜんぜん嬉しそうじゃなかったし。
もう一つ、以前に三浦友和が竹内結子に「君も網膜の手術をしないと」云々と言ったのは、わたしの勘違いなのだろうか・・・
(ご覧になってない方は何のことかわからず申し訳ありません)
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現在、kakaku.com で、DVDレコーダの人気機種トップ3がすべて東芝の HD DVD 機になっている。もはや、HD DVD には意味も未来もないにもかかわらず。
それぞれの機種の前に金銀銅の王冠までついていて、表彰台を独占していることになる。
愛機は惜しくも2位。だが、価格は最も高く、その貴重性・稀少性が伺われる。むふふ。
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絶対に買ってはいけない双眼鏡がある。
だが、もしかすると、日本で一番売れている双眼鏡はそれなのではないかという危惧を抱き始めた。
双眼鏡の宣伝など、テレビでもラジオでも新聞でも(ネットですら!)ほとんどないのに、その双眼鏡だけが新聞で盛んに宣伝・通販されているからだ。
おそらくは皆さんも一度はご覧になったことがあるのではないか。20倍〜100倍ズームとかいうアレである。
理由は詳しい方に譲るとして、ここでは、そんなものを買うのは文字通りお金を捨てるようなものだということだけ了解していただければよい。
いや、溝に捨てた方が、悪い奴を儲けさせないだけまだマシかもしれないとすら思う。
ときどき、初めて鳥見に来た方などがその双眼鏡をお持ちになっていて、何とも言えずお気の毒で声をかけられないことがある。
せっかく買って持ってきた双眼鏡が、まったく役に立たないシロモノであるなどと、誰が正直に伝えることができようか。
だが、事実として役に立たない。つまり、鳥は見えない。そして、バードウォッチング自体がつまらないものとなってしまう可能性が非常に高い。それは極悪双眼鏡のせいであるのだが、それをお教えすることはできない・・・
こういう時に「自己責任」などと言うのは、自分の無責任を言い逃れる政府のようなものだ。双眼鏡なんてふつうの人にとっては身近なものじゃないんだから、あたかも素晴らしい製品であるかのように騙して売っている方が悪いのである。
最近では、「手振れを防止する三脚付属」とか「8倍スケルトン双眼鏡をプレゼント」とか、良心のカケラのようなものが同梱されてくるようだが(前者は、事実上使えない双眼鏡を「三脚を使えば使い物にならないわけではない」と強弁するため。後者は、少なくともちょっとは使い物になる双眼鏡をつけることで、買い物全体がまったくの無駄にはならなかったと購入者を納得させるため)、これは決して良心のカケラなんかではなく、怒濤のクレームから言い逃れるために編み出した苦肉の策であると推察される。
要は、より悪質で巧妙になったということだ。
かつてここに「◆双眼鏡は8倍以下を」というエントリを書いたことがある。なのに今日またこの話題を記すのは、いつもとは違う体験をしたからだ。
しばしば鳥見行でご一緒する仲間から「わし、あれ、こうたろか、おもとりまんねん」(私、あれを買ってみようかと思ってるんですよ)と言われたのである。
もちろん全力で止めた。
他人に対してはいつも曖昧で婉曲な表現しか使わない私が、「絶対買ってはいけませんよ」とか「お金を捨てるようなものですから」とか、もちろんにこやかにではあるが、力説したのだ。
もしかしたらびっくりなさったのではないかと、ちょっと反省している。
バードウォッチャーでさえ騙す広告力には舌を巻くとともに、あの双眼鏡が日本中に予想以上の広がりを見せているかもしれないことに思い当たって、冒頭の記述になったのである。
双眼鏡は楽しい。少なくとも一家に一台は必須であると思う。何を見るにしても。
だが、購入なさる際には少なくとも
・固定倍率(ズームはダメ)
・8倍以下(10倍までは許容)
・一流光学メーカ(双眼鏡に関しては、ケンコーやナシカは含まれません)
の3条件は外さないでほしい。後はデザインとか軽さとか価格とかで選んでも、どうしようもない失敗というのはしないで済むと思う。
(あ、眼鏡をかけたまま覗く方はアイレリーフの長いもの(ハイアイポイント)であることも重要です)
追記:「●買って後悔しない双眼鏡」(2013年3月31日)というエントリを作りました。あわせてお読みくだされば幸いです。
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そういえば、つい最近、昔の同級生から仕事を紹介してくれという電話が職場にかかってきた。
そもそも、どうして直通の電話番号を知っているのかも謎だったが、残されたメッセージにも驚かされた。
自分が私に認識されるかどうかも怪しんでいるにもかかわらず、折り返し携帯に電話をくれというのだ。
同級生だったころにも数回話したかという程度で、卒業後一度電話で話して以来(それも先方からかかってきたものだった)、十数年間にわたって一切何の音沙汰もなかったのに、である。
見知らぬセールスとかではないので礼を失するわけにもいかず、言われたとおり携帯に折り返し電話してしばらく話はしたが、私には到底真似のできない行為だ。
(念のため、彼女は現在ちゃんとした職に就いており、転職するつもりもない。いわば小遣い稼ぎのアルバイトをしたいという趣旨で、決して切羽詰まっていたわけではない。)
___
もう一つ、これは十年ぐらい前か、別の同級生から自宅に電話がかかってきたことがある。
「久しぶり、懐かしいな、会おう会おう」というのだが、突然電話してきてそんなことを言われるような関係では全然なかった。
いろんな話をして引き延ばし、とにかく会いたがるのだが、こちらは困惑するばかりである。
結局のところ、保険の勧誘であることがわかり、あまりのことに脱力した。別に怒りはしなかったが、以来、ただの一度も何の接触もしてこない。
ほんとに懐かしかったらまた連絡してきてくださいね(読んでるはずはないけれど)。
親類や友人に保険に入ってくれと頼むのとはわけが違う。それに、騙そうとせずに最初から保険に入ってほしいと言われた方が数段マシである。
思えばそれが、純粋に手段として知人関係を利用されそうになった初めての経験かもしれない。
これに比べれば、最初に書いた方はまだ許容範囲である。
いずれにせよ、こんな経験はほとんどない。信頼できる人たちに囲まれているありがたい人生だからか、それとも、交際範囲が極めて狭いからか・・・
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このブログを一つのきっかけとして、昔の教え子と十数年ぶりに会い、話をしておいしいお菓子をもらい、車に乗って寿司を食べにいった。
私のいる部屋がわからないという電話がかかってきたので見に行くと、案内板の前に立っている彼女の後ろ姿に出くわした。
「そこに書いてあるやろ。わかれへんはずないやん」
というところから、少なくとも私にとってはもう、時間の壁はなくなっていた。
だから、積もる話よりはむしろ、現在の仕事の愚痴なんかを聞いてもらったりすることになってしまって反省している。いろんなことを屈託なく話せる相手に恵まれることはあまりないので、ついいろいろと話してしまうのだ。
使い捨てドリップのコーヒーが残り2袋になっていたので、この日のために数日間飲まずに残しておきながら、結局コーヒーも淹れそびれた。
彼女が高校生の時に話したのが最後なのに(後年、行きつけのパスタ屋でたまたま出くわしたことはあるが話はしなかった)、その倍ほどの年齢の女性として話してもまったく違和感がない。単なる一教師と一生徒として短い時間を共有しただけなのに、十年の知己のごとく、という感じがするのも不思議には感じない。
心配なのは、今の彼女よりさらに数歳若かった私が、教師として彼女からどう見えていたのかということだ。
そうだ、言い忘れてた。
あのころのぼくは、今の君よりずっと若かったんですよ。
教師を辞める時、幼かった彼女から、自分が同じ失敗をしても私の対応が異なる場合があったことへの批判を頂戴した。おっしゃるとおりです。その節はすみませんでした。
それはともかく、お互いどんな人生を歩んできたかもわからず、どんな人間に変貌しているかもわからず、第一、そもそもあの頃に互いをきちんと知っていたかどうかすらわからないのに、おそらくは確固とした信頼関係があるのはどうしてだろうと思う。
(こっちが一方的に信用してるだけかもしれないけど)
当時の制度的な出会い、制度内的な関係、その後の私と彼女の経歴や現在の状況、そういう社会的な立ち位置が安心の源流だろうか。
それとも、制度内的な関係の中であっても、そこで培われたかもしれない人間的な関係がきちんと機能していたからだろうか。
まあ、平たくいえば、彼女が優秀でいい生徒であり、私がまあ(たぶん)そんなに悪くはない教師であったということなんだけれど。
ただやはりこうも思う。
制度的な関係がなければ、私と若い女性の間に信頼関係はなかなか築きにくいのではないか。そもそも、年齢に関わりなく、男性であれ女性であれ、ある程度の信頼感が生じるぐらいの継続的な関係を、制度に縛られないで続ける機会自体がない。
結局、制度の中で培われた関係が制度の軛から解き放たれた後まで続く時、あるいは、続かなくても、何年もの時を経てふっと甦ったりする時、それが互いを尊重していることの証左なのだろうと思う。
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