■自然環境保護とか生態系保護とか
自然環境保護とか生態系保護とかいうのは、耳に心地いいだけの実態のない言葉・・・
ではないと思う。
コウノトリが生きていける環境は、私たちにとっても素晴らしいのだ・・・
などと言われると、さすがにちょっと天の邪鬼な気分も首をもたげるが、それも間違いではないだろう。
半野生のコウノトリを見に行くと、そこは野鳥の宝庫であった。
何ということもない田植え前の水田に見えるのだが、50メートルも歩かないうちに、キジが鳴き、ケリが飛び、サギが舞う。ヒバリが上がり、カモが羽ばたき、ツバメが翻る。
名前のわからないシギ・チドリ類も盛んにエサをついばむ。
そこでコウノトリが子育てをしている。
ここには、そういう鳥たちを養っていける生態系が復活しているのだ。
こうなるまで「人手の入った自然」を取り戻した地域の努力には敬服する。
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・・・と、素直に感動していたのだが、繁殖期や厳冬期にはコウノトリにエサをやっていることを後に知り、なかなか甘くないなあと苦笑した。
あそこに集まっていた鳥たちも、もしかしたら「おこぼれ」目当てかもしれないのだ(実際は、一部のサギだけがそうで、他の鳥の出現はやはり「生態系」に負うところが大きいと思う)。
コウノトリが野生で生きていくためには、えさとなるドジョウやカエル等が生息できる田んぼや河川、巣となる高い木が茂る山林といった自然環境が必要です。「コウノトリも生活できる」このような自然環境は私たちにとっても住みよい環境であると考えます。
コウノトリが悠々と大空を舞う日、それは人と自然が共に生きる豊かな地域社会が実現する日でもあります。
という、コウノトリの郷公園の訴えは、確かにきれいごとに過ぎるかもしれない。
が、決して間違ってはいない。
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コメント
野鳥とは野の鳥を指す言葉だろうけど、人が作った街や農耕地が悪性腫瘍のように「野」を食いつぶしてしまった昨今では、野の鳥が何千年も暮らしてきた環境が激変してしまったんではないだろうか。
一部の似非ナチュラリストは、野生の生き物にエサを与えたりすることは本来の野生を損なってしまうと反対するが、木の実や穀物が豊富にあった本来の「野」を彼らから奪ってしまった我々人類が彼らの種の存続のために手助けをしてやることは、あながち罪悪視すべきではないと思う。
投稿: Ashgarden | 2009.05.08 23:44
人間の営みも本来は自然の一部なのでしょうが、質量ともに明らかにそうではなくなってしまっていますよね。
人間は、宿主たる自然をこれ以上食い荒らしていくことはできません。また、だからといって文明以前に戻ることもできません。
結局は「どこで折り合いをつけるか」でしょうが、経済原理の圧倒的な強さの前では、その場所がどんどん宿主を滅ぼす方向に向いてしまうのが必然です。
そんな中、「人手の入った自然」を取り戻すのは小さくはない一歩だと思いますし、それがコウノトリにエサをやることを含んでいてもいいのではないかとも思っています。
投稿: Wind Calm | 2009.05.10 20:27