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2010.10.31

◆郵便配達は2度ベルを鳴らす「な」

 いえ、古い映画の話ではありません。それに、郵便配達の方には何の責任もないんですけど・・・
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 昨日の昼下がり、新しい映画(『パリより愛をこめて』リュック・ベッソン)を見ていると、ピンポーンとチャイムが鳴って速達が届いた。家人が受け取ったらしい。

 後で見ると、そこには「本人限定(特伝型)」とか「転送不要」とか「本人限定受取郵便物到着のお知らせ」とか書いてある。

 直感的に「新手の詐欺だろうな」と思った。

 が、あにはからんや、最近ネットで申し込んだクレジットカードを、「受け取りたければ以下に連絡せよ」という指令であった。「特伝型」というのは「特定事項伝達型」の略であるらしい。

 そんなもの、いくら本人限定であっても、当の本人が在宅していたのだから、一緒に持ってきていれば電話をする手間もそれを受け付ける手間も再配達する手間も不要なのだ。在宅していない時のみ、持ち帰ればいいのである。

 それに、再配達を依頼すると、その時間中縛られることになる。ふつうの社会人は昼間在宅していることはまずないだろうから夜間を指定することになるが、向こう10日ほどの間に「19時から21時まで必ず在宅する日」を指定して連絡せねばならない。私にはそれほど難しくないが、一般的にはかなり困難なのではないか。
 休日の昼間を指定する手もあるが、その後何かの誘いがあっても断らざるを得なくなるし、たとえば急に出かけたくなっても、行楽はおろか買い物にも行けない。

 やはり夜間ということになろうが、それでも何かあった時に「今日は郵便物が来ることになっているので7時までに家に帰らなければなりません」なんて上司や同僚に言えますか?
 そして、たとえ在宅していても、その間風呂にも入れないしトイレにも行きづらい。パスタだって茹でられないし天麩羅も揚げられない。また、映画鑑賞とか読書とか仕事とかに没入しようと思っても、必ず途中で邪魔が入ることがわかっているのだ。

 そもそも、この再配達システムを理解するためだけに、なにがしかの時間がかかる。わかりにくいお役所言葉の説明がA4で3枚分(「様式6」「別添 様式7」「様式9」)も入っており、私などは気になって、該当の根拠法までネットで調べたりした。
 若い人やご老人などは、理解するのにもっと時間がかかるのではないか。あるいは、読めば読むほど「詐欺くさい」と思うかもしれない(実際、この郵便方式は詐欺を働く際にけっこう便利なのではないかと思った)

 さらに、受け取るためには、生年月日のみならず免許証の秘密の?番号とかもあらかじめ電話で!伝えることになっており、その情報は差出人にも筒抜けだと書いてある(パスポートを使えば良かったのかな? パスポートにも秘密の番号があるのだろうか)

 これほど個人情報がうるさい時代に、なんで免許証の番号まで差出人に伝えなければならないのか。「本人確認」の範囲を逸脱している。

 とにかく、問題だらけのシステムである。もとの法律がバカなのか、運用のさせ方がバカなのか、運用の仕方がバカなのか・・・
 そのバカどものせいで、実際に郵便を配達したり、それを受け取ったり、再配達の電話を受け付けたりする人たちがいらぬ苦労とストレスを抱えているのが目に見える。

 ・・・そう思ってネットで検索すると、案の定、郵便事業会社の職員も受け取った人たちも、戸惑ったり怒ったりしているのがよくわかる。

 電話に出た郵便事業会社の方や実際に配達に来られた方に文句を言っても仕方がないのでおとなしく「指令」に従って郵便物を受け取ったが、受取人をこの指令に従わせることが「差出人様」への「サービス」なのだそうである。受取人様への配慮はどうなっているのだ。
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 職場でもよくあることだが、バカげた事務手続き等に割かれる労働時間やストレスは、行政的にはゼロコストだと考えられているらしい。
 ほんのちょっと、頭のいいシステムにするだけで、少なくとも2割ぐらいは事務コストを削減することが可能だと思う(実際、万引きの届け出用紙のフォーマットを全国の警察に配るだけで、事務コストが半減したという記事を先日新聞で読んだ)

 日本全国で毎年毎年何兆円?をバカげたシステムで浪費し、労働者や消費者にストレスを溜めさせているのか、想像するだに恐ろしい。

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2010.10.30

◆もっと可哀想なゴキブリ

 ついさっき、この家に越してきてから最大だと思われるゴキブリを発見した。まず音だけで気づいた自分が偉いと思う。

 最初は発見できなくて気のせいかと思っていたのだが、数分後にそのグロテスクな巨体(といっても3cm強か)を発見した。

 いったん小物入れと電子ピアノの隙間に入ったものの、そこへ殺虫剤を吹き込み、反対側から出てきたところを殺虫剤と氷殺ジェットで抹殺した・・・

 リビングにこんな虫がいたことを考えるとほんとにぞっとする。ここへ越して十年余、まだ数匹しか見ていないと思うんだけど。

 アゲハの幼虫には惻隠の情あふれるわが身、身勝手なものである。

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◆可哀想なアゲハ

Dsc04153_169 2階のベランダに出している小さな鉢植えのサンショウに、アゲハの幼虫がいるのを家人が見つけた。

 2令ぐらいの幼虫(鳥のフンみたいな黒白の)が1匹と、5令幼虫(アゲハの幼虫らしい緑色の姿)が1匹。5令といっても、エサが少なかったせいか、とても小さい(測ってみると3センチほどだった)。

 あとで、ベランダの床を這っている3令ぐらいの幼虫をもう一匹見つけた。

 サンショウの葉はもうほとんど残っていない。もともと少なかったのに、よくぞここまで大きくなれたものだと感心する。
 このまま死んでしまうのは可哀想なので、ほうぼう電話をかけてサンショウの苗が売っていないか調べたが、どこも扱っていないという。

 ネットで調べると、11月になったら売り出すという業者があったが、葉のついていない枯れ木?であった。春になったら芽吹くというのだがそれでは間に合わない。

 いずれにせよ、落葉樹なので、もう葉がなくなるころだ。5令幼虫はもしかしたらサナギになって越冬できるかもしれないが、あの小ささでは羽化するのは難しかろう。黒い連中は死ぬのが必定である。

 せめて自然界の掟に従って鳥のエサにでもなってくれればいいんだけど、放っておくと無駄にのたれ死にするばかりだ。

Dsc04154_169 スーパーで食用のサンショウの葉を買ってこようかとも思うが、新鮮なものしか食べないというし、手間とお金が大変である。

 実家にユズの木があるが、ふつうのアゲハの幼虫は生み付けられた木の葉しか食べないらしいし、うちの母親は木についた虫を見つけ次第踏みつぶすという鬼だ。
 何より、幼虫三匹のためにはるばる実家を往復するか・・・

 たぶんもう、なす術はない。後はせめて、ベランダから猫の額に降ろして、ナチュラルコースをたどってもらうくらいか。

 可哀想なアゲハ・・・

 後記:勝手に「2令ぐらい」とか認定した↑写真の幼虫が、翌日にはもう5令幼虫になっていた。だが、とんでもなく小さく、2センチもないぐらい。あれで蛹化して羽化できるのだろうか・・・

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2010.10.27

◆それでも恋するバルセロナ と 床暖房

 「それでも恋するバルセロナ」(スカーレット・ヨハンソン、ペネロペ・クルス、ウッディ・アレン監督)を見ながら、今シーズン初めて床暖房を入れた。

 映画の内容と暖房の間にはたぶん関係はない。

 床暖房のリモコン(といっても壁付け)の一つが昨年から半死半生なのだが、今年は8割方死んだ。液晶だけの問題だと思うのに、取り替えなければならないのは辛い。二つ並んでいるから、無様にならないためには両方交換か・・・

 たぶん、ウッディ・アレンらしい作品なのだろう。作風が変わったのか、私が年を取っ成長したのか、かなり楽しめる作品になっていた。

 全編、アンバーを強調した色合いには何か意味があるのだろうか。ナチュラルな色で見たいと思うけれど。

 ペネロペ・クルスの「怖さ」は圧巻。

(Vicky Cristina Barcelona, 2008 Spain, U.S.A.)

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2010.10.26

◆急に寒くなって

 車外温度計が夕方6時に12℃だった・・・というのは、ブログに書くほどのことではありませんね。

 北海道は大雪だったみたいだし。

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2010.10.25

◆しばしタイムスリップ

 家人が急に「昔、ワープロ何使ってたっけ?」と言い出した。

 最初は「松」(管理工学研究所)である。四半世紀も前のことだ。

 どうも、そのころのファイルが今も読めるかと聞きたいようなのだが、まあできるんじゃないかとは思うものの、実際にやってみないとわからない。
 「松」はとうに開発停止、後継の「松風」もサポートを終了していて手にも入らない。

 とすると、あとはファイルコンバータの類を検討することになる。Macでは厳しいだろうからと、BootCamp で Windows 7 を立ち上げて調べ、実験してみた。

 すると、KWIC Finder というソフトが見つかり、あっさりと読めるのに感動した。読めるだけでもありがたいのに、高度な検索機能もあるらしい。
 問題はむしろ、当時の「松」のファイルがどこにあるのかで、1989年ごろまでのファイルは見つかったものの、それ以前のはどこにあるかわからない。

 もしかしてフロッピー? ということになったが、そんなもの、何年か前にほとんど捨てたような気がする。仮にあっても、読み出しだってできるかどうか・・・

 それはそれ。

 「松」のファイルは少なかったし、仕事がらみのものが多かったのだが、「一太郎」(最初に使ったのはVer. 2.11だったと記憶している)には手紙類がけっこうあった。こちらは、ジャストシステム純正の「一太郎ビューア」で見ることができる。

 それを読むと、20年ほど前、最初の職場を辞する前後や、その後息子が誕生した時に書いた手紙なんかが出てきて、しばしタイムスリップしてしまった。そんな手紙を出したことも、その中身も、まったく記憶にないのである。だが、読み直していると記憶が甦るのが不思議だ。

 考えていることも文章も、当時からほとんど進歩していないのはご愛敬である(と開き直っていいのだろうか)。

 (これが Windows で書いた初めてのエントリだと思う。マシンは MacBook Pro だけれど。)

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2010.10.24

◆ハイブリッドブームに違和感

 プリウスが無茶苦茶に売れている。日本で発売されているすべての乗用車の中で、販売台数1位をずっとキープしているのだ。
 先月まで、16か月連続でトップ。たぶん今月もトップなのだろう。
 軽自動車を含めてもプリウスの方が売れているし、軽を除いた2位であるホンダのフィットの倍くらい売れているのがふつうである。

 いくら何でも売れすぎでは?と思っていると、そのフィットもハイブリッドを出した。

 だが当然、ベース車両よりも重くなる。電池のスペースに押され、空間もやや圧迫される。

 もちろん値段も高い。その価格差を燃費の良さで埋めようとしても、十万キロ以上走っても埋まらない。
 消費者にとってのコストがペイする前に、複雑なシステムが故障したり電池の寿命が来たりする可能性もけっこう大きいのではないかと思う。それどころか、車自体の寿命が来るかも。

 結果として高コストになってしまっても、使う燃料が減るというのは他の良い面につながるのかもしれない。しかし、大量のニッケル水素電池を使用して、また後に廃棄(リサイクル?)することを計算に入れれば、トータルの環境負荷にしてもどうなのかなあ・・・とも考える。
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 確かに、発売当初のプリウスにはインパクトがあった。2代目のころまでは、私も、「次に買うのはプリウスになるかも」などと考えていた。言葉を選ばず端的に言うならば、たとえばスポーツカーなんかに乗るよりも、プリウスに乗る方が、なんとなくオシャレで知的な感じがしたのである。

 だが、ここへきて、これほど売れるのはやはり異常なのではないかと思い始めた。
 最近ではむしろ、「すぐにブームに飛びついて何でも真似をしたがる人の買う車」になっているのではないかと思うようになった。
 再び言葉を選ばず言うと、いわば「頭が悪そうに見えるダサい車」になってしまったのではないかということだ(いえ、車がそう見えるだけで、実際に購入なさった方々は、きっと知的でオシャレなのだと思いますし、何を買おうがもちろん個人の自由です。しかし、それがブームになっているのにはちょっと違和感を覚えます)。

 私もたぶん、「オシャレで知的な未来」ブームに乗せられていたのだろうと思う。

 欧州はむしろ、ものすごく燃費のいいクリーンディーゼルが得意だが、日本では売れないのでほとんど輸入されていない。
 また、たとえばマツダは、デミオに搭載して 30km/l をマークするガソリンエンジンを開発したという。この数字は発売されたばかりのフィットハイブリッドと同じだ。

 今は、次に買う車はクリーンディーゼルにしたいと思っている。でも、国産車にいいのはないし、外国車は輸入されない(輸入されてるメルセデスはちょっと・・・)。

 まあ、また数年経ったら、「クリーンディーゼルなんて頭が悪そうに見える・・・」と思っているかもしれないけれど。

(後記:11月も半ばになってからたまたま記事に気づいたのですが、「フィット、主流はもうHV 受注の7割占める ホンダ」(2010.10.21 asahi.com)ということになっていたそうです。その後、どう推移してるんだろう?)

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2010.10.23

◆銀座の寿司屋ってこんな感じ?

 またひとつ年を取ったので、家族で寿司を食べに行った。

 このところ、毎年お寿司にしているような気がする。逆に言えば、家族で夜にまともな寿司を食べるのは年に1回だけということになろうか。

 今年は寿司にこだわらず、どこか新しいところをといろいろ探したのだが、なんだかんだで結局また寿司になった。
 ただ、初めての店である。

 自宅の大邸宅の1階を個人が趣味で寿司屋にしたというとんでもないところで、いつか行きたいと思いながらなかなか機会がなかった。

 豪華な広いスペースに車を駐め、お上りさんよろしく店に入る前から写真を撮ってまわる。

 中は、ちょっと経験したことのないような寿司屋になっていた。

 ものすごい長さの白木一枚板のカウンター。それにあわせて専用に開発されたかのようなゆったりした椅子・・・
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 寿司屋ではいつも握りしか食べないのだが、ここでは私だけ一品料理のついたコースをいただいた。その料理を3人でシェアしたりする貧乏家族である。

・つきだし(タコと里芋・エビとオクラともずく・シラウオの卵とじ。これは3人とも)

・マコガレイの造り
・トロ・タコ・タイの造り。サラダ添え(あとで梅肉の海苔巻きに)
・マナガツオの西京焼き(これが絶品)
・松茸の土瓶蒸し 車エビとハモ入り(松茸なんて何年ぶりか)

 この辺まで、ふつうの人ならお酒を飲みながら楽しむのだろう。ちょっと残念である。

・握り6貫(トリ貝と穴子が絶品)
・卵焼き・お漬け物・赤だし
・黒糖のシャーベット
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 行ったことはないが、東京銀座の寿司屋ってこんな感じなんだろうかと思った。

 昼はリーズナブルな値段だし、遠い方と近い方の職場の間にある。新しい楽しみができた。

 (珍しく前向きなエントリだな・・・)

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2010.10.21

◆MacBook Air

 新しい MacBook Air が発売された。おそらく、3代目になるのだと思う。

 初代も2代目も少しは欲しくなったが、何か「イマイチ感」があった。が、ここに来て、いよいよ真打ち登場という感じがする。・・・と書いて気づいた。これまではまさに、前座と二つ目だったのだ。

 iPhone も iPad も買っていないが、Air はもしかすると手に入れるかもしれない。

 初期不良などを懸念して、もうしばらく待つべきだろうか。それとも、明日!にでも注文すべきだろうか。

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2010.10.13

◆幸せの絶頂は・・・

 チリの鉱山に閉じ込められていた33人が、救出用カプセルを使って次々と助け出されている。

 今、この瞬間にも、おそらく誰かが地上に出てきて家族とともに喜びを爆発させていることだろう。

 予想より格段に早かった救出劇にまずは祝福を送りたいと思う。

 しかし・・・

 救出された後に待っているものは何か。

 当面はいろんなところに引っ張り出されるだろうが、人々は飽きるのも早い。
 その後に待っているのは、相変わらずの日常である。
 もしかすると、また鉱山に戻って日々働き続けなければいけないかもしれない。いや、もしかするとではなく、ふつうはそうなるのではないか。

 ということは、今が幸せの絶頂であり、これを超える幸せは今後まずない、というふうにも取れる。

 それとも、これがきっかけでヒーローになり、その後作家になったりタレントになったりする人たちも出てくるのだろうか。

 いずれにせよ・・・

 「感動的」な救出劇の報に接しながら、考えるのはそんなこと・・・という自分自身にちょっと失望している。

 20歳のときから感じている「日常性の呪い」は、素直に感動することすら許してくれない。

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2010.10.11

◆徒労の効用

 朝、4時8分に目覚める。寝たのは1時をかなり過ぎていたから、3時間も経っていない。

 もう少し寝ようと思ってもなかなか寝付けず、起きるしかないかと時計を見ると4時33分だった。

 ぎりぎりである。こうなると、もう「お告げ」なのかと思い、寝床を出た。

 前夜ちらっと、はるばる大阪・和歌山府県境まで鳥の標識調査に出かけようかと思っていたのだ。自宅からだとほとんど大阪府縦断になる。
 もちろん、標識調査といっても、先達がなさるのを見学させていただくだけだ。
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 銃や麻薬と同じ、一般人は所持しているだけで罰せられるカスミ網を使って鳥を捕獲し、同定・測定してから足輪をつけて放鳥する。
 最初の捕獲でどのような個体が生息しているかが明らかになるし、再度の捕獲で記録されれば、生態がより詳しくわかってくる。

 いちばん捕獲数の多い朝一番の網の成果を見るには、朝6時半に現地に着かなければならない。ということは、ほぼ4時起きということになる。

 今回はそんな気力もなく、行くつもりはなかった。だから就寝も1時を回ってからだったのである。

 なのに冒頭の起床。「4時起き」というのが、サブリミナルにインプットされていたのだろうか。
 「お告げ」のお蔭で、ちょうど6時半ごろ、現場に着いた。

 ところが・・・

 朝一番の網は空振り。その後1時間おきに見て回るものの、ずっと空振り。スズメ一羽捕獲できない(もっとも、山の中なのでスズメは生息していないのだが)。

 結局、お昼前に「ボウズ」のまま辞去した。

 例によって、この3連休も家人は毎日出勤している。
 調子がよければ夕方までいようと思っていたのだが、これほどの不作なら、昼過ぎに帰って息子に昼食を食べさせてやろうと思ったのだ。夕刻に帰る家人に間に合うようにケーキも買っておきたい。

 朝5時過ぎから高速道路を飛ばし、山道を上り下りしてはるばる往復したのは、ほぼ徒労だったということになる。
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 しかし、それでいて、気分に余裕ができて気持ちが穏やかになっているのが自分でもわかった。特に夕刻の仮眠後は顕著で、また明日から(というより、今夜家でパソコンを開いた瞬間に)仕事が始まることを憂鬱に思わないほどであった。

 珍しい鳥を間近で見られた喜びや興奮がないぶん、むしろ穏やかな心持ちでいられるのが妙である。

 土曜も日曜も休みであった。だが、連休を経てもこんな気分にはなれなかった。

 ストレスフルな日々に逆なでされ、ややもすればささくれだつ神経を鎮めるには、思い通りにならない自然の中で徒労感を覚えることが、案外役に立つのかもしれない。
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 後記:だがその効用は1日と持たないのであった・・・

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2010.10.10

◆偉いぞ「日本の古本屋」

 「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)を見ていると、実際に人を乗せて走れる鉄の戦車(1/2.4スケール)を一人で作ってしまったという男性が登場した。

 何でも、キャタピラの鋳型から自分で製作したということで、とてもにわかには信じられないほどだ。

 男性自身も、とても戦車オタクには見えない、「ハンサムでさわやかなナイスガイ」であった。確か、44歳ということだったが、30代に見える。

 世の中にはほんとにすごい人がいるものだ。

 それに触発されてドイツの戦車なんかをちらちらと調べているうち、かつて(たぶん一部を)読んだ松本零士のマンガを思い出した。
 確か、「戦場まんがシリーズ」という短編の連作集で、コミック本が数巻出ていたと思う。

 読みたくなっていろいろ調べてみると、ものすごくいろいろなバリエーションがあり、それぞれで収録している作品の数や種類が違うらしい。
 しかももちろん、ほとんど絶版である。

 結局、すべての話を網羅している版が2つあることが分かり、そのうち判型の大きい方を手に入れることにした。

 だが、個人的不買運動をしているアマゾンを始め、紀伊國屋書店BookWeb、楽天ブックス、BK1,古本市場、ブックオフ、ツタヤ・・・と、いくら探してみても、欲しいものは見つからない。オークションにもない。
 最近はネットを通じた貸しコミックみたいなのもあるようだが、そこにもなかった。

 そこで、ふと思いついて、以前会員になっていたこともほとんど忘れていた「日本の古本屋」で検索してみることにした。
 上に挙げたような大手資本ではなく、「戦前からの組織を再興するかたちで1947年に創立された全国古書店の統合組織で」ある「全国古書籍商組合連合会」の「古書店すべての参加を目指しつつ」運営されている、いわば弱小古書店の連合体がやっているインターネット通販だ。

 江戸や明治や戦前の古本でも探すなら真っ先に思い浮かべるかもしれないが、21世紀になってから発行された漫画本など、たとえ絶版であってもアマゾンや楽天で手軽に買えるだろうと思っていたのだ。

 しかしながら、「日本の古本屋」で調べると、大手では影も形もなかった目当ての本が、なんと7巻揃いで500円!で見つかった。

 私が買うとなくなってしまったので、運もよかったのだろう。

 古書店めぐりを繰り返し、目当ての本が廉価で見つかった時の喜びというのを文人墨客が記しているのをよく目にするが、その気分の一端を味わえたのは初めてかもしれない。
 (昨日のエントリにした村上春樹も、レコードにおけるそれをよく書いている。)

 それにしても、諦めかけた本がこんなに簡単に検索できて安く手に入るとは・・・

 喜びが労力に比例するとすれば、今回は小さいとも言えるが、無駄に大手で検索し続けて見つからなかったのは、その意味では良かったかもしれない。

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2010.10.09

◆営為と自信

 あちこちで表明なさっているとおり、ご本人はほんとうに「どうでもいい」と思っていらっしゃるのかもしれないが、今年も村上春樹氏はノーベル文学賞を取らなかった(脳が減らなくてよかったですね)。

 でも、バルガス・リョサ氏がとうとう受賞したので、次はいよいよ、という気もする。

 ・・・と思いながらニュースなんかを読んでいると、「世界最大規模のブックメーカー(賭け屋)、英ラドブロークスによる、ノーベル文学賞受賞者を予想するオッズ(賭け率)」(sankei.jp.msn.com)で、バルガス・リョサは16位だったのだという。村上春樹は2位。
 1位は誰だったんだろう?

 たとえば(もちろん、あくまで「たとえば」)20位までの多くの人がいつかは取るとしても、毎年一人ずつしか取れないのだから、何年後になるかわからない。
 それに、それ以外にも候補はいるだろうし、20年も経てばまた新たな候補も出てくる。

 そして、最大の問題は、20年のうちに年配の方々はどんどん物故者になっていってしまうということだ。リョサ氏にしても、現在74歳である。

 思えば、今年ノーベル化学賞を取った鈴木章氏も、齢80であった。70代で亡くなる人も多いし、もう数年待たされていたらどうなったかわからない。

 傑出した業績はもちろんのこと、やはりよほど運がよくなければ受賞には至らないのだろう。しかしそれでも共通するのは、日々のたゆまぬ営為である。

 「もちろんその技術を、歳月をかけて大事に磨いてきたのです」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)と村上春樹がさらっというとき、そこには常人にはうかがい知れないほどの努力と、それを営々と続けてきた者だけが抱くことができる怖いほどの自信が感じられる。

(ノーベル賞、ひいてはあらゆる「賞」の「うさんくささ」や、文学論・翻訳論的諸問題はまた別の話です)

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2010.10.06

◆インビクタス/負けざる者たち

 何かでちらっと見て、ラグビーの映画だと思っていた。だとすれば見なかっただろうが、また何かでネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国第9代大統領)を描いた映画だと知った。しかも、監督はクリント・イーストウッド。
 これは見ずばなるまい。

 『マンデラの看守』(邦題:マンデラの名もなき看守)も素晴らしい映画だったが、これもよかった。

 描かれたマンデラがあまりにも立派で、偶像化されてしまっている感もあるが、その発言のひとつひとつが涙を誘う。

 負けたってぜんぜんいいじゃないか、いや、それ以前に勝ち負けなんてそもそも・・・と思いながら毎日過ごしているが、こんな強さがもし望んで得られるのであれば、心底欲しいと思う。
 思っても詮ないことだけれど。

(Invictus, 2009)

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2010.10.04

◆コーヒー回帰線

 幼いころ、コーヒーは飲ませてもらえなかった。

 「子どもにコーヒーを飲ませてはいけない」という意見にどれほどの妥当性があるのかは知らないが、私も息子には飲ませなかった。もっとも、飲ませようとしても、「苦い」といって今でも飲もうとしない。

 ただ、私が飲ませてもらえなかったコーヒーと、息子に飲ませていないコーヒーは別の飲み物だと思っていた。

 ちょうど、ほとんどのインスタントラーメンとラーメンとが相互に関係のない食べ物であるように、インスタントコーヒーとレギュラーコーヒーとは違う飲み物だと思っていたからである。

 私がたまにインスタントコーヒーを飲むのを許された中学入学のころだっただろうか、それまでインスタントしか飲んでいなかった両親が、コーヒーサイフォンを買ってきて、レギュラーコーヒーを淹れ始めた。
 アルコールランプに熱せられたお湯が下のフラスコ?からガラス管を通って上の漏斗?へ上がっていく様子が不思議で、何度も飽きずに眺めたものである。

 思えば、ちょうど日本が貧しさから脱したころのできごとであった。

 その後、インスタントコーヒーを飲むことはほとんどなくなった。レギュラーコーヒーしか飲まなくなったのと、たぶん30代半ばごろまではどちらかといえば紅茶党だったためもある。
 唯一インスタントを重宝していたのは、コーヒー牛乳を作る時だけであった。

 それがこの夏、何十年ぶりかでインスタントを飲むようになった。

 きっかけは、ちょうどコーヒーの粉が切れたころに、夜でも飲めるようにカフェインレスのインスタントコーヒーを買ったことに始まる。

 飲んでみると、私の貧弱な舌ではレギュラーコーヒーとはっきり区別できない。まして、カフェインが入っているかどうかなんてまったくわからない。

 「まさか」と思いながら、少しだけ残っていたブルックスと比べてみても、それほど違いはない。これならインスタントでいいじゃないかと思い始めた。
 今年の酷暑、アイスコーヒーを作るのはインスタントの方が格段に便利だということも背中を押した。

 もちろん、飲む直前に豆を焙煎して挽いたばかりのコーヒーなんかを淹れたりすると違うのかもしれない。
 だが、ローストした瞬間からどんどん劣化するらしいのに、粉のコーヒーを買っているような状況では、インスタントの方がむしろおいしく飲める可能性すらある。

 そう思っていると、「コーヒーの敵は「酸化」でした」と宣伝するネスカフェの「新・香味焙煎」なんかも発売された。我が意を得たりとそれも購入して飲んでいる。

 だが、レギュラーもカフェインレスも香味焙煎も、同じような味だ。やはり根本の問題は私の舌の貧弱さにあるのだろう。
 それでも、インスタントコーヒーがどんどん進化して、もはやコーヒーと同じ飲み物になってきたのではないかという気もちょっとする。

 先日、ある会合で、グアテマラ人が「インスタントコーヒーなんてコーヒーとは呼べない」という趣旨の発言をしていた。
 その時、「いや、こないだまで私もそう思っていましたが、今のインスタントコーヒーは、コーヒーなんですよ」と言いたくなったのだが、ちょっと自信がなかったし、会議の趣旨とまったく関係のない話なので遠慮した。

 今度会った時、ブラインドテストをやってみたいと思う。「グアテマラはコーヒーの国ですから」という誇り高き彼が、インスタントを見破れなければおもしろいのに。
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 蛇足:
 コーヒーは、「コーヒーベルト」と呼ばれる北回帰線と南回帰線の間の地域で主に栽培されている。インスタントへ回帰してきた自分を、それにひっかけて表題とした。

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2010.10.03

◆Simply put...

 昨日のエントリ、簡単に言えば・・・

 きちんと仕事をすることより仕事をしているように見せることが重要だという暗黙の了解が官僚組織の中には構造的に埋め込まれており、

 他省庁なら、たとえば甘い(というより嘘の)予測をもとに無駄な空港やハコモノやダムや道路を造ってもそれほど大きな問題にはならないのに、
 検察庁が甘い(というより嘘の)見立てを被疑者に押しつけて逮捕・起訴するのは法治国家の根幹を揺るがす大問題・・・ということなんですね。

 どちらも、期待されていると考える「仕事」をするために都合よく小細工をするのは同じで、単に金銭的なことや環境破壊を考えれば前者の方が罪ははるかに大きいとも言えるのですが、やはり、直接人権にかかわる司法だけは別格にしておかなければならないということでしょうか。

 実際、無駄な巨大構造物を作ったことよりも、無実の人を冤罪で処罰することの方がはるかに罪深いというのは私の感覚とも合致します。

 でも、冤罪以外の失策に寛容になりすぎている感覚もかなり怖い。
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 後記:「厚労省、内部告発を放置 通報者は規則違反理由に解雇」(asahi.com)だそうです・・・

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2010.10.02

◆捕まえるためには悪人が必要になるのだ

 昨夕、バースデーケーキと夕食の買い物のために急いで職場を後にしながら、ちょうど敷地外へ出ようとするところで、前田恒彦容疑者(大阪地検特捜部主任検事)がなぜ証拠を改竄してまで厚生労働省の局長を逮捕・起訴したかったのかを卒然と理解した。

 頭の中には直前までやっていた会議のあれこれが渦巻いていて、そんな事件のことなど露ほども考えていなかった。
 それでも、思いもかけずそんな想念が湧き上がってきたのは、もちろん、両者の間に深いつながりがあるからである。脳内の回路の生成は予測できないが、後で分析することはできる。

===

 もしかしたら警察も同じようなものかもしれないが、検察の特捜部というところは、「たまたま悪い奴がいたら捕まえる」という組織ではない。

 まあ、世に悪人の種は尽きないわけだけれど、仮に政治家や官僚や大企業幹部たち(以下、「大物」)のモラルが高く、贈収賄事件や脱税なんかが起きていなくても、誰かを血祭りに上げなければならない構造的宿命のうちにあるのである。
 なぜなら、被疑者の地位や金額において「大きな」事件を捜査していかなければ、そのレゾンデートル(存在意義)を問われかねないからだ。

 特捜部が大きな事件を手がけない日々が続くと、人々(というより権力者たち)は、「このごろは大物の犯罪が減ってきてよかったなあ」とは思わない(まあ実際、減っているとは思えないんだけれど)
 むしろ、「特捜は何をやってるんだ? ちゃんと働いてるのか」と考える。少なくとも、特捜部の検事たちは、権力者たちがそう考えているのではなかろうかと考える。そして、「このままではいけない」と焦り始めるのだ。

 それは、現実に大物の悪人がいてもいなくても同じことである。
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 官僚組織は、その維持拡大に腐心する。

 緊縮財政の昨今では拡大は難しくなったが、それでも常に「何かをやってます」ということをアピールして、組織を維持できるように、予算を減らされないように、日々「努力」を重ねている。それがいかにピント外れであっても、やってみないと結果はわからないから、努力して新機軸を打ち出すこと自体が評価される。そして、そのほとんど無意味な「努力」が、個人の出世にも結びつくようになっている。

 そんな中、「係長」の被疑者だけでは、事件が小さすぎて手柄にならないという思いが検事の頭に渦巻き始める。いや、「係長」の逮捕・起訴で終わりそうな事件であれば、そもそも最初から手がけないかもしれない。
 いずれにせよ、何とかして大物をあげないと・・・という、本来の犯罪捜査からはまったく逸脱した「目的」が何よりも優先されてしまうことになるのである。

 悪人がいるから捕まえるのではない。捕まえるためには悪人が必要になるのだ。
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 「正義の味方」のはずの検事が、証拠を改竄してまで無実の人に冤罪をかぶせようとする理由が、これまではまったく理解できなかった。
 相手が暴力団幹部だとかで、何とかして捕まえて刑務所に入れておきたいというのであれば、まだ心情的には理解できる(それだってもちろん、法的には絶対に許されないことだけれど)
 しかし、ふつうに仕事をしているキャリア官僚(しかも本省の局長)に、なぜ罪を着せる必要があるのかは、どう考えても謎だった。

 「東京地検のような恥をかくわけにはいかなかった」とか、「特捜部に焦りがあったんでしょう」とか、評論家たちが言っても、私の抱いた「謎」はまったく解けなかった。「そんなことで無実の人を罪に追いやったりするものだろうか」と。

 だが、上記のように考えてみて(というより、考えもしていないのに突然ひらめいて)、やっと納得がいったのである。
 その意味では、今回の事件は、ひとり前田主任検事の暴走ではない。報道されていることが事実ならばやったことは極悪非道だけれど、その種子は特捜部全体に(そしておそらく検察全体にも)構造的に埋め込まれていたのだ。

 昨夜、大阪地検の前特捜部長と副部長が逮捕されたのは、だから当然と言える。主任検事が証拠を改竄したという、法治国家全体を揺るがしかねないような重大な報告を受けても、「まあそれぐらいのことはあるだろうから、今回は目をつぶっておこう」という土壌があったのだろうと思う(が、念のため、冤罪を産まないように注意はしてほしい)。
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 評論家たちは言うに及ばず、世間の「大人」たちにとっては、以上のようなことはもはや常識なのかもしれない。しかし、私のナイーブな(青臭い)感性と頭とでは、なかなかそれが「腑に落ちる」というところまでは理解できなかったのだ。

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 今の職場に勤め始めて十数年。上部組織から末端に至るまで、同じような論理で動いていることを折に触れて感じてきた。

 特に、上部組織がひどい。「何かしていないと仕事をしていないと思われる」という論理のもと、ほとんど意味のない(というより、むしろ物事を悪くするような)新機軸や改革を次々と打ち出してくる。
 ここに具体的に書くことはできないが、あの新機軸はこうなった、あの改革の副作用は、この改革のせいで・・・と考えていくと、もちろん功罪両面あるだろうとは思うものの、成功か失敗かという二分法を適用するなら、そのほぼすべてが失敗であったと断言できる。つまり、結局は何もしない方がよかったということだ。

 それでも、だれも責任は取らない。せいぜいで、担当した個人が出世の階段を登りつめることはできなくなったかもしれないという程度のものだ。通常はそれすら怪しく、そもそもだれも失敗だと思っていないし、ひそかに思っていても認めない。担当者が懲戒されることなどは絶無である。

 私の職場の上層部は、その愚かな上部組織の意向ばかり気にしながら、実行部隊として「失策」を遂行するのに汲々としている。
 死屍累々となるわけではないから罪は段違いに軽いというものの、根本の構造においては、多くの将兵を死に追いやり辛酸をなめさせた、かのインパール作戦、ひいては太平洋戦争全体と同じなのではないのかと思う。それが大袈裟すぎるというなら、無駄なハコモノやダムを乱立させているのと同じだといってもよい。

 数百万円の賄賂をもらったとかあげたとか、あるいは不正使用したとか脱税したとかで逮捕され、極悪人のレッテルを貼られる人が絶えない。もちろん、やったことの報いは報いとして、公正な裁判の結果下された刑に服すのは当然だ。
 しかし、まったく何の罪にも問われない「失策」による損失は、数百万ではとてもすまない。少なく見積もっても何十億、多ければ何百億何千億の損失を出しているだろうと思われる「失策」を、私は即座に数個は挙げることができる。わかりやすく金額で示したけれど、その失策によって人生を狂わされたという人も数知れない。
 それでももちろん、責任者は何の罪にも問われない。さらには、上の顔色を伺いながら嬉々として遂行していた者も、反発したり嘆いたり馬鹿馬鹿しいとか言いながら嫌々協力させられた者も、同様である。そして、出世を阻まれたり処分されたりする者がもしいるとすれば、それは、その明白な失策を公然と指摘し、協力しない「正義の人」だけだ。
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 このような現象は、日本の官僚組織(軍隊も検察もそうである)にかけられた呪いのようなものなのだろうか。それとも、あらゆる組織や人類全体に共通するような宿命的な権力構造なのだろうか。

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2010.10.01

◆敏捷性テストで32問

 Wii Fit Plus の記録。

 長らく越えられなかった「31問の壁」を超え、「日本新記録」絶賛更新中・・・

 今日は33問クリアのしっぽも見えた、と思う。

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