●1Q84
今さらながら『1Q84』(村上春樹)を読んでいる。
最近珍しいことに、500頁を超える本を一気に読んでしまった。
それでまだ1/3・・・
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今さらながら『1Q84』(村上春樹)を読んでいる。
最近珍しいことに、500頁を超える本を一気に読んでしまった。
それでまだ1/3・・・
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ふだんはお薦め映画のことしか書かないのですが、紹介したいぐらいトホホな映画を久しぶりに見てしまったので・・・
でもまあ、最後まで普通には見られただけましですが・・・
___
ラブコメかと思って借りたのだが、ラブはほとんど関係ないコメディだった。それもパッとしないそれ。
特に、ラストは「ぐだぐだ」としか言えないのではないか。さらに、鑑賞後に見たからまあよかったのだが、日本語版の予告編は非常にミスリーディングでほとんど詐欺である。
こんな映画が・・・と思って調べていると、日本でもしっかり劇場公開されているようだ。もっとずっといい映画がたくさん無視されているというのに。
配給会社の選択眼がどうかしているか、(たぶん)ターゲットである若い女性たちをバカにしているとしか思えない。
どれだけひどいか興味本位で・・・以外では、見る理由はないかと思います。
(Meet Bill, 2008 U.S.A.)
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「在韓フィリピン人5万人、日本へ避難検討 砲撃事件受け」(asahi.com)だそうです。
フィリピンのラシエルダ大統領報道官は26日、韓国と北朝鮮の緊張がさらに高まった場合、韓国に滞在する5万人以上のフィリピン人を日本に緊急避難させることを検討していることを明らかにした。現地の報道によると、すでに日本政府に一時滞在を認めるよう打診しているという。これは予想外でした。
論評抜きで、とにかく驚いたということだけを取り急ぎ記します(いや、今後もこの件では何も書かないとは思いますが)。
それにしても、ああびっくりした・・・
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イラクで大量破壊兵器の捜索任務に当たっているチームリーダーの上級准尉(マット・デイモン)。
命令された場所を命懸けで探しても空振り続きで、情報源に疑問を抱き始める・・・
___
好戦国への愛国と反戦平和、見事な戦闘アクションとナイーブな正義とを両立させる力業で、素晴らしい映画に仕上がっている。
もっとも、アメリカが世界のヒーローでありたいというむき出しの願望は、あまり美しいものではない。
しかし、「アメリカ政府」や「アメリカ軍」に対してはそう言えても、「グリーン・ゾーン」にいるわれわれは、マット・デイモンのような存在には黙って頭を下げるしかない。
___
こんなことを言うと偉そうに聞こえてしまうかもしれないが、マット・デイモンの成長がすごい。これまでの映画ではあまり感心しなかったのだが、ここへ来て素晴らしい役者になっていると思う。
(Green Zone, 2010 U.S.A.)
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昨日、車がやっと、はるばる下北半島から帰ってきた。
再会を喜び、珍しく(ホイールを除いて)隅々まで自分で洗車してワックスをかけてやった。今ブログを調べると、ちょうど半年ぶりぐらいになる。それでも今年は多い方だ。
保険会社の手配で運ばれてきたのだが、一週間以上かかったので、いったいどういう風にしたのか疑問だった。
車が故障したときは、保険会社と契約している最寄りの整備工場からレッカー車などが来る。全国ほぼくまなくネットワークされていると見えて、下北半島でも30分ほどで救援が来た。もちろん、一応市街地であったことが幸いして、だけれど。
それから考えると、青森から大阪まで、バケツリレーのように運ばれてくるイメージしか思い浮かばなかった。だからそんなにかかるのだろうと漠然と思っていた。
ところが、昨日の午前中、車の到着を待っていたら「株式会社ゼロの○○と申します」と、奇妙な会社名を名乗る男から携帯に電話があった。
最初、職場によくかかってくる、詐欺的なマンション売買や商品取引の売り込みかとも思ったが、私の携帯番号を知っている業者はほとんどいない。ほどなく、車を運んでいる業者だとわかった。
調べてみると、北海道から沖縄まで、全国を股にかけて車を運ぶことを専門にしている会社らしい。資本金33億円以上の大企業である。
もともとは「日産陸送」と言ったようだが(わかりやすい社名ですよね)、いろんな会社を吸収合併しながら、異常に怪しい(と思いませんか)「ゼロ」という名前の会社になったみたいだ。
いろんな会社があるんですねぇ・・・
確かに、「日産陸送」ならわからなくもないが、個別の需要に応じた自家用車やバイクを一台一台運んでくれる業者があるなんて、想像したこともなかった。
ウェブサイトでは、青森から大阪までの見積もり料金が一瞬で表示される(青森のディーラーから大阪の自宅までで7万2765円)。高いと考えるか案外安いと思うか、絶妙な価格設定である(北海道の稚内から沖縄までだと15万2807円になった。7円って・・・)。
いずれにせよ、保険会社はおそらくもっと安い価格で契約しているのだろう。
そもそも、トラックに積んでくるイメージしかなかったのだが、もはや不動車ではないから乗ってくることも可能ではある。だが、青森から大阪まで走って来るとすると、バケツリレー方式しかないはずだ。いったいどうしたんだろう?
自宅まで乗ってきた人に聞くと、仙台から大阪南港までは船で運んで、その後自走してきたという。そんなフェリーあったっけ?と思ったが(名古屋で乗り換えればあるようだ)、ウェブサイトによると、自社で輸送船まで所有しているらしい。
私の車がそれに乗ってきたかどうか定かではないが、さすが、餅は餅屋だなあと感心した。
考えてみれば、宅急便ができたのもたった?30年ほど前のことである。それまでは、郵便小包とチッキ(って私もほとんど知らないけど)しかなかったのだ。
車なんかでも、「これ、あそこまで届けて」と頼めば、「はいよっ」と引き受けてくれる業者があるとは・・・
まあ、まず使うことはないだろうけれど。
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2階の和室で使っている照明器具の具合が悪いと聞いたのは、もう半年前ぐらいのことだろうか。
いったんつけても途中で消えたりするというのだが、私がつけると大丈夫だったりして、しばらく放置していた。
夏前に点検すると、蛍光管の問題ではなく、器具自体の問題であることが判明した。
ところが、夏になると、気温が上がったためか調子がよくなって、そのまま使っていた。
器具を買いに行かなければとずっと頭の隅に引っかかりながら、何となく面倒で先延ばしにしていた。
寒くなってきて、そもそもつかなくなったりし始めると、さすがに不便で仕方がない。
諦めて、「せっかくだからちょっといいのを買おうか、また十数年は使うんだし・・・」と思って探し始めると、これはと思ったものは26万円とか書いてある。なんだよそれ。
今のは数万円もしなかったと思うのだが、けっこう気に入っているのだ。26万なんてもちろん問題外だが、これを捨てて安物を買うのは気が滅入る。リーズナブルなのはないのだろうか。
そうこうするうち、子ども部屋から外した安物のペンダントがあるので、不便だからとりあえずそれをつけておこうという話になった。こういう時のリリーフぐらいはできるだろうと、捨てずにとっておいたのだ。
そこで家人が珍しくひらめき、その器具と現在の笠?を組み合わせて使えるのではないかと言い出した。
気に入っているのは、笠のデザインと質感なので、本体はまあどうでもいい。
合うかなあ・・・と懐疑的だったが、やってみるとちょうどぴったり合い、何の問題もなく収まった。おそらくは規格が同じなのだろう。
インバータ式でもなく、いわゆる昔の「蛍光灯」なので、スイッチを入れてから点滅し、点灯するまでにしばらく時間のかかる懐かしいやつである。
でも、たぶん、だからこそ故障もしない。
捨てずに置いておいた安物がお気に入りの照明器具の延命につながり、なんだかちょっとだけ幸せな気分になった。
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仙谷官房長官が参議院の予算委員会で「暴力装置でもある自衛隊は特段の政治的な中立性が確保されなければならない」(asahi.com)と発言したことに対し、激しい批判を受け、本人も撤回して謝罪するという騒動があった。
「法律用語としては不適切で・・・」という長官の発言からは、ご本人はこの用語が「学術用語としては」適切であったことをご存じだったのかとも思えるが、どうもその後の対応を見ているとそうでもないような気がして心許ない。
いずれにせよ、問題は、「今、何て言った !?」などと、「暴力装置」という言葉に反射的に反感を覚えた国会議員たちの無知にこそある。
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軍隊や警察などの「暴力(装置)」を合法的に独占することに成功したのが近代国家の特質だということは、経済学や社会学や政治学の世界では常識に属する。
すぐに「左」だとか言って批判した気になっている単細胞の輩も多いが、この発想は、マルクスをむしろ批判する形で近代資本主義の合理精神を説いたマックス・ウェーバーにその源流があるはずだ。
(ウェーバーは確か、軍隊や警察などの「暴力」を独占する近代国家を「暴力装置」と呼んだと思うのだが、ここでは大きな問題ではない。)
おそらくは、大学の教養レベルの講義で基本知識として教えられるような内容である。
その際、まさに「暴力(装置)」という言葉そのものが使われているのがもっとも一般的だろう。本来の「暴力装置」である近代国家に対して「暴力手段」という場合もあるが、国会で問題にされたのは「暴力」のほうであろうから、大きな違いはない。
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今に始まったことではないが、さまざまな指標において世界で3本5本10本の指に入る国家の政治家が、歴史や社会や国家に関してあまりにも無知すぎるのには啞然とする。
彼らは国家を動かしている人たちであり、一般人ではないのだ。近代国家に関する最低限の常識ぐらい、そのタームとともに理解していることを期待するのは間違っているだろうか。
「法務大臣の答弁は2種類でよいから楽だ」という趣旨の発言をした柳田稔氏も、「起訴便宜主義」や「検事を任命するのは誰か」(法務大臣である柳田氏自身です)を知らずに恥をかいたという。
これもやはり、法務大臣としてはかなり恥ずかしいことだと言わざるを得ない。
仙谷官房長官を擁護しようとした前原外務大臣の発言もいただけない。
昔よく共産党系の本も読まれていたんだろう。その中に暴力装置のような言葉があったやに本人から聞いた。それが間違って出てきたものだと思っている。あくまでも本音ではなく、言葉が誤って出たものだと認識している。(asahi.com)
前原氏と言えば、北方領土が「不法占拠」されているという言わずもがなのことを口にし、メドベージェフ大統領の北方領土訪問への誘因を作ってしまったことも記憶に新しい。
麻生太郎氏が考えもなくそう口にして、かえって「国益」を損なってから1年半しか経っていないのに、せっかく政権交代して、いったい何をやっているのか。
石原慎太郎東京都知事は仙谷官房長官憎しのあまり
軽率というか、ばかというか。はなはだ好ましくない発言で、陳謝で済むものか。
下手をしたら暴力団と自衛隊を重ねて想定するようなイメージにつながりかねない。(asahi.com)
仙谷氏も言っているとおり、自民党で防衛大臣を務めた石破茂氏もかつて「国家の定義というのは警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の一つの定義(原文のまま)」(石破氏自身のブログより)だと発言しているのだ。
2006年の石破氏の共著書『軍事を知らずして平和を語るな』にも、「暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます」と書いている。
今回の騒動の後なので奥歯に物の挟まったような批判を仙谷氏に向けるのを忘れてはいないが、そんなもの、近代国家論の常識だからこそ、「右で軍事オタク」の石破氏も「元左翼」の仙谷氏も同じことを言うのである。
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私が見ていないだけなのだろうか。「警察と軍隊という暴力(装置)を合法的に「独占」所有するというのが「近代」国家の一つの定義」であるというのが常識であることに触れた報道が少ない(ない?)ことも問題だ。せっかくの勉強の機会なのに。
最後にもう一度言う。「自衛隊は暴力装置である」という発言が問題なのではない。そんな常識すら知らないまま政治を司っている、無知なくせに傲岸な連中こそが問題なのだ。
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哀しきミステリでもある文学作品。
姉妹愛、親子愛、友人たちとの関係などが、静けさの中の激しさをもって描かれています。
(Il y a longtemps que je t'aime, 2008 France)
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新しいコンピュータを購入しても、できることにはなんの変わりもない。
その点、iPhone や iPad(いずれも持っていない)は、できること自体が違うので、生活の中に新しい習慣が始まる可能性がある。
だが、新しい MacBook Air でできることは、すでに所有している MacBook Pro でもできる。何か違うことをするにしても、それはソフトの力によるのであり、そのソフトを別のパソコンに入れてしまえば、また同じになってしまう。
MacBook Pro にできなくて、MacBook Air にできることは何もない。Air はむしろ、スペックの劣る薄型 Pro にしか見えないし、実際、そう思っている人も多いらしい。
ところが・・・
MacBook Air 13 inch を使い始めてしばらく経つと、驚いたことに、もっと性能がいいはずの MacBook Pro や iMac を使うことがほとんどなくなってしまったのである。
すぐ目の前にそれらのコンピュータがあっても、手が伸びるのは MacBook Air の方である。それはもはや、「目新しいから」が理由ではない。
薄くて軽くてどこにでもひょいと持ち運んでいけるからであり、その利点を生かすべく、徹底して何も繋いでいないからである。
今、机の上にある MacBook Pro には、電源コード、TimeMachine用ハードディスク、スピーカ出力のコードがつながり、USBメモリが刺さっている。
これでも、たとえばインターネットやプリンタを無線LANで使っているだけましなほうである。そして、仮に全部接続を外して気楽に持ち運ぼうと思っても、大きさ・厚さ、そして何より重さの面で「よっこらしょ」となってしまう。
それだけではなく、ほとんど何をしても Air は Pro より速い。
CPUは確かに旧式(Core 2 Duo)で、クロック周波数も若干劣るが、HDDを廃して、高性能の東芝製SSDを採用したことにより、ほとんどストレスを感じさせない体感速度を得ている。
こうやって漢字変換していても、HDDだと一瞬待たされたりもするのだが、SSDだとまったくそれがない。立ち上がるのが遅かった Firefox や Word や Excel などは、数分の一の時間で動き出す。
スリープからの復帰は一瞬、システムを再起動しても十数秒しかかからない。
そして無音。
ファンが回ればそれなりにうるさいし、夏はどうなんだろうとは思うものの、普通に使っている分にはまったく静かで、本体に耳をくっつけるようにしなければ何の音もしない。
13 inch と画面が狭いのは致し方ないが、それ以外の面でこれほど素晴らしいコンピュータを他に知らない。
贅沢を言えば、電池がもっと長時間持てばいいと思う。しかし、ごく普通に使っている分には、夜のこの時間になってもまだ電源を繋がずに使えている。画面の輝度を落とすのがコツだと、最近知った。
今からちょうど25年前、初めてもらった冬のボーナスの大半をはたいて初めてパソコンを買った。
MacBook Air は、四半世紀後にたどり着いた、ひとつの大きな到達点だと思う。重さが二十数倍?、体積が何十倍、クロック周波数が1/200以下、メインメモリが1/5000以下のパソコンを使い始めてから25年間、こういうコンピュータをずっと求めてきたのだという感すらする。
___
軽いと使い方が変わる。
先日の昼食散歩の際も今日の通勤途中でも、ふと思い立ってそこらのベンチや石の上に座り、カバンからさっと取り出して使ったりした。
今夜、外で夕食を食べていたときにも、思い立ってすぐに調べ物ができた。
パソコンをいつもカバンに入れて持ち歩くのは十年ちょっとぶりだと思うが(以前は3〜4kgもあるような大型ノートブックをいつもリュックサックに入れていたが、その後、ポータブルハードディスクだけ、最近ではUSBメモリだけを持ち歩くようになっていた)、目的地で使うだけではなく、途中でも気軽に使えるのだ。
「軽い高性能」には革命的な価値がある。
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まあ、いくらコンピュータが革命的であろうと、使う方が使う方なので、革命的な仕事や創作に結びつかないところが、なにやらもの悲しくはあるのだけれど。
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邦題は『戦争のはらわた』。原題は『Cross of Iron』。あまりにも邦題がひどいので勝手に変えた。
でも、この邦題で名作としてその名を轟かせている映画だ。サム・ペキンパー監督、ジェームズ・コバーン主演。
ずっと以前、たぶん、十年以上前から見たかったのだが叶えられず、最近DVDが発売されてやっと見ることができた。
確か一度、子どもの時に見たことがあって、どれほど覚えているかと思ったのだが、かろうじて思い出せたのは、ジェームズ・コバーンが髭を剃っているシーンだけだった。なんであんなどうでもいいシーンだけ覚えてるんだろう。
西ドイツとの合作ではあるらしいのだが、アメリカ映画としては珍しく、第二次世界大戦のドイツ軍が主人公の映画である。
当時としては画期的とさえ言われた派手な戦闘シーンで有名になったらしいが、むしろ、反戦・厭戦の映画としての側面が強いように思う。
それに、人間とか生き方とか階級とかいったことに問題意識の焦点が置かれており、その意味でも、題名はやはり『鉄十字勲章』でなければならない。
映画が始まる前から既にそれを帯びている伍長(映画冒頭で曹長に昇進:ジェームズ・コバーン)と、勇者の証であるそれを切望しながら、映画の最後までそれを手に入れることができないプロシア貴族出身の大尉との対比を軸に、映画は描かれる。
今見ると、演技も何か芝居がかって見えるし、アクションはいかにも古めかしい。
しかし、最後のシーンに象徴される、戦争や階級や名誉に対するニヒリスティックな諦観のようなものはよく描かれていると思う。
現在の時点であえて見る価値があるかと問われれば、ちょっとうーんとうなってしまう。「古典的名作」の仲間入りをするかしないか、その境界線上にいるような映画かもしれない。
(Cross of Iron, 1975 U.S.A., West Germany)
(制作年(公開年?)には諸説あるようです。1975年はぴあシネマクラブによりました。これまでのエントリでも、映画の制作年はソースによってばらばらのことが多く、けっこういい加減かもしれません。)
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遠い方の職場と縁ができてから30年近くになるが、その周囲に何があるかはいまだにほとんど知らない。
駅から歩いたことも多く、近くを車で通ることも多いのだが、決まった道を歩いたり車で通過したりするだけでは、その地域のことは何もわからないのである。
車が故障して足を奪われたため、職場内で落ち着かない昼食をかき込むよりはと、散歩がてらお昼を食べに出ることにした。火曜日、2週連続である。
先週もいろいろな発見が多かったが、今日、商店街のすぐ近くに大きな広場があるのには驚いた。こんなところにこんな空間が広がっているなど、想像したこともなかった。
線路近くの小径や入り組んだ路地など、初めて、ないし、つい最近発見したところも多い。
ここに勤めはじめてからでも十数年になるのに、今まで一体何をしていたのだろうと思う。
周囲に何があるかどころか、職場の敷地内に何があるかすらほとんど知らないのだ。
___
あてもなく旅行したり彷徨ったりするのは好きな方だと思う。だが、それでもやはり、ほとんどは「名所」的な場所に限られてしまい、何の変哲もないところをぶらぶらすることは多くない。
まして、それが「どこか遠く」ではなく、ごく日常的な場所であればなおさらだ。
今の家に越してから近所を散歩してみるまでにも、十年近くの歳月と、かなり大きなきっかけが必要だった。必然性がなくなってからは、その散歩もしなくなった。
ほんと、人間、用のないところへは行かないものである。
でも、ときおりこうしてふらふらするのは悪くない。メディアを通して見知っている(つもりの)名所よりも、むしろ新鮮な発見があったりもする。
___
散歩の途中、年に1回しか行けない鮨屋の前へ行き、今日はシャッターが開いていたのでおそるおそる中に入り、明日の夕食を予約してきた。先週はシャッターが閉まっていて、そこが目当ての店かどうかすら判然としなかったのである。前回行ってから一年あまりの間にそこへ移転してきているのだ。
今、明日は車(家人のです)を職場に置いて、歩いて行ってみようかと思った。
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レオナルド・ディカプリオ主演のサイコサスペンス。
この種の映画って、オチというか謎解きがけっこう大きな部分を占めるのですが、たまたまちょうどいいぐらいのタイミングでそれが分かり、個人的にはよかったと思います。
鋭い洞察力により(あるいは何かで予備知識を得てしまって)、わりと初めの方でわかった場合はどうなんだろう・・・と考えても答えは出ませんが、まあ、雰囲気のあるいい映画ではあると思います。
(Shutter Island, 2009 U.S.A.)
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恐山に着くころは、車にはかすかな異変すらなかった。
異変があったのは天候だ。
着いて車から降りた時には、曇ってはいたが晴れ間も見えるような状況だった。だが、周囲を見渡し、持ち物を整えたころには、パラパラと雨が降り出した。
大丈夫だろうとは思ったが、念のために傘を持って行く。
500円払って中に入るころには本降りになり、そのうち横殴りに降り出した。
霊場となっているから、まあそれなりの雰囲気ではあるのだが、かつて北海道や東北や九州で見た硫黄泉の湧き出す温泉場そのものであり、誰かがここに寺院を作らなければ、他と同様、温泉観光地になっていたものと思う。
実際、霊場内に浴場があり、その気があれば入れるのには驚いた。男湯を覗いてみたものの、だれも入ってはいなかった。女湯の方は、もちろん確認できない。
かなりの雨の中、ひととおり賽の河原をめぐり、外へ出るころには雨は小止みになっていた。ちょうど団体のバスが着いたところで、入れ違いになったのはよかった。
脇にある食堂に入ると、6人ぐらいのおばちゃんたちがみんな昼食休憩を取っているところだった。客は一人もいない。まだ1時を少し過ぎたぐらいだったと思うんだけど。
食事はできるというので恐縮しながらメニューを聞くと、「ラーメン・カレー・うどん・そば」ということであった。建物はそれなりに趣があったのに、そのラインナップでは食べる前から味がわかってしまう。
少し躊躇したものの、自分に正直になり、丁重にお断りして辞去する。
ちょっと遅くなるかもしれないけれど、この後行く予定の大間崎で魚でも食べればいいや。
その横の土産物屋で、ここに行けと言った息子に何か買ってやれるものがないかと物色するが、めぼしいものもない。
もともと信じてないし、とか、変なプレッシャーになっても、とか、かなり迷った挙げ句、学業成就・受験合格のお守りを購う。だって、他に何もないんだもん。
(後記:今見に行ってみると、蛍光スタンドにちょいと引っかけただけのお守りは、いかにも落ちそうだった・・・)
狭い店内をふためぐりぐらいしていたころ、店の人が「ああ、晴れてきたねぇ」と、誰に言うともなくつぶやく。客は私ひとりしかいない。
結局、私が恐山を観光していた間だけ、雨が(しかも横殴りに)降っていたことになる。
そう思いたくはないけれど、雨といい車の故障といい、恐山の祟りなのだろうか。いや、傘を持って出ないでひどいことになることや、もっとどうしようもない場所で故障するのから救ってくれたのだと信じたい。
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キャストが「ひとり」しかいない、月面を舞台にした哲学的SFサスペンス。かなりの名作。
(Moon, 2009 U.K.)
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MacBook Air の環境移行でちょっと苦労したので、これから購入する方のために記しておきます。
あくまで体験に基づいておりますので、間違いや無駄な手順等あった場合はご容赦ください。
最初、まっさらの状態から起動した時に自動的に立ち上がる「移行アシスタント」で、無線LANを使って移行しようとしたのですが、ものすごく時間がかかりそうだった上に、なぜか途中でエラーが頻発して続行できなくなったため、もともとやろうと思っていた Peer to Peer による有線接続に切り替えました。
まっさらからの時は、イーサネットケーブルでMac同士を直結して移行するという選択は取れないように感じました(実際はできるのかもしれません)。
===Mac同士を直結する環境移行方法(MacBook Air 版)===
初めて MacBook Air を立ち上げた時、自動的に起動する「移行アシスタント」は使わず、いったんデスクトップを表示させてしまってから、改めて以下の手順でやる。
0.用意するもの
・新しいMacBook Air
・古いMac
・USB Ethernet Adapter
・Ethernet Cable
1.古いMacを最新のOSにアップデートする
2.双方のMacの無線LAN(AirMac)を切る(念のため)
3.MacBook Air と古いマックを Ethernet Cable でつなぐ
4.古いMacの「システム環境設定」から「共有」を起動し、「ファイル共有」を「入」にする
5.同様に、MacBook Air の「ファイル共有」を「入」にする(4と5(特に5)の手順は不要かも)
6.MacBook Air の「移行アシスタント」を起動する
(アプリケーションフォルダの中のユーティリティフォルダにあります)
7.古いマックの「移行アシスタント」を起動する
8.MacBook Air では、「別のMacから」を選んで「続ける」
9.古いマックでは、「別のMacへ」を選んで「続ける」
10.MacBook Air に表示される数字を古いMacに入れる
ファイル容量が多いと数時間かかりますが、あとは指示に従って「続ける」を押し、放っておけば移行が完了します。
11.必要に応じて、双方の「ファイル共有」を切る
以上です。
何か間違い等ありましたら、ご指摘くだされば幸いです。
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車は結局、燃料ポンプのアッセンブリー交換になった。
素人の私ですら、帰宅してちょっとネットを検索したら、たぶんそうなることはすぐにわかった。
どうして「原因不明」なんて言ったんだろう。メカニックと直接しゃべった時の口ぶりから推すと、彼自身はわかっていたような気がするのだが。
「確定診断」できない限り、滅多なことは口にするなと教育されているのだろうか。
燃料ポンプ交換なら、素人の勇者たちが自分でやったりしているぐらいの簡単なことだ。
一時はどうなることかと思った。
「原因不明」のカローラ店から修理できるディーラーへ移送するだけで、通常の相場だと5万円ぐらいかかりそうなのを後で知った。
修理に関しても、「バラしてみないとわかりません」とか言われるし、期間や費用がどのぐらいになるのか、かなり心許なかった。
そしてさらに、修理が終わったとしても、車ははるか青森にあるのだ。取りに行って帰ってくるだけでまた5万円ぐらいかかる。
ディーラーの好意と保険会社のお蔭で、結局のところ、燃料ポンプと燃料フィルタの交換出費だけですみそうなのは、まあ幸運と言っていいだろう。車は自宅まで運んでもらい、費用は保険がカバーする。
故障した場所も含め、不幸中の幸いとはまさにこのことかと思う。
それにしても、修理代金全額が振り込まれたのを確認しないと部品も発注しないというディーラーの姿勢には驚いた。
堅い商売というか、よほど私が信用できないのだろうか。車を人質に取っているというのに。
購入店だったら、「後で振り込みます」と言って車に乗って帰ったことすらあったと思う(たぶん)。
まあ、このまますべてうまくいけば、「いい経験をした」と思えそうである。
旅が台無しになったことと7万弱の出費はかなり痛いけれど。
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車はずっと快調に走っていた。
この旅行が終わるころには10万キロを突破する。そのオドメーターを記念写真に撮ろうとちょっとわくわくしていた。
購入して9年以上になるが、外観は新車同然である。だがさすがに、長年働いてきたパーツがぜんぶ無事であるとも思えない。何かあっても不思議はないような気はするのだが・・・
それにしても突然であった。
たまたま出くわした、自衛隊のF2戦闘機による急降下爆撃訓練?を見物した後、ラムサール条約登録湿地の仏沼、日本三大霊場の恐山、そして、マグロの一本釣りで有名な本州最北端の大間崎を経由し、白鳥が渡来しているという大湊付近に戻るべく、下北半島を走っていた。
___
あ、白鳥と言えば、往路、新潟の手前で前方すぐ上空を5羽の白鳥が右から左へ飛んでいくのを運転しながら目撃した。白鳥の飛翔は見事である。
___
北国の秋の夕暮れは早い。5時にはほぼ真っ暗になる。もう白鳥には間に合わないかなと思ったころ、見通しのいい直線道路で、突然、車が駆動力を失った。
何だか「へなへなっ」という感じがしたのを鮮明に覚えている。
反射的にアクセルを踏むが、車は緩やかに減速するばかりである。タコメーターに目をやると、針がゼロに向かって落ちていくのが見えた。
急いでギアをニュートラルに入れ、惰性で走りながらハザードをつけて左端に寄せる。ブレーキを踏んで止まったのは(エンジンは止まっていたが、ブレーキはふつうに効いたように記憶している)、ちょうど橋の上のようであった。
ガソリンはある。水温は適正。再始動を試みると、セルは元気に回り続けるものの、いつまでもエンジンはかからない。
こんなことが起こるのだろうか?
苦笑いしつつ、ちょっと途方に暮れる。
以前、信州を旅行していた時、エアインテーク系のパイプにひびが入り、そこから余分に空気を吸い込んでエンジンの調子が悪かったことがあった。今回もそれかと思い、出る前にガムテープを持って出ようかどうか迷って結局やめたことを少し後悔した。
いずれにせよ、周囲は真っ暗になってくるし、雨も降っている。自分で何とかする気も失せ、後方に三角表示板を置き、いつかのように自動車保険のロードアシスタントに連絡することにする。
でも、いったいここはどこなんだ?
幸い、エンジンがかからない以外は車は快調(笑)である。イグニッションをオンにしてカーナビをつけ、位置を細かくメモする。保険会社のカードを取り出すと、そこには自分の筆跡で相手に伝えるべき情報がメモしてあった。前回やや手間取った教訓から、次回に備えて準備していたのだ。そんなことは忘れていたが、自分の用意周到さに感謝する。
レッカー車に来てもらっても、どこへ運んでもらえばいいのかわからない。そもそも、こんなところに私の車のディーラーがあるとも思えない。とにかく、まずは大阪の購入店に連絡して、近辺のディーラーを教えてもらうことからはじめた。
滅多に使わない携帯電話をいろいろ駆使していると、電池マークが一つ減る。念のために持ってきた充電器が初めてその威力を発揮した。
ほんと、こういうときって、ケイタイが生命線である。
私の車を扱っているディーラーは、ここから車で3時間!かかるという。レッカー車に積み込んだのが6時ごろだから、着くころには9時になってしまった計算だ。
それでは間に合わないということで、最終的に紹介されたディーラーは、結局、故障地点からすぐのところだった。だが、トヨタカローラの店であり、かなり待たされた挙げ句、原因すらも不明と告げられる。
パイプにガムテープでも巻いて応急処置すれば旅に復帰できるのではないかとひそかに甘く見ていた。
それどころではない。2〜3日経っても直せる見込みはないという。
居場所と足を一気に失い、膨大な荷物を抱えて下北の夜に放り出され、いったい私はこれからどうすればいいというのか。
動かない車をどうするのかも含め、すぐには思考がまとまらない。再度保険会社に連絡するなどして検討した結果、最終的には車をここに置いたまま近辺で一泊し、翌日一日かけて鉄道で帰宅することにした。
ホテルはどこも満室で、1万円の部屋しか取れないという。何でもない平日の夜に、なんということ・・・ ここは東京か?
まあ、それはたぶん、保険会社が支払ってくれそうなので、むしろラッキーかもしれない(ビジネスホテルクラスでって、何度も念を押されたんだけど)。
ともかく、荷物をまとめてディーラーを辞去し、ホテルまで送っていただくことになる。
車に満載の荷物を、歩いて帰れるようにまとめるのがまた一苦労だ。ふだんから車に積んでいるものの中にも、残しては行けないものが多い。まったく、もう・・・
ホテルに着いたのは7時半ごろであった。
備忘録:車中に残してきたもの
・自転車
・その下に敷いた毛布
・寝袋
・ガイドブックや地図数冊
・緑のコート
・靴2足
・CD20枚ぐらい
・AC電源装置
・折りたたみ傘
まだ何かあるかもしれないがそんなところかなあ・・・
(後記)
・ドライバーセット
・三脚
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例によってこの土日も家人は仕事なので、今日は息子とふたりで自転車に乗って昼食に出かけた。
これまで、ほぼ必ず「自転車で行ってもいいんだけど・・・」とか考えながら、結局は考えるだけで毎回車で出かけていたのだが、その車がはるか下北半島にある以上、仕方がない。
帰ってきたアラメゾンか、天下一品のラーメンかという感じだったが、アラメゾンのランチを見るとお気に入りのはスパゲティになってしまう(昨夜も私が作ったスパゲティだったのだ)ので、いったんは天下一品に決めて自転車を駐めた。
ところが、なんと店内には席が空くのを待っている人たちがいたので、すぐ諦めてアラメゾンにとって返した。
以前もそうだったが、マスターはおらず、女性が一人でやっている。だれも客はいないのかと思ったら、奥に2人だけいた。天下一品とえらい違いである。
ここは間違いなくおいしいし、880円のランチはコストパフォーマンスだって高いと思うんだけど。
今日のメニューは、ポークソテー・ロールキャベツ・鱧のペペロン・ベーコンと高菜のパスタ・鶏肉の肝ソースから一つ選択という感じだった。
結局、ふたりとも「名残の鱧のペペロンチーノ」にした。スープとパンもついてくる。息子は前菜とドリンク付きにして、ドリンクは私がもらった。80円余分に払って頼んだカプチーノは、ふつうのコーヒーよりおいしかった。
___
これまで、息子とふたりや家族3人で自転車に乗ると、私だけが速いのが常だった。
今日は、行きはほぼ同じペースで、帰りはむしろ、息子の方が速かった。
自転車の性能はこちらの方が上だし、経験もいくらかは上だ。急な下り坂を利用して一気に距離を詰め、ハナの差ぐらいまでに並んだのだが、そこからの上り坂で置いていかれてしまった。
もっと必死で本気を出せばどうなったかわからないが、息子の方だって別に競走していたわけではないので、素直に負けを認めざるを得ない。
思えば当たり前なのである。赤ちゃんだった息子も、もう高校3年生。同学年の謎の美少女と比べれば中味はまだほんの子どもだが、ほぼ毎日自転車で通学もしているのだ。くたびれかけた父親が、生きのいい男子高校生に勝てるわけがない。ママチャリに乗った女子高生にだって勝てるかどうか・・・
でもまあ、身長も低いままだし力だって弱い。運動も相変わらず苦手である。そんな息子に負けることができて、嬉しいのが父親なのだ。
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はるか青森まで車を走らせながら、「車を運転している時は新幹線に乗っている時ほどには哲学者になれないのかなあ」と考えていた。
新幹線と違い、ひたすらぼーっと車窓の景色を眺めているわけにはいかないのだから、それもまあ当然である。
むつ市(ぜひ地図で位置をご確認ください)から合計9時間近くかけて大阪に帰る間は、ほとんど何もせずに窓外の風景を眺めていた(美少女に気を取られていた時間を除く(笑))。
___
今回は、いつもとは違う感懐を得た。想念を惑わす美少女が消え、新幹線に乗ってからずっと外を見ていると、青森から東京まで(その距離!)、東京から大阪まで、変わらず続いているのは、やはり田園風景だった。
少し寄り道になるが、本州は世界で何番目に大きい島かご存知だろうか。
大陸は除くので、一番はグリーンランド、その後、ニューギニア島、ボルネオ島と続くのだが、なんと7番目に日本の本州が来るのである。
しかも、6番目までの島々に、本州ほど人間によって維持管理されているものはない。グリーンランドと5位のバフィン島は、ほとんど人を寄せ付けない大氷原や氷河に覆われた不毛の島であり、残りの4つは(乱暴に言ってしまえば)熱帯雨林のジャングルである。
小学校以来、日本の国土の75%は山地だとか、河川の勾配が急だとか教えられてきた。
それはたぶん、その通りなのだろう。
だが一方で、その残りの平地が(いや、山地の一部さえも)これほどまでに丁寧に維持管理されてきたことに、もう少し思いを致してもいいのではないだろうか。
___
青森から東京を経て大阪まで、ずっと田園風景が続いていたと言った。それはもちろん、新幹線を建設しやすい地形のところを走ってきたからには違いない。
それでも、今なお耕作放棄地がほとんど見られず、綺麗に刈り取られた後にひこばえが生えて青々とした田や、田おこしされて豊饒な土が黒々と見える田、そして、刈り取られた直後の褐色の田、そしてときには一面に咲くコスモスの彩りなど、とにかく、織りなされるパッチワークが見事だった。
ときおり、もみ殻を焼く煙もそこここで上がっている。
___
先日ニュースを見ていると、「日本の農業はあと5年で壊滅する」という発言を耳にした。「まさか」と思う一方で、「2010年世界農林業センサス結果の概要(暫定値)」によると、農業の衰退と「老衰」は著しく、わずか5年前と比べてさえ、日本の農業人口は2割以上減っていることがわかる。
従事者の平均年齢は綺麗な一次関数を描いて高齢化しており、2010年で65.8歳。どんな会社でも定年を超えているような年齢が「平均」なのである。
5年は大袈裟かもしれないが、このまま行けば10年20年のうちには本当に「壊滅」するのではないだろうか・・・
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そんな折、前原外務(前:国土交通)大臣が、「第一次産業の占める割合は日本のGDPのわずか1.5%だ。その1.5%を守るために残りの98.5%が犠牲になっている」という趣旨の発言をした。
数字が正しければ、林業や水産業を含めても、わずか1.5%なのだろう。
だが、その1.5%をないがしろにした時、「交通」はどうなるのか知らないが、「国土」は確実に荒廃する。そして、今はまだある日本の米も、私たちの口には入らなくなるだろう。
国土は荒廃してもいいし、食糧は購入すればいいのだろうか。
外国がいつまでも機嫌良く食糧を売ってくれるとは限らないし、仮に売ってくれるとしても、荒廃・崩壊した国土は、果たして今後もそれを買うだけのお金を生み出し続けてくれるのだろうか・・・
___
何時間も何時間も続く田園風景を眺めながら、今ならぎりぎり、まだ間に合うかもしれないと思った。
国際経済やら政治やら、難しいことはよくわからないけれど、考えもつかないような思い切った政策を断行し、国土や農業を守るべきである。
今ならまだ間に合う。
しかし一方で、日本の政治を見ていると、もはや間に合わないのは確実だとも考えてしまうのだった。
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一日に9本しか来ない列車は、それでも空(す)いていた。
まして、この列車は、一日に1本しかない、八戸への直通列車らしいのに。
___
そもそも昨夜、今日の切符を買おうと思って駅に出向いた時には、すでにだれもいなかったのだ。
まさかとは思うが、無人駅である可能性も考えて「駅に人はいますよね」とカーディーラーの人に聞くと、「まだこの時間ならいると思います」という返事だったのに。
窓口には、18:50分をもって営業終了の文字があった。下りはともかく、上りの終電だって19時42分である。「切符の購入は券売機で」と書いてあるのだが、ちょっと触ってみたものの、大阪までの切符が買えるわけもなかった。
その他、いろいろ珍しいことの多い駅であったが委細は省略する。
ともかく、その中に、列車の乗り降りに関する細かい指示のポスターがあり、2両編成で6つあるドアのうち、ただ一つだけを乗り口に、別の一つを降り口に使えとか書いてあったのが印象に残った。
ほとんどミステリーワールドである。
___
今日、列車に乗ろうとすると、ホームにも、「ご乗車のお客様はこの付近でお待ちください 駅長」という表示があった。
そこからしか乗れないのだろうか。そして、「駅長」というのは、さっき窓口で切符を売ってくれて、その後改札係に変身したあの男性のことなのだろうか・・・
考えているうちに列車が来て、他の人に倣って先頭車両に乗り込む。
4人がけの対面式座席が中心の車内は、そこに1人ずつが座っているような状態だ。後から乗り込んだ自分の選択肢は「だれの邪魔をするか」ということになってしまう。もちろん、だれの邪魔もしたくはない。
ベンチシートもあるが、大荷物を持ってゆったり独占できるほどではない。後ろの車両はもっと空いているかもしれないと思い、少し歩くとすぐ最後尾まで来てしまった。2両しかないのだから当然である。
幸い、進行方向左側の長いベンチシートに余裕があったので、その真ん中あたりに座を占めた。向かいには女子高生らしき女の子が座っている。
その時は、「こんな最果ての地(失礼!)にも、イマドキの子が暮らしてるんだなあ」と思っただけだった。いかにも都会的で垢抜けた、街の少女に見えたのである。
列車の中も外の景色もいろいろと珍しいことが多く、カメラ片手にときどきうろうろする。
バスの中で見るような整理券の発行機や料金表示器、「運賃箱」などまであるのだ。↑のポスターには「切符を持っていても整理券を取れ」とか書いてあったのだが、だれも取っていないみたいだったし、取ろうとしても取れなかった。
正面右上には、「大湊線アラカルト(2)」と題したパネルがあり、それによると、私が乗った下北駅は本州最北の駅なのだそうである。やれやれ、鉄道駅のあるところで車が故障したことをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。
向かいの子は、ケイタイで音楽を聴きながらうつらうつらしているようだ。きちんと制服を着て膝にはグレーのカーディガンを置いている。横には、通学カバンがあり、その前にはふわふわしたピンクの小物入れが見える。
なるべく見ないようにはしていたのだが、真正面なのでどうしても目に入り、2〜3度目が合ったので、慌てて逸らしたりしていた。
通学なのだろう。
どこまで行くのかなと考えはじめたのは、東北本線になる野辺地という駅に着くあたりからだったろうか。もう9時近いというのに、遅刻しないのだろうかと思ったのである。
言い訳めくが、綺麗な女の子の正面だったから座ったのではない。私はふだんから、むしろ女性の近くはできるだけ避けるようにしている。若い女の子の近くならなおさらだ。
見ないようにするには無理して首を曲げなければいけない。うつむいて寝るとかできれば良かったのだが、昨日はホテルでゆっくり寝たし、景色も新鮮でもったいない。
ずっと景色を目で追っていたのだが、どうしても正面は目に入る。動きがあれば特に目を引く。
見るともなく見ているうち、いったいこの子はどこへ行こうとしているのだろうという疑問がどんどん膨らみはじめた。
最初はすぐその辺で降りるのだろうと思っていた。どう見ても通学途中だし、ちょうど平日で学校も始まろうという時間だ。
だが、9時近くになると、いろいろな想念が浮かんでは消えるようになる。
・こんな時間から学校が始まるはずはない。
・いや、交通事情が事情だから、学校の始業時刻を遅くしているのかもしれない。
・しかし、他に高校生がいるふうでもなかった。
・もしかしたら模擬試験でも受けに行くのだろうか。それなら八戸まで行っても不思議ではない。
・それにしても彼女だけ?
そういえば、高校3年生に見える。かつて高校で教師をしていたから、その辺の鑑識眼にはちょっと自信があるのだ。
ときおり、ケイタイを取り出して画面を見たりメールを打ったりしているようだ。
あれ? ケイタイ? じゃあ、膝の上のは音楽プレーヤーなのか? それともケイタイを2台持っているのだろうか。取り出したのは折りたたみ式、音楽を聴いているのはスライド式である。どちらもピンク系。横の小物入れといい、どうやらピンクが好きらしい。
いつのころからか、この子が絶世の美少女に見えだした。
色白で瓜実顔。くすみひとつない綺麗な肌。くっきりした目鼻立ち。それでいて、暖かみのあるいい顔をしている。
特に、うつむき加減でプレーヤーやケイタイをいじっているときなど、はっとするような美を感じる。強いていえば、ほんの少し違和感を感じるのは、眉だけだ。
横に置いたカバンといい、容姿や服装といい、一幅の絵になっている。座っている席の構造も、額縁の役割を果たしている。
だが、電車内外のいろんなものをカメラに収めながらも、ヒトだけは撮影することが出来ない。まさか、「写真を撮ってもいいですか」なんて聞けないし。
ほんと、そのまま油絵にでもなりそうなのに。
___
列車が東北本線に入ったころ、一度少女がイヤホンを外した。1時間近く真正面に座っていて、お互い存在は認識しているのだから、「どこまで行くの?」ぐらい聞くことはできたかもしれない。ましてこちらは旅支度丸出しの旅行者だ。
しかし、どうしても話しかけられなかった。知らない女性に声をかけるなど、旅先であれどこであれ、まったく経験がない。
以前、これも絶世の美女と特急列車の二人がけの席で5時間も6時間も並んで過ごすことになったことがある。そのときも、ひとことも話はできなかった。ひどく列車が遅れていたので、「いつ着くんでしょうねぇ」でも何でも、きっかけはいくらでもあったにもかかわらず、である。
___
列車はどんどん進む。「もはや模擬試験しかありえない」と思いはじめたころ、「もしかしたら受験かも」と、ふと思いついた。最近は年内にもいろいろな受験機会があるのは知っている。
ただ、受験に制服なんか着ていくだろうか。うーん、女の子の中にはそういう子もけっこういるかなあ・・・ それに、今の時期の受験なら、面接なんかもあるのかもしれないけれど。
でも、それにしてはあまりに軽装備過ぎる。この時間から受験ということになれば、どう考えても一泊して明日、だろう。なのに、ふだんの通学の服装と荷物だ。
それに、この子からは非日常性というものがまったく感じられない。窓外の風景に目もくれず、音楽を聴いてはときおりまどろんでいる様子は、毎日この列車に乗っていることを物語っているとしか思えない。
そして・・・
まったく勉強する気配がない。模擬試験だってどうかとは思うのだが、受験なら少しは参考書や単語帳でも広げるのではないかと考えた。
いや、自分の受験の時はどうだったっけ・・・?
ともかく、説明するのは難しいが、全身にみなぎる「日常性のオーラ」は、やはり通学であることを強く主張する。
人は、乗り慣れていない列車の中で、こんなにもくつろぐことはできないものなのだ。
___
ありえないような偶然がいくつも重なり、こうして同じ空間に存在することを不思議に思う。いや、いつもだってそうなのだが、今回ほど、私がこの時間、この場所でこの列車に乗っていることがありえなかったことはない。
そもそも、本来は今ごろ仕事でオーストラリアにいるはずだったのだ。
そして、予定が空いたからとはいえ、間際まで旅行に出ようとは思っていなかった。東北に行く可能性も低かったし(何しろ遠すぎる。朝が遅かったせいもあり、一日走っても青森までたどり着けなかった)、恐山に行ったのは息子が行けと言ったからだ。その後、大間崎に向かっていなければ、故障したのは青森市内あたりになったろう。いや、それ以前に、ひょんな偶然から知った仏沼に寄ったりしなければ・・・
もちろん、こんなところで車が故障して、しかも原因すらわからないなど、想像もしなかった。
思えば、東京より向こうで列車に乗ること自体、生まれて初めてなのである。
同じ空間には他の人もいた。
しかし、たまたま一番広く空いていた席が真正面だったこと、そして彼女が綺麗だったこと、そして何より、「いったいどこへ何しにいくのか」という疑問が浮かんで解決できなかったことに、不思議なものを感じるのである。
___
と、彼女の指が動いた。単にリズムを取っているだけではない。明らかに両手でピアノを弾いている。もしかして、音大でも受けるのだろうか。いや、それでもやはり、「日常性」の謎は解けない・・・
列車は終点の八戸に近づく。
少女は、カバンからルイ・ヴィトンの紙入れを取り出し、中の切符を確認した。私が持っているようなのを、少なくとも2枚は持っているようだ。
この列車に特急券などは必要ない。ということは、彼女も八戸より遠くまで行くということなのか。新幹線に乗って? まさか・・・
しばらくして、ピンクのかばんが実は小物入れではないことに気づいた。上部が「へにょっ」と前に倒れてきていて長方形に見えていたのだが、それは背中に当てる部分を向こう側に向けて置いたリュックサックであり、こちらに倒れてきているために裏側の2本の肩ベルトが見えていたのだ。
(ほら、今ごろ気づくあたり、けっしてじろじろ見ていなかったということがわかるでしょ)
八戸駅に近づくと、耳からイヤホンを外した少女は、プレーヤーにくるくると巻き付けて、降りる支度をはじめた。
わたしはもう、膨らみすぎてはじけそうになった疑問を抑えることができなくなっていた。切符さえ見なければ、八戸で模試、で自分を納得させたかもしれない。しかし、人一倍強い好奇心は、どうしても切符の件を解決したくなってしまった。
確か以前、探偵!ナイトスクープで、街行く人の一人一人にどこへ何の目的があって移動しているのかを聞いてくれという依頼があったと思うが、私の感覚もそれに近い。ときどき、片っ端からみんなにインタビューしたい衝動に駆られることがあるくらいだ(もちろん、そんなことをしたことも一度もない)。
ふだんそんなことばかり気にしていると気が狂いそうになるから忘れているけれど、今回はほんとにいろんなことが特別だったのだ。
目が合う。単純なことを聞くだけで、清水の舞台から飛び降りる気分だ。
「ごめん、ちょっと聞いていい?」
「はい」と言ったかどうか定かではないが、目がくりっと見開き、かすかにうなずいたと思う。
「どこまで行くの?」
「東京です」
東京・・・ 一呼吸。
もうひとつ聞くだけで、疑問は氷解する。思い切って
「何しに?」
「受験です」
やはり、というべきか。
「日常性の謎」は残ったものの、それはまあ仕方がない。彼女ぐらい落ち着いていれば、受験だって何だって、問題なくクリアするだろうと思う。
明日、なんですね。成功を祈っています。
___
問題はここからだ。今日のこのできごとは、きっとここに記すことになる。どうせなら、それを読んでもらって、彼女が感じたかもしれない「妙な男の人」(もっとひどい表現は自粛します)という印象に対する言い訳にしたくなった。
この文章が成功しているとはとても思えない。むしろ、彼女だけではなく、全世界に向かって私の怪しさをアピールしているような気さえする。いや、ほんとに怪しくないんだってば。
だが、あのとき私が取った行動ほど、「怪しさ全開」のものはなかったのではないかと今になって思う。
なぜそんなものを持っていたのか、私のリュックの中には名刺入れがあり、そこには仕事用のものだけではなく、このサイトのURLを記したオオルリの写真のものがあった。
「怪しくなさ」をアピールするために、仕事用の名刺と一緒に渡そうかとも思った。これでも私は、いちおう社会的に信用されるような仕事をしているのだ。
でも、いきなりそんなものを渡されても彼女もびっくりして戸惑うだけだろう。ほとんど鳥の写真だけみたいな名刺を渡されても戸惑いの大きさが変わらないことには、この際目をつぶるしかない。
ともかく、どうして私が今ここにいて、偶然にも君の前に座ることになったのか、そして、顔をつきあわせていた1時間半の間に私の中で何が起こっていたのかを知ってもらいたくなったのだ。
鳥の名刺を手にしたものの、さすがにしばらくはためらって渡せなかった。
列車は八戸に到着する。さっさと降りてしまおうと席を立つ。ドアが開かない。ボタンを押す。大荷物なのでドアから少し離れていったん荷物を置く。
と、そこへ、当然のことながら彼女が降りてきた。
気がつくと、「すみません」と声をかけて、「よかったら読んでください」と渡していた。まるで、高校生が初恋の人に手渡すラブレターである。彼女はもちろん、受け取っていいものかどうか戸惑っていたが、一瞬の後、受け取ってくれた。
「たぶん、書くと思うので」・・・って、何のことかわかるはずもないじゃないか。
___
東京へ行くなら、新幹線も同じであることは自明だ。だが、彼女を不安がらせてはいけないので、私はその場にとどまり、乗客がみんないなくなってから、最後にホームを後にした。幸い、乗り換え時間はたっぷりある。
まさか、運命のいたずらで、新幹線も近くの席・・・ということはやはり起こらなかった。もしそうなっていれば、彼女の「日常オーラ」の謎について聞くことができたのに。もしかして、しょっちゅう東京とかに行ってるんだろうか。
私のほうは「はやて」という新幹線の名前すら聞いたことがないような気がする。
発車5分前ぐらいにホームに降りて、自分の車両に向かっていると、彼女が一人で立っているのが目に入った。探していたのではない(いや、ほんと)。ピンクのカバンが目を引いたのだ。
何もいわず、会釈して距離を取りながら前を通りすぎたのだが、彼女は気づいていないようだった。わたしの席とは、2〜3両離れていた。
___
立場が逆ならどうしただろう。怪しい男が渡した名刺などすぐゴミ箱行きだろうか。いや、私なら好奇心から絶対に読んでみる。いずれにせよ、危険は何もない。
でも、下北の美人女子高生が何をどう考えるのか、手がかりも何もないのだ。
新幹線が走り出してしばらくしてから、突然、彼女の眉にほんの少し違和感があった理由に思い当たった。
たぶん、ふだんは化粧をして、眉も描いているのだ。明日受験の面接があるから、今日は化粧していないのではないか・・・ そんなことを思っても、もちろん確認には行かなかった。
___
彼女はおそらく東京の大学に進む。よくもまあ、両親がそれを許したものだ。彼女が自分の娘なら、たぶん全力でやめさせようとしただろう。それでも、結局は娘の気持ちを考えて、希望を認めてやれるだろうか・・・
___
今日のことは、東京へ行く君へのひとつの経験になったと思う。
君に声をかけるのは、誓って悪意のない、人畜無害の私のような男ばかりではない。むしろ、さまざまな危険や悪や誘惑が君を襲い続ける。こういうとき、美貌というのはむしろ、そういう困ったものを引き寄せる役にしか立たない。
いや、いくら最果ての(ごめんね)高校生でも、美少女に生まれつけばもうそのことには気づいているかもしれない。でもやはりもう一度言っておこう。「都会は怖いところなんだよ」って。
何の縁もないけれど、幸せになってほしいと思う。今も十分幸せそうだし、君なら何もかもうまくいきそうな気はするけれど・・・
___
エピローグ:
丸一日かけて帰宅して、ここを開けて驚いた。早速、彼女からのコメントが入っている。再度、コメントありがとう。やっぱり、イマドキの女の子でしたね ^^; それにしても、ここってケイタイでもちゃんと読めてコメントもできるんですね・・・ メールアドレスは見えないみたいだけれど。windcalmskc@yahoo.co.jpです。コメントも、公開しない方がよければ公開しませんが・・・
サイトはパソコン用に最適化されてるので、またパソコンでも見てください。
美人の読者が一人増えて、こんな嬉しいことはありません\^^/
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もう読まないかもしれないけれど・・・
無事大阪に帰宅しました。
地震には驚いた?
さっそくのコメントありがとう。怪しさ全開だったかもしれないと反省しています。でももちろん、旅先で(じゃなくてどこでも)知らない女の子に話しかけたのなんて初めてのことだし、まして名刺?を渡したことはありません。あの時は言わなかったけど、「けっして怪しい者ではない」のでご安心ください ^^;
車さえ故障しなければ、下北はとてもいいところでした。
君はこれからいろいろ大変だと思いますが、何もかもうまくいくといいですね。
このあと、すごく長文を書くので、暇になったら読んでください。
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今、青森県むつ市のホテルのロビーでこれを書いている。こんなところで泊まる予定はなかった(というか、何の予定もなかったんだけれど)。
むつ市は下北半島!にある。車が故障してエンジンがかからなくなり、途中省略すると、とにかく置いて帰る!ことになったのだ。旅はまだ今日始まったみたいなものなのに。
それに、帰ると簡単に言うが、荷物は車に満載(折り畳み自転車や寝袋まで)だし、こんなところからどうやって帰るのか。まだ、パリから帰れと言われたほうが簡単である。
日に10本もない電車を捕まえて、なんとか八戸まで行けばあとは新幹線があると教えてもらい、今日はここに泊まって明朝八戸から東京を目指す。その後さらに大阪を目指すわけだ。
8時過ぎの電車に乗れば、夕食までには帰れそうである。
やっぱりパリよりは楽なのだろうか・・・
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ほんとうなら海外出張に出ているはずなのだが、なんだかんだで結局延期になってしまった。
その気になって予定を空けていたので、せっかくだから休暇を取って一人旅に出ることにした。
一人旅というとちょっとかっこいいような気もするが、実際は寂しくて空しくなるだけである。ここにもかつて何度かその顛末を記した。行き先は信州が多かった。
ただ、休日千円高速が始まってから、一度もその恩恵に浴したことがない。家人や息子が忙しくて一緒に出かけられないのはもとより、一人旅の虚しさにめげて出かけることが億劫になっているからだ。
この前一人で遠出したのはいつだろう?
ともかく、明日から青森を目指して走ることにした。日本海側の高速がまだ新潟の先までしか開通していないのにはちょっと驚いたが、うまくいけば1800円で青森まで行けるらしい。まあ、ガソリン代だけでも2万円近くかかりそうなんだけれど。
「そんな遠くまで走って何になるの?」と家人は懐疑的だが、なに、男のロマンはわかるまい。本州最北端とか、行ってみたいではないか。
「なんで?」
「たとえば南極点とかにも行ってみたいと思えへんの?」
「そんなん、まったく思わへん」
私なら、行けるもんなら火星にだってイスカンダルにだって行ってみたいのに。なんともトホホなパートナーである。
___
人ごとながら道中の無事をお祈りくだされば幸いです。
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