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2010.12.31

★歌舞伎揚げ、あるいはどこでスーパーに入るかについて

 交通事情と放送事情が格段によくなり、通信事情が革命的に発達した現在でも、住んでいる周囲のこと以外にはまったく無知だったりする。
 いや、住んでる周囲ですら、通り道でなかったら何も知らなかったりすることは以前ここにも書いた。←のリンク先以外にもあったと思う。

 さて、『秘密のケンミンSHOW』を見ていると、関東で「歌舞伎揚げ」という米菓が一般的に食べられていると言っていた。
 この番組、「以前から知ってたよ」という内容もときどきあるのだが、「歌舞伎揚げ」はたぶん初めて聞いたと思う。大きさや揚げ色なんかが少し違うが、要するにこちらでいう「ぼんち揚げ」のことらしい。

 関西人は、「なんで"歌舞伎"やねん」と突っ込みたくなるだろう。

 それはそれとして、なぜ自分が「歌舞伎揚げ」を知らないのかを考えていると、たぶん関東で一度もスーパーマーケットに入ったことがないという事実に思い当たった。

 コンビニならあるかもしれないが、スーパーはない。
 これは、関西と信州を除く日本全国でほぼ同様だ(関西は居住地、信州はちょっと縁があるので例外である)

 そういえば、以前、信州のスーパーに"ふつうのねぎ"が売っていなくて、異次元の世界に迷い込んだような気がしたのを思い出した。
 おそらく、日本全国のスーパーに行ってみれば、似たような経験ができるのだろう。『秘密のケンミンSHOW』に出てくる各地のスーパーは、名前さえ聞いたことのないものがほとんどである。
 ___

 ヨーロッパやアメリカやシンガポールのスーパーになら行ったことがある。
 特にヨーロッパでは地方の小さなスーパーなんかによくお世話になったし、韓国では、市場(シジャン)に行くことも多い。
 
 そう考えると、国内のスーパーこそが盲点のようなものになっていることがわかる。
 アフリカの市(いち)なんかはテレビで放送されることも多いが、国内の普通のスーパーを紹介することはほとんどない。それを大々的に取り上げるのがケンミンSHOWの醍醐味である。

 世界中のスーパーの中で・・・というと大袈裟になるが、地元以外の日本のスーパーのことを、案外一番知らないのではないかと思うと、妙な発見をしたような気分になった。

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2010.12.29

★なぜウェブサイトを作らないのか

 スーパーとかで買い物をすませてしまいがちなので、何度も行く個人商店というのは多くない。それでも、レストランなんかを入れれば、それなりの数にはなる。

 驚くのは、それらの多くが、ウェブサイトを持っていないということである。

 レストランに関しては、それでもさまざまなサイトがあるので、店側が何か作らなくても勝手に宣伝(もしくは誹謗中傷)してくれるシステムが充実している。

 しかし、それ以外の個人商店には、そういうものがほとんどない。
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 先日、通販で買った時計のベルトを調節してもらおうと、以前何度か行ったことのある時計店に電話をしたのだが、何度電話しても留守電すら出ない(あ、タイトルを「なぜ留守電にしないのか」にしてもいいな・・・)。

 結局、どうも定休日らしかったのだが、時計屋が日曜日に休んでいて商売になるんだろうか。
 完全な斜陽業種だし、日曜日に電話に出ないようでは、閉めたのかと思われても文句は言えないと思う。

 いくつか別の店に電話しても同様で、唯一電話に出た店は店員のあまりの素人ぶりに頼むのをためらった(店長はしっかりしているらしいのだが、出勤している時間帯が限られているという)。

 驚いたのは、それらの店がどれもウェブサイトを持っていないということである。

 何も、flash を使ったりした派手派手しいサイトを作る必要はない。無料で作れるブログに1ページだけでいいのだ。

 そこにたとえば、

大切な時計の電池交換やベルト交換・・・ スーパーの時計売り場なんかに任せていませんか。○○時計店では、熟練の技を持った時計職人が誠意を込めて行います。料金は変わりません。
とでも書いて、店の所在地と地図、定休日と営業時間でも載せておけば、たとえば「○○市 時計店」とか「○○市 時計 電池交換」「○○市 時計 ベルト調整」なんかで検索したときにすぐひっかかってくる。

 ところが、そういうふうに検索しても、人口何十万の○○市にサイトを持った時計店が一つもなかったから、こんなエントリを書いているのである。
 時計店自体は数店あるのに。

 無料で、しかも30分あればできる作業でサイトを作れば、客はおそらくそれなりに増えると思う(もしかしたら何倍にもなるかもしれない)。
 「今日開いてますか?」「何時まで?」「電池交換、おいくらですか?」「時計のベルト調整、やってもらえます?」みたいな電話の手間もお互いに省ける。

 参考にするにはいささか特殊すぎるかもしれないが、たった一人でやっていたつぶれそうな時計店が、ほぼ電池交換だけで繁盛している例すらあるのだ。
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 よくいく肉屋にもサイトはない。魚屋にも。
 この年末いつまで開いているのか、年始はいつから営業するのかを確認するためには、行ってみるか電話するかしかない。

 もし、「インターネットをやっていない」とか「技術的なことがわからない(というほどのことはないんだけれど、やったことのない人にはそういう感じがするのはわかる)」とかいうことであれば、代わりに私がボランティアでやってあげようかとすら思う。

 無料ブログの商用利用?は規約に違反したりするのだろうか。するとしても多くの店がやってるとは思うんだけど。

 あ、「勝手に○○商店を応援するブログ」なんかいいかもしれない。

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2010.12.28

★京都で仕事納め?

 先日、京都へ行って仕事納め?をしてきた。

 私が一番若輩なのだが、気のおけない仲間という感じなので、楽しい仕事?となった。

 長い年月を過ごしてきているのでそれぞれにもちろん深い年輪はあるが(私を除く)、精神は今でも20代だなあとちょっとした感慨を覚える。

 冗談にもせよ、「だれが一番先に死ぬか」というような話題も出るのだが、だれも死なないとは思わないまでも、80になっても90になっても、こんな調子で意気軒昂にやっているのではないかと夢想している。

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2010.12.26

★連綿と続く時間

 年賀状を書いていると、「40年以上前からずっとこんなことをしてきたよなあ・・・」と思って、連綿と続く時間に思いを馳せることになる。

 職場の同僚の住所氏名を書いていても、「いろんなことは、べつにどうでもいいんだよ」と葉書が語りかけてくる気がする。

 遥か遠くまで来てしまったし、時代は閉塞感を感じさせるけれど、無限に続きそうな明日があったころの記憶が、少し穏やかな心持ちを連れてくる。

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2010.12.25

★久しぶりのクリスマスプレゼント

 昼過ぎに初雪が舞ったクリスマスの日・・・

 狙ったわけではないのだが、その日に時計が届いた。

 来月あたり、自分のクレジットカードから代金が引き落とされるが、家族からのクリスマスプレゼントということにしておこうと思う。
 あげるのはともかく、もらうのは久しぶりのような気がする。

 家族3人でのぞき込みながら箱を開けた瞬間、ちょうど0時を指して止まっていた針がものすごい勢いで動き出し、ぐるぐるぐるぐると回って現在時刻を刻み始めた。
 予想していなかったので、ちょっとした感動だった。

 息子のに続き、うちでは2つめの電波腕時計である。電池交換の必要もない。

 ただ、安さに負けて通販で買ってしまったので、ベルトの長さ調節がされていない。
 昨夕買ってきた工具で、前から使っている同メーカ同シリーズの腕時計の調整はできたのだが(これまで長すぎた)、これは仕様が少し違っていてうまくいきそうにない。

 通販で買ったものを時計屋さんに持っていくのは気が引けるが、考えてみれば、この時期、「プレゼントでもらったんですけど」といえば、角も立つまい。
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 一番の目的はカレンダーである。毎日のように「今日何日だったっけ?」ということになるのを回避したかったのだ。
 朝刊を読むときにその日の日付を覚えておけばすむことなのかもしれないけれど。

 ともかく、カレンダーのついた腕時計を使うのは社会人になってから初めてだと思う。

 これで、日常使う時計が3つになった。一番古いのは1994年の1月に買ったものである(昨日判明した)。

 あれっ? それまでどんな時計を使ってたんだろう・・・

 ・・・と思った瞬間、机の一番上の引き出しを開けるとセイコーのツインクオーツが出てきた。ガラスと文字盤は綺麗だが、ケースの金メッキが剥げてぼろぼろである。

 もちろん電池は切れていて、明るいところに出しても動き出したりはしない。

 今持ってるのは3つともこういうふうにはならないはずなので、死ぬまで使い続けることになるのだろうか。

 死ぬまで・・・

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2010.12.24

★鳥騒ぐ

 職場にたくさんの鳥が来ている。

 といっても、ざっと見たところ、ハシブトガラス、ムクドリ、ツグミ、スズメ。

 だが、ここでこんなに多くのカラスやムクドリやツグミを見るのは始めてだ。しかも、どれもせわしなく飛び回っている。

 もちろんヒッチコックの『鳥』ほどではないが、それでも何か異変でもあったのかと思って見上げていると、上から(たぶん)ツグミに何か落とされた。部屋に戻って鏡を見ると、左目の上まぶたと眼鏡のふちに小さな黒いものがついていた。

 ツグミは少なくとも30ぐらいはいる。いつも2羽いればいいほうなのに。

 北の方で雪でも降っているからだろうか。

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2010.12.23

★久しぶりの午前様、あるいは無駄に美女に囲まれていることについて

 もう何年ぶりかもわからないぐらい久しぶりの午前様になった。といっても、やっと日付が変わったあたり。

 妙齢の美女4人とお寿司を食べ、わたしとしては10年ぶりぐらいのカラオケに行ったのだ。

 帰ってくると、別の妙齢の美女から2年半ぶりぐらいのメール。
 もちろん、わたしにとって何かいいことがあるわけではないのはわかっていても、微妙に胸がときめく(笑)

 予想したわけではなかったけれど、それでも案の定という感じで、「まもなく結婚します」とのこと。力が抜ける ^^;

 今日の4人も、そのうちそれぞれ勝手に幸せになりそうである。

 来週、また別の妙齢の美女とお昼にお寿司を食べることになっているのだが、彼女は既に子持ちだ。

 これだけ美女に囲まれてるんだから、幸せだと思うべきなんだろうか。

 まあ、いずれにせよ、滅多にないことなんだけれど。

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2010.12.19

★労働集約型産業 ——ケーキ屋考

 知り合いの配偶者がパティシエをしていたので、ケーキ屋さんというのがどんなにハードな仕事かというのはいろいろ聞いていた。

 まあ、聞くまでもなく、想像するだに恐ろしいというのはなんとなくわかる。

 だが、それとは別に、ケーキ屋ってどうしてあんなに販売員がいるのか、そして、あんなにいるのにどうして時間がかかるのか、まだ今ひとつ理解できない。

 今日チーズケーキを買った店には売り子(って差別用語じゃないですよね?)が6人いた。6人ですよ。

 もう過去形になるが、完全に一人でやっていた寿司屋を知っているし、ラーメン屋なら現在形で知っている。
 けっこう流行っている洋食屋すら、今でも2人でやっている。

 なのに、注文を聞いて売るだけの人が6人もいるのだ。綺麗なショーケースの向こうの狭い空間に、ほとんどひしめきあっていると言っても過言ではない。
 作る人は奥にたくさんいるし、作ったケーキはそのうちのだれかが運んできてくれる。

 にもかかわらず、注文前の客が3〜4人しかいない店内で、辛抱強く順番を待たなければ注文すらできないのである。注文が終わってからも、支払いをするまでしばらく待たされる。

 飢餓感を煽るために、わざとじらしているのだろうか?

 そうでないことは、6人の働きぶりを見ていればわかる。ちゃんと観察したわけではないにせよ、とりあえずさぼっているふうではない。

 まあ、ものがケーキなので、ひとつひとつ丁寧に箱に詰めたりするのにそれなりの時間がかかるのはわからないでもない。
 でも、私が頼んだ丸いチーズケーキなど、箱のまま袋に入れてぽんと渡せば、注文が終わってから支払いまで、ものの5秒ですむはずだ。

 いったい6人も何をしてるんだろう?

 いずれにせよ、現状ではケーキ屋がものすごい労働集約型産業であることはわかる。作る方だけではなく売る方も。
 だから価格があんなすごいことになっているに違いない。

 しかし、店員の動きをビデオで撮影して分析し、もっと合理的な方法を考えれば、6人の売り子は少なくとも4人には減らせると思う。
 それでいて、働く者のストレスや焦りを減らし、客の待ち時間を短縮することすら可能だと思うだが・・・
 (トヨタの社員を連れてきたら2人にしてしまうのではないだろうか)

 ケーキ屋コンサルタントか何かになって、改善案の提示とかやってみようかなあ。けっこう大きなビジネスチャンス(って大嫌いな言葉ですけど)かもしれない。

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2010.12.16

★KAGEROU

 仕事の合間に本屋に立ち寄ると、例の KAGEROU がかなりの面積を割いて平積みされていた。

 元?俳優の水嶋ヒロが応募して、ポプラ社小説大賞を取った本だ。

 賞金は文学賞として空前絶後?の2000万円。ただし、これまでの5回のうち、実際に受賞したのは初回の方波見大志氏と今回の水嶋ヒロ(齋藤智裕)だけらしい。しかも、水嶋ヒロは賞金を辞退しているし、来年からは1/10の200万円になるという・・・

 受賞が明らかになる前、まだ作品を1つも発表していなかった水嶋ヒロが、俳優を辞めて小説家になると聞いたときには、なぜそんな無謀なことを思いついたのか、意味がわからなかった。
 ___

 本の中身にはほとんど興味がなかったが、上記のような経緯があるので手に取ってみた。
 薄めの本で活字もゆったり組んであり、ほとんど会話だけで話が進んでいくので、立ち読みであっという間にあらかた読んでしまった(本屋さん、ごめんなさい)。

 読む気がしない・・・ということはなかったが、これがポプラ社小説大賞に応募してきた過去4年間の最高傑作だといわれると、素直に信じることはとてもできない。今年だけでも、応募作品は1285もあったというのだ。

 水嶋ヒロが何を考えているのかはわからないが、いずれにせよ、これでは完全なピエロになってしまうのではないかと危惧する。
 それとも、アイドルだったらこれでも大丈夫なのだろうか。

 初版は発売前から増刷を重ね、予約分だけで43万部に達していると新聞で読んだ。この出版不況にあって信じられないような数字だ。
 誤植部分?にシールが貼ってあったが、手作業で数十万回その作業が行われたのかと思うと、悲惨な滑稽さを感じてしまう。

 通常の書籍とは違い、書店の買いきりになるらしい。青息吐息の経営をしている本屋が、この本でとどめを刺されてしまわないかと心配になる。予約分ははけるとしても、それ以上に仕入れた分は不良在庫の山にならないだろうか・・・

 今後何がどうなるにせよ、今回の受賞と出版は、日本の文学?における一つの事件とはなるだろうと思う。

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2010.12.15

★いつもより働いた日

 大した仕事ではないが、それでもまあ一日の仕事を終え、帰宅してから夕食を作り、食後の片付けと掃除をしてから、洗濯物を畳む。

 風呂から上がった後、生け花の水を替え、切り戻しをする。現在は、成り行きで花瓶が2つと一輪挿しが1つ。

 寝る前にメールをチェックして返信する。

 何ごとにも怠惰でやる気のない私だが、何だかそれなりに働き者であるような気がしてくる ^^;

 そして、うちの両隣にも向かいにもいる、ちゃんとした主婦の存在というのに憧れと羨望を抱く。

 (念のため、家人は私よりはるかに働き者です。)

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2010.12.12

★ねじを巻く日・・・

 ねじを巻く日・・・というのとはちょっと違うかな。もちろん、「ねじを巻く」は村上春樹を意識しての言葉なのだが。

 この土日、久しぶりに仕事系の予定が何も入っていなかったので、前から気になっていたことをいくつか片付け、いつもよりちょっとだけ念入りにリビングを掃除した。
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 土曜日の午前中は買い物。いつもの肉屋で8000円ほど買い(たぶん一か月分ぐらい?)、1万円ほど出すと6千円のお釣りが返ってきた。
 「ラッキー」と思えればいいのだが、そうもいかないのでもちろん返した。千円札と五千円札とを間違えてお釣りを渡してたんじゃあ、倒産してしまうんじゃないかと心配になる。

 そのすぐ横にできた、2畳もないような鯖寿司屋で特選鯖棒寿司(だったと思う)を買う。初めて。1200円。ご飯が硬く詰まりすぎているのを除けば、まあおいしかった。
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・ずっと日付が狂ったままだったカシオの電波腕時計。息子が高校に入学したときに買ったものだ。電波時計だから1秒も狂わないのに、何度日付をあわせても十数日狂っている。
 ネットで調べても理由がわからないので、とうとう「ご相談窓口」に電話してみた。驚いたことに、いきなり人間が出てきて、丁寧に教えてくれた。
 結局、取扱説明書をもう少し工夫していればお互いの手間が省けたことがわかったのだが、そういうこととは関係なく、気持ちのいい応対だった。カシオへの好感度がアップ。こういうのって、ブランドイメージにすごく影響すると思う。

・1階の書斎と子ども部屋を隔てるスライドドアの動きがすごく悪くなっていたのを調節。これも長い間放置していた。鴨居が下がってきている可能性など考え、本職でないとダメかなと思ったが、それほど苦労することもなく直った。

・リビングのインターフォンの不調。これも数年越しかもしれない。玄関の音が聞こえたり聞こえなかったりして、聞こえない回数が増えてきていたのだ。ブレーカを落としてから電源線と信号線を外し、「火災・感電のおそれあり ケースをあけるな」という警告を無視して開け、「修理」した。といっても、スイッチ部分を無水アルコールで掃除しただけだ。取り外しと取り付けやケース内外の掃除に、むしろ時間がかかった。
 画面がブラウン管らしいことに驚いた。だから「あけるな」なんだろう。何せ13年近く前の機械だ。最近のインターフォンは液晶カラー画面なのだろうか・・・

・手帳の手入れ
 2011年用のリフィルをやっと手に入れた。リフィルだけだとどこも売り切れで、結局手帳ごと買わされた。
 いい機会だからと、革カバーにミンクオイルを塗る。
 もう十数年使っていると思うのだが、ほとんど傷んだりほつれたりしていない。背表紙の上下がややすり減っているだけだ。
 いいものを長く使うのは大事だなと改めて思う。安物は革どころか、糸からして違うのだ。縫製などは言うまでもなく。

 何であれ、もう安物を買うのはやめようかなあ・・・

 今日も結局備忘録。最近、備忘録が多くてすみません。

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2010.12.11

★美意識の欠如を憂う

 最近、右前のフェンダーに青い大きなシールを貼っている車が目につきはじめた。「適合車」とか書いてある。

 初めて意識したのは、高槻の西武百貨店に行ったとき、駐車場にずらっと並んだ外商用とおぼしき白いバンにベタベタと貼ってあったときだ。
 その時は西武に出入りを許されているとかそういう意味かと思っていた。

 その後しょっちゅう見かけるようになって、そのたびに調べようと思っていたのだが、いつも忘れていた。

 先日思い立って調べてみると、大阪府への流入車を規制する条例に基づくステッカーだとわかった。

 窒素酸化物(NOx)や粒子状物質(PM)の排出が少ない車に限って、大阪府域37市町内での発着が許される。
 同様の規制は東京都などでも行われており、都市部の大気汚染を緩和するためなので、基本的には賛成だ。

 だが、そのためにあんな無様な目立つステッカーを貼ることを強制するのはどうかと思う。

 貼る場所まで指定されていて、貼っていなければ貼るよう命令を受ける。それに従わなければ「三十万円以下の罰金」である。

 どんな色の車であっても、もっとも目立つ場所に、センスのかけらもない巨大な青いシールをべたっと貼らなければならないのだ。

 商用車が中心だからまだいいような面もあるものの、この壊滅的な美意識の欠如は何とかならないものかと思う。

 車は、たとえ商用車であっても、心を込めてデザインされ、細心の注意を払って製造されている。それを台なしにすることを強制して恥じない発想は本当に情けない。

 どうしても貼る必要があるなら、ナンバープレートの隅に目立たない大きさのシールを貼るとか、他に方法もあるはずだ。

 この理不尽な強制が可能なのは、この国に語るべきほどの人工景観や街並みが乏しいことと決して無縁ではないと思う。

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★インフルエンザの予防接種(備忘録)

 インフルエンザの予防接種、息子は受験なのでちょっと早めに済ませた。

 その時、車で送っていったので、ついでに私もとちらっと考えたが、なんとなくしそびれた。

 気になっていたので、今日家人と2人で買い物に行く途中、ふと思い立って受けに行った。飛び込みで大丈夫かなあと思ったが、ちょうど待合室には誰もおらず、まあいいでしょうという感じでやってもらえた。
 ほんとは予約が必要だし、通常の診察時間外の指定された時間に行かなければならないみたいだった。

 医師が思ったより年配でびっくりした。70を超えているのではないか。地元っ子の家人によると、昔からある医院だからそんなものらしい。

 そういえば、2年前にしてもらった医院は、何度電話してもつながらならかった。あっちの方が若いのに(私より少し上ぐらいか)、もう廃業したのだろうか。ほとんど患者がいないのは気になっていたんだけれど。
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 今年は3価ワクチンといって、去年大騒ぎした新型、季節性といわれているA型とB型、3つあわせた混合ワクチンになっている。医院によって値段は違うが、3000円だった。3人で9000円。

 家族5人で1万5千円なんてとても払えないから(あるいは払いたくないから)と接種せず、貧しくて栄養状態もよくなくてインフルエンザが重症化する・・・などということがあるべきではないので、何とかして1000円とかにならないのかなあと思う。

 もっとも、私だって「生涯で」インフルエンザの予防接種なんかするのはまだ3回目で、そんなものをする必要があるのかどうかもよくわからないのだが。

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2010.12.09

★ダウト 〜偽りの代償〜

 たとえばあれが日本で劇場公開されていて、これがされていないなんて・・・

 マイケル・ダグラス主演?の法廷サスペンスという感じだが、法廷部分が多いわけではない。

 とてもおもしろかった。まあ、少なくない突っ込みどころには目をつぶる必要があるけれど。

(Beyond a Reasonable Doubt, 2009 U.S.A.)

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2010.12.07

★老眼鏡購入(備忘録)

 とうとう老眼鏡を購入した。

 以前から気にはなっていたのだが、『1Q84』をずっと読んでいて、目が疲れる気がしたのがきっかけになった。

 老眼鏡といっても、かなりきつい近視用の眼鏡である。ともに目の悪い、家人がかけても息子がかけても、きつすぎてくらくらするぐらいの度数だ。

 だから、読書用眼鏡とか Reading Glasses とか書いてもいいのだが、老いと向き合うことも大事なのかなあと思う。
 気分的にはアラサーなんだけど、いや、ほんとに。
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 最近増えた安物眼鏡チェーンの中でも、とりわけ安いところで購入した。何しろ、店で一番高い眼鏡がレンズ代込みで1万円である。
 嘘でなければ、一応チタンフレームであり、HOYAの非球面マルチコートレンズだ。視力だって、もちろん丁寧に測ってくれる。

 買った夕刻、仕事の都合で新聞の縮小コピーを読んで驚いた。♪見えすぎちゃって困るのぅ(年がわかってしまいますね)という感じなのだ。これまでだって読めてたんだけど、別世界である。
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 その時は、Made in China だと思っていたのだが、Vietnam であった。

 既に持っていた Made in Sabae の眼鏡はどちらも15gぐらいだが、新しいのは30gもあって、ちょっと失敗したかなという気もしている。まあ、値段は多分4倍ぐらいはしたし、今度のは金属部分の面積が大きいので当然なのだが。

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2010.12.06

★「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ」

 東京都内のPTA団体などが3日、都青少年健全育成条例改正案の成立を求める要望書を都に提出した。石原慎太郎知事は「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」と応じた。
という(mainichi.jp)。

 「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ」

 そんなことを言う輩がテレビなんかに平気で出ていることの方がよほど恐ろしい・・・

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2010.12.05

★「なんかヘン」と「さすガッス」

 ソフトバンクのCMは、だいたいおもしろい。

 巨大隕石だか小惑星だかが地球に接近しているのだが、それを知らない上戸彩は、顧客への説明中に左手が勝手にあがってしまって困惑する(まあ、知っていても、なぜ左手があがるのかはわからないわけだけれど)。

 客に指摘され、「あ、やだ、すいません」と手を下ろしても、話しているうちにまた・・・

 「なんかヘン」

 これら演技も表情も絶妙である。
 ___

 一方、大阪ガスの宣伝。関西以外では見られないかもしれないので恐縮だが、上戸彩にガッツポーズで「さすガッス」と言わせている。

 これがひどい。

 同じ女優とは思えないほど無様で情けない。中学校の学芸会もかくや、というレベルである。
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 彼女が手を抜いたりしていないのだとすれば、脚本や演出の差から生じた違いということになるのだろうか。

 確かに、CMとしての出来も、月とスッポンである。こわいなあ、と思う。

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2010.12.04

★思想調査

 家人が新しい健康保険証をもらってきた。今回からクレジットカードみたいなのになっていて、新鮮である。

 それとは別に、裏を見てびっくりした。脳死で臓器提供するか、心臓死で臓器提供するか、それともしないか、する場合は、したくない臓器があれば丸をつける・・・みたいな意思表示をするための欄が3/4を占めている。

 病気が治ることを前提に保険証を持って医者に行くのに、その保険証に若くして死ぬことが前提の文言が刻まれていることにまず驚く。
 まあ、こういうのにつけておけば便利であることは理解はできるのだが・・・

 問題は、病院にかかるたびに、たとえそれが風邪であっても、臓器提供する人なのか違うのか、それとも記入しない(あるいは悩んでいる)タイプの人なのか、カミングアウトさせられるということである。
 そうならないようにという配慮のつもりなのだろう、その部分を隠せるシールが添付されていた。

 しかし、シールを貼れば、「臓器提供の意思の有無を隠したい人」になってしまう。どうあがいても、「思想調査」を免れることはできない。
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 家人が更新した免許証も今日郵送されてきた。その裏にも同じような欄があって、半分以上の面積を占めている。こちらにはシールすら添付されていない。

 身分証明の代わりに使う書類で、なんで臓器提供の意思の有無を他人や警官に知らせなければならないのか。
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 「記入は自由です」とある。当たり前だ。

 だが、こういう欄がある限り、どういう対応を取ろうとも、ある考え方や立場を表明してしまうことになる。

 この種の書類にこういう欄を設けることの是非が、果たして真剣に議論されたのだろうか。
 ___

 臓器移植について心から真剣には考えたことがない。しかし、いくら真剣に考えても、脳死や心臓死の家族を前にしたときどう考えるかは、その時になってみないと決してわからないだろう。

 ところが、こういう書式を空白にしておくことは、常にその判断を迫られているようなストレスを生む。
 かといって、「臓器提供しない」にマルをすると何だか申し訳ないみたいだし、今「する」と決断することもできない。
 私はそういうタイプの人間だし、実際、そんな人も多いのではないだろうか。

 たとえば鬱病の人なんかがこういう意思表示を迫られたら(現に今日もどこかで多くの人が迫られているはずだ)、確実に病状が悪化すると思う。

 私だって、今後保険証や免許証を使ったり意識したりするたびに、寿命が少しずつ縮まりそうである。

 こんなカードを作って人に踏み絵を踏ませることはやめるべきだ。たとえ臓器移植を推進するのに大賛成であったとしても。

 私はセンシティブになりすぎているのだろうか・・・

 《後記》

 書いたつもりで書いていなかった。きちんとした説明もなしにこういうことを推進するとどうなるか。

 たとえば・・・

 あなたは思い切って、「臓器提供しない」にマルをした。何だか申し訳ないが、たとえ脳死後であれ心臓死後であれ、体を切り刻まれるのが嫌だという思いは譲れなかった。

 ところが、何年か経って、家族で旅行をしていたとき、交通事故に遭ってしまった。幸い、妻/夫(以下、伴侶)は助かったが、あなたは脳死状態になり、娘/息子(以下、子ども)は肝臓にひどい損傷を受けてしまった。

 伴侶は当然、子どもが助かるなら、脳死のあなたから肝臓を取り出して移植してもらいたいと思った。悲しいことだけれど、そうすれば、愛するあなたは愛する子どもを助けるばかりか、その子の中で生き続けることができる・・・
 あなただってもちろん、自分が判断できる状態であれば、絶対にそれを望んだ。

 しかし、あなたには自分の意思を表示する術はない。
 いや、あなたの意思はすでに免許証の裏によって表示されている。「臓器提供しない」と。それは、救急隊員によっても警察官によっても病院関係者によっても確認されている。この本人の意思を覆す術はない・・・

 あなたや私と、その家族の身にはこんなことは起こらないだろう。だが、日本にはまだ1億3千万人の人がいるのである。誰かの身にはおそらくこんな悲劇が起こる。そして問題は、そこまで考えて臓器提供意思を記入する人がいるのだろうかということだ。

 「記入欄ができたから家族と話し合って書きました」なんて簡単にことが運ぶほど単純な話ではないのである。

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2010.12.03

★冬の到来

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 激しい雨と風に、遠雷まで聞いた。前線通過後は気温もぐっと下がり・・・

 今日を境に、秋も終わるのだろうか。

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2010.12.01

★白目が赤く

 見えない目で無理してずっと本を読んでいたからだろうか。でも、ふだんから、印刷物やパソコンでいつも文字を見てるんだけど・・・

 朝、出かける前、左目の白目(目尻の側)が真っ赤になっていた。

 充血ではない。明らかに血管が破れてそうなっている。

 同僚や家人が同じ症状になるのを見たことがあるのでまず間違いない。
 医者には行かなくても自然に治ると思っているのだが、夜になって聞くと、家人は医者に行って目薬をもらったという。そういえば、同僚は大学病院の世話になった。

 少しだけ気になってきたので、今からネットで調べてみる。

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