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2011.03.31

●片付かない年度末 もしくは 春が来ることについて

 職場がまったく片付いていない。
 幾度も似たような年度末を越えてきたが、これほどひどいのはもしかしたら初めてではないかと思う。

 一昨夜から体調が悪く、昨夜は仕事を終えてから何とか元気な顔をして送別会には出たものの、帰ってから測るとかなりの熱であった。

 インフルエンザとかだろうか。予防接種はしているのだが・・・ ただの風邪だといいんだけど。

 昨夜は咳がひどくてあまり寝られなかったが、朝起きてからはぴたりとやんでいる。熱は相変わらず。鼻も相変わらず。
 こういうのって、臨床的にどんな病気か判断できるのだろうか。今のところ、医者に行くほどではないと思うけど。
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 ともあれ春は来る。昨日初めて、通勤路の桜がほころんでいるのを見た。
 一昨日は、モクレンがもう散り初めていた。

 被災地にも春は来る。それを見られなくなってしまった人もいるし、見ても心楽しくならない人も大勢いよう。
 比べるのはおこがましいが、あと1時間足らずで高校生ではなくなる息子だってそれは同じかもしれない。

 それでもやはり、春は来る。

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2011.03.26

●お疲れさまでした

 食事券は1000円だったが、1000円で食べられる食事は空港内にほとんどなかった。

 まあ、それはどうでもいい。

 予感は的中し、夜の11時を過ぎてから関西空港におろされた。自宅までの道のりには困難が予想されるので、機内では時刻表を借りて入念に対策を練った。
 何とか終電には間に合いそうだが、最寄り駅からはタクシーにならざるを得ない。

 飛行中、関空に到着後どうすればいいのか、どうしてくれるのかの案内がない。
 フライトアテンダントをつかまえて個人的に聞いているおじさんたちがいたが、そんなものを何十人もいる乗客にひとりひとり説明できるわけがないのだから、機内アナウンスすればいいのにと思う。「関空到着後に案内する」(実際にそうなった)でも、「現在、関空の日航支社で対応を検討中」でも何でもいいのだ。それすら着陸するまで言わない。

 結局、大阪梅田経由伊丹行きと京都行きの無料チャーターバスが出ることになり、その先はタクシーを使ってもらえば1万円を限度に後日振り込むということを、着陸後、スポットに着いてから知らされた。
 こういうときの対応はマニュアルで決まっているはずなのだが、途中で「たぶんこうなります」とか「過去はこういう対応でした」というのは言ってはいけないこともまた、マニュアルで決まっているのだろう。

 でも、過去にどういう対応だったか知っている人は乗客内にも多いと思われる。私も今回知った。
 それに、いずれにせよ、「関空到着後案内する」とか「現在、関空の日航支社で対応を検討中」とかは言っておいた方がいいと思う。
 そうすれば、気の毒な係員に当たり散らすおじさんたちの数も減るはずだ。

 どういうマニュアルになってるんだろう? 今のままでは現場の人がかわいそうである。

 飛行機を降り際、本当にすまなそうに頭を下げる(演技であれば大したものだ)アテンダントの女性に、「お疲れさまでした」と挨拶すると、一瞬、顔が歪んで泣きそうになったように見えた。
 労働時間も延び、いらつく乗客の応対をし、頭を下げ続けた彼女たちのほうが、むしろわれわれより大変だったろうと思う。

 ほんとうにお疲れさまでした。

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2011.03.25

●飛行機が飛ばない

 空港のラウンジにいる。

 乗るべき飛行機がこちらに到着していないどころか、故障が発見されて伊丹に引き返しているというのだ。
 こちらへの到着時刻になってもまだ伊丹に戻れていないというから、半分以上飛んできてから引き返していることになる。

 いろいろ大人の事情があるのかもしれないが、どうしてそんなことになるのか、一応の飛行機乗りとして首を傾げざるを得ない。まあ、おそらくは、伊丹に降りないと故障の修理ができないのだろうとは思う。

 これから修理に30分、こちらへ飛んでくるのに1時間30分、それからすぐ折り返すとしても、

(今、食事券の発行がアナウンスされた)

伊丹の門限の9時にはとても間に合いそうにない。

 もしかすると、夜中に関西空港とかにおろされるのだろうか・・・

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2011.03.22

●単一と単二の電池がない

 連休中、私としては地震以来初めて、入院中の義母を見舞いがてら買い物に出た。

 周知のことらしいが、ここ関西(大阪北部)でも単一と単二の電池は手に入らない。

 それ以外にも、米やら水やらは品薄だったが、買えないという感じではなかった(買わなかったけど)。
 だが、単一単二の電池は完全に払底していた。

 間の悪いことに、単一電池が必要な事態が出来したのだが(コンロの着火用)、家に在庫はないし、被災地のことを考えると、探し回って手に入れる気にもならない。

 ふだんは不便なことをできるだけなくしたい性格だが、今回は電池が自然に目につくようになるまで買わないでおこうと思う。
 不便とも言えないほどの不便から被災地の暮らしを想像するのは難しいけれど・・・

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2011.03.18

●すること・しないこと

 私の住んでいる周辺、そしておそらく関西以西全般にも言えることだと思うのだが(新燃岳周辺は除く?)、まったくもって、申し訳ないぐらい平穏である。通信事情は悪くない(と思う)のに、親兄弟親類縁者から何の電話も連絡もない(後記:海外の知人からはいくつかあった)

 テレビ・ラジオ・新聞、それにインターネットがなければ、同じ国で大災害が起こっていることなど、想像もしないかもしれない。

 そう考えると、有史以来、遠くの災害を自分の属する集団が直面している問題ととらえるのは、ひとえに情報通信手段の発達によるのだとわかる。
 ほんの200年ほど前の江戸時代なら、直接被害を受けていない地域の住民たちは、どの程度の情報を知り、どの程度の関心を持ち、どの程度共鳴できただろうか。
 いや、国民国家が一応安定してきた明治末期ですらどうだろう。何しろ、まだラジオ放送すらなかったのだ。

 現在はしかし、あらゆる情報通信手段が発達している。皮肉なことに、被災地では得られない情報が、安全な場所にいる者にはいくらでも手に入る。そして、情報は国民国家の垣根を軽々と乗り越え、ほとんど世界中で共有されている。

 だから、安全地帯にいる者は、そういう情報を元に行動する。被災地にいる方々に情報がなく、どう行動していいかなかなかわからないのと対照的だ。

 前者はたとえば、株を売る、円を買う、便乗値上げをする、買いだめ買い占めをする。あるいはまた、消費行動を控える、外出を控える、行事を自粛する。被災地からではなく「日本から」避難したりする。

 もちろん、物資を無償で提供したり、義援金を寄付したりもする。
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 震災後、初めて買い物に行った家人が、「お米が品薄になっている」と言っていた。ニュースでは、被災地で必要になりそうな懐中電灯や乾電池、粉ミルクや紙おむつ、トイレットペーパーやティッシュ類、ガスコンロやボンベ、そして缶詰や即席麺、水などが、関西でも売り切れたり不足したりしているという。

 震災後、初めてお寿司を食べに行った私は、「この1週間、さっぱりですわ」という主人の愚痴を聞かされた。キャンセルも相次ぎ、大損害だという。あるいはまた、来週出張で泊まる予定のホテルも、直接の被災地とは言えないにもかかわらず、キャンセルが相次いで苦戦しているようだ。おそらくは関西や九州でも外食や旅行や出張などを自粛しようという動きがあると思う。

 関西での買いだめ・品薄に関しては、関西で買われて被災地に送られているのかもしれないから、そのこと自体を云々するのはやめよう。また、外食や旅行や出張なども、それぞれの事情や思いがあるだろうから、批判めいたことは言うまい。
 ただ、この時点で、自分ならすること、しないことを書き出しておこうと思う。

○すること
 ・情報収集・情報吟味
 ・地震や津波、原発に関するちょっとしたお勉強
 ・ふだんの仕事
 ・通常の消費行動
 ・予定どおりの旅行・出張

○しないこと
 ・株を売る
 ・円を買う
 ・買いだめをする
 ・被災地に連絡する(特に電話)
 ・過剰な消費行動
 ・バカ番組を見ること

 他にもいろいろありそうだが、とりあえずこのぐらいしか思いつかない(随時増やしていくことにする)。

 個々人の力は悲しくなるぐらい小さく、「投機筋からの円買い(株売り)圧力」や「自国民の日本からの引き揚げ」なんかに抗する術はない。それでも、多数の個人が通常の活動や消費を続け、市場の混乱を呼ぶような投機・投資を避ければ、いくらかは役に立つのではないかと思う。

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2011.03.13

●Life goes on...

 東日本が広い範囲で苦難に襲われているさなか、昨日、西日本のほとんどの国立大学では何ごともなかったかのように後期日程の入試が行われ、息子も受験して帰宅した。

 もちろんまだ結果は出ていないが、その試験に合格する見込みはなく、それとは別にただ一つ残っている私立大学の後期日程入試に合格する見込みもほぼない。

 浪人決定である。
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 今回のような災害が起こったとき、それが地球上のどこであれ、基本的に、私が考えること、すること(しないこと)は同じだ。
 直接の影響がある場合はもちろん別にならざるを得ないが、遠いか近いかということは私にとっては本質的な問題ではない。悲惨なことはどこであれ悲惨だ。

 何かできることがあるならするに越したことはない。だがおそらく、無駄な祈りを捧げる以外にできることといえば、幾ばくかの義援金を託す程度のことしかない。

 自分の家の本箱が倒れ、外壁に亀裂が入り、私が親戚だと思っている者のすべてがなにがしかの被害を受けた阪神淡路大震災の時でさえ、できたことといえば、カロリーメイトと水とを携えて神戸の親戚宅をバイクで巡り、安否を確認することだけだった。

 猪名川を越えて伊丹に入ったとたん、世界が一変するのを感じはしたが、その異世界神戸に点在する親戚を巡り、明石の両親宅に着くころには元の世界に戻っていた。

 ときおり余震が続く中、壁の割れた浴室で埃っぽい体を洗い流し、食事をして眠る。不思議なことに、帰りのことはまったく覚えていない。
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 この土日には仕事が入っていなかったが、月曜日はまた仕事である。休みを取っていたのに、打ち合わせを入れざるを得なくなったのだ。
 浪人する息子は身の振り方を考えなければならない。来年の受験先も、受験科目も、予備校なんかのことも、今後のことはまだ何も考えていない。

 金曜日と月曜日で、途切れることなく生活は続く。

 せめてこの2〜3日、息子の身の振り方を考えるのはやめようと思う。やめたところで誰にとっても何の役にも立たないけれど、どうせできることはほとんど何もないのだ。

 それに、あったとしても、進んで献身的になれるほど私は善人ではない。申し訳ないとは思うけれど。

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2011.03.12

●タイムスパン

 ほんとうに今、この日本で起こっていることなのか、という気がする。

 しかし、私の両親程度の年齢でも、1946年の南海地震に伴う大津波を知っているし、昭和三陸地震(1933年)や室戸台風(1934年)すら、父親が生まれた後だ。

 いうまでもなく、両親とも子どもながらに第二次大戦を経験している。

 1959年の伊勢湾台風は、結婚前後のことではないか。

 1960年のチリ地震に伴う津波の時は、最初の子どもを楽しみにしている新婚夫婦だったはずだ。

 1983年の日本海中部地震で奥尻島が大津波に襲われたときは、子どもたちが成人する前後。

 1995年の阪神大震災のときには孫も何人か生まれ、年金暮らしが始まっていた。

 その後は、立て続けに大きな地震が日本中で起こっている気がする。

 もちろん、これ以外にも多種多様な災難・災害が日本には起こっている。それらが、まだ生きている人の一生の間にすべて起こったのだ。
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 原子力発電所は危険だし、核廃棄物の問題もある。ましてや地震大国なんだからと、どちらかといえば原発には反対だった私ですら、(他人には警鐘を鳴らしたりしながらも)心の底では、まさか自分の生きている間に日本の原発が「メルトダウン」などと報道されるとは考えていなかった。

 地震であれ津波であれ炉心溶融であれ、ふだん、私たちは、「そんなことは起こらないだろう」という世界に生きている。実際、数年のスパンでは確かにそんなことはふつう起こらない。

 だが、数十年のスパン、人の一生を考えてみると、必ずといっていいほどさまざまなことが起こる。

 これまで、たとえば80年以上生きた人だけを取り上げるならば、その一生のうちに「日本」が大きな災難や災害に見舞われなかった人は、歴史上、いなかったのではないか。
 言い換えるならば、有史以来、現在日本と呼ばれている範囲の地域が100年(いや50年でも)の長きにわたって平穏だった時代はおそらくないだろう。
 現在と違うのは、明治時代ごろまでは遠くの受難を知る手段がごく限られていたということだけだ。

 現代の日本では、(少なくとも当面は)江戸時代のような大飢饉は起きないと思うけれど、当時は起こりようのなかった「メルトダウン」などは起こりうる。

 なんであれ、人の一生ぐらいのタイムスパンで考えれば、今後も受難は続く。

 残念なことだけれど、やはりこの事態は、今の日本で起こっているのである。

 ===

 別記:

 昨日の地震発生前、折しも、原子力発電所の危険性を客観的に分析している本を読んでいました。私は、信頼できる本だと判断しています。それによると、「どんなことがあっても」現在の日本の原発(実用炉)においては、核爆弾のような爆発は物理学的に起こりえないそうです。また、その本の情報と現在の報道から判断すると、福島第一原発がチェルノブイリ型の事故を起こすこともありません。事態を軽視してはいけませんが、煽るような発信をするのは厳に慎みたいと思います。

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●とにかく祈るしかない・・・のか

 三陸沖を震源とする今回の地震の発生を知ったのは、揺れから数分後のことだった。

 こちらの会議からあちらの会議へと、職場間移動をするために車に乗って動き始めたときだ。

 いつもの癖でNHKラジオをつけると、ほとんど叫び声になっているアナウンサーが、いつまでもいつまでも、繰り返し津波への警戒を呼びかけていた。
 その時は、6mの津波が3時に襲うということであった。

 結局、遠い方の職場に着くまで、ただひたすら、津波への注意が繰り返されていた。

 なのに、民放に回すと、愚にもつかないラジオショッピングとかおしゃべりとかが聞こえてきて、やはりその時点では事態を把握できていなかったことが、後になってわかった。

 狼少年になってしまうことも多いので気をつけるべきではあるのだが、やはりこういうときはNHKである。

 そのうち実際に来た津波の情報が届き始めたが、それは 20cm とか 60cm というものだった。私も、やはり今回も狼少年か、まさか 6m なんて・・・という気分になっていた。
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 メンバーの何人かは地震のことを知っていたようだが(隣の人はパソコンのワンセグ画面でニュースを見ていたと会議後聞いた)、もちろんまったくそれには触れない会議が平穏に終わって家に帰ると、案の定というか、家人も息子も事態を把握していなかった。
 「そういえば、本箱の中の本がガサッと崩れて、カーテンが揺れた」ということだった。

 発表されるマグニチュードは7.9、8.4、8.8とどんどん大きく修正されていく。一方、被害の情報があまり入ってこないのは阪神淡路大震災を髣髴とさせ、逆にその大きさを物語っているのがわかる。

 東京都心ですら、電車がまったく動かなくなっているとの情報まで入ってきた。もちろん用心のためではあろうが、阪神淡路大震災以来、急に人口に膾炙するようになった「帰宅難民」現象が実際に起こったのはおそらく初めてだろう。

 夜に入ると、自宅周辺でひっきりなしにサイレンが聞こえるようになってきた。この辺でも何か起こっているのかと思ったが、どうやら救援のために現地へ向かう車両が近所のインターチェンジを目指して集まってきていたらしい。
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 報道にあるとおり、「観測史上日本最大の地震」であり、先ほどはとうとうというか福島第一原子力発電所の1号機でメルトダウンが始まったとテレビ(ANN)で言っていた。

 今この時点で「メルトダウン」ということばを使うのもどうかと思うが、テレビを通して流れたことばがそれである。


 祈り、なんていうものが何の役にも立たないことはわかっていても、とにかく祈るしかない・・・

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2011.03.06

●やめなくていいよ

 「前原誠司外相は6日、政治資金規正法が禁止する外国人から政治資金を受け取っていたことの責任を取り、辞任する意向を菅政権幹部に伝えた」という(asahi.com)。

 もとより、民主党支持でも前原氏支持でもない。勝手に個人的な好みを言わせてもらえば、前原氏はどちらかといえば嫌いだ。

 だが、今回の件が報道されているとおりの事実関係だとすれば、何も辞任することはないと思う。

 こんなつまらないことで鬼の首を取ったように騒いでいる人間を辞めさせた方がいいぐらいだ。

 確かに、週明けの国会がこんなことでまた空転するのはやめてほしい。しかしそれは、前原氏の責任ではない。
 こんなことになるとわかっていて、だれがわざわざ5年間で総額25万円(mainichi.jp)の個人献金を「外国人」(日本名を名乗っている在日の方)から受け取る道を選ぶだろう。
 献金する方もされる方も「犯意」がないのは明らかだし、おそらくは法律なり献金の事実なりを実際に知らなかったのだと思う。

 馬鹿馬鹿しい足の引っ張り合いで政治資源がどんどん浪費されていくのは見るに堪えない。また一つ、愚かな事例が増えた。

 (外国人がその身分を隠して嫌いな政治家に献金し、後でリークすれば合法的にその政治家を追及することもできますね。そのほうがよほど問題だと思います)。

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●北摂のおいしくて安い魚屋

 比較的近所においしくて安い魚屋を見つけてから、毎週のように(いい魚を入れるのは日曜だけらしいのだ)魚を丸ごと1匹とか買っている。

 今日はスズキ(鱸)。

 この時期のスズキは産卵期の終わりごろで、タイ(鯛)でいえば麦藁鯛、大量に獲れて安いのだがおいしくないというのが相場である。

 たしかに、夏のスズキのように締まった身がたっぷりととれるわけではないが、やせてはいても、もっちり かつ こりこりとした身は非常に美味だった。

 50cm 以上、頭の先から尾の端まできちんと体長を測れば 60cm あるかもしれない。60センチ未満のものは関西ではハネと呼ぶが、それ以上なら本物の?スズキである。それで1尾1380円。
 もちろん、注文どおりにおろしてくれる。

 片身を刺身にして、片身をオリーブオイルでムニエルに、頭なんかはアラ炊きにした(刺身以外は家人が ^^;)。

 殊に刺身がおいしく、背も腹も、絶品という言葉さえ使いたくなってしまうほどだ。スーパーで買うスズキにありがちな臭みもまったくなく、ムニエルもおいしかった(アラ炊きは1日寝かせておくことにした)。

 時期と値段から、魚屋のおじさんに「ほんとに刺身にできますか」みたいなことを疑わしそうに聞いたのだが、すみませんでした、反省しております。
 ___

 で、このエントリの目的は、その魚屋さんの宣伝である。

 夕方5時ごろに行ったのに、スズキ(ハネ)が3匹残っていて、太刀魚(580円)はまだ10匹ぐらいいた。ハマチと書いてあるツバス(これもたしか580円)もそのぐらいか。他にも、アジやらキスやらアブラメ(アイナメ)やら、今日中に売れるとは思えないほど並べてある(それとも、あれからが書き入れ時なのだろうか)。

 安物のスーパーの中にあるし、周囲が新興住宅街なので若い夫婦などが多く、魚一匹を丸ごと買うという習慣がないのかもしれない。
 わたしだって、大阪に来てからはスーパーでトレイに載った魚を見ることがほとんどになっている(高くておいしくないからあまり買わないけど)。
 おじさんのにぎやかな呼び込みも、あそこではたぶん逆効果になっている。

 でも、スーパーで買い物をしなくても、魚だけを買いに行く価値は十分あると思う。

 せっかく見つけた魚屋がつぶれないように、みなさん、ご贔屓にしてあげてください。

店 名:ディスカウントスーパー サンディ 箕面小野原店
    (魚屋さんは一番奥です)
所在地:箕面市小野原西6-13-11
営業時間:10:00~19:30

 あ、レジ袋をくれないのでご注意ください。すごくしっかりしたのを1枚10円で販売しています。

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2011.03.03

●初めてのデフレ

 デフレだデフレだと騒いでいるが、モノの値段が下がっているようにはぜんぜん見えない。

 特に、私を直撃するのは昼食代とガソリン代だが、双方ともむしろ値上がり傾向にある。もはや、千円で前菜からデザート(かつて2軒あった)など望むべくもない。それどころか、毎週のように通っていたトラットリアなど、千円のランチをメニューから落としてしまって久しい。

 この機会に書いておこう。
 最初は千円で飲み物とジェラートがついていた。その後、一方の選択になり、最後にはメニューからなくなった。
 今や、1300円出しても、飲み物とジェラートは択一である。もっとも、前菜がつくようにはなっているのだが。

 そんな中、デフレを感じるのは、年齢や経験を重ねてもいっこうに上がらず、むしろ下がり気味の給与だけだ・・・

 ところが、先日、眼鏡のレンズを入れ替えて、初めてデフレを実感した。

 最初、以前近距離用眼鏡を買った安売り店に行ったのだが、他店のフレームにはレンズを入れないと言われてしまった。一流メーカの片面非球面・屈折率1.67のレンズ(2枚)でもフレーム付きで4800円からという店だから、フレームなしなら同じかそれ以下で入ると思っていたのだ。

 次に、自由にレンズが選べるというのが売りの眼鏡店を覗いた。ここでは、同じレンズの入れ替えが1万円強だ。もっと屈折率の高いレンズや遠近両用も同じ値段で選べる。
 1万円でも安いので、そこで買おうかとも思ったが、念のため、長年通い続けている眼鏡屋に行ってみることにした。

 驚いたことに、同じレンズが7000円強だという。こんなに安かったかと聞くと、「いや、今おかけの眼鏡をご購入いただいた5年前には2万数千円しておりました」とのこと。
 そうだろう。フレーム込みで5万円近かったと思う。その記憶があるので、行きつけの眼鏡屋を裏切って安売り店で購入したりしていたのだ。

 しかし、この5年でレンズのデフレが劇的に進み、実に1/4近くになったのだそうだ。眼鏡量販チェーン店が猛烈に進出してきた影響だろう。メーカの卸値も大幅に下がっているらしい。
 この店だって、価格を下げなければとてもやっていけまい。ただ、フレーム付きを4800円で売っている店が同じビルの中にあるのだから、これでも高いという人がいても不思議ではない。

 それほど悪くない遠近両用も確かに1万円程度からある。一瞬考えたが、そちらの値段は性能に応じて天井知らずだそうで(何でも20万円近いのまであるらしく、スペックを追求する私としては、買う以上はそういうのにしたくなってしまう)、すっぱり諦めて7000円で我慢することにした。

 左のレンズだけ替えようかとも思っていたのだが(それだとたった!3500円)、検眼しているうちに気が変わり、両方替えることにした。さらに、値段表を見ているうちにさらに屈折率の高い1.71のがあったので、結局それにする。1万円。

 5年前なら、おそらく3万円以上はしていただろう。片方5千円なら、ときどき替えてもいいかなというレベルだ。この年になっても近視はじわじわと進むのである。いつになったら止まるのだろうか・・・

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