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2011.06.29

◆扇風機市場がえらいことに・・・

 私的梅雨明け宣言からもう数日。今日は大阪としては史上初、6月の猛暑日だったらしい(NHKラジオ)。

 天気予報では気象予報士たちが「梅雨の中休み」などと寝ぼけたことを言っているが、ここ近畿中部では明らかに梅雨は明けている。

 以前のエントリでは遠慮深く書いたものの、私の四十数年に及ぶ観天望気のキャリアから断言できるのは、先週の土曜日の朝が完全な梅雨明け空だったことだ。

 「梅雨明け十日」というように、梅雨が明けると十日ほど晴天が続くと昔からいわれている。その晴天が今日で5日続いているのである。例年より一か月ぐらい早いけれど。

 気象予報士たちや気象庁が正しいか、私の方が正しいかは今後の天気が決める。まあ8割ぐらいの確率で勝てるだろうという気がする。専門家たちはいったい何をやっているのか。
 (もし間違ってたら素直に謝ります。ごめんなさい。)
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 というわけで、夜、ちょっと寝苦しいので、何気なく扇風機を買いに行った。↓に書いたとおり、うちは昔から寝るときにはエアコンをつけない。
 去年までは寝るときに別の部屋から扇風機を運んだりしていたんだけれど、それも面倒だし、どうせ買っても数千円なので買うことにしたのだ。ものが増えるのは好きじゃないので今まで見合わせていたんだけれど。

 ところが・・・

Dsc07324_vga 大手家電量販店に行ってみてびっくり。扇風機はほとんどすべて売り切れていて、事実上買えない。注文しても納品は三週間先とか書いてある。
 通販で買ってもよかったんだけれど、やはりいろいろ見比べてデザインとか音とかを確かめてから・・・などと思っていたのだが、これでは話にならない。
 もう一軒、念のために違う電気店に行ってみたが、こちらはさらにすっからかんで、サンプルの扇風機すら1台しかない。棚は見事にがらんどうである。

 節電流行りでこうなったのだろうということは後知恵としてはわかる。だが、実際に扇風機の在庫がないのを目にするまでは、そんなことは夢にも思わなかった。やはり、自分には想像力が欠けているんだなあとあらためて認識した。
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20110629_vga 通販で買おうかと、kakaku.com を見ても、結果は似たようなものだ。在庫のある扇風機の値段は3倍ほどにも跳ね上がっており(右のグラフは1番人気の東芝製扇風機)、「この安いのにしようかな」と思うと納品目安は1か月先だ。
 ほとんど転売屋の暗躍する世界になっているが、ヤフーオークションなんかは覗く気力すらない。

 まあいいや。去年だって寝る前に扇風機を運んでたんだから・・・とは思うものの、なんかこう、納得できない。
 ほんとにみんな、昼の一番暑いさなかにエアコンを切って扇風機を使うつもりなんだろうか。そして、そのための扇風機を今まで持っていなかったのだろうか?

 何度もいうが、(たとえば)就寝時のエアコンをやめて扇風機に変えても、(今の文脈では)まったく無意味なんだけれど。

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2011.06.28

◆冷やせないスイカ

 久しぶりにスイカを丸ごと買った。安かったのだ。もしかすると2年ぶりかもしれない。

 スイカを買うときは基本的に丸ごとなので、去年はスイカを一度も買わなかったかも。

 好物なのになんということだ。

 ところが、せっかく買ってきたスイカを冷やすことができない。冷蔵庫に入れる余地がないのだ。

 うちには冷蔵庫が2つある。
 スイカはかなり小振りである。
 家族はぜんぶで3人である。

 なのにスイカすら冷蔵庫に入らない。

 土曜日に買ってきて、もうすぐ水曜日だ。明日こそ入れることができるだろうか。

 この気温で腐ってしまわなければいいんだけれど・・・

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2011.06.26

◆33℃でも大丈夫

 現在、午後9時前のリビングルームの室温は、29.5℃。もちろん?エアコンはつけていない。

 昼間は33℃であった。
 毎年のことだから驚くほどのことでもないんだけれど、33℃あってもエアコンなしで十分過ごせる。

 ふつうに新聞を読んだりしている限り、汗がだらだらということにはならない(その後掃除するときにはエアコンをつけた)

 これが例の「高齢者は暑さを感じるのが遅いので、熱中症・・・」というやつだろうか(笑)

 まさか。
 私はまだ40代である。それに、十代の息子だって同じなのだから、たぶんもう、体が暑さに適応してきたということだろう。

 うちでは夜寝るときにエアコンをつけたこともない。

 もちろん個人差も大きいだろうが、ちょっと暑くなるとすぐエアコンを使う生活をしているから、いつまでも体が暑さに慣れないのだと思う。

 精神主義とか精神論とか(「がんばれば暑さなんて!」)はもっとも嫌いな発想なので、そういう意味で書いているのではない。
 むしろ、「俺たちが若かったころはエアコンなんてなかったのだから」なんていう高齢者は、まさに年寄りの冷や水である。いや、年寄りの熱中症候補とでもいうべきか。
1.あなた方が若かったころは、高齢になった今よりも丈夫であった。
2.      〃          気温だってもっと低かった。
ということを認識すべきだ。

 それでも、人間、けっこういろいろなことに慣れられるもんだということも、同時に考えさせられる。
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 問題なのは(ほぼ)ピーク時の電力量だけなのに、残業をやめてエアコンと照明を切るとか、夜の照明を落として暗くするとか(今回の文脈では)無意味なことを一生懸命(しかも集団主義で!)やっているのを聞くと、やっぱりこの国のやることは太平洋戦争のときと同じなんだなあという絶望感が湧き上がってくる。

 ともかくまあ、一番暑くて一番エアコンが必要なときに節電しなければいけない(かもしれない)というのはやはり大変なことなのだけれど。

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2011.06.25

◆Fancy meeting you here...

 先達に導かれ、2人で野鳥の生息調査(という名の里山散歩)をした帰り・・・

 こんなところに誰が来るのかというほど田舎にある、オシャレなカフェでコーヒーをご馳走になった。
 (そこからさらにずっと奥にも別のオシャレなカフェがある。田舎恐るべし)

 私はたぶん、行ったのが3度目だと思う。
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 2度目に行ったとき、Bird Friendly Coffee のパンフを見て、そこに載っている鳥の写真が気になった。キクイタダキのようにも見えるが、何となく違う。店の人に聞いてみると、奥に行って聞いてきますということで、その後現れた店主と思しき方から

 Yellow-Rumped Warbler

と書いたポストイットをいただいた。

 なるほど、日本にいる鳥ではないのだ。
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 先達が前に座っているのに、その鳥の名が思い出せない。Warbler だけ覚えていたので、2人とも持っていた手元の図鑑で調べてみると、ムシクイ類を指すらしい。

 あんまりムシクイには見えないけれど。

 帰宅して、例のポストイットを見て先達に連絡する。早速、日本にも迷い込んだことがあることを教えていただいた。和名はキヅタアメリカムシクイというらしい。
 ネットで調べると、こんな地味な小鳥のために日本中からバードウォッチャーやらカメラマンやらが集まったこともあるようで、ちょっとした騒ぎになっていたことがわかった。

 それで話は終わると思っていた・・・

Img_2408_32 ところが、今日になって、このパソコンのデスクトップに、似た鳥が表示された。いや、いつも表示されている見慣れた鳥なのに、今日まで気づかなかったのだ。
 2009年にカナディアンロッキーに行った際、撮影した鳥だ。気に入った写真が順番にデスクトップに表示されるように設定しているのだが、そのうちの1枚である。
 (それどころか、←の Canadian Rockies の中にも写真が2枚あった!)

 早速、iPhoto でオリジナルの写真を調べてみると、ご丁寧に、自分で Yellow-Rumped Warbler とメモをつけている。うちには横文字の鳥類図鑑は3つぐらいしかないが、その一つは、写真を撮った鳥を同定するために旅行中にカナダで買ったものである。それを見てメモを書いたらしい。
 調べてみると、残りの2つにも載っている。北米では珍しくない鳥のようだ。

 毎日のようにパソコンのデスクトップで目にしている鳥と、Bird Friendly Coffee のパンフの鳥が同じであることにも気づかないなんて・・・

 こんなことだから、いつまで経ってもバードウォッチャーとして(も)成長しないのである。

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◆梅雨明け?

 天気予報が外れて、みごとに梅雨明けのような天候。

 ほんとに梅雨が明けちゃったんじゃないかと思うほど・・・

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2011.06.20

◆金持ちの余裕

 ライブドアの社長だった堀江貴文氏が収監され、最長で2年5か月服役することになった(報道ステーション)。

 出頭する様子をテレビで見ていると、ほとんど楽しそうですらあり、とてもこれから刑務所に行く人物には見えなかった。

 2年以上自由を奪われ、刑に服するのは確かに大変なことに違いない。しかし、出てきてからの不安が何もないのだ。金持ちというのは、こんな時にもあれほどの余裕を持てるものかと、羨ましくすら感じた。

 こんな受刑者がどのぐらいいるだろう。
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 こういう報道はやはり音声と映像があるに限るなあと思った。私の乏しい想像力では、新聞報道からあの雰囲気をつかむのはおそらく無理である。

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◆想像力の欠如2

 ハードディスクレコーダが壊れたことは書いた。

 もはやただのDVDプレイヤーと化していると思っていた。しかも大きい。もちろん、誰も欲しがる人はいない。

 ところが、今日職場で若い人たちと話していて、突然、地デジチューナーでもあることを思い出した。それどころか、BSもCSも入る。

 職場の部屋にアナログテレビがあり、あれもゴミになるんだなあと思った瞬間、そうじゃないことがわかったのだ。

 壊れたハードディスクレコーダと、捨てるしかないアナログテレビを組み合わせれば、立派に地デジ(+BS・CS)対応テレビの完成である。
 両方捨てるしかなかったのが、両方生きてくることになる。

 職場のテレビ、液晶のフラットタイプなので、捨てるなんてもったいないなあとは思っていた。でも、今日の夕刻まで、壊れたハードディスクレコーダがテレビを甦らせるとは思いつきもしなかった。
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 まあしかし、そうやって実際に繋いでまで使うかというと微妙である。それなりに場所も取るし、起動だって無駄に遅い。リアルタイムでテレビなんか見る機会も、私にはほとんどない。

 それでも、もうすぐアナログ放送が終わろうかという時期、チューナーが欲しいという人はいるはずだ。DVDだって再生できるし。
 でもやっぱり、だれも欲しがらないんだろうなあ・・・ こういうときに需要と供給を簡単にマッチさせる方法があればいいんだけど。

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◆想像力の欠如

 想像力の欠如というか何というか、どなたかから教えていただいたり実際に体験したりするまで、ごく当たり前のことでも思い至らないことに、われながら啞然とすることが多くあります。

 最近の例でいうと・・・
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 2週続けて、テラスで食事をする機会がありました。その時にどんなことに困る可能性があるか、想像できますか。
 家人に聞いてもかなり考えて思いつかなかったのですが、それは、「風でものが飛ぶ」ということです。ほとんどそよ風程度しか吹いていなくても、紙のナプキンなんかが飛ばされます。そして、実際に飛ばされるまでその可能性に気づかない・・・
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 iPad であちこちの傾斜を測るのに凝っています。わかったのは、ほとんどの建物が 0.5 度程度は傾いているということ。
 ですが、iPad 自体の精度がどの程度のものなのかがわかりません。きちんとした水平のところに当ててみて、0.0度を表示するかどうか確認したいのですが、その方法を思いつきません。皆さんは思いつきますか? いわば、「水平原器」が必要になるのですが・・・

 今日、田んぼは水平でなければならないということを教えていただいて、はたと気づきました。
 あの広い田んぼは、端から端まで水平でないと、たとえば低いところにある苗は水没し、高いところにある苗は干上がってしまうというのです。あの広さでレベルを取るというのは大変なことだと思いますが、すべて?の田んぼでそれがなされています。今までまともに考えたこともありませんでした。
 私の計算が合っていれば、0.1度傾いていると、50メートル先では約9センチの高低差ができてしまいます。0.5度だと、なんと約44センチ。

 そう、何でもいいから容器に水を張れば、それが水平原器になるのです。お風呂なんかいいでしょう。
 問題はその上に iPad を置けないことですが、サランラップを巻いてそうっと水面に合わせてみるという方法を教えていただきました。近いうちにやってみようと思います。

 でも、水平原器代わりになる固体のものはどこかにないでしょうか?
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 以下は自分のことではありませんが・・・

 福島第一原発の非常用ディーゼル発電機が地下にあったのはなぜだかご存じでしょうか。津波が来て水没する可能性は十分予想できたというのに。
 なんと、建設したアメリカの電機メーカー、GE(ゼネラル・エレクトリック)の設計をそのまま変更せずに踏襲したからだそうです(朝日新聞)。一号機に関して東電がやったことは、GEに作ってもらった原発の始動キーをひねっただけとすら言われているようです。
 ではなぜ、GEの原発は、非常用ディーゼル発電機を地下に作ったか。それは、しばしばアメリカを襲うハリケーンや竜巻から守るためだそうです。オクラホマあたりの住宅には竜巻から身を守る地下シェルターがあるのがふつうですが、あの発想ですね。それをそのまま、地震と津波の日本の太平洋岸に持ってきた・・・
 あまりにも想像力が欠如しています。

 最後に・・・

 福島第一原発の所長が「震災直後は地震のことで頭がいっぱいだった。津波のことまで考えが及ばなかった」と話したそうです(nikkei.com)。

 「地震が来れば津波に警戒」というのは、関西に住むわれわれでさえ常識に属することなのですが、東北の太平洋に面する原発の責任者がそんなことも想像できなかったというのは、恐るべきことです。第一、「地震→津波」を想定した訓練などをまったくやってこなかったのでしょうか。

 しかしまあ、人間の想像力ってその程度のことも思いつかないというのは、我が身を振り返ってみればわからないでもありません。
 所長個人を責める気にはなれませんが、結果の重大さを思うとき、もし組織や人間がその程度の限界を有しているならば、こういう破滅的な影響をもたらしうるシステムの運営は避けた方がいいのではないかと思えます。
 たとえ津波のことを思いついていても結果は同じであったとしても。

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2011.06.15

◆「この年になって・・・」

 地震や津波や原発で仕事を失ってしまった方々が、「この年になって新しい仕事を始めろと言われても・・・」というようなことをおっしゃるのがよく報道されている。
 さまざまな被害に遭い、単に生活していくことすら難しくなったりする中で、新しい職を探す難しさは想像できるし、折からの不況もあってなかなか仕事が見つからず、苦労なさるだろうことも十分にわかる。

 だが一方で、現実に職が見つからないということや被災という背景条件を別にしても、「年だから今さら新しい仕事をする気になれない」あるいは「年だから新しい仕事を始めるのは(能力的に)不可能だ」という発想があるとすれば、それには違和感を持つ。
 そう発言する方々の多くは40代。50代もあるが、30代であることすらある。

 私は今40代後半だが、現実に職が見つかるかどうかは別にして、「年だから新しい仕事は・・・」という意識はまったくといっていいほどない。
 もちろん、やりたくない仕事やできない仕事はあるが、それは年だからではなく、20代半ばでも同じことだったと思う。
 いや、実際には、体力も衰えているし物覚えも悪くなっているだろうから、新しい仕事を始めれば若い時よりは苦労するかもしれない。それでも、少なくとも、やってみる前に「年だから無理だろう」というのは、ほとんど思いも寄らない考え方なのである。

 若い時にはなかった経験や知識だっていくらかはあるだろうし、人間関係に配慮する知恵だって以前よりはある。ワークライフバランスを取るのだって、下手になっているとは思えない。

 まあでも、現実に仕事を始めてみれば、新しい事象に対する適応性が劣っていたり、ルーティーンワークがなかなか覚えられなかったりはするのだろう。そう想像はできてもそんな気はしないけれど、これが「根拠なき自信」というやつだろうか。

 不思議なのは、私みたいに自分に自信のない、後ろ向きでマイナス思考の人間でもそう思うのに、どうして「年だから・・・」と考える人がこんなに多いのかということだ。
 思いも寄らない被災に打ちのめされているから一時的に・・・ならもちろん理解できる。しかし、「この年になって今さら」というのは、被災とは関係なく、ふだんからよく人々の口の端にのぼっている表現でもある。
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 求人に「35歳の壁」があるのを以前から不思議に思っていた。なぜそんなところに壁があるのか、振り返ってみてもわからない。高年齢だと偉そうで使いにくいとかいうこともあるのだろうか。それも自分はそうならないと思うが、そういう人も多いのか。それともやはり、能力が衰えているということが大きいのか。
 しかしながら、現実に50代60代70代!が社会のリーダーや中核を担っているのを見ていると、とても能力が衰えているとは思えない。経験的にいっても、業務遂行に問題が見え始めるのは70代も半ばを迎えてからだと感じている。同じ職に就いている者同士であっても、それ以前は明らかに年齢差より個人差の方が大きい。

 なのに求人が35歳で打ち止めになり、現実に「この年になって新しい仕事を・・・」という人が多いのはなぜか。それはたぶん、後者が前者の原因なのかもしれないという気がしてきた。
 35歳を過ぎるころから、新しいことへの意欲や気力が衰える人が増える。企業はそれを経験的に知っているから、それ以上の高年齢者の採用を手控えるのではないだろうか。同じ企業の中できちんと仕事をしている50代がいくらでもいるのに、である。

 逆にいえば、それは結局個人差であるから、「新しい仕事に取り組むのに何の問題もありません」という40代50代はどんどん採用すべきなのだ。雇うのはあくまで個人であり、世代を雇うわけではないのだから。

 たまたま近くにいた60前後の方に聞くと、その方も、「この年になって新しい仕事なんて・・・」という発想は想像もつかないということであった。私と違って何ごとにも前向きな方のようだが、やはりというか、そういうところに年齢を持ち込まないのである。
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 ・・・とはいいつつ、私はここ数日、毎日趣味のように血圧を測っている。先日、胃の内視鏡検査を受けたおり、看護師?から測ってみるよう勧められたのだ。自分で購入しておいて、「なんでうちに血圧計なんかがあるのだろう」という違和感を抑えきれない。

 なるほど、こうやって年齢を自覚していくのかと、ちょっと考え込んでしまう。

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2011.06.13

◆鼻から胃カメラ

 何だか胃の調子がおかしいように感じたので、胃の内視鏡検査を受けることにした。

 恩師・畏友・教え子!と、身近に胃がんを患った方々がいらっしゃるので、ちょっと気になっていたのだ。
 前回の検査は、3年前のバリウムX線である。

 一時期のことだったが、胃に塊があって動くのがわかる気さえした。これでもし本当に胃がんだったら末期なのは間違いないという感じだった。

 一方で、以前、古傷が痛んだ気がして胃カメラを飲んだときは、「異常なし」と言われただけで症状がなくなったので、今回もおそらく、何もないだろうとは思っていた。
 胃というのはほんとにメンタルな臓器なのだ。

 初めて胃カメラを飲んだのは、その「古傷」ができたときで、約20年前のことだ。その後退院するまでにさらに2回飲まされたと思う。
 それに、後年受けた上記の検査を加えると、都合4回ほど経験したことになるだろうか。
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 人によって違うらしいが、胃の内視鏡検査というのは、ちょっとした拷問である。大袈裟に言えば、「地獄というのはこういう状態がずっと続く場所のことをいうのではないだろうか」という気がするぐらいだ。
 麻酔をしようが何をしようが、うげぇおえぇぐわぁと、涙と洟と涎を垂れ流しながらうめき続けることになる(「意識下鎮静法」(軽い全身麻酔のようなものか)を使うと楽らしいが、経験はない)

 それを知っていたので、「上手な人がやると違うよ」というアドバイスを受け、はるばる名人と評判の医師を紹介されて訪ねても同じだった。

 それが、近年は鼻から胃カメラを入れる方法があって、家人も経験して非常に楽だというのでそれでお願いすることにした。

 名人だかどうか知らないが、一応専門医を標榜している方にやっていただくと、なるほど、口から飲むのとでは地獄と天国であった。
 鼻中隔がこすれる感じがしてちょっと痛いものの、それだけ。直後には鼻血すら出なかった(後から少しだけ出た)。その日ぐらいは鼻に違和感があったが、2日もすれば何もなくなった。

 カメラの性能が上がり、細い管で小さいカメラを使っても鮮明な画像が得られるようになったため、鼻から入れることが可能になったそうだ。
 やっている最中に話もでき、画面も見ることができる。鮮明な画像で、われながら綺麗なピンク色の胃だった。医師が見ているモニタはもっと精細に見えるという。

 途中、「この潰瘍っぽく見えるところ」と言われてちょっと焦ったが、ゴミのようなものがへばりついていただけで、水で流すとなくなった。ただ、その場所が少し赤くなっていた。
 結局、その場所について「1箇所だけ少し荒れてますが、これぐらいだったら以前のカメラではわからないぐらいです」と言われた。それならいらないと思うのだが、2週間分の胃薬をもらって帰った。
 
 前回みたいに、大丈夫と言われただけで症状が完全に解消・・・というわけではないが、ひとまずは安心である。

 あのころとは気苦労が違うんだろうなあ・・・ メンタルな臓器をもっと労らなければ。

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2011.06.09

◆首相(候補)の選ばれ方

 「民主代表選 野田氏が軸」(朝日新聞)だそうである。

 民主党の代表になれば首相になることはまず間違いない。その野田氏がどうして選ばれそうかと言えば・・・

・「政策の継続性を重視」
・「小沢氏の「政治とカネ」を巡る処分に関与して」(同上)いない
・したがって「小沢一郎元代表のグループで、野田氏への拒否感が比較的小さい」(同上)

からのようだ。野党から見ると

・「政局を動かすような言動をしておらず、抵抗感が少ない」(同上)
・「「ポスト菅」候補の中で知名度で劣るため、「仮に総選挙を打ってきても勝機がある」」(同上)

という。だから、「野党の理解を得やすい」という理由もあるらしい。
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 まあ、財務大臣なんだから次期首相になってもおかしくはないとは思うものの、これまで首相候補として名前すら挙がらなかった人物なのには驚く。各種世論調査でも、10位以内とかに入っているのを見たことがない。

 そういう人が上記のような理由で消去法的に「世界に冠たる経済大国」の日本の首相に選ばれる可能性が高いというのだ。

 「指導力がある」とか「見識が高い」とか「人望がある」とか・・・ 何でもいいが、そういうことがただの一つも書かれていない。
 まあ、所詮は一新聞の解釈とは言え、こんなことでいいのかと、運命共同体の一員としては不安にならざるを得ない。どうせまた、1年経たずに辞めるとしても。

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2011.06.08

◆カーネーションの花びらは

 カーネーションの花びらは、蝶の羽のように綺麗に水をはじく・・・

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◆見えぬ「周辺」

 散り果てた桜の姿を満開まで巻き戻しつつ被災地に向かってから、もう1か月あまりが経った。

 案の定というか、何も書けないままである。
 ただ、あのとき痛切に感じたことで、今も気になっていることの1つは、 「周辺」への目配りが必要だということだ。あるいはそれ以前に、「周辺化させないこと」と言ってもいいかもしれない。

 大きく言えば、津波の被害で地震の被害が忘れられ、原発の被害で津波の被害が忘れられてしまっていないか、という懸念がある。
 「忘れる」は極端にしても、しばしば軽視はされてしまう。津波はまだ相対的に「まし」だが、地震そのものの被害は顧みられることが非常に少ない。

 そして、地震・津波・原発のそれぞれの被害の中でも、周辺に行けば行くほど、そして、被害が「軽微」であればあるほど、軽んじられる傾向がある。

 より重大な被害があるのだからもちろん仕方のない面もあるのだが、たとえば、比較的被害の少ない地域で、どこも壊れていないしっかりしている(ように見える)家から泥を出している家族の様子なんかを見ていると、これでは見捨てられたような気持ちになってしまうだろうなと思わずにはいられなかった。いや、実際に見捨てられているのかもしれない。

 地震後2か月が経とうとしていたころですら、瓦礫はほとんど片付いていないように見えた。まもなく3か月になる今日のニュースでも、「瓦礫の撤去はほとんど進んでいません」とか言っている。被害の中心部でさえ手が届いていないのだから、周辺が放置されているのも仕方ないのかもしれない。しかし、おそらくはどこからも援助の手が届かず、2か月も経ってから家族3人で家を住める状態に戻そうとしているのを見ていると、「忘れ去られた周辺」の悲哀が胸に迫った。

 そういえば、それほど被害がない地域でもまだ点灯していない信号が数か所あって、それにも驚かされた。昼間だったので気づかなかったが、まだ電気が復旧していなかったのかもしれない。
 ふつうに車が行き交い、建物も壊れていない幹線道路沿いですらそういう場所があるのだ。

 マスメディアが報道するのはどうしても被害の中心地になりがちだ。今回のような広範囲の災害では、「中心地」はいくらもあるので、さまざまな場所がひろく報道されているかのような錯覚に陥る。
 しかしながら、たとえば被害の範囲を円にたとえると、多数ある円のうち、報道されているのはほとんどがその中心付近の話であり、円の覆う広い面積がカバーされることはない。別の円の中心なら報道対象になるとしても。

 「周辺」に目を向けなければ、と思う。あるいはまた「周辺化させてはならない」とも。

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2011.06.01

◆スーパークールビズ?

 環境省主導で「スーパークールビズ」というのが進められている。

 文字通りなら別にいいのだが、アロハシャツなんかを例に挙げて勧めているのには首を傾げざるを得ない。

 実際に真っ赤な柄物のアロハで出勤した職員がテレビに映っていたが、この涼しいのにどうしてそんな格好をする必要があるのだろう。

 それに、涼しくするのと派手にするのとは意味が違うはずである。
 ジーンズも初めてOKになったということだが、それよりも夏物のスラックスの方が涼しいのではないか。

 いや、服装は基本的に個人の自由だと思っているので、アロハを着ようがジーンズを履こうが別にかまわない。
 だが、やっていることが頓珍漢なのは気になる。

 馬鹿馬鹿しい真夏のネクタイ・スーツ姿も「スーパークールビズ」も、結局「右へ倣」ってしまう付和雷同性から来ているのかと思うと情けないし。

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