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2011.08.31

★谷間の週

 アメリカから帰国して1週間ほどで、今度は韓国に出張。

 今週はその谷間の週である。

 それだけではなく、体調も、それに伴って精神的にもなんか谷間でちょっと困っている。

 暑→寒→暑、湿→乾→湿と変化した気候のせいや、時差の関係なんかもあるのかもしれない。

 また、ここ2〜3か月ずっと変だった左肩の関係で整形外科を受診すると、かえってだるさなんかが増し、寝ていても気になるようになってしまった(まあ、それは一過性のものだと思う。病院に(たぶん)罪はない)。

 リハビリを受けながら肩の話なんかを聞いていると、なんということもない当たり前の動作も、実に精緻かつ玄妙な仕組みでかろうじてバランスよく成り立っているんだなあと感心する。

 それにしても、自分の肩の骨や関節や筋肉がどうなっているのか、ほとんど(というよりまったく何も)知らなかったことには驚かざるを得ない。
 たぶん、チュニジアやリビアの歴史と同じぐらい知らない。

 いつもながら、どうして必要なことを学校で教えてくれないんだろうと思う。

 「加齢に伴って筋力が落ちてきますから、これまで普通にやっていたことを同じように続けていると、関節や筋肉を痛めたりすることが増えてきますよ」

 別に100メートルを全力で走ったり、重いものを投げたりしているわけではない。それどころか、Wii Fit 以外はほとんどあらゆる運動もしていない。
 それでも、普通の動作が普通にできなくなるというのだ。たとえば机に座ってこうしてキーボードを叩くという動作とか。
 今後はたぶん、普通に生きていくためだけに筋トレなんかが必要になってくるんだろう。

 どうして今までだれも教えてくれなかったんだ?

 10年ほど前に知ったのは、「20歳のときと同じように食べていると際限なく太る」ということ。

 まあ、そんなことを知らないのは単に私が愚かなだけかもしれないが、息子にはその轍を踏ませまいと、父親の責任として(笑)ちゃんと教えている。
 あんまり聞いてないみたいだけど。
 ___

 ともかく・・・

 ふつうに暮らしているときはそのありがたみがわからないけれど、ちょっと不調になると「ふつう」というのが実に素晴らしくも理想的な状態であったことにあらためて気づく。

 で、そんな気づきももう何度も経験してきているのに、何度経験してもふつうのありがたさがわからない。

 愚かな生き物である。

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2011.08.30

★Over the Pacific vol. 6 かんべんしてよ

 機内最後の食事。

 白人のアテンダントにターキーサンドイッチを頼んだのに、また例の日本人が「野菜ヌードル」を持ってきた。だまってテーブルの上に置こうとする(というか、置いた)。フォイルにはしっかり、Vegetables のシールが貼ってある。

 これ違いますと言って返そうとすると、もうターキーがないんですという。思わず反射的に「かんべんしてくださいよ。さっきのがあまりにもひどかったので、ちょっともう・・・」というと、困った顔をして、「でもないんです」と繰り返す。しかしこちらは、Vegetables も Noodle も、聞くだけで戻してしまいそうな感じである。何とかなりませんかというと、じゃあ探してきますと言って、しばらく経ってからターキーサンドを持ってきてくれた。
 もう食べるのをやめようか、でもお腹も空いているしトライぐらいはしてみるべきかと考えていたところだったので、正直ありがたかった。

 しかし、探して見つかるかもしれないんなら、最初から探せよ。事前に「お客様、申し訳ございませんが・・・」もないあたり、やはりアマチュアなのだと思った。
___

 うまくいけば、あと30分と少しで関西空港に着陸できる。長々と続いた太平洋上シリーズもこれで終わりとなろう。
 お読みいただき、ありがとうございました。

 (それにしても、無線LANを使わないで輝度を最低まで落としていると相当長い間電池が持つことに驚いた。偉いぞ、2010年式 MacBook Air)

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2011.08.29

★Over the Pacific vol. 5 1ドルコインの入手方法

 アメリカに来るのはたぶん4度目だと思うのだが、1ドルコインというものに一度もお目にかかったことがなかった。50セントのコインも同様だ。ガイドブックにも、滅多に目にすることはないと書いてある。
 昔、実家になぜか50セントのコインがあったのだが、あれは今もあるのだろうか。かなり珍しいのではないかと思う。
 ___

 シアトルの空港からダウンタウンに行くのには、新しくライトレイルトランジット(まあ市電ですね)ができていて、2ドル75セントで中心地まで運んでくれる。サンフランシスコは8ドル以上したので、それと比べると相当安いと思うが、この1月だかまでは2ドル50セントだったらしい。

 私は海外では基本的にクレジットカードを使うのだが、一緒に行った同僚が現金を入れて自動販売機で切符を買うと、お釣りがコインで出てきた。それが見たことのない金色がかった綺麗なもので、なんと1ドルコインだった。思わず「それ、一枚ください」と言うとあっさりくれたが、自分が「お金をくれ」と言っていることにすぐ気づき、1ドル札を返した。いいよいいよというのだが、もちろんそういうわけにもいかない。

 さて、その1枚を後生大事に持っていたのだが、2日後にまた空港に戻るとき、茶目っ気を出して20ドル札を入れて切符を買ってみた。お札まじりでお釣りが出てくるのかと思っていたら、まるで大当たりのスロットマシン(経験ないけど)みたいな勢いでじゃらじゃらとコインが出てきて当惑した。ぜんぶ集めてポケットに入れるのさえ大変な感じである。数える気もしない。

 あとで見てみると、当然のことだが、1ドルが17枚と25セントが1枚だった。しかも、その1ドルコインには、新旧少なくとも3種類のものが混じっていた。まだ子細に観察していないが、昔の銀色のもの、新しい金色がかったもの、さらに新しい、側面に年号が刻印してあるものがある。

 何だか嬉しくて、記念にぜんぶ持ち帰りたくなったが、重くてかさばるのもあって、重複した図柄のものを中心に、シアトルの空港での昼食に使ってしまった。それでもまだ7枚持っている。あれ?11枚も使ったかなあ・・・
 その後、例の黒人の運転手にあげようかとも思ったが、図柄がぜんぶ違うのと、コインをあげて25セントだと誤解されても嫌なので(笑)結局あげなかった。

 1ドルコインが欲しい方は(いるのか?)、シアトルの市電の切符を現金で買うことをお勧めする。

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2011.08.28

★Over the Pacific vol. 4 グローバリゼーション・・・

 ロストバゲッジの件では、ユナイテッドに3〜4回電話したと思う。そのたびに「もう配達に出ました」みたいな対応だったのは以前書いたとおりだ。

 何人かから、「とにかく強く主張しなければいけない」というアドバイスを受けたので、最後の時は意識してそうしてみた。
 「もっと何かできることがあるはずだ」「2度3度と配達係に連絡してくれ」「忍耐も限界だ」「ほんとに怒ってるんだぞ」とかいうのと同時に、「とにかく何とかして助けてくださいよ。本当に困ってるんですから」みたいなのも混ぜながらがんばってみた。相手は相変わらずのらりくらりである。

 そんな中、「とにかく今すぐここに(right now, right here)バッグを持ってきてくれ」と言ってみたところ、「そうしたくてもできないんです。私はフィリピンにいるんですから」と言われたのにはがくっと来た。シアトル空港にある荷物をダウンタウンのホテルに届けてもらうために、わざわざフィリピンにいる女の子(声から判断)と一生懸命話しているのだ。
 「いやもちろん、君に個人的に運んでくれと言ってるわけじゃない。ユナイテッドとして、きちんと責任のある対応をしてくれと言っているのだ」とかなんとか言っても、なんかもう力が抜けてしまって話にならない。

 彼女が持っている情報は、私がホテルの部屋からネットで見られる情報と同じなのだ。そこには、昨夜のうちに届けられるはずだったことが空しく書かれているばかりである。
 この情報で足りないときは電話をかけてくれと書いてあるのに、かけた先でもそれ以上の情報を持っているわけではないし、具体的に何かしてくれるわけでもない。「だって、フィリピンにいるんですから」

 配達を担当する契約会社?の電話番号を知っているらしいことが彼女の唯一の武器だが、嘘かまことか、そこに電話しても出ないという。以前に電話したときの男性も、配達係から20分以内に折り返し電話させると言っていたが、12時間経っても電話など来ず、結局荷物が着いてしまった。

 おそらくは低賃金のコールセンターで働かされているフィリピンの女の子のことを思うと、もはや怒っているふりをする気力も失せてしまった。「いやもちろん、君個人の責任じゃないことはよくわかってるんですよ。怒ったりしてごめんなさいね」と言って電話を切る。先方も「いえ、お気持ちはよくわかりますしお怒りもごもっともです」みたいな応対をする。マニュアルどおりなんだろうが、嫌な役目を引き受けさせられている無力な異国の女の子をいじめていたみたいで、なんだか本当に申し訳なくなってくる。

 おそらく彼女は、世界中から同じような電話を毎日受け続けているはずだ。それが彼女の仕事・・・

 大企業がコールセンターをフィリピンやインドなどに置いているという話は聞いていた。日本企業の場合は中国に置いたりもしているようだ。だが、シアトルの荷物のことは、シアトルにいるだれかが対応するように改めることはできないのだろうか。せめて、西海岸にいるだれかとか。

 物理的に存在する場所は、仕事の責任感にも影響する。まあ、すぐ横にいてもコーヒーをこぼして気づかないようなアテンダントもいるんだけれど。

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2011.08.27

★Over the Pacific vol. 3 次回からは航空会社を選ぼうか

 うーん。やっぱり、この航空会社には問題があると思う。今まで控えていたが、公表しよう。このブログの影響力など、ほとんどないに等しいし。アメリカのユナイテッド航空(United Airlines)である。

 Thank you for flying with United. とよく言っているが、Never fly with United. と言いたくなる。

 これまで、積極的に航空会社を選んだことはない。
 初めて家族でヨーロッパに行ったときのルフトハンザは、目的地に近づくにつれてトイレの中がだんだん乱れていくのが手に取るようにわかった。それで初めて、日本航空では途中でちゃんと掃除されているんだということに気づいたりした(今回のユナイテッドも掃除はしているようだった)
 でも、だからといって、航空会社にこだわったことはない。マイルがたまるほど利用することもないし、「特にこだわりません」というほうがかっこいいようにさえ思っていた。
 ___

 帰りは仕方なく、両側の窓からすごく離れた通路側の席を取っていたのだが、私の隣もさらにその隣も空いていたので(窓側が取れなかったため次善の策としてそういうところを狙って成功した)、通路から2つ目の席に移動して座っていた。両側に人がおらず、快適である。スクリーンはないけれど、映画館の真ん中に座っているような気分だ。

 とんでもなくまずい食事が終わってからしばらくして、遠くの方の席から私の横の通路に(おそらくは)日本人の女の子が来た。そして、これも(おそらくは)日本人のアテンダントにエスティローダーの香水かなんかが欲しいと言っている。そして、二人は私の耳元と言っていいような位置で大声で会話を始めた。

 女の子は、具体的に欲しいものを伝えられない。それではと、アテンダントが体をかがめ、私の隣の空いている席(本来の私の席)のポケットを探って、免税品の冊子を取り出そうとする。なかなか見つからなくて、ライトをつける。それでも見つからずにしばらくガサガサやっているうちに(私の頭とアテンダントの頭との距離は約40 cm ぐらい)、女の子が自分の席から冊子を持ってきた。

 まあ、現時点では空席だが、ポケットには私の私物も入っているのである。忘れ物をしたりしないよう、二重になっているポケットの奥の方に、機内誌やら安全パンフやらを綺麗にそろえて入れていたのだ。

 冊子が到着すると、なんと2人とも私の方に身を乗り出して、隣の席のテーブルの上で注文書?を書き始めた。「私のはこれ」「友だちがもう一つ別のを欲しがってて・・・」「ではお会計は別々なんですね」みたいな会話をかなり長い間やりながら、ぐいぐいと記入していく。距離は相変わらず40 cm。

 実は、自分のテーブルの上にはコンピュータを広げていたので、隣には私の水も置いていたのだが、そんなものはお構いなしである。私への声かけすらない。
 仕方ないので、邪魔にならないように、あるいはこぼされたりしないように、水を手に持って避難させる(あるいは、水を手に持ったのは冊子を探し始めたときだったかもしれない)

 水を持ったまま、入力の手を休め、二人のやりとりがいつ終わるのか、これはもしかしたら苦情を言った方がいいのではないかと考え始める。
 そうこうするうち、かなり話が長くなってきて、さすがにアテンダントも気づいたのだろう、「こちらのほうで」と言って、後ろのギャレーに女の子を連れて行った。ギャレーまでの距離、1mほど。

 冊子類はポケットから飛び出して散らかされたまま、ライトもついたままだ。テーブルの上には紙からはみ出してついてしまったボールペンの黒い線が2cmぐらいくっきりと見える。

 そのうち戻ってくるかと思っていたら、いつまで経っても来ないので、結局自分で整理し直し、ライトも消した。
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 その1時間後ぐらいか。同じアテンダントがスナックを配るときに、ちょっと放り投げるような感じで隣のテーブルに置いていく。その後コーヒーを頼むと、案の定というか、少しこぼしてしまった。ところが、よそ見をしているので、こぼれたこと自体に気づいていない。仕方がないので、さっき取っておいたナプキンを使って自分で綺麗にした。

 見ていると、悪気がないのはわかる。後でアスピリンをもらいに行ったときは感じよかったし。しかしながら、あまりにもアマチュア過ぎて、この仕事で給料をもらえる水準に達していないのである(あんまり人のことは言えないんだけれど、この際ご容赦ください)

 JAL であれ ANA であれ、こんなご時世になっても、こんなレベルのアテンダントはたぶん一人もいないと思う。神経症的なマニュアルに基づいた礼儀作法や言葉遣いにちょっとげんなりしたり、型どおりの慇懃さに無礼が混じっている気がしたりすることもないではないけれど、彼女らはやはりプロなのだ。

 アテンダントはその辺のおばちゃんであってはならない。いや、その辺のおばちゃんにだって、もっと気の利いた人はいっぱいいる。

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2011.08.26

★Over the Pacific vol. 2 ベジタリアンたちの不幸

 午後2時近くなってお腹が空いてきたころ、やっと水平飛行になって、まず飲み物が配られた。珍しくミルクを注文する。そんな人は滅多にいないようで、「ミルクってそっち側にはあるの?」という感じで向かいの相方に尋ねている。幸いあったようで、Reduced Fat Milk のパックを受け取る。
 そういえば、今朝のホテルの朝食には、Reduced Fat と No Fat の Milk しか置いていなかった。シリコンバレーのホテルでも同じだったように記憶している。自動的に低脂肪や無脂肪の牛乳が供給される国において、どうしてみんなあんなに太ることができるんだろうと、ちょっと不思議になった。

 牛乳を飲んでいると、後ろからすごくいい匂いがしてきた。一番後ろに座っているので、壁一枚隔てた後方はギャレーなのだ。チキンがまとったパン粉が香ばしく焼ける匂いに、トマトソースの香りも混じる。もう一つの選択肢が何なのかはわからないが、これはもうチキンにしようとそう思っていた。

 一番後ろなので、いったん前方まで行ってしまったカートはなかなか戻って来ない。まあ、最後になるのが普通だろう。そう思っていると、右斜め後ろから不意打ちを食らった。ギャレーから直接配ろうということらしい。

 Chiken or Vegetable Sukiyaki ?

 予想もしない言葉に、咄嗟に Sukiyaki ? と思いっきり上がり調子のイントネーションで尋ねる。

 野菜のすき焼き? 何だよそれ?

 ところが、次の瞬間にはもう、トレーが目の前にもたらされた。一瞬、断ろうかとも思ったが、短いとはいえ海外にいた身として、すき焼きという言葉にはけっこうインパクトがあり、あの味ならまあ食べてみてもいいかなと思ってそのままにする。
 もう出してくれているものを断るのも悪いし・・・という弱気の虫が頭をもたげたのも失敗だった。

 そう、大失敗だった。
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 日本は豊かになった。

 最近はもう、食べるものはそれなりにおいしいのが普通である。もちろん、それほどおいしくないものも頻繁に食べるが、特に文句をいいたくなるほどのものはほとんどない。
 ところが、この「野菜すき焼き」たるや、「おいしくない」などという表現をはるかに通り越して、はっきりと「まずい」のである。「とてもまずい」と「まずくて食べられない」の中間ぐらい。

 全体にぐだぐだで一部どろどろになった野菜の下には、きしめんのようなのびきったパスタが隠れている。右半分はインディカ米をふかしたような色つきのごはん。そして、ここが肝腎だと思うのだが、どこをどう好意的に解釈しても、金輪際まったく、すき焼きの味がしない。それどころか、醤油の味も砂糖の味もしない。塩味すらついていないような気がする。
 じゃあ、何の味がするんだと言われても、とても表現できない。素材だけの味というと聞こえはいいかもしれないが、よく言われるような意味あいではない。とにかく、いったいどうやったらこんなにまずいものを作れるのかというような味である。

 一口二口食べてみて、やっぱり交換してもらおうかなと真剣に考えた。行きの飛行機のあの空腹を思い出すと、ここでしっかり食べておかなければ、この先ひどいことになりかねないと思ったのだ。
 だが、もう箸(というかスプーン)をつけてしまったために、さっきよりさらにハードルは上がっている。おそらくは余分もあるし、これは食べられないと言えば交換してもらえただろうが、やはり遠慮が先に立ち、自らの軽率さを呪いながら食べることにした。

 Vegetable という通り、一切の肉類は入っていない。メインディッシュを包んだアルミフォイルの上に、わざわざ "Sukiyaki Vegetables with Jaded Rice" というシールが貼ってあったところを見ると、ベジタリアン用の機内食かもしれない。行きの飛行機で食べた食事にはシールなんかなかった。
 でも、いくらベジタリアンでも、もっとおいしいものを食べたいはずである。肉類を食べないことと、おいしいものを食べないこととの間には大きな隔たりがあるはずだ。
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 まさかそんなことはないと思うが・・・
 「ベジタリアン? なにをふざけたこと言ってるんだ? 1ポンドのステーキに食らいつく幸せがわからないような連中には、こんなものでも食わせておけ!」
 そう言いながら、ものすごく立派な体格をしたオッサンたちがガハハと豪快に笑って機内食を作っている風景がふと浮かんだ。

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2011.08.25

★Over the Pacific vol. 1 それぞれの生き方?

 最後のホテル。

 往復とも、空港から無料で送迎してくれるバンを使った。

 行きは、ちょっとキアヌ・リーブスを思わせるハードボイルドなアジア人で、面長の鋭い顔に無精髭、湾曲した真っ黒なサングラスでびしっと決めていてニコリともしない。そういえば、服装も白黒だった。かっこいいと言えばかっこいい。年齢は20代後半か。

 運転席の後ろの壁には、Thank you for your tips. という文字とスマイルマークが書かれた紙がセロテープで留めてあるのだが、これだけ無愛想だと、チップをあげようかという感じにはちょっとならない。
 先方ももらうつもりはないのか、ホテルの前でカバンをおろしてくれた時も、そんなものを渡すとか受け取るとかいう隙を与えないくらいクールだった。
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 帰りは、会うなり満面の笑みで Goooood Morrrrrniiiiiiiing. という感じの大柄な黒人。40代ぐらいか。やさしくて暖かみのある人柄を思わせ、この仕事を楽しんでいるように見える。はやり白黒っぽい服装だが、オシャレなベストを着こなしていて、金色の使い方がうまい。

 おしゃべりというのではないけれど、説明(もう一つホテルに寄ってから空港に向かうとか、国際線の出発は4つ目のストップだとか)も親切だし、まだここはピックアップするところなので、Don't leave me. だとか、ときおりジョークも混じる。
 止まるところが多くてごめんなさいとか Thank you for your patience. とかも欠かさない。最後の方では BGM にあわせて鼻歌まで歌い出した。

 同じバンなので同じ tips の貼り紙があるが、この人なら確かにチップをあげたくなる感じだった。

 残念ながら、1ドル札が1枚しかなかったので、それだけ渡す。昨日のクールガイと違って、チップを受け取るタイミングも上手に作る。
 渡すと、おきまりの挨拶(でも心がこもっているように感じる)の後に、握手を求められた。何だか、1ドルでは申し訳ないような気になる。
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 仕事というのがお金をもらうための行動だとすれば、後者の方が理にかなっているのは明らかだ。それに、本気か演技かはわからないが、どうせやるなら楽しくやった方がいいじゃないかとも思う。うわべだけでも楽しくやっているうちに、本当に楽しくなってくるかもしれない。

 でも一方で、「思ったより遠いなあ。一体どこへ連れて行かれるんだろう」(途中で何も言わずにバスを止めて降りたり、広い道でUターンしたりするのだ)という不安を抱えている客を乗せ、無言のまま隙のない動きをするクールガイが、どうしてああいうふうに振る舞っているのだろうかとちょっと気になる。もう少し愛想よくするだけで、収入が大きく変わってくることぐらいは彼にもわかっているはずだ。

 確かに、意地悪な見方をすれば、帰りの黒人は、多くのチップを集めることを目的に行動様式を洗練させていっただけだということも考えられる。まあ、それだって才能と努力のたまものだとは思うけれど。

 「おい、ヤン、お前は今日、いくらチップをもらったんだい? 俺は55ドルだったよ。お前ももっと稼げるように努力すればいいのに」
 「なあ、マイク、いつも言ってるだろ。俺はそんなことに興味はないんだ。いつまでもこの仕事をやるつもりもない」

 そんな会話が聞こえてきそうな二人だった。

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2011.08.24

★ニアミス?

 シアトルからサンフランシスコに帰ってきた。

 着陸するとき、何気なく外を見ていたら、かなり向こうをほぼ同じ高度で飛んでいる旅客機が見えた。

 飛行機の窓から他の機体が見えることはそれほど多くないので、興味深く眺めていると、ほとんど真横を同じように高度を下げてきて、どんどん近づいてくるように見える。

 速度もほぼ同じだ。

 動きからすると、向こうも同じ空港に着陸するとしか思えない。でも、何だか斜めに近づいてくるような見え方なので、まさか同じ着地点を目指してるんじゃないだろうなと、ほんの少しだけ心配になる。

 まあ、同じ滑走路に降りるなら、斜めに入ってくるはずはない。しかし、同時に降りるなら、当然並行滑走路だろうから、どうして斜めに近づいてくるように見えるんだろうと、ちょっと不思議だった。

 客席からは真横に見えるが、操縦士たちは気づいているんだろうかと、ちょっとだけ気をもむ。もちろん、管制を通じて互いの位置は把握してるだろう。こんなことなら、管制をモニターしておくんだった。客席に座ったまま、機内オーディオで聞けると案内があったのだ。

 そうこうするうち、お互いにどんどん高度を下げて、もはやぶつからんばかりに見えるようになる。

 そして、みごと!、ほぼ同時にタッチダウン。飛行機の中からすぐ横に降りる飛行機を見たのは初めてである。面白かった。

 それにしても、間違いなく2秒と違わずに着陸した。ほんとうに同時と言えるぐらいだったかもしれない。

 今調べると、こっちが降りたのが 28L、向こうが降りたのが 28R のようである。大阪の伊丹空港にだって並行滑走路はあるが、日本ではけっしてこんなオペレーションはやるまい。いくら別々の滑走路でも、ちゃんと時間をおいて着陸させるはずだ。滑走路間の距離の問題も大きいだろうけれど。

 なかなかいいものを見せてもらって、ちょっと嬉しかった。

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★地震のニュースにだれも見向きもしていないシアトル空港

 シアトルの空港にいる。これからサンフランシスコに戻り、一泊してから帰国する。

 今度は飛行機が1時間ぐらい遅れそうだ。前回の轍を踏むまいと3時間近く前に空港に着いたのに・・・

 相変わらず、チェックインとセキュリティで1時間以上かかった。飛行機が日常の交通機関になっている国で、この非効率はどうなのかと思うが、まあ、たまのことだし、我慢するしかない。

 チェックインも機械を使って自分でやる。これが実に面倒な代物で、JALみたいにタッチして終わりとか、そんなシステムでは全然ない。

 けっこうな長さの英文でいろんなことを次々と聞いてきて選択させられ、ひとりひとりに相当時間がかかっている。人件費は確かに安くなるかもしれないけれど、行列を短くする役には立っていない。英語ネイティブと思しき人たちも、老眼鏡をずりあげたりしながら画面の文字を必死で読んでいて、なかなか次の画面に進んでいない。

 最後の方には、「あなたが乗ろうとしている飛行機にどうしても乗りたいけれど、チケットを持っていない人が出てきたりした場合、あなたは自分の席を諦めてその方に譲ってあげることに興味がありますか。譲っていただけた場合にはそれなりの報酬を差し上げます」みたいなけっこうまどろっこしい英語が出てきて、Yes か No を押さされるのだが、これを間違えると大変だと思うので、ノンネイティブとしてはもう一度読み直さざるを得ない。

 チェックインを助けてくれそうな係員は、機械10台ぐらいに対して一人だけのようで、常にだれかにかかりきりになっている。呼ばれてもその場を動かない。
 こんなシステムで、もし英語ができなかったらどうするんだろう? というか、そういう人はいっぱいいると思うんだけれど。

 そうそう、ターミナルからウィングに向かうシャトルの案内は、アナウンスも表示も英語と日本語だけであった。そんなに多くの日本人がここに来るのだろうか。
 仮にそうだとしても、あんなシャトルぐらいまあだれにでも乗れる。「扉から離れてください」とか「おつかまりください」とか日本語で言われる必要は別にない。
 それより、チェックインシステムを何とかしろよと思うんだけれど。
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 ゲートのテレビでは、Breaking News とかいって、東海岸で大きな地震が起こったことを報じている。「この地震の後は、どんなビジネスも以前のままではありえない」とか言っていて、それなりの地震だとは思うのだが、Nobody gives a shit. である。だれもまったくテレビ画面を見ていない。

 もしかして、大した地震ではないのだろうか。

 ともあれ、ここは西海岸。何ごともなければ1時間後には空の上にいるはずだ。

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2011.08.23

★Sleepless in Seattle

 今回、シアトルに来るにあたって、このエントリの表題を使いたいと思っていた。だが、まさか実際にこんな使い方になるとは・・・

 カバンは翌朝になっても、仕事を終えて夕方ホテルに帰っても届いていなかった。

 遅れること自体は別にいいのだが、何度電話しても「もうとうに配達に出た」のような対応なので、永久に届かないんじゃないかという不安がどんどん膨らんでしまう。

 かなりの悪夢だった。

 何をする気力も沸かず、しばらくベッドに横になったが寝られない。Sleepless in Seattle である。
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 そもそも、カバンは機内に持ち込むはずだったのだ。関西空港からサンフランシスコだって持ち込んだし、アメリカの国内線の制限も超えていない。それを確認して買ったカバンである。

 ところが、サンフランシスコで同僚が荷物を預けるために並んだのが長蛇の列で、それが終わってからも、今度はセキュリティで待たされた。
 そのせいで飛行機に乗るのがぎりぎりになり、荷物棚に余裕がないからと言って、飛行機のドアの前で預けさせられたのだ。
 出発の1時間半前には空港に着いていたのに、国内線であんなことになるとは、こちらで育った Mr. Taylor も想像していなかったと思う。
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 ともかく、寝られないので街へ出た。夕食も食べないわけにはいかない。アポイントメントまでの待ち時間に書いた絵はがきに宛先を入れ、夕べちらっと見かけたスーパーマーケットと郵便局を目指す。後者はもう閉まっているかもしれないが、ポストぐらいはあるだろう。

 このあたりだと思ったところになかったので、通りがかりの東洋人に場所を尋ねたが知らないという。お互い英語で会話したけれど、どうも日本人だったようだ。

 そのすぐ近くに、車椅子に乗って U.S. Army と書いた迷彩服を着、両手首から先がない手でハンバーガーをほおばっているおじさんがいた。日に焼けた中南米系の顔立ちに見える。膝には小銭がほんの少し入ったカップを挟んでいた。
 その人に尋ねると、わざわざ車椅子を動かして教えてくれたのだが、どうも、しゃべるのもかなり不自由なようだった。

 お礼を言って一ドル札をカップに入れ、海に向かって1ブロックだけ坂を下る。そこを右に曲がれば昨日見たスーパーだ。

 カバンがないことによる不自由と、カバンを失ったかもしれない不幸。それを悪夢だと思っているときに、文字通り悪夢が日常になっている車椅子のおじさんのことを思うと、何だかこみ上げてくるものがあった。
 人のことを勝手に不自由だとか不幸だとか決めつけるのはよくないけれど、それでも。

 スーパーで夕食(Tempura Roll)と朝食(ポテトチップ)、そしてジュースと歯ブラシを買う。少し探したがカミソリはなさそうだった。まあいいや。

 ホテルに帰っても、やはり荷物は届いていない。
 いくら小さなものであっても、不自由は不自由、不幸は不幸、悪夢は悪夢として歴然と存在することにまたげんなりする。

 今夜も寝られないかなあ・・・
 そう思いながら部屋に戻って天ぷらロールに取りかかろうとし、醤油を2つか3つに垂らしたとき、電話のベルが鳴った。

 喜んではいけない。これで鳴るのは3度目だ。2回とも裏切られたじゃないか・・・

 Your baggage is here !

 昨日から顔を合わせるたびに Not yet. と言っていたフロントの女性だが、向こうの声すら弾んでいる。思わず、最大級のイントネーションで Thank you, thank you so much. と返す。彼女に感謝する理由はほとんどないんだけれど。

 「夕方6時から、どんなに遅くとも9時まで」で始まって、真夜中までには、朝までには、夕方までには・・・と続いた悪夢がやっと終わる。

 なんだか汚れているものの、大きなダメージもないようだ。鍵がなくなっていると思って驚いたが、持ち込むつもりだったからつけていなかったのかもしれない。後で探してみよう。

 まずはデジカメの電池とパソコンの充電から始めた。今度は手元の荷物に入れておかなければ。
 歯ブラシとシェーバーも・・・

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2011.08.22

★9 o'clock at the latest...

 どんなに遅くても夜9時までにはホテルにカバンを届けると言われたのに、案の定というか、9時半近くになっても届かない。

 From 6 to 9, 9 o'clock at the latest. っていうから、まあどうせ9時になるんだろうとは思っていたのだが、テキはやはり、その上を行ったのである。

 必需品は持っているとはいえ、風呂に入っても着替えがないし、パソコンやデジカメの充電はできないし、室内でスリッパに履き替えられないし、けっこう不便だ。

 まあ、届かないということはさすがにないだろう。あとは壊れていないのを祈るのみだ。

 後記:4時15分の飛行機で着くと言っていたのに、11時を過ぎてもホテルに来ない。電話しても、もう配達に出たというばかりだ。蕎麦屋の出前か?

 歯ブラシがなくて歯も磨けない。こんなことなら買っておけばよかった・・・

 さらに後記:結局、真夜中を過ぎても来なかった。明日があるので寝ることにする。まったく。

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★初めてのロストバゲッジ

 シアトルのホテルに着いた。

 新しいライトレイルトランジットができていて、ダウンタウンまで $2.75。

 前回、いろいろ問題はあるがまあいいやと書いたアメリカの航空会社が、今度はよくない問題を起こした。

 何だか嫌な予感はしていたのだが、そういうのが当たったのはもしかすると初めてかもしれない。

 搭乗間際に飛行機のドアのところで預けさせられることになったカバンが、いつまで経ってもレーンから出てこず、とうとうレーンが止まってしまったのだ。
 初めて経験するロストバゲッジである。

 こんな構造の空港も初めてだと思うのだが(あ、石垣島空港がそうだったかも)、荷物が出てくるベルトコンベアのところに、だれでも外部から立ち入り自由なのだ。
 荷物のタグとクレイムタグの照合なんかもちろんしていない。これだと取り違え放題、さらには盗み放題ではないか。

 取り違えられていたり盗まれたりしていたらどうしようと不安になる。同じような人が数人も!いて、カウンターに列をなす。ひとりひとりに時間がかかっていてかなり待たされた。

 やっと順番が来て聞くと、幸い、私の荷物は次の便でシアトルに運ばれてくることになっているという。

 全員搭乗後、プッシュバックまで15分もずっと止まっていたくせに、一体何をしていたんだよ。
 これは間違いなく確信犯だなと思ったが、ここで文句を言っても仕方がない。荷物はホテルまで運んでくれるよう頼んで、空港を後にする。

 たぶん、小一時間無駄にしたが、それで済めばまあよい。

 後は荷物が無事に届くことを祈るのみである。

 疲れた。少し遅めの昼寝をしよう。

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2011.08.21

★ほかほかの幸せ

 まだ旅は5日目だが、かなり洗濯物がたまったのでホテルのコインランドリーで洗ってきた。

 これまでの経験ではなかなか乾かないことも多かったのだが、一度のタンブラー乾燥でほかほかに乾いてちょっと嬉しい。

 いつも家でしているのと同じように、しこしこと洗濯物を畳んでいると、なんだかさっきまでのパーティとのギャップに戸惑ってしまう。

 だが、洗濯にシリコンバレーもへったくれもない。

 いつも自宅でやっていることを異国の空の下でしていると、なぜだかほんわかと幸せな気分になってくる。

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★American Home Party or Silicon Valley People

 今回仕事で一緒に来た女性のご主人(仮に Mr. Taylor とでもしておこう)の実家で、夫妻の子どもの誕生パーティがあるというのでお邪魔してきた。

 その一家と我々だけかと思っていたら、友人3家族とご主人のお姉さんもいらして、総勢は20人ぐらいになった。

 アメリカ人のお宅に招かれるのは初めてだが、ホストもゲストもホスピタリティの精神にあふれ、楽しい時を過ごすことができた。

 お宅はいわば森の中。種々の樹木に囲まれた山小屋風で、青いカケス(今調べると Blue Jay ではないようだ。後記:Steller's Jay(ステラーカケス)という鳥だった)を始め、小鳥たちも集まってくる。広いウッドテラスにはベッドが置かれ、夜はそこで寝たりもしているという。

 家の中には暖炉があり、寒かったので早速火を入れてもらう。一昨年のカナダ旅行を思い出した。
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 Mr. & Ms. Taylor に加え、友人のうち2カップルとも親しく話をする機会が得られた。両方とも、ご主人の方はシリコンバレーの "IT guy" であるらしい。
 奥さんはそれぞれ、アルゼンチン人とブルネイ人。ご主人も一人はドイツ人である。尋ねはしなかったが、みんなもうグリーンカードなり市民権なりを取っているかもしれない。元同僚である Ms. Taylor も、日本人だがすでにグリーンカードを持っている。

 何とも国際的で知的な感じのする集まりだった。それでいてとてもカジュアルである。

 会ってすぐ、IT guys がマニアックなオーディオの話を始め、とてもついていけない。ドイツ人の奥さんのブルネイ人も元エンジニア。自然志向で教育熱心。今は日本の精進料理に興味を持っているという。

 緑の中でハンバーグを焼き、ポテトをフライする。食後には、メキシコ由来の伝統だという、キャンディの入ったドクロ割り。この時代でも子どもは子ども。ばらまかれたキャンディに大はしゃぎだ。

 何にせよ、得難い経験だったし、彼我の生活の落差に複雑な気持ちになる。

 そうそう、ホテルから往復送っていただいた Audi に搭載の Bang & Olufsen の音には感動した。音楽にも音そのものにも自信はないが、これまでに聴いたサウンドの中で一番だと断言できる。

 これを Not so good だと言っていたので、これでも?と聞くと、家のオーディオはこの比じゃないのだそうである。

 ふう。

 何でもいいから、私も少しは「いいもの」を身近に置きたいと思った。そして、生活に余裕と潤いとが欲しくなった。

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2011.08.20

★寒い朝

 カリフォルニアのシリコンバレーと呼ばれる地域にいる。

 朝7時過ぎに部屋を出ると、明白に「寒い」という感じ。昨日と違って雲もあった。気温は14℃。

 ホテルの中庭には黒っぽい小鳥が来ているが、例によって何という鳥かはわからない。昨日、ダウンタウンの住宅地の、リスがいた小径で見た鳥と同じだろうか・・・

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2011.08.18

★スモークフリー?

 今回の旅行でどこかのホテルを予約するとき、できれば禁煙部屋をお願いしますみたいなことを書いた。

 が、後で気づいたのだが、ここはアメリカ、しかもカリフォルニア。タバコが吸えるホテルなんかあるわけがないのである(たぶん)。

 やったー! 暑さからも煙からも逃れられる・・・

 と思っていたら甘かった。

 建物内での喫煙を許されない人たちがみんな路上に繰り出してきて煙を撒き散らしている。

 日本の繁華街などを歩くより、明らかに煙害が激しい。

 こうなると、おそらく観光客からも苦情が出て、観光都市サンフランシスコとしてはそのうち「路上喫煙禁止条例」みたいなものを作らざるを得なくなるだろう。

 それはまあ歓迎なのだが、じゃあタバコを吸いたい人はどこで吸えばいいんだろう? 禁止場所を限るか・・・

 大麻の合法化が議論されているようだが、タバコの違法化とどちらが先かという気もしてくる。

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★坂の街

 サンフランシスコはとても特殊な街だ。もちろん、その地理的条件において。

 今回、20年ぶりに訪れて、改めてその坂道に驚いた。映画やテレビでも何度も目にしているのに、自分をその場に置いてみると、やはり訴えかけてくる力が違う。
 Powell Street からタクシーに乗り、目の前に圧倒的な壁のような坂が立ち上がった瞬間、思わず、うわおと小さくつぶやいてしまった。もちろん運転手にとっては見慣れた日常の風景であり、後席の客がなぜそのタイミングで驚いたのかはわからず、きょとんとしているみたいだった。

 日本にも、坂の街を名乗る都市は存在する。たとえば、長崎・尾道・小諸など。しかしながら、そのスケールと傾斜を総合して考えるならば、サンフランシスコほどの街は日本に一つもないのではないか。いや、おそらくは世界にも。

 海に突き出た山を街にしようなどとはだれも普通は考えない。山が始まったところで街が終わるのが常である。だが、その山全体が街になってしまっているのがサンフランシスコなのだ。しかも、山を上り下りするというのに、道は基本的にあくまで直線。その坂を下りるのは、スキー場のゲレンデで直滑降をしているようなものだし、登るのは・・・そう、文字通りケーブルカーで登山しているようなものなのである。

 よくもまあ、こんなところにこんな街を・・・

 昨日はホテルからNob Hillまで歩いたが、頂上まで「深い茂みを切り拓」いて最初に道をつけ、家を建ててしまったというDr. Arthur Hayneという人には驚嘆せざるを得ない。たった150年ほど前のことらしい。フォロワーたちですら、大したものだと思う。
 (しかし、その当時、ここはだれの土地だったんだろう?)

 今はもうほとんど建物に埋め尽くされてしまった街。20年前に来たときは想像しなかったが、ここが「深い茂み」に覆われたただの山だったころのことを思い描こうとしても、なかなかうまくいかない。

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2011.08.17

★20年ぶりの航空会社

 今回利用したアメリカの航空会社の飛行機に乗るのも、たぶん20年ぶりだ。

 当時は何も悪い印象はなかったが、今回は少し違う。

 まず、予約した座席を勝手に変えられていた。
 毛布からは紛れもなくカビの臭いがし、ヘッドフォンは壊れており、フライトアテンダントは呼んでも来ず、ミネラルウォーター?からは冷蔵庫の臭いがした。映画は今どきオンデマンドではなく、見始めたときは終盤だった。

 だが、特に問題もなかった。
 あ、アルコール類がすべて有料だったが、それは素晴らしい。注文している人も周囲にはまったく見かけなかった。これが無料だと、たった一時間ちょっとのフライトでも大量に飲んで騒ぐ輩がすぐ近くにいたりするのだ(実際にいたことがある)。

 ただ、この航空会社がそうなのか時代の趨勢なのか、機内サービスが非常に簡素なのがちょっと気になった。10時間のフライトで、少ない夕食とホットサンド一つの朝食以外には、水を2度もらっただけである(2度目は目の前でペットボトルから注がれ、臭いはしなかった)
 JALだかでヨーロッパに行ったりしたときは、途中でカップうどんやらアイスクリームやらいろいろ食べた気がする。
 いずれにせよ、機内でお腹が空いたなあと感じたのはおそらく初めてだと思う。
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 一人だけ、かろうじて職業的笑顔をたたえた女性はいたが、アテンダントたちも必要最小限のことをさっさと事務的にこなしているだけだ。
 まあ、別にそれはそれでもいいのだが、その意味では20年前より明らかに劣化している。

 それにしても、日本の航空会社のアテンダントたちは、どうしてあんなにプロフェッショナルで、かつ感じよく振る舞えるんだろう?
 おそらく、ベースのところは高いステータスと高収入が支えているのだと思う。それに加えて教育・訓練だろうか。そう考えると、待遇の悪くなった正規の人たちや安月給の非正規の人たち、あるいはローコストキャリアのアテンダントたちは、あの質を維持できるのかと思ってしまう。

 まあ、無理に維持する必要もないんだけれど。

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2011.08.15

★20年ぶりのサンフランシスコ

 明日から仕事でサンフランシスコやシアトルなどに行く。前者は20年ぶり、後者は初めてだ。
 その他、仕事でなければけっして行かないようなサンフランシスコ近郊の街などにも。

 ひょんなことから20歳の春休みに初めて飛行機に乗って海外旅行に行き、次に行けたのは8年後だった。その、2回目の海外の最初がサンフランシスコ。
 空港から街に入るまでの間、殺風景で無機質な空間が茫漠と広がっているのに驚いた。最初に行ったヒースローからロンドンまでのお伽話のような景色とはまったく違っていたのを鮮明に覚えている。

 まあしかし、あの時のアメリカ旅行で一番ダメだったのが入国からホテルまでの景色だ。サンフランシスコは言うに及ばず、極寒のナイアガラから灼熱のエルパソまで、後はまあ楽しい旅行が続いた。
 帰国時に飛行機が飛ばず、航空会社持ちで近くのホテルに泊まらされたことすらよい思い出である。そのホテルが一番豪華だったほどの貧乏旅行だった。
 外国で初めて車を運転したのもあの旅行だ。グランドキャニオンにドライブして行けるなんて・・・

 思えば、2度目の新婚旅行のような長い旅だった。
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 こんなことを書く予定ではなかった。というか、いつものように何の予定もなかったのだが・・・

 ともあれ、今回は仕事である。今日ほとんど丸一日準備に費やしたが、荷造りすらまだ微妙に終わっていない。

 肝腎の仕事の準備はこれからという有様である。

 それでもまあ、しばし日常から離れられることに変わりはない。この暑さからも逃れられる。

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2011.08.12

★堕ちた「英雄」

 朝日新聞に「ひと」という欄がある。

 何らかの意味で「偉大な人物」を取り上げて紹介するコラムだ。

 半ば以上冗談だが、私もいつかこの欄に紹介されるような人物になりたいと思っている ^^;
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 その「ひと」欄に、「被災地で「ボランティアの専属医」を務める」医師として紹介された「米田きよし」という人物がいる。
 口癖は「ボランティアの基本は自己責任」。そういいながら、石巻のテント村に3月半ばから住み着き、「ボランティアのボランティアや」と、250人あまりを診察してきたという。

 本業はカナダの大学病院に所属する小児救命救急医。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の派遣医としてアフリカのルワンダで働いたこともある。

 休暇で帰国中に東日本大震災に遭い、NGO 「カナダ医療支援チーム(CMAT)」の代表として、ボランティアで治療を続けてきた。「少なくとも年内は石巻に腰を据えるつもりだ」という。

 なんと「偉大な人物」であろうか。ほとんど「英雄」である。

 だが、2日後の朝刊には、資格や経歴のほとんど(すべて?)がウソであること、そもそも日本の医師免許を持っていないことが報じられた。
 個人的な憶測だが、もちろんカナダ(本人の主張ではアメリカ)の医師免許も持っていないだろう。

 「ひと」欄に紹介されたことで医師ではないことがばれてしまったのは皮肉である。

 コラムの「全文を削除します」とのことだが、もちろん既に数百万部が配られた後だ。「取り消します」ならともかく、「削除」なんかできるんだろうか。
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 持っていた「医師国家資格認定証」は、おそらくは大阪市の住民基本台帳カードをベースに偽造したもの。厚生労働省発行の書類のはずなのに、なぜか大阪市の市章「澪つくし」が入っている。
 そもそも、日本に「医師国家資格認定証」など存在しない。

 本人によると、米田きよしという名前自体も偽名だそうだ。

 突っ込みどころの多い誤報であるのはもちろん、あの「ひと」欄に、ここまでニセモノの人物が紹介されたのは、文字通り「世紀の誤報」ではないだろうか。

 ほろ苦いというかもの悲しいというか、この人がやっていたことはとても立派なことである。
 だが、そもそもどこの国の医師免許も持っていないとすれば、もちろん、かなり悪質だとも言える。

 それでも、行為自体は、あの「ひと」欄に取り上げられるほどの偉大さだったのだ。その内容から言えば、「英雄」だと言っても過言ではない。

 問題の本質は医師免許の有無や経歴詐称にあるのではなく、「患者」に危険や害を及ぼす可能性があったかどうかだとは思うが、通常、免許がない者はその可能性が高いと思われても仕方がない。
 そして、可能性があろうがなかろうが医師法には違反する。
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 この人はいったい、何がしたかったんだろう?

 「米田きよし」氏が代表を務めるNGOは、100万円の助成金を日本財団から受けているということだが、まさかお金が目的だったわけではあるまい。
 医師ではないボランティアとしてがんばっていたなら、間違いなく「ほんとうに立派な人物」であったろうに。

 「ひと」欄には載らなかったかもしれないけれど・・・

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2011.08.08

★やっぱり・・・

 今、22時59分、外は蟬時雨だ。2〜3日前までは、いや、たぶん昨日でも夜は静かだったのに。

 やはり、気温が高いうちはセミが鳴き、低くなると静かになる。

 だれかちゃんと研究してるんだろうか。

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2011.08.06

★グーグルの凄さ

 ものは試しと、番地のプレートやら表札やらをぼかしてくれとグーグルに依頼してみた。

 画像の下に "Report a Problem" というリンクがあるので、簡単にできたのである(ただし、英語でやりとりすることが前提になっているのは問題だ(と思っていたら、今(17:45)はもう日本語で「問題を報告)になっていて、その後も日本語で大丈夫そうだ。狐につままれたみたいである))

 すると、直後に依頼を受け付けた旨のメールがあり、1時間も経たないうちにもう対処を完了したという返事が来た。対処の結果は24時間以内に反映されるという。

 まさかこんなに早く対応してくれるとは想像していなかっただけに、その凄さに驚いた。

 依頼受け付けメールは自動的に返ってくるだけだろう。
 だが、クレイムを理解して画像を処理するまでがどうしてこんなに短いのか。こうしている間にも、世界中からあらゆる要求が集中してきているはずなのである。

 おそらくは、対処自体もプログラムが自動的にやっているのではないか。いや、それ以外に考えられない。
 その昔プログラミングを少しかじったことのある身として、それがそれほど容易ではないことはわかる。だが、同時にまた、グーグルならそれぐらいのことをやってしまうだろうということも想像できる。しかも、かなりの手際で。

 これほどスマートにやられると、文句をいう気力も失せる。それが、種々問題を抱えながらもこのサービス?が続いている理由の一つなのだろう。

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★職場の中まで・・・

 職場の敷地内まで撮影されていることに気づいた。こちらは、去年の春に撮られたらしい。桜が綺麗だ(後記:ストリートビューに撮影日時が表示されるようになった。2010年4月とある。2012.1.13記)

 これって、不法侵入になるのではないだろうか。職場内の道は公道ではない。

 それとも、来訪者の便宜や宣伝のため?などを考慮して、上層部が許可したのだろうか・・・

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★とうとうストリートビューに・・・

 自宅周辺がとうとうストリートビューの餌食になってしまった。

 細かく入り組んだ郊外の宅地なので、長い間ストリートビューで見ることはできず、このままずっとそうなのかなあと思っていたのだが、グーグル様のイーグル・アイから逃れることはやはりできなかったようだ。

 諸々から判断すると、2010年の秋に撮影された映像のようである(後記:お彼岸のころだったようだ。彼岸花や木槿を見つけた)(さらに後記:ストリートビューに撮影日時が表示されるようになった。2010年10月とある。2012.1.13記)
 近年の画質の向上もあり、周辺の様子を写真でも見るように鮮明に知ることができる。近所の表札までばっちり写っている。

 一軒だけ、表札がぼかされている家を見つけたのだが、すでにグーグルに申し入れたのだろうか。

 こうなることは、いや、すでに世界の多くの部分がこうなっていることはわかっていたが、やはり実際に自宅や近所が世界中のだれからも見られてしまうという状況になると、その感覚にはちょっとした戦慄を覚える。

 救いは・・・

 私の自宅に興味を持つ人などほとんどいないだろうということなのだが、それがまた情けない。

 (あ、少なくとも一人いた・・・)
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 (後記)

 撮影には旧型のプリウスを使っていることがわかった。家人の実家横のカーブミラーに写っていたのだ。
 ちょっとした発見をしたかも・・・と思ってググってみると、当然のことながら、ネット社会ではそんなことは常識なのであった・・・

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2011.08.03

★森山大道のモナリザ

 森山大道の写真展を見てきた。

 入場料を払ってだれかの写真展に行くなんて、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 そして、案の定というか、残念なことに、ただの一枚も心に響く写真が見いだせなかった。
 その逆に、「何じゃこれ?」という作品には事欠かない。そもそも何を撮しているのか皆目見当もつかないもの、被写体がボケてブレた、粒子の粗い白黒写真・・・

 その中で、ほとんど唯一「これは」と思ったのは、例の野良犬の写真だ。

 私のように、写真にも芸術一般にも縁のない男でも、知っている可能性があるただ一つの写真。

 なるほど。これは「モナリザ」なのだなと思った。

 レオナルド・ダ・ビンチが描いた他の絵をご存じだろうか。もしかすると賢明な読者は即座に複数の絵画の名前を挙げることができるかもしれない。
 だが、多くの日本人にとって、ダビンチが描いたのはモナリザだけであり、私自身、今ほかに思い浮かぶのは、「最後の晩餐」ぐらいだ。

 ルーブル美術館では、すべての絵画の中でモナリザだけが完全に別格の扱いをされ、たとえば私が最初に訪れたときは、一枚だけ特別な小部屋?の奥に飾られ、ガラスとロープを隔てた場所から他人の背中越しにのぞき見るしかなかった。
 そして、押し寄せる人並みを捌くために定期的に照明がつけたり消したりされていた。真っ暗で何も見えなくなると人々はそこを離れ、また別の集団が前に陣取る。すると、また照明がつけられるのだ。

 暗くなったときに、ある男性の発した言葉が今も忘れられない。
 「とにかくこれで本物は見たな。次行こ」

 ともかく・・・

 森山大道を紹介するビデオ映像を見ていると、この「野良犬」が登場したが、それが裏焼きに見えるのが気になった。左を向いているはずの犬が右を向いているのだ。
 別の写真なのかなとも思ったが、その後、裏焼きの?写真がボディにプリントされたカメラなんかが展示されているのを見て疑念を持った。光の当たり方を見ていると、同じ写真の裏焼きとしか思えないのである。

 もしかしたら、よく知られたことなのかもしれない。あるいは、ただ私が何か勘違いしているだけなのかも。

 だが、モナリザのモデルが実はダビンチ自身だとか、弟子の男性だとか言われているのと似ているような気もする。素人ですら気になる作品には、伝説がつきまとうのだ。

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2011.08.01

★8月・・・

 今日から8月・・・

 えっ、まさか !?

 ほんと、相変わらずの日々なんですけど。

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★宵っぱり

 さっき、自転車に乗って近くのポストまで DVD を返却しにいった。夜中にそんなことをするなんて滅多にないし、日付が変わってからというのはたぶん初めてだと思う。

 夜陰に乗じてというか、パジャマ姿で出たので、職務質問された時の想定問答などを考えていた ^^;

 ちょっと驚いたのは、まだ煌々と電気のついている家が多かったこと。もしかしたら1/3を超えているぐらいじゃないだろうか。もう1時半なのに。

 人のことは言えない。そろそろ寝よう・・・

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★ナンキンハゼ備忘録

 先週だったか、恒例のナンキンハゼ剪定を行った。前回葉がないときにさんざん枝を切ったのに、新芽というにはあまりに大きくて勢いのいい枝が雨後の竹の子のように伸びて、また隣家の屋根の上にまで進出している。

 あるかなきかのうちの庭には前回切った枝がそのまま放置してあるのに、そこにさらにまた、葉のついた若い枝がどんどん重なっていく。

 結局、最後まできちんと剪定するのも、切った枝をぜんぶ片付けるのも諦めてしまった。それでも、ある程度枝を片付け、雑草を抜いたりすると、庭もちょっとは見られるようになった。
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 もう一つ・・・

 昨日だったか一昨日だったか、一番東側の枝先がもう紅葉しているのを発見した。以前の発見よりもさらに一か月ぐらい早い。

 梅雨入りと明けが異様に早かったこと、今のところ、ここ数年の酷暑にはなっていないことなどが影響しているのだろうか。それとも単に、これまでこの時期に気づかなかっただけなのだろうか。

 (後記:単に、新芽が出るとき葉が緑になる前に赤いのかもしれないという可能性に遅まきながら気づいた。いくら何でも7月の終わりに紅葉なんてしないだろう。じゃあどうして新芽が旺盛に出るときに気づかないのか、現在でもごく一部だけが赤くなっているのはなぜなのかという疑問は残るが・・・)

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