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2012.02.26

◆まさか波平?

 録っている(というより録れている)テレビドラマを流していると、「バカボンのパパの年齢はいくつだか知っているか」という話が出てきた。

 聞いたことはあるような気がするが、知らない。答えは41歳なんだそうである。自分より年下だ。

 え? と思って考えてみると、朝日新聞の朝刊に連載されている「ののちゃん」のお父さんすら、おそらくは自分より年下ではないのかと思った。あのとんでもなくオッサンくさい親爺が年下だとか、いくら何でも勘弁してほしいと思う。
 「となりのやまだ君」として始まったころは、間違いなく年上だった。いつの間に追い抜いたんだろう?

 そんなことをつらつら考えているうちに、「まさか波平まで年下ということはないだろうな」と考えて、ちょっと愕然とした。いわずとしれた、『サザエさん』のお父さん、磯野波平である。

 年下ではなくても、同い年ぐらいという設定ならありうる。

 調べてみると、波平は54歳。まだだいぶ差があると思ってちょっとほっとした。

 しかしまあ、いくら時代が違うとはいえ、54歳でああ老けることはありえないと思う(頭が禿げることはあるにしても)。

 少なくとも気持ちの上では今後もあまり年を取らないのではないだろうか。

 知りたいのは、昔の「老けた」人たちも、そう思っていたのかどうかである。

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2012.02.25

◆ばかばかしい字幕と吹き替え

 いつごろからだろう、ニュース番組などで、日本のキャスターなどが英語話者に取材したりするとき、通訳が入ることがほとんどなくなった。
 特に、キャスターが英米などの「大物」と話すときは顕著だ。

 それはまあよい。

 ばかばかしいのは、日本人が英語を話すときには字幕をつけ、英語話者が話すときは吹き替えにしていることだ。知る限り、どの局でもほとんどそうなっている。すべてといってもいいくらいだ。

 お蔭で、本来日本語でならどういうニュアンスで聞きたいのかもわからないし、情報を与える側である肝腎の英語話者の英語は聞こえない。

 画面を見ていると、日本のキャスターが英語を話し、英語話者は日本語を話している。なんなのだ、あれは。

 おそらく間違いないと思うのだが「英語ができるキャスター」をアピールしたいがためにあんな妙なことになっているのだ。

 キャスター自身は周りに言われて仕方なくあの放送方式を許しているのだと思いたい。

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2012.02.20

◆関西電力、全原発停止

 今日、関西電力のすべての原子力発電が停止する。

 全国でも、54基あるうち、稼働しているのは2基だけという状況になるという。

 関電は、供給電力に占める原発の割合が5割だと言われてきた。
 それがぜんぶ止まっても、この寒波の中で電力不足に陥らないというのには驚く(「関電の予測では、20~24日の週も原発ゼロになるとはいえ、おおむね需給は安定の見込み」asahi.com)。
 2011年8月の真夏のピーク時の需要実績を見ても、今日からの原発なしの供給力でなんとか足りている。

 もちろん、現在の関係者の努力もあるのだろうが、むしろ、これまで原発につぎ込んでいた開発費を他へ回していれば、もともと原発ゼロでもまったく何の問題も起こらなかったんだろうなあというのは想像がつく。
 それも、やたらに二酸化炭素を出す方式じゃなくて、そっち方面もかなりのところまで克服した技術ができていたのではないだろうか。

 まあ、そんなことをいっても仮定の話に過ぎないし、繰り言にしかならない。
 それでも、10万年後!まで安全に保管?しなければならないというような廃棄物を「そのうち科学の力で何とか無害化できる」というようなタワゴトよりは、いくらかマシではないかと思う。
 ____

 中長期的には原発はなくすべきだと思うが、短期的にどうすべきなのかはわからない。

 無責任に願わくは、安全で安定的に電力が供給できればいいなあと思うだけだ。情けないことに。

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2012.02.14

◆バレンタインデー

 バレンタインデーのエントリがこんなの↓になってしまった・・・

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◆職務命令やら業務命令やら または 「大阪民主主義人民共和国」

 みなさんは職務命令やら業務命令やらを受けたことがあるでしょうか。

 「ちょっと悪いけど、これ、明日までにやっておいてくれない?」

とかいうんではなくて、ドラマでしか見たことがないような

 「これは業務命令だ」

というやつのことです。

 アルバイトから数えればかれこれ30年ほど働いていますが、私にはただの一度もありません。
 自衛隊とか海上保安庁とか警察とか消防とかの職員を別にすれば、おそらくはみなさんも同じようなものではないでしょうか(違うのかな?)。

 命令なんか受けなくても、やるべきことは(少なくとも)それなりにきちんとやるし、幸いというか、その範囲を超えて強権で命令するような上司は一人もいませんでした。
 もちろん、かなりどうかなと思う人物も中にはいました(います^^;)が、それでも、です。

 そんな私がもし大阪府や大阪市の教職員であったら、今年に入ってからだけでも、やれ君が代の時は起立斉唱せよとか、やれ知人の組合活動や政治活動を密告せよとかの職務命令を受けたことになります。

 全員に向かって一斉に職務命令を出したりするから、職員であるだけでそんな命令の対象になってしまうのです。

 日ごろから職場(というより上部団体)への不満は少なくありませんが、こんな異様かつ嫌らしい命令を出すようなところではなくて、ほんとうに良かったと思います。

 私はたぶん、一生、職務命令を受けることはないでしょう。それは、私が思う以上に幸せなことなのかもしれません。

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2012.02.08

◆ぼくらは時間を食べている

 すぐ食べごろにまで成長するはずのカイワレが、少しずつ、ほんの少しずつ育っていることを気にかけていた。

 そんなとき、大きく育てられたセロリを家人がばっさばっさと切っているのを目にして、唐突に、「ああ、ぼくらは時間を食べているんだなあ」と思った。

 たぶん当たり前のことなんだろうけど、これまでそんなふうに考えたことがなかった。

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2012.02.06

◆予想がむずかしいアボカド

 遅まきながら『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』(村上春樹)を読んでいる。

 タイトルにもなっている「むずかしいアボカド」だが、てっきり、「ほんとうは「アボカド」なのに「アボガド」と発音する人がほとんどで、正しく「アボカド」と発音するのはむずかしい」という話だと思っていた。

 出だしが違うので「あれっ」と思ったのだが、そうはいうものの、盛り上がりの部分で、あるいはオチで、その話が出るだろうと考えていたのだが、最後まで肩すかしをくらったままだった。

 ムラカミさん自身がかつてどこかでアボカドの発音のことについて書いていたと思うので、同じことを2度書くことを避けたのか(どこに何を書いたかすぐ忘れるくせに)、それともわざと読者を欺こうとしたのか、あるいは特に何も考えていなかったのかはわからない。

 それはともかく、「ハワイのカウアイ島」にある「キラウェアの」「灯台に向かう表通りをちょっと右に入ったところに」ある「小さなフルーツ・スタンド」の「太ったおばさん」に会いたくなった。

 読者をそんなふうに思わせるあたり、相変わらずうまいですね。

 さて、アボカドのなにがそんなにむずかしいのでしょう?

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2012.02.05

◆小人閑居して・・・

 息子は連日受験に出かけているが、私の方は少しだけ気持ちに余裕が出てきた。

 すると、やはりというか、ふだんはやらないことをやり始めたりする。

 夜中にネットでたまたま見つけた水耕栽培キットを今日注文してしまった。
 種はついていないというので、近くに新しくできたホームセンターに行って、万能子ねぎ・青シソ・かいわれ・ブロッコリーを購入してきた。
 ブロッコリーは、芽が10cmぐらいになった時点でかいわれのように食べてしまう予定だ。まったく知らなかったのだが、スプラウト(新芽)野菜として流行っているらしい。

 もちろん、栽培キットはまだ届いていないのだが、かいわれとブロッコリーはもう栽培を始めてしまった。1週間ぐらいで食べ頃になるというので、気の短い者には最適である。
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 ホームセンターには、椎茸や舞茸、エリンギやヒラタケなんかの栽培キットもあった。椎茸なんかは、菌を植え付けたコナラの原木が売っていたりもした。
 ものすごく心が動かされたのだが、原木の方は常に湿らせておく必要があるそうだし、キットの方はビニール袋に包んで育てるのがちょっとイメージと違うので見送ってしまった。

 でも、そのうち、あるいは秋には買ってしまうと思う。
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 以上とはぜんぜん関係なく、コーヒーなんかに砂糖代わりに入れるステビアの粉末も買った。その話はまた別に。

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2012.02.04

◆「私の気持ち」は作られる

 「自由意思」というものが神聖視され、「法に違反せず人に迷惑をかけなければ自由」だということがよく言われる。
 基本的にはそのとおりだと思うのだが、その「自由意思」がどのように作られているのかということはしばしば忘れられている。

 何だかたいそうな書き出しになってしまったが、先日、エステティックサロンのダイエット広告を見てかなり驚いたことがこれを書く動機になっている。

Which 百聞は一見に如かず、画像をご覧になっていただきたい。

 どちらのスタイルがより理想的、あるいは魅力的だろうか。

 もちろん、それこそ「自由な」好みはさまざまであろうが、何か月かの時間とかなりのお金をかけ、食べるものを制限し、その他の努力を重ねて左から右になりたいという女性がどのぐらいいるのだろう。

 「そんなヤツおれへんやろ」といいたくなるのだが、たぶんたくさんいるから、これが商売になるのである。

 ちなみに、左側は身長168cm、体重50.1kgで、ウェストも59.2cm。体脂肪率は18.1%だそうだ。

 BMI計算ソフトに身長と体重を入れてみると、17.8と表示され

 「あなたは痩せすぎです」「理想体重まであと+12kg」

と言われてしまう。12キロ太るべきだと言われているのに、エステに30回以上通って6kgも落としているのが右側だ。

 実際、写真からも病的にガリガリと言う印象を受ける。

 痩せたい女性たちには違って見えるのだろうか。
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 こういう広告が、左側ですらない世の女性たちに「痩せなければ」という強迫観念を作り出し、彼女らは「自らの意思で」痩せようと努力する。
 そして、その努力ができない人は自己嫌悪に陥る。

 一体何のための努力であり、自己嫌悪なのだろう?
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 自分の自由な意思や考え、「私の気持ち」というものが、いったい何によって形成されてきたのかと日々問い直すことは非常に重要だと思う。

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