◆ファミレス業界の30年ともう一つの人生
コンビニ業界の30年も長かっただろうが、ファミリーレストラン業界の30年も長かったと思う。
前のエントリで書いた北海道大学の人は、当時すでに有名だったファミリーレストランチェーンを経営していた人物の息子であった。
大学を出たらその会社に入って、ゆくゆくは家業であるレストランチェーンを継ぐよう、父親やらおじさんやらから説得されているが、本人にはその気がなく、留年したりしながら、わりにふらふらと学生生活を続けているというような話であった。
それまでそんな境遇の人物に会ったことがなかったので、羨ましい話だなあと思いながらも、あえて自分で道を切り開いていこうとしている姿にちょっと感心したりしていた。
大学院は理工系だが、妙に物静かで哲学的なところがあり、この人は将来どうするのだろうと、人ごとながら少しだけ気になっていた。
帰国後、わりとすぐに一度ハガキをいただいたのだが、なんとなく返事をしないまま何年もが過ぎ、そのままになっていた。
伊丹空港で別れてから20年近くが経ったころ、何かのきっかけがあって、インターネットで検索をかけてみたことがある。珍しい名字なので、覚えていたのだ。
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「マダムヤンの味噌」について熱く語っていた哲学的な青年は、東京にある有名私立大学の教授になっていた。
修士課程修了後に大手企業に勤め、アメリカの大学やら日本の大学やらで研究員や講師をしたのち、そういうところに落ち着いたらしい(大学教授なんかをしていると、この種のプライバシーはだれにでも筒抜けである)。
メールアドレスもわかったので、無沙汰と無礼を詫びるメールを送り、2~3往復のやりとりがあった。先方も私のことを覚えていてくださって、東京に来ることがあったらおいしいものを食べさせてあげると言ってくれた。
それからでも10年近く経つと思う。
今調べてみると、まだ同じ大学で教えているようで、一族の経営するファミレスチェーンも順調だ。
だが、彼の人生もファミレスチェーンも、おそらくはそれなりの苦労を繰り返してきたはずだ。特に後者の苦労は並大抵ではないことが想像できる。
会社経営者の御曹司の地位を利用せず、自ら道を切り開いた理工系哲学青年は偉いと思う。
しかし一方、会社を継いでいた方が、より苦労も多かったのではないかという気もする。そしてあるいは、会社を潰してしまっていたかもしれないとも。
あのレストランチェーンが今もあるのは、良心的で気弱に見えた彼が継がなかったからかもしれないのだ。
激しいという言葉では言い足りない経営競争の世界で、彼の内省が武器になったとは思えない。
まもなく廃番になった「マダムヤンの味噌」を絶賛していたその舌も、ファミレスチェーン経営の助けにはならなかったろう・・・
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