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2012.07.28

●「診察券忘れました」

 左足の親指の爪がちょっと妙なことになっていて(左下隅が赤、右下隅が黒)、10日ぐらい経っても変化がないのでとうとう医者に行った。
 ふだんなら行こうと思えば平日に行けるのだが、少し立て込んでいたので土曜日になってしまった。気分的に月曜まで待てない感じだったのだ。

 ところが、行こうと思っていた皮膚科は、調べてみると第四土曜日が休診で、今日はばっちりその日なのであった。

 ネットでいろいろ探したのだが、なかなか近くに適当な医院がない。アンチエイジングやスキンケアばかり強調した医者か、「内科・小児科・皮膚科」とか「形成外科・皮膚科」とか、なんだか信用できそうにない医者が多い。

 住宅地で素朴にやっていそうな医院もあったのだが、公共交通手段はなく駐車場もないようなところだった。

 結局、混むのを覚悟で以前息子を連れて行ったことのある皮膚科に車で行った。そのときにすごく混んでいた記憶があるので、なるべく避けたかったのだ。
 病院の待合室で診察の順番を待つのは、人生における苦痛のかなり上位を占める。

 だが、待合室には10人もいない。順番は朝から数えて18人目だった。「ラッキー」と思ったが、それでも1時間以上待たされた。

 医師は

 「赤くなってますね。なんだろう、これ? 押すと水が出てきますね。朝、シャワーとか入られました? ほら、すこし隙間ができちゃってますよね。あらあら、どうしたんでしょうね。あ、どうしたんでしょうって言われても困りますよね」

という感じの60歳ぐらいの女性である(ほんとうは50歳ぐらいだったらすみません)。

 うん、確かに、ベテランの医師が戸惑っているのはちょっと不安だったが、息子の時にこういうタイプの人だったような記憶が微かにあるし、正直なのは好感が持てる。

 医療用ルーペで観察するなど、わりと詳しく診察してくれた後、爪なんかを削って長時間顕微鏡を覗いている。机の上には老眼鏡があるし、もしかして見えていないのではないかと、そっちのほうが不安になる。
 が、長い間かかっていたのは、いくら探しても白癬菌(水虫菌)がいなかったからのようで、それは一応朗報である。

 診察が丁寧なのはいいのだが、1人の患者にこんなに時間をかけていていいんだろうかとこっちが心配になってくる。それでも、ものの5分ぐらいのことだろうか(時間を計っておけばよかった)。
 ふだん、3分(というより1分?)診療に慣れすぎてしまっているのである。

 結局、確たる診断はつかなかったのだが、いずれにせよ細菌感染がありそうだということで抗生剤を出してもらった。
 ___

 あ、こんなことを書こうとしていたのではない。

 待っている間も次々と訪れる患者の多くが「診察券忘れました」と言っているのが不思議でしょうがなかった。

 医者に来るのに診察券を忘れるやつがいるだろうか?

 いや、いるにしても、こんなにたくさんいるだろうか。これは以前からの疑問だが、答えを出そうとしたことはなかった。

 珍しく土曜の昼間に家にいた家人に話すと、「何かのついでに医者に行く人がいるからじゃない?」というのだが、平日の会社帰りの夜とかならともかく、土曜の午前中である。
 「スーパーに買い物に来たけど、ちょっと思い出したからついでに皮膚科に」なんていう人がそんなにたくさんいるとは思えない。ほとんどの人は、医者に行こうと思って家を出たはずだし、余分な荷物を持っている人もいない。

 医者に行くときに必要なのは、保険証と診察券とお金だということぐらい、子どもでも知っている。なのにどうして、診察券を忘れるのだ?
 「保険証を忘れました」という人もときどきいるが、保険証の方は1か月に1回とかだから忘れるのもわかる。「お金を忘れました」という人は見たことがない。

 ・・・と考えるうち、わかった。

 彼らは診察券を忘れたのではない。整理が悪くて診察券が見つからなかったのだ。そして、「探すのが面倒くさいので持たずに来ました」とは言えなくて「忘れました」と言っているのだ。まず間違いない。
 そういえば、かつて「診察券が見つからなくて・・・」と言っている人を見たこともある。あの人は珍しく正直な人だったのだろう。

 私も人に自慢できるほど整理のいい方ではないが、診察券を「忘れ」て病院に行ったことはたぶん1度もない(診察券を持っていたのに、その病院に行くのが初めてだと勘違いしていたことは1度ある)。

 みんな、よほど整理が下手なんだなあ・・・ あきれると同時に、なんだかちょっとほっとする。

 でも、あれだけ「忘れる」人が多いと、診察券の存在意義自体、疑問に思う。もしかして、なくてもいいんじゃないかな?
 それとも、たとえ「忘れる」人が半分いても、持ってきてくれたら少しは手間が省けるありがたい存在なのだろうか。

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2012.07.22

●「近すぎる秘境」なのに

 朝、4時20分ごろ、ホトトギスの声で起こされる。

 日の出は確か5時過ぎと言っていたはずだが、もう周囲は薄明るい。
 行動を開始してもいいのだが、そうすると4時間も寝ていないことになる。ここに着いたのは真夜中をかなり過ぎていた。

 もう一眠りしようと思ったが、隣に駐まっていたプリウスから聞こえる話し声や物音がうるさくてなかなか寝付けない。こんな時間なんだからもっと配慮すればいいのにと思う。
 結局、プリウスの連中が出発するまで寝られず、次に起きたときは8時前になっていた。

 昨夜のラジオで雷雨や突風に注意とか言っていたが、幸い雨は降っておらず、風もない。

 コンビニおにぎりの朝食を済ませ、日出ヶ岳を目指して歩き出す。

 昨日、夜になってからふと思い立ち、10時ごろに家を出て深夜の大台ヶ原に着いたのだ。
 途中、ドライブウェイで、5〜6回鹿を見た。昼間はほとんど見たことがないのに。ヘッドライトを消すと漆黒の闇だったのだが、ちゃんと行動できているのだろうか。

 何度も来ているような気がするが、もしかすると10年ぶりぐらいになるかもしれない。
 あ、ここに書いているはずなので検索してみたら、7年と2か月ぶりであった。

 見慣れた景色だし、三重県側にはガスが巻いて展望もなく、鳥影も薄い。はるばるやってきても、「なんだかなあ・・・」というところか。

 ただ、アナグマを見られたのは僥倖であった。人生初である。

 鳥は、ゴジュウカラ・カケス・ヒガラ・ミソサザイなど。ビンズイとルリビタキらしき鳥もいたのだが、写真まで撮っていても確実には同定できぬ情けないバードウォッチャーだ。

 牛石ヶ原、シオカラ谷方面へは行かず、中道を通って戻る。計3時間ほど。
 大台ヶ原の鹿は、中道で前方を右から左へ走り抜けた1頭のみ。牛石ヶ原に行けば、たぶんたくさんいただろう。
 ___

 7年前に魂に響くようなアカショウビンの囀りを聴いたのが忘れられず、大台ヶ原を降りてから和佐又山方面へ向かう。ヒュッテまでは行ったのだが、雲行きが怪しくなってきたのと、かなり疲れていることを考えて、そのまま引き返す。

 国道169号線に降りてきたところの案内看板を見て、いつか大普賢岳に登りたいなあと思った。
 7年前にも思ったのだが、まだ登っていない・・・ ヒュッテからたった2時間半だと書いてあるのに。
 ___

 結局、道の駅川上で雨がぱらついた以外はまったく降られず、助かった。
 ただ、東大阪あたりで強烈なゲリラ豪雨に襲われた。車の中にいるときは、大雨がむしろ嬉しい。

 3時半ごろには帰宅。早く帰れたのはいいのだが、やはり車中泊の寝不足はきつい。

 秘境も近くなったことだし、今度行くなら早起きしてでかけようか。

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2012.07.21

●梅雨明け十日?

 土曜の昼下がり、外は夕立のような大雨である。

 梅雨が明けたと思ったら、いきなり夏の終わりのような天候が続く。

 「梅雨明け十日」はどこに行ってしまったのだろう?

 これもいわゆる「異常気象」なのだろうか。

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2012.07.17

●いずこも同じ悪の構造

 米空軍の新型輸送機オスプレイがアフガニスタンで不時着して4人が死亡した一昨年の事故で、事故調査委員長を務めた空軍幹部がエンジンの不調が事故につながったという報告書をまとめたところ、内容を変更するよう上官から圧力をかけられたことが分かった。(朝日新聞7月16日朝刊)

 調査委員長を務めた空軍の退役准将によると、「上層部は早い段階から、操縦士のミスを事故原因とすることに決めていたと思えてならない。違う結論を導いた私は、頭がおかしくなったかのように扱われた」(同)という。

 空軍司令官だったワースター中将(当時)は、調査委員会の説明を打ち切り、「悪いが、いかなるエンジンの不調があったとも考えられない」と言い渡して報告書を作り直すように命じた(同)のだそうだ。

 調べてもいない者が・・・

 要するに、空軍や海兵隊にとって、オスプレイのエンジンに不調が出たことは都合が悪いので、なんとしてでも隠蔽したかったということらしい。

 しかし、この措置は、当の空軍や海兵隊の名誉と命にかかわるのだ。その二つを軽んじるような輩はもはや軍人ではありえないし、まして将軍ではありえない。

 それとも、名誉や命を重んじることを将官に求めることなど、望み得ないのであろうか。なんという軍隊だ。いや、軍隊とは本来そういうものなのだろうか。

 エンジンの不調が主因だとすれば、操縦ミスのせいにされたパイロットの名誉はどうなるのか。殉職したうえ、死人に口なしとばかり責任を押しつけられたのでは、誇り高き空軍パイロットは浮かばれまい。

 まして、この事故ではパイロットを含む4名もが死亡している。それら死者への冒瀆であることも明らかだ。

 さらに、一番の問題は、事故原因を隠蔽して事実をねじ曲げることで、防げたかもしれない将来の事故をも誘発し、新たな死者を出してしまう危険があるということだろう。

 「部下の命なんて知ったことか、オスプレイのエンジンに不調があってはならないのだ」

 司令官であるワースター中将は、明らかにそう考えているのである。こんな輩に率いられる軍人たちには、心の底からの同情を禁じえない。

 ・・・だが、司令官もまた、より大きな構造の中の歯車に過ぎないのではないかという気も一方ではする。
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 ひるがえって、私たちの国や組織はどうだろう。

 もはや贅言は要しまい。私たちも同じ構造の中にいることを、すでに十分思い知らされている。

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2012.07.16

●グレート・ディベーター

 デンゼル・ワシントン、監督・主演作品。
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 いつのころからか、競争が嫌いになった。人生の、ごく早い時期である。

 競争するぐらいなら、負けるか逃げる方を選ぶ。しんどいのは苦手なのだ(笑)

 いや、もちろん、それですべてがうまくいくわけではない(というか、うまくいかないことの方が多い)。
 それに、ふつうに仕事や生活をしていれば、否応なしに競争に巻き込まれることもあるし、勝った負けたもついて回る。
 そういう場合は、「がんばらない」ことにしている。義務的に仕方なく、あるいは気が向いたらやるぐらいにしていると、ほとんどは負ける。たまに勝ってしまったとしても、周囲のお蔭や時の運、自分のせいではない。

 いずれにせよ、ここ二十年以上、競争相手がいてそれに勝ったという記憶はひとつもない。

 ・・・あ、そんなふうに言語化すると、ほんのいくつかぐらいはあるのが思い当たるが、本人は「義務的に仕方なく、あるいは気が向いたら」でやっているので、そもそも勝負しているという意識がない。目に見える競争相手がいるような勝負もほとんどない。
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 だが、そんなことを言っていられるのも、負けることが大した痛みを伴わず、逃げることが拠り所を否定することにならないからだ。

 ある種の人たちには、負けたり逃げたりできない深刻さと切実さがある。そして、それに立ち向かう崇高な闘いと勝利がなければ、私たちの社会が今あるステージへと進んでこられなかったことは私にも理解できる。
 さらに、社会がまだまだ未熟で理不尽なところであるならば(間違いなくそうだ)、次なる闘いと勝利によってしか次のステージへは進めないこともわかる。
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 さて、私の負けは、ほんとうに大した痛みを伴わず、逃げは拠り所を否定していないだろうか。

 こういう闘いになら参加して勝ちたいと思い、苦難の中にある登場人物たちがそれでも幸せに見えるとき、負けと逃げでは心の静穏はやはり得られないのかと考えさせられる。

 そして、かなうならば、違った形の静かな闘いが私にも続けられればと思う。たとえ勝利する望みは持てないにしても。

(The Great Debaters, 2007 U.S.A.)

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2012.07.15

●手持ち無沙汰な朝

 探鳥地のボランティア清掃に行く予定で早めに起床した。

 暑い。朝っぱらから室温が30℃を超えている。
 あんまり暑いので、服を着るのを一番最後にする。

 出かける用意がすべて整い、最後に携帯電話をリュックに入れようとして、メールが来ていたのを知った。なんと、曇りというよりは晴れといった方がいい天気なのに、大雨警報が出ているという。清掃は中止になった。

 ネットで確認すると、私の住んでいる市にも出ている。仕事に出かける家人にそのことを伝えたが、いずれにしても行かなくてはと出て行った。

 何とも手持ち無沙汰な朝である。

 暑いのだが、今着た服を脱ぐのも面倒だ。さてどうしようと思いながらさっきの続きでパソコンを触っているうちに懸案を一つ二つ片付けると、涼しいところに行きたくなってきた。

 自然な涼しい場所というと、とりあえず六甲山系しか思い浮かばない。外はまあ晴れている。自宅を出てしばらくすると、大雨警報も解除された。
 ___

 山を登りはじめると、34℃を指していた車外温度計がいつものようにどんどんその数値を下げてゆく。
 いや、「いつものように」とはいっても、この前にそれを見たのは昨年のことだ。それをまるで先日のことのように思っている。

 25℃になるあたりから、周囲が霧に包まれはじめた。露点がそのぐらいなのだろうか。
 下界は晴れていたのに、霧というよりは雲といった方がいいような白さである。山上の方に雲がかかっているなあと思っていたのだが、実際、その雲の中にいるのだ。

 いつもの場所に車を駐め、最小限の荷物を持って歩く。霧は相変わらず濃いが、幸い雨は降っていない。葉の上の雨滴がときおり風に飛ばされてくるだけだ。

 すぐに鶯の声。不如帰のさえずり。カラ類の声と、妙な地鳴き。
 地鳴きの主はソウシチョウの(たぶん)つがいだとわかった。この辺に居着いているらしい。もはや驚きはないが、はっきり見たのはもしかすると3年ぶりだろうか。それでも、いつもの場所にいつもの鳥がいると思ってしまう。

Img_9209_32 いつもと違っていたのは、見慣れない半球状の蜘蛛の巣がそこら中にあったこと。どの巣にも主は見あたらず、どんな蜘蛛なのかわからない。

 もう一つは、行き止まりが工事中だったこと。
 もともと、うち捨てられたような狭い広場(clearingってあんな場所のことをいうのかな)だったのだが、草や土砂に埋もれたどこにも行けない階段があったりして、なんだか妙な場所だなと思っていた。少なくとも十数年は放置されていたはずなのに、今ごろ何の工事をしているんだろう。

 その行き止まりから引き返すとき、ハイカーに会った。「こんにちは」と挨拶はしたのだが、向こうへ行ってもどこにも行けない。ただ一つつながっている道は、行き止まりの手前から左へ下る、笹に埋もれた急なハイキングコースだが、ほとんど廃道である。
 大雨の後、濃い霧の中、笹に埋もれた滑りやすいルートを降りていくのだろうか。もしかしたら引き返してくるかもと思ったが、来なかった。
 世の中には不思議な人がいるものである。向こうも同じように思っているかもしれないけれど。

 霧も濃いので、車に戻って引き返す。珍しく、カーナビが現在位置をロストし、道のないところに妙な軌跡がしばらく続いた。霧で電波が届きにくいとか、そんなことがあるのだろうか?

 下界に降りるとさっきまでの霧が幻のように晴れ、気温も36℃になっていた。東の方にはもくもくと積乱雲が立ちのぼっている。

 まもなく本格的な夏になる。梅雨明けも近い。

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2012.07.14

●哀しき「お大尽」

 せっかくここでお大尽宣言をした翌日、今月から給与ががくんと下がるのを具体的な数字で知った。

 そもそも、ここ十年ぐらい、給与はずっとジリ貧で、少しずつ下がりこそすれ、上がることはなかったのだ。

 もちろん、私が悪いのではなく、社会の経済状況が悪いからである。年齢に伴ってずっと「昇給」が続いているのに、号俸が上がっても実際は減給が続いているという、不条理の森に迷い込んだみたいな状況になっている。

 それでも、10年間で減った年収は50万円ぐらいだろうと思う。平均すれば1年あたり5万円ぐらいだろうか。
 かつての給与表が変わっていなければ、年収換算で毎年10万円ぐらいずつは定期昇給するはずだったと思うので、今の私の年収は10年前に予想されていた数字と比べると150万円ぐらい少ないということになる。

 150万! 毎年車が買えそうな差である。

 まあしかし、こういう時代だから仕方ないし、特に不満もなかった。

 ところが、ここに来て、一気にがくんと下がったのである。これももちろん、私が悪いのではない。みんな同じだ。手取りベースで一割近く・・・

 いくら小まめな節約を重ねても、到底カバーできるような金額ではない。
 逆にいえば、これまでの給料だったら、1000円の代わりに2500円のランチを毎日!食べてもまだお釣りが来るぐらい裕福だったことになる。そんな状況でも、実際に1000円(以上)のランチを食べるのはせいぜい週2回のことだった。
 給料が元に戻ったら、夢の「ランチ2500円生活」をしてやろうかしら(戻るのかな?)。
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 こんなに給与を減らされて真剣に怒っている人たちも多いみたいだけれど、やっぱり特に不満はない。
 客観的に見れば、一番の理由は、共働きのために直ちに生活に影響がないからだろうが、むしろそれよりも、そもそも、報酬が天から降ってくるもののように感じられることが大きいように思う。

 私たちのような職種の者に与えられる報酬は、決して労働への対価ではない。もしそうなら、労働時間やその内容と報酬との間に相関関係があっていいはずである。
 だが、そのようなものはほぼ一切ない。採用されるまでの経歴と年齢、どういう身分でどこに所属しているかで決まってしまう。いわば、所属への対価なのだ。残業手当等は1円もない。

 考えてみれば、そういう給与システムでほとんどの人がそこそこまともに(あるいはすごく献身的に)働いているのを何だか不思議に思う。
 いや、むしろ不思議ではないのかもしれない。最低限の水準を超え、かつ、劇的な高報酬にもならない場合、給与の多寡は仕事へのモーティベーションとあまり関係がないのである。

 そういう給与が減っても、借金しないと現実に家計が回らないということでもない限り、ある種の無常観というか諦観というか、まあ、与えられた運命のような気がするだけだ。
 また逆に、仮に増えたとしても、そのぶん贅沢しようなどとは思わない。

 だから、やや劇的に給与が減っても、相変わらずこれまでと同じような生活を続けていくと思う。
 ランチの食後にコーヒーが飲める「お大尽路線」はやっぱり諦めざるをえないかもしれないけれど。

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2012.07.12

●お大尽宣言?

 久しぶりに蕎麦でも食べようと思い、やや不便な場所にある人気の店に向かった。
 初めから、混んでいるようだったら近くのイタリアンに変更するつもりで、自分を「蕎麦の口」にしないよう心がけていた。

 案の定というか、店の外に人が溢れている。ちゃんと確認しなかったが、7台ある駐車場も、あれでは満車だったろう。

 早々に諦めて左折し、イタリアンの駐車場に向かう。区画の番号を忘れていることに気づいたが、なに、現場に行けば思い出すだろうと思っていたら、実際思い出した。
 面白いものである。

 入店前に看板を見て、小エビのトマトソースとハマグリのペペロンチーノで少し迷った。結局、トマトソースの誘惑が勝って前者にした。

 訪れるのはまだ数度目だ。前菜はついているものの、デザートなしのパスタランチが1580円と、ちょっと値が張るのである。数年前なら対象外の店だ。

 たぶんそのせいだろう、いつ行っても混んでいるということがない。2台しかない駐車場も、これまでは少なくともどちらかが空いていた。

 しかし、この店には倹約家の私を通わせる何かがある。

 それが何かわからなかったのだが、昨日はその一端が解明された気がした。

 出てきた「小エビ」に仰天したのである。そういう名前のスパゲティを何度も食べたことがあるが、丸くなった海老の外径は、大きくても2センチ内外であった。3センチということはまずない。
 ところが、出てきた小エビはゆうに6センチはありそうだ。ボリュームにすると、2センチの海老の27倍ということになる(計算あってますよね?)。

 いつもうちで海老フライにして食べるぐらいの大きさだ。
 それがなんと5つも入っていて、身も締まっている。多すぎるぐらいだったが、トマトソースもおいしくて、ぜんぶ食べるとお腹が一杯になってしまった。

 これはどう見ても名前を間違えている。さすがに「大海老の……」と言えないんだったら、「大ぶりのエビの……」(「の」が多いな)にしてもいいんじゃないか。
 数だって、3つでいい。
 それとも、この驚きが魅力なのだろうか。

 これだと、ハマグリのほうはいったいどんなことになっているんだろうと気になった。

 あんなエビを使っていたのでは、大して儲かるまい。
 ___

 プロフィールにあるとおり、「安くておいしいランチ」を常に探している。数年前までは1000円の壁があった。
 それを超えるランチを食べないわけではないが、例外的なできごとだったのだ。

 だが、外食物価も上がり、私の感覚も少しずつ麻痺してきて、最近ではその壁がなくなりつつある。行きつけだったトラットリアも、1000円ではランチが食べられなくなってしまった。
 今も時々行くには行くが、1300円では敷居がちょっと高い。

 そんな中、おいしいデザートのつくパスタランチを1000円で出す店を見つけ、今年からはそこによく行くようになった。
 ただし、前菜もコーヒーもなく、両方つけると1700円になってしまう。コーヒーだけなら1200円なのだが、それでも試したことはない。

 うーん・・・

 コーヒーが飲みたいのに200円を惜しんで無理に我慢しているわけではないのだが、そういう細かい出費を控えるような生活も、ちょっとどうかなという気もしてきた。
 塵も積もれば山となるとかいうが、どのみち、大した山にはならないのである。仮に山ができたとしても、そんなもの、ガソリンを一回入れるだけで吹き飛んでしまう。

 ここは一つ、年齢相応のお大尽になってやろうかなあとも考える。

 なったところで、前菜が食べられるとかコーヒーが飲めるとか、その程度のことなんだけれど。

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2012.07.11

●「ふつう」の私たち

 『ことばを尋ねて』(島森路子インタビュー集 1)を少しずつ読んでいる。

 冒頭、「さよなら、さよなら、さよなら」で終わる「日曜洋画劇場」の解説で有名な淀川長治氏との対談で「あれっ!?」と思ったことがあった。

 友達もいっぱいおったし、みんなで連続活劇の遊戯しとって、運動場で僕が鉄棒に縛られて「あれーっ」なんて言ってると、好きな男の子が助けにきたりしてさ。(笑)

 自身に置き換えてみるとちょっと考えられないこの発想と表現に、違和感を覚えたのだ。

 この発言は、もしや、氏が同性愛者であることを表しているのではないだろうか。

 ちょっとした発見をした気分になってネットで調べると、それはもはや公然の秘密であるらしく、逆に、どうして自分は今までそのことに思い至らなかったのだろうという気がした。
 ___

 周囲や本人が、「少なくともことさらにはそのことに触れないでおく」というスタンスを取った場合、特に興味を引かれなければ、私たちは対象をなんら特別な属性を持たない存在だと措定してしまう。

 たとえばここに、ごくふつうのスーツを着た、特徴を感じさせない中年の男がいるとしよう。

 見ていて特に違和感がなければ、障害や病気を抱えているとは思わない。国会議員や裁判官や医師や弁護士や大学教授だとも思わない。泥棒だとも思わないし、特に善人だとも思わない。自殺しようとしているとは思わないし、人を殺そうとしているとも思わない。もちろん、同性愛者だとも思わない。

 だが、そうして「ありそうもない」可能性を排除していって残る人物像は、たとえば「妻と子ども2人を持つ、健康で悩みのないサラリーマン」になってしまわないだろうか。
 もちろん、「妻と子ども2人を持つサラリーマン」だってそれほど多数を占めるわけではないし、健康で悩みのない人など(たぶん)いないだろう。

 しかしながら、積極的にそうは思わないにしても、「ありそうにもないこと」を無意識のうちに排除していくと、人物像はどんどん架空の「特徴のない姿」になっていく。
 なんらかの障害や病気を抱えていることこそがふつうだとしても、こうして作られる人物像からは、そういった「特徴」が捨象されてしまうのである。
 ___

 淀川長治氏は、初めて見たときから、私にとっては「おじいさん」だった。何も考えなくても、そこには氏の妻と子どもと孫が想定され、洋画劇場の映画解説は、孫がおじいちゃんのお話を聞くようなものとなった。

 大人はみんな結婚していると思っていた少年にとって、氏が独身だと知ったことはそれなりの驚きだった。しかし、少年の理性では、それが、母親を苦しめた「家制度」への反発や、氏の性的志向から生じた結果かもしれないと想像することはできなかった。
 「へぇ、独身のおじいさんもいるんだ」とは思っても、理由を知りたいという欲求もほとんどなかったし、仮にあったとしても当時はそう簡単には知り得なかっただろうと思う。

 氏が明治生まれでなかったら、たとえば今も元気でテレビに出ていたら、彼が同性愛者だということは周知のこととなったろう。私たちの社会は、それぐらいには成熟してきている。

 アイスランドの首相もヒューストンの市長も駐大阪・神戸アメリカ総領事も同性愛者である。
 カミングアウトしていない人も少なくないだろう。
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 それが何であれ、私たちはみな、さまざまな「特徴」とともに生きている。その特徴を縦横に紡ぎあわせた姿が私たちひとりひとりだ。そして、その特徴だらけの特異な存在こそが、「ふつう」の私たちなのである。

 もちろん、淀川長治氏も例外ではない。

 さよなら、さよなら、さよなら。

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2012.07.07

●湖も好き?

 このブログのプロフィールに、自分の好きなものをあげている。
 雪景色に旅行に鳥、アルプスに高層湿原にお花畑、飛行機に車にダイビング、そして、安くておいしいランチ。

 だが、どうやら、湖も好きらしいことがわかった。今まで、そんなこと思いもしなかった。

 朝日新聞朝刊の青beに、「この夏、行きたい湖」と題して、20位までのアンケート結果が載っていた。
 不思議と偏りが激しいが、北海道の摩周湖から島根県の宍道湖までずらっと20並んでいる。北海道や東北・関東が多く、近畿以西は福井の三方五湖を入れても3つしかない。

 それなのに、そのうち19の湖に行ったことがあるのだ。

 行ってないのはただ一つ、青森は津軽半島にある十三湖のみ。
 それも、2年前の秋、下北半島で車が走行不能にならなければ、次の日あたりには訪れたはずの湖である。

 そういえば・・・

 まだまだ何の予定も立っていないが、この夏、中央ヨーロッパのどこに行こうかと地図なんかを眺めているとき、無意識のうちに?湖を候補にしていることに気づいた。

 地図上で目立つから気になるだけなのかとも思うが、ヨーロッパでも、レマン湖やらネス湖やらボーデン湖やらティティゼーやらに行っている。

 もしかして、湖も好きなのかな?
 ___

 《資料》──青beがあげている20の湖

 摩周湖・阿寒湖・洞爺湖・サロマ湖・屈斜路湖・支笏湖(以上、北海道)
 十三湖(青森)
 十和田湖(青森・秋田)
 田沢湖(秋田)
 猪苗代湖・五色沼(福島)
 中禅寺湖(栃木)
 芦ノ湖(神奈川)
 河口湖・山中湖(山梨)
 浜名湖(静岡)
 諏訪湖(長野)
 三方五湖(福井)
 琵琶湖(滋賀)
 宍道湖(島根)

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2012.07.04

●高性能なスズメ

 先日、職場でスズメを見た。

 いや、いつものようにいるのだが、この時期は特に、今年生まれの若い連中が危なっかしく枝につかまったり飛び回ったりしているので目につくのだ。

 見ていると、そういう頼りなげな子どもでも、地面からさっと飛び立ち、すぐ巡航態勢に入れるのに気づき、ちょっと感動した。

 飛行機は、相当長い滑走のあとでないと機体を宙に浮かせることはできない。

 「ああ、だとすれば、ヘリコプターだと考えればいいのか」と一瞬思ったが、ヘリだって、エンジンをかけてから飛び上がるまでには相当の時間を要する。
 しかも、最初地面を離れるときは(安全上の問題もあろうが)あくまで「ゆるり」であり、そんなに素早く飛び立てるわけではない。

 ところが、か弱いスズメたちは、飛び立とうと思った瞬間、たぶん、0.1秒後ぐらいには、もう立派に空中を飛んでおり、ものの1秒も経てば、おそらく巡航速度に達している。

 なんという高性能・・・

 人類がどんな機械を作ろうと、これに匹敵する運動性を備えたものは無理なのではないかと思わされた。
 ___

 オスプレイという、その名も「ミサゴ」を名乗る垂直離着陸機の沖縄配備が物議を醸している。
 ヘリのように滑走なしで飛び立つことができ、上昇してからは飛行機のように巡航できる。

 しかし、あのスズメたちほどにすら、さっと上手に飛ぶことはできない。

 そして、ミサゴを名乗るには恥ずかしいほど、よく墜落する。

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