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2013.04.27

★見えている範囲で止まれなければならない

 息子が車の免許を取る以前から、折りに触れて言い聞かせていたのがこれ↑だ。

 不意に横から飛び出してきたとかは別にして、通常の前方に関していうと、とにかくどんな場合でも、「見えている範囲で止まれる速度」というのが原則である。

 通常の車間距離等はもちろん、ブラインドカーブの向こうに突然車が止まっていたりしても、その車が見えた瞬間にブレーキを踏めば追突することなく止まれる速度というのが、「絶対的制限速度」だと言える。

 時々、「濃霧で前が見えなかった」とかいって追突している人がいるが、「見えなかった」のに追突するのはおかしいということに気づかなければならない。
 見えている範囲で止まれる速度しか出してはいけないのである。

 まあ、そうはいっても人間だからうっかりやミスもあるだろう。
 だが、上記原則自体がわかっていない人がほとんどを占めるのではないかと、ふだんから危惧している。

 昨日、大津であった追突事故でも「事故に巻き込まれた男性」が「先を走る車が事故を起こし、よけきれなかった」(mainichi.jp)というのだが、きちんと車間距離を空けていれば、そもそも「よける」必要などなかったはずである。
 止まればいいのだ。

 「安全は、ブレーキよりも車間距離」というのはお気に入りの標語の一つである。
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 今日もまた、仕事に疲れて(この連休中、集中して仕事に取り組む予定です。偉いでしょ(笑) でもまあ、真面目な話、休みのときぐらいしかまともに仕事なんかできない ^^;)ネットのニュースを見ていると、

 「首相乗せた車が追突」(asahi.com)

という見出しが飛び込んできた。幸い、首相に怪我はなかったようだが、警察官2人が軽傷を負ったという。
 お大事に。

 それにしても、運転手は一体何をしていたのだ。仮にも首相を乗せて走っているのに追突するとは(あ、もしかすると首相に遠慮してとっさに急制動ができなかったのかもしれないなあ・・・)。

 しかも「乗用車5台が絡む多重追突事故」だ。
 原因は、「ETC(自動料金収受システム)のバーが開かなかったため」先頭の車が停車したことだという。「安倍首相の車両と警護課の車両2台、取材記者の乗る車両が次々に追突した」(同)らしい。

 最後の一台だけが悪者で、それに追突されたから前方の3台も玉突きで前に・・・という可能性もあるが、おそらくは4台とも「見えている範囲で止まれる速度」、逆に言えば「追突せずに止まれる車間距離」を守っていなくて、「次々に追突した」のではなかろうか。
 少なくとも記事はそういう表現だ(nhk.or.jpでも)。

 首相の乗った車は、前の車に追突し、さらに後方から来るSPの車に追突されたのだろうか。一体、何をやってるんだか。

 繰り返す。

 まあ、そうはいっても人間だからうっかりやミスもあるだろう。
 だが、上記原則自体がわかっていない人が首相の公用車の運転手やらSPやらをやっているとしたら、背筋が寒くなる。

 (もしかして、「テロリスト」とかが車両の間に割り込めないように、わざと車間を詰めて走ったりしている可能性もあるのかな?)

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2013.04.24

★画期的な駐車場システム

 以前、仕事でオーストラリアに行ったとき、画期的な駐車場システムに驚いた。

 ショッピングモールの駐車場に車を乗り入れると、天井部分にずらっと赤いランプがついている。オーストラリア在住の同乗者が、しきりに「緑、緑」と言ったかと思うと、「あっ、あそこ」と遠くを指さす。運転者はそこへ車を向かわせる。

 最初は何のことかわからなかった。

 区画に車が駐まっているところの上には赤いランプが、空いているところの上には緑のランプが点灯しており、車をどこに向かわせれば駐められるかが一目瞭然になっているのだ。

 これはすごいと感心した。もちろん、それなりのコストはかかるだろうが、こんなに便利なシステムが簡単に組めるとは、想像すらしたことがなかった。
 立体駐車場の各階に「満」とか「空」とか書いた電光掲示板があり(「満」の方はたいてい嘘か間違いである)、「空」の階に乗り入れて一生懸命空き区画を探すのが当たり前だと思っていたのだから無理もない。

 それまで、ヨーロッパ各国とアメリカやカナダ、韓国なんかで車を運転したが、そんなシステムは見たことがなかった。
 まあ、私の注意力が散漫なのか、経験が狭いだけなのかもしれない。

 あれから1年半・・・

 先週、近所のショッピングモールに行くと、建物はそのままに駐車場のシステムが変わっていて、オーストラリア方式?が導入されていたのには驚いた。
 「どうして日本でこれをやらないのだろう?」と思っていたのだが、とうとう導入されたのだ。

 もっとも、赤はなくて緑だけであるが、それはおそらく合理的だ。結局、探すのは緑だけなのだから。

 昨今の文脈での「グローバルな時代」は好きではないけれど、お互い学ぶべきところを見つけて学ぶのは悪くない。

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2013.04.12

★「新型の放射能除去装置」

 今、たまたまNHKのニュースを横目で見ていると、

 「新型の放射能除去装置

というテロップのついた機械の写真が表示された。

 うわお! 放射能除去装置! しかも新型!

 こんなギャグのような名前をそのまま放送するか??

 残念ながら、この宇宙には(たぶん)イスカンダルはないし、地球には宇宙戦艦ヤマトも存在しないのだ。

 問題の装置は、「放射性物質分離装置」あたりが適切な名前だろう。それだって、かなりの部分幻想的でミスリーディングな名前のような気がする。

 仮にうまく分離できたにしても、その放射性物質はどこかに置いておくしかないのだ。

 その罪深い物質どころか、「放射能」を「除去」できるかのような幻想を振りまく名前など、使うべきではない。

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2013.04.07

★慈愛の眼差し

 灯台もと暗しという言葉そのままに、京都に行くことはほとんどないのだが、ここのところ何度か足を運んでいる。この半年で数回、この1か月だけで3回目だ。

 今回は、昔(といっていいのだろうか、進行中のものもあるのだが)の仕事仲間の集まり。
 仲間といっても、おふたりはかなり年上のやんごとなきお方で、残るひとりも畏友の大学教授である。

 それが4人揃って、馬鹿話をしながら少年のように笑い転げる。

 その姿を、やんごとなきお方の奥様が「4人とも・・・」と慈愛に満ちた眼差しでご覧になる。

 滅多に幸せだとか思わない私だが、そんなサークルの末席にいることの慶びはさすがに感ぜられる。

 ほんとにありがとうございました。
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 出町柳から、Yの字になった高野川と加茂川を渡り、大原野菜を主体としたおいしい和食の店へ。

 4人揃うのは2年ぶりだろうか。「ご無沙汰・・・」とは言うのだが、会った瞬間から垣根はない。

Dsc08017_169 食事が終わると、奥様の待つ下鴨へ。
 「終の棲家」として購入なさったというお宅には茶室が設えられており、鉄瓶に湯がわいている。

 そこで、きちんとしたお作法に則った抹茶をいただく。
 もちろん、作法を心得ているのは亭主のみで、正客からして立て膝、私などは体操座りである。申し訳ないので、抹茶碗を受け取るときだけ正座する。

 馬鹿話に慈愛の眼差しはその茶席でのことだ。

 何もかもが違うのだから当然のことなのだが、今までにいただいた抹茶の中でいちばん美味であった。

 作法があるから抹茶から遠ざかってしまうのだなどと恥ずかしげもなく記す私だが、もちろん、何百年と続いた伝統が無駄なものであるはずがない。
 ときおり訪れる静寂の中で聞こえるのはちりちりという湯の音のみ。お香の微かに薫る空間に、精神が安らぐ。

Dsc08032_169 帰路、4人で加茂川を散策する。ソメイヨシノは散り初めているものの、枝垂れ桜はまだ盛りだ。嵐を警戒していたが、花冷えの花曇りではあるものの、雨は降っていない。

 いちばん年長のやんごとなきお方が「だれが最初に死ぬんやろ?」とおっしゃる。

 いつまでも、だれも、死なないんじゃないかと、なかば本気でそう思った。

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2013.04.05

★形だけ真似ても・・・ または 仏作って魂入れず

 いささか旧聞に属するが、長野県飯田市に日本初?の本格的なラウンドアバウト方式の交差点ができたという。

 「ラウンドアバウト運用」の開始が2013年2月5日交差点の完成が3月24日だ。

 ラウンドアバウトというのは、信号機のないロータリー交差点のことで、四方八方から来た車がスムーズに目的の方向へと通過することができる、非常に優れた交通システムである。
 ヨーロッパなどでは、至る所で見られる。
 四方「八方」というのが大袈裟ではないのは、パリの凱旋門広場を考えればわかりやすい。あそこは実に12方向から車が流入する。それを信号なしで捌いているのだ。

 飯田市の件をニュースで見て、これをきっかけに日本でも普及すればいいなあと漠然と思っていた。
 「既存の信号機を撤去し、新たにラウンドアバウト方式の交差点へ変更することは、全国でも初の試み」(飯田市のウェブサイトから)だという。

 ところが・・・

 「ラウンドアバウトに進入する前には必ず一旦停止しなければならない」ということを知った。

 そんなアホな・・・ それはもはや、ラウンドアバウトではないといっても過言ではない。

 せっかく他国の優れたシステムを輸入するというのに、「仏作って魂入れず」のお手本のような愚策である。

 ラウンドアバウト内を走る車に優先権があるのは共通ルールだ。
 だが、そこへ進入する車は、相手が優先だということさえ間違えなければ、いちいち止まる必要などまったくない。
 「止まれ」の看板なんか立てると(ご丁寧に路面にもペイントするはずだ)、ロータリー内に車がいないときですら、一台一台止まらなければならなくなってしまう。

 立てるべき看板は、もちろん「徐行」である。英語圏だと "Yield" とか "Give Way" とか(いずれも「譲れ」)書いてあるのがふつうだ。

 ここで何か気づいたことはありませんか?

 30年ほど前に自動車学校で習って覚えたのに、公安委員会が立てている正式な「徐行」の道路標識はほとんど見たことがない。いや、もしかしたら一度もないかもしれない。

 日本の愚かな交通行政が、徐行す(相手に譲る)べき場合にすら、ほとんどすべて「止まれ」を立ててしまうからである(そういえば、韓国でも至る所に「徐行」の指示があるのに)。

 これは、制限速度が 60km/h でいいような道路に 40km/h の看板を立てるような行為とパラレルだ(もっとも、制限速度に関しては、近年、少しは改善が見られるようになってきた)。

 こんな愚かなことをやっているから、「止まれ」も制限速度もほとんどだれも守っていない。守る必要がない場合が多すぎるのである。
 それに慣れてしまった、これも愚かなドライバーが、守るべき時にさえ守らなくなってしまっているのも、その責任のおそらく半分以上は交通行政側にあるのではないかと思う。

 そして、取り締まりをやっているのは、安全な「守る必要がない場合」の方ばかり(だから私はほとんどの「止まれ」を守っている)。守らないと危険な場所での取り締まりはほとんどない。
 前者の方が違反者も多く、楽にノルマを達成して儲けられるからである。

 せっかくのラウンドアバウトの導入も、この国の貧困な交通行政を嘆く契機にしかならないのは、ほんとうに情けない。
 ___

 蛇足の追記:

1.私が生まれ育った住宅地には、おそらく私が生まれる前から「ロータリー」という名のラウンドアバウト方式の交差点があった。記憶にある限り、「止まれ」はなかったが、今はそうなってしまっているのだろうか。
(追記の追記:)千里ニュータウン内にもいくつかロータリーがあるが、調べた範囲では「止まれ」にはなっていない(Google の Street View で確認)。

2.実は職場の中にもすでにラウンドアバウトがある。当初は何の指示もなかったのだが、「ロータリー内優先」のルールを知らない車が多く(これは現状ではある程度仕方がない)、とうとう「止まれ」になってしまった。立てるなら「徐行」だというのに・・・
 もっとも、取り締まりの心配はないので、ほんとうに必要なとき以外はだれも止まらない。運転としてはそれでいいのだが、そういう行為を繰り返すことで、「法律や規則は必ずしも守らなくてもよいものだ」という感覚が身についていってしまうのは、非常によくない。

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2013.04.03

★病が取り持つ縁

 集団検診で引っかかり、職場の医師の診察を受けさせられ、病院へ行くように勧められた。

 ちょうど、家人が同じ症状で病院に行くというので、一緒に行くことにした。
 ところが、「早めに行けばすぐ診てもらえる」という家人の言葉とは裏腹に、開院前に行ってもすでに十数人待ちになっている。しばらく思案した後、時間がないので、とりあえず取りやめることにした。

 縁がなかったような気がして、知り合いの医師のところへ夕方にでも行こうかなと思って調べると、ちょうど休診日。
 2度も出鼻を挫かれた形で、「これは病院に行くなという暗示かも」と思いながら、早めの昼食時にネットで検索していると、わりと近くに専門医が開業しているのを知った。
 何かの病院検索サイトで、全国で専門医が数件しか上がってこないのに、その1つが居住している市内にあったのである(開業したばかりなので宣伝してるのかも)。

 そこに行こうかなあとも思ったが、私の行動範囲から微妙に外れた場所にある。画面を見ながら食後に「うーん」と悩んでいるうち、院長の名前が目にとまった。昔の教え子と同姓同名なのだ。すぐに筆跡と笑顔が思い浮かぶ。人柄のよい大らかそうな生徒だった。

 あるいは・・・と思って見ていくと、ウェブサイトに載っている写真が、記憶の中の顔とまったく同じ。疑う余地はない。彼である。
 しかし、四半世紀を経て、これほど変わらないのも珍しいのではないか。

 矢も楯もたまらなくなり、受付締切前ぎりぎりに駆け込む。本人を目の前にしても、年は取っているものの、顔も体型も昔のままだ。

 健康診断の経年変化を見て、やはり薬は飲んだ方がいいでしょうという。

 「まさか恨んだりしてないよね。医者に恨まれると怖いから」と冗談を言ったのだが、少なくともこちらにはまったく心当たりはない。だからこそここに来たのだ。
 今はほとんど軽快している(はずの)昔の持病の専門医でもあるし、問題がなければこのままかかりつけ医になってもらおうかと思っている。

 病院に2つも振られ、全国規模の検索で引っかかってきたのが「教え子」のクリニック・・・

 神やら仏やらを信じない私だが、たぶんこの偶然で寿命が10年ぐらい伸びたのではないかと思う。
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 昔、いわゆる進学校で教師をしていた関係で、教え子は各界で活躍している。

 一流といわれるような企業のサラリーマンや公務員はたくさんいるし、裁判官や大学教員、一級建築士などもいる。特に医師・歯科医師は多い。

 とはいっても、今でもつながりのある人は多くない。現実に会うことはほとんどないし(裁判官とは先日会った)、年賀状だって20年以上も経てばどんどん減ってくる。

 そんな中、驚くような再会であった。

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2013.04.01

★エイプリルフールならよかったんだけどね

 昨日一日だけブログのサブタイトルにしていたのだが、やっぱりなんというか、あまりにも下品なので、すぐ取り下げることにした。

 かといって、このままここから消えてしまうのも惜しいので、エントリにする。
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 日本維新の会綱領 第一(各社報道より)

 日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。

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 なんというかまあ、エイプリルフールならよかったんだけどね・・・

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