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2013.05.30

■固定観念の魔術

 梅雨入りした(近畿・東海が5月28日、関東甲信越が29日)というので、周囲の面々に、「5月に梅雨入りなんて記憶にある?」と聞いてまわり、自分でも「もしかすると生まれて初めてかも」とか思っていた。

 「1951年に記録を取り始めてから4番目に早い」(近畿の場合)というのだから、その可能性もあるんじゃないか、とか。

 老若男女(あ、老と言えるほどの人には聞いてないかな)、だれ一人として5月の梅雨入りが記憶にあるとは言わない。

 やっぱり・・・とか思いながら念のために調べると、なんと!

 2011年、一昨年の梅雨入りが5月22日と、今年より1週間近く早い。
 若い連中だって覚えているはずなのに、「梅雨は6月に入ってから」という固定観念が記憶を消し去ってしまうのだろうか。

 さらに恥ずかしいことに、私自身、その2年前の梅雨入りを、驚きを持ってここに記している。

 正しい記録を繙くと、5月に梅雨入りしたのは私が生まれてから今年で8回目ということらしい。しかも、うち7回は、十分に成長してから。

 うーん。こういうのってやっぱり、固定観念の魔術が記憶を消しているんだろうか。

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2013.05.29

■インスタントラーメンの作り方2

 ほとんどのインスタントラーメン(袋麺)の作り方の説明には、「スープは火を止めてからお入れください」みたいなことが書いてある。

 申し合わせたようにそうなので、その方がおいしくなる、何か深遠な秘密のようなものがあるのかと思っていた。

 ところが、何かのきっかけでその「真の」理由を知ることになった。

 それは、「火をつけたまま鍋の上からスープを入れようとすると、火傷の危険が増す」というものだ。

 大手メーカーのウェブサイトで見つけたので、少なくとも大きな理由の1つだろうと思う。

 明星の中華三昧は、私の知る限り唯一の例外で、「スープは火を止める直前にお入れください」と書いてある。
 律儀にその通りにしようとすると、確かに手を火傷しそうになる。

 なるほど。
 毎年世界中で、のべ何億人もがインスタントラーメンを作っていれば、火をつけたままスープを入れようとして本当に火傷する人もかなりの数に上るだろうことは容易に推測できた。

 それでもあえて、中華三昧が火を止める前にスープを入れさせようとするのはなぜなのだろう?

 その方がおいしくできるから? なら、他のラーメンはおいしさを犠牲にしているのか・・・

 いや、単に、中華三昧のスープがちょっと溶けにくいというだけのことなのかもしれない。もしそうだったら、もうちょっと工夫しろよ、と思う。

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2013.05.27

■幻の和菓子屋

 うちの(まあ)近所に、幻の和菓子屋(といっても、おはぎや大福や団子の類)があるのを知った。

 朝早くに行かないと売り切れるという情報が最初だったので、9時ごろには行かないとダメなのかなと思っていたら、なんと、

 6時50分ごろに店が開いて、8時にはシャッターが下りていた!

というのである。

 朝5時ごろから並ぶ人もいるとかいう一方で、開店時間も6時から7時のどこか、また、不定期に休むこともあるので、並んでも無駄になることがあるそうだ。

 偏屈な夫婦がやっているらしい。電話番号は非公開。営業時間の貼り紙等も一切なし。

 ここ数年でもっとも驚いたと言ったら大袈裟だろうか?

 バイクが来たら一度行ってみようと思う。

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■梅雨入り?

 梅雨明けのような晴天と気温が続いていると思ったら、なんと梅雨入りだそうである。

 とはいってもまあ、九州・中国・四国の話だけど、近畿だって「間近」らしい。

 バイクを買って、梅雨入りまでに少しは遊ぶことができるかと思っていたのに、これでは間違いなく梅雨入りしてから納車になる。

 こんなことなら、ゴールデンウィーク明けに納車になるように買っておけばよかった。

 とはいっても、当時は買う気なんかなかったんだけれど。

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2013.05.26

■ヘリで第2キャンプから移動?

 エベレストへの登頂を最高齢で達成した三浦雄一郎氏が、下山ルートの難化と自身の疲労のため、第2キャンプからヘリコプターでカトマンズへ移動することになったという(mainichi.jp)。

 このニュースを見て目を疑った。

 第2キャンプの標高は6500mだと書いてある。フィートに直せば2万1325になるのだが、2万フィートを超えるような場所で離着陸できるヘリがあるのだろうか。

 相当高性能なヘリでも、最高飛行高度が2万フィートぐらいで、ホバリング高度は1万5千フィートぐらいだと思う。
 単純に言って、標高5000mを超えると、離着陸できないのがふつうではないだろうか。

 ・・・と思って調べると、ユーロコプター社のエキュレイユ AS350 B3 というのが、2005年にエベレスト山頂に着陸したことがあるらしいのを知った。

 見た目は何ということもない小さな機体なのだが、なぜそんな芸当が可能なのだろう?
 ___

 天候が許さず、ヘリはまだベースキャンプ(標高5300m)にも行けていないらしいが、山頂に降りられるほど高性能なら、三浦氏のいる第2キャンプ(6500m)までは十分大丈夫なはずだ。

 ともかく、無事のご帰還を祈っている。

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2013.05.24

■憲法96条を「改正」してはいけない

 いわゆる「政治的」な発言や行動をしないことも、実はきわめて政治的な態度だというのは、いわば常識に属する。

 だが、理屈はともかく、庶民的な皮膚感覚としては、政治的な言動が出る人が「ちょっと変わった人」に見えてしまうことも否定する気になれない。

 それに、政治を見て発言しようとすると、のべつ怒ったり嘆いたり悲しんだりあきれたりしなければならなくなってしまうような状況下、だからといって実際にそんなことをやっていると、ほんとうに「変わった人」になってしまって敬遠される。

 しかしながら、やはり声を上げなければならないときもある。
 いや、いくらでもあるのだが、そんなことにかまけてばかりいるわけにはいかないのも、生活実感としての事実だし、だからふだんはほとんど発言しない。

 それでも、いくら何でもこれは・・・というような愚かな企みが進行中の今は、やはりあえて旗幟鮮明にしておかなければなるまい。

 憲法96条の「改正」。憲法改正の発議要件を「緩和」しようという悪だくみ。

 まさに、「96条を守れるかどうかは、単なる手続きについての技術的な問題ではなく、権力を制限する憲法という、立憲主義そのものにかかわる重大な問題」なのである。

 マンションの建て替え決議をするのにさえ5分の4の賛成が必要なのに(区分所有法第62条)、現行96条は3分の2である。3/4や4/5に改正しようというのならともかく、1/2にしようとするとは・・・

 「96条の会」には、改憲論者も入っている。9条を改定したい人もいる。そういう人たちもが一致して96条の「改正」には反対しているのだ。

 私も、「9条の会」には賛同するものの、特にコミットしようとは思わなかった。しかしながら、「96条の会」には微力ながら参画したい。

 皆さまも是非、このブログの右肩をクリックして「96条の会」のウェブページをご覧になり(クリック自体では賛同したことにはなりませんので、ご安心?を)、よろしければ賛同署名をお願いしたい(氏名は非公開にもできます)。

 いくら何でも、こんなひどいことは、私たちが声を上げてやめさせなければ。

 今こそが、「まあ、べつに」とは言っていられない瀬戸際だと(たまには真面目に)考える。

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2013.05.23

■プロフェッショナル

 JR西日本の運転士が、速度計が4km/h ほど狂っていることに体感で気づき、途中で運転を打ち切ったという話が新聞に載っていた。

 もちろん、4km/h 違うと数字までわかったわけではない。

 だが、気づいたきっかけは「滋賀県彦根市の彦根駅で電車が運転士の想定より10秒早く到着」したことだったというのだ。

 10秒!

 その後の停車駅でも想定より「5〜10秒早く着き、運転士の体感速度も速度計の表示以上だった」そうである。
 車掌側の速度計と比べた結果、車掌側が120km/h のとき、運転士側が116km/h で、時間と体感から、運転士側の速度計が狂っていると判断したらしい。

 旧国鉄の時間管理の凄さを信頼していたことは以前書いたが、現在もあれは健在だということだろうか。

 私も速度や時間には敏感な方だが、さすがにこれほどの感覚は持ち合わせていない。まあ、交通量やら渋滞やら信号やらに悩まされる車と比べることはできないにしても。

 さすがはプロである。

 だが、他の鉄道各社の運転士もこうなのだろうか。そして、海外の運転士たちも?

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2013.05.22

■ホトトギスが鳴いた

 今、ホトトギスが鳴いた。教科書どおり?2回続けて。

 ホトトギスの鳴き声が聞こえるところに住んでいること、鳴いたのがホトトギスだとわかることに、小さな幸せを感じる。

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2013.05.17

■いつ買えばいいのか

 ↓に書いた「デジタル録画双眼鏡 DEV-50V(SONY)」、その前の製品「DEV-3」は、「世界初」の「フルハイビジョン動画撮影」が「できるデジタル双眼鏡」として売り出されている。

 だが、タダでもちょっと欲しくないような大きさとデザインだ。

 今度出たDEV-50Vは、10万円なら十分検討に値する。15万といわれると、双眼鏡としてどの程度使えるかによるかもしれないが。

 問題は、「タダでもいらない」DEV-3が発売されたのが、たった1年半前だということ。あっという間に、これぐらい魅力的な製品に脱皮するのだ。

 DEV-3の存在自体知らなかった私などはどうでもいいが、間違って?買ってしまった人は今ごろ地団駄を踏んでいるのではないだろうか。
 それとも、そんな細かいことは気にせず、またあらためてDEV-30やらDEV-50Vやらを買うような人だから初物に手を出したのだろうか。

 「欲しいときが買い時」とはよく言われるけれど、こんなにあからさまなことが起こっては、とても買う気になれない。
 また1〜2年経って、20万でも欲しい!というような製品が10万円で発売されたらどうなるのか。

 そんなことを言っているうちにどんどん年を取ってしまいそうな気もするけれど。

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■なんかすごいのが出た

Dev50v ネットでニュースを見ていると、なんかすごいのが発売されたという情報が目に飛び込んできた(すみません、「2013年6月21日発売予定」だそうです)。

 「デジタル録画双眼鏡 DEV-50V(SONY)」

 記事には倍率25倍とあったが、光学的には12倍らしい。双眼鏡としても使え、写真もビデオも撮れるという。

 この手の製品はほとんどなく、あっても性能が中途半端で、高くて重くて人気がない。

 でも、これは良さそうだ・・・ と思って見ると、ソニーストアでは16万8千円もするし、双眼鏡といっても、光学的な像を見るのではなく、「有機ELビューファインダー」に映し出された像を見ることになるらしい。
 それではやはり、双眼鏡の代わりにはならないんじゃないだろうか。

 驚いたのは、これが以前の製品の改良版だということ。ソニーがそんなものを出していたのをまったく知らなかった。

 双眼鏡として使いものになるかは、実際に店頭で覗いてみなければわからないだろうが、あまり期待しない方がいいかなあ。

 カメラも欲しいしバイクも欲しいし、珍しく欲しいものが重なる。

 あ、カメラをやめてこれにすれば丸くおさまる・・・かも。
 でも、期待するような写真が撮れるんだろうか?

 追記:
 新聞にも記事が出て「1.6km先のものが目の前にあるように見える」と書いてある。まさか。
 この機種の倍率表記は双眼鏡のそれと同じなのだが、画質が劣化するデジタルズーム最大倍率の25倍で考えても、1.6km先のものは64m先にしか見えない(1600/25)。64mも先のものを「目の前」って言うだろうか。
 記者が勝手に書いたわけでもないだろうから、ソニーの発表をそのまま記事にしたんだろうけど、ソニーがそんなバカなことを言ったのかなあ(商品のサイトではとりあえず見つからなかった)。
 いずれにせよ、記者もデスクも少しは頭を使って小学生レベルの計算ぐらいはしてほしい。たとえ計算しなくても、最後は「見える」なんて断定しないで「見えるという」ぐらいにしておくのが無難だろう。
 それに、「1.6km先」って何だよ? なんでそんなに中途半端なの? 2km先のものは目の前に見えないの? 1km先じゃダメなの? これたぶん、もとは「1マイル先」なんでしょうね。ソニー製品の広報すら、日本でもアジアでもヨーロッパでもなく、アメリカを向いているとは・・・

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2013.05.11

■インスタントラーメンの作り方

 雨の土曜日の昼下がり、家に一人なのでインスタントラーメンを作った。

 食品庫から「サッポロ一番 しょうゆ味」を取り出すと、賞味期限が切れている。
 そういえば、このごろ食べる機会が減ったかなあ・・・ といっても、代わりに「エースコックのワンタン麺」とか「どん兵衛鴨だしそば」とかを食べているのだから大差ない。

 サッポロ一番は、みそラーメンのほうが近年おいしく感じるのだが、しょうゆ味は5個パックで298円、みそラーメンは398円で売られていることが多く、何か理不尽な感じがして最近買っていない。
 100円の違いにこだわるしみったれであることは否定しないが、性格的に理不尽なことが許せないのが最大の原因だと思っている。

 ともあれ、みなさんはインスタントラーメンをどのように作りますか?

 私は基本、「おいしい召し上がり方」的に作るのが通例だった。
 ただし、お湯は多めに入れて後で余分を捨てる。また、「焼豚、卵、メンマ、野菜などを加えますと一層おいしく」などの部分は無視する ^^; そんな面倒なことをしないために、インスタントラーメンを食べてるんだから。

 ところが、ここのところ、ジャーのお湯でスープを別に溶いておき、茹でたお湯は全部捨ててから麺をスープの中に入れることが多くなった(もっとも、わざわざザルを使ってお湯を切るようなことまではしない。洗い物を増やしたくないからだ)。
 そうやって作るのが本来の姿だとどこかのサイトに書いてあったのが発端である。調べると、某メーカーのサイトにも同様の記述を見つけた。なら、「おいしい召し上がり方」にもそう書いておけよと思うのだが、そこはそれ、消費者に面倒がられないようにしているようだ。だったら「焼豚、卵、メンマ、野菜など・・・」とか書かなければいいのに。

 茹で汁を捨てる利点は、特に油揚げ麺の場合、余分な?油を一緒に捨ててしまうことができて、健康的になることである。
 欠点はやはり、こくというか味わいというか、そういうものが減殺されることだ。結局のところ、そういううまみって油なんだなあと思う。

 でも、慣れてくると、むしろ油のない方が本来の味だという気もしてくる。油コミでインスタントラーメン本来の味なのか、それともそうではないのか、メーカーの開発者なんかと話してみたい気もする。

 まあ、たかがインスタントラーメン、それに、味って結局好みなのでどうでもいいようなものなのだが、「自分の味覚が実際にどう感じるか」よりも「「正しいおいしさ」をおいしいと感じられる舌になるべきだ」みたいな発想があって、何が正しいのかを決めてほしくなるのである。

 要するに、自分の味覚に自信がないだけなんだけれど。

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2013.05.05

■たった1週間の付き合い

 連休中、仕事以外にもう一つのことをやっていた。

 今さらながら、大型自動二輪車の免許を取ったのである。いや、厳密には教習所を卒業しただけだが、あとは免許をもらいに行くだけだ。

 かれこれ30年近く、大型二輪の免許が欲しかった。
 とはいえ、現実的に考えたことはなく、まあそのうち機会があれば・・・などとのんびりかまえているうちに四半世紀以上経ってしまったことになる。

 そこそこバイクに熱を上げていたころには、大型免許は試験場の「一発試験」で「限定解除」する以外に取る方法がなかった。よくは知らないが、噂によれば合格率は数%で、十数回受検しなければ合格しないという話だった。
 いかにも面倒くさいし、400cc(中型)のバイクならほぼすべての車より動力性能は上だ。「ナナハン」への憧れはあったものの、切実に免許を取得したいというほどの情熱はなかった。

 そうこうするうち、アメリカやドイツなどから外圧がかかって(「特殊な免許制度という非関税障壁でハーレーやBMWが売れない」!)、大型免許も教習所で取れるようになった。調べてみると、1996年のことらしい。
 子どももできて、ちょうど、2台目の400ccを盗まれたころではないだろうか。「この際大型免許を」とは考えもしなかったと記憶している。

 その後しばらくは90ccのスクーターに乗ったりもしていたが、ほどなくバイク自体に乗らなくなった。最後は確か、ちょっといい自転車を買うのと同時期に手放した。
 ___

 その後、バイクのことはほとんど忘れていた。発売される車は気になるが、バイクの方は気にならなくなっていたのがその証拠だ。

 ただ、ときおり、旅先でツーリング中のバイクなんかに出会うとまじまじと見たりすることはあった。
 また、若者のバイク離れに排ガス規制も重なり、いつの間にやら二輪車全体が地盤沈下しているのを知って驚いたりもしていた。

 わたしが免許を取ったころに比べると、二輪車の国内販売台数は80%減、生産台数に至っては90%減ぐらいになっている。
 生産台数はまあ、海外生産が増えたからだとも思えるが、販売台数が1/5って、よくそれで業界自体がなくなってしまわないものだと思う。おそらくは、海外でそれなりに売れているからやっと何とかなっているんだろう。

 そんな中、数年前からふたたび、大型免許が気になりだした。もう20年も経てば(10年ならぜんぜん大丈夫だと思うのだがどうだろう?)、体力的・技術的に免許が取得できなくなるかもしれないことも頭にちらついた。
 人生の逆算を始める年齢に入ったのである。

 調べてみると、教習所の料金は10万円ぐらいであった。当面乗る予定もないのにちょっともったいないし、めんどくさいなあということで、またしばらく忘れていた。

 ところが先日、ホンダが新しい400ccを出すのをたまたまネットで知った。今さら400に乗る気はないが、まったく新しい同様のコンセプトによる700ccのバイクが昨年すでに発売されているらしい。
 しかも、その "New Mid Concept" とやらが、妙にしっくりくるのである。実際、日本ではリターンライダーをターゲットにして商品展開しているようだ。

 ・・・とはいえ買う気はない。
 だが、意識がそちらへ行くと、そろそろ免許を取っておいてもいいかなという気はしてきた。

 改めて近くの教習所のウェブサイトを見たが、やはり10万弱。うーんと唸っていると、京都に5万円台半ばで取れるという教習所を見つけた。しかも、追加料金一切なし! 体力と技術の衰えが気になる身には頼もしい限りである。
 しかも、この4月に教習車両を入れ替えたとかで、まさに "New Mid Concept" の新車が教習車だ。
 京都とはいえ、通学?時間も1時間ほど。これはもう、行くしかあるまい。

 ただ、「最短6日間で卒業」とか書いてあるのだが、まさか。
 そんな宣伝文句をそのまま信じるほど若くない、まあ、5月中に取れればいいや、何となれば今年中でも・・・とか考えていた。

 それが、ほんとうに実質6日で卒業してしまった。行けない日が2日あったので8日間にわたったが、日曜から日曜まで、ゴールデンウィークをフルに使う必要すらなく取れたのである。

 教習中、あっちでもガシャン、こっちでもブォォォン(転んだときにアクセルを捻ってしまうのだ)と若い連中が転倒しているのを横目に、昔取った杵柄、もちろん一度も転倒することなくストレートで卒業してしまった。
 体が硬くて筋力がないわりには上出来である。

 それにしても、たった1週間で片がつくことを30年近く・・・ 教習所で取れるようになってからでも15年以上だ。年を取るはずである。
 ___

 以前、1年以上かけて飛行機の免許を取ったときには手放しで感激・感動したものだが、さすがに1週間ではそれほどのことはない。
 それでも、苦節30年?・・・何とか卒業検定に合格すると、やはりそれなりの感慨はある。

 学校と違って、毎日のようにどんどん教習生が「卒業」していく指導員には迷惑かもしれないと思ったが、ちょうどお昼休みに皆さん揃ってお弁当を召し上がってるところが窓越しに見えたので、おそるおそるドアをノックしてお礼を言う。「お食事中申し訳ありません」。

 たった1週間の付き合いだし、今後会うこともないだろう。でも、だからこそだろうか、きちんと挨拶しておきたくなったのだ。

 困るのは・・・

 買う予定なんか全然なかったし、置き場所すらないのにバイクが欲しくなってきたことである ^^;

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2013.05.02

■教育再生実行本部(長)?

 新聞に載っていた「自民党教育再生実行本部長」で衆議院議員(しかも、元文部科学副大臣・自民党国際局長経験者)の発言を読んで目を疑った。

 「まず目標を決め、そこから逆算して教育の中身を決めていくことが確実です」

 なるほど。それは一つの考え方ではあろう。ところが、これは

 「探したら米国にTOEFLというテストがある」《中略》「これを目標にしようというわけです」

と続くのだ。

 「探したら・・・」

 そんな人物が、「教育再生実行本部長」なのだ。

 だから、TOEFLがどんなテストでどんな問題が出されているのかまったくご存じない。

 「まずは、センター試験から英語をやめ、TOEFL一本にする」という。

 「私は受けたことはないです。受けても10点ぐらいでしょうか(筆者注:120点満点)。英会話を習ったこともあります。うまくなりませんでしたが」

 教育にも英語にも何の見識もない人物が、「教育再生実行本部長」として日本全体の(英語)教育を変えようとしているのだ。

 ご存じだろうか。実は、「教育再生実行本部」にも「教育再生実行会議」にも、教育学者が一人も!いないことを。

 今に始まった話ではなく、歴代の教育審議会等のメンバーにも、教育学者はほとんどいない。
 教育学の成果や蓄積を無視して、「有名な」あるいは「優秀な」個人の経験による思い込みによって教育行政を弄んでいるのがこの国だ。
 時には(いや、しばしばか)、優秀とはほど遠い人物すら混じる。

 第一、どうして今ごろになって、教育「再生」なのだ?
 戦後に限っても、何十年にもわたってずっと「改善」「改革」を続けてきているはずなのに、今、教育は死んでしまっているのか。

 そう、今回も「教育再生」などできるはずがない。まして「実行」など。

 ほんとうに教育再生とかそれを実行とかしたいならば、まず、教育についてきちんと研究したことのある人々が中心になって、教育そのものや教育行政を考えなければならない。

 言うまでもなく、大学院から幼稚園まで、ほとんどの教員は個人の経験による思い込みによって教育しているに過ぎず(それはそれで悪くはない面もあるのだが)、教育について研究した経験などない。
 まして、スポーツコメンテーターやら大企業の経営者やら政治家やら作家等においてをや、である。

 「教育再生実行本部」や同「会議」のメンバーには、せめて、教育学の成果をきちんと学習してから教育について語ってもらいたいと(空しく)願うばかりだ。

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