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2013.09.22

■「公募校長」が次々に不祥事を起こす原因は・・・

 大阪市が鳴り物入りで導入した市立小中学校への「民間人公募校長」だが、900人以上の応募者から選び抜いた精鋭11名のうち、すでに6名が悪い意味で新聞沙汰になった。
 まだ半年も経っていないのに、である。

 6/11 の衝撃!

 どこの職場のどんな職種を取りだしてみても、11人のうち6人に新聞に載るような問題があるなどということが起ころうはずもない。
 注目度が高くてマスコミに取り上げられやすいという面はあると思うものの、いくらなんでも、それにしても、である。

 ちなみに、大阪市には430近い市立小中学校があり、400人以上の「非公募」校長がいるはずだが、そのうちのだれかが今年度に入ってから不祥事で新聞報道されたというのは寡聞にして聞かない。
 仮にあったとしても、たとえば 1/40 の10人以上などということすらありえないだろう。

 6/11 には何か原因があるとしか思えない。

 3/11 になったときからつらつらと考えていたのだが、私なりの憶測的結論は以下に落ち着いた。

 公募校長たち(の多く)が、「橋下の威を借る狐」だからだ。

 人間だから、もちろんだれしも聖人君子というわけではない。
 しかし、(6人のうち特に3人が)持ち前の悪いところを臆面もなく発揮しているとすれば、「威を借る狐」の浅ましさ・卑劣さ以外に考えられないと思ったのである(上に書いたように、あくまでも憶測です)。

 そう考えて、他の方々がどう解釈しているのか調べてみると、また違う分析に出くわした。やや長いが引用する。

この人々がある種の「人間的資質」を共有していたのだとすれば、それは任用者自身の「個性的な人間的資質」を反映していると推論して過たないだろう。 これらのケースを見ると、これら「不適格校長」に共通するのは、「威圧的」「強権的」「暴力的」「性差別的」そして「無責任」ということである。 任用者はおそらくそういうタイプの人間につよい共感を感じるのであろう。 (「公募校長」の資質について 内田樹の研究室)

 なるほど。

 そうやって選ばれた人たちが、選んだ人の威を借りて傍若無人に振る舞っているのだとすれば、より納得がいく。

 選考者にも被選考者にも欠けているもの、それはたぶん、decency とか modesty とかいう資質ではなかろうかと思う。
(なかなか訳しにくいのですが、「品位と慎み」という感じでしょうか。)
 ___

 私も新聞に載らないようにしなければ・・・

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2013.09.20

■「日本で作ってるスクーターはないですよ」

 ホンダのバイクディーラーで待ち時間に雑誌を読んでいると、別の客と店員との会話が聞こえてきた。

 店員曰く「日本で作ってるスクーターはないですよ。」

 客が日本製のバイクを選びたいと言ったらしく、その答がこれだ。
 ほとんどがタイ製なのだという。

 まあ、驚くほどのことではないのだが、四輪の自動車はまだまだ、ほとんどが日本製である。だからこそ、ニッサンのマーチはタイで作っているとかいうのが話題になるのだ。
 バイクの方は、ほとんど人々の関心を引かないまま、ひっそりと「スクーターはすべて?外国製」になってしまっている。ホンダのスクーターでも。

 幸いというべきなのかどうかわからないが、私が買ったのはスクーターではなく、製造も熊本県らしい。もっとも、部品レベルで言うと海外からの調達が増えているという。

 世界に冠たるドイツの高級車だって、ポーランドやハンガリーや南アフリカや中国なんかで生産している。もはや、いわゆる先進国に、大型製造業の余地は限りなく小さくなってしまっている。
 電気製品にしても、たとえば「世界の亀山モデル」は一過性のものだったし、堺の大工場も本来の力を発揮する前にシャープが傾いてしまった。

 工業製品だけでももちろん大問題なのだが、こんな調子で進んでいくと、

 「日本で作ってる野菜はないですよ」
 「日本で作ってるコメはないですよ」

とか、果ては

 「日本でやってる教育はないですよ」

なんてことになってしまうのではないだろうか。

 サンフランシスコ → シアトル便の Delayed Bag(ロストバゲッジ)について、フィリピンにいる担当者と話すような現状では、そういうことすら近未来に起こりかねないような気がする。

 これだけ通信環境が発達してくると、「教師はどこにいる何人(なにじん)でもかまわない。ある程度優秀ならばとにかく人件費の安い人」というような圧力が働いても不思議ではない。

 そうさせないための砦の一つはおそらく日本語だろう。

 だが、それも非関税障壁として排除され「英語で教育を」ということになるかもしれないし、そういう動きは現に始まっている。

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2013.09.15

■山あいのフレンチ

 3連休のうち晴れるのは1日だけだというので、久しぶりにバイクに乗って走ってきた。といっても怠惰な私のこと、起床は9時半を過ぎてから、走り出したのは11時半を過ぎてからである。

 もう何度目だろう、亀岡から日吉経由で美山方面へ。
 亀岡なんて、この20年ほど、ほとんど行ったことがなかったのに、通過を含めればここ1年で7回ぐらいは行っている。何が起こるかわからない(まったく大したことは起こってないんだけれど)。

 8月でももっと涼しい日に走ったことは何度かあるというほどの暑さだったが、もう刈り入れが終わった田んぼが散見され、先端から色づきはじめた紅葉を見たのは、やはり秋である。

 ともかく、美山町(といっても、ぜんぜん観光地ではないことろだ)の山あいを走っていると、オーベルジュ(フランス風料理宿)があるのに気がついた。レストランもやっているらしい。確か、通過するとき、Open の看板も見えた。

 通り過ぎてから、さっきのレストランでお昼にするのもいいかもと思った。近くにご飯を食べられそうな店はないし、もう1時過ぎだ。このままだと「道の駅名田庄」になってしまうのはほとんど確実である。
 それに、こんな人里離れたところでフレンチが成立するのかという好奇心もあった。

 Uターンして、店の前にバイクを駐める。駐車場には車が一台。どうもお客さんの車らしい。一応、客はいるのだ(失礼)。
 様子をうかがってからおそるおそるドアを開けると、テーブルには布のクロスがかかっている。やっぱりちょっと、ソロのライダーが食べにくるような店ではないのかと戸口で思案しながらシェフと目を合わせると、以心伝心、「3000円のコース料理だけになるんですけど・・・」と言われた。

 「そうですか、すみません。じゃあ、けっこうです。失礼します」と言って辞去しようとすると、奥さんらしき女性が、「また今度よろしかったら」と折りたたんだパンフレットをくれた。

 店を出て、じゃあ、どこで食べようかなあ、やっぱり道の駅かなあとか考えるうち、もう面倒だし、3000円でもいいやという気がしてきた。

 もともと、1800円とかなら覚悟していた。何といってもフレンチなのである。
 それに、本当なら大山とか知多半島とか、高速代が5000円くらいかかるところに出かけるつもりだった。寝坊してそれができなかったのだが、それを考えれば3000円は安い。
 とかなんとかいろいろ考えたが、一番の理由は、「もう面倒だからここで」である。エネルギー補給のためにおいしくもないランチを食べても、どうせ1000円くらいはする。ここで一発、3000円払えば、話の(ブログの)種になるとも思った(笑)

 再度ドアを開け、「やっぱりいただきます」と告げてテーブルにつく。クロスは重厚な布だが、ナプキンは紙でちょっとほっとする。

 フランス料理の店なんだから当然なのだが、フランス語の好きなシェフで、宿はオーベルジュナカザワ、レストランはシェ・ナカザワとブラッスリーカンパーニュ、ジャムはコンフィチュールである。
 じゃあどうして Open は Ouvert じゃないんだろう? さすがに、それではわからないからだろうか。でも、清水牧場は Ouvert だったぞ。まあ、どうでもいいけど。

 先客は奥の小部屋に隔離されていて、またまたひとりフレンチのような状態である。料理はリーズナブルでおいしかったが、2500円とか2800円とかにすれば、少しはハードルも下がるのにと思った。

 しかしよくまあこんなところでこんな店を・・・ ほんとに山あいで、道路沿いには1軒の人家も(というか、どんな種類の建物も)見あたらないのである。
 帰宅してからウェブで見ると、「南仏のオーベルジュでの修行店が忘れられず、同じシチュエーションを探し求め現在の地の美山に」とあった。
 もちろん、どんな店で修行なさったのかは知らないけれど、そういえば、あのフランスのオーベルジュもこんなシチュエーションだったなあと思った。

 美山の北集落(合掌造りの茅葺き家屋で有名)などに出かけるときはぜひお寄り下さい。ほんとはランチでも予約がいるようです。

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2013.09.10

■ことばは生き物

 大学受験生から「「ことばは生き物だ」ってどういう意味ですか」と聞かれた。

 なぜそれが一番聞きたかったのかがよくわからなかったし、どういう文脈で出てきた表現なのかもわからなかったのだが、即興で適当に答えておいた(すみません)。

 もうちょっとわかりやすく、一般的な答を書いておきますので、よかったら参考にしてください。
 (念のため、今後新しい質問をいただいても答えられませんので、あしからずご了承ください)

  うまくできるかなあ?
 ___

 「ことばは生き物だ」と言われるのは、ことばというものが生き物と同じように、生まれ、成長し、変化し、老い、死んでいくからです。

 成長の早いものや遅いもの、立派に成長するものやそうでないもの、急速に老いるものや寿命の長いものなど、いろいろなことばがあるのも、生き物と同じです。そしておそらく、生き物と同じように、すべてのことばはいつか死んでいきます。

 いわゆる流行語というのは、次々に生まれて爆発的に成長しますが、あっという間に老いて死んでいくことばです。ただ、まれに長生きすることもあるのが面白いところです。

 ことばはまた、生き物と同じように、姿を変えていきます。あおむしがサナギになり、やがて蝶になるように(という例はちょっと適切ではないかもしれませんが)、意味や音や使われ方が変わります。たとえば古語の「おどろく」「ののしる」「うつくし」「おまへ」と現代語の「驚く」「罵る」「美しい」「お前」とを比べてみてください。
 それだけではなく、同じことばが使われ方によってさまざまな意味を持ちます。たとえば、関西弁の「あほ」というのは、文脈によって、罵倒から「好き」まで、あらゆるニュアンスで使われます。おそらく共通語の「ばか」も似ているのではないでしょうか。

 生き物とは思えないほど寿命の長いことばもあります。よく使われる基本的なことばの中には、よく使われるからこそ変化が大きいものもありますが、安定してあまり変わらないものもあります。前者は例えば、やさしい動詞ほど語形変化が激しい英語を思い浮かべてください。後者は例えば、「顔」「手」「足」「行く」「来る」などを考えるといいでしょう。それでも「来る」は形がかなり変わってきていますね。

 さて、ことばは生き物と同じように、次々と生まれ、また死んでいきます。生き物と違うのは、生まれたことばは常に「正しく」なく、間違いだと思われたり奇妙だと思われたり下品だと思われたりすることです。
 しかし、そのうちのいくつかのことばが成長し、多くの人に気に入られてふつうに使われるようになります。そうなると、いつの間にか「標準的な」「正しい」ことばとして認められます。
 世界中のあらゆることばはすべて、このサイクルを常に繰り返しています。私たちが今「標準的な」「正しい」ことばだと思っているもののほとんどは、かつては間違いだと思われたり奇妙だと思われたり下品だと思われたりしていたものです。
 言い換えれば、「正しさは常に間違いによって駆逐されていき」「その間違いが新たに正しさを獲得する」ということです。私たちが使っている「正しい」ことばは、歴史的な「間違い」の集積です。

 最後に、もちろん「ことば」は語句に限りません。上にも少し書きましたが、発音や表記や文法から実際の使用法に至るまで、何もかもが生き物のように生々流転します。
 私の嫌いな「間違った」ことば、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」「千円からお預かりします」「ご使用できません」「半端ない」「真逆」などは、もはや市民権を得つつありますが、これらが「正しい」ことばとして認められるのはいつごろのことになるでしょうか。

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2013.09.09

♪♪ほうら、羊が駆けてくる

 清水牧場では、清水さんにいろいろお話を伺ってから、牧場を見学させていただくことになった(ウェブサイトには「まきばの見学も基本的にお断りしております」とあります。事前に連絡して「どうしても」と言えば見せていただけるようですが、今回の見学は恩師が古い知り合いであることにご配慮くださったものですので、その旨ご承知おきくだされば幸いです)。

 靴の裏を石灰で消毒してから、四駆の軽トラの助手席に1人、荷台に3人が乗っていくのだが(走るのは公道ではありません)、きれいな道の上を走っていても、怖くて必死にしがみつくみたいになってしまう。脚にも力が入り、すぐ筋肉痛を起こしそうだ。

 いよいよ牧場にかかり、ここをあの状態で登っていくのは無理ではないかと思って、「歩いてもいいですか」と聞くと、「かなり距離があるので・・・」とのこと。
 覚悟を決めて乗ったとき、連れの「ここにつかまって立って乗れば」との提案に救われた。

 それからは打って変わって地獄から天国である。

 あいにくの天候だが、スイスを思わせる牧場の風を受け、広い視界の中を走って行く。先ほどまでは恐怖に過ぎなかった揺れが、心地よさとスリリングとの中間くらいになり、かっこうのアトラクションだ。
 行ったことはないが、東京ディスニーランドのすべてのアトラクションより、こちらの方が魅力的だろうと思った。

 牧場の真ん中あたりに車を止めるが、羊の姿は遥か彼方(写真後方左奥)である。あそこまでは歩くしかないのかなあと思っていると、清水さんが車のホーンを鳴らした。
 本物のホーン(=角笛)ではなかったことだけが残念である。

Dsc00062_169 すると、上の方にいた羊が、列をなして颯爽と駆けてくるのだ!

 緩いS字の列を作り、どんどんどんどん近づいてくる。

 なんて賢いんだろうと思ったが、もちろん、何のことはない、手を叩けば集まる鯉と同じで、エサをもらえると思って寄ってくるに過ぎない。

 だが、予想していなかったことで、感動的でさえあった。

 スイスアルプス風の牧場ということで、道中、「アルプスの少女ハイジ」なんかの話をしていたものだから、

 あの、歌にある「♪ほうら、羊が駆けてくる」って、本当だったんだね!

とか言っていた。
 ___

 その後、松本市の老舗の飴屋さん(ってどういう店かわかりますか)に行って、そこで知り合った大学受験生の女の子にも、「アルプスの少女ハイジって知ってる? あの歌の「♪ほうら、羊が駆けてくる」そのものだったんだよ」とか言っていたのだが、帰りの車の中で唐突に、

 正しくは「ほうら、あの子が駆けてくる」である

ことを思い出した。

 どうしてそんなバカな思い違いをしていたのかはわからない(気づいてたんなら言ってよ ^^;)。


 ・・・だが、やっぱり、あの光景は「♪ほうら、羊が駆けてくる」と口ずさむ以外にないふさわしさを持っていたと思う。

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2013.09.08

■松本からノンストップ

 さっきまで!長野県のJR松本駅前にいたのに、もう自宅のいつもの机に座っている。
 夕食(おいしいフレンチ)は松本でいただいたのに、その日のうちに帰ってこられるとは・・・

 松本インターから自宅最寄りインターまでは文字通りノンストップ、昨今は料金所で止まる必要もない。
 高速に乗る前と降りてから、信号で止まったのも数回だけ。
 その間、眠くもならず喉も渇かず、トイレに行きたいとも休憩したいとも思わなかった。

 信州には時々行っているが、こんなに速く帰ってきたのは初めてだと思う。
 いや、行きはともかく、帰りに関しては過去にもノンストップがあったかもしれない。でもまあ、思い出せないのだから初めてみたいなものである。

 早く帰ってきても家人が起きて待っているわけもなく(息子は起きていたので適当に寝るように言うとすぐに寝てしまった)、特に意味はないのだが。

 いやしかし、とにかく松本がこんなに近かったとは・・・

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■Google マップに(も)ご用心

 1年ほどまえに iPhone が発売されたとき、標準マップがひどすぎて使いものにならないとずいぶん話題になった。
 現在は大丈夫らしいのだが、初めに使っていなかったせいで引き続き今も使っていないという人も多いのではないかと思う。

 代わりに一番使われているのは、やはり Google マップだろう。地図アプリはいくつも入れているものの、私も Google をメインに使っている。
 ___

 昨日の夕食の席で、隣の若い女性2人組がペンションから番所大滝まで歩いて往復してきたというので、ちょっと驚いた。
 ここに登って来る途中にあるのだが、歩いたら相当距離があるのではないかと思った。しかも雨である。

 手持ちの iPhone で場所を確認すると、ここから車で13分と出る。徒歩では1時間20分とか。

 雨の中を歩くのはちょっと大変かと考えていたけれど、そんなに遠いのか・・・と思って場所をよく見ると、はるか上の方にある善五郎の滝近くを示している。
 番所大滝を何度検索してもそこで、カーソルを合わせるとご丁寧に滝の解説まで表示されるのだが、場所が違うのは明らかだ。番所の方はここより下なのである。

 謙虚な(笑)私は、それでも、自分が勘違いしているのだろうかとさまざまに思いをめぐらした後、iPhone の標準マップでも確認してみた。
 そちらの方は、ちゃんと正しい場所を示す。
 念のため、パソコンで検索しても、Google はあくまで善五郎の滝近くを主張する。

 やっぱり、Google マップは番所大滝の場所を間違えているのだ。実際の場所とは5km 以上離れている。乗鞍高原でもっとも有名な観光地の一つであるにもかかわらず・・・

 まあ、Google 様といえども、間違えることはあるだろう。驚いたのはむしろ、標準マップが正しい位置を示していたことだ(笑)

 今度から使ってあげようかなあ・・・

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2013.09.07

■わけあって乗鞍

 また乗鞍に来ている。このブログを始めてからでも、少なくとも4回目になる。

 一昨年に来たときほどではないが、またずっと雨だ。道中も、名古屋で一時晴れ間が見えた以外は雨だった。

 ペンションのご主人に、「雨で残念でしたね」と言われ、「まあ、観光で来たのではありませんから」と返事すると、「お仕事ですか」と驚かれた。
 仕事で乗鞍にやってきてひとりでペンションに泊まる男もそういないだろう。

 仕事ではないのだが、明日松本で恩師と会い、かつての取材先?を訪ねることになっている。松本にお昼集合なので、近くで前日泊にしただけだ。
 駅近のビジネスホテルでも良かったのだが、旅の窓口(楽天トラベルと言いたくないなあ)に適当なのが出てこなかった。何か細工でもしてるんだろうかと思った。

 残念ながら、明日も雨のようである。まあ、懐かしい人々に会うだけだけど、目的地が牧場なんだから、晴れるに越したことはないのに。

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2013.09.06

■陰謀論者も真っ青

 世に「陰謀論者」と呼ばれる人たちがいる。

 典型的には、「2001年にアメリカで起きた911テロは、アメリカ自身の陰謀による自作自演だ」というようなことを大まじめに主張する人たちのことである。

 心ある人たちは、そういう人たちの存在を憂うとともに、こうした荒唐無稽な「陰謀論」が一般の人々にまで浸透しないように心を砕いている。

 「陰謀論者は論理的にものを考えられない残念な人たちであり、間違った信念に凝り固まっているので何を言っても無駄」というのが、「良識派」の共通理解であるようだ。

 しかし、陰謀論者を嗤っていられないようなことが次々と明らかになっている。

 例のエドワード・スノーデン元CIA職員の内部告発によって、アメリカがさまざまな個人情報を違法に収集していることは、もはやだれもが知るところとなった。

 いや、それだけではまだ「陰謀」の名に値しないかもしれない。

 本日(2013年9月6日)付の朝日新聞夕刊で知ったのは、NSA(アメリカ国家安全保障局)などが、インターネットの暗号化技術を解読したり無効にしたりしているということだ。
 問題は、そういう努力をしていること自体ではなく、

 「IT企業やインターネットのプロバイダーなどの協力を得て、暗号情報に侵入するための「裏口」も設けている」とか
 「NSAは設計段階から(暗号化技術に)関わり、侵入しやすいよう「弱い部分」を仕込んでいた」(丸括弧内は筆者補足)とかいう点だ。

 これはもう、陰謀論者が「それ見たことか。やはり巨大な陰謀が渦巻いているのだ」と言っても、「はい、おっしゃるとおりですね」と返事するしかないレベルの「陰謀」であろう。

 あれ!? じゃあ、真っ青になるのは、「心ある人たち」「良識派」の方であるべきですね。
 「陰謀論者」は「やっぱり」と小躍りして喜んでいるはずだ。

 でも、こういうときって、「陰謀論者も真っ青」って言いますよね?

 どうしてなんだろう?

 (念のため、少し真面目な補足:「心ある人たち」も、これくらいのことはあり得ることと考えていたと思います。「911はアメリカの陰謀だ」というのとは、まったく次元の違う話です。でも、それにしても・・・)

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2013.09.04

■星を見るための双眼鏡選び

 天体観測のために持ち運び重視の双眼鏡を買いたいというご相談をコメント欄に受けたので、コメントでお返事した。

 だが、コメント欄に埋もれていては他の方に参考にしていただける可能性はほぼ皆無なので、エントリにする。

 エントリにしたからといって、ほとんど他の方の目には触れないかもしれないが(笑)

 ===

 こんばんは。

 天体観測は専門外(笑)なのですが・・・

 まず、双眼鏡で天体を見ても、月以外は大きく見えません。太陽を双眼鏡で見ることはできませんし、それ以外の恒星はどんなに拡大しても点光源で、大きくなりません。
 また、メシエ天体を見るには双眼鏡では力不足です。

 月以外には、金星・火星・木星・土星の惑星のみがかろうじて大きく見え、見る意味もあります(特に火星以外の3つ)。金星は満ち欠けしますし、木星は縞模様と衛星、土星は輪が魅力的です。
 が、それも双眼鏡では相当厳しく、木星の縞模様は無理、衛星はなんとか、土星の輪はかろうじて・・・くらいかと思います。

 では、双眼鏡で星空を見る主な意味はどこにあるかというと、やはり集光力です。つまり、見えない星が見えるということです。都会や郊外でオリオン座の剣やスバルなんかを双眼鏡を使って見ると、肉眼とはぜんぜん違う世界が広がります。

 やっと本題です。すみません。

 集光力が重要ですので、星見のための双眼鏡は口径の大きなもの、典型的には50ミリクラスがよく使われます。
 上記の通り、大きくする意味はほとんどないので、倍率はむしろ低い方が望ましく、その方が視野も広く明るくなり、手振れの心配もいくらか少なくなります。低倍率で広視野だと星座を見つけやすくなり、場合によっては全体像が視野内におさまります。

 大きさや重さとのトレードオフになりますので、50mmが大きすぎるようなら、40mmクラスも候補になさってはいかがでしょうか。コンパクトな方がということであれば、モナークの36mmなどは小さくていいと思います。
 まあしかし、「常にカバンに忍ばせる予定なので携帯性重視」とおっしゃる以上、25mm〜20mmクラスになりますね。その場合、タンクローはいい選択肢でしょう。

 ご質問の答はもうおわかりかと思いますが、もちろん、10倍ではなく8倍の方をお選びになるべきです。
 ただ、タンクローになさるなら、定番の名器、タンクローWP(8×25 UCF WP)のほうがいいのではないでしょうか。口径もいくらか大きくなりますし。

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