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2014.06.28

◆また出費

 イタリアから帰った翌日だったと思う。夜中、やっともろもろに一段落ついてほっとしていたら、先に床に就いていた家人が暗い顔をしてリビングに上がってきた。イヤな予感がする。

 「また水が漏れてるみたい・・・」

 寝室の天井からぽたぽたと水が滴っているというのだ。うちの場合(どこでもそうかな?)、これはかなり深刻な事態である。
 ちょっと変わった設計にしたので、1階の寝室の上に台所とか洗面所とかの水場がある。その配管が天井裏を縦横に走っているのだ。あるハウスメーカーは、「2階にお風呂だけは勘弁してください」と言ったが、うちは結局風呂場も2階に作ってしまった。

 すでに経験があるのでわかるのだが、こうなるともう、寝室の天井を剥がして水回りを修理し、また張り直すしかない。前は畳も電灯も入れ替えた。下手をすると数十万円仕事になる。
 とりあえず水道の元栓を締めたのだが、そうするともう、元栓を触って汚れた!手も洗えない。浴びようと思っていたシャワーも無理。歯は磨いておいて良かった。トイレはどうなる??

 次の日ももちろん二人とも仕事で、修理の人を呼ぶことすらできない。水道のない生活を1日でも送る大変さは、やってみた者でないとわからない。

 でもとにかく朝一番に業者に電話して仕事に出かける。「担当者がいないのでそのうち折り返す」みたいな対応で不安になる。できれば明日にでも来てほしいと言ったのだがどうなることやら・・・

 と思っていると、すごく気の利いた業者で、驚くほど迅速に動いて修理してくれた。

 それはまあよかったのだが、原因を探るために天井を壊したし、いずれにせよ水浸しで、張り替えなければならないことに変わりはない。
 ___

 家のための出費ではないが、壊れているところすら直さない最低限の車検と1年分の任意保険で30万近い散財を余儀なくされたばかりである。最悪直さなくてもいい息子の歯列矯正にも数十万かかる予定。

 だれが見るわけでもないし、天井にはこのままダンボールでも貼っておこうかと思ったが、さすがに本気ではない。いったいいくらかかるんだろう? それに、もう設備も古いし、またすぐ漏れたりしたら・・・

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2014.06.26

◆よき隣人

 行きの関空→ドバイ便はがらがらだった。事前に、最後尾の2人がけ窓際を押さえていたものの、関空でもっと前の3人がけを係員から勧められ、「3席分、お一人でお使いになれますよ」という言葉がそのまま実現した。

 帰りのドバイ→関空便も同様の空き具合を想定していたのだが、早く乗り込んで待っていると、座席がどんどん埋まってくる。
 同じように、最後尾の2人がけ窓際に座っていた。こんな席の通路側(すぐ右後ろはトイレとギャレーだ)に好きこのんで乗ってくる人はまずいない。ぎりぎりで隣に誰もいない状態を確保できるかとどきどきしていたところ、ものすごく太った厚かましそうなおばさんが、私の席の番号を唱えながら一生懸命自分の席を探していて、一時は「もはやこれまで」と観念した。だが、結局、どこかへ行ってしまった。おそらくは、真ん中の4席か、向こう側の2席だったのだろう。

 その後、華奢な感じの若い女の子が、私の席の番号と「C」とを唱えながら席を探しにきた。このあたりは2列席なので、C席は存在しない。不思議に思っていると、チケットの別の場所に書かれた「C」を座席と勘違いしていたみたいで、実際はB席だった。つまり、私の隣だ。

 座る前に「よろしくお願いします」と元気に挨拶される。
 飛行機に乗っていて隣に座る人からそんな挨拶をされたのは初めてである。少々驚いたものの、気分が悪かろうはずはない。隣に人が来ることがわかってがっかりはしたものの、体が大きくなくて厚かましくない人なら幸いだ。この娘は両方の条件をクリアしている。

 機長のアナウンスによると、滑走路が1本で運用されているということで、なかなか離陸の順番にならない。今地図を見ると並行滑走路が2本あるようだが、それだってどうかと思う。あれだけの繁栄と滑走路の数が見合っていない。成田や関空でさえ2本あるし、ロサンゼルスなんかだと長いのが4本だ。羽田も長短合わせて4本ある。

 結局、1時間遅れで離陸するまでの間、初めての海外旅行で撮ったという写真を私に見せながら、いろいろと話を聞かせてくれた。もちろん、それはそれで楽しかったが、まさかフライト中もずっとこんな調子ではないだろうなと一抹の不安がよぎったのも事実である。だが、そんな不安は当然ながら的中せず、(私もわりと寝ていたのでよくわからないのだが)静かに音楽を聴いているか、ぐっすり寝ている(彼女の語でいうと「爆睡」)かのどちらかで、食事の前後なんかに少し会話を交わす程度であった。
 一度彼女が後方のトイレに立ったので、それにあわせて私も前方のトイレまで行った。戻ると、彼女が席に座らずに待っていて、私が戻るとペコリと頭を下げた。当たり前のようだが、気の利いた行動である。これまで、窓側の自分が気を遣って、通路側の人に合わせてトイレに立っても、戻ってくるともう通路側の人が席に着いているということがよくあった。お互い気も遣うし、座ったり立ったり大変だと思うのだが、この彼女のように行動した他人に会った記憶がない。

 体も大きくないし、厚かましくない。ミラノ→ドバイ便で隣に座ったイタリア人のように、両方の肘かけにどかっと肘を乗せ、こちらの席にまではみ出してくるようなことはもちろんなく、肘かけは常に空いている。
 私もがんばってよき隣人になろうと努めていたつもりだが、向こうはどう思っていたかわからない。だが、わたしにとっては、ほとんど理想的なよき隣人であった。
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 その節はありがとうございました。お蔭様で長い長いフライトがほとんど苦痛ではありませんでした。お仕事大変でしょうが、気楽に楽しんでください。また楽しく海外に行けるといいですね。

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2014.06.23

◆合法的プチ詐欺にご注意

 せっかくの感動に水を差すのが、詐欺的な支払いのさせ方。

 クレジットカードの伝票を示し、ここにサインしろというので何も考えずに素直にサインしていると、"Japanese ?" とか聞いてくる。「日本人か」と聞かれたと思って "Yes, I'm Japanese. "とか言っていると、要するに、すごくレートの悪い日本円で支払うことにされていた。それが確信犯なのは、伝票にくどくど書かれた言い訳を読めばわかる。一昨年、東ヨーロッパで預金を引き出すとき、悪いレートを飲まされたときと同じ手口だ。

 「私はどちらの通貨で支払うかの選択肢を与えられ、その結果行った選択が最終的なものであることを受諾する。私はこの支払いをするに当たって提示された換算率も受諾する」という感じの英語が小さな文字で6行に渡って印刷されている。最初から読まないことを狙った文章である。もちろん、日本円を選ばせて損をさせようという魂胆だ。

 まあ、1000円ほどの焼きそばで、50円ほどのことなんだけれど、それでもやっぱり5%うまく誤魔化されて掠め取られるのは気分がよくない。
 みなさん、ドバイ空港での支払いでは、必ず現地通貨(AED/DHS)を選びましょう。円を選ぶと損をするように仕組まれています。10万円の時計とか買うと、5000円近く損します。

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◆またドバイ ──つらい帰国の途

 とりあえず、またドバイにたどり着いた。ベルガモから電車、ミラノからバス、空港から飛行機で今ここ。このあとさらに飛行機に乗ってバスに乗って、迎えの車に乗って家にたどり着く。
 乗り物の数が6、時間にして28時間とかそんな数字になる。うーん、やっぱりちょっと・・・とは思うけれど、いずれにせよ、大阪からミラノに直行便はない。

 案の定、窮屈な座席に厚かましい隣人、さらに、珍しく通路側に座ったので、配慮なく通過する乗客や乗務員!に泣かされた。

 唯一、イタリアを後にしてよかったことは、タバコの煙から解放されたことだ。

 以前来たとき、こんなに煙たかった記憶はないんだけれど、それはなぜなんだろう。
 とにかく、屋外では老若男女いろんな人が、びっくりするくらいタバコを吸っている。列車やバスを降りるや、そこでもここでもパチパチと火をつけているので、ほとんど逃げ場がない。今どき、駅のホームでの喫煙や歩き煙草がごく普通だなんて、かなり驚かされる。

 昔はそれほど気にならなかったのは、私の煙への感受性が今より鈍かったこと、移動が車だったことが大きな理由だろうか。それにしても、ヴェネツィアだってフィレンツェだってボローニャだってミラノだって歩いたのに、煙たかった記憶がない。単に忘れただけだろうか。

 ともかく、ミラノの空港から自宅までスモークフリーでいられることは、このつらい帰国の途におけるほとんど唯一の救いだ。

 飛行機が出るまで、まだ3時間ある。
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 以上は注文したパッタイ(タイ風焼きそば)が来るまでの間に書いたのだが、来たパッタイが感動するほどおいしかった。いくらパスタが好きだとか言ってみても、やっぱりアジア人なんだなあと実感する。
 でも、パッタイはおいしくて、お寿司はどうしてあんなにまずそうで高いんだろう。とても食べる気になれない。

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2014.06.22

◆孤独で無力な異邦人

 ミラノ中央駅からマルペンサ空港に向かうバスの中で、道ばたに座ってタバコを吹かしているロマ(ジプシー)のおばあさんを見ながら、やっぱりときおりは、自分を孤独で無力な異邦人にすることが必要だと思った。

 いや、もちろん、日本にいたって孤独で無力であることに変わりはないんだけれど、そうはいってもやっぱり家族はいるし仕事もあるし知り合いだっている。自転車にもバイクにも車にも自由に乗れるし、何より、使われている言葉のほとんどが理解できる。

 家族で海外旅行をするときの現地での移動手段はほとんど車である。どこへでも自由に動き回れるし、何より荷厄介から開放される。ときには駐める場所に悩まされることもあるけれど、郊外や田舎を旅している分には、そんなことすら稀だ。

 ところが、仕事で海外に来ると交通弱者になることが多い。荷物をコロコロと引っ張りながら、バスから電車へ、駅からホテルへと移動していく。エレベーターはなかったり、あっても故障や修理なんかしていたりして(今日のベルガモ駅がそうだった)重い荷物をぶら下げて階段を上らされたりする。
 空いた時間にちょっとどこかへ出かけても、駅から先は歩くしかなく、半径1km 2km の範囲が自分の世界になる。コモ湖畔のベンチに座って通りすがりの車やバイクを眺めながら、「乗り物があればこのまま湖を一周してからベルガモに帰れるのに」と思ったものの、実際にはすることもなくて、ほんの1時間ほどで Lecco の街を後にした。まさか、バスやタクシーで湖を一周するわけにはいかない。

 まあでも、切符を買って電車に乗れば、ホテルに帰って昼寝もできる。言葉はろくに通じなくても、おいしいフレッシュジュースを飲んでタリアッテーレを食べるのは別に難しくない(高いけど)。
 中央分離帯に腰掛けてぶつぶつひとり言をいいながらタバコを吹かしているおばあさんにとっては、人生はそれほど楽ではないだろう。でも、タバコなんか買うお金があるんだろうか。服だってそれほどどうしようもない代物には見えないけれど、いったい、どこでどんな生活をしているんだろう。

 これは日本にいてもそうなのだが、おおぜいの人々を見るたびに、この人たちの一人一人がどこかに住んでいて、毎日毎日、食べたり寝たり働いたり働かなかったりしながらそれぞれの人生を生きているというのが、何だかとっても不思議なことのように思える。
 あのおばあさんだって、とにかく今日まで無事生きているわけで、ともかくも僕より長い年月を何とか過ごしてきたのだ。牽引しているキャンピングカーのタイヤがパンクして、「あーあ」といった風情で取り替えようと準備をしているおじさんや、それを不安そうに見守るおばさんなんかと同じように。
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 孤独で無力な異邦人は、隣のおじさんの厚かましさや臭いに悩まされながら、窮屈な座席に座って地球を半周し、家族や仕事やバイクや車が待つ、言葉に不自由しない場所に帰る。
 火曜日のお昼は久しぶりにあの店にいって天ぷらうどんを食べよう。その前に仕事があるけれど、そのくらい、まあ何とでもなるだろうと思える。

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◆旧市街へは歩いて登るべき

 ベルガモの旧市街にはホテルがあまりないせいもあり、宿は新市街に取った。仕事の場所は旧市街の真ん中なので、毎日、ホテルと丘の上とを往復することになった。3日間で都合4回だろうか。5回かもしれない。

 とはいっても、遠くもなく便利だ。ホテルの前から10分おきに来るバスに乗り、20分もすれば旧市街に着く。途中のケーブルカー(フニコラーレ)の駅で降りて乗り継いでもいいし、そのまま終点までバスで行ってもいい。3日券が€7(970円)だったので、費用も気にならなかった。

 だが、旧市街へは歩いて登るべきである。それが無理だというのなら、せめて下りるときは歩くべきだ。今日試しに下りてみると、フニコラーレの丘の上(旧市街)の駅から下(新市街)の駅まで、写真を撮りながらのんびり下りて、なんと10分きっかりしかかからなかった。

 いや、もちろん、時間がかからないから歩けというのではない。その間、大パノラマを見下ろし、城壁の門をくぐり、みごとなカーブを描く石畳の橋を下りていく。左に折れて、高い塀に挟まれた秘密の通路めいた回廊を下る。この先どうなっていくんだろうと思っていると、わりとあっさり下の駅に着いてしまうのはご愛敬だ。

 こんな道があると知ったのは、Yahoo!の天気予報の画面からだ。画像がどんどん入れ替わるようで、もうあの美しい写真を見られないとしたら残念だが、城壁の門を出ると、まずこんなところを下りていくことになる。

 旧市街へは、ほとんどの人がフニコラーレかバスで来て、駅とバス停とをつなぐメインストリート(ゴンビト通り)を往復して帰ってしまうようだ。有名な広場や教会も、その途中にある。
 今日は土曜日だったせいもあり、ゴンビト通りには人が溢れていたのだが、他の場所にはほとんど誰もいなかった。いくら歩き回ってもどんなに迷っても、すぐ見覚えのあるところに出てきてしまうような狭い街なので、ぜひあちこち回ってみるのをお勧めしたい。さんざん歩いても、2時間とかからないだろう。

 できればぜひ往復、歩いて上り下りしてみてほしい。フニコラーレの丘の上の駅からは展望がないし(カフェに入ればあるかも)、素晴らしい道を通って自力で旧市街にたどり着き、下に広がる大パノラマを見下ろすのは、おそらく特権的快楽である。
 ただ、ふつうに観光で来ると、旧市街には一度登って下りればおしまいということになるだろう。だとすれば、フニコラーレにだって乗りたいと思うのが人情だ。その場合、終点のバス停の先にある、もう一つのフニコラーレに乗って、旧市街を見下ろすさらに高い丘に行くのをお勧めする。もう一つの絶景ポイントだ。あ、あれだって帰りは歩いてもよかったかも・・・

 とにかく、少なくとも旧市街からの帰りは歩いて下りてください。ぜったい後悔させません(笑)

 フニコラーレの駅を正面に見て、右にある車両進入禁止の道路を下っていくと、3〜4分で城門に着きます。それをくぐり、石畳の橋を下りていき、すぐ見える3本の柱を過ぎたら左折して細い道に入ります。すぐ正面に見えるフレスコ画?のところをまた左折すると、5分ほどでフニコラーレの駅です。
 登る場合は、下の駅に向かってすぐ左の階段を上って逆コースをたどります。道なりに進んで突き当たりを右折、すぐに目の前が開けるので、また右折して石畳の橋を登って城門をくぐり、そのまま右前方に登っていくと丘の上の駅に着きます。
 登りも下りも、城門の前にある車道を渡る際はくれぐれもご注意ください。

 道順を写真に撮ったので、「ここを曲がる」とかやってもいいのですが、ぜひご自分の体と目で、あの雰囲気を体感なさってみてください。
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 それにしても『地球の歩き方』とかいいながら、旧市街への歩き方が載っていないのは嘆かわしい。これを載せないでどうするのだ。14年前のだけではなく、航空券を買った旅行会社がコピーしてくれた(いいんだろうか? よくないよね)新しいのにも載っていなかった。

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2014.06.21

◆ベルガモ礼讃

 一昨年に訪れたスロベニアのようなできごとがあったわけではないけれど、ベルガモも礼讃に値する街だと思う。

 まず、新市街と旧市街が丘と城壁で截然と区別され、中世がそのまま残されたような丘の上の旧市街が別世界になっているのがいい。そこへ行くのに、バスが城壁を取り巻きながら門をくぐって行ったり、あるいはケーブルカーで城壁を這い上っていったりするのも、いかにもな儀式めいて楽しい。下りるときは一度歩いてみようかなとも思ったが、まだ果たせていない。明日余裕があったら試してみよう。
 旧市街の城壁の上に出るとロンバルディア州のパノラマが見渡せ、別のケーブルカーに乗ってさらに高い丘に上がると遠くミラノまでが見通せた(が、城壁からでも見えるはずだ)。
 建物も木々も、光までもが美しく、小鳥が囀り、ハヤブサがホバリングを披露してくれた。

 旧市街が素晴らしいので新市街を見て回ろうという気はおきないが、そこですら、歴史を誇る日本の街以上の古さを感じさせるたたずまいだ。

 ヨーロッパには趣のある古い街が多いが、ベルガモはその中でも10指に入りそうな街である。まあ、「10指に入りそうな街」が、たぶん100以上はあるだろうというのがヨーロッパなんだけれど。

 何でも、来年あたり世界遺産になるようで、その後の大騒ぎ(になるんだろうか)の前、しかもシーズンオフに来られてよかったと思う。
 「それほど有名な街でもないし、あまりぱっとしたところだとも思えない」なんて書いてすみませんでした。自分が知らなかっただけで(そういえば日本人にはまったく会わなかった)、我が身の不明を恥じております。

 体感治安もすこぶるいい。ミラノなんかと違って、何か悪いことが起こりそうな気がまったくしない。イタリアにあっては、これは貴重なことである。
 人々は陽気で感じもよく、ミラノ空港の苦虫をかみつぶしたようなインフォメーションのおじさんが同じイタリア人とは思えないほどだ。

 イタリアの街と言えば、やっぱり、ローマ・ベネツィア・フィレンツェ・ミラノ・ナポリ・ボローニャ・ピサ・・・みたいになるが、こういうこぢんまりした、それでいて特徴的な街も魅力的だと思う。行ったことはないけれど、アッシジとかってこんな感じじゃないんだろうか。
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 ミラノに行く機会があれば、ぜひベルガモまで足を伸ばすことをお勧めします。中央駅から電車で50分、駅から旧市街までは歩けるくらいの距離で、10分おきに出るバスに乗れば€1.25、20分ほどで旧市街です。途中で下車してケーブルカー(フニコラーレ)に乗っても、バスの切符がそのまま使え、再度切符を買う必要はありません。最初の乗り物に乗るときに、切符を機械に差し込んで自分で日時を刻印するのをお忘れなく(これはイタリア中で共通の習慣のようです)。

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2014.06.20

◆無料国際電話

 その昔(心理的には今でも)国際電話をかけるのにはかなりのハードルがあった。
 まず料金が高い。それに、相手は日本語をしゃべらない可能性が高い、音質も悪くて聞き取りにくいなど、実際にかけるとなるとちょっと気合いが必要だった。

 今の職場に勤め始めたとき、「国際電話をかけるときには申請書を出せ」とかいう話があり、「しばしば外国とやりとりをする部署なのに、そんな悠長なことをしていて大丈夫なんだろうか」と、かなり疑問に思った記憶がある。
 ただ、ほどなくしてインターネットの時代が来て、海外との連絡には(も)メールを使うのがふつうになった。
 そういうと、職場から国際電話をかけたことはほとんど(もしかすると一度も?)ないんだけれど、今は何も考えずに部屋にある電話からかけてもいいんだろうか。

 今回の旅行では、仕事の場所にもホテルにもインターネットアクセスがあり、それを使えば無料で日本と連絡できる。仕事仲間も、facetimeで子供と話すとか言っていた。

 私のiPhoneには LaLa Call というアプリを入れていて、それを使えばインターネットを介して家の電話と無料で通話できる。関西電力系の eo光がやっているサービスだ。原理的には海外でも使えるはずなので調べてみると、インターネットに繋がりさえすれば大丈夫なように書かれていた。

 家人からメールで連絡があって、義父に続いて義母も入院したということもあり、先ほど試しに電話してみた。
 なんと!と驚くほどのこともないのかもしれないが、日本にいるときとまったく同じ操作で、番号すら国番号とかつけないで、あっさりと繋がって話ができたのにはちょっと感動した。
 それが無料なのである。
 日本の他の電話にかけると有料だが、国内からかける料金と変わらない。
 とうとうテレコミュニケーションの時代はここまで来たんだなあと、ちょっとした感慨を覚えた。facetimeとか使ったことがないので、そっちの方がもっとすごいんだろうけれど。

 でも、facetimeが無料なのはわかるが、家の電話と話をしてほんとに無料なのだろうか。帰ってから莫大な国際電話料金を請求されるのではないかと、古い頭で1%くらい心配している。

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2014.06.19

◆イタリア・・・

 これもまた特に何も考えていなかったのだが、やっぱりここはイタリアだった。

 いや、何も考えていないとはいっても、ひったくりやスリにはかなり注意している。
 実際、ミラノ中央駅の自動販売機にまず表示される文言は「スリに気をつけて下さい。使い方を教えようとする人には要注意です。わからないことがあれば必ず係員に聞いてください。」というような注意書きであり、実際にボタンを押していると、さっそく、「使い方はわかりますか」みたいな感じで係員ではない風体の男が親切そうに近づいてきた。
 そういう土地柄である。

 だが問題は、そういう悪意ある連中ではなくて、なんかもう、文化的に「働く」ということの意味が違うことに起因するものだ。

 たとえば今朝は、新市街から旧市街に登るケーブルカー(フニコラーレ)の切符売り場が開いていなかった。時間が早すぎるからではない。係のおばさんが(たぶん勝手に)席を外しているからである。

 窓口にはアクリル?のブロックが置いてあるだけで、Closed に相当するような文字や、「〜分後に戻ります」といったような表示は一切ない。いろんな国籍の観光客が十数人、わいわいがやがやと各自意見を述べるが、切符が買えないことには変わりない。

 そのうち、すぐ横のカフェで切符が買えるという情報を得た。買いに行くと、われわれが買いたい3日券や1日券はチケット売り場でなければ買えないという。「売り場はいつ開くのか」というと、カフェのおにいちゃんは「10分後」と答えた。
 仕事仲間が乗り場で列車の修理をしているおじさんに聞くと、今度はOne Minute(1分? すぐ?)と言われたというので待っていたが、5分以上経っても開かない。「もしかして、修理が終わるまでが1分では?」と、もう一度聞き直しても、やはり One Minute である。そうこうしているうちに、切符を買えない乗客を残して、別の列車が出発してしまった。

 なぜこっちは1分で向こうは10分なんだろう? そもそもどうして、カフェの店員が10分だとわかるんだろう? とか言い合っていると、なんと、カフェから鍵束を持った女の人が出てきて、「まさかあの人では?」と見るうち、ものすごくゆったりとブースの裏に回り、鍵を開けて中に入ってきた。
 この人は、世界各国からの観光客を不安にさせたまま、コーヒーを楽しんでいたのだ。店員が10分と言ったのは、彼女のいつもの様子を知っているからに違いない。

 こういうとき、イタリア語で皮肉の一つでも言えればいいんだけれど、もちろん何も言わないし、言えなかった。笑顔で!切符を買おうとすると、クレジットカードは使えないという。マクドナルドでも使えるのに、もうすぐ世界遺産になろうかという旧市街へ行く交通手段に使えないとは・・・

 長々と書いたが、まあだいたいにおいてそんなものである。この手のことでめげていたのでは、イタリアではやっていけない。
 昼食の支払いはクレジットカードでできそうだったのに、機械の不調のせいか、2枚とも使えないと言われた。

 最後に・・・

 仕事で行った由緒ある建物(部屋の壁に(たぶん)フレスコ画が描かれていたりする)の中で派手に転んでしまい、右目の右下と左膝にすり傷ができた。何より困ったのは、眼鏡が壊れてしまったことである。幸い、この春に大枚はたいて買ったレンズは無事で、フレームも修理すれば何とかなりそうだが(希望的観測)、この文章も、見えにくい別の眼鏡で書いている。
 これもイタリアのせい・・・ではないかもしれないが、予想しない段差が待ち構えているという点では、私のせいばかりとは言えない ^^;

 「大人になってから、歩いていてあんなに派手に転んだのは初めてじゃないかなあ」と考えるうち、少なくともあと2回あったのを思い出した。でも、いずれもここ10年以内のことである。
 老化のせいではなく、なんとかイタリアのせいにしたいんだけれど。

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◆ヨーロッパ一人旅

 ようやく無事に目的の街、ベルガモに着いた。日本を出てからちょうど24時間くらいかかっている。家を出てからだと30時間近い。
 晴れていたのに、ベルガモ駅のホームに降りるまさにその瞬間から夕立で、しばしの雨宿りを余儀なくされる。
 疲れた顔でホテルのフロントに辿り着き、一瞬ぼーっとしていると、互いに顔を見合わせて妙な間(ま)が流れた。「ブオナ・セーラ」「ブオナ・セーラ。すみません、とっても疲れたものですから」
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 ドバイからミラノに飛ぶのはもちろん決まっていたが、空港からどうするかはあまり考えていなかった。
 ベルガモ行きのバスがあるのだが、待ち時間が数時間というので、結局、ミラノの中央駅までバスで出て、そこからベルガモまで列車に乗ることにした。その列車の待ち時間さえ40分以上あった。

 ミラノからベルガモに向かうしょぼくれた2等車から、あまりぱっとしない車窓風景を眺めているうち、何だか妙な感懐に包まれた。
 寂寥感・・・と言ってしまうとちょっと違うのだが、たった一人で遠い国の侘びしい電車に揺られていると、この年になってもこんな感覚になるのだとちょっと驚いた。

 こういう感じってあまり経験がないなあ・・・と思いをめぐらすうち、あることに思い当たった。

 別に何とも思っていなかったのだが、こんなふうに一人だけで、しかも電車で海外を旅するのって、もしかすると、それこそ30年ぶりではないだろうか。この感じは、初めて海外旅行に出たハタチの時にまとわりついていた、あの感覚に似ている。

 2度目の海外旅行となった1991年以降、移動は車が基本になっているし、家族だとほとんどずっと行動をともにする。仕事で同僚なんかと来るときは一人になることも多いものの、今回のように最初から今まで一人というのは初めてかもしれない(明日は仕事仲間に会えるはずだけれど)。

 今、記憶と記録をたどってみると、やはりというか、一人で行ったのは、アメリカへ飛行機の免許を取りに行ったときと、サイパンにダイビングのCカード(免許)を取りに行ったとき、その後グアムに潜りに行ったときだけだ。
 いずれも電車での移動はなく、グアムとサイパンは空港からバスでホテルに直行、アメリカは空港まで教官が迎えに来てくれていた。

 「異国を電車で一人旅」は、やはり30年ぶりなのである。そんなこと考えもしなかったけれど、実際にそれをやってみると自然に同じ感覚が甦ってきたのだ。

 30年経っても進歩していないことを己に教えるかのように。

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2014.06.18

◆長い待ち時間に

 乗り継ぎ時間が長いことがわかっていたので、先延ばしになっている仕事でもしようかと準備をしてきたのだが、疲れて眠いし、とてもそんな気力は湧かない。ふだんだって怠け者なのだから期待する方が無理である。「どうしようもなくヒマだったらするかなあ」と思ったんだけれど、やっぱりしんどい。

 ありとあらゆる人種・民族に溢れた周囲も同様である。多くは椅子に座ってうとうとしたりしている。
 感心したのは、お祈り用に持ち歩いていると思しき敷物を広げて、その上に横になっている人たちの姿だ。中には、白い布にくるまって繭と化している人々も見かける。それなりに敬虔なムスリムだと思うのだが、公共の場所でお祈り用の敷物の上に横になるのは別にかまわないらしい。

 私はといえば、椅子に座っても寝られなかったので、免税店をひやかしたり(欲しいものはなかった)、ターミナルを端から端まで散歩したりした。敷くものもないし、横になって寝る勇気はない。

 出発までまだあと2時間・・・

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◆エミレーツでドバイ

 やっとドバイに着いた。「やっと」といっても、浅いながら長く眠ったようで、2回の食事と映画1つ(3 Days to Kill:ケビン・コスナー)以外はあんまり記憶にない。

 2年前に続いてまたドバイになったのは偶然ではないだろう。相変わらず、朝の4時でも、見る限りすべての店が開いており、往来も絶えない。ニュージーランドやらブラジルやらにもここから直行便で行ける。「そんなマイナーな街にまで直行便が・・・」というような地名も、行き先表示板に並んでいる。

 エミレーツ航空もいい。
 夜食のマッシュポテトや牛肉も、朝食のクロワッサンや鮭も、「おいしい」と表現して差し支えないレベルである。
 わざとらしいマニュアル笑顔はないが、乗務員も感じのいい人が多いし、よく教育されているようだ。3年前のユナイテッド航空とは3レベルくらい違う気がする。
 コーヒーだけはちょっとひどかったけれど。

 そういえば、最後に国際線で日本航空に乗ったのはいつだろう。ちょっと思い出せない。今回の便も日航とのコードシェアなのだが、そういうのではなくて、ちゃんとした?日本航空で海外に行ったことがあったっけ?
 もしかすると30年以上ないのかな。まさかね。今度調べてみようと思うが、可能だろうか。

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2014.06.17

◆関空にて

 関西空港にいる。もう出国はすませた。クレジットカードのラウンジが21時に閉まってしまったらしいので、その辺のベンチに座っている。目の前には大きく Ciao とイタリア語(ですよね?)で書かれたタリーズコーヒーのスタンドがあり、これも何かの縁かと久しぶりにツイートした。

 関空に来るのはたぶん2年ぶりになると思う。
 バスがターミナル1の4階に着こうとするとき、Terminal 1 と書かれた目を引くデザインの看板が目に入った。
 出国エリアでは、ピクトグラムを使ったわかりやすい注意書きなどがたくさん並べられていた。
 いずれも2年前にはなかったと思う。

 出国してすぐの免税店は、22時が近いというのにまだ開いていた。仕舞い支度という感じでもなかったので、22時を超えても営業を続けるのかもしれない。目の前のタリーズは22:22だが開いている。
 これはやはり、改善されたようだ。2年前は22時に開いている店は(ほとんど?)なかった

 無料で簡単に無線LANが使えるのも初めてかなと思ったが、これは2年前もそうだったようだ。

 家から目的地までざっと24時間の旅・・・
 こんなにかかってもいいんだったら、サッカーのワールドカップだって見に行けそうだ(残念ながら興味はないけれど)。

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2014.06.16

◆イタリア行き

 なんとなくまだ現実感がないのだが、明日からイタリアに行く。
 ここに書くと現実感が出てくるかなあと思って書き始めた。

 午前中は仕事をして、いったん家に帰って支度をしてから夜に出る。
 なんだか一人前の社会人みたいだと思ったが、一人前の社会人は前日に休暇を取ったりしないし、きちんと夕方まで仕事をしてから直接空港へ向かうのかもしれない。

 準備をしないといけないのだが、何となく億劫で机に座ってうだうだしている。これを書くのをきっかけにガイドブックやカバンを引っ張り出すことにした。

 イタリアに行くといっても仕事だし、初めての国でもないし・・・と思っていたが、今調べてみると、実に14年ぶりということのようだ。
 ガイドブックも前のでいいやと思っていたのだが、そんな昔ので大丈夫だろうか。

 そのくらい行っていなくても、やはり気分は高揚しない。何かにつけ、やはり「初めて」が好きなのだなあと改めて思う。

 そうそう、目的地自体は初めての街だ。
 だが、それほど有名な街でもないし、あまりぱっとしたところだとも思えない。ガイドブックを取ってきた。
 うわっ、通貨の単位が「リラ」だ・・・

 目的の街については、4ページだけだが記述はあった。
 ミラノから50kmくらいのところにあるのだが、空港からどうやって行けばいいのかもわからない。いったんミラノに出ないといけないのかな?

 さて、そろそろカバンを出してこよう。

 長い長い機中が快適に過ごせればいいんだけど・・・
 ___

 書き終わってから Google で街の画像を検索してみた。なかなか素敵なところのようで、ちょっとやる気が出てきた ^^;

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2014.06.07

◆雨の6月の日

 昨日、「やっぱり車よりバイクの方が乗っていて楽しい。少なくとも、晴れた5月の日であれば・・・」と書いた。

 その呪いがかかっていたのか、今朝はさんざんだった。

 午前中の方がいいという天気予報。しかも、曇時々晴。
 レーダーナウキャストを見ながら、東の方に雨雲が出ているので、予定を変更して西へ向かう。

 ところが、東で発生した雨雲が発達しながらどんどん西へと追いかけてくるのである。どうして「♪雲の流れは西から東」ではないのだ?

 北は大丈夫そうだったのでいったんはそちらへ逃げるが、ともかく家に戻ることにする。

 北へ逃げてもしばらくのこと、結局家へは東に進まなければならない。

 妙見山を越えたあたりからは、もう土砂降り。雨水が道の上を川のように斜めに横切っていく。ところどころでは、文字通りの土砂を交え、茶色の川になっている。

 年代物のカッパのズボンを通して雨がしみこんでくる。スリップも怖い。

 こんなふうに雨の中を走るのは、もう20年ぶり以上かなあと思う。
 その昔、台風の直径を横切るように、湘南から関西まで高速道路を走ったことがある。今思い出しても無謀だ。S.A. に寄るたびに他のバイクもいたけれど。
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 夕方、晴れたのでリベンジに出る。青空が見え、空気が澄み、梅田のビル群もくっきりと見える。
 山に分け入ると、もはや万緑と呼ぶにふさわしい緑が雨に洗われて輝いている。

 やっぱり、晴れた5月の日がいいなあ・・・ いや、6月でもまあいいんだけど。

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2014.06.06

◆5月は車に給油せず

 水曜日(6月4日)、車にガソリンを入れた。いつものようにノートに記録すると、5月には1度もガソリンを入れていないことがわかった。

 これまでそんな月があった気がしないので調べてみると、この13年(つまりは150か月以上)で2回だけあったが、いずれも8月で、長く海外に出ていた年だった。家の車に入れない分、旅先で何度も給油している。

 5月にいかに車に乗らなかったかということだ。実際、遠い方の職場に行く時以外はほとんど使っていない。

 その代わり、バイクでは毎週のようにどこかへ行った。1泊旅行まで2回した。
 だが、そのガソリン代は合計1万円以下。

 このくらいの燃費(平均で33.3km/l)の車があれば、ガソリン代を気にしないで乗れるんだけど・・・と思ったものの、やっぱり車よりバイクの方が乗っていて楽しい。

 少なくとも、晴れた5月の日であれば・・・

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