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2014.08.29

★ひとごと

 能登半島の輪島に行ったとき、「能登半島地震」による被害とその後の復興への言及が多いのに気づいた。
 ある漆塗りの店は、全壊から再建して今に至ったということを積極的に広報していた。

 まことに心苦しく申し訳ないのだが、当初は「能登半島地震? そんなのあったっけ?」という感じだった。
 調べてみると、2007年3月25日に、最大震度6強の地震が起こり、死者1人、負傷者356人、住家全壊684棟、半壊1733棟の被害を出しているという(コトバンク)。

 たいへんなことがあったんだなあと思うと同時に、「死者一人では、記憶になくても不思議はない」と思ったのも事実だ。かえすがえすも申し訳ない。
 亡くなった方にとっては、これほど重大なできごとは他にないだろうし、家族や親戚、友人知人にとっても大変な悲劇であったに違いない。
 負傷者の方々も大変な思いをされただろうし、怪我によってその後の人生が変わってしまったかもしれない。
 物質的な被害「だけ」だった場合ですら、金銭的のみならず、精神的ダメージも多大であっただろうと想像される。

 それでも、7年後の関西在住者は、そんな地震があったことすら覚えていない。被害直後の報道以外は、マスコミからも忘れ去られたためでもあろう。

 調べるうちに、能登半島地震があったこと自体はおぼろげながら思い出したような気がする。だが、たとえばそれより前に起こった新潟県中越地震(死者68名)の山古志村に関するような記憶はやはり出てこない。

 しょせんは「ひとごと」なのである。いや、中越地震にしても、もちろんそうだ。それどころか、個人的に計何百万円の間接的「被害」を受けた東日本大震災ですら、あるいは、家族・親戚が大変な目に遭い、自宅にもそれなりの被害があった阪神淡路大震災でさえ、である。

 こういう「ひとごと視」は、生物としての防御反応なのではないかとしばしば思う。人の生き死にや金銭的・精神的被害にいちいち共感していたのでは、とても身が持たない。それどころか、自分自身に降りかかったできごとですら、深刻に捉えていたのでは大変なことになってしまう。

 ロシアがウクライナに侵攻しようが、ISISがテロ行為を繰り返そうが、エボラ出血熱で死者が出ようが、日本各地で土石流が暴れようが、その報に接したときにはそれなりの思いはあるものの、5分後には(あるいは同時に!)淡々と食事をしている。
 何とかしたいと思っても、世界はあまりにも多くの悲劇で満ちあふれ、日々新たな災厄が襲ってくる。

 とりあえずは、ある程度真剣に嘆き、悲しみ、あるいは怒る。不条理を呪い、神が存在しないことに絶望する。
 だが、すぐに「ひとごと」と切り離し、後はちょっとした感傷的記憶となる。繰り返すが、自分の身に起こったことでさえ(それが現在にまで重大な影響を及ぼしていなければ)「ひとごと」だ。
 能登半島地震のように、そんな記憶にすらなれなかった悲劇もある(ほんとにすみません)。

 ときどきこうして、「薄情な奴だなあ」と自分に幻滅するのだが、もっと立派な人にはなれそうもない。これくらいがちょうどいいからこそ、何とか今日までやってこられたのだと思う。もしそれを責められたら、黙って頭を垂れるしかない。

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2014.08.26

★初めての?ペペロン

 かなりの大雨で、今日の黒部峡谷行きは断念した。

 仕方がないので、魚津埋没林博物館とか魚津水族館とか黒部市吉田科学館とか、名前すら聞いたこともなかったし、こんなことでもなければ絶対と言っていいくらい一生行かなかったであろう施設を梯子することになった。
 それでもまあ、行ってみるとそれなりに楽しく過ごすことができ、朝の暗い気分はほぼ解消された。

 だが、ここに書きたいのは、おそらく初めて食べた正真正銘のペペロンチーノスパゲティのことである。

 ご承知の通り、ペペロンチーノというのは唐辛子のことで、通常はニンニクとともにオリーブオイルで加熱され、塩味で供される。
 もっともシンプルな料理で、いわば、イタリア版「素うどん」といったところだ。

 魚津駅前の素敵なログハウス風のイタリアンのお店で、メニューにある「ニンニクと唐辛子のスパゲティ」を注文した。だが、それが単なるペペロンだとは思っていなかった。
 なぜなら、家人が注文したジェノベーゼが880円、息子が注文した海老入りトマトソースのスパゲティが1220円で、「ニンニクと唐辛子のスパゲティ」も1220円だったからである。トマトも海老も使わない、もっともシンプルなパスタにしては値段が高すぎるので、おそらくは何か「具」が入っていると思っていたのだ。

Dsc04790_169 ところが、「アーリオ・オリオ・ペペロンチーノのかた」と言って私の前に供されたのは、紛れもなくその名の通り「ニンニク・オイル・唐辛子」のスパゲティであった。それ以外に入っていたのはパセリと塩くらいだと思われる。
 「こ、これが1220円?」とびっくりせざるを得なかった。いや、高級店でそれくらいの価格だというのならまあおかしくはない(のかな?)。だが、ジェノベーゼもトマトソースのスパゲティも880円なのである。息子のは、大ぶりの海老が入っていたからこその1220円なのだ。

 考えてみれば、素のペペロンを食べるのはおそらく生まれて初めてである。イタリアンのランチでは必ず何かしら具が入ったパスタが出されるし、自分から単品で何も入っていないスパゲティを注文したこともたぶんない。

 やはりというべきなのか、このペペロンはおいしかった。比較対象がないのでどこまで褒めていいのかわからないのだが、絶品と言ってもかまわないくらいなのではないかと思う。
 息子のトマトソースよりも家人のジェノベーゼよりもおいしかったのは間違いない。

 しかしながら、他のメニューとの比較で、「素のスパゲティが1220円・・・」という思いが残ることも否めなかった。
 「おそらくは最高級のオリーブオイルを使っているに違いない」「いや、ニンニクもそうかも」「そういえば、麺もジェノベーゼのとは違うような・・・」など、理屈で自分を納得させながら食べざるを得なかったのは、どうにも落ち着かなかった。

 アーリオ・オリオ・ペペロンチーノは、シンプルなだけにごまかしがきかず、調理人の腕が素直に表れるとかいう。そういう意味では、シェフの力量を信じていいのかもしれないが、それにしてはトマトソースもジェノベーゼもそれほどのことはないと感じた。

 セコンドの中にはビーフステーキというのがあって、「8000円より」と書いてあった。ここでそんなものを注文する人がどれくらいいるんだろう?
 もしかしたら、シェフのこだわりでものすごい肉を仕入れているのかもしれない。だとすると、腕の鳴る?ペペロンチーノの素材にも、やはり力が入っていたのだろうか。

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2014.08.25

★二年連続で雨に祟られる

 去年の旅行では雨に泣かされた
 今年もずっと「大気の状態が不安定」とか言われ続けている。前半はまだマシだったのだが、肝腎の立山や黒部峡谷を訪問する後半になってからはずっと曇りか雨だ。

Dsc04584_169 それでも、長い雨宿りの後、室堂平(標高2450m:セーターを着ていても寒い)から立山の山肌を40年ぶりくらいに見ることができ、子どものころの家族旅行も思い出してちょっと感動した。

 明日か明後日には黒部峡谷鉄道で谷の奥まで行く予定だが、天気予報はやはり雨模様である。

 だがまあ、各地の降雨被害などを知ると、こちらは天国のようなもので、申し訳ない気すらする。
 今朝、立山の旅館で朝食の時に流れていたニュースでは、自宅からそう遠くないところでも、裏山から鉄砲水が出てマンションが水浸しになったとか言っていて驚いた。

 予報を見ると望みは薄いようだが、明日からは天候が回復してほしいと切に願う。
 もちろん、峡谷の観光に都合がいいからばかりではない。

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2014.08.20

★最後の?家族旅行

 家族3人で北陸に来ている。

 息子がまだ言葉を発しないころから、あちこち旅行してきた。長いときは3週間くらい。
 それがもう来年は大学4年生になるというので、長い家族旅行ができるのは今年が最後かという気がしている。

 国内であれ海外であれ、ほとんどの場合は車での旅行なのだが、これまではたぶん100%、私がずっと運転していた。家人はレンタカーどころか、私の車すら運転できないからである。
 運転は好きなのでまあいいのだが、たとえばヨーロッパを何千キロ、まったく交代もできないでずっと一人で運転するというのはさすがに疲れることも多かった。

 今年は国内を一週間ほどなのだが、初めて家人の軽自動車で出かけてきた。この車だと、家人はもちろん、息子も!運転できるからである。
 よちよち歩きだった息子の運転で旅行・・・ いかにも恒例行事の卒業に似つかわしい感じだ。

 だが、息子が運転中は、ほとんど路上教習のようになる。

 長い夏休みを取れる職業に就き、息子が私たちを「連れて行ってくれる」ようになるまでは、本当の卒業とは言えないだろう。
 前者も後者も途轍もなくハードルは高く、とてもそんな日が来る気がしない。

 しかしながら、2歳半までほとんどしゃべれなかった息子が、曲がりなりにも大学生になり、車を運転しているのだ。
 長い旅行に連れて行ってもらえる日が来るのなら、年を取るのも悪くないかもしれない。

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2014.08.19

★大統領の執事の涙

 ツタヤ・ディスカス(リストアップした作品のうち何が送られてくるかはわからない)が送ってきた。素晴らしいタイミング。

 文句なしの傑作。

 これがロビン・ウィリアムズの遺作なのかとも思ったが、この後6本もの映画に出演しているらしい(うち一つは声の出演)。

 しかし、生きていれば、もっともっと笑わせ、感動させてくれたことだろう。
 生きていれば・・・

(Lee Daniels' The Butler, 2013 U.S.A.)

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2014.08.12

★追悼:ロビン・ウィリアムズ

 映画俳優のロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)氏が自宅で亡くなっているのが見つかったという。報道によると、自殺らしい。まだ63歳。

 訃報に接して、もっとも好きな俳優の一人だったのに、という思いが湧いてきた。

 ・・・うん、確かにそうだ。

 まもなくレンタルが開始される『大統領の執事の涙』(Lee Daniels' The Butler)が遺作ということになってしまうのか。楽しみにしていたのに。

 それ以上何か言えるわけでもない。それでも、世界中で同じような声が多数上がることがせめてもの・・・と思う。
 そのうちの一つでありたい。

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2014.08.07

★なぜか豊作

 玄関先に葡萄を植えている。デラウェアと巨峰。

 それがたぶん、これまでで一番の豊作になっている。いずれも立派な実がなり、どうかすると市販のものよりおいしい。

 完全に無化学肥料かつ無農薬。

Dsc04157_47 というより、肥料は一切やっていないし、水さえやったことはない。完全放置栽培である。

 ご近所では実がなり始めると袋かけなどをなさっている場合が多いが、そんな手間も一切かけていない。

 孝行な奴だ。

 思い当たる理由はただ一つ。外壁の塗装なんかをしたので、邪魔になる枝を冬にすべて切ってしまったこと。
 50cmほどの細い枯れ木?が2本、ぽつんと棒のように立っていたのだが、今は壁を覆い尽くさんばかりになっている。

 今年も収穫が終わって枯れ始めたら全部切ってしまうべきなのだろうか。それで本当に枯れてしまったりすると悲しいので、なかなか思い切れないかも。

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2014.08.06

★弁護士からの電話

 昨日夕刻、家に電話がかかってきて、留守電に声が入り始めた。だれかからの電話を待っているとき以外は原則として出ないことにしているのだ。

 相手がしゃべり始めてから「すみません、お待たせしました」と出ることもある。申し訳ないとは思うが、かかってくる電話の9割くらいはセールスなので、エネルギーと時間の無駄を避けるためには仕方ない。
 身内用には別の番号がある。

 「弁護士の○○と申しますが、お昼にお電話した件で」とか言っている。間違い電話だと確信した。うちに弁護士からいきなり電話がかかってくるなどありえない。かかってきたとしたら、間違いか詐欺かだ。
 だが、「私ももうすぐ事務所を出ますので明日午前中にでもこの番号へ折り返し」というあたりで、慌てて出た。
 何か大事な用件を、間違えてうちの留守電に残したことを知らせなければと思ったのである。

 ところが、出た途端に切れてしまったので、仕方なく留守電を聞いてみることにした。確かにお昼にも1件入っている。

 意外なことに間違い電話ではなかった。録音を聞いて不思議な感じはしたが、内容から推して本物であるのは間違いないと思えた。

 何でも、恩師の一人に贈ったお花が自分の弁護士事務所に届いているので、どうすればいいか指示をくれという話だった。
 間違えて配達されたというのではない。その弁護士が恩師の任意後見人になっていて、すべての郵便物などが弁護士事務所に届くようになっているというのだ。
 それはすなわち、恩師が当事者能力を失っているということを意味する。

 花は家人が贈ったし、家人の方が恩師と親しいので、家人に電話してもらった。

 弁護士の話によると、入っていた施設の居室で倒れ、一時は人事不省になっていたが、今は意識があるということだった。特に重大な疾患があるというわけではなく、老衰ということらしい。御年90である。
 身寄りがないのでかなり前から高級な施設に入っていらしたが、ずっと水泳を続けていて、泳げば今でも私よりは速いのではないかと思っていた。しかしながら、やはりというか、寄る年波には勝てないのだ。

 ずっと以前、たぶん十数年も前に「書くものがすべて遺書になっていく」というようなことをおっしゃっていて、その時は切実なものとして感じられなかったが、やはりいつかはこうなる日がくるのだ。もはや書くこともままならないだろう。

 恩師を思うとき、「端然たる紳士」という言葉が浮かぶ。任意後見人を選任してきちんとしようとなさるあたり、いかにも先生らしいという気がした。

 まだまだ、とは思うものの、これからもずっと、というわけにはいかない。

 それはわれわれだって同じだ。・・・無常である。

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2014.08.05

★おいしい日本酒の謎

 酒がまったく飲めない。

 職業を選択するときにも酒が飲めないことを意識していて、それが選択理由の一つになった。

 母親はまったく飲めず、それなりに酒好きな父親も量は飲めない。
 以前にも書いたが、父親も会社で営業に回されるまではまったく飲めなくて、仕事の必要上、40歳を超えてから無理して飲み始めたということを最近になって知った。
 自動車免許にせよゴルフにせよ、仕事上必要だったから・・・という世代である。

 それはともかく、私自身は、今に至るまで仕事上の必要性もないし、まったく飲めないままでいる。
 飲んだことがぜんぜんないというわけではない。だが、飲むとすぐに頭ががんがん胸がむかむかして、何一ついいことがない。
 酒がおいしければ「飲めなくて残念」となるのだが、おいしくもないので、それもない。

 ただ、気持ちよく酔うというのを経験してみたいとは思う。世のほとんどの人が合法的にトリップしているなんて、にわかには信じがたいほどの事実である。

 そんな私だが、今まで2回だけ、おいしいお酒を経験している。一度目は、信州の牧場でいただいた牛乳酒。二度目はアメリカのレストランで飲んだドイツワイン。
 不思議なことに、気分も悪くならなかった。ほろ酔いとかにはならなかったけれど。

 残念ながら、ドイツワインの方はかなり探したのだが見つからなかった。牛乳酒はそもそも販売されていない。

 そんな中、3度目のおいしいお酒を発見した。
 父親への手土産にと、実家に行く際に銘酒店で見つくろってもらった二本のうち、無濾過の純米吟醸、生酒の方(もう一方は未飲)。

 これが実においしかった。日本酒がおいしいと思ったのは初めてである。
 あのツンとくるアルコールの感じが一切ない。とろりとした旨みの中に芳醇な果実のような味わい。これが「米・米麹」だけからできた飲み物だとは到底思えない。
 他人のブログを検索すると「洋酒の入った生クリームみたいな」「キャラメルっぽさも感じ」るという記述がある。
 まさにそんな感じ。それが日本酒なのだ。

 Sake というよりは Rice Wine と言った方がぴったりくる。

 次の日早速、同じ店で同銘柄の小さい瓶を買った。自分で飲むために日本酒を買うのなど、もちろん初めてである。

 ところが、前日に飲んだのとまったく違うのだ。例のアルコール臭はあるし、あの馥郁たる とろみ も感じられない。
 父親に買ったのは「仕込27号」で、自分用は「仕込19号」。意味のわからない「24BY」という記号も、父親のとは違うようだ。上記の「洋酒の入った生クリームみたいな」「キャラメルっぽさ」というのは父親のとぴったり合うのだが、それは仕込17号14BYである。

 蔵元のウェブサイトには「ブレンドを一切しません。」「無理な味の統一化をしません。その為、同じ銘柄、種類の酒でも仕込号数の違いにより、酒の成分に若干の違いがあります。」とあるのだが、まったく同じ銘柄の酒をほぼ同時に買って、これほどの違いがあるのは到底納得できない。
 ___

 今考えているのは、温度管理の問題ではなかろうかということである。火入れも一切していない無濾過の生酒だから、「瓶内で酒は生きてい」るという。したがって「要冷蔵」なのだ。

 ところが、父親に買った一升瓶は、(おそらく)14℃くらいのワインセラーのような部屋に置かれていた。しかもその後数時間、常温で放置してしまった。
 自分用に買った四号瓶は、冷蔵庫に保管されており、保冷したまま持って帰った。「要冷蔵」を知った後だからである(最初の購入時に酒屋のご主人が教えてくれなかったのはどうかと思う)。

 つまり、蔵元の推奨しない温度管理が瓶内での熟成を進め、酒の味がわからない私好みの芳醇さを獲得したのではないかと思うのである。
 そういえば、上記の「洋酒の入った生クリームみたいな」「キャラメルっぽさ」を持つ酒は、特約店で購入されていない。蔵元のウェブサイトには、「冷蔵庫で」「しっかりと保管管理されて」いるから「必ず特約店でお買い求め下さい」と書いてあるにもかかわらず。

 だが、私が買ったのは特約店なのである。しかも、しっかり冷蔵庫に入っていた方がまずいとはどういうことだ。
 まあ、酒飲みにはそちらのほうがおいしいのかもしれないけれど。

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2014.08.01

★遠き花火

 会議が始まる前、隣に座った同僚が何気なく「今日はPLの花火ですね」と言った。

 今まで一度も見たことはないが、全国でも有数の(ということは世界でも有数の)花火大会であることはもちろん承知している。
 でも、人混みが嫌いだし何となく遠いしで、今まで一度も足を運んだことがなかった。どうも毎年8月1日であるらしいのだが、そんなことすら知らなかった。

 ただ、今年になって手軽に行けるようになった箕面の丘から大阪平野が一望できることを知っていたので、そこから遠方の花火を見てみようという気になった。

 夕食後に出かける。

 思いのほか、夜風が涼しく快適だ。
 もちろん花火は大きくはないが、肉眼でも思ったより綺麗にはっきりと見える。これはこれで、近くで見るのとはまた違った趣がある。
 しかも、双眼鏡を使うとけっこう大きく見え、それでいて視野内にすべての花火がおさまるのでなかなかいい。

 望遠鏡を持ち出そうと思っていて忘れたのをちょっと後悔した。場所が固定されているから、望遠鏡にはもってこいだ。おそらく、視野いっぱいに花火が広がることだろう。
 来年はぜひ、と思った。気の長い話である。

 驚いたことに、花火の音までが聞こえてくる。調べると、直線距離で40kmほどあるので、ほぼ2分後!に音が聞こえてくることになる。ちょっとしたタイムマシンだ。

 花火の上空が大阪空港のファイナルと重なって見え、次々と飛行機が降りていくのもおもしろい。こんな日のこんな時間の飛行機に乗り合わせ、上から見下ろすことができた乗客たちは幸運だ。

 それほど知られた場所ではないが、花火がなくても夜景が綺麗で、車が十台くらいは停まっていただろうか。エンジンをかけたままの車が多いのは興ざめだった。

 車の外にいる見物人は、カップルが数組と家族連れが1組。若い女の子らしいのは、みんなミニスカートを履いている。
 タンデムのバイクで来たカップルの女の子もミニで、ちょっとどうなんだと思わされた。

 まあ、いずれにせよ、みんな幸せそうだ。

 さすがの私も一人で花火は見に行かないので、今日は隣に家人がいた。

 かつて、サントリーのコマーシャルで「恋は、遠い日の花火ではない」というコピーがあったのを思い出す。
 だが、近くのカップルたちを見ていると、明らかに、恋は遠き花火なのだと思い知らされた。

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