◆「立春」への無理解
いささか旧聞に属するが、2月15日の朝日新聞「天声人語」は次のような文章で始まっていた。
立春を過ぎれば冷え込みは余寒だが、「余りものの寒さ」とはいかず、今年も名ばかりの節目である。2月という月は、暦の上では春ながら、実のところは冬がきわまる。しかし寒さの底から、何かが兆し始めるときでもある幼いころから聞き飽きた常套句「暦の上では春」というのが、ここでもまた繰り返されている。今回はご丁寧なことに「立春」が「名ばかりの節目」とまでこき下ろされている。「寒さの底から、何かが兆し始めるときでもある」と自分自身で言いながら、「立春」の意味に気づいていないのだろうか。
立春というのは、「暦の上では春ながら、実のところは冬がきわまる」時節のことを言うのではない。まさに「寒さの底から、何かが兆し始めるとき」を言うのである。
つまり、「もう寒さは底ですよ、これからはたゆたいながらも少しずつ暖かくなってきますよ、いよいよ春がスタートしますよ」というのが立春なのである。寒さが極まっているのは当たり前で、極まっているから立春と呼ぶのだ。
もちろん、立春は決して「名ばかりの節目」でもない。
もはや冬至と春分の中間地点にいて、現実に日はどんどん長くなっている。今年始めて私が満開の梅に気づいたのは立春から5日後であった。その他の木々の芽・花芽も日ごとに膨らんでいる。カワガラスなど、気の早い鳥は繁殖を始める。
マスコミが毎年のように「暦の上では春ですが、まだまだ寒いですねぇ」と繰り返すのをいつも苦々しく思っていた。そういう常套句を何度も聞かされることで、人々の立春への無理解は定着・強化されてしまう。
まして、少なからぬ人々から教養の指針のように思われている(毎日ノートに書き写しているという人まで相当数いるらしい)「天声人語」がこのような認識では、背筋がうすら寒くなる。
立春は決して「名ばかりの節目」ではない。「寒さの底から、何かが兆し始めるとき」が立春と名づけられたのだ。そして、その感性を私たちは共有してきた(はずな)のである。
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