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2015.06.29

◆阪神が首位!だけど・・・

 ふだん新聞のスポーツ欄はまったく見ないのだが、今朝は紙面をめくっている途中でセリーグの順位表が目に入った。
 表自体が右肩一番上で目立っていたし、阪神が一番上にあったので目に留まったのかもしれない。

 へぇぇぇ、阪神が首位なんだ・・・と思って表を見ると、何だかおかしい。

 阪神以外の5球団がすべて負け越しているのである。

 阪神が勝ちまくっていて、その分の負けを他球団が分け合っているとかいうのなら、ありえなくはない。
 だが、首位の阪神でも36勝33敗、2位巨人が36勝37敗なのである。最下位の中日が32勝41敗。

 こんなことは、数学的にありえないはずだ。

 何度見ても間違いないし、どう考えてもこんなことが起こるはずはない。
 2位以下の球団が負け越している分、どこかのチームが勝っていなければならないのに、唯一勝ち越している阪神の勝敗差はたった3つなのである。

 表が間違っているのか、私が学習してきた「数学」が間違っているのか、どちらなのだろうか。

 ふと思い立って、全チームの勝敗を合計してみると、204勝221敗となった。

 はあ?

 ゼロサムゲームというか、一方が勝てば他方が負けているはずなのに、リーグ全体で負け越しているじゃないか・・・

 ありえない。

 やっぱり表が間違いなのか。
 引き分けは関係ないはずだし、万一あるにしても、合計で5試合しかないから、どう考えても204勝221敗の説明はつかない。
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 ここまでお読みいただいた方は、とうにその理由がおわかりなんでしょうね。

 にぶい私もハタと気づきました。「リーグ全体で負け越しているじゃないか・・・」

 これ、いつのころからか始まった、「リーグ交流戦」とかいうのが影響してるんですね。
 要するに、セリーグの球団にもパリーグの球団と試合をする機会ができた、その際に、セリーグの球団はパリーグの球団相手に派手に負け越し、その負けはセリーグの順位表に反映されている・・・ということなのですね?

 それにしても、別リーグのチームとの勝敗数を自リーグの順位づけに使うというのはかなり妙な気がするのですが・・・
 ___

 試しにパリーグの勝敗数を計算してみると、217勝200敗。両リーグ合わせれば、めでたく421勝421敗になった。

 表は間違っておらず、私の「数学」も大丈夫なようで、ちょっとほっとした。

 それにしても、パリーグ首位のソフトバンクは43勝25敗!
 かろうじて勝ち越している阪神とは雲泥の差である。

 「人気のセ、実力のパ」というのは、今でも有効なのだろうか。

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2015.06.19

◆潮時?

 海まで歩いて10分くらいのところで生まれ育った。

 子どものころの夏休みなど、毎日のように海で泳いだものだ。潜って魚を突いたり、春にはワカメやアサリを取ったりもした。おぼれかけたことも2〜3度ある。
 カレイやアナゴなんかを釣るくらいには釣りもした。兄と2人でゴムボートを出したときには、確かヒラメを釣り上げたはずだ。

 よく死ななかったなあと思う。小学生や中学生のくせに、子どもだけで好き勝手に遊んでいた。

 あ、死ななかったといえば、雪山で遭難しかけたこともある。確か中1の時だった。雪山と言ってももちろんスキー場なのだが、信州の2千メートルを超える峠からルートを間違え、何とかゲレンデに戻ったときには顔半分が動かず、ホットミルクが口からだらだら流れた。

 リスクに鈍感だったのか無頓着だったのか、あるいは子どもの一人くらいは死ぬものだと思っていたのかはわからないが、放任主義?の両親だったなあと、ちょっとあきれながら感心する。
 とてもあんなふうには子どもを放っておけない。

 話がまったく横道にそれた。

 海育ちのくせに、ぜんぜんダメである。
 泳ぐのは速くないし、海辺の生き物にも詳しくない。波を読むとか潮を読むとかの能力もまったくない。釣りなんか、文字通り児戯に等しい。

 弟は一時、小さな船を買って釣りをしていたし(今も持ってるのかな)、兄は今でも釣りに凝っているようで、私だけが海の楽しみを深められていない。

 まあ、海に限らず、何ごとも深められないのが自分だから、これはある意味仕方ないとも思う。
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 「潮時」という言葉がある。海に生きるものは潮を読み、航海なり漁なりに生かす。
 万葉集の昔から

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
のように歌われている。

 海育ちであるにもかかわらず、私はこの、潮時についてまったく無知である。満潮や干潮が釣果にどう影響するのかすら知らない。

 「潮時」は、文字通りの意味以外に、比喩的に「時宜にかなった」というような意味として使われることもある。
 今はネガティブに使われて「諦め時」みたいな用法が多い気がするが、元来は中立的、ないしはむしろ、好機、チャンスの意味であろう。

 ああなんと、ここまでがどうでもいい前置き・・・
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 選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公職選挙法が衆参両議院において全会一致で可決された。
 ややこしい人であふれかえるあの国会で、衆議院でも参議院でもだれ一人反対票を投じなかったというのだから驚く。

 そんなに誰も彼も賛成するようなことなんだったら、どうして今ごろになってしまったんだろうと、不思議で仕方がない。10年前でも20年前でも成立したんじゃないだろうか。

 ・・・と思ったときに浮かんだ言葉が「潮時」だ。

 何ごとにも潮時というものがあって、選挙権年齢の引き下げに関してはちょうど今ごろということだったんだろうと思う。

 でも、どうして今が潮時なのか、いくら考えてもわからない。30年前でも30年後でもいいような気すらする。

 海育ちにもかかわらず潮が読めない男は、日本育ちであるにもかかわらず、この社会の潮目も読めない。

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2015.06.04

◆ないものねだり

 年に何日もないような清澄な空気。

 街も山も、本来の彩度を取り戻したかのような色彩に覆われ、木々の緑は言うにおよばず、家々の屋根や壁までもが新鮮である。

 季節は初夏になっているので寒いわけではないが、「冴えかえる」という春の季語は、こういう日のことを言うのではないかと思った。

 夕刻、バイクで走っていると、確かに風が少し冷たい。
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 飛びたい、と切実に思ったのは久しぶりだ。その代わりにはならないが、仕事帰り、バイクで高台に登って大阪平野を見下ろす。

 急に視力がよくなったかのような風景・・・
 生駒山系の奥の山なみまで見えたのは、もしかしたら初めてではないだろうか。

 瑞々しい緑は、一夜にして出現したんじゃないかと思うくらい鮮やかだ。
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 「いつもこんなふうに綺麗な緑が見られればいいのに」とは思うものの、毎日が今日のように乾燥していたのでは、木々はこんなふうには育たない。

 地中海に面した南ヨーロッパなら、こんな日は珍しくないだろう。
 だがもちろん、圧倒的なまでの豊かな植生はそこでは望めないのだ。
 
  
 この冴えかえる空気を切り裂いて無音の飛行機を飛ばし、2.0の視力で珊瑚礁も氷河も万緑も見てみたい・・・

 どこをとってもないものねだりである。

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