●私たちは戦争を体験していないけれど
鶴見俊輔が死んだ。
朝日の朝刊は日経によるフィナンシャル・タイムズの買収がトップだったが、その横に訃報。
夕刊は一面トップである。
昨今の情勢の中、メディアから鶴見俊輔の声が聞こえてこないのが不思議だった。
さすがに高齢だからかとは思っていたが、同い年の瀬戸内寂聴氏や2つ下の村山富市氏などは表に出てきている。夕刊には「5月半ばに太ももを骨折」とあるが、発信は可能だったようにも書いてある。
細胞生物学者で歌人の永田和宏氏(ご自宅も近所だという)によると、「メッセージを頼もうと思ったが、体調を気にして声をかけなかった」(『朝日新聞』)のだそうだ。
麗しい配慮だが残念なことだった。
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鶴見俊輔の「起点」や「原点」などとして、よく戦争体験が語られる。ご本人の口からも、戦争への言及がしばしばなされる。実際、戦争体験は鶴見にとって思想のバックボーンとなるものだったのだろう。
日本からは戦争体験者がどんどんいなくなってきている。その理由が死であることは悲しいことだが、諸外国では必ずしも戦争体験者が減っているわけではない点を鑑みれば、もちろん言祝ぐべきことだ。
しかしながら、「戦争を知らない子どもたち」だった為政者が、「大人になっ」った後で「平和の歌を口ずさみながら」「歩きはじめ」ないで、むしろ、「また戦争をする方向へ舵を切ろうとしているのは、戦争を直接体験していないからだ」などと言われることを考えると、手放しに喜べないような気になってしまって複雑だ。
実際、同じ自民党でも、何らかの戦争体験を持つ、もはや引退してしまった元重鎮たちの多くが、今回の法整備に明白に異を唱えているし、鬼籍に入ってしまった、たとえば後藤田正晴のような人物も、生きていればそれに加わっただろうと思われる。
だが、戦争の経験を得るためには、戦争を体験することを必要としない。
こと戦争に関してだけは、私でさえ、体験しなくてもわかる。
「何を生意気なことを。体験していない者にあれがわかるものか」と言われれば、「すみません、おっしゃるとおりです。ご体験とはくらべものになりません。とてもわかったとは申せません」と返すしかないのだが、「自分で直接経験しなければ学べない」と、いつも自分の想像力のなさを呪っている私ですら、こと戦争に関しては、わかる気がするのだ。
それは、幼いころから接してきた、膨大な絵本・漫画・体験記・小説・詩・歌・写真・絵画・映画・ドラマ・劇・報道・投書など、そして、数は限られているが、直接聞いた体験談の蓄積があるからである。
もちろん、そんなものがナマの体験にかなうわけではない。
ただ一方で、一人では到底体験しえないようなさまざまな立場を、私たちは仮想的に経験してきた。
こないだの日本の戦争に限っても・・・
敵と勇敢に戦ったり、命令されて無抵抗の民間人を殺したり、上官に殴られたり、マラリアにかかったり、飢えに苦しんだり、そうして死んでいった腐乱した死体の横を目を背けながら歩いたり、その挙げ句に人肉を食べて飢えをしのいだり、完全軍装で何十キロも行進したり、その時の靴が安物でついには裸足になったり、焼夷弾を落とされて家を燃やされたり、そのせいで父母や兄弟が焼け死んだり、特攻機で出撃して故障のために途中の島に不時着したり、実際に敵艦に突っ込んでいったり、そういう最期を迎えるために飛行操縦の訓練に励んだり、そんな息子を手塩にかけて育てたり、帰ってこない夫や息子を岸壁で待ったり、遺骨として白木の箱の中の石ころを受け取ったり、、原爆で体中の皮膚が垂れ下がって幽霊のように歩いたり、竹槍で爆撃機を落とす訓練をしたり、校庭を畑にして芋を栽培したり、勉強をやめて工場に行って働いたり、そこが爆撃されて逃げ惑ったり、アメリカ軍の火炎放射器で焼き殺されたり、日本兵にガマから追い出されたり、わが子を手にかけてから手榴弾で自殺したり、占領した村の食料をすべて奪って女性を強姦した上に殺したり(これは直接の目撃者から聞いた)、グラマンの機銃掃射を受けながら命拾いしたり(これは父親の体験)、疎開先でいじめられたり(これは母親)、やっと戦争が終わったら、シベリアなんかに送られて極寒と飢えの中強制労働させられたり、子どもたちは教科書に墨を塗らされたり・・・
きりがないのでこの辺でやめよう。
いくら想像力のない者でも、とにかく金輪際、体験したくないことだというのは容易にわかる。特に私のような、苦しみや悲しみや痛みなんかに弱く脆い者であってみれば。
鶴見をして、「一億人の中の一人になっても」とまで言わしめた反戦への思いの「原点」となった体験そのものは、もちろん私にわかるとは言えない。
しかし、圧倒的な量の戦争擬似体験は、私の乏しい想像力を動員するだけで、ナマの一人の体験くらいにはなるはずだ(それでも体験者から「わかるものか」と言われたら「すみません」としか言えないけれど)。
だから、「昨今の為政者たちは戦争体験を経ていないから戦争の恐ろしさがわからないのだ」というような言説は、にわかには信じがたい。もし本当にそうだとしたら、もはや救いようがないほど愚かだとしか言いようがない。
まさかそんなことがあるはずはない、と思うのだが。
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