★早朝、霧に包まれた山中の道の駅のトイレの中で
先日、屈斜路湖からさらに山道を登りつめた、美幌峠というところにある道の駅で車中泊をした。
「ぐるっとパノラマ」という謳い文句に魅かれて選んだのだが、翌朝は濃霧に包まれ、パノラマどころか駐車場の端すら見えるかどうかというくらいになった。
道の駅で車中泊をする人は多いのだが、さすがにこれくらいの山中になると、ほんの数台しかいない。
朝の6時前に起きて、前夜ふもとで買っておいたコンビニのおにぎりで朝食をすませ、洗面所で歯を磨こうとしていると、おじいさんに話しかけられた。
歯ブラシに歯磨き粉をつけた時点から先に進めず、そのままお話を伺うことになる。
話は「わしはいくつに見える?」から始まる。
返事に困っていたのだが、合間合間に答をせっつくので、失礼のないように「70くらいでしょうか」と返事をすると、「みんなそう言う。だがわしは大正9年の生まれじゃ」という。
「大正???9年ですか。だとすると90・・・」
「そうじゃ、とうに90は超えとる」
確かに、誕生日が来ていれば95歳ということになる。そういえば父親(85だ)と比べると・・・と思うものの、せいぜい80くらいまでにしか見えなかった。
車を運転して北見から厚岸まで行くという。今地図を見ると、ルートは正しいようだが、いったい北見を何時に出たのだろう?
「この年になるともう厚岸まで行くのも命がけじゃ」というのだが、他の命を巻き添えにすることだけはやめていただきたいと思った。
さあ、そこからの話が長い長い。
北海道の山中の峠の、道の駅のトイレの中ですよ。しかも濃霧の早朝。私は歯ブラシを手に持ったまま、ひたすらこれ、拝聴するしか術がない。
ここには詳しく書けないが、樺太に住んでいたこと・シベリア抑留体験・特攻の悲惨さ・東條英機と同じ申年(調べると確かに大正9年も東條の生年も申年だった)・大東亜戦争の愚かさ・アメリカの凄さ・自衛隊設立の思惑・戦争と平和・・・
そういったことについて、ときに身を乗り出し、息のかかる距離に迫りながら熱心に話す。臭くないはずがない。
「軍隊の上層部というのは、そりゃあ頭はよかったのかもしれんが、心がない。心が」
時折こちらに質問を投げるのだが、悲しいことに相手は耳が遠い。かなり耳の近くではっきり話さないと聞き取れないようだ。
言っていることはそれなりに筋も通っていてもっともだと思えるし、「あんたはどう思う? 日本はまた、次の戦争をやるべきなのか、それとも今の平和を守るのか」と問われれば、「もちろん戦争なんかせず、平和を大切にしなければいけません」としか答えようがない。
幸い、同意見で助かった。
山中の道の駅のトイレの中、片手に歯ブラシを持ったまま熱弁を聞くこのシュールな状況を少しは楽しみつつ、ほんの少し身の危険を感じながら、「いったいいつ終わるのだろう、何とかこちらから終わらせることはできるだろうか」とずっと考えていた・・・
___
ものすごく長いと思ったが、実際はどのくらいだろう、15分くらいだろうか。
「いや、ありがとう。今日はほんとによかった」的な台詞が出てきた。会話終了マーカーである。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。勉強になりました」的に、何とか終わらせようとするのだが、それでもまだややあって、やっと終わりそうになった。
「あんたみたいにわしの話をちゃんと聞いてくれる人はおらん」(いや、私だって正直、聞きたくはありませんよ)「みんなすぐ聞かんようになる」
うーん、そりゃそうだろうとは思うのだが、みんな一体、どうやって逃げるんだろう? さっさと無視して去るんだろうか。それとも、何か言って終わらせるのだろうか。
方法を考えていたのだが、私の頭ではなかなか思いつかなかった。「しゃべるだけしゃべってもらって、こちらはおとなしく聞いている」という処方箋しか浮かばない。
話したいだけ話すと、おじいさんは敬礼まではしなかったが、軍隊式のお辞儀をして去って行った。釣られてこちらも似たような格好をする。
歯を磨いた後で駐車場に出ると、紺色のクラウンをひとりで運転してきているようだった。
話の筋は通っているのだが、振る舞いは異常だ。そんな95歳が運転免許更新の講習予備検査をパスしたのだろうか(と思ったが、今調べると、どれほど認知症が進んでいても免許は更新できるんですね・・・ その後違反をしてから初めて問題になるようです)。
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そういえば、昔、ある外国人男性が love(神の愛や人類愛みたいな意味です)について語るのを、仕方なく長い間聞いていたところ、あとで別のインド人男性に You are too polite.(あなたは礼儀正しすぎる)と言われたことがある。
いや、礼儀正しいんじゃなくて気が小さいだけなんだと思う。
あんなときって、どうすればいいんだろう?
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